はてなキーワード: キティちゃんとは
記帳に行った。
自動繰り越し機がある。
期間中はオリンピックのエンブレムの図柄の入った通帳だという。
温暖な気候だとかなんとか嘘まみれのプレゼンをし、その上、更に判明した裏金問題。
不正をして誘致し、税金をバカみたいに使い、ボランティアを強制し。
そんなオリンピックのエンブレムの入った通帳なんか使いたくない。
嫌なら窓口へ。
が、窓口は3時までだ。
窓口が開いてる時間だとしても、混雑で待たされる。
やるなら逆だろ。
それでいいだろ。
欲しい人は窓口まで。
決して選択の余地なく自動繰り越し機からキティちゃん通帳が出てきたわけじゃない。
逆にしなくとも、少なくとも。
繰り越し機が複数台あれば、そのうち一台は普通のタイプの通帳を入れておけばいい。
それが時間外に利用する人のための、窓口で無駄な待ち時間をなくすための配慮じゃないか。
やり方は簡単だ。
繰り越し機の中に、普通の通帳をストックとして入れておくだけ。
簡単なことだ。
そのことを銀行側に伝えた。
が、出来ないと言われた。
使いたくない奴は窓口まで来いと。
誰が通帳の繰り越しをわざわざ郵送でやる?
本気で言ってるのか?
そんなもの持ちたくない。
「オリンピックに向け、みんなでエンブレムを共有することで一体感がどうのこうの」的なことを担当者は言う。
知らんがな。
キモイ人って、具体的に何が気持ち悪い人なのでしょう?キモイ人だけだと範囲が広くて今ひとつピンと来ません。
気持ち悪い人って
※上記の人が私にとって気持ち悪いと言いたいわけではありません。気持ち悪いと不当に差別されそうな人間像を想像しました。キティラー、ポケモンオタク等々・・・結構だと思います。ただし、人に迷惑をかける人はNGです。
それより、気持ち悪い人と言うと、オタクではなくてオタクと直接関係のないような要素を私は思い浮かべます。
ストーカーなんて典型例だし、最近問題となっているセクハラもそう。
ニュースなどで事件を見て人を馬鹿にする人だって気持ち悪い人です。
電車を撮影しようとして鉄道会社に迷惑をかける人も、鉄道趣味が悪いわけじゃなくて、迷惑をかけるという行為が気持ち悪いです。
そう考えると、最初のトピックの、オタク趣味が差別されているわけではなくて、キモイ人が差別されているんだというのは何となく分かる気もします。
サイゼリヤのほかにも、すかいらーくの高級路線店で働いてたことがあるのですが、このふたつは客層がまったく違いました。立地はどちらも住宅街でどちらも同じS区内。
高級路線のファミレスでは、全体的に富裕層が多く落ち着いた客層で、おしゃれをした上品な家族が4人で来て、全員コース料理を頼んだりということが普通でしたし、超有名落語家が綺麗な女性とデートしにきて2人でワインをグラスで注文し乾杯してたり、超有名モデルが彼氏と一緒に来て、店の売店でキティちゃんグッズを彼氏におねだりしてお土産にするといったことがありましたが、サイゼリヤではそういったことはありませんでした。
ランチタイムは、寝癖をつけたままの部屋着の近所の人が来るような感じです。
一年前の今日、某テーマパークに行きパレードに出演している男性ダンサーを好きになった。
ダンオタというのはテーマパークダンサーを好きな人たちのことで、だいたいどこのテーマパークにもいる。夢の国にも、関西の映画の国にも、忍者村にだっている。
流行りの服装で一眼を持ってショーやパレードを待っている女の子がいたら、ほぼダンオタだと思って間違いないだろう。
では、何故どこのテーマパークにもダンサーのオタクはいるのか。それは私がのめり込んでしまった起因でもある。
一般的にテーマパークには多くのキャラクターがいて、ショーやパレードの主役はそのキャラクターたちだ。
ミッキー、キティちゃん、エルモ、アンパンマンなどなど、テーマパークで行われるショーの主役は彼らであり、彼らを中心に物語が描かれる。
キャラクターだけいればショーは成立するのでは、そう言われればそれまでで、最もその通りなのだが、テーマパークの広大な敷地のすべてにキャラクターを配置することはまず不可能だろう。そして、それが可能だとしても、絵面は寂しくなりそうだ。
そこで、テーマパークダンサーが現れる。主役のキャラクターを引き立て、ショーを盛り上げる。あくまでも、引き立て役であり脇役なのだ。
なら、どうしてそんな脇役にオタクがつくのか。
私は元々ゴリゴリのジャニオタだった。月に一回は何かしらのコンサートか舞台に行き、自担くんの出演舞台は全通もした。チケットにいくらかかったかはもう想像できない。大学生の時ですら、年間3桁の額を使っていた。
自分の服や化粧、食費は最低限で、バイトをいくつも掛け持ちしていたし、友達やゼミの飲み会には一切参加しなかった。今思うと、悲しすぎるキャンパスライフである。
