はてなキーワード: スプーンとは
・BifiXヨーグルト
・ミューズリー(自分はカントリーファーム ハイファイバーミューズリーをよく食べる)
・バナナ
・おからパウダースプーン1杯分(たまに忘れるけど問題ないから別にいらないかも)
これを混ぜて毎朝食べる、自分はこれで便通安定した。ミューズリーは前日夜からヨーグルトに漬けて置くと良い。バナナは食べるときに。皮を剥いてまるまる1本入れて、スプーンで切って食べると包丁いらずで楽。マナーなんぞ知るか。
旅行行ったり環境が変わると出なくなるんだけど、これやればなんとなく修正できる。
ヨーグルトに関しては別のものを試したことがないから、別のものでも大丈夫かも。というか人によって合う合わないありそう。
まぁまぁキモい見た目だけど、バナナの甘さでなんとか食べれる。甘さが足りない・バナナがないときは、なんとなく健康に良さそうな蜂蜜をかけてごまかしごまかし食べている。
自分の体質はこれでなんとかなったけど、多分人による。色々試してみて効くものがあるといいな。良いのが見つかったら教えてくれ。
ちなみに自分的に効かなかったもの(これも多分人によるから参考程度)
・のの字マッサージ
・湯船に浸かる(だけじゃ効果なかった)
・なるべく多く野菜を食べる(だけじゃ効果なかったというか、他の排便マイナス要素に勝てなかった。たとえば、旅行中なるべく食物繊維の多そうな野菜を食べるようにしても、結局環境が違うマイナスが大きすぎて便秘になってしまうことが多かった)
親はいつまで仕事しているのか、いつまで生きているのかと漠然とした不安感を覚えて嫌になるな。実家暮らしで家賃と光熱費をありがたく浮かせてもらってるので。
でも片親がはやめに死んだこともあっていつまでも生きているとは限らないし、本当の別れは急なのである。
だから毎日死別の覚悟を薄っすらとしているのに行動に移せていない。いつまで仕事をつづけるのか、老後の生活は大丈夫なのか、終活をする気はないのか。そう問いたいけど、これは死んでほしいと言っているようで嫌になる。
そんなわけない。むしろ生きてほしい。
それはやはり家賃と光熱費が浮くという個人の利益は大きいけど、死んでほしいという気持ちはないから、生きてほしいという気持ちになるのか。
人間、いきなりの変化に弱いと思う。コロナ禍初期の東京はそうだった。パニックになって攻撃的だった。通勤電車でスーツ姿の男性がオフィスカジュアルの女性の足を蹴ったり、松屋で透明ビニールの存在を無視してカウンターの奥に顔をつっこんでツバを飛ばしながらスプーン! と叫んでいた爺さんがいた。
後者はもしかしたら普通だった世界でもいたかもしれないけど、前者はたぶんコロナ禍によって生まれた存在だ。
それまで引きこもりリモート業務推奨されていたのが一転、感染経路または感染したらどうなるのかがよく分からない状態で出社しなければならないのだから、みんなビクビクする。電車内の空気は張りつめていた。
今はもう誰かの足を蹴るようなスペースも動ける暇もないほど、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だ。ただ一つ大きく変わったのは「降ります」という掛け声を誰もしなくなった。電車内では喋ってはいけないという、あくまで東京の電車ローカルの範囲だけど、そういう決まりが雰囲気によって定められている気がする。降りますって言わない。その代わりガンガンぶつかる。
もし4月から東京へ上京する社会人は「降ります」って絶対言ってほしい。大きな声で「降ります」は素晴らしい行動なので。前の人を押すのは「降ります」と言ってもがたくなに動かないだった場合だ。
で、すごい話しずれた。戻す。戻すと言っても何だったかな。
今の環境が変わる(かもしれない)という、未知のタイミングへの不安。よく未来を知ると人生が面白くなくなるって漫画であるけど、自分は反対だ。むしろ安心する。ゲームでも先に攻略方法を知ってからプレイするので嘘にはなっていないと思う。見えない、分からないことが本当にこわい。
かといって、すべて解決できるほどのお金なんてないし、ロトはニアピンばっかり。今日はバレンタインジャンボの抽選日だけど300円しか当たらないだろう。競馬が予想しやすくて、当たりやすいし、なにより賭ける相手が馬だ。馬へラブコールと思えば賭けてもいい。
……と、ギャンブルでなんとかしようとする自分の思考回路から察するに、投資や会社設立して儲けようとか、経済を動かす方面で金を工面する能力が本当にない。プロデューサー向いてないなと考え続けると悲観一直線なのでこの話はやめます。
せっかくの金曜日だし、仕事終わったら本屋に行って業界本いろいろ漁ろ!
