はてなキーワード: 大卒とは
働き出してから、お前の金の使い方は俺が決めるから、明細よこせ。と平気でのたまった親(アル中)よりマシだと思うが。
日本の半分は偏差値50以下でどういうことかというと、半分は高卒みたいな世界なんだぞ親も。
その残りの半分の半分ぐらいが、大卒だけど給料安いで、 まともな家庭なんて、奇跡みたいなもんなのに、その上でそれか。
気持ちはわかるが、そのぐらいは、よくあることだよ。
高卒で十分と思ってる親がようするに、半分以上入るんだから。俺も大変だったし、親を説得するぐらいは、まずはやろうぜ。
全く親も説得することなく、いきたいところに行かせてくれるとか、どんだけ恵まれてると思ってんだ。
人脈作りするのに奨学金が出るってのもアレだな…。
もっとも、Fラン大生では人脈作ろうとしても、単に知り合いを意味なく増やすのが関の山じゃないかなぁ。Fラン大生に限らず早慶MARCHでも、知り合いをとにかく増やすことが人脈作りだと思っている学生はうじゃうじゃいるしね。
更に、自分が相手にとって利益になるから活きる人脈だからこそ、ますますFラン大生では人脈作れないんだよね。上位大生なら、その身分だけで価値と可能性があるから、知り合いを増やすだけでもそのまま人脈になりやすいけど、Fラン大生の知り合いを沢山持ってても役に立つ可能性低いし。Fラン大生は卒業後も、大卒底辺層にシフトするのがだいたい予想されてる訳で、そういう知り合いばかり増やしても、人脈にはならないよなぁ。
大学に(院も含めて)4+2+3.5年通った人間です。身近に大学の先生もたくさんいる(というか、零細事業やってるけど半分はアカデミアが相手)ので、大学のことは人並には理解しているつもり。
ちなみに、結論は、「営業から工員に至るまで大卒しか取らない糞社会が全て悪い」だけど、それをいってもしょうがないんだよね。
この話を聞いていて学業って何かな?とおもった。
とりあえず、運とはいえGoogle+ 日本一。というのは、何の才能もなければ取れないわけだ。
少なくとも平均点以上の才能といえる。 また、学力も入学試験を通る程度にはあるわけだ。
では、この才能を伸ばすのが、いわゆる、理国数理社の学業という枠でいいのか?
自由入試(AO入試のこと?)はここ数年で否定されてる。存在することは存在するけど、その後の追跡調査で脱落組が多いことがわかっている。大学でやるべきことをこなすための必要最低限の力が備わってなければ無駄。
大学でやるべきこと、というのは、先人の成果を踏まえた結果を身に付けて世の中の運営に参加することができる人間になること。そもそも先人の成果が無関係なら、大学なんか意味ないからさっさと起業するなり、タレント事務所探すなりしたほうがいい。
というのは、日本からGoogleやFacebook Appleが生まれていないというのは、ひとつの学業の定義が狭すぎる。部品となる人間しか作っていない。
つまり、彼女の活動は日本では認知されないだけで、立派な学業である。
あのー、GoogleもFacebookもAppleも「まともな」学問が支えてるんですが。Jobsが大学をリタイヤしたのは、天才なので参考にならない(とはいえ、彼は潜っていたカリグラフィーの授業がAppleのUIのこだわりの基礎だと言っている)。Facebookのザッカーバーグの着想は学業とは関係ないかもしれないけど(← 単に知らない)、それを実現可能にしたのは「まともな」学問の下支えあってこそ(グラフ理論、分散コンピューティング、ユーザーインターフェイス、他)。さらに、GoogleはLarry Pageの博士研究(グラフのリンク関係から重要なノードを算出する方法)から出てるって話、知らない奴多すぎ。
そういうことをちゃんと理解しないで、皮相的な理解で「ひとつの学業の定義が狭すぎる」とか言ってオレ定義を振り回して、思考がどんどん浅く浅くなってくんだよね。馬鹿が馬鹿を見て評論している、としか言えない。ちゃんちゃらおかしい。
一応アメリカの大学にも多少(2年ぐらい)遊びにいったことああるけど、はっきりいって足りないのは「学問へのこだわりの深さ」、これにつきる。PageにしろJobsにしろ、深いこだわりがあってはじめて横展開の「自由発想」が活きてくる。例えば、あっちではそういう「自由な発想」ってのは複数の学位(普通は修士だけど)を同時に取れるぐらいのものを意味する。例えばコンピュータサイエンスと芸術の同時取得とか、凄いやつは同時に満たす何かを作り出す。
もちろん、件の学生が今までの常識(先人達の蓄積)を覆すような天才である、という可能性はあるけど、それなら放っておいても何かしら出てくるだろう。タモリを赤塚不二夫が見出したように、天才には天才がわかるはずだ。
ねーよ。
こういう人達が大学を出る必要なんかないんだよ。というか、「彼女の活動」はフツーの大学で扱った瞬間に死ぬ。もし本当に飛び抜けた活動ができる、というのであれば、芸大あたりでやればいい。
もっと凄い人間が山程いる中でどれぐらいやっていけるのか疑わしいけどな。
単に大衆に迎合する、大衆が心地良いものを生み出す能力、これを「芸人」と言います。
芸人は別に高卒でも中卒でも関係ない。「就職するために大学を出ないと」なんてほうがおかしい。それこそ、企業が「自由採用」してくれればいいだけ。
「早稲田追い出されたけどわたしはこれだけのことができます。雇ってくれませんか?」って言うほうがよほど筋が通る。
でも一歩引いて考えると、今回の問題は「大学とは何か?」という問題に答を出さないままなぁなぁに「就活」との共犯関係を深めてきた、オトナが一番悪いんだけどね。
高卒で働いた方がいいっていうけど就職希望者が大半の高校への求人てびっくりするほど今はないよ。
更に、専門学校卒とか大卒と違って高校は複数の企業へ並行して応募って何故かできないことになってる。
自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。