しかし、それでもよかった。365日のうち300日はどこかで踊っている自担くんが大好きで、彼を見に行けるなら他のことなど必要なかった。
どうして自分が自担に対し盲目的でいて、そこまで必死に頑張れていたのか理由は分かっていた。
ジャニーズJrというのは、デビューしている先輩もしくは後輩のバックで踊っているダンサーのことで。Mステなんかで嵐が歌っているとき、やけに背景がうるさいなと思ったことはないだろうか。そういうときバックで踊っているのがJrだ。
Jrでいる間は事務所をいつ辞めるのかは自由で、昨日までいたのに今日はいなくなっているということはザラな世界だ。しかも、いつ辞めるという知らせは一切ないどころか、辞めたかどうかすらはっきりと分からない。
そんな儚い存在のジャニーズJrが目指すものはみな一様にデビューだ。CDデビューをして初めてJrを卒業する。それまでは、バックダンサーという立ち位置にしかなれない。
長くJrをやってデビューすると、こう言われがちである、「Jrの方がよかった」。せっかくデビューして事務所を辞める心配がなくなって、なおかつCDを買ったりコンサートツアーをやったり、活動する場所はどんどん増えていくのにだ。そして、何より夢にまで見た主役になる。
しかし、広いステージの真ん中でマイクを握る姿より、ステージの片隅で踊っている姿の方が良かったと思えるのだ。
世の中、なんでもそうだと思う。漫画の人気投票で主役よりも脇役の方が人気なことは多いし、コンテストで優勝した人よりも審査員特別賞の人の方が売れたりする。真ん中に立ち、スポットライトを浴びることだけが魅力ではないのだ。
ライトが一切当たらない暗がりを見ている人はいて、その暗がりにいる脇役を見つけたときは何とも言えない優越感がある。主役は誰にだって見える、というか見せるためにいる。主役が見えることは当たり前で、見えたときの感動はそう大きくない。
大勢の人が主役を見ている中で、私は脇役を見ている、私だけが脇役の演技を知っている。その感覚が常に私を頑張らせていた。
Jrは夢を持つ、目標を持つ。その誰にも見えない夢を私は応援したかったのだ。
Jrを好きな人がみなこんな理由で応援しているとは限らない。たまたま私の自担が舞台の仕事とバックダンサーが多かっただけで、バックにつかずテレビに出て活躍しているJrの子もたくさんいるし、そういう子のファンは違う感覚を持ち合わせているはず。
そして、件のテーマパークダンサーだが、彼らもまるでジャニーズJrのようだなと私は感じた。
テーマパークという枠に囚われ仕事を与えられ、主役になることを夢見ながら脇役として仕事に徹し、いつの日か音もなく目の前から消えていく。
誰かに気づいてもらいたいと思いながら懸命に踊る姿は、見た人の胸にそれは刺さるだろう。
私の場合も、「笑顔がかわいい人だなぁ」と思って見ていたら目が合って、手を振ってもらったのが始まりだ。「見つけた」「見つけてくれた」の瞬間である。
そんなこんなで、テーマパークダンサーはJr担の性癖に見事にジャストミートした。
皆が皆、同じような気持ちでダンオタをやっているとは思わない。ダンスが素敵だったから、顔がかっこよかったから、理由は人それぞれだが、ショーの脇役を見て好きになった境遇は同じなはず。
あまり脇役脇役いっていると怒られそうなのだが、ダンサーもショーの重要な一部だということは分かっているので悪しからず。
そんな私も盲目的にテーマパークのしきたりを守りながら追い続け、今現在は顔と名前を覚えられているところまでいった。パレードの最中に目が合うと「あっ」という顔をされ、今も「見つけた」「見つけてくれた」の関係は続いている。しかし完全にその立場は逆転し、今は私が見つけてもらう側になっている。なんでもそうだが、オタクが優位でいられるのは一番最初、好きになった瞬間だけであるから、これはもう致し方ない宿命だ。
これは私事だが、ダンオタというのはジャニオタに比べれば懐に優しい趣味だが、ダンサーというJrよりも一般人に近い存在のオタクをしている性質上、メンタルが抉られる事案が多いなと感じる。距離が近いため、手紙に書いた内容が次の日のパレードに全てダイレクトに反映されるのだ。そのレスポンスの速さたるや、自動返信サービスかと思う。
ファンサされたり、干されたり、機嫌の良い悪いですぐ態度をころっころ変える一般人に振り回される毎日だが、それでも楽しくてやめられずに1年経った。
ちなみに私の自担くんは今もJrだ。デビューはもうできないだろうと言われている。
脇役だろうとなんだろうと、私は好きな子はいつだって主役だった。
スポットライトを浴びることを夢見て踊る姿は、誰よりも輝いていたし、この子を好きでいることは自慢だ。
Jrもテーマパークダンサーも、儚い存在だけど何よりも強い存在感を放つ。それが人を惹き付ける魅力なんだと思う。
