はてなキーワード: 司会者とは
みなさん、はじめまして。
本日記では、現在大学院生である私が2021年から脱毛症を抱えながら過ごした日々を時系列に沿って述べたいと思う。
私が脱毛症を発症した時期は2021年8月で、当時は大学4年生の21歳だった。学部時代の最終課題である卒業論文の執筆に取り組む中で、ふと自分の髪の毛の一部が抜けていることに気づいた。歳を取ればいつか髪の毛が無くなるだろうという覚悟はあったが、まさか21歳で無くなり始めたことは予見しておらず、非常に衝撃を受けたことを覚えている。なぜ急に髪が抜けたのだろうかと考えると、1ヶ月前の2021年7月にCOVID19のワクチンを接種したことを思い出した。COVID19のワクチン接種に伴って生じる副反応は当時よく分かっておらず、自分は脱毛の副反応が生じたのかもしれないと推定していた。しかし、その因果関係を示すことが難しい上に、因果関係が示せたところで結局何の解決にもならないと思ったため、脱毛が起きた理由を深掘りすることは止めた。また、当時は世界的にワクチン賛成派と反対派の派閥があり、ワクチン反対派 (通称: 反ワク) は社会的に陰謀論者とみなされる傾向があった。上記の仮説は反ワクと捉えられて、批判される可能性が高いセンシティブな話題だったため、結局理由の深掘りをする気にはならなかった。それよりも、脱毛症であることを他人に知られたくないという思いの方が圧倒的に強かった。そのため、どうしたら脱毛部分をうまく隠せるだろうかと色々と試行錯誤した。しかし、脱毛範囲が広がるにつれて、綺麗に隠すことに限界を感じ始めてきた上に、そもそも隠せているか気にすることが鬱陶しく感じていた。そのため、髪の毛の3割ほどが抜けた2022年3月頃、もはや隠し切ることは不可能であると潔く諦めた。友人との北海道旅行中にふと脱毛症であることを告白したが、特に気にしていない様子だった。それどころか大変だっただろうと伝えてくれた。このとき、自分は救われたような気分になったことを覚えている。友人の言葉によって勇気づけられた私は、帽子を被る日課を捨て、宿泊していたホテルの大浴場に向かった。そのとき、自分の後方を歩くカップルが「ねえ、あの人見て!」と言い、小声で話し始めたことに私は気づいた。当時、その場にいた人は自分とそのカップルだけだから自分について話していることは明白だった。恐らく私の脱毛症について話していたのだろう。このとき、私は自信を一気に無くし、やはり脱毛症は隠さないと馬鹿にされてしまうのかと非常に悲しい気分になった。同時に世の中に絶望した。大袈裟に聞こえるかもしれないが、北海道旅行中に知らない人に脱毛症を馬鹿にされたことは私を長く苦しめた。脱毛症は隠さなければならないという気持ちを強くし、何よりも自己肯定感が低くなったからだ。
旅行から帰ってきた後、私は良いバリカンとシェーバーを買い揃え、丸刈りのスキンヘッドにした。髪自体を全て無くしてしまえば、部分的に抜けた髪の範囲が目立ちにくくなると考えたからだ。その考えは概ね正しく、確かに脱毛部位は目立ちにくくなった。また、2日に1回ほどスキンヘッドにする作業が必要だが、これは慣れてしまえば約10分でできる。なによりスキンヘッドは爽快だ。髪を隠せているかどうか気にする必要が無くなるから。
2022年4月、私は学部教育を終えて大学院に進学した。大学院では3年間で国内大学院と海外大学院の2つの修士号を取得する特別なプログラムに参加することにした。志望する職業に就くための強力なカードになると考えたからだ。
さて、2022年4月頃は世界中が脱毛症について意識したはずだ。当時、第94回アカデミー賞の授賞式において司会者のChris Rockが、Will Smithの妻であるJada Pinkett Smithの脱毛症をネタにしたところ、Will SmithがChris Rockに強烈なビンタを放ったからだ。私の率直な感想は、Will Smithって奴は最高じゃないか!である。なぜならば、毛が無いことを馬鹿にする世の中の風潮に私は絶望していて、Will Smithがその風潮に反抗する意思を示したように見えたからだ。この事件は様々な議論を呼び、最終的にWill Smith側により厳しい罰を下されたが、私は彼の勇気ある行動を讃えたいと思う。
