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はてなキーワード: 中学生とは

2022-06-07

anond:20220607204648

すばらしい!中学生が夜中の3時に書いたような名文だ

中学生の息子がなんか変なことを言い出した

曰わく、パソコンという略称はここ数年の間に普及したもので、それ以前はパーソナルコンピューターと略さず呼ばれていた、とのこと

んなアホな、とそうではないことを教えたが、なぜか頑として受け入れない

仕方がないので、俺が中学生の時に使っていた国語辞典を引っ張り出して、この当時から一般的に使われていた略称だと教えたが、それでも納得しない

そもそもどこの誰の請け売りなのかも教えてくれない

さすがに疲れたのでほったらかすことにした

修学旅行中学生が展示作品損壊する事件があったが

新潟市中学生修学旅行新潟県十日町市に行くというのがまず修学旅行としてのレベルが低すぎて他の情報があまり入ってこない

から小人がいなくなる

子供が寝てる姿を見てて、大きくなったなと思った。

末っ子なのでいつまでも幼いイメージだったが彼も来年中学生だ。

先日、図書館で借りてきた「変な家」を居間に置いてたら、

つのまにか読んだみたいで、めっちゃ面白かったと言われてびっくりした。

もう大人の本を読めるんだなと。

でもよく考えたら、自分小学生のころに筒井康隆大藪春彦読んでた。

子供の成長は喜ばしいことではあるけど、

やっぱり寂しい。

周囲に迷惑がかかるからダメって考え方

中学生美術品を破損のニュースへの反応見てて思ったんだけど、「後輩が修学旅行いけなくなるからよくない」みたいな感想が多くて脱力してしま

自分の周辺に迷惑かけるより先に他人財産を傷つけたらあかんしょうが

2022-06-06

1行の小説も書かないうちに脳内で星雲王(星雲賞殿堂入り)になってしまった

大学卒業して就職したのが15年前、同じ頃にデビューした作家がまあ当然いるわけだがソイツらへの嫉妬が止まらない。

とにかく就活成功させて、生活を安定させることを求めながら俺が就活をして、卒論を書いて、ストレスはマスかきで解消していた頃に奴らは代わりにシコシコ作品をしたためて応募していたのだ。

酷い裏切りだ。

だって作家になりたかった。

だけど実家が細いから、頭もよくないしコミュ障から、とにかく社会から一度ドロップアウトしたら再合流できる自信がなくてひたすら就活を目指して生きていた。

就活を目指してバイトをし、就活を目指してサークルに入り、バイト勉強バランスを待ちがえて単位が不足してバイトを辞め、サークル人間関係を築けなくてサークルを辞め、最後に残ったのはボロボロギリギリ単位ゴミのような卒論、それにふさわしい就職先。

そして今日までその中で生きていくために足掻き続けた。

いつだって脳内では「いつか作家になって辞めてやる」と思っていた。

でも俺の職場副業禁止だし監視も厳しかった。

一発勝負で一気に突き抜けるしかないと思い込んだ俺のペンは強張り何も作れなくなっていた。

小説の代わりにゴミのような増田を量産する日々。

心のなかではいだって自分就活で苦しんでいた頃に実家の太さに甘えて小説を書いては応募して「◯歳の天才!新たなる才能!平成の!令和の!新時代の!」と褒め称えられた同級生作家達への憎しみばかりが渦巻いていた。