あと2分で支度しないと遅刻するのでひとまずここまで。書いているうちに気持ち落ち着いてきた。朝から長文失礼。はてな匿名ダイアリーを作った、またサービスを維持しているはてなの方ありがとう。
以下の文章は単純に書いて飛ばしていたのだが、わりと良い文章なので載せてくれ。↓
素直に死にたいと思って起床する。太陽の下を通勤するときはそんなものはないし清々しいから太陽って偉大。目を開けたときが一番暗い。ずっと眠っていたい。夢を見なくてもいいから。
マグカップ、フライパン、フライ返し、ホットケーキを置いた皿……これは仕方が無い。
練ったスプーン、バターナイフ、ジャムスプーン、フォーク……自分はこれらを木製無塗装のカレースプーンひとつですませる。
・タネを練った後に軽く洗う。
・まずジャムをすくう。ジャムをすくうときは、スプーンの尾の方で。
・次にバターを削る
・食べる。
カレースプーンでホットケーキを食べるのを行儀が悪いとするなら、洗い物が増えても仕方ないと思わねば。
自分なら深めの皿かお椀でホットケーキミックスを練って、焼いている間にスプーンと一緒に洗い、スプーンでホットケーキをひっくり返し、お椀にホットケーキを入れて食べるだろう。
いつも木べらと同じ感覚で木製カレースプーンを使って炒め物をし、そのまま食事している。生肉を炒めた時はささっと洗剤をたらしたスポンジで洗ってる。
一人暮らしのぐうたらな自炊ってそういう無骨無粋の極みだよ。
買って放置していたホットケーキミックスを棚に見つけて、小腹の足しにレンチンしようとした。
マグカップにドサっと粉を入れて適当に牛乳入れてスプーンで練って、終わり。もちろんこのスプーンはレンチンの間は口にくわえてて、そのまま食べるのに使うよね。
でもこの日は違った。マグカップの中の練った生地を見て、これフライパンで焼いてなんか乗せればもっとうまいかもねと頭によぎってしまった。
焼いてブルーベリージャムとバター付けて食べてうまかった。けどね。
出来た量に比して洗い物が多すぎる。
マグカップに、練ったスプーンに、フライパンに、フライ返しに、バターナイフに、ジャム用スプーンに、ホットケーキ置いた皿に、フォーク。
最近さ、
ずっとお昼のランチタイムは本をもって喫茶店にずーっと時間までいたりキーボードの付いた電子端末を持ち込んでなにかを取り組んで文字を打ち込んでいるんだけど、
まったく同じお店に通っていると
それはそれで楽チンだけれど、
新しい情報がまったく入ってこないのよね!