奨学金の存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料で高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいるものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福な時代なのだと勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。
例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦兼パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員を志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族。一億総中流の名残。
意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。
その上バイトもしているという。
意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。
聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。
地方公務員の給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?
もう一人、A先輩と似たような境遇の童貞が存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学。
バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。
私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院で借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形で借金した。学部時代の借金と連結すると、総額で一千万に達する。
今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャーの社長の出身のモードが民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。
B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。
朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。
残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達は国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。
彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコの落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。
けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万の借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか。
こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。
ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?
B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生に学習意欲などはない。彼らはただ高校時代や中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カードに名前を書いている。
わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒」資格と引換えに。
僕の地元の友人は、高卒で地元企業に就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在の彼女との結婚のために準備しているという。
彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方の無名私立大学に入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。
友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹な田舎の力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。
就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。
経済的価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話は有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。
飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。
「そうなんだよ、死ねば奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」
なぜ彼は笑っていたのだろう。
パチンコの話と異性関係の噂話が会話の主だったりする。
高学歴の俺とかは、当初男たちに嫌われて、というか警戒されていたっぽい。
って言ったら、急に兄貴風を吹かせ始めてきた。
まあ計算通り。
男って単純だなって思った。
女って怖いなって思った。
派遣や人妻と噂になるようなヘマはこきたくないんで、適度に距離をとる。
みたいな言われ方をしてたりするんだけど、体力で勝てればそういう言われ方をしないらしい。
工場はライン工みたいな単純労働ばかりかと思ったら、数年したらラボっぽい場所を与えられて製造の予備検討やら改良やらをやらせてもらってる。
消耗品なんかは湯水のように使える。
生産に直結ってなると財布の紐が緩くなるのかね?
