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はてなキーワード: バットとは

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-12-30

バットの材質が2つしかないので増やしたい

バットの材質、この2つしかない

金属アルミ合金

・木

なんかもっと、すごく飛ぶバット材料はないの?

今時「木製」って、おかしくない?

硬いゴムバットとか、スプリングバットとか、増やせばいいのに

2022-12-29

音楽理論挫折した」とか言ってるバカネット見てアホ面してないで

ラモーンズみたいなスリコードパンクなら数秒で弾けるようになるんだからまず現実の曲を弾けるようになれ

現実の曲をいくつかコピーしたら曲の流れにパターンがあることがなんとなく体感できる

この体感的なもの言葉にして少し複雑なところまで踏み込んでいったもの音楽理論しかない

音楽理論勉強するぞと思って漫然とネットサーフィンして結局分からなかったで終わってる奴は

家にバット一本もないくせにうねり打法ホームラン打とうとしてバッティング理論本読んでる無意味オタクと何も変わらない

まず体を動かせ体を

2022-12-27

anond:20221226201351

Wikipedia日本語版タイトルから検索しておいたよ。

あっちこっち

あっぷあっぷ

ほっともっと

もっと桃っ娘

やっちゃった

アックアック

アックトップ

アップセット

アッ・サッフ

イットバッグ

ウッチャッサ

ウッドチップ

ウッドデッキ

エッグカップ

エッグノッグ

エッジウッド

オッソブッコ

オットリッチ

オットロット

カッサテッラ

カッシネッレ

カッチュッコ

カットアップ

カットガット

カットグット

カットバック

カットレット

カップヘッド

カップワッズ

キックバック

キッズグッズ

キッズネット

キットカット

キッドカット

キッドナップ

クックカップ

クックパット

クックパッド

クックピット

グッとラック

グッドウッド

グッドプット

グッドラック

グッドリッチ

ゲットアップ

ゲットバック

ゲットラック

コックコック

コックピット

コッタネッロ

コッレパッソ

ゴッタセッカ

ゴッドリッチ

サックバット

サックパック

サッタヒップ

サップウッド

ザックパック

シットアップ

シットヘッド

シップレック

シップロック

ジックザック

ジッグザッグ

ジップロック

スッパラッパ

ズッカレッロ

セッテベッロ

セットアップ

セットバック

ソックタッチ

タックトップ

タッグアップ

タッグマッチ

タッチアップ

タッチパット

タッチパッド

タッチフット

タップリット

チックタック

チックリット

チッタデッラ

チップキック

チップセット

チップレット

テックボット

テッドラッソ

デッキリッド

デッドウッド

デッドヘッズ

デッドヘッド

デッドロック

トッテリッジ

トップハット

ドッグウッド

ドッグレッグ

ドッダベッタ

ドットネット

ドットハック

ドットマック

ドットマップ

ナッジナッジ

ナッツメッグ

ナッドサット

ナップサック

ナップザック

ニッカボッカ

ニッカポッカ

ニックカッツ

ニックナック

ネッツカップ

ネットアップ

ネットトップ

ネットハック

ネットブック

ネットロック

ノックノック

ノッチバック

ハッチバック

ハットラック

バッキアッカ

バックアップ

バックネット

バックパック

バックラッシ

バッハラッハ

パッとサッと

パックボット

パッサテッリ

パッソセッテ

パッドフット

パッドロック

ヒッチコック

ヒットビット

ヒップアップ

ヒップホップ

ヒップポップ

ビックハット

ビックマック

ビッグウッド

ビッグエッグ

ビッグシップ

ビッグトップ

ビッグドック

ビッグドッグ

ビッグハット

ビッグヒップ

ビッグフット

ビッグヘッド

ビッグホップ

ビッグポップ

ビッグマック

ビッグリップ

ビットマップ

ピックアップ

ピッチアップ

ピッツェッタ

フックアップ

フットバッグ

フットマップ

ブックマッチ

ブックレット