それから4ヶ月後の2022年8月、私は大学院入学のためにスウェーデンに渡航した。スウェーデンは優しい人が多く、多様性を認める素晴らしい国であり、私はその国で過ごせた時間に感謝している。さて、スウェーデン到着まもなく、家具を揃えるために寮の近くのIKEAに行った。IKEAでは店内にいた推定7歳の少年が記憶に残っている。彼は恐らく何らかの病気で髪の毛が一切なかったが、全く隠している様子は無かった。彼の姿は私に大きな勇気を与えたと同時に、スウェーデンでは毛が無いことを馬鹿にされない社会であることを感じ、非常に安心した記憶がある。また、2022年9月には留学先で(スウェーデン人ではない)彼女が出来たことも自己肯定感を向上させた。しかし、私の生活は常に大学院の膨大な課題に追われており、彼女のことを疎かにした結果、3ヶ月も持たずに振られてしまった。特に喧嘩して別れたというわけでは無かったので、別れた後も彼女と出かけることは多かった。彼女は酒癖が悪いという部分もあるが、スウェーデンに移住するために大学院留学するなど主体的に行動している部分もあり、総合的に見て優秀で素晴らしい人だ。そんな彼女でも、外国人としてスウェーデンで仕事を見つけることには苦戦していた。しかし、先週ついに仕事が見つかったという連絡が来て、私は胸が熱くなった。彼女がスウェーデンで今後の人生を謳歌できることを心から祈る。さて、私はスウェーデンでは脱毛症のことを意識することがほとんど無かった。アジア系の友人には髪が無い理由を聞かれることは時々あったが、素直に脱毛症だと伝えていた。アジア系の人は髪に厳しいのかもしれない(笑)。
2023年8月、私はスウェーデン生活2年目に突入する。1年目は大学院の課題にずっと追われていて、常にプレッシャーを感じていたが、2023年6月から2ヶ月にわたって夏休みを楽しむことで十分にリラックスできた。夏休みには日本に一時帰国したり、ヨーロッパを周遊したり様々な興味深い体験ができた。ちなみに一番おすすめの旅先はスペインのサンセバスチャンである。
2年目となると学業にも余裕が出てくるが、学業以外に需要なイベントがあった。それは就職活動である。私は日本で働きたいと思っていたため、バイリンガル向けの就活イベントであるBoston Career Forum (BCF) に参加することにした。BCFは例年11月頃にアメリカで行われるが、9月頃からZoom等を用いて企業とオンライン面接をすることがほとんどだ。このとき、私の脱毛症はほとんど治りかけていた。2年間ともにした脱毛症とついにオサラバかと思っていたが、急に症状が悪化し出す。このとき、日本での脱毛症に関する嫌な経験をふと思い出した。脱毛症によって就職活動に悪影響が出ないか急に心配になり、「脱毛症 就職活動 不利」などとGoogle検索した。その結果、ほとんどの人はウィッグを被って脱毛症であることを隠して就職活動を行うことが分かった。そして、特に私が希望していた金融業界ではスキンヘッドという外見は一般的に避けるべきだと述べるコメントを見つけた。海外にいた私はウィッグを調達することが非常に難しく、私の就職活動は詰んだのではないかと絶望した。半ば自暴自棄に当たって砕けようと金融業界の数社に応募したところ、スキンヘッドが不利だとは特に感じなかった。むしろ面接官に強烈な印象を与えられるため、就職活動が有利になるのではないかとすら感じた。結果、私は第一志望の会社に内定を頂き、無事に就職活動を終えることができた。
2024年4月、私はスウェーデンを離れ、日本に帰国した。スウェーデンにいた1年半はあっという間だった。久しぶりの日本は不思議な気分だ。スウェーデンで様々な文化に触れた結果、今まで普通だと思っていた日本の文化が興味深く感じるようになった。しかし、日本の文化で一つ許容できないものがある。それは外見に関するコンプレックス広告が至る所に蔓延していることだ。特に電車の広告は酷い。四方八方に「脱毛」「薄毛」「痩せる」「二重整形」などと書かれていてウンザリする。そのため、電車内の広告は極力見ないように気をつけている。また、ネット上の広告も酷いものが多いが、VPNを用いてアメリカのサーバーを経由することでそのような劣悪な広告は回避できる。そう、アメリカは広告の審査基準が非常に厳しいのだ。日本もコンプレックス広告をはじめとする劣悪な広告の規制を強化してくれないだろうか。なお、スウェーデンで脱毛症を隠さない自信を獲得した私には、薄毛煽りなどの広告は無意味である。そのような広告を見ても、そこまでして金儲けがしたいのかと広告主が哀れにすら感じる。