院生時代は、「だからなに?」っていう程度の研究でも、うまいこと「大きな一歩!価値ある研究!」みたいに書かにゃならんこともあったけど(国から金をもらってると、そうならざるをえない時があるでしょ?)、今はただ正直により生産効率を高めるかだけを検討してりゃいいわけで、それはそれで楽しいもので。
工場、製造現場っていうと、みんな敬遠しがちだけどさ、俺はけっこう楽しいよ。
うちの会社の場合、品質管理は管理とは名ばかりで、現場から出てくるサンプルを目的も由来も聞かされないままオーダー通りに解析をして数字だけ書き込んで報告書を出すだけだからさ、殺伐としてキツそうだよ。
開発も絶対無理って感じのことポイって投げられてる感じだし。
あ、それから、うちはもう真っ白ホワイトな企業みたいで、働いたら働いた時間きっかり残業代がでるんだな。
機械とまるの待ってるだけでも、試薬のカタログをみてるだけでも、論文読んでるだけでも。
思ったより手取りがいい。
「明らかな長所」や「明らかな短所」というのも確実に存在すると思う。
たとえば容姿だ。
不細工やデブやハゲは女からモテない上に、男からも馬鹿にされることがあり、損だ。
イケメンに生まれ変われる方法があると聞けば、大金を積む不細工は沢山居るだろう。
ブスにつきまとわれてキモかったり、「どうせ女を食いまくりなんだろ?」と卑屈な男に絡まれてウザかったり。
でもそんなイケメンが、あえて自分を不細工にするような真似をするだろうか?
しないだろう。
その非対称性は大きい。
学歴コンプレックスのある奴と接触すると、「さすが○大生~」などと卑屈にはやし立てられたり、
「○大卒のくせにこんなことも知らないんだ?」と露骨に吊るし上げられたり。
逆に低学歴が「もっと勉強して高学歴になっておけばよかった」と後悔する例は後を絶たないが。
身長も、高いと頭をぶつけたり、チビ男に「身長わけろよ」などと絡まれる面倒がある。
しかし彼らは「低身長に生まれていれば良かった」とは思っていない。
身長を伸ばしたがっている低身長が多いことと比べると非常に顕著な差だ。
この話をすると必ず「低身長のhydeと高身長のチェ・ホンマンならhydeの方がモテる」などと言い出すチビが居るが、
そしてチェ・ホンマンがあの顔で156cmだったら、これほど悲惨なことは無いよな?
ここで顔のことを持ち出すのは、「チビは短所である」「チビをコンプレックスに思う人間が多い」、
収入についても、低いよりは高いほうが良い。
高収入であることによって、金目当ての女が寄ってくるとか、権威に擦り寄ってくる
スネ夫みたいな奴がウザいって話はあるが、じゃあそいつらを寄せ付けないためにその収入を捨てるか?って言ったら捨てない。
高収入の方が幸福度が高く、長生きするという統計データもある。
「金持ちは心が汚い」とか「金持ちは孤独で不幸」という説をぶちあげる奴がいるが、それはフィクションの中の話であって、
育ちも、悪いよりは良い方が良い。
親や親戚の知的レベルが高く、安定した収入を稼ぎ、安定した家庭を築いていると、
自分が急な病気や事故などで困ったときに、頼れるアテが多い。アテがあって悪いことは無い。野垂れ死ぬリスクが低くなるわけだから。
また、両親の関係が上手くいっており、家庭内の空気があたたかいと、子供の人格形成にも大きく影響する。
あたたかい家庭で愛情を注がれて、経済的な不自由も無く育ったほうが、自分を愛せるし、
これは高学歴高収入の人間ほど家庭環境に恵まれていることが多く、
キャバクラ、風俗、ホスト、ヤクザなどの裏の道に進んだ人間に、貧しい機能不全家庭出身の人間が多いことからもわかる。
ここまで話すと、必ず「短所があったからこそ、人の痛みを知ることができる」と言い出す人間がいる。
おれは、今まで色々な人間と出会ってきたが、短所が多い人間にはろくなやつが居なかった。
短所が多いと、自分より下の人間を作り出すことに必死になり、人の痛みをえぐり、踏みにじる人間になる。
たくさんの魅力や長所を持つ恵まれた人間の方が、心に余裕があって人に優しい。
人の痛みは短所だらけでなくとも知ることができる。
さまざまな中国の日系企業を訪問したが、内情はボロボロだと感じる。
もちろん全部ではない。
ユニクロや日本ではボロクソ言われているPanasonicなどはとても健闘している。
でも、雰囲気がどんよりした日系の方が多い。
なぜだろう?