ブッジェッル

ブッツバッハ

ヘッジホッグ

ヘッセネック

ヘッドセット

ヘッドバット

ヘッドバッド

ヘッドロック

ベッツェッカ

ペッシネット

ペッパピッグ

ホッグバック

ホットクック

ホットドック

ホットドッグ

ホットハッチ

ホットモック

ホットラッツ

ホットロッド

ホップホップ

ボッティッダ

ボットネット

ポッツァッロ

ポッツィッリ

ポップアップ

ポップラップ

ポップロック

マックチップ

マックハック

マックブック

マックミック

マックルック

マッシニッサ

マッタレッラ

マッチカット

マッチロック

マットパット

マッドドッグ

ミックマック

ミッサネッロ

ミッドシップ

ミップマップ

モックアップ

ヨックモック

ラックサック

ラットリッジ

ラッドボッド

ラップトップ

ラップロック

リッチドッグ

ルックバック

レッグカット

レッケレッカ

レッジェッロ

レッツタップ

レッドウッド

レッドエッジ

レッドゴッド

レッドチップ

レッドドッグ

レッドネック

レッドハット

レッドブック

レッドボット

レッドボッド

レッドロック

ロッカセッカ

ロックアップ

ロックウッド

ロックナット

ロックバット

ロッグウッド

ロットアップ

ロットロット

ワッツアップ

ワップマップ

笑って笑って

2022-12-26

E.Gコンバット続編

ファミコンソフトメタルスレイダーグローリー」を原作にしたライトノベル「E.Gコンバット」って言う作品がある。

20年前に最新刊の3巻が発売されて、最終巻になる予定の4巻がいまだに発売されない、それなりに有名な未完のライトノベルである

ライトノベルの作者のオフレコ的な発言を信じるなら、出版する可能性は限りなく低そうなんだけど「メタルスレイダーグローリー」の原作であるよしみる」氏が定期的に「E.Gコンバットの4巻が出ます」とTwitter発言してる。

よしみる氏のツイート検索すると10年ほど前から同じように「出るかどうかまだわかりません!!」「これで出なかったらもう無理です!」「小説家さん頑張って!」とか「出ます!」という発言を繰り返してそのたびに何も起こらず話題が立ち消えになってる。

みんな慣れてきて「またそんな季節ね」とか受け流してたんだけど、先日「1月2月にE.Gコンバット電子版が出ます!」と言い出して、ちょっと界隈がざわついてる。

E.Gコンバットカドカワ電撃文庫から出ているんだが絶版ラノベにはプレ値が付いて取引されている。

それに対する措置として電子版が出る!というのはありそうな話で、さらに「E.Gコンバットの4が出るからその布石なのか?」とか盛り上がりもあったりした。

「あの未完の大作E.Gコンバットの最終巻が!既刊を未読のかたは電子版を読んでください!」みたいな商売的な戦略で。

しかし、いまだにカドカワ新刊予定にもkindleの予定にもタイトルは見つけられず「またいつものヤツじゃない?」と周囲は冷静になりつつある。

よしみる氏のTwitterを見ると、自分メタルスレイダーグローリーコミカライズを描いて、それをパトロンサイトに載せている以外、作家業の活動は見受けられない。そして、そのコミカライズの反応もほぼ見かけない。

Twitter検索して、話題になるのは過去に作ったゲームソフトと、小説家の描いたノベライズばかりだった。

才能のなくなった作家はこうやって目立つためには何でもするようになるのだろうか?悲しい話だ。

2022-12-19

今年60になる近所のオッサン

毛布巻いたバット顔面フルスイング10

野球部入部の儀式だったと武勇伝のように語ってたな

どこの部族聖人儀式だよ

2022-12-09

anond:20221209163523

道具だけ見たらそうなんだけど、お互いのスポーツルール押し付け合いでどちらが勝利するか、という点が勝敗を分ける。

皮肉なことだが、サッカールール押し付け合いに勝利した場合攻守の切り替えなくボールを追う形になるからボールに近いプレーヤーバットで殴って逆マリーシアをすることで、相手プレーヤーを削ることができる野球勝利する。

野球ルールが押し勝った場合は、攻守の順序によって勝敗が別れる。サッカーが後攻であえてデッドボールバッター顔面に最高のフリーキックをお見舞いする)ことができれば、ワンチャン勝利に近付くことができる。

