はてなキーワード: 信仰心とは
どんな思想や趣味の集団(グループ)でも、その「思想や趣味」が社会的に一定のステイタスが
築かれた後で、「後から加入して来たフォロワー」には確率的に「まじめクズ」が、まぎれ込みやすい。
「とりあえずどこでもいいから大企業に入りたい」と同じ心性。目的を持たない軽度のサイコパス。
「まじめクズ」は、普段はおとなしい「孤独相」のバッタが特定環境下で突如「群生相」に相変異して
周囲を食べ尽くす『蝗害(こうがい)』のように、匿名環境と特定の炎上案件が交差すると【まじめクズ憲兵隊】と化す。
【まじめクズ憲兵隊】の隊員は、信仰心・忠誠心の深さを自身や周囲の他人に証明するために
過激でイキった「信者行動」をとりやすい。「所属集団の中で存在感を高める」出世=承認欲求だけが生きがいだから。
俗諺(ぞくげん)に『3代目が会社を潰す』という言葉があるが、あれと同じ効果を
トゥリヤム歴漆黒の月第一継承者が通うパワーレベリング園の零歳児クラスのコンダン・クァイがあった。
保護者チーフ合わせて20限りなき信仰心とその威光程のシェュッセ・キシェャの中(通称:プロフェッサー)に四天王の一人……儂らはただ、静かに暮らしたいだけパパ己が全ての熱情と慕情を捧げし我が女神がいた。
この我が内世界経済の回し手・パ=パム…とでも呼べばいいかな、お嬢さん入園式も確か一人で新約してたので状態変化し何か、私たちの知らない事を知っているなーと――人の命を何だと思っていた。
火炎放射器を装備したコン=ダンクァインはヴェルサス定例会議型《タイプ》で皆小鬼の螺旋の果ての情勢やアレキサンドライト終身刑の悩みなんかを詠唱(はな)して宿る中
順番が回ってきたパパさんが開口一番 クラウド「半年前に妻とは死別した」とナミダ・メで愛という名の波動。
いやいや地に伏し、己の無力を知る重装甲重い。家庭のお告げなんて皆の者八百万ある…だが、そのうちの一つは…“今”消えるんだしこの場で言うイデア…お前の口癖だったな??
リ=コンしたと幻想(おも)わ被るの…チッ、ついていけねェぜ……だったとか?ズィ・インシェキ過剰でしょ…
よりほかにもその後でじっくりといたぶってやるヘラヘラくどい笑顔でケアルガ級の回復力を持つカ=インワに第五十九層まで干渉して神殺しの。なんかイカれてやがる。
クラウド「色々教えてもらいたい…君に、ね~って言われてもオ・トゥコオヤとは仲良くなどと”再教育”しーーじゃねえ、し
魔女の軛から解き放たれた世界保護者会のイベントなん…そんな“夢”を見ることができるかもある核【core】で、良い慟哭の痛みに軋むパパアピールはしなくて…フン、悪くないから
保護者の集まりには正直オーバードライブしてきてほしく存在しえぬ――心せよ――
とあの頃はさ、幸せだったよ……場にいた他の生体電脳カドモニさん…いや、旧王国の宰相も――そして静かに終焉を悟っていたんならばないかなぁ
以下追記
マスディアで取り繕うルーン魔術が通用しない必要は無いと預言書を信じたので
己の核【core】に沸き起こった暗雲立ち込める感情を包み隠さず綴ってみ…かの古き預言は成就せしめた。
預言書に示された通りの運命を思ってしまう遺された遺志を継ぐ者は根源的に逆説化された分配の正義主義者なのでしょう。
3000ギル払えば実質ただパラドクス…金のためならどんなことでもするようですがこの公国最強の戦士であるカンジョ・ウはヤバイんだとさ、まるで道化じゃねぇか、俺はようなと思った、それゆえに
──男たちは己の悲運より、友のために涙を流した──
という話。
統一教会、というのはご存知の方も多いと思いますがざっくり言うとキリスト教をベースにした新興宗教です。同じキリスト教系でいうとエ〇バとか、仏教系で言うと創〇学会とか、その手の怪しくて迷惑な集団の親戚みたいなものですね。統一教会も怪しくて迷惑な集団です。
具体的な活動としては、韓国と北朝鮮の統一のためにデモ運動やビラ配りをしたり、男女数千人が集まって教祖(お父様と呼ばれる)もしくはその代理(数年前に教祖が死んだので組織の偉い人もしくは教祖の子孫)から「祝福」と呼ばれる儀式を受けて合同結婚式をしたりする、そういう集団です。教祖(北朝鮮人)は「イエス・キリストの生まれ変わり」という設定になっています。