自担くんは今日も劇場で踊っている。テーマパークのダンサーは今日もパレードに出演している。
きっと、今日も誰かの主役になりながら。
1歳半の娘がしゃべりはじめ、外で犬を見かけると「ワンワン」猫を見かけると「ニャンニャン」と言うようになった。
NHKのキャラクターのワンワンを見ても「ワンワン」(なぜかうーたんのこともワンワンと言うが)、スヌーピーも「ワンワン」、キティちゃんは「ニャンニャン」。
スヌーピーとキティちゃんはこっちがそう教えたからなんだけど、よく犬と猫の違いが分かるな、と思ってしまう。自分も分かるけどさ。
猫は大体同じような形状してるけど犬って犬種によって全然違う見た目してるし、NHKのワンワンやスヌーピーは二足歩行してるのになんで全部ワンワンだと認識できてるんだろ。
犬を見てニャンニャンと言っても不思議は無いように思うが彼女が間違えたことはない。テレビでイノシシやクマを見てニャンニャンと言っていたことはある。
http://anond.hatelabo.jp/20160930221521
へ。
僕も浪人生だし、同じように早稲田に落ちた。浪人していることとマイナスとか考えてしまうけど、こういうたぐいの考えは抱かない。僕の周りで遠くへ行ってしまって、地元を批判する人はあまりいない気がするし。それはそれで新天地と地元を比較する意欲に欠けて問題だって意識高い人に言われそうだけど。なんだかんだ遠くで大学生活送りつつも、地元もいまだに好いてる人が多い。
いい大学に行こうが行くまいが、そもそも大学自体に行こうが行くまいが、自分に属する属性を、自分が味わっている苦しみを知らぬもの─この場合は先に抜けた、か。─にああだこうだいわれて不快になる権利は十分にある。
それはそうと、たぶんこの増田の周りの問題って、浪人したこととかではなくて、周りの人が「地元批判」をしてるからってだけでなのではとかおもった。地元を批判されて腹立つって気持ちは、マイナスを埋める優秀さがあろうとなかろうと別に普通に持って良いものだと思う。自分らが新しい環境にいるからと言って、古い環境適当に馬鹿にすれば、そりゃあ馬鹿にされた方は怒る。べつに当然のごとくあって良いことだと思う。そして、怒って当然のバカにされ方をしたら、それを覆すような自分の利点を探したくなるのも、また自然だと思う。
大学に行った人は、現役で行こうと浪人で行こうと、「別のパラダイム」へと渡ったものだ。特に遠くの大学へ行ったもので、そこでの大学生活が大変楽しいというのならば、その時の「現在」を無条件に肯定し、それまでの自分、すなわちまだ「楽しい大学生活」となっていないものを否定しがたるということではないか。そして、かつての地元を、「古き批判すべきもの」の記号として消費しているのではないか。「商品は記号体系を表すだけで、現実を示してはいない。」消費者がキティちゃんという「記号」を消費するように、また古き悪しきものと、「別の環境に行けたもの」がやってるんだろうなあと思う。
でも、キティグッズが「現実からかけ離れたもの」であるのと同じように、この地元批判もまた、記号としての価値があるだけで現実的に地元に敵愾心があるわけでもないんだろうから、まあそうやって捉えて気にしないでおいて置くべきだと思う。「古き悪しきものの記号」としての批判であって、地元そのもの、「増田そのもの」への攻撃のつもりではないんじゃあないだろうかなあと思う。
せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵の見地からコメントを残す。
その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。
本当は浮世絵の定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。
おそらく、浮世絵の美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。
https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg
他方で、役者絵などは、二重が多い。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg
役者=歌舞伎ということで自動的に男性になるわけで、女性と男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。
(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性をデフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)
四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。