ルール押し付け合いは、より洗練されたルールが他のルールを上書きする。(領域展開方式

anond:20221209081150

「その愛着あるジグザグバットを握りしめて打席に立つバッター伊武。ピッチャー小林振りかぶって投げました。ボール!」

「すっぽ抜けましたね。若いから力みすぎるんですね。」

「そうですねー桑原さん。完全なボールでした。」

anond:20221209080324

桑原さん、ここまでノーヒットの伊武ですがここで一発出るかどうかですね」

はい特にね彼のバットに注目してください。素人のみなさんにはわかりにくいかもしれませんがすこーし左に曲がってるんですね。彼はこの曲がり方が気に入ってもう4年もこのバットを使ってるんです。」

2022-12-07

野球<”ホワ球””手打ち”"三角ベース"

数十年前の小学生からのアンサー

グローブ不要

・二人居ればキャッチボール余裕

・壁有れば二人でピッチャーバッターできる(野球の半分よりは多いかはともかくとして、二人でやる⚽もどき同等かそれ以上)

バット不要

・後から来ても参加可能だし、道具要らない

ベースなんて石ころあればできる

サッカーボールって結構な値段するが、ホワ球は100円とか、100円で数個入りもある


これに勝てるのって、それこそドッヂボールとか、名前忘れたけど、マンホールを塁に見立てて、往復盗塁するみたいな遊び(野球+ドッヂみたいなやつ)。

そもそも世界野球が不人気だから手打ち野球)とか流行らなかったんだろうけど

仮に野球人気が広がってるなら、サッカーもどきよりも気軽じゃねーかとすら(バットコントロールだけは身につかないが)

まあ空き地いから、フットサルとか3on3みたいなのじゃなくてもっとサッカーサッカーしてるのがプレイできるってのが海外事情なのかもだけど

anond:20221206163524

ホワ球:当たっても痛くない万能の野球ボールサイズの球。地元ではそう呼んでたけど、他の地方では知らんし始めて文字で打ったから、それまでは音としてのほわきゅーとしか認識してなかった

透明ランナー:少人数でのプレイ必須揉め事の原因になりがちだが進塁条件とかが整理されないがち

2022-12-06

WBCは無理だって

オリンピックで痛感したけど野球世界的にやってない

ヨーロッパで広めよう、みたいな動きがあったけど全然広まってない

北米アジアの一部だけでしかやってないし

結局はアメリカドミニカ日本韓国の3カ国しかまともにやってない

素直に日本シリーズ1位とメジャー優勝チーム韓国台湾ぐらいでやる方がまだ面白そうだわ

野球未来結構暗くて

アメリカアメフトシフトしていってるし

日本韓国フィジカルエリートサッカーに向かいつつある

こんな状況で先が無いスポーツ投資する国はないから他の国に拡がりようがない

そもそもグローブボールの二つがいる時点でハードルが高すぎる

ボールはどうにかなってもグローブは値段も張るし使いにくい

しかも一人では遊べないし、ふらっと来た友達に「キャッチボールしよう」って言ってもグローブなかったらできない

そんでキャッチボールできたとしても野球の半分しかやってないし

バット振り回すには相当広めの公園なりが必要

サッカーならボールがあれば後から来た子でも入っていけるし道具もいらない

ゴールなんて石ころ二つあればできるし抜いたら1点股抜き2点みたいなこともやってた

状況に合わせていろんな遊び方ができるし人数制限ほとんど関係ない

子供ドッジボールが人気なのも似たような話じゃ無いか

未だに公園でみんなドッジボールやってる 令和なのに

野球世界的なスポーツ大会になるのはちょっと無理じゃないのかな

ルックとかの方が先があると思う

anond:20221206075527

耳鼻科治療風景って独特だったよな。

私は鼻の奥が腫れる感じで鼻が通らなくなる症状だったので鼻洗浄は受けなかったが、細長いステンレス製の吸引機みたいのを鼻の奥に突っ込まれて鼻水をチュッと吸引されていた。蓄膿系の人たちが鼻の中を洗浄して膿状の鼻水を銀色バットにドバドバ出している様子は壮観だった。

