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はてなキーワード: 高度成長期とは

2023-10-18

anond:20231018163752

Z世代のジジババなら高度成長期に生きてた世代だろ

お前くらいの世代なら親に聞いとけ

anond:20231018160012

バブル後はともかく高度成長期

世の流行に乗っかってれば

不自由で不健康文句言いながらでも

男性はそれなりの企業に入って年功序列給料が上がって

60で定年したら年金で暮らせて

まあその定年に達する前に成人病で死んだりもしてたけど

女性20代前半には寿退社して

30までに2人くらい子供産んで

外で好きに遊ばせながら育てて

夫は家にいるときは寝てばっかでくさい屁こくけど

その間に大学行かせられるくらいの金は貯められて

子供結婚式手紙もらって泣いたりするんだな

それ都会の中の上以上の階層しか見えてないよ

世の中もっと下の方が多い

んで今の中の上以上の階層もっといい暮らししてる

下も昔よりはマシな暮らしではあるけど

こうやって昭和を美化するのって何なんだろうな

ジジババにでもちゃんと話聞いてみたらどうだ?今の方が遥かにマシなのが分かるよ

anond:20231018015037

バブル後はともかく高度成長期

世の流行に乗っかってれば

不自由で不健康文句言いながらでも

男性はそれなりの企業に入って年功序列給料が上がって

60で定年したら年金で暮らせて

まあその定年に達する前に成人病で死んだりもしてたけど

女性20代前半には寿退社して

30までに2人くらい子供産んで

外で好きに遊ばせながら育てて

夫は家にいるときは寝てばっかでくさい屁こくけど

その間に大学行かせられるくらいの金は貯められて

子供結婚式手紙もらって泣いたりするんだな

一億総中流ってやつだ

今はどこも綺麗になって健康的になって

広くて自由があるとこに生まれ

あいろんな選択肢があるよ!自由に選んでいいんだよ

って言いながら

実は酸素はどんどん薄くなってて息苦しくなり

どれを選んでも緩やかに不幸になっていく

誰かと家族になって共に幸せを築くどころか

自分ひとりの生活もままならない

かに不満を言いたくても返ってくるのは

「それがお前の選択の結果だからお前の責任だ」

「不満ならば自分たちで変えるしかない」

だもんな

「は?いま自分たちが苦しいのって自分のせいなの?」

ってひとことくらい言いたいよな

2023-10-12

anond:20231012115646

韓国少子化とか言ってるけど、普通に韓国日本も人が多すぎるだけなんだよ

高度成長期バブル期に掛けて、どう考えても知的障害水準だろみたいな人間とか社会ゼロ人格障害者みたいな人間とか障害レベルブサイクでもありとあらゆる人間結婚して子供を産みまくるという状況が異常だっただけだと思う。

2023-10-05

川口地元民より、氏族社会についてとか

まれは違うが、川口10年以上暮らし、その後蕨に2年半います

記事にある通りクルド人の方たちが暮らしているのは芝のあたりなので、自分が住んでいるエリアとは離れています

とはいえご近所ネットワークで色々噂がないわけではなく、また現住所近くにもそれっぽい方たちが暮らしていますが、ご近所付き合いの範囲では特に恐ろしい話などは聞きません。

まぁ、道端でやたらデカい声で話している外国人とか、食べかすの鳥の骨とかを空き地に捨てる人なんかはいますが、クルド人なのかどうかは知らないし、日本人でもガラの悪い人が割りと多いので(笑)外国人から特にどうというのはありません。

割りと近所付き合いがあるので、お友達には外国出身日本とのミックスなど色々いますが、特に問題もないし彼彼女らについて悪く言っているのも聞いたことがありません。

記事の続きに「外国人は既に共生している」とあって言い得て妙だと思いましたが、共生とか大げさなワードを使わなくてもその辺に住んでて勝手に「共存」しているし、大体人間なんてほっとけば多様なんだから、「多様性」とか掲げなくても特に頑張らなければ勝手に多様です。

一部の吹き上がっている人みたいのが無用な「頑張り」をしているだけだと思います。その「頑張り」が信義信条によるものなのか、強迫観念的なものなのか、お金のためなのかは知りませんが。

たまたま当方アラブ地域にまあまあの期間暮らし経験がありアラビア語もわかるため、普通の日本人よりはいくらか「その辺のノリ」が理解できます

もちろんアラブクルドは違うのですが、氏族社会的な要素が多かれ少なかれ残っていることでは共通していますエジプトでは「タール」と呼ばれる仇討ちの習慣が割りと最近まで残っていて、氏族の一人がやられたら相手氏族の一人もとっちめる、その相手がなんの罪も犯しておらず、何なら事件当時生まれてなくてもやられる、みたいのがあったようです。今ではコミカル映画ネタになっています)。

