はてなキーワード: 息抜きとは
彼氏・セフレ・旦那との三重生活を初めて、だいたい1年経ったから記念エントリする。
私: 20代後半のOL。結婚2年目子無し共働き。都内在住。顔面偏差値は峰なゆかのおっぱい1/2版。
旦那: 30代後半の経営者。ワーカホリック。亭主関白でDVの傾向あり。性欲Lv.10。風俗・AV大好き。←氏ね。
彼氏: 20代後半の研究職。クソ誠実&真面目。1年前にガチ告白してきた。性欲Lv.100。相性良すぎて毎回とろけてる。
セフレ: 30代前半の自営業。独身貴族。1年前に仕事で会って月1でご飯&お泊まり。性欲Lv.15。タチ方に少々難あり。
ところが結婚2年目になり、子供をつくる・つくらないで意見が真っ二つに割れた。
私: 結婚=子供。絶対にほしい。子供をもたない人生なんて考えられない。
旦那: 結婚=恋愛。2人で居られればそれでいい。子供をもたない人生でも構わない。
たいして広くもない1LDKで別々に寝る日々。セックスレス3ヶ月目、会話なし1ヶ月目。
何度話し合いをしようとも、耳をつんざくレベルで怒鳴られ会話放棄されるのが週末の日課になりつつある。
出会った当初からすべてがタイプで、気づいたらデートしていた。
「まだ友達でイケるだろ」と思ってた矢先に告白され "彼氏がいる" テイで付きあったものの振られる。
毎晩(旦那がいる家で)泣くほどショックだったが、数カ月後に再会してあっという間にヨリを戻した。
既婚であること、結婚式を挙げたこと、旦那と住んでることは1年間隠し続けている。
結婚を視野に同棲予定。近日、彼両親に会いに行かされる。意味わかんない?私も全然わからない。
猛プッシュされデート→高級ディナー&セックスを繰り返す→月1の定例行事
高級フレンチ→高級バー→億ションでおしゃべり→セックスが定例化している。
途中までガチ彼女候補に入っていたが、彼氏の存在を仄めかしたらセフレで留まった。
端的に表すとこうなる。
b > c > a
文章にするとこうなる。
彼氏と一緒になりたい! > 息抜きのセフレは捨てがたい > 旦那さっさと離婚してくれ
死んでも言わない。マッドマックス3の輸血専用人間にされても言わない。
浮気、不倫。その名称は何でもいいが、1人以上と異性の関係をもったとき
本命に真実を暴露するような人は、2人目を作るような資格はないと思ってる。
人間は、1人を愛するのが精一杯なように上手く出来ている。
だから、1人以上愛したい人ができてしまったときは混乱するしつらい。
それでも、各々を各々の理由で愛しているのならば墓場まで持っていく覚悟をすべき。
すなわち、匿名ダイアリーにしか吐けない生活をする覚悟がないなら複数関係持つと苦しくて死ぬ。
協議離婚が望ましい。離婚届にサインして終了。財産分与みたいなゴチャついた話は面倒。
なぜか。それは、彼氏やセフレの存在を知られないまま「性格の不一致」で離婚したいから。
一方で、不妊治療の拒否(子供が欲しくて何度も検査を頼んだが拒否された)と不貞行為(風俗は立証しづらいらしい)で
どうにか旦那に責務がある形で離婚できないかと「旦那 離婚理由」「夫 不妊 離婚」でググりまくる毎日。証拠集めって難しい。
ただ怒鳴られる日々に精神がすり減ってきたので、離婚とまでは行かなくても早いところ別居したい。話し合いたいが無視されるor怒鳴られる。
彼氏は生真面目で誠実な性格なので、不貞行為にあたるものは心底嫌い。
でも、私が「彼氏がいる」と公言してたときでも抱かれたから実際はどうなんだろうか。