このなぜ?に一部答えているのが下記の記事。
なぜ中国人は日系企業に就職したがらないのか 日本人が知らなかった「不人気の理由」
http://diamond.jp/articles/-/16098
上記は的を得ているものの、広告主との兼ね合いからダイレクトには書いてないが、
いろいろな業種の多くの中国人と話をしてみると、総じて言えば「駐在員」がすべての原因じゃないかと思う。
駐在員としてやってきた日本人は社内・社外でとても恵まれている。
社内においては、権力者としてやって来て絶対権を握り、お伺いを立てる日本との唯一のパイプになることが多い。
彼らが日本にいたころは絶対にやってなかっただろう分野にも口出しができるようになるので、ある種天皇みたいなもんだ。
社外では、現地の人からはちょっと想像つかないような豪華なマンションに住んで、外国人専用のVIP医療サービスを受けて、
外国人がたくさんいる国際学校や身内だらけの日本人学校に通い、日本との移動なども含めて全部会社が負担してくれる。
おまけに、彼ら自身に決裁権があったりするので、日式KTV(日本で言うところのキャバクラ)なども経費と称してバッサリ。
中国人は意外に思われるかもしれませんが、思ったことでも腹の中に留めることが多い。
上司ましてや外国人である彼らに面と向かって言うのは、その会社に見切りをつけた人かアウトローくらいだ。
だから、彼らは言わないが、上の記事を引用しながら言うならば以下のような感じじゃないだろうか。
ローカル企業に比べれば高いけれど、ほとんどの人材は大卒だったりする。
良くも悪くも過激な競争を勝ち抜いてきたのに、欧米系と比べてさほど高いわけじゃない。
おまけに、日本採用という超えられない壁があるから、努力してもどうしようもない。
何をどうすれば昇級するのかが不透明。
そもそもこういう制度を考えるトップや上層部が、コテコテのサラリーマンなので、
職種や業種を超えてステップアップするやり方なんて概念がないので存在しない。
加えて言えば…
中国人(台湾人や香港人も同じ)はキャリアを自分で作っていく。だから、会社に依存しない。
逆に言えばヨソで経験積んでるからみんなのバックグラウンドは異なる。
また、自分自身のキャリアのためにみんな仕事をするのである種わがままだ。
そういう人たちをまとめるには、トップが優秀であること、そして、ある種強権的にものごとを決める勇気があることが大切。
少なくとも私が前職(台湾系)ではそうだったし、それがうまく動いていた(まるで暴力団のようだったが)。
しかし、日本から来る駐在員は優秀だけれど、ただのサラリーマンで、キャリアの一環で中国に来ているだけに過ぎない。
だから、いつまで経ってもサラリーマン的にものごとをのんべんだらりと決めてしまう。
日本語はマイナー言語の最たるもんなので、こういうのを選択する人は言語が似ている朝鮮族か、
英語専攻から漏れた二級人材が多いので、上層部と相まって会社運営をグダグダにしてしまう。
駐在員が英語か現地語しゃべれて日本語を排除するだけでも相当人材の質は上がる。
数回会ったことがあるのですが、死んだ魚の目をしたような日本人社員とも会う。
日本人として期待されるものは、礼儀正しさや、まじめさ、仕事の正確さなどだと思う。
でも、これらの人にはそういうのがなかった。というか、廃人みたいで怖かったです。
こういう人が日本人だからという理由で(駐在員の日本採用だから…と同じ)、中国人スタッフより高かったら、
そんな彼らも結局駐在員から言わせると日本人ということで頼ってしまうのだろう。
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ここで仕事をしても何も得られない、給与も高くないと来れば優秀な人はさっさと見切りをつけるし、
かくして、日系に残っている人材はいまいちな人や残り物だらけになって、雰囲気がどんよりしている。
おまけに、トップ層は総じて日本語に囲まれ、外人な生活しているので中国のことなんてさっぱりわからない。
今は好景気な上に、ローカルの品質が悪すぎて、こんな状態でも売れ行きは伸びていくだろう。
そもそも就職に単位が関係なくなって 大学1年からでも就職可能(卒業まで保留)というシステムが出始めた今 単位に意味がなくなるって話。