そんな中で彼らに負けずに活躍している自分妄想し続けるうちに、俺は遂に星雲賞 長編短編同時受賞を3年連続で果たすのだった。

このままでは来年も俺が星雲賞を取ってしまい他のSF作家が腐ると危惧し私は星雲賞震災委員会競技して自分星雲賞殿堂入り作家として受賞対象から除外するように決めた。

星雲賞殿堂入りとは、つまり星雲の王、星雲王なのである

何を言っているだ俺は……。

ちなみに俺の作家としての必殺スタイルは「序盤必殺<ブリーチング・ロケッティア>」「終盤滅殺<クロスファイアチェーホフ>」「竜頭龍尾(ダブルドラグーン)」だ。

中学生妄想だろ……。

恐ろしいだろ……俺はもう社会人15年目だ。

何をしてきたんだろうか俺は……。

俺はこの人生を一体どうしたいんだ。

もう若くもない。

青春を歩めず、朱夏もあらず、白秋も望めず、黒冬にたどり着くこともなく死ぬ

無限に続く土用狭間人生の季節は唯一つ永遠モラトリアム

助けてくれ……

修学旅行中の学生美術品壊した件

そもそも小・中学生修学旅行なんか、美術館博物館なんて連れて行かなくて良くないか

良さも価値も何も分からなくてつまらながるだけなんだし、結果騒いだりふざけ合いで施設や他の客に迷惑かけて。

豚に真珠じゃないけど、どうせ理解できてないものなんかわざわざ見せる必要性を感じないし、それでお金払って来てる他の客の鑑賞妨げて施設迷惑かけるぐらいならレクリエーションとか言って外でボート漕いだりテニスさせたりしてればいいと思う…

文化に触れさせたいやら情操教育などの名目があるんだろうが理解してない・する気もない・挙句鑑賞マナーすらまともに守らない子供相手に、子供にも他の客にも我慢強いてまで見せる価値あるのか?不毛じゃないか

大体、美術館博物館ちゃん面白いと思って楽しめる子や、そういう分野に興味を持ってる子、価値をわかってる子なんかは学校がわざわざ機会なんか作らなくても自発的に足運んで自分で観たいもの観に行ってるし、そうじゃない子供をわざわざ連れて行くのって本当に誰も得しないし無駄しかないと思うんだが。

追記あり子供の頃、西原理恵子ファンだった思い出。

西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年まれ東京僻地ぬくぬくまれ育った軟弱な人間

今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。

西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。

はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。

話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。

中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。

尚、36歳現在麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。

その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。

私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。

尚、36歳現在海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。

病気高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。

「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女人生に思いを馳せたりもした。

その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。

もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。

そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイム西原を追いはじめた。この頃はまだせどり可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。

少しそれるが、西原漫画コミックというより書籍扱いなので一般的漫画よりページ数が少なく、高い。

なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。

なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。

加えて、2002年新聞連載をはじめると、必然的家族話題が中心になる。

私は西原作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。

そうなんだ。西原漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女漫画を描けなくなってしまう気がする。

そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。

そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。

私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。

映画化絵本執筆

それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。

「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」

というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しか絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議

更にだんだん文化人枠に入っていくのも不思議ものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原不思議な感じがした。だって西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?

無頼派新刊も、かっちゃんマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。

そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。

しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。

西原の本に出てくる友達男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。

それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。

しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。

そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。

親との確執特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。

それ以降は聞き齧りなので本当に時系列がよくわからない。

とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性発言をかっちゃん解決してもらうところはすごく悲しかった。

なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。

それでもまだまだ西原アル中鴨ちゃんを看取りシングル子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージ媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。

とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。

私の中で、女性作家若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。

(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性ロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性ロールモデルは種類が少なく画一的からだろうと思っている)

結婚子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。

でも私は病気学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。

それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。

そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!

(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)

これ以降は別に私が書くことではない。

ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。

家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいか彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。

それはそれとして、西原ならこの騒動あの手この手マネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!

今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。

高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。

それでも、私は一時期確実に西原漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。

なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい


追記

男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性意見だけども。

(そういう女性男性はいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性好戦的なのがめんどい)

とりあえず愛ちゃんアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。

とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。

まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。

追記2】

作品ファンだったと思うのが健全で、作家ファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。

でも、西原をはじめとした自分身の回りノンフィクションエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊ジャンルかなとも思う。

(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクション作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)

そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品昇華してしまいそうで怖いなと思っている。

(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)

追記3】

今ざっくり自分文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。

そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。

多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。

追記4】

他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。

しか新聞連載以降の作品ファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。

追記5】

追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ちいからなんかもうええわ。

友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないか友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。

では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。

何度か男性友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。

そういう男尊女卑内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。

(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)

そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから

本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性男の子女の子を産んだ場合女の子にはどう接するだろうか。

ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。

それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。

自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。

追記6】

私がこの文章で書きたかたことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。

なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメント西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。

(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)

そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。

私は誰しもどこかに他人差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。

から、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。

追記7】

差別が〜って言う人は西原漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。

知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別女性差別弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。

(改めてこう書くと本当酷いな…)

もう本人の作品自体ミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別問題発言の坩堝なのが西原理恵子漫画だ。

(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)

ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。

私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。

(更に補足すると、彼女差別する人間からこちらも差別していいとかってそういう話ではない)

なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。

実際の西原漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!