イケメンキャラというよりは、クール=糸目、熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である。
藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクールな性格に変わると目が細くなった。
ここで、仮説を提案したい。
「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである」
と。
そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。
逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。
そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。
再び、浮世絵の話に戻ろう。
その仮説を検証しながら、浮世絵の世界での美人の変遷について語ろう。
まず、元号は明和の時代、浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したときの絵師、鈴木春信である。
多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。
江戸時代の女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。
アップスタイルは女性の社会進出の象徴であり、いなせで粋で大人な女性に萌えていた。
教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリがハードコアに凌辱される絵である。
幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?
春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語を想像させられる。
薄幸そうな少女に、極太のデカいものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても
「このあとされちゃうんだろうなぁ」
と思ってしまう。
http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg
春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術と自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画がおすすめだ。
続いて、鳥居清長。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg
たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。
女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数の女性が絵に並ぶ。
体型も、表情も、健康的な感じがする。
続く
今60台後半の祖母。
サザエさんだけは新聞連載だったからという理由だけで好んでる。
当然キャラクターグッズも目の敵。小さい子どもが持ってるカバンに
キティちゃんが書いてあるだけで眉をひそめる。
電化製品も悪。パソコンはもちろん、電子レンジすら電磁波が体に悪い
エアコンとテレビとトースターは祖父が祖母と喧嘩してでも買ってたけど。
なぜそんなに頑なになるのか分からない。
ピアノやバレエなどの習い事も害悪。祖母曰く学校で習わないことはやっても意味がないらしい。
ちなみに化粧や染髪も害悪と言って本人もしないし、孫がしてるのを見てもキレる。
今はもういないけど曽祖母はむしろ新しい物が好きなミーハーだったのに。
しかも祖母は貧乏だった訳でもない、大学も出てるし学がない訳でもない。
なのになんでこんなに何もかも否定するのか。
以前ゼクシィにピンクの婚姻届が付録でついていたことが確かあって、私はいわゆるオタクなのだが、その時はTwitterが色めき立っていた。
好きなキャラの名前を書いて眺めるだけ。とてもよく理解できる。
でもまさかピンクの婚姻届が実際に提出できるものだなんて知らなかったので、昨日検索して驚いた。キティちゃんを始め、ルフィの婚姻届まである。
夫婦揃ってワンピースが好きなら需要があるのだろうか?しかし書いたら提出しなくちゃいけないのにキャラ物って……
と思ったら提出用と手元に置いておく用と二種類あるらしい。たまげた。なんでもありなのか。
すると偶然今月発売のゼクシィプレミアムにティファニーコラボの婚姻届が付いてくるらしいので買いに行った。