単位はあくまでも、それができるというめあす。そして、就職にはそのめあすは関係ない。別途 その会社ごとに試験される。
数学なら数学で 実務で使って出来なければ実務で評価が下がっていくんだから問題ない。当然入社後も同じ年次年度は一切関係ない。
究極的には 大学も 通信の充実で 会場面積が一切関係ないんだから 東大だろうと何だろうと 単科履修 可能にすれば良い。
大学の名前も もはや要らんだろ。 国立は全て 単位毎で 日本大学1校でもいいくらい。全国区で。
高校で一流企業に就職する奴がいてもおかしくないし、それでいい。 大卒高卒という枠組みすらいらない。
※ わかるまで同じ単位を10回でも20回でも履修すればよろしいという事。
http://anond.hatelabo.jp/20120310202830
俺は起業するつもりでいたから就職なんて全く真面目に考えていなかった。
適当にやり過ごしてチャンスが来たらとっとと辞めればいいと考えていた。
17歳で会社を作って(ただしほとんどおままごとの延長のようなもので儲けなどない)
腰掛けのつもりでIT系専門学校に特待生入学して肌に合わないから3ヶ月で中退して
20歳近くなって、親のコネでベンチャー企業にアルバイトとして入社して
周りはみんな優しくて温室のような環境なのが逆に不満だったりした。
でも1年半して会社が潰れそうになったので、転職サイトに登録して
(2005年当時はIT系は人手不足で俺みたいな経歴でもわりと潜り込めた)
今何をしていてもどこかで大逆転できるとたかをくくっていたから、
就職活動なんてせずに広き門を歩み続けてきた。
そんな俺も30歳を過ぎて思うのは、自己分析力やアピール力、
そして「嘘を付く力」が圧倒的に欠けているということ。
適当に生きてきた分、今になって苦労している感じだけど、
でもまあ、「0」を「1」にしたり「1」を「100」にしたりせずに
やりたい職種を進んできたので、別に潰れたりはしない。
起業の夢はとっくに潰えたけどな!
まあ何を言いたいかというと、
・就職活動の機会があるなら訓練の場として最大限に生かせば自分の糧になるんじゃね?(やったことないから知らんけど)
・就職活動に失敗しても、(アルバイトからでも)やりたい道に進んで時機を待ってれば、案外何とかなるんじゃね?
・エリートは嘘をいっぱい付かなきゃいけなくて大変だね^^ 嘘をあまり付かなくてもいい底辺っていいよね^^
って感じ。あじゃじゃしたー。
いままでワタミの時給を650円だと思ってそう書いていたが、みなさんごめんなさい。
私が間違っていた。正しくは645円だ。訂正してお詫びします。
http://www.news-postseven.com/archives/20120308_93424.html
2月1日に同市竹駒町に「陸前高田受付センター」が開設された。居酒屋チェーンを展開するワタミグループが高齢者や子育て家庭向けに始めた食事の宅配サービス「ワタミタクショク」が運営するコールセンターだ。
…
「会長の渡邉美樹が陸前高田市の参与に就いた関係から、雇用を創出しようと高田につくることになったのです。時給を最低賃金の645円でスタートさせたのは、周辺の需給バランスが崩れると、他の企業が参入しにくくなるからです。時給は就労状況で上がっていくシステムになっています」
だが、違法ではないということと、企業人としてモラルがあるということとは別次元の問題だ。
ワタミが時給を645円にした理由は、単に中抜き利益を確保したかったから。それ以外になにがあるのか。
「需給バランスが崩れる」と言うが、最低賃金ぴったりでハリついたワタミこそ、崩れた賃金バランスを固定化させているのではないか。津波で崩れた賃金バランスを利用して利益をむしり取る貧困ビジネス以外のなんだというのだろう。
被災地には、被災者雇用開発助成金制度といって、1年間継続して雇用する求人を出した事業主に対し、厚生労働省から助成金が支給される。支給額は大企業50万円、中小企業90万円だが、ワタミはワタミタクショクというダミー企業をたちあげて雇用しているので、50万円ではなく90万円をもらっている。
被災者雇用開発助成金制度は、10人以上まとめて雇用すると、さらに支給額を追加でもらえる仕組みになっている。ワタミタクショクも追加支給の対象になっている。税金泥棒ダブルチヤンスだ!