(ただし、合わない人には本当に合わない)

結局、何があっても私は西原理恵子漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。

Permalink | 記事への反応(18) | 17:22

anond:20220606113342

最近書き込み内容が爆サイなのかと思うほど民度クオリティが下がってない?

男子中学生ももっと上品だろ

あと女子大生オッサンより若い男が好きですので残念

anond:20220604182318

ワイは理工系の強い子だったけれど、数学理科ができる子としてそれなりに評価されてたと思うので、増田とは違った世界に生きてるな。

中学生高校生くらいになるとスポーツができる子やかっこいい子だけではなく、勉強ができる子も女子から評価され始めるけど、そういうのがあったなと思う。

2022-06-05

俺、中学生だけど感情がなくて全てが滑稽に思える

書こうと思ってたこと考えてたらこれが思い浮かんだのでタイトルしました。

中学はとっくに卒業した年齢ですが、まだ青二才だと言われる年齢あたりです。だから一種厨二病みたいなものかもしれません。

特に劇的な悲劇成功もある訳ではないです。暇つぶしにでもしてください。

私はありがたい事に恵まれた家庭に生まれ、友人で居てくれる子もいて、勉強特に苦労したことはなく、周りから見たら幸せに生きていると評されるような人生です。このような環境の人ごまんといると思いますし、だからこそ同じようなことを思っていても周りに理解されず相談できなかったと言う人、いるんじゃないでしょうか。そういう人たちに「わかる〜」と言って貰えば幸いです。合わなそうな人はここでやめてください。

(あと結論最後に書いているのでなんだったらそこまで読み飛ばしてください)

幼少期、少し厳しいくらいの教育的な保護者と軽いいじめにあったことがきっかけで、私は自分感情が分からなくなりました。環境的にどちらからも逃げることができず、私が行ったのは「これらの事情全てを肯定的に受け止める」ということです。私はいじめっ子のことを「唯一無二の親友」だと思い、家は「私のことを考えて将来を導いてくれているのだ」と心から思っていました。親友からひどく叱責された時も「私のことを考えて言ってくれているのだ」と思い込みました。保護者面談で「(私)はこのような職業が気になっているようで〜」と言ったときに一蹴してやったと本人から聞いた時も「まあ今好きなことをやらせてもらっているんだからそういうものなのだろう」と思い込みました。

恐らくこのような思考は間違っていると思います。今は間違いだなと思えるようになりました。

ですが親友は今でも親友ですし、順調に保護者の言っていた通りの人生を歩んでいますし、一応は今の状態に納得しています。今では親友は割とまともになって、私の悲しい時は寄り添ってくれて泣いてくれたり、保護者も「別に好きな職に就けばいい」と言ってくれました。

今私は2人に対してどう思えばいいか分かりません。まともになってきたとはいえ、昔のトラウマでキツく詰め寄られると何も言えなくなってしまますし、本当に将来に納得できているのか分かりませんし、心の底から大好きだとは全く言えません。でも感謝したいこともたくさんあります

このような幼少期でしたので、私は「他人のために生きる」というのが板に着くようになりました。最初普通にいじめられたくなかったからです。辛いから。

対面している人が何を望んでいるかを常に考えて動きました。そのとき、「自分気持ちウソをつかない」ということを常に意識しました。相手に合わせて意見を変えていたらそれはそれで敵を作ります

このような状態でしたので、自己主張をできていないと言う訳ではありません。感情がないと言う訳ではありません。ただ、相手によって自分の出す感情は出して、これは友達には合わないなと言う意見は言わないというコミュニケーションの取り方をしていました。