そうして、誰も彼もが最後は変な機械の前に座って変な気体を鼻から吸い込む儀式で〆る。あれ、効いたのだろうか。今もやっているのだろうか。

2022-12-03

はげっくすさんの事件

hagexさんってバットエンドなキリトだったよな。

2022-12-01

酷い目に遭わされたときにその場で暴れたり大揉めできるタイプの人が羨ましい。憧れすら抱く

学生時代友達と3人で深夜にドライブしていたときに起きた事件だけど。

ドライブの途中から後部座席でずーっと爆睡していた俺がふと目覚めると、根っからの車オタクのB君が運転初心者のA君に対して助手席からなにやら怒っていた。

「120出せ!!いいから出せよなにやってんだよ!!」


制限速度50キロだぞ!」

とA君がイライラしながら返すとB君は

バカお前、こんな夜中の幹線道路じゃ飛ばすのが当たり前なんだよ。せめて100出せ!!周りに迷惑するから!!」

と呆れて言った。

真に受けたA君がアクセル踏み込み100くらい出したら、真後ろについて走ってたシャコタンヤン車がすぐさまF1グランプリみたいな挙動で僕らの車をぶち抜き一瞬で真ん前を陣取って急ブレーキを踏んできた。

続けてそのヤン車がかっ飛ばして遠く先へ行ってしまたかと思うと、今度は真っ赤なブレーキランプを凄い速さで点滅させて急減速し、僕らを追いつかせた。

その後、急発進、急減速を何度か繰り返してようやくヤン車は本当にどっかへ行ってくれた。

運転席のA君がわなわな震えながら

「お前の言う通りにしたらめちゃくちゃ怒らせたじゃねえかよ……」

と責めると助手席のB君はスマホをいじりながら一瞥もくれずに

プリウスときがいきって飛ばしてんじゃねえよって向こうも怒るよそりゃ」

と完全に他人事でつぶやいた。

A君はしばらく絶句していた。俺も衝撃を受けていた。

前々から疑ってはいたけど多分B君は発達障害だったんだと思う。今でもそう思う。



A君は黙って車を路肩に停めると、

「おめえ降りろ。二度と連絡してくんな」

と凄んで車外に出ると、喚き散らすB君の襟首をつかんで本当にそのまま引きずり下ろし、俺だけを乗せてとっとと車を出してしまった。




俺にはこういうことが絶対にできない。

「こんな目に遭わされたら相手をやっつけて当然だ。その行動をもっともらしく非難なんてされたらとてもじゃないけど許せねえ」

的なシチュエーション

第三者から無理くりどっちもどっち的な断罪をされる

②「ていうかカッとする奴とか軽蔑するわー」と敵に回られて冷めた態度でヘゲモニーを握られる

こういうコンボをかまされて絶望ドン底に落とされた幼少期のトラウマがあって暴れたり揉めたりが本当にできない人間になってしまった。


つい数か月前に俺自身凄い理不尽体験をしたのだけれどやっぱり怒りをぶちまけられずに終わった。

突然友達から明日俺の草野球チームの試合があるんだけどどうしても9人揃わないから来てほしい!」と頼み込まれ野球素人だけどしぶしぶ了承し、当日そいつと一緒にグラウンドに出向いたら、

13人くらい普通にそろっていて、他のメンバーから「誰こいつ」的にひたすら困惑され、仕方なくベンチでぼーっと試合を見守っていたら、

メンバーオッサンから「黙って座ってないでバット引きに行けよ!」とか「ファールボール取りに行けよ、相手チームにだけやらせて悪いと思わねえのかよ」と普通に怒られまくる、

という理不尽の塊みたいな目に遭わされたけど、俺が実際に取れた行動といったら

試合途中に誰にも告げずに怒り心頭帰宅する”

程度にすぎなかった。

その場でブチ切れるとかやっぱりどう考えても不可能だった。

から、酷い目に遭わされたときにその場で暴れたり大揉めできるタイプの人が本当に羨ましい。

そういう人のほうが人間として正しいとすら思える。


そういうタイプ人間になるにはどういうコツがあるんだろうか?

またそういう行動を取ってもあとあと社会的な損を被らないテクニックにはどんなものがあるのだろうか?