なお、大学院3年目は順調である。取り組んでいる研究の成果が出てきたため、何らかの形で外部に発表できないか検討している。
本日記が脱毛症である皆様を勇気づけることができれば幸いである。また、脱毛症で苦しむ人を支援し、外見の多様性を認める日本社会に変革することを強く希望する。
タイトル通り、社会人になって3,4年になるがいまだにビジネス英語に慣れない
じゃあ使わなければいいじゃんという話になるが、職場の周りの人間は当たり前のようにカタカナ英語で会話をするのでそういう訳にも行かない
職種の特性もあるのかもしれないが、息をするようにカタカナ英語を使う
予定変更はリスケ、会議の議題はアジェンダ、司会者はファシリテーターなどという。挙句の果てには司会進行をすることをファシると言ったりもする
新卒でこの会社に入ったので他の会社のことが分からないが、交流がある会社もそんな感じである、きっとこの会社の人も周りから影響を受けたのだろう
別に高々言葉にいちゃもんをつける気はないが、どうも背伸びした言葉を使って自分を上に見せているようであまり気分のよいものではない
とかなんとか言っていたらこの間自分の作っていた説明資料の中に「ナレッジの蓄積」という語句が入っていた
何となくひっかかったので「知見の蓄積」に書き換えたが、だんだんと自分も「ビジネス英語」に書き換えられていくようで薄気味悪くなった
「容疑者」は法律用語ではなくマスコミ用語であり、逮捕もしくは指名手配された場合にしか使われない
書類送検の場合一般の人ではそもそも実名報道されることはまずない、「40代会社員」「〇〇社取締役」「〇〇に住む主婦」とか肩書だけ
実名報道されるのは政治家、芸能人、スポーツ選手くらいでその時点で厳しい扱いを受けてるのである
政治家であれば「〇〇市議」とかでいいし、スポーツ選手なら「〇〇選手」が使えるけど芸能人の場合肩書がない
「〇〇氏」「〇〇さん」だと犯罪者に敬称を付けるなとイチャモン付ける奴がいるし、呼び捨てだとまた別方面からイチャモンが付く
「書類送検された人は肩書で呼ぶ」という共通ルールを無理やり適用した結果が「〇〇メンバー」「〇〇司会者」とかいう珍妙な呼び方なんである
芸能人を格付けするやつ。
人をいじくって上とか下とかわざわざ決めて
こいつは劣っているとか蔑めるところが性根が悪いと感じる。
それを楽しめる人は楽しめばいいし
面白いと思っている人に口出ししたいとも思わない。
数分見るにはそうなのねで済ませるけど
10分もすると胸焼けしてくるので
ああ変えなきゃなと番組を変える。
こういう番組は需要があるから見る人も多い以上延々と続くだろう。
人の優劣を見て楽しいと思ったり関係ないと受け流せない自分は少数派なのだろう。
司会者が引退でもしない限り当分季節の変わり目に出てくるのだろうなと思う。
空は広い。視界から外したい。
首都圏の場合︰数時間、同じ司会者で、同じニュースを繰り返しつつ、合間でグルメ特集とかのニュースとは言い難いものを長々と流す番組。
キー局の系列が県域放送の地方の場合︰地元の司会者の合間で東京から全国ニュースを数十分挟む。18時台中盤から地元の話題に特化する番組。
前者はあくまでも報道番組を名乗るが、後者はニュース特化なら報道を名乗り、バラエティとニュース混在型ならあくまでも情報番組的なタイトルになる。
なお、首都圏出身者が地方で後者の番組を見て「地元の話題ばっかりでつまらん」と思う例と、地方出身者が首都圏で前者の番組を見て「地方で流れない時間帯の内容が酷い」と思う例が共に存在するのは面白いところである。
カマラとトランプの対談見てあれでトランプは圧勝してたとか言ってる奴ら
司会者と組んで3対1になってたから卑怯だーとかトランプ支持者のガイジは言ってるけど
トランプが自分から陰謀論ほざきまくって勝手にトランプ支持者みたいなガイジ以外の全ての健常者に対する敵になってただけっていうのが事実
それデマですよね?嘘つくのやめてもらっていいですか?