ただ二度目の結婚式だけは勘弁してほしい。いくらご祝儀辞退しても、お祝いなんて無いだろう。
時系列もジャンルもバラバラで書きなぐった文章を、ここまで読んでくださった方がいれば本当にありがとうございます。
職場で現在プチ流行中の言葉にITC(意識高いカフェ)というものがある。個人経営のカフェであり入口にはメニューの黒板。おちついたボサノバっぽいBGM。ラテは豆乳もあるよ(ソイラてっていうんだよ)。670円で高い。ランチは白いプレートに乗ったもので野菜とか魚が少しずつ乗ってるよ。スマホでソシャゲやってるお客さんはいなくて、たいていは主婦2人組(お金持ってるっぽくて観劇や展覧会の帰途多し)か、外回りのクリエイティブ系サラリーマン(プレゼン帰りで議論していることが多し)か、Macbook開いてる自由人っぽい人間(大きなヘッドフォンでセルフレーム眼鏡)だよ。黙って座ってるとこちらを笑い殺しにするようなステキカイワが聞こえてくるので、職場では伝説の息抜きスポットになってるよ。「俺はカラーパンフみてRGB値を当てられるんだ」みたいな自慢を三十分してるとか。
このITCは特定のカフェを指す隠語なんだけど、そのほかにSITC(少し意識高いカフェ)ってのもあって、これはチェーンなんだけどイシキタカイっぽいカフェのこと。おまえのことだCAFFÈ SOLARE。得意技はメニューにアボカドとかフランクに投入すること。アボカドって言っておけば許されるあの雰囲気はまさにSITC。こっちは子どもずれのママ友(三人もしくは四人組)多し。オープンテラス席で「幸せな母親」を社会に見せつけるプレイに余念がない。
なお別種の存在としてDMCC(泥水コーヒーカフェ)ってのもあってうっすい香りのしないコーヒー一杯を、部下のリストラ数の勘定をしてる企業戦士や銀行に頭を下げるマシーンと化した古参兵や競馬新聞を聖書のように携えた壮年の信徒が、ひとっこともしゃべらずに世界の悲嘆を共有する無言の空間で摂取してる。こっちはこっちでカウンター席でラップトップ(傷だらけの古いLenovo)を広げ、青年時代の罪の告白のようにコードを書いてる中年もいるよ。クリエイティブってなんなんだろうね。
高校、大学、その他いろいろ、Twitterでリアル垢を運用する人は多いだろう。ただその中でも「こなれていない」ユーザーもそれなりに見受けられるので、(これを書いている著者がそうならないためにも)ここに(自分が思う)気をつけるべき点を書き出してみる。
(あくまで最低限守ったほうがいいんじゃないの?ってことであって、Twitterはこう利用せよ、ということではない)
→Twitterを最近やり始めたひとに多いパターン。いちいち数分、数十分ごとにあれした、これした、これ◯◯じゃね、などと報告するようにツイートしてしまうのだ。見ている側が興味を持てないツイートで飽和状態になってしまい、最悪そのユーザー自身のマイナスな印象にもつながりかねない。まあ時間が経てば直るかもしれないが、気をつけたいところだ。
→自分のことを面白いと思い込み、ノリノリでネタツイートを連発するが、周りから見るとただの痛い人間にしか見えないパターン。この場合、つまらないとわかった上で、つまらない事自体をネタにするということに昇華できないこともない。
③クソリプ
→王道である。よく見受けられる具体例としては、いちいち他愛もない他人のツイートに真面目でも面白いネタでもないリプライを飛ばしまくることなど。Twitterでも他人にダル絡みされては息抜きの場がなくなってしまうひともいるのだ。
④内輪ネタでTL汚し
