はてなキーワード: ボコとは
毎日毎日はてな見てもツイッター見ても5ch見てもふたば見てもツイフェミとのネットバトル見せられて、もううんざりですわ
最初は言論には言論で対抗だ!と思っていたがさすがにもう限界だ
ネットバトルをひとたび見ると、俺の脳は言論思考モードになるんだよ
すると血流は脳に集中するんだよ
エロ妄想もする気が起きないし、エロ絵もエロ同人も描く気が起きない
煽り、侮蔑、蔑み、はい論破をウキウキウォッチングするためじゃねえんだぞ!!
ははーん、分かった、こいつら本当はツイフェミと裏で繋がってマッチポンプしてるスパイだな?
その正体は俺達を言論ネットバトルに引き込んでオタクを総ED化させる反エロ工作員ではないか?!
そうに違いない、ついでに男女を離間工作して女性作家特有の繊細なロリ本を供給させない気だな!
もう許せん!俺は闇堕ちした!ネット断ちしてエロ同人描きまくるからな!
そんで稼ぎまくってお望み通りエロ文化を破壊するように規制派団体に献金しまくってやる!
…そりゃごもっとも
【速報】日本代表止まらない快進撃、世界大会ベスト4(平岩康佑) - 個人 - Yahoo!ニュース という記事がホッテントリして実際に応援していた自分としては小躍りしていたが、ブコメが少し荒れていたので。
自分はesports関係者ではないし、観戦し始めたのも一年前からなので間違ってることがあったらすみません
要約
ここから本文
valorantという5対5のゲームがある。攻撃側と防衛側に分かれて、攻撃側は爆弾を設置、爆弾を解除されないように防衛側から爆弾を守り、防衛側は爆弾を設置させないように、設置されたとしてもその爆弾を解除することが目的となる。日本では去年から盛り上がりを見せており、今回の世界大会では国内の同時視聴者が32万人以上を記録している[1]。ただ、valorantでは日本は最弱地域として世界から扱われてきた。去年3回行われた世界大会で勝利したのはわずか1回で、同じアジアの韓国と比べるとアジア内でさえ格下と見られていた。
そして2022年初めての世界大会となるVALORANT Champions Tour 2022: Stage 1 Masters - Reykjavík(以下VCT)に日本代表としてZETAが出場している。日本国内ではZETAと Crazy Raccoon(以下CR)がしのぎを削っており、昨年ZETAは一回しか世界大会に出場しておらず、それも全敗という結果に終わってしまった。ZETAはそれから大きなメンバー変更を行い、既存メンバー2人と新メンバー3人という構成でCRに打ち勝ち、今回の世界大会に臨んでいる。
待ちに待った世界大会一戦目。対戦相手は韓国代表DRX、今まで公式戦でZETAは一勝もできておらず、また同じアジアの国と一回戦目から戦わなければいけないということで自分としては非常に緊張しながら観戦していた。結果は惨敗。VCTでは一度負けてもlowerといって敗者同士で戦う敗者復活戦のような仕組みがある。なので最大2回まで負けることができるのだが、自分含め観戦していた人の多くはDRX戦で日本の活躍に絶望していたと思う。
lower1回戦目はEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)代表の一つであるFnatic。歴史あるチームであり、去年の初めて行われた世界大会では準優勝という結果も残している。今回はビザやコロナの関係で2人のメンバーが代理の選手になっているが、それでも期待値は非常に高く、日本には当然勝つだろうと見られていた。しかし、日本は2-0で"あの"Fnaticに勝利してしまった。この時点で快挙であり、ZETAが掲げていた目標「世界大会で1勝」は達成された。しかし、ZETAの下剋上はここで終わることはなかった。
lower2回戦目はブラジル代表チームの一つであるNIP(Ninjas in Pyjamas)。valorantでは比較的新しいチームであるが、他タイトルでは非常に有名なチームであり、今回も激戦区ブラジルで2位という成績を収め世界大会に出場している。しかしZETAはNIPに2-1で勝利。この勝利によって日本チームとして初めてプレイオフ出場という快挙を成し遂げた。また、下馬評を覆したZETAに世界中から注目が集まりはじめ、応援のハッシュタグである「#ZETAWIN」がtwitterの世界トレンドで1位にもなった[2]。