ちなみに宮城県仙台市にコールセンターを開設したKDDIau仙台契約センターの待遇は、固定シフトが850円、シフトフリーが900円。DIOジャパンは、宮城県登米市のコールセンターを開設し、100人雇用を目指し、自給は最低850円から。株式会社わかさ生活東北コミュニケーションズもコールセンターを仙台市に置いたが、待遇は全員正社員100名採用で、大卒22万、専門・短大卒20万、高卒18万円となっている。ワタミの待遇がいかに劣悪で尊敬できない待遇か、これで明らかだろう。
まとめるとこうなる。
会社 | 待遇 |
わかさ生活 | 正社員22万円/月 |
DIOジャパン | パート850円以上/時 |
KDDI | パート850円/時 |
ワタミ | パート645円/時(ジャスト最低賃金) |
従業員の賃金ムシリとって助成金もらって企業イメージ回復させるために来たのか?
東京に住んでる、いわゆるばりきゃりの妹がアメさんに一週間の出張だとか。
もう十年くらい一緒に暮らしてないので人となりも良く解らんけど、W大卒のいわゆるエリートさん。
その業界では「一流じゃないよ」とはいってたけど大手化学メーカーの営業。(妹いわく「『イヒ』には勝てないらしい)
そんなことはおいといて。
妹の彼氏が「デビューしてない30過ぎたミュージシャン」で、何の設定かと(笑)
去年の正月に「同棲する」てな訳で挨拶に来たけど、その後どうするとか一切なく、一年が経過。
このミュージシャンが「有名P」とか「本職は○○」ならまだいいんだけど、一応フリーターらしい。
妹は、アメさんは「修行」(笑)にいくらしいけど普段から「出張で一ヶ月のうち半分くらいうちにいない」らしく、
もうこれだけで「そのうち彼氏に若い女が出来て別れる」みたいなことしか想像できない。
色々に挫折したパラサイトで喪女のおばちゃんにはわかんないけど、そういう暮らしはどうなんだろう。
出世したい人や肩書きを次々に変えてレベルアップしたい人や、使う暇はなくてもお金を稼ぎたい人はいいんだろうけど、
妹がそういう人間かどうかも良く解らない昨今。
まあ人の幸いのことを思ってられるほど暢気にしてられるわけでもないので、「ふーん」くらいなんだけど。
おばちゃんは、個人的には、適度に趣味などを楽しめるレベルの生活でいいなあ。
彼氏と一緒に住んでたって「ぶっちゃけあんまりうちにいない」んじゃ別々に済んでるのと変わんないし、
いや彼氏はそれでいいかもしれないけど。いろいろと便利かもしれないけど。
妹本人は「出世する気ない」とか言ってるけど、本気かどうかもよく解らん。
別に『幸いあれ』とかそういうこともいわないけど、何事かあると親が慌てふためくので、それがネックかな。
ていうかうっかり「若い女作って出てった」みたいなことになったらおばちゃん割と本気で笑っちゃうんだけど。
いや何、別の親族が無駄に「昼ドラ設定」で家庭崩壊とかしてるので。
特別に贅沢とか楽とか楽しいことが立て続け、とかそういうのはいいから、退屈だけど無事故な感じでいたい。
激動の人生とか多分自分にはありえないけど、話を聞く限りドラマの設定みたいな妹に、二時間で殺人が解決されるような難儀はないといいなあ。
いま30歳。資格を取ったおかげで仕事も有るし、将来を共にする相手もいる。共稼ぎでそこそこ収入もある。
世間では難しいほうとされている資格は取れたものの、大学というものを知らずに人生を終えるというのが何かひっかかる。
くだらない事なんだろうけどね。学問をしたいのが5割、学歴コンプが5割。
大卒になりたいだけなら大学に行こうと思わなかったと思う。実際早慶OBの友達と飲んでも、OB会とか愛校心とかうらやましいなあとは思ったけど、行こうとは思わなかった。
でも昨日、東大に行った友達と話をしたら、うらやましくて仕方なかった。学問するならもってこいだって言われた。
それでもともと勉強と本が好きというのもあるんだろうけど、純粋に学問をしたくなった。
連れには隠すつもりでいたんだが、センターの過去問をダウンロードして解いて自己採点しているところを目撃された。
5教科7科目で89%だった。まるで背中を押すような点数だった。
連れも、そんなに行きたいならいいんじゃない?だって。止めてくれないと本当に行ってしまいそうなのに。