つまり
あたらしい街のニュースを取り入れないと
ネタが無くなっちゃうことに出会うことの確立が低くなるような気がして、
なんだかそれに気付いたのよね。
だからたまにはいつものお店とは別のところに通り道向かいのそういうお店でもいいじゃない。
いつも同じところをループしていると気付いた時は
ふと隣の行く回数の頻度が少ないお店に行って見ると実現を現実的に取り戻せるのかしら?って思って今日はどうしようかなー?って思うのよね。
早速行動に移すべく私はお昼ちゃんと真っ当に空いている時間帯で混む前にお店に飛び込み前転でき入店できるかなぁーって思うのよね。
一応事務所の周りはそんなんでもないけれど、
とはいえ、
お昼のランチタイムのピーク時間のそんな時間帯にはお客さんが割といっぱいになるから、
ちょっとでも時間がずれちゃうと行きたいお店に行きにきにくい感じになるのよね。
そんで最近は海外からのお客さんも多くて地元のお店の何でもないようなことが幸せだったと思うってロードの第256章の歌詞で出てきそうな地元の何気ないうどん屋さんも行列が出来ていて、
長く通った地元のお客さんも足が遠のいちゃってる感じよ。
わざわざ行列できてまではーって思うの。
ここは観光客とは無縁ね。
ほっぽど日本の食通で中華やインド料理がどう日本向けにローカライズされているのか!ってテーマを研究にして来日している人なら別かも知れないけど、
女将さんに聞いたらわざわざ観光に来て中華を食べに来る人は居ないってことで、
へーなるほどねー!って思ったのよね。
だからそう言った
いわゆる穴場に私は今日は行こうかなぁーと目論んでいるのよ。
でも逆に参加したら参加したで
あの白いお皿が増えまくって意外と困るってこともあるのよね。
なにしろあの白いお皿は頑丈すぎてほぼ一生使える代物で
そう思ったら食器屋さんって食器いつ買うタイミングある?って思わない?
パン祭であんな割れないお皿タダでシール貼って集めるとは言え配っていたら、
そう考えたらお皿って買わないわよね。
私は今のところに越してきてそこでちょっとお皿は買ったけれど、
いやそれよりも食器よりもルービーをキメて飲むパイントグラス、
ハイボールをキメて飲む専用の私のお気に入りの銘柄のガラスのグラスがあって、
どちらかというとそっちの方が割れちゃって買い直すことが多いのよ。
あとお箸ね!
これは食洗機対応!と謳っているお箸でも洗うパワーの強さ故かいつか駄目になっていたんでしまうのよね。
さすがにスプーンとかにふとかフォークとかパン祭の白いお皿とかは平気だけど。
でもそうなると
お皿ってそんなに頻繁に買うものでも無いからお皿屋さんの経営が心配になるわよね。
お皿ってかう?
あ!お皿で思い出したんだけど、
瓦割り体験のアクティビティできるところつくったらよくね?って思っちゃったわ。
それだと瓦屋さんも大儲けじゃない!?
凄いこと思い付いちゃったこの瞬間を抱きしめて、
やっていけば良いんだけど、
瓦はある程度チョップで割るもの!って図式があって罪悪感が無いけれど、
お皿を割るってのは狂気じみているわよね。
だから瓦割り体験が出来る観光施設で忍者の格好させて嘘忍術瓦割りの術!っていってやったらある程度人気が出るかも知れないし、
さすがに忍法皿回しの術!って言われても
それをしっかり術を身に付けたとて
忍者生活には役に立たなさそうなサバイバルでは活かせない技じゃない?
その土地の方言をめちゃ勉強して地元民として振る舞えるような感じの商人を演じるスパイをするとするじゃない。
そう言う時に、
大道芸でお皿を回していれば、あ!あの人はこの街の名物お皿回し達人だ!って町や村のみんなに愛されて仲良くできてその諜報活動をしやすくなるんだけど、
きっとそのスパイで潜り込んでいる同士だったら
町で皿回しをやっている町人がいたら、
あいつは絶対忍術学園で皿回しの術を習って習得して町で怪しまれずに皿回しをして地元民と仲良くしてるやつだな!って同業者には絶対に即にすぐにバレると思うから
お皿回しすぎ!ってのも困りものよね。
同業者ならあいつ忍者!ってすぐ分かっちゃうわよねお皿回していたら
先輩後輩とかならいいんだけど
何の話しだっけ?
あれはもう1枚あれば充分よね。
そう松たか子さんばりに思ったわ。
うふふ。
朝は節約したいところを思い出した春先神戸に行きたいわけではないけれど、
旅には出たいわよね。
あーどっか遠くへ行きたい!