プレイオフ1回戦目はEMEA2位のチームであるG2 Esports[3]。EMEAという過去二度世界大会で優勝している地域の2位であり、非常に厳しい戦いが予想された。またZETAとしては不幸なことに、次の試合がすぐ次の日の一回戦目であったため、シードとして出場しているG2 Esportsに比べて疲労もある状態での試合だった。結果は0-2で負けてしまったが、試合内容は非常に競っており自分としては、あのG2 Esportsにここまでやるなんて・・・というどちらかというとポジティブな感想を持っていた。プレイオフに出場したのも束の間、またZETAはlowerに落とされてしまった。
プレイオフlower1回戦目はEMEA4位のチーム、Team Liquid。valorant含め様々なタイトルで有名なチームであり、先週以前に「ZETAがTeam Liquidと戦うんだけど、今ならもしかしたら勝てるかもしれない」などと言ったら袋叩きにされるくらいのチームである。しかし、ZETAは2-1でLiquidに勝利してしまった。実況からは「奇跡ではなく軌跡」という台詞が飛び出す快挙をZETAは成し遂げた。(実況の様子:https://twitter.com/valesports_jp/status/1515480002191835138?s=20&t=jexwiTd925wRKL7IVrQTcQ)
ZETAとしても勢いづいているところでプレイオフlower2回戦目は初戦でボコボコにされたDRX。観戦している側としてはここまで来たらどのチームにももしかしたら勝てるんじゃないか、という希望を抱いていたが、やはり初戦の嫌な記憶を思い出してしまう。一日目に2-13, 3-13で負けた相手に勝てるのか・・・?という思いは杞憂で終わった。2-1でDRXにさえZETAが勝利してしまったのである。特に最終マップのスプリットでは13-4で圧倒的大差をつけての勝利だった(用語多くてすみません)。優勝候補の一つとも言われてきたDRXに勝利し、日本代表ZETA DIVISIONはBEST4以上が確定した。それが今日(4/19)のam5:30頃。つまりまだ試合は残っている。BEST4という歴史的快挙を成し遂げてなお、その上をまだ目指すことができる立場にいる。次戦の相手はAPAC地域代表のPaper Rexで23日am2:00から開始される(多分)。twitch, youtubeで配信されるのでぜひ見たことない方も観戦して欲しい。
ついにvalorantがはてなにも認知されるときが来たのか~とホッテントリを見た時は思っていたし、日本のesportsに注目が集まることが嬉しいことだったのでブコメを見た時は非常に悲しい気持ちになった。確かに記事タイトルは誰がなにでBEST4なのかわからないし、普段ゲームをやらない人はサムネの画像がEsportsの選手であると認識するのは難しいと思う。なので1行目にvalorantという記述があっても、valorantを知らない人からしたらわかりにくいというブコメはそんなにおかしいことではないし、それに対して id:pptppc2 さんなどは説明のブコメをしていてこういう人のお陰でesportsが発展していくんだなとも思った。ただ、明らかに対立煽りなブコメや少し過激な発言が上にあったのを見て、少しでも今回の快挙のコンテクストがわかるようにと本記事を書きました。せっかくZETAが歴史的快挙を成し遂げて、優勝も見えてきたのでここは一つ皆で楽しく応援しましょう!個人的にはZETAの躍進と、これからの日本のEsportsの成長が楽しみで仕方がないです。
[1] https://www.valorant4jp.com/2022/04/zeta-division-vs-liquid321valorant.html
[2] https://www.valorant4jp.com/2022/04/zeta-divisionzetawintwitter1.html
[3] EMEA1位はFPXだが、渡航制限により今回は出場していない https://twitter.com/FPX_Esports/status/1508430439991906306?s=20&t=QybalBYLYDfddgovHB1F7w
id:crimsonstarroad こういう解説ありがたい。何と無くイメージついた。卓球みたいな感じで1セット13点先取の3セットマッチなのかな。とすると1ゲームは1分2分?