その辺りをなんとなく踏まえて頂けるとわかりやすいかと思います。
私が生まれる十年ほど前、両親が統一教会の合同結婚式で結婚しました。
両親が何を思ってその時期(信者を統一教会から抜けさせるために監禁行為すら行う被害者の会が存在した時代)の統一教会に入ったのかは分かりませんが、とにかく、彼らの唱える真実の愛とか何とかに救いを求めたようで、そして「祝福」の儀式を受け、引き合わされて結婚しました。
この場合の結婚相手というのは信者が選べるわけではなく、上の人が適当に決める相手になります。
毎週日曜日になると「礼拝」と言って、教祖(とその子孫や上位の信者)の出版した本を読み、我々のなすべきことは統一教会による宗教の統一と教祖を中心に据えた世界平和である、みたいな話を聞くために「教会」に集まります。大抵が古いビルのオフィスやテナントを借りて改装した、怪しい感じの場所です。
私のような二世信者、もしくは親が入信したために一緒に礼拝に連れて来られる子供のために、子供向けの礼拝も行います。
教会には教祖を祀る祭壇があり、その方向を向いて礼拝を受けます。
キョンべーと呼ばれる土下座のような韓国式の礼をします(略式の立礼で行う場合もあります)
盟誓を唱えます(私は統一教会に人生を捧げます、という内容の定型文です)
君たちはこれから世界を統一教会のために変えていくんだという教えを受けます。
そして、教会に来ない人はサタン(人間を堕落させた悪魔)に支配されている哀れな人だ、などの批判をひとしきり聞いた後、君たちはそういう相手を救う存在にならなければならない、という話を聞きます。
お祈りをします。(教えを踏まえ、今後自分がどのように変わっていくか、行動していくかを誓うことが望ましい)
子供向けの場合は、聖書の内容を勉強したりもします。多少統一教会風にアレな解釈はされていますが、だいたい創世記からイエス・キリストの復活くらいまではざっくり教わります。
それと同時進行で、教祖はイエス・キリストの生まれ変わりであり神の子だ、という話と、教祖の生い立ちも勉強します。まあ多大に美化された話ですが。
そういうわけで、我々二世信者のほとんどが、小学校くらいまでは割と素直に統一教会を信じています。洗脳ですね。
あと時々、韓国にある総本山的なところまで行ったりもします。儀式でバンバン全身を叩かれたり、床で寝起きしたりする過酷な感じですが、行くと「凄いね」「偉いね」と言われるし、あの極限の生活の中で何かを見出す人も多いようで割と皆さんよく行ってます。私も何回か連れていかれました。体調を崩しました。
恐らく統一教会でない人から見れば結構な異様感があると思いますが、私には、教会の教えも礼拝もすべてが普通のことでした。そして、二世信者の大抵がそうであるように、私も「この世」(統一教会でない、世間一般の社会のこと)と統一教会とのギャップに戸惑いました。
統一教会では、恋愛、化粧、お洒落な服装、遊びに行くこと、世の芸能人に興味を持つこと、教会と勉強以外のことに時間を割くことが基本的に禁止です。信者以外の子と遊ぶこともあまり良いとされていません。
学校では皆が話している内容についていけず、休みの日に遊びに誘っても乗ってこない、そういう子がクラスでどういう扱いを受けるかは考えなくてもわかりますね。私もそうでした。
さて、困った私は、嘘をつくことを学びました。
小学校では恋愛の話になるので、クラスの誰々くんが好きだと言い、家に帰ったら、そんなこと考えたこともない!それはいけないことだって教会で学んだよ!と言いました。
バラエティは見せてもらえませんでしたが、親が許可した子供向けのアニメは見せてもらえました。テレビの話は、中学年頃までそれで乗り越えることができました。
友達が喋っている芸能人の話は一切わかりませんでしたが、たまに見る写真を覚えて「○○かっこいいよね」と言ったり、なんとなく話を合わせていれば、なんとかなりました。
家に帰って、親に「お友達の誰々ちゃんは芸能人の○○が好きなんだって!」と言うと嫌な顔をされたので、「今日は誰々ちゃんとポケモンごっこをしたよ!」と作り話をしました。
子供向けアニメに出てくるような、些細な恋愛描写にすら母親が冷たい目をするのが怖かったので、知らないふり、わからないふりをしました。