デマ封じられたら只のきっしょいガイジでしか無いんだよね、バカウヨって
日本でもアメリカでもどの時代のどこの国でもバカウヨはガイジってはっきりわかんだね
やっぱり健常者はガイジと共に生きていけないってのはもう過去の戦争から既に分かりきってる事だけど改めて実感するよね
だから大日本帝国とかいうガイジには原爆落とされたしナチスとかいうガイジも殲滅されたわけ
歴史知ってたら分かるよね
これからもそうだよ
https://x.com/poe1985/status/1811005563603669324
色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。
日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。
中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。
全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。
たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。
一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。
だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは
だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。
具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。
てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。
たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。
曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。
世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。
なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。
だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。
どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます)
あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの?
僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。
だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。
そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。
でもならなかった。こっちとしては不思議でした。
今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。
だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。
もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。
自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。
いい部分だけを見せてきた。
これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。
出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。
実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。
そういう戦略でやってきたんだったら
開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。
その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。
一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。
あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。
石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。
反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。
「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。
だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。
政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。
でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。
これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。
論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。
(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)
何にせよ民主主義は風前の灯火かも知れないけど
先週、学生時代の友人の結婚式があって、二次会の司会を行ったんです
学生時代から自分は司会というかMCが得意で、謝恩会の司会も依頼されて行ったし、今回の二次会の司会も新郎新婦からの依頼
とはいっても、TVのタレントのMC芸の素人真似レベルであり、自分が前に出すぎず、一言ツッコミで笑いを取るみたいな素人芸
プロの司会者には敵うわけもなく、友人のお祝いのために依頼を受けたというのが本心
当日も無難に終わったと思うし、新郎新婦から感謝されて満足だった
で、本題
同じく新郎新婦からの依頼で、ある友人が二次会で会場のDJをやったわけ
で、終わってから新郎新婦に対して、DJに対する対価を支払えといって、二次会関係者みんな驚きよ
友人の結婚祝いのためにやったんじゃなかったの?って聞いたら
お祝いと今回のDJは別だ、自分はDJは誇りを持ってやってるし、みんなを満足させたと言うわけです