から、「好き」のような肯定的感情がよく分からないことがありますいじめっ子も環境適応できるように強く思い込めば好きな友達になるので私に嫌いなものはありません。全部が全部好きです。それを対人の時は相手に合わせて出したり引っ込めたりするだけです。

それが10年ほど続きました。友人に初めてこのことを相談したのですが、「好きなものがなんで好きか分からないなんて当たり前じゃない?」と言われました。違うんだよな、と思いました。私はこの環境生存するために強く強く思い込んだ結果、人を好きになり職に関連する学習内容を好きになりました。それは胸を張って好きだと言えません。でも私にはそれしかありません。

仲良くしてくれる友人たちは、自分の好きなものや嫌いなものがハッキリしています自分意見もハッキリしています。とても尊敬しています。私には全くできそうにないので

まとまらない文章になってしまいました。申し訳ありません。

結論としては単純に「ある程度幸せだけど小さい頃自分意見を捻じ曲げたせいで今の感情全てに自信が持てない」というものです。このような悩みを持つ人、きっといっぱいいると思います。そして相談もできていないと思いますだってその相談できる人を心からそうだって思えていないから(さっきの相談話も例え話などばかりで要領を得ないものをしてしまったよなと今では反省しています。でもそれが限界でした)

友人たちが大好きです。でも自信を持てません。

つのまにか10数年経ち、小さい子供だった私は気づいたら成人年齢を超えていました。世間的には大人と言われますしょうが自分のこの人格は幼少期からずっと成長していません。外面だけしか成長していないので。

きっとこのまま曖昧感情無意人生を過ごしていくのだろうなと思います

女に見てほしい,俺が男として生まれて良かったこと.

ごめんな,おれはもう時期この不幸自慢インターネットを離れる.

一昨日,Twitterにある自分アカウントを全部消した.

Twitter自体中学生の頃からずっとやっていたが,ついにとことん愛想が尽きて裏垢も含め4あったアカウントを泣きながら消した.もちろん泣くんだ,未練タラタラで恥ずかしいことこの上ないがそれでもそこには何があったのか語りたいんだ.その為に始めた増田だ.

白状すると,インセルとしてこのままオタクの中で持て囃されるのが嫌になったのだ.

から弱者男性必死こいてる中,同じレベル弱者女性はどうしてという気持ちが人より強くて,トレンドにある言葉引用ちょっと過激なことを呟けば,フォロワー雪だるまのように増えていった.当時は本当に酔っていたし,キショいオタク自分にも賛同者がいることに舞い上がってたんだと思う.

徐々にメッセージでやり取りしたり相談を受けることが多くなってきた.

今考えればまぁ酷い内容の女性蔑視や小児性愛者の苦悩を吐き出されたこともあったが,人生経験の一部として弱者男性たちの叫びを聞けたのは悪いことではなかったのかもしれない.だけど徐々にそいつらたちはTwitterを離れていった.現実にうまく復帰したのかもしれないし,他にやりたいことが見出せたのかもしれないし,自殺で手っ取り早く自分を無くしてしまたかもしれない.一方,徐々に離れていく奴らを見送る自分は手垢のついたスマホ将来有望インセルたちを味方につけた玉袋の王様になっていた.

ついこの前中学校来のオタク友達と久しぶりに会話した.

結論から言えば俺がティーダのちんぽで気持ち良くなってる間にそいつ彼女まんこ気持ち良すぎだろをしていた旨を,自慢された.眩暈がした.

オタクがそんなデリカシーのない陽光キャラになっていたのも衝撃だが,弱者男性でも交尾できる色々を丁寧に教えてもらった俺は,今まで自分知識をフル活用してインセル予備軍を増やしてきた期間はなんだったんだろうと頭を抱えた.

それはもちろん人生経験という体で自分の中で消化するしかなかったが,中高とインセル特化に費やした時間が消えるべくもなく,その次の日はだいぶしんどくなってしまった.客観視が発生したのもこのタイミングで,なんらかの形でこの話を残せば同じ間違いを起こす奴も少なくなると思って,この文章を残すことにした.

あとこれ最初数行で分かるだろう安易タイトル詐欺意図してやったものです.すまん.