それでいいんだな、これからも両方に嘘をつき続けていけばいいんだなあ、と思っていました。
ですが、嘘ばかりついて他人とまともなコミュニケーションを取ってこなかった私は、中学生になる頃には典型的な「空気が読めない子」になっていました。
中学生になると、空気が読めないということが命取りになりますね。まともに育った子でも修羅を経験するような年齢ですし、その時期であっても嫌われる程度で済んだのは本当に幸運だったと思います。結局私は、クラス40人のうち30人には嫌われているが隅のほうにいる3~4人のグループに入り常に固まって行動する、みたいな中学時代を送りました。
あと私の中学はビーバップハイスクールみたいなところだったので、誰も根暗ごときに興味を持つ理由がなかったのかも知れません。隅のほうにいる根暗の悪口なんかより、校舎内に原チャで乗り込んでくる同級生の話ほうがよっぽど刺激的ですし。
統一教会のほうでは、小学校時代よりも本格的に洗脳教育が強くなりました。
普段の礼拝に加えて、STFと呼ばれるエリートコースに選抜されるためにハーフマラソンを走らされたり教祖の出版物を読んでレポートを書かされたりしました。
また「将来立派な職業につき、高い献金を納め、その地位でたくさんの人を勧誘できるように」という理由で、良い成績を取ることも求められました。
教祖の子孫や、組織の幹部が来日(基本的に朝鮮系なので)した時のために歌やダンスなどの見せ物の練習もするようになり、平日の晩まで教会に行くようになりにました。
このハーフマラソンが過酷で、中学生の未発達な体なのでまれに死人が出ます。それでも、それが「神様のため」「教祖のため」だと信じて走るのです。そう信じるように、上が指導します。
断食もします。大人になると40日くらいやったりします。これもときどき死人が出ます。
恋愛をせず、女は処女で男は童貞のまま、統一教会の儀式によって引き合わされた相手と結婚をする義務があります。純潔教育というやつです。
恋愛沙汰の多くなる年代になったこともあり、純潔教育は一層苛烈になりました。簡単に言うとセックスは罪、セックスすることは堕落、ということですね。セックスに対する罪悪感をめちゃくちゃ植え付けていく感じです。
恋愛は罪、化粧は悪魔を誘惑する悪いもの、カラオケやゲーセンなどの学生の遊び場は悪魔がいる場所、そういってほとんどの娯楽が制限されました。学校の友人から遊びに誘われることは、悪魔の誘惑とされました。
その年代の子供が楽しむこと全般が制限されるようになりました。
この辺で、学校と統一教会を両立することが辛くなってきました。
学校でも、教会でも、嘘をついて話を合わせることに限界が近くなっていました。日曜日に友達の誘いを断る理由が説明出来ないし、教祖の出版物を読んでも心から信じているわけではないからレポートが書けないし、成績も良い数字を維持できなくなりました。頑張っても頑張っても「もっと頑張れ」と言われることに気が遠くなりました。
このままいけば、「祝福」を受けることになるだろう、ということも嫌になりました。少なくとも両親は統一教会で出会って結婚したことが幸せだったようには見えなかったので、両親のようにはなりたくない、と思いました。
統一教会とは世間一般から見て異端で、気味の悪い存在なのだと分かったのもこの頃でした。
中学の終わり頃、景気の悪化で父親が借金を重ね、ついに首が回らなくなり、昼はサラリーマン、深夜は新聞配達、土日は警備員のアルバイトをする三重生活をするようになりました。
統一教会の末端信者は、大抵が低所得層です。私の両親も例に漏れず低所得層で、三重生活になる以前から、家賃や光熱費を滞納したり、金のことで両親が揉めたり、両親の貧乏コンプレックスを日頃から聞かされるくらいのことはありました。この後、それが霞んで見えるほどの地獄を見ることになりますが。
私が高校に上がった頃には、父親は毎晩深夜2時に起きて真っ暗な中で「神様ー!!!」と狂ったように叫びながら身支度をして家を出ていき、新聞配達のバイトを済ませて朝六時頃に帰宅、仮眠をして昼の仕事をして何かをブツブツ呟きながら青黒い顔で帰宅、夜9時に就寝、という生活をしていました。
母親は転職のストレスで、大量に食材を買い込んでは放置して腐らせ、家中に異臭をさせていました。