そうです!卓球と少し違うところは12ラウンド(卓球でいう点)で攻守が交代するのと、一セットごとに戦うマップ(戦場)が変わります。なので卓球でいう1セットはvalorantでは1マップとよく言われます。
1ラウンドは1分40秒なのですが、毎ラウンド開始前に持っているお金で武器を買う時間があるのと、もし攻撃側が爆弾を設置できた場合最大爆破まで45秒かかるのでそれを踏まえると1ラウンド2~3分くらいになると思います。また世界大会では各チーム2回まで(多分)タイムアウトを使用できるので、1マップは結構長くなります(40~60分くらい)
「火山館」で「牢街教会」の中にある見落としてた昇降機から先に行ってみた。
いったん場所が分かってしまえば何で見逃してたのか自分の認知能力を疑いたくなるほど分かりやすい場所にあった。
一見するとただの柱に見えるのが昇降機だったのだけど、横にあるレバーにまったく気づかなかった。
さらに先で行方不明だった「ラーヤ」にも会って、少し迷ってから「忘却の秘薬」を渡すことにした。
渡さない場合は「手紙」が貰えるそうだけど、深刻な絶望の淵にあって「もう殺してください」とか言ってる相手に「それでも現実に向き合うんだ」とか、なかなか言えるもんじゃない。
週初めの月曜ということもあって「人生、知らないで済むなら、そのままの方がいいこともあるよな…」とか、なんだか鬱になるイベントだった。
「火山館」の「石剣の鍵」使う場所とか残りエリアを踏破するのにわりと時間かかってしまい、あとはルーン稼ぎと武器強化をすることに。
やる気がないのも影響してか、ルーン稼ぎなのはずが度々雑魚敵にボコられて無一文になり、だんだん心が虚無になってくる(夜11時頃)。
いくつか武器を強化するも、どの武器を伸ばして、どうゆうビルドにするかとか画面を前に悩みつつ、圧倒的に低レベルの雑魚相手に試し切りとかしてたら、虚無が深まって、いつの間にか深夜3時になってしまった。
今現在、寝不足で頭はっきりしないし、なんだかテンションも低いし、もちろん仕事なんてやる気でない。
エルデンリング、ボスを撃破するくらいのまとまった(何度でもYOU DIEDする)時間が取れない日には手を出しちゃいかんのかもしれん。
とか言いつつ、やっちゃんだろうけどな。
これ書きながら「火山館」についてさらに調べてると、まだ解放してない祝福「地の底の責問所」があることが判明(まだあるのかよ!)。
そういや、パッチが「鉄製の乙女人形」がどうとか言ってたけど、「学び舎の一室」に近い水車で降った先の話だったのか…。
もし「魔術学院」途中で「火山館」とか転送されたら絶望しかないし、無視で正解だったような気もするが、どうなんだ。
「乙女人形」すごい苦手なんで気が進まないけど、後で行ってみるか…。
以下、今週の残目標
他にもあるとは思うけどネ
APEXはアイテムとかチーム制とかを採用してこの辺上手にカバーしてるから流行ってるのかな~なんて考えた。
やったことないけど。
「魔術街サリア」を先に進んで「ミリセント」のイベントを進める。
片手を病気で失っても?使命を思い出して旅に出ると言う。なんだか大変そうな人だ。
「腐れ病の教会」のメッセージ見るに、わりと人気のキャラなんだろか。
「腐れ病の教会」近くに地下墓へのヒントを示す像あったので探してみるも、なぜか辿り着いたのが「英霊たちの地下墓」で、騎士の集団戦に巻き込まれてボコボコにされ退却。
どうやら正解の地下墓は「サリアの隠し洞窟」のようだけど、オープンワールドの隠し扉はさすがに見つけづらい。
ここは後回しでいいか…。
今度は「火山館」に行ってイベントが進むか確認するも「ラーヤ」が居なくなっただけで、とくに変化ない模様。
「火山館」出てずんずん進んだ先にある祝福(罪人送りの道?)近くにいる「死ぬと巨人化する燃えてる人(名前不明、即死攻撃うざい)」と「爛れた樹霊」を撃破。
「小黄金樹」の先に進めば、どこか新しいエリアに行けるかと期待したけど、とくに収穫なし。
そろそろ「王都ローデイル」で「最初の王ゴッドフレイ」から進んだ先にあるボス部屋に入らんといかんのだろうか。
なんだか、ここ最近は「火山館」と「王都ローデイル」でループしてるな…。
「祝福の導き」はいっぱいあるけど、てんで方向バラバラで、次にどこに行けばいいか迷ってしまう。
けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。
来月辺りに広瀬すずと松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。
著者の凪良ゆう先生はBL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。
主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女は放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛けて読書をして時間を潰すようになる。
公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。
更紗が伯母の家での暮らしに限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。
ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまうストックホルム症候群にしか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語。
なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。
ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実は真実とは違うということがわかりました。わたしも無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳の時間の小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。
まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児の可愛い言動や性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児と誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為そのものは生々しく描写されはしないので、虐待描写のオカズ化は防がれている。そういう意味では安心。
未成年者略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。
現実にも起こりうる、子供が被害に遭う犯罪とその冤罪。当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者・加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏な日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語のネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。
個人的な好き嫌いのことをいえば、センシティブなネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年者略取の罪を犯したと思ったら実はそいつは小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。
『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまり好きじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せに暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実と真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。
だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。
事実と真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。
たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身の母親や、同僚の子持ち女性の自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分の恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽に辛酸をなめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い、精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分の人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから、最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしまう余地が読者には与えられている。