→これはフォロワーに様々な関係の人間がいる場合、最も注意を払うべきだろう。例えば、中学高校大学と同級生にたくさんフォローされているアカウントで、毎晩中学の同級生と内輪ネタで騒いでいる奴がTLにいないだろうか? 関係ない人間からすれば、そういうユーザーは迷惑になりかねない、ということだ。この状態に陥りかけた場合、アカウントを分けることが有効である。
最後に、いろいろと偉そうに書いたが、「コイツ迷惑だなあ」と思った時に口からでかけた不満をグッと飲み込み、自分を省みる態度こそ最も重要なのかもしれない。そうすることで社交スキルを高めていくのだ。それは実生活においても、必要な態度のひとつだろう。
いや、洗濯の時間は取れるがアイロンかける暇が惜しいんだよな。
土日に夫の実家に行く用事があって土日も使えないと、月曜からのYシャツがない。1枚も。
普段は私が出すが、午前中に打ち合わせがあって、それまでに他の家事終わらせて…と考えると微妙にクリーニング屋に行く時間がない。
だから夫にお願いした。会社行きがけに出してほしい!と。夫は今仕事が暇らしく、朝時間がある。
いいよと言ってくれた。助かる。「助かる!ありがとう!」と言った。
でもそこから夫がグチグチ言い出した。「でももっと早く言ってくれればいいのに…一昨日とか暇だったし。昨日夜も行けたわ」
イラッとした。文句言う夫に仕事押し付けてるみたいなのが嫌で、結局自分でクリーニング屋行った。
そのとき洗濯機回してたから、洗濯終わるまでの間にクリーニング屋に行けたわけだ。実際行けたし洗濯も干せたし打ち合わせも間に合った。
でも、行ってくれても良いじゃないか。仕事暇なんでしょ?朝ごはんの後布団でグダグダしてる時間はあるんでしょ。
でいうかいつまでも布団でグダグダしてるから洗濯が始められなかったのもあるんだよ。
ていうかお前のYシャツじゃねーか。
クリーニング出すよって言ってくれて、心底助かったー、ありがたいと思ったんだけどな…。
文句言われてまでお願いしたくないんだよな。
ギリギリでお願いするのも、結局自分で行く時間あるのにお願いするのも私の怠慢ではあるが。でも気付いたのが今朝だからしょうがないんだよ。
疲れた。
疲れたな。普段は仕事の息抜きにアイロンかけるぐらいの時間は全然あるんだけどね。
なんか余裕もエネルギーもないな。
よし、仕事しよう。
2浪する気か?
なんでたった2週間3週間だけでも集中してやれないんだ?
よっぽど実力あり余らせてない限りそんなことしてる暇ないよな?
まじ志望校のレベル大幅に下げてくれ、お前みたいな奴が後輩なの嫌だから
国公立一本の奴もなんで今ポケモン毎日やってツイッターに下手な落書きあげてんの?
お前何浪する気だよ?
本当に晴れやかな気持ちでポケモン出来る日を自分で遠ざけてるだけだよ?
ポケモン好き好き大好きって言っておきながらお前のやっていることは親の金をドブに捨てて予備校モラトリアムやってるだけであって、ポケモンたちはそんなの望んでねえよ?
ずっと真面目にやってきても2浪3浪した人がゴロゴロいるってのにお前はなんで直前になっても1年中そうなんだ?
お前に余裕なんかまったくないはずだよ?センターも現役のときより点数悪かったのにこれからどうしようとも思わないわけ?
親に「お前は才能のないやつだ」ってサックリ言われちゃってもしょうがない状況を自分で作ってるんだよ?
お前なんかが受かるわけねーよ。
他は受かるために、この浪人生活で最後にするために日々頑張ってるというのに、現役でキメようと物凄く頑張ってる人もたくさんいるのに
なめてんの?