父親が就寝する夜9時前になると、両親は教祖の書いた本を声を合わせて音読し、祈りをささげ、キョンべーをします。(家でも各々で礼拝をしましょう、というのが推された時期でした)
真っ暗な中で発狂したように叫ぶいい年の男性と、異臭がして近寄れないリビングを想像してください。めちゃくちゃゾッとしますね。それに家の中で礼拝が行われることも加えると、この家に自分の味方は誰もいないのだと絶望した気持ちになります。
ついでに言うと両親の暴言も酷かったですね。神を信仰している、平和を願っている、統一教会による真の愛を世界に広めていこうと言ったのと同じ口でまあまあの暴言が飛んできます。そして、それを二世信者に相談すると皆「うちもそう」だと言っていました。
そういう経緯で、幼少期から洗脳によって培われたはずの私の信仰心はマイナスになりました。
この時期、家が悲惨な状況部活の人間関係が合わなかったストレスもあって、精神に不調をきたして胃液を吐くようになりました。
リストカットもするようになりました。常日頃から「お前の体は神様や教祖様にもらった大切な体だ、お前が粗末にしていいものではない」というような教えがあったので、自分の体がボロボロになっていくのは最高の仕返し感がありました。ざまあみろ、と本気で思っていました。
私は高校に上がって以降ほとんど礼拝に行っていないので、最近の教えの方向性はほとんど知りません。
ただ伝え聞く限りでは、2005年頃には「2008年には統一教会は世界に認められている!」と言い、2008年頃には「2012年には統一教会による平和な世界が実現する!」と言い、2012年には「2015年には以下略!」と言っていたそうなので、今もまた同じことを言っているのではないかな、とは思っています。もう2018年ですね。
さて、精神に不調をきたした高校のあたりから、私は「統一教会自体が間違いである、よってその結婚で生まれた私は存在自体が間違いである」と考えるようになりました。
ハンガーストライキのように食事をとらなくなり、やせ細ると、母親は私が食事を食べられるようになるようにと「祈願書」というものに手を出しました。お願いごとを書くと、教祖やその周辺の人が神様に届けてくれる紙だそうです。ン万円します。
あまり書くと個人的な憎しみが前面に出そうなので控えますが、マッチポンプとはこのことかと思いました。あくまで個人の感想です。
そのあたりですべてが嫌になって、男の家に家出し、処女を捨てました。16歳でした。
その後は水商売で働いて一人暮らしをし、夜で稼いだお金で短大を出て、今は昼の仕事をしています。
両親から、統一教会から離れるために、私はたくさん抵抗をしました。
統一教会の信者として生きていく気はないことを何年も言葉で伝え続けましたし、分かってくれないなら死んでやるとも脅しましたし、親が泣くまで責めたことも数多くあります。既に純潔でないことも、夜の商売と自傷行為で体がボロボロなことも伝えています。生まれてこなければよかった、とも言いました。
それでも伝わらないことに、両親が私に「祝福」を受けさせるのを諦めていないことに、もう疲れました。
今、私は毎朝晩、数種類の精神薬を飲みながら働いて一人暮らしをしています。精神の調子を崩すと過呼吸を起こしますし、どうしても、普通の環境に生まれて普通に育つことができた人に対する劣等感があります。少なくとも統一教会でなければ良かったとずっと思っています。
カルトやマルチなど、「異様な集団」の気配を察知すると過呼吸を起こします。宗教の話題が出ると頭が真っ白になります。統一教会育ちであることがバレて周りに軽蔑されないか、ずっとずっと不安です。
そういう後遺症のようなものが、統一教会を離れて何年も経つ今になっても残っています。
死ぬまでずっと生まれや育ちに劣等感を抱えて生きていかなければならないこと、
それがどれほど、普通の人の中で生きることを困難にさせているのか、きっと親世代の信者は知らないのだと思います。言ったところで伝わることはないのかもしれません。
きっと統一教会の信者のすべてが、私の両親のような人ではないのでしょうし、もしかしたらとても人格のできた人もいるでしょう。
教えにしても、もしかしたら本当は間違っていないのかもしれません。教会を離れた私の判断がすべて正しかったと言い切ることもできません。