もうこれただの現実逃避だけどねー。
旅から戻ればまた、
いやもうこれ以上は言わないわ。
毎日の人をしっかり喰らいついて暮らすのよ。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
あちゃぱー!って自分のおでこをペシンと叩いちゃった失態だわ。
急いで別のケトルで沸かしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別な位置なのか議論されることがあります。しかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲に渡ります。それでは、この微妙な関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。
『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」
[補説] 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』
goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/
"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉で表現されますが、その深さや距離感に違いがあります。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分の内面を理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見を自由に交換できる関係を指します。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通の趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的な問題を共有することは少ないかもしれません。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます。
「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定のコンテンツやゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティに所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。
私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋に趣味を楽しむ相手としての友達です。
これが悪いというわけではありません。むしろ、インターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。
ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられます。リアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人であるか恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。
それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人でしかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人を尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全な人間関係を築く上で全く適切ではありません。
それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人の人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います。
奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます。
人々が他人の欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団で非難することは、不寛容な社会を反映しています。完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています。
「カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人の些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たちが他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準を適用してしまっているのです。
しかし、人間は完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全な社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。
自分は距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います。
人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手の欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たちは完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っています。しかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります。
嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています。
まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。
人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います。
ですが、現実はそう甘くはありません。
SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為が希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。
このような状況は、人間関係の価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係に問題が生じたとき、解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要な過程です。簡単に関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。
私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的な不快感や問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバースの時代においても変わらない人間関係の本質であると言えるでしょう。
蕎麦湯は、そば粉と水を混ぜて沸騰させたものです。蕎麦湯は、蕎麦つゆに入れて飲むのが一般的です。
そば湯は、そのままお湯の状態で飲むというより、残ったそばつゆに入れて出汁の味わいをたのしみながら飲むのが一般的。 出汁の味が少し薄いと感じたら、山椒やわさびなどの薬味を少しだけ入れてみてください。 出汁に薬味の風味がプラスされ、ぐっと奥行きのある味わいへと変化します。
蕎麦湯は、さらりとしたそば湯ととろみのある濃いそば湯に分けられます。さらりとしたそば湯を作るには、湯呑やそば猪口にスプーン1杯のそば粉を入れます。とろみのある濃いそば湯を作るには、スプーン3杯ほど入れます。
蕎麦湯と蕎麦つゆの割合は、一般的に8:2がおいしいと言われています。蕎麦つゆの割合が2割を超えてくる場合は、蕎麦湯の風味が感じづらかったり、塩分の摂取量も心配されます。
あんまり食べる人いないけどキャベツとネギを乗せてスプーン二杯分ぐらいのにんにくを乗せた
ラーメンがすき
寒い冬の日に凍える口の中に汁で熱くなったチャーシューをぶち込んで火傷しそうになるのがすき
だけの料理がすき
生姜焼き用のうっすい肉にかけて焼くような
悪用がすき
給料日ぐらいしか買えないから月に1回か二回ぐらいしか食べらんないけど買った翌朝に醤油だけで炒めてみんなで食べるのがすき
10連勤の最終日に家までたどり着く体力が無くなって公園の草むらで寝転がって食べるえびフィレオがすき
卵アレルギーだから黄身を潰して焼いた目玉焼きと一緒に食べるのがすき
美味しいねってなるのがすき
プレートがすき
麺がもちもち
アーニャ丸亀製麺のぶっかけうどんと大きなかき揚げを一緒に食べるのがすき
一緒に食べるのがだいすき
アーニャひとりのときにほどほどにマナー無視して食べるのがすき
アーニャ一生懸命料理を作って「おいしいね」って言われるのがすき
アーニャ食べるのがすき
これが冷蔵庫にあるだけで、
小さくて切りにくいし、指がべとべとになるし、くさい。
この心理的ハードルが越えられずに食卓に上ることができなかったペペロンチーノが今までに何皿あっただろうか。
それがどうだ。
こんな前向きな気持ちに、俺をしてくれる。
桃屋のきざみにんにく瓶詰めには、およそ30粒分のにんにくが入っている。
1食のペペロンチーノに2粒分使ったとしても、実に15食作れる計算だ。週に1回ペペロンチーノでも4ヶ月近く。そんなに……!
ちょっと待てよ。
30粒分のにんにくが入った瓶詰めはスーパーで買うとだいたい400円くらいだぞ。
もしかして、普通のにんにくをバラして皮剝いて庖丁で刻むより瓶詰めのほうが低コスト……?