実のない奴がだらけてるところ、見てられない。
お前なんかがあんな狭き門を超えてエリートの仲間入り、運が良くて二次試験受けられるくらいだろ。甘いんだよ色々と。
楽しみにしてるよ
俺がリーダーになってから試しに導入してみたルールのおかげでチームの生産性が3倍になった。
誇らしいことだが、果たして一般的に有効な方法なのかどうか気になるので広く反応を集めたいと思って書く。
そのルールというのは単純、「一日に5時間以上コードを書かない」というものだ。
勤務時間の8時間のうち、本当に仕事をするのは5時間だけに制限する。
これで生産性は3倍になった。
社長はモーレツに仕事をする人で、社員にも同じようにモーレツに働くことを求めていたが、俺は同調しなかった。
それ以上の時間を使っても、単位時間あたりの生産性は下がるばかりだ。
ならいっそ、残りの時間は最高のパフォーマンスを発揮できる5時間を生み出すために使うことにした。
より具体的な働き方としてはこのようになる。
まず朝9時に出社すると、それから1時間は会議室でだべって過ごす。
もちろん、話の内容は最近の技術動向だとか、新しいアルゴリズムだとかの話が多いが、
プリッツをポッキーに変換するにはどうしたらいいか? といったバカな議論に白熱したりもする。
全員が音も聞こえなくなるほど集中する。
昼休みを1時間取って、午後1時から3時までは午前中のコーディングの成果と新たに発見した問題点などについて話し合う。
午後6時になったら仕事は終わりだが、大抵の奴らは「残業」していく。
新しい技術の習得のために技術書を読んだり、数学の本を読んだりする。
これで従来の3倍の生産性が上がっている。
コードの品質は良くなりチームは常に最新の技術動向を掴んでおり、問題解決能力が向上した。
思うに一日の労働は5時間、後の時間は自分への投資のための時間であるべきだ。
自分をすり減らすというのは、未来の自分を損なうという意味だ。
局所最適に陥るということだ。
クリエイティブとは、こういうことだと思うね。
何かの司会をやっていて、急にフリートークで繋いでって言われて困ったことがないだろうか?
大事な時期に仲間が沈滞ムードになってて当たり障りのないフリートークで空気を和らげたいと思ったことは?
後輩達を教育している時に、息抜きにちょいと小粋なフリートークでも挟もうとしたことは?
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こうした経験は誰もがあるはずで、その度にフリートーク能力のなさを痛感するのではなかろうか。
実際のところフリートークは難しく、フリートークが得意な人などごくまれである。
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フリートークが苦手な人でも無理にごまかす方法はある。持ちネタをさまざまな状況に備えてストックしておけばいいのだ。
身の回りの人達がどう対処しているか考えてみてほしい。いつも決まった話をする人が多いだろう。
「またあの話か」なんて陰口はよく耳にする。一応場つなぎにはなるが良い評判は得られない。
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器用な人なら、常に新しいネタを仕入れ、膨大な引き出しを構築して、そこからフリートークできる人もいる。
しかしこれは大変な努力と才能が必要なことである。さまざまな状況に備えてネタを常にアップデートするのは大変骨の折れる作業だし、
それらを頭にインプットしてすぐ引き出せるようにしておくのは大変な記憶力と機転の良さを要する。
いわゆる知識人は、この程度のことを難なくこなせるように見えるが、それは長年携わる自分の専門分野だからやれているだけだ。
自分の専門分野でもないのにこれをやるとなると、やはり大変なことなのである。
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じゃあどうすれば簡単にフリートークができるのかというと、もちろんそんな方法はないw
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ただ、フリートークが苦手な人の特徴はハッキリしている。「話の入り口」がものすごく狭い。
フリートークに長けた人ほど、どこからでも話を膨らませることができる。つまり、話の入り口が豊富だ。
