書こうと思ってたこと考えてたらこれが思い浮かんだのでタイトルにしました。
中学はとっくに卒業した年齢ですが、まだ青二才だと言われる年齢あたりです。だから一種の厨二病みたいなものかもしれません。
特に劇的な悲劇も成功もある訳ではないです。暇つぶしにでもしてください。
私はありがたい事に恵まれた家庭に生まれ、友人で居てくれる子もいて、勉強も特に苦労したことはなく、周りから見たら幸せに生きていると評されるような人生です。このような環境の人ごまんといると思いますし、だからこそ同じようなことを思っていても周りに理解されず相談できなかったと言う人、いるんじゃないでしょうか。そういう人たちに「わかる〜」と言って貰えば幸いです。合わなそうな人はここでやめてください。
(あと結論は最後に書いているのでなんだったらそこまで読み飛ばしてください)
幼少期、少し厳しいくらいの教育的な保護者と軽いいじめにあったことがきっかけで、私は自分の感情が分からなくなりました。環境的にどちらからも逃げることができず、私が行ったのは「これらの事情全てを肯定的に受け止める」ということです。私はいじめっ子のことを「唯一無二の親友」だと思い、家は「私のことを考えて将来を導いてくれているのだ」と心から思っていました。親友からひどく叱責された時も「私のことを考えて言ってくれているのだ」と思い込みました。保護者が面談で「(私)はこのような職業が気になっているようで〜」と言ったときに一蹴してやったと本人から聞いた時も「まあ今好きなことをやらせてもらっているんだからそういうものなのだろう」と思い込みました。
恐らくこのような思考は間違っていると思います。今は間違いだなと思えるようになりました。
ですが親友は今でも親友ですし、順調に保護者の言っていた通りの人生を歩んでいますし、一応は今の状態に納得しています。今では親友は割とまともになって、私の悲しい時は寄り添ってくれて泣いてくれたり、保護者も「別に好きな職に就けばいい」と言ってくれました。
今私は2人に対してどう思えばいいか分かりません。まともになってきたとはいえ、昔のトラウマでキツく詰め寄られると何も言えなくなってしまいますし、本当に将来に納得できているのか分かりませんし、心の底から大好きだとは全く言えません。でも感謝したいこともたくさんあります。
このような幼少期でしたので、私は「他人のために生きる」というのが板に着くようになりました。最初は普通にいじめられたくなかったからです。辛いから。
対面している人が何を望んでいるかを常に考えて動きました。そのとき、「自分の気持ちにウソをつかない」ということを常に意識しました。相手に合わせて意見を変えていたらそれはそれで敵を作ります。
このような状態でしたので、自己主張をできていないと言う訳ではありません。感情がないと言う訳ではありません。ただ、相手によって自分の出す感情は出して、これは友達には合わないなと言う意見は言わないというコミュニケーションの取り方をしていました。
だから、「好き」のような肯定的な感情がよく分からないことがあります。いじめっ子も環境に適応できるように強く思い込めば好きな友達になるので私に嫌いなものはありません。全部が全部好きです。それを対人の時は相手に合わせて出したり引っ込めたりするだけです。
それが10年ほど続きました。友人に初めてこのことを相談したのですが、「好きなものがなんで好きか分からないなんて当たり前じゃない?」と言われました。違うんだよな、と思いました。私はこの環境で生存するために強く強く思い込んだ結果、人を好きになり職に関連する学習内容を好きになりました。それは胸を張って好きだと言えません。でも私にはそれしかありません。
仲良くしてくれる友人たちは、自分の好きなものや嫌いなものがハッキリしています。自分の意見もハッキリしています。とても尊敬しています。私には全くできそうにないので
結論としては単純に「ある程度幸せだけど小さい頃自分の意見を捻じ曲げたせいで今の感情全てに自信が持てない」というものです。このような悩みを持つ人、きっといっぱいいると思います。そして相談もできていないと思います。だってその相談できる人を心からそうだって思えていないから(さっきの相談話も例え話などばかりで要領を得ないものをしてしまったよなと今では反省しています。でもそれが限界でした)
友人たちが大好きです。でも自信を持てません。
いつのまにか10数年経ち、小さい子供だった私は気づいたら成人年齢を超えていました。世間的には大人と言われますでしょうが、自分のこの人格は幼少期からずっと成長していません。外面だけしか成長していないので。
学生さん。特上ロースカツ定食、特上ロースカツ定食をだな。