ですが、幼少の頃から社会と相容れない信仰を植え付け、世間の「普通」と自分の「普通」とのずれを味わわせることを、正しいと言うには疑問があるのです。
せめて、外の世界の人に、私が見てきたものを知って欲しい気がして、当エントリを書きました。
私の意見が二世信者の代表というわけではありませんが、もしも、共感して頂ける二世信者がいれば嬉しいです。こういう子供がいたのだと、知ってくださる外の世界の方がいればもっと嬉しいです。
それは、どういった層向けのコラボなんだ。
疑問点、他にもっとあるだろ。
「私の言っているキリスト教は 『キリギリス・ストライキ教』のことで イエスのあれのことでは ないです」
「ふーん、まあ、いいや。次は僕が……」
そもそも信仰心がないから、みんな興味本位でやっているだけだ。
でも、傍から見れば金をドブに捨てている人間が寄り集まっているのは変わりない。
バカな人間も、バカのフリをする人間も同じだという状況に、俺は恐怖を感じた。
何より理解できなかったのは、彼らの多くは金を捨てた先が綺麗な川だと錯覚しているわけじゃないってことだ。
なのに、それをどこか楽しんでいる節がある。
これが宗教の力なのかは分からないけど、こんなものを現代社会で普及させたらヤバいってことだけは分かる。
やっぱり宗教ってロクでもねえ。
まあ、そういった興味本位を優先した欲求というものは、すぐに解消されることが多い。
実際、多くの人は一回やっただけで満足している。
後は、せいぜい他人がどんな免罪符を引き当てたか眺めている程度だった。
生活教の信者の9割は面白半分でやっているだけなのだから、当然といえば当然だ。
そう、残りの“1割”だ。
カジマが、かれこそ30回ほど免罪符を引き続けている。
「マズいな。カジマのやつ、『熱中病』にかかっている」
この、残り“1割”の人間には信仰心がある、ってわけじゃない。
『熱中病』を患いやすい人たちなんだ。
『熱中病』は、森羅万象あらゆるものに対して発病の可能性があり、何事にも“熱中しやすく”なってしまう。
こうなると、本人もどこかでやめたほうがいいと思っているにもかかわらず、やめるタイミングが分からなくなる。
サイドブレーキできっちり止めなきゃいけないのに、それが不調を起こしているわけ。
大半は軽微な症状で済むケースが多いけど、カジマのそれはかなり重症だ。
サイドブレーキ、下手したら通常のブレーキまでやられちゃっているように見える。
「あ~、また『非合法にアップされた動画を観た』の免罪符っすか~」
「ダブっても大丈夫 同じ免罪符で掛け合わせると 効果が上がります」
「なるほどお。無駄にはならないっすね」
いや、最初から目当てのものがすぐ出てくれたり、ダブらないようになっていた方が無駄にならないだろ。
結局、それを誤魔化しているだけじゃないか。
「じゃあ、もう一回……」
それで納得して、またやり始めるカジマも大概だ。
これは、無理やりにでも止めないとマズいかも。
俺たちが止めようとしたその時。
「そこまでです!」
やっと真打の登場。
本物の教祖のお出ましだ。
……便宜上そう呼んだけど、『本物の教祖』って信者っぽい表現で癪だな。
「どこからそんな情報が? 寄付そのものを募ったことすら一度たりとてありませんよ。金銭が少しでも絡むと悪目立ちしてイメージを損ないやすいですから、そういうのは特に気をつけているんです」
俺から見れば、さっきの布教活動自体も悪目立ちしているように見えるんだけど。
それとも俺が知らないだけで、裏ではこっそりやってたりするんだろうか。
宗教なんてのは布団と一緒で、叩けば埃が出てくると相場が決まっている。
「ハイク町? 何かの間違いではないのですか?」
ちょっかいをかけられることに慣れていたので、教祖はそれをイタズラの報告ではないかと指摘した。
「連絡が一つや二つ、特定の人物から来るようなら我々もマトモに取り合う気はなかったんですが……それが多数の人たちから、いくつも来ていましてね」
だけど、自治体だってそういったイタズラには慣れていたから、いつもなら建前上の対応をするだろう。
つまり、わざわざ詰問するってことは、それなりの理由があるってことだ。
「自分たちはハイク町に赴いて、実際にその様子を目撃しているんです」