仲間内のおしゃべりは得意でもフリートークは苦手という人は、話の入り口を見つけるのが苦手なのである。
日常会話というのは、仲間内で決まった流れをなぞっているだけで、話の入り口を見つける必要はほとんどない。
それがフリートークになると常に新しい話の入り口を見つけて、ポンポンとテンポよく繋げていかないといけない。
だから、おしゃべりが得意な人は山のようにいても、フリートークが得意な人はまずお目にかかることがないのである。
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よく10代の若者から「何を話したらいいか分からない」という声を聞く。相手が恋人だろうと不特定多数だろうと同じことだ。
どんな些細なことでも面白く膨らませるような思考回路がないのである。一旦つまらないと思ったものはもう一顧だにしない。それがいけない。
幸せの青い鳥という話があるだろう。身近なところに幸せはある。だから身近なものにも目を向けようという教訓である。
人間中心主義のキリスト教では「隣人を愛せよ」と言うけど、我々は「隣物・隣事を愛せよ」と言ったほうがいいだろう。
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逆に小説家というのは、例外なく「どこからでも語れる人」だ。どこからでも語れないと小説なんて書けない。
小説家というのはね、文章力はピカイチでなくてもいいんだ。だけど、語り(または登場人物への「語らせ」)の力は圧倒的に必要。
ぐにゃぐにゃと軟体動物のように自在にどこからでもどんな順番でも語れて、それでいてしっかりと伝えたいことを伝える力。それが必須なんだ。
だから小説家に人見知りやあがり症やコミュ障っぽい人はいても、フリートークがまるで出来ないという人は居ないんだ。
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じゃあ小説家デビューしてフリートーク上達しよっと。そう思うだろうか?そこまでしたいと思える人はまずいないだろう。
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肝心なのは職業ではなくて習慣だよ。どこからでも話の入り口にする思考習慣をつけよう。
時折、人気ブログの著者が仕事を辞めてブログを仕事にしているのを見かける。あるいは、文才を活かしてライターになったりもする。
しかし私から見て、彼らは往々にして面白くなくなっていると思う。
本来それは彼らにとって息抜きであり、居心地の良い空間であったはずだ。
その中で自分自身のやりたい事をやりたいようにやってこそ、評価されれば嬉しく、批判されれば悔しいものであろう。
そうして何度も何度も練り直しようやく作り上げた個性に、読者は惹かれるのだ。
書き物を仕事にすると、そうはいかない。コンスタントなPV数が必要だ。
杜撰なものであろうが、ヘイトを集めようが、結果のみを求めるようになる。
言ってしまえば、深夜の番組がゴールデンタイムへ進出したようなものだ。つまらなくなるのは、火を見るより明らかである。
きっと彼らは会社や社会、常識などの「何か」から自由を求めてフリーランスになったのだと思う。
「何か」から逃げ出す活路を見いだして、それに飛びついてしまったのだろう。
だがよく考えてほしい。
今度は書き物に縛られる。書かなければと義務感に縛られる。
安息の場所だったはずのものが、いつの間にか逃げ出したくて仕方が無かった「何か」になってしまう。
過度に自由を求めることも、必要以上に自由から逃げることもしないで欲しい。
今のままで十分である。十分であるからこうして今があるのだろう。
是非、現状の素晴らしさをもう一度洗い直して欲しいと、私は思う。
年100万アクセスをコンスタントに超えることになったのはここ数年ですが、自分なりに「どうやったら10年続くのか」を考えてみました。
ブログの内容は完全に趣味で、でもその世界では一定の信頼を得ることが出来てると自負してます。