ちなみに前述した運転手のA君は「あいつにこんな酷いことされた!!」とB君によって触れ回られていたけど、A君自身は周囲から評価をなんら下げていなかった。

2022-11-28

サッカー日本代表ことなんだけど

連動のある攻撃が出来ていないのはわかった。見ればわかるから。ただなぜいつまでたっても出来るようにならないのかがどの解説記事でも説明されていなくてスッキリしない。

4年間ずっと当事者である監督選手は指摘されてきたはずなのにどうして出来ないままなのかがさっぱりわからない。プレー経験のない素人が訳知り顔で講釈していることを人生の全てをサッカーに打ち込んでいる人たちが出来ない理由を知りたいんだよ。おそらく関係者が全員わかっているのに出来ないことを監督無能から一言で片付けられると流石にそれはないだろうと思ってしまう。そういうブコメをいくつも見たけど専門家への最低限の敬意が欠けている。たとえばコロナ関連でもよく見る風潮だけど本当に良くない。

サッカー世界ではこのプレーをするにはどういうトレーニング必要でおおよそどれくらいの時間をかければこれくらいは出来るのが普通みたいな共通認識があって批判してるの?具体的にどういう指導をすべきか、あるいは足りていないか理解しているの?結局素人が言ってることってボールをよく見てタイミングよく力一杯バットを振ればホームランになるよみたいなアドバイスだったりするんじゃないの?わからん

2022-11-24

anond:20221124122344

もし一軒家なら生豆を煎ろうぜ

マンションアパートだと煙でなんか言われるかもだからアレだけど

ダイソーの500円の蓋付き片手鍋とコンロがあればできる

ステンレスバット園芸用ザル(荒目と細かめ)とうちわいるかな、どれも100均で買える

2022-11-10

anond:20221109011021

俺が子供だった40年前も何もルール説明せずいきなり野球やらせたぞ教師は。

それで思った通り動かないからって大さわぎしてた。

いやボールバットに向かって投げてバット振り回すらしい、しかしらんが?って思ったよ

2022-11-09

anond:20221109011021

40年近く某県の県立高校教員をやった者だ。全員で手助けして野球を続けたなんて まさに教育の成果だなと感心した。私が最初に勤務した工業高校なんて球技大会のあとの喧嘩沙汰が絶えなかったので、しばらくは野球などを行う球技大会と聞くと憂鬱な気分になったものだ。

さて、私の勤務した県では大概どの学校にも学期末に球技大会があって、その業務の一部を私も分担してきた。生徒たちの球技を長い間見てきて非常に印象深いことがあった。野球ソフトボールものすごく下手になってきたのと引き換えに、サッカーレベルが上がったのだ。

私はもう定年退職してしまったのだが、最後に勤めた学校入試偏差値の低い、いろいろと問題を抱え外国籍の生徒もそれなりにいる高校だったのだが、体育の教員職員室で「バットボールに当たらない、たまに当たっても三塁側に走り出す子がいる」と嘆いていたことがあった。球技大会でも男子ボールがマウンドからホームベースまで届かない子もいた。その学校球技大会種目は野球ではなくソフトボールだったのでボール野球のものよりもやや重ものだったが、それにしてもピッチャーの投げる球がワンバウンドしてしまうのだった。(ピッチャーを交代させれば良いのにと思ったが、おそらくそのチームは全員似たような感じなのかも)

逆にサッカーなどは状況が全然違い。私が教員になりたての頃よりどのチームも格段に上手だった。私が新米教員の頃は、サッカーをやるとなるとほぼ全員がボールとともに動いていたのだった。生徒の集団がゴールとゴールの間を行ったり来たりする感じ。しかし、たしかJリーグが発足した頃からかと思うが、次第に選手たちのポジション取りが明確になって、ボールパスし合う光景がみられるようになった。最後に勤務した学校ではソフトボールものすごく下手くそだったが、サッカーはとてもうまかった。オフサイドトラップなどを仕掛けるチームもいて、私の教員になった頃とは雲泥の差だなと関心したのだった。

いち田舎教員の拙い経験だが、なんとなくこれと似たようなことが全国で起こっているような気がしてならない。あと数十年たつとどうなるのだろうか。

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