こういう人間を産まないために自分の子供にはインターネットを適切に与えてやろうな,塩梅はクソほど難しいが.

じゃあな,お前ら.俺は周回遅れでもまだ諦めたくないんだ.

温泉娘や宇崎ちゃんやたわわは俺に女を与えてはくれないんだ.

これは俺が助長して甘やかしたインセルに対する鎮魂歌だ.

それでは聞いてください,『髪と眉毛整えてコンタクトに変えて服装落ち着かせて大学行ったらゼミの女に「デビュー遅い,もう“無理“だよ君w」と言われたのでTwitterに帰ります』(ここでイントロが流れ始める)

2022-06-04

中学生の頃、なぜかあまり絡んだことのない女の子から突然、付き合おうという話を持ちかけられた。断る理由特になくて、その子に悪い印象もなくて、何より他人からストレート好意を向けられたことが嬉しくて、即オーケーした。何かしばらく話し合って、最終的にはこちから「好き」と言った(言わされた)ような気がする。昔のことをすぐに忘れるので、どんな話をしたのか、どう感じたのかを思い出せない。

よく覚えているのは、学校から一緒に帰っていたこと。海のすぐ近くの学校だったから、グラウンドの裏に防砂林があって、その人気が少ない小道を、その子の家の方向まで歩いた。好きな漫画の話とか、ドラマの話をしたかもしれない。

結局のところ、その子や周りの話から、その子が前に付き合っていた男から振られて、その寂しさを忘れるために駆り出されたのが自分だったようだった。その話を聞いても、あまり嫌な気持ちにはならなかったと思う。その時の自分には、まだ相手を慮る気持ちというのが不足していて、現状に満足していて、未来を疑っていなかった。だから人間関係喪失についても、想像力を持ち合わせていなかった。

半年もしないうちに、自分は振られた。振られた時に何を言ったか、どう感じたのか、よく覚えていない。あまり心が動かなかったのかもしれない。

ずっと後で、実家にあった卒業アルバムに写っていたその子写真を見て、懐かしく美しい思い出に思えた。

anond:20220603162315

イメージできないって()

例えば、中学生カップルが、中学生らしい付き合い方をイメージして付き合ってると思う? まぁ、そんなわけはないよな。

初めは手探りなもんだよ。経験がないかイメージできないってのを言い訳にしてたら、高校生になっても大学生になっても社会人になってもオッサンになっても無理だわ。

そして増田は手探りで結婚なんて……と思ってるだろうが、どれだけ恋愛経験積もうが結婚育児も手探りだわボケカスゥー!!

そもそも気軽な交際なんて、それこそ学生かいいとこ20代前半の頃にしか出来ないぞ。

社会人の女が恋愛(というか相手探し)に割く時間ってのがどれだけ貴重か考えたことあるか? 限られたチャンスを手堅く使わざるを得ないって時に、「結婚を前提にしていない」+「恋愛経験ゼロ」という地雷野郎を選ぶ動機って何さ。

もう一度言うが、気軽な交際とか甘ったれたこと言える歳じゃないんだよ。キツイ言い方をしたが、頑張れ!応援してるぞ!!

2022-06-03

anond:20220603211823

後出し申し訳ないんですが

客観的な人(アドバイザー)に教えてもらいながら

これは不安しかないんですよね

というのは自分社交不安障害という障害でひとまず寛解したのでいろいろ活動し始めたんですが

症状の出方は人それぞれで自分場合特にダメなのが面と向かって指導されたり人前で評価されることなんですよ。

中学生の時少人数指導の塾に通ったけど問題を解いたりしてる時に講師先生に横から見られるのが苦痛しょうがなくてすぐ止めたし

大学ではさら悪化して実験指導で横に付かれると手がブルブル震えてパニックを起こすようになって結局大学中退しました。

メンタルが安定してるのは仕事自分裁量で一人で出来ることでそういう機会がなくなったというのも大きいので

アドバイザー個別指導されるなんていうのは最悪の状況なんですよね。

anond:20220523225431

中学生同士でデートしたときローラーコースター乗ったんだけど上昇中にこれやばいってなって、

ザーザード、ザーザードスクローノーローノスーク唱えはじめたら(中二か)、相手も乗ってきてくれて、

ローラーコースター乗ってる間、二人でいろいろ呪文唱えてた。そんなデートしたやつはいないだろ。うらやめ。

呪文唱えるデートはあるのだ。

anond:20220603170344

編集者志望の中学生ちょっとかっこつけたこと言いたくなっちゃったのかな?