そんなわけないよな。俺の思い過ごしだよな。
しょうがないなあ……。
まさに、俺は最低賃金ギリギリで働いてるし、労働時間はほぼフルタイムだ。
職場ではシルバーさんとかと一緒に働いているし、周りのお爺ちゃんのギリギリ具合を見て自分の立場のヤバさを日々実感している。
そんな職場抜けちまえって話なんだろうけど、メンタル壊して15年ぐらいやってた業界から逃げ出した身分なんで簡単じゃない。
スキルは年齢に対して全く足りてなくて、強いて言うなら「キーボードを10本の指で打てるよ!」ぐらいが強みだ。
エクセルはマクロどころか計算式も良くわからないし、ワードもしょっちゅう書式を壊しては周りの爺ちゃんに教わってる状態。
一番まずいのがメンタルだなあ。
週40時間でも結構ギリギリで、家に帰ってからはスプーン持ったまま台所でボーっと10分ぐらい立ってることとかもあるよん。
正直、経営者目線で見たら俺に時給1500円払うのは無理だと思う。
シルバーの水準がせいぜいだよね本当。
まあ数合わせになるだけマシって扱いで、ごみ掃除とかシュレッダーの手伝いとかやって何とか居場所を維持してるよ。
確かに給料は低いけど、ここを辞めて期間工になったりするのは根性が必要過ぎるな。
確かにコンビニ夜勤でもするほうが給料は良いだろうし、なんならウーバーとかでもまだ沢山稼げるかも。
なんか勘違いした年だけ食ったデブオヤジとか、いい学校出てるのか知らんけどやたらウエメセの新卒とか、そういう連中にアゴで使われるとイラっとくる。
でもさ、その程度なんだよね。
仕事の責任はそれこそ雇った側が取ってくれるっていうか、そもそも責任なんてあってないレベルの書類整理みたいなのばかりだからさ。
責任感を持ってスキルを活かしつつ働くのは上手くいってるうちは楽しいけど、失敗しだすと死にたさが凄いことになるし周囲からのプレッシャーもエグいからなあ。
こんな人生だけど、もう俺はこれで十分だよ。
ヌルい仕事をして、ショボイ給料をもらい、安い飯を食って、金がないから無課金でソシャゲでもして、適当に時間を潰したらXvideosでシコって寝る。
生産性は低いだろうなあ。
でもさ、俺が生産性の低い労働をすることで、良く分からん高学歴のウエメセキッズが生産性が高いらしい仕事にバリバリ集中できてるわけだろ?
役割分担って奴さ。
8:2の法則っていうかさ、社会にはどうやってもブルシットな仕事が残るもんだよ。
全部をGPTやルンバにやらせられるようになるにはまだまだ時間がかかるんだから、俺たちみたいな低生産性で満足してる奴隷階級があと50年は必要になるんじゃないの?
必死に暴れまわるか、完全に意気消沈してしまうか、どっちにしろしんどいことになるのは身を持って知っとる。
今の自分のレベルに見合った人生で満足しておくのが結局幸せなんだよ。
鎖自慢?
→人のよだれとかにやたら触れるのがいやなので普通にストレス(スプーン越しも含む)
→ただでさえお手洗い以外ずっと一緒にいるのにお風呂ですら一人になれないストレス
あと体洗ってるとこをずっと見てくるのもストレス
一緒に湯船に浸かることでムードが高まってると勝手に思ってるのもストレス(こっちは無)
→こっちにも言うことを求めてきての発言かまでは分からないけど、少なくともこっちは行動から好かれてることはよく分かってて信じてるのでいちいち口にしなくてもいい。年一くらいでいい(確認の意味で言わされるプレッシャーを覚えてストレス)
→怪我とかさせたら怖いから(ほんとは人の体にベタベタ触れるのがやだ)と言い続けたら落ち着いたけど未だにたまに言ってくる。断ってる
大好きで愛してることに嘘はないけど、20代が付き合いたての異性に感じるような性的な高鳴りや期待や緊張感はほぼない。
でもそのような接触がなくても、彼以外の他人といるときはいつも底に感じるヒリつきや不安を忘れて一緒にいるだけで安心できる間柄でいることに私は価値を感じてるのでこの温度差が辛い。ごめんなさい。