更に今日、仕事で付き合いのある中小企業の社長のおっさんに、「ああ高卒なんだ、この仕事って高卒でもなれるんだ。へぇー」と言われ、あまりのタイムリーさに苦笑してしまった。
その高卒の例で言うと、一流大学とろくでもない大学を、同じ大卒と一括りにして言ってるのが問題なわけでしょ。
実際、ろくでもないFラン大学だったら高卒と大差ないと思うよ。
俺が言ってるのは「ろくでもない会社が世の中には溢れてるのに、一流企業と、同じ正社員として一括りにして安心していていいの?」ってことかな
一般的には正社員と非正規雇用は安定性も待遇も何もかも大きく違うよ。
363,000円。
2年半(30ヶ月)で放送大学に納入した入学金、および学費である。
私は理学部卒であるが、現在はマーケティング分野の仕事をしているので、
今、この金額をみて思うことは、
「安くはなかったな」ということである。
もちろん真面目に大学(国立大学への学士入学)に通えば、この期間、
で1,323,600円かかるわけなので、圧倒的に安い。
おそらく何百万円という価値はあるだろう。
しかし、二番目以降に関しては、あって無いようなもののように思う。
363,000円。
人によっては大したことのない金額だが、
363,000円で何ができただろうか。
お金の賢い使い方というのは、
というような話を本で読んだ気がする。
大して必要なかったり、
それほど良い結果が得られなかったということは
枚挙にいとまがないだろう。
もちろん、だからといって、放送大学そのものが無駄ということではない。
ただ、少なくとも私にとっては、
よく考えるべき案件のように思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120305063446
同じく、高校の学費もままならねえ家庭から大学に行った俺に言わすと、それ勿体ねえ。ベンチャーで成功する能力あるなら。
首都圏の一流大学で得られるものは、まず「学歴」。これが強い。半端なく強い。どれくらい強いって、
就職活動の時点で企業やら省庁やらから向こうから連絡来る。まぁ、東京一の上流くらいまではこの程度には強い。
起業するにしても金持ち比率が非常に高いため、驚くほどやりやすい。その上、ありとあらゆる場所に学閥ってのはある。
この辺まで加味するなら、早慶辺りでも行く価値あるかもしれない。(特に早稲田は地球上のあらゆる場所で巣を作ってる。絶対数が多いからウゼエ)
俺も高校卒業後二年間働いて、「高卒wwwww」と笑われ続けて死ぬほど悔しかった。
どれほど事務処理能力があっても所詮高卒は高卒。大卒組の中には入れない。下手にデカい企業に入っちまっただけに辛かった。
というか、見えている世界が違い過ぎる。もちろん、高卒が全部能力的に低いってわけじゃない。
実際、自分より優秀じゃねーの?ってくらい使える高卒もそれなりに見てきた。有能な奴は有能だ、当たり前だけど。
しかしそれでも、高卒に与えられる評価は「使える」までなんだ。「使う」評価までは辿りつけない。
現状、高卒組が大企業の人事レースに絡んでくる可能性ってのはほとんど無くなっただろうと思う。
そういうわけで、能力がある人間が「高卒」で学歴をストップさせるのは社会的損失だ。心底もったいない。
これは、自分自身が大学に行って痛感した。だから、貧乏人の家庭に生まれついたクズの子は、高校ははまぁ
優待生で無料なのは当然として。(普通に生きてりゃそうなるよな。高校の学費払うような奴ァアホだ。)
その三年間の貯金+その後2年間の猶予(新卒採用は+2までは大して差別を受けない)で大学の学費・上京後の生活費をヒネリ出すべきだ。
逆に言えば、それくらいのことは出来るんだからグダグダ言う前にやれと。
そんな難しいことじゃねーだろう、と。その上奨学金は確実に取れる。現状多少苦しくなったとはいえ、まだ取れる。
社会人になると、海外MBAを取るか難関資格を取るかくらいしかキャリアアップの道はない。
可能性が無限に開かれている高卒後二年以内になんとしても、大学だけは入っておくべき。
むしろ、現在の日本で底辺がのし上がるチャンスは大学にしかないと言って過言ではない。
その最高のチャンスを生かさない奴は、馬鹿。底辺こそ死ぬ気で踏ん張って一流大学に行くべき。
その程度のことで人間的に一流扱いされちゃう日本は、むしろ格差社会の度合いとしてはヌルい。日本はやさしい社会だ。