そりゃ広告を沢山入れたり、ステマしたり、扇情的なタイトルをつけたり、Google AdSenseやAmazonアソシエイトを貼り付ければお金を儲けられるかも知れませんが、そうやっちゃうと生活をブログに依存せざるを得なくなってしまって、日々のブログ更新が苦痛になります。自分が気が向いたときに適度に更新するぐらいが本当にちょうど良いと思います。また広告入れまくると表示が重くなり、結果的に見る人が少なくなる。ちなみにこのブログでの収入は全部合わせても月3000円から5000円程度。
上と関連しますが、扇情的なタイトルや記事を入れずに、色々と調べながら地道にブログ更新してたら、とてもじゃないけど生活出来ません。逆に本職を持って、趣味としてブログを書く程度が息抜きにもなるし、何より読んでる方にストレートに響いて、ブログ主への信頼感が増すと思います。
あまりに過激なコメントは掲載しませんが、ブログに対する真っ当な批判はそのまま掲載します。正直精神的にも辛いですが、読んでくれている人にも「この人は自分に不利な情報も隠さず公開してくれる」と、さらにブログ主への信頼感が増すと思います。またサイレントマジョリティとはよく言ったもので、批判的なコメントを書く人は本当にごく一部で、殆どの読者がブログ主を応援してくれています。ただそういう批判コメントが並ぶと表向きは擁護してくれないだけで、見てくれる人は見てくれています。
長年ブログを書いているとそりゃ間違いは起きます。その時には正直に謝ったり、「追記」という形で情報を追加します。何度も書きますがバカ正直にブログ運営をすれば、見てくれる人はちゃんと見てくれると思います。そういうことを淡々と貫けば、読者の大多数がより信頼してくれるはずです。
ある程度アクセス数があって、ずっとブログを書いていると、2ちゃんねるでは相当悪口を言われているようですが、本当に少数の人が一日中パソコンに張り付いて悪口を書いているようなので、文章も滅茶苦茶だし、何より事実関係に間違いが多い。
読者の大多数は「まともな人」なので、検索してそういうスレを見ても、「なんだこの人たち・・・」となって、(結果的に)ブログ主に同情してくれます。繰り返しになりますが、読者の大多数は「きちんと書いてくれるブログ主の味方」だと思います。
上に書いたような「批判に対する対処メンタル術」みたいなのは自然と身につくし、「他人に読んで貰う文章力」「事実を調べる調査力」と言ったものも身についたと思います。それは結果的に「本業」にも役に立ってくると思います。
人脈も広がります。私のブログは匿名ですが「あのブログを書いている○○さん」と徐々に認識されて、例えば全く知らない業界の話について「誰かご存じの方、教えて下さい」とブログに書くと、その筋のプロの方からアドバイスなり「お助けしますよ」と連絡をもらいます。
アクセス解析を見ると分かるんですが、趣味のブログだと読んでいる方は本当に多種多様で、一流企業、官公庁、クリエイター、大手弁護士事務所、各種業界の専門職、雑誌の編集者等々、地方の名産品のメーカーなど各業種の方が見てくれているようなので、その方から助けてもらうことも結構あります。
ブログを10年続けるとなると結構大変で、最初に書いたような批判や、2ちゃんねるの罵詈雑言なども沢山ありますが、誠実に、地道に、ちゃんと調べて書けば、見てくれる人はきっと見てくれます。そういう意味では現実社会もネット社会もそう違いはないはず。
ブログのアクセス数が年100万ともなると、読んでいる方の視点をおろそかにしてしまいがちですが、読者の大多数の方はきちんと読んでくれます。その方々を裏切らないように、間違ったことは間違ったと正直に書くことは古今東西変わらないと思います。
特段目新しい「メンタル術」でもないですが、本当に実感としてそう思います。ブログを始めてみようと思ってる方、ブログ運営で大変な思いをしている方の参考になれば幸いです。
当方女。いわゆるアラサー。いまのとこフリー。経験人数は30〜40人くらい(たぶん)。
膣トレが中イキに良いらしいと聞いて、
実際にちょこっと試してみたら本当にびっくりするほど効果があったので、
この素晴らしさを多くの人に伝えたくなり、はじめて増田に書き込みます。
もともとクリ○リスではイケるし、オナニーなら(バイブとかで)中イキもできるんだけど、
ちんこではなかなかイケない、という状態でした。
これまでにもちんこでイケたことはあるんだけど、
ものすごい集中力が必要なのと、あと男の子が私が思った通りに動いてくれないと厳しくて、
そういうの伝えるのすごく難しいし、なんだか悪いなあとも思っていました。
半信半疑ながら試してみました。