まず素直に作品解釈することを覚えたほうがいいよ。

前提となる君の解釈が間違ってるから

その解釈に基づく「こう描くべき」という指示も間違っているんだよ。

実際の作品描写がそれと乖離するのも当然だよね。

anond:20220602194316

一度ウケたワードをウザがられるまで繰り返す自意識過剰中学生、的な。

anond:20220601131910

自分中学生の頃にネットが発達していて発達障害というもの現在くらいには認知されていて心療内科に行くことに抵抗が無かったならば

もうちょっとマシな人生だっただろうなと思う。あの頃にストラテラでも処方して貰えてたらなあ

最悪、その程度の文化大学時代にあったならばギリギリ間に合ったか

現在40代前半くらいがデッドラインだよな。それより年食ってると発達系はアウトなまま社会に放り出されて完全にアウトな人生になる

(というか普通に氷河期なんで発達じゃなくてもアウトな人は多いけど)

自分状態を知らないまま社会に出て辛酸を舐めてメンタルやられてから医者さんにかかってお薬出して貰っても予後が悪い

社会に出る前にある程度のカタつけておかないと。出先も自分に合ったところ目指さないと。無理

ほんと、生まれ時代ですら「運」でしかないよな

あと、発達は遺伝するなあって思うわ。父親自分そっくりだもん。ポンコツキチガイなところとかさ

だけど妹は母親似でだいぶ違う。別の方向に病んではいるけれども(あっちは母方の鬱系だな)

マトモな血筋に生まれるのも「運」だよな

はー。馬鹿らしい。やめやめ

ポンコツなまま粛々と底辺仕事に励んで薄給を受け取ってくしかねーわ

[]神坂一スレイヤーズ!」

スレイヤーズ入門増田みて原作1巻だけ読んでみた

1巻だけでいいかなとオモタ

アニメ脚本かと思うくらいスカスカな中盤まで、と一気に設定垂れ流してくる後半のバランス悪い

まあ後半の帳尻合わせがなければ、中盤あたりまでの出来なら賞とるのはむずかしかっただろうなと思う感じ

90-00年代電撃文庫文字の小ささと説明過多をラノベだと思ってると、まじでライトライトでびっくりする

ランスっぽさを感じた

とりあえず読んでみる経験はできたのでよかったと思うけど、

読んで良かったとおもえるほど面白くはなかった すまん

やっぱ時代性って大きいね

90年台、もとい80年代後半~=90年台は、TRPGリプレイもどきラノベと言われてたのがすげーおおかった印象あるわ

中学生ときに読んだリウイ高校ときよんだフルメタ面白く感じたけどいま読むと古臭く感じちゃうのかなー

2022-06-02

「コギト・エルゴスム―ある女子中学生日記」という本知ってる?

かなり昔に買ったんだけど最近思い出して本棚から引っ張り出して眺めていた本。私がこれまで読んだ本の中で最も感銘を受けたもののうちの一つ。今見たけどアマゾンで誰もレビュー書いてないのでなんとなくここに書き残しておこうかなと思った。どうやってこの本に出会ったのかは覚えていないけど、まあ私は昔から他人日記の類を読むのが好きだったからその流れで見つけたんだろう。内容をアマゾンから引用

昭和36(1961)年、経済成長を始めた日本の片隅で、向学心に燃え芸術に憧れる少女担任教師へ綴った、交換日記。」

読み始めたところからこの中学生只者ではないぞと思い、この中学生がその後どんな人生を送るんだと気になって一気に読んだ。そしてどんな人生を歩んだかを知って色々と考えさせられた。先生最後に書いた「伸ばせば伸びるだろう才能が思う存分伸ばせる社会を作り度い。あなた文章を読んでいて、その考えがますます強くなった。」という言葉に強く共感した。

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