一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解も共感も彼女は拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランス。DV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。
また、他人の無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。
後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意やちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写が妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。
にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説が安易な共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分の意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。
さて、以下は凪良ゆう先生のBL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。
主人公の平良は吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト最底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメのターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。
そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境をものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。
凪良ゆう先生のBL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズである。イジメの被害者と加害者のカップリング。主人公の平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手の人間性や共通の体験についての見方ががらりと変わる。事実と真実は違うとはまさにこのこと。
幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親が鉢合わせたことにより、にいちゃんは逮捕されてしまう。
数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃんの行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈な性的虐待を加えるのだった。
ほんものの小児性愛者でしかも性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群な高校生のカップリング。虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写がゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である。
腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父と性的な関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。
そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語。最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。
はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児の物語だが、やはりこれも事実と真実は違う系。ところが真実は事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。
第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章は家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。
私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。
映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまり好きじゃないな。
酷暑の真夏、若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手に糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女の祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。
小説にしか描けない現実があるとして、実際に起こった事件をモチーフに書かれたフィクション小説である。
児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプの社会的弱者の物語。著者の山田詠美先生は自由な女性の恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品。
河瀬さんが訳の分からんことを言って左右を超えて四面楚歌になってる件、当然はてブでも叩かれていた。
[B! ロシア] 東大で入学式 来賓の河瀬直美氏 「ロシアを悪者にすることは簡単」:朝日新聞デジタル
問題になったのはこの部分なわけだが…。
管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。
このうちの「悪者にすることは簡単」の部分がタイトルになって特に叩かれた部分なのでそこを中心にこの増田を書くとしよう。
これ、ネットで一時期流行ってた類の陳腐な正義の暴走論じゃないの?実際にこの祝辞を抽象化してみようか。
(2) 正義と正義がぶつかり合っていると考え両者の意見をよく聞いてみることが必要ではないだろうか。
(3) 悪と断じて切り離すよりも自分事として自省することが大事だ。
この(1)(2)は正義の暴走論における典型パターンだ。まあ正義の暴走論でなくても一方的に悪のレッテルを貼り糾弾することはよくないことだという論法はよくある。
悪と認定することについて例を出せば、ナチスについて「絶対悪」だと論じた記事にも「世の中に『絶対悪』などと言うものが存在するという考え方も十分危険」「絶対悪とか言い出す人って、時代が違えばホロコーストやってた方なんじゃないかと思う」というコメントがついた。あのナチスですら、だ。
[B! 歴史] 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)
それとも「世の中に『絶対悪』などと言うものが存在するという考え方も十分危険」と「誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」には大きな差があるだろうか。「絶対悪」と「悪」は違うということなの?
「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」という文章があると意味が変わるとか?それならこの部分を叩くべきなのでは?
まあ、そもそもきっと恐らく同じ人が書いているわけではないだろう(両はてブで誰がどんなコメントをしているか比べるつもりはない)から、一方が優勢なら他方は黙って他方が優勢なら一方を黙って様子を窺っているだけで意見が変動したように見えるだけだとも言えるかもしれない。
ただ、正義の暴走論って例えば「何かを悪だと決めつけるのは危険だ。ファシズムだって正義の暴走から始まった」って議論が数年前ツイッターとかで起こったらしいけど、こんな感じである意味将来惨禍を起こさないようにする謙抑的な目的を持った思想でもあったはずなんだよね。個人的にはこういった論は期せずして矮小化や擁護に繋がってしまいがちではと危惧するし悪しき価値相対主義に陥りそうで不安になるんだが、一方で自省的な側面に意義があるとも思ってたわけです。
つまりこういう時どう考えても悪(いや侵略行為はどう考えても「悪」でしょ?何か時代によって価値観は変わるからって言う人もいるけどそういう話ではなく)だと考えられる行為を行っているものが悪認定されてボコボコに言われていれば言われているほどこういう論が出てこないとその意義は達せられないよなと思うとこもあって…。いや言い出しにくいよ。現にナチスがユダヤを虐殺している最中に「絶対悪が存在するのと考えるのは危険」なんて言ってみ?最悪だよね。人格を疑われて当然だと思う。でも誰もが悪だと考えている時に異議申し立てしてこそという話になるのでは感はある。
でもそれができずに過去の出来事に適用して話をするだけなら意味もなく矮小化しかねないリスクを伴うだけでどうしようもない論法じゃね?まあくだらないことで炎上した人を過剰な叩きから庇うことには使えてるからいいのかな?中途半端な理解で口を出して火に油になるパターンもあるけどそれは使い方が悪いということで。
なんでさ、橋下も東もバチボコじゃん