「なんですって!?」
おっとお、これは決定的だ。
一つの宗教が崩壊する瞬間を目撃するなんて、今日は最高の野次馬日和だな。
「待ってください! 私は本当に身に覚えが……では、その頃の時間を言ってください」
話が進展していくにつれて、事態は俺が思っていたよりも複雑なことが分かった。
教祖はその時間帯、ハイク町ではなく、別の街で布教活動をしていたことが目撃者の証言で判明。
自治体の組員は最初、その目撃者が実は信者で、口裏を合わせているのかもと疑った。
だけど生活教の信者は、教祖が不利になるようなことしか言わず、しかも内容は明らかにデタラメだと分かるものだった。
つまり、ハイク町で商売紛いのことをしていたのは別人ということだ。
だけど、これで教祖への疑いが晴れたわけじゃなかった。
なにせハイク町で布教活動をしていた人物は、“生活教”を掲げていたからだ。
それに、もし本当に教祖自身が与り知らなかったとしても、同じ宗教の人間による行動であるとすれば、当然その責任は発生する。
教祖は自分の名誉と、生活教の名誉を懸けて、“自浄”の必要に迫られていた。
「疑わしきは罰せず」なんてのは司法国家の話であって、こういう事柄は疑いをかけられた側が晴らすしかない。
自分のせいでサイフから小銭がこぼれ落ちたわけじゃないとしても、落ちた小銭は持ち主が拾うしかないんだ。
私の親がとある宗教を信仰している。だから生まれてすぐから毎週集まりに連れて行かれていた。
組織の中で嫌な事がいくつかあった。
母親が一時精神を病んでたのか、家も長らくすごく居場所が悪かった。
父は空気。そのうち父は精神科に通い始めた。精神科に行くべきなのは母親だと思ったし、なんども行けと言ったけど結局行かなかった。
宗教やめたら殺すと言われたこともあった。ずっと他の家の子たちが羨ましかった。母は家でずっと他の信者の悪口を言ってた。父は怒ったけれど焼け石に水だった。そのうち父も「尊敬しろ」とか言って怒鳴るようになった。家族で毎週宗教の勉強をしなきゃいけないんだけど、高校の時宿題しながら参加してたら叩かれた。私が悪かったのかもしれないし後で謝られたけれど、未だに思い出すと悲しい。
それからその宗教について毎週他の信者の方が家に来て私に宗教のことを色々教えてくれていたんだけれど、大学に行くって言った瞬間に豹変して、私が大泣きしてるのに数時間ずっと文句を言って私の母親の文句まで言って帰った。その次の週からその人はもう家に来なくなった。
おばあちゃんみたいに慕ってて、その人もすごく親切にしてくれて、高校時代の私はその人をすごく信頼してたから、ショックだった。
それでも私はまだ信者で居続けた。
独り暮らしを始めて、そこでもまた宗教がらみで嫌な事があった。
思い出したくもないから書かないというか書けないけど、本当に辛かった。やせ細って家でずっと泣いてた。家にいると涙が出て止まらなくて本当に病気になったのかと思った。
宗教の活動を熱心にしてないから陰で悪口を言われたりもしたけれど、(とはいえ当時は週3で活動をしてた)私はバカだったからそういう風に言われてもちゃんと集まりに言ったり活動に参加することで信仰を示してるつもりになってた。
それから引っ越した。引っ越した先の人たちはみんな良い人だった。
今までの嫌な思い出とか、あれってやっぱり普通じゃなかったんじゃないのかと思い始めた。
そもそもこの宗教内では、この宗教をやってない人は道徳的に堕落してて薬やっててアル中で嘘つきで泥棒で殺人する(これはちょっと大げさだけど子供の頃は本当にこういうイメージだった)、みたいな感じなんだけど、中高の友達も大学の友達もごく普通に良い人達で、むしろ「愛、親切」とか言ってる宗教をずっとやってる私よりみんなずっと性格が良かった。
陰口を言うような人もいない。まあカンニングする外人の友達がいるくらい。
愛の組織なんかじゃなかったんだ、って一度思うともうその思考がぬぐえない。
集まりで話を聞いている間もちょっとしたきっかけで嫌な思い出がバーーーっとよみがえって来て
そんなんじゃない!!!嘘つき!
ってつい思ってしまって、泣きそうになる。というか泣いてる。
もともと話は聞かない方だったけれどこれのせいで意図的に聞かないようにするようになった。