でもね、彼がDJをちゃんとこなしたこと(もちろん彼はDJのプロ = DJで食べてるではない)は認めるけど、
それを言えば、私も司会をちゃんとこなしたし、二次会の様々な出し物をした人たちだって準備して当日に望んでる
でも、彼はそれを好意に甘えたやりがい搾取だって言い始めちゃったわけ
マジで頭に来たね。そもそも結婚式の参加や二次会への参加は仕事じゃない!好意100%の世界なんですよ
ちょっと大袈裟なタイトルだが、FMで毎週番組を担当している(していた)司会者からも番組中で番組編成に対して苦言呈されるほどなので、結構な異常事態だと思う。
【前提】NHK-FMは音楽番組が中心である(あった)。音楽を主に聴かせる朝昼のクラシック番組、正午のニュース後は同じく音楽中心の歌謡曲番組、夕方は若者向けの番組(赤い公園の津野米咲さんも週イチで担当されていた…)。
夜はクラシックの演奏会のライブ録音番組放送後、若者向けの音楽番組。ミュージシャンインタビューやパーソナリティの語り多め。
概ねこの編成であったが、NHK-AMの1波廃止決定以降大幅に変わった。ちなみにまだ廃止はされていない。
まず語学番組がFMでも同時放送されることになった。朝6時からニュースを挟んで朝の8時までが語学番組枠に。
FM放送開始して間もなくの1963年から60年以上、朝6時の枠で放送されていたお馴染みのクラシックの古楽番組が朝5時に追いやられた。
(ちなみにNHKFMの本開局は1969年だが、1957年より実験局として放送開始している。)
夕方の若者向け番組も廃止。およそ2時間の枠がレギュラー番組の再放送枠になった。
(AM廃止で枠を失う芸人やアナウンサーのバラエティ番組を押し込むために空けたんじゃないかと邪推している)
長年親しまれている古楽番組の移動はリスナーから悲鳴が上がった。かなりマニアックな盤もかける番組なのでネットの聴き逃しの権利が取れず一部の週を除き聞き逃し配信が不可、聞きたければ5時に起きるしかなかったのだ。
抗議がかなりあったようで、今年ようやく6時に戻された。
そして昨年あたりから顕著になったのがレギュラー番組の再放送の激増と、季節ごとの特別番組の激減である。
元々は、5週ある月の5週目は再放送であることが多かったが、それ以外の週も「反響が大きかった回を特別に選んで再びお送りします」という体裁での再放送が増え始めた。週1で1ヶ月に4回しかないレギュラー番組なのに、月に1〜2回は再放送になる。
一番酷かったのは今年3月に終了した「洋楽グロリアスデイズ」である。これも前身番組含めて長く続いていた洋楽懐メロ番組だったのだが、終了の告知が2月で、2月3月は最終回を除き全て再放送。番組司会者もX(Twitter)で戸惑われていた。
そして、国民の祝日、夏のお盆休み、年末には特別編成の番組が放送される事が多かったのだがそれらもほとんど無くなった。
祝日には「今日は一日◯◯三昧」という生放送の特集番組を朝から夜まで放送することが多かったが、昼からになり、そのうち番組自体がほとんど放送されることがなくなった。
夏や冬には昔の人気番組「クロスオーバーイレブン」「夜の停車駅」が1週だけ復活、ということもあったがそれも無くなり、レギュラー番組の再放送で埋められることになった。
さらに今年3月から先行放送された新番組「マイ・フェイバリット・アルバム」、週替わりのゲストパーソナリティがお気に入りのアルバムを5枚紹介する番組だが、のっけから再放送だらけである。
ここから1ヶ月間、5月20日分まではヒャダさんから放送やり直しの再放送が続く
6月11日〜栗本斉
あからさまに予算を減らされている。それでテレビではプロジェクトXみたいな偏向回顧番組作ってるんだから文句の一つも言いたくなる。
おそらくはてな民はラジオはANNくらいしか聞いていないだろうし、NHKFMなんて金の無駄だから無くしてしまえくらいにしか思ってないだろう。俺らのお眼鏡に適わない、金にならない文化なんか消えても困らない、という空気は感じる。しかしクラシックを日本に紹介し続けたり現代の音楽を記録し続けたりとその意義は大きい。
しかしNHKでも予算は無限ではないし、近年は特に大きな話題にならないものは消していこうという姿勢のようだ。
儲かる儲からない関係なく、文化の記録を残していけるのはNHKにしか出来ないと思っているのだが、NHKはもうそうはしたくないように見える。音楽がじっくり聴ける番組は今後更に減っていくし、レギュラー番組も年間に制作されるのは全週の三分の一ほどで、後はずっと再放送、になるのかもしれない。
世知辛さを感じている。
ちなみにNHKに番組編成に関して意見を書く場合は、番組のサイトから送るよりもNHKのトップページのご意見欄から送る方が良いそうだ。
番組宛てだと番組スタッフしか見ないが、NHKへのご意見ならえらい人の目に入る可能性もあるそうで。これ3月に(NHKAMからの引っ越し組だった)番組が終わったヤバTが最終回で言っていたので、間違いないと思われる。
BBCラジオインタビュー:キャス博士に訊く、キャス・レビューついて。
https://www.jegma.jp/entry/CassReview-BBC
女性司会者:英国の18歳未満を対象としたジェンダー・アイデンティティ・医療サービスに関する報告書(レビュー)によると、医学的介入に関する調査不足と著しく弱いエビデンスに失望させられているといいます。小児科医ヒラリー・キャスの報告書は、こうも語っています。専門家たちは、彼女がジェンダーに関する議論の有毒性と呼ぶもののために、自分たちの意見をオープンに議論することを恐れてきた、と。
男性インタビュアー:待ちに待った、子どものジェンダー医療に関するキャスの報告書の結論は、医学界に響き渡るシンプルで手厳しい一文を含んでいます。ほとんどの若者にとって、医学的な治療法はジェンダーに関連した苦痛に対処する最良の方法ではないと、ヒラリー・キャス博士は述べているのです。
インタビュアー:思春期ブロッカーが安全に使用できるという証拠はありますか?
キャス博士:いいえ、今のところ、使用しても絶対に安全だという十分な証拠はありません。
思春期ブロッカーは、思春期が早すぎるという全く別の症状の子供や、ある種の癌を患う大人にも使われています。しかし、これは思春期を抑制するという新しい使用法です。ブロッカーが脳の発達に長期的にどのような影響を与えるかは分かっていません、というのも思春期には脳の発達が急速に進むからです。
また、ブロッカーがジェンダーや性心理の発達の軌跡を変えてしまうかどうかも分かっていないのです。
インタビュアー:医学の世界では、未知のものが一つの分野で大量に使用されるというのは標準的なことなのでしょうか?
キャス博士:研究チームは臨床試験から始めましたが、臨床試験結果が出る前に日常的な処方に移行し、さらに幅広い若年層に処方するようになった時点で、エビデンスから逸脱しました。