クルド人問題で「血縁者が病院に集まって業務妨害」みたいなニュースがあり、まぁ業務に支障が出たならこれは確かに問題なので、(暴走車や過積載車と同じように)(日本人外国人区別なく)犯罪犯罪として取り締まってほしいですが、「血縁」というのは誤解があるなぁ、と思います

この辺は高野秀行さんのソマリランドについての本などを読んで頂けると一番てっとり早いのですが(当方高野さんのファンで、本はほとんど読んでいます)、氏族というのは丁度日本戦国大名とか、ヤクザの親子盃みたいな「仮想血縁」であって、文字通り本当に血が繋がっているとは限りません(もちろん繋がっていることもあります)。ある種の契約関係みたいなものです。

この「仮想血縁」というのは人類史的に多分かなり広く深く見られるもので、現代日本でもマイルドヤンキー層は「兄弟分」みたいな絆を大切にすることが多いですし、ほんの少し前、昭和高度成長期くらいまでは「血の繋がっていない家族」みたいのは割りとよくあったと思います昭和アニメでは実子でない子とかよくわからない居候とか登場しますよね)。

この「仮想血縁」はびっくりするくらい網の目のように広がっていて、丁度暴走族のチームが場合によって法律よりチームの掟を重視するように、氏族の繋がりを国民国家の法に優先するケースがあります

そういう意味では国民国家と相性が悪いのは事実で、国民国家幻想奇跡的にうまくハマってしまったアジア小国にあっては氏族文化の人たちとの軋轢が生じやすい傾向はあるかもしれません。

ただ「仮想血縁社会世界のかなりの地域に多少なりとも残っていますし、例えば自分が何らかの事情外国に暮らさざるを得なくなってしまった状況を想像すれば、そうした人の繋がりを大切にするのは理解できなくもないでしょう。

結論としてはしょーもないですが、もういるものはいるし、別に常に問題を起こしているわけでもなく、逆に人は日本人だろうが外国人だろうが時々問題を起こすものなので、ぼちぼちやっていくしかないです。

あんまり強い縛りとか理想とか持たないことです。「こんなもんやろ」で手を打ちましょう。

さらに余談なのですが、「仮想血縁」とか言っていますが、そもそも血縁自体がもとから仮想的です。

もちろん生物学的な血縁は間違いなくあるし、今ならDNA検査なんかで同定できますが、ちょっと前まで母はともかく父は誰だかわからない、なんてのは普通にあったでしょう。

「父」は元々生物学的父というよりむしろ象徴的な存在です。

そして象徴的「父」を基準に考えられた「血縁」もまた、生物学的というよりは象徴的・言語的に構成された仮想物です。

そういう仮想物を大切にして生きてきたのが人類ということです。

犬は自分のお父さんとか全然気にしません。うちにも犬がいて、実のお父さんと会ったことがありますが、特に親子の対面的なものはなかったです。

2023-10-04

蕨と川口クルド人問題に関して その1

埼玉県川口市クルド人犯罪が激増して問題になり、その対策川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネ動画投稿されている。

結論から言うとそんな事にはなっておらん。

川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数過去最低を記録しているとの広報を打っている。

https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdf

この一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げクルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安過去最高となっている。

この問題喧伝しているのはagora出身石井孝明というライターで、産経新聞夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。

石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア東南アジア系の人間事故事件不法業務、反マナー行動をしたものクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人毎日事件不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本クルド人は何万人いるのだろうか?

だが実際のクルド人の数は2000人程度である人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーン成功しているのである

 

それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミ大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。

 

地理

埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市県境が表示される。

https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82

この一番左側の蕨駅付近問題舞台だ。

まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。

ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである

この碁盤目は元々は大正時代田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地権利も整理したものだ。

ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主マンション大家である

この田んぼ戦後高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ

元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道からであり「その道路権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので

金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。

更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用負担したくないので碁盤目に見えて行き止まり路地ばかりという事になっている。

 

1990年代初頭に建築基準法改正されるとセットバック義務接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である

これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。

また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバック義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだ不動産的には不良である

この路地ストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパート路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道隣家セットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ

奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ

高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ私有地である用水路暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。

 

さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ最近じゃ米国都市部日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。

故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しトラックも入れない、なんていう借家アパート大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人リスクが高いが…」という妥協産物だ。

 

このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市飛び地みたいな三角土地があるだろう。

ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場UR団地電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。

路地セットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校幼稚園線路の反対側で遠いのだ。

ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。

 

「蕨」なのに「川口市であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。

川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。

 

まりヘイトデモ

クルド人問題おかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会ヘイトデモに遡る。

2009年在特会オーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅南側西川口駅寄りだ。

このデモ左翼運動から転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。

これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗ハーケンクロイツとなっていった。

そんな中で在