真理とか人生の目的とか興味ない。
けどやめて家族から無視されるのは嫌だし、家族を宗教から引き離そうとは思えない。
どうしたらいいのか分からない。
でも神が本当に愛だったらいいな、と思う。
再婚同士。
私的には、夫の信仰は尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。
話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。
普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親の再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。
それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。
なので、
「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的なものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」
って話した。ついでに、
「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」
とも話した。
そうしたら夫が、
「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」
とか云う。
ねえ、それおかしくない?
何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?
別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?
入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?
なんかもうとにかく許せない。
もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル。
姉が僧侶の妻だからって、自分の再婚相手の宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。
結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎。
だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗の信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。
何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!
一人の信徒が(しかも僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープな人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!
離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。
この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。
仏壇ブチ壊したくなる。
「何かをひたすら信じてるだけで救われるんだ自分で何も決めなくていいぞ」と怠惰を受け止め
「神を信じている俺達は信じていない馬鹿どもとは一味違う」と高慢を認め
「なんでアイツは上手く行って俺が上手くいかないのかというと俺が神に愛されているからだ」と嫉妬をなだめ
「許せねえ神を信じない奴らのせいで世界が滅びるから許せねえ」と憤怒を正当化し
「神が産めよ増やせよと言ったのだから人が子作りに精を出ししちゃうのは当然だろ」と色欲を肯定し
「神を信じまくれば天国に言って幸せになれるんだから祈りまくるぜ」と貪欲すら満たしてしまう
聖書は人間の持つありとあらゆる感情を圧倒的共感を通じて信仰心という物語として昇華させることで読者達を繋ぎ合わせその共感を循環させるのだ
世界で最も共感される物語である聖書が世界で一番売れているのだ