実際にやってみた膣トレ
座った状態で、息を吸いながらぎゅーっと5秒くらいかけて膣を締める
↓
息を止められるだけ止める
↓
もう無理って思ったら、なるべくゆっくり息を吐きながら力を抜いていく
以上を5セットくらい。
毎日ではないけど、まあ週に4〜5回くらい。
相手はセックスフレンドの男の子で、これまでも何回かセックスしたくらいの関係なんだけど、
あ、これはもしかしてイケるかも……みたいな期待はありました。
もう挿れる前からドロドロぐちゃぐちゃにされてて(最近こういうねちっこいセックスしてくれる若い男の子珍しい!)、
最初は正常位で挿入。
しばらくピストンしたあと、騎乗位に移行(ここまではいつも通り)。
上で腰振ってみたら、中に当たる感じがいままでと段違いに気持ちいい。
これまでは騎乗位だと、自分が動くことに結構意識が向いちゃうので正常位よりさらにイキにくいんだけど、
ほんとに「気持ちいいとこに当たるように」動けるようになってて、すごいビックリした。
あ、あれれなにこれ、この世界知らないぞ?って感じ。
あんまり奥ばっかりがつがつ突かれると途中で痛くなってきちゃったりするんだけど、
膣トレの効果なのか、全然そんなことなくて、中の気持ちいいところが自分でもよくわかるようになった。
いい当たりどころに狙ってちんこの方向性をコントロール?できるから、
正常位よりもイキやすいかもしれないくらい。
ほんとにいままで中でなかなかイケなくて苦労してたのは
なんだったんだ!ってくらいにするっと、簡単にイケてしまった。
一回軽くイッて、でもまだ足りない!って思ってもっかいペースゆっくりめにピストンしつつ気分上げていったら、
一回目でわりと力の入れ方と抜き方が分かったので、二回目のほうがもっと深く大きくイケた感じ。
そのあとはもうそのまま腰砕け……というか、倒れ込んで全然力が入らなくなってしまいました。
ほんとにそれ以外特別なことは何もしていないから、膣トレの効果だったんだと思う。
ますます好きになったというか、楽しみ方がひとつ広がったような感じ。
でもそれはやっぱり私だけじゃなくて、男の子の側の協力が不可欠なんだってことも改めて再確認した。
どれだけ膣トレがんばったとしても、気持ちいいセックスに一番必要なことは、
お互いがセックスについて前向きに、クリエイティブであろうという意志を持っていること。
セックスの満足度って、自分が相手に何をしてもらったか(どう気持ちよくしてもらったか)じゃなくて、
自分が相手に何をしてあげられたか、どういうふうに気持ちよくなってくれたのかってことで
本当は決まるんじゃないかと思う。
だから男の子がしたがるからセックスしてるだけ、って女の子はすごくもったいない。
もっとどうすれば喜んでくれるのかってことを考えて動いた方が、ずっと幸せなセックスが出来ると思う。
でも、せっかくだから楽しめるやりかたはいろいろあったほうがいい。
セックスでなかなか中イキできないってひと、ぜひ膣トレをやってみてください!
診断済み(自閉症スペクトラム+ADHD)の自分にありがちなこと
・思考しながら行動することが当たり前で、無意識になにかをすることができない(悪い意味で)
→例えば普通に歩くだけでも、自分が歩いている姿勢を意識してしまい、結果として硬い変な動きになってしまうことが多々ある。
(自分の背筋の伸ばし方は普通だろうか、足の振り出し方は変ではないだろうか、などという感じ)
「発達障害っぽい動作」が奇妙なのは、「一番効率のよい動き方」を脳内で考えて動作した結果。
常に最短ルートで移動しようとするし、歩数を減らすために身をよじったり大股歩きしてしまう。
同様に、常に何かを考えようとしてしまうので、リラックスすることができない。
リラックスするというのがどういうことかも、正直良く分かっていないだろう。
本や映画も、ただの息抜きとして娯楽作品を見る意義がよくわからないので、勉強になりそうな内容かどうかが選択基準になる。
連想ゲームのように考えを思いつくので、よいループのときはプラスに働くが、悪い思考が一度始まると精神が限界まで悪化するまで止まらない
(いまも元増田への煽りPOSTに対して憎しみの感情が止まらなくなっている)
↑この括弧内のよう相対化して見られるようになると、悪い感情のループは終わる
・きりのよいところまで物事を終えないと極度に気持ちが悪く、ひとつの物事を終えるまで別のことにとりかかれない