以前音姫が付いていたときに購入したが、当然独身女が読んでもなにも面白くはない。バブリーな記事は笑えるけど。
ティファニーブルーの罫線が美しい婚姻届は、なんだかオモチャみたいだった。
ゼクシィの付録に必要事項を書いて役場へ提出すれば入籍できるだなんて、あまり実感が沸かないものである。
ティファニーには少しだけ嫌な思い出がある。
今年の春、地元の駅へライブビューイングを見に行ったのだが、ちょうどマラソン大会とかぶっていて道路がいつも通りに使えないことがあった。
やたら参加者が多かったのだが、参加賞としてティファニーのなにかしらがもらえたらしい。歩いている女性が皆紙袋を手にしていた。
そんなものを参加賞にするから参加者が増えるのだ。余裕を持って出たにも関わらず少し遅刻してしまい、あの日から「はいはいティファニーティファニー」と思っていた。
けれど改めて見るととてもきれいな色だ。清潔感もあり、街中であれだけ目立っていたのも当然だ。
ティファニーごめん。
あんなおっさん、おばさんの懐古趣味でまみれたショーなんて見るに耐えない。
マリオ、キティちゃん、ドラえもんなんて80年代に全盛だったもはや「懐かしネタ」。
東京の夜景などを使った都市のイメージなんて、沢田研二のTOKIOそのもの。
Ryu's Barか、ここは? 村上龍と坂本龍一がしたり顔で日本を語っていたころから何ら進歩していない。
ショー全体は80年代の景気がよく、技術的にも存在感を示せていた時代を懐古したものにしか見えない。
これは日本の文化が停滞しているという敗北宣言だと思う。それを国際的なイベントでやるなんて国辱ものだ。
真鍋大度、中田ヤスタカ、MIKIKOといった布陣が最新の才能を取り入れているじゃないか、というかも知れないがこれは全員Perfume陣営。Perfumeはテクノポップを懐古した企画ユニット。つまり人選からして80年代の「景気のよかった日本」に引きずられているのだ。
全体的にテクノオリエンタリズムなイメージを引用した古臭い東京が展開されていた。これが1988年のショーだと言われても、何ら違和感なく受け入れられるだろう。いや、今が1988年だったらよかった。それだったら、この手放しの絶賛も納得できる。だが、今は2016年だ。
ここ30年の文化的な成果が何一つ取り入られていない。それが悲しいし、こんなのが手放しで絶賛されている状況に、絶望を覚える。嫌悪するね、はっきり言って。
http://sports.nhk.or.jp/video/element/video=28114.html
http://togetter.com/li/1015110
いやぁ、素晴らしかった。
「こういうのでいいんだよ、こういうので。」と呟いてしまった。
ようやく求められているものが分かってる奴が責任者になってくれたようだ。
間延びしがちな君が代が、厳かな雰囲気を持って観客を一気に引き込んだ。
プロジェクションマッピングも素晴らしい。
AR、VRが4年後にどこまでウケるかわからんが、ぜひ取り入れてほしい。
ロボット、渋谷スクランブル交差点、地平線まで続く都市の夜景、
昔の東京五輪のポスターっぽい構図、新幹線と「日本」の分かりやすいイメージをPRしてる。
そこから屋形船、浅草寺、スカイツリーともってきて、キャプテン翼、ドラえもん、キティちゃんにつなげる。
日本に求められてる、伝統とハイテクとポップカルチャーの融合ってやつだ。
浅利慶太なんかいらんかったんや!食い倒れ人形のコスプレとかアホか!
日本とブラジルが地球の真裏で、土管で地球の裏までひとっ飛びってのは誰もが分かるユーモアだ。
ダンスも良かった。
4年後もライゾマである必要はないし、できればさらなる若手が出てきてほしいけど、ようやくホッとした。
ということで、「こんな東京オリンピックのキャスティングは嫌だ!」というのを今から挙げておこう。
総合プロデューサー | 秋元康 |
公式応援ソング | EXILE with AKB48 |
アートディレクター | 村上隆 |
総合司会 | 嵐 |
応援団長 | 中居正広(裏でナイナイの岡村がコソコソやってる) |
実況 | 古館伊知郎 |
現地インタビュアー | 藤原紀香 |
バレーボール応援団 | ジャニーズJr. |
演出 | 小山薫堂 (友情出演:くまモン) |
デザイン監修 | 佐藤可士和 |
キャッチコピー | 糸井重里 |
翻訳監修 | 戸田奈津子 |
普段テレビでやってるバラエティみたいなノリで内輪ウケを狙うのだけはやめてくれ。
今回のリオでさえ、安倍首相にわざわざ「PRIME MINISTER」って字幕つけなきゃいけないくらいなんだから。
国内で顔が売れてようが、世界からみたら「誰だコイツ?」なんだよ。
頼むぜ。
見ているのは世界なんだ。
期待しているぜ。
東京オリンピック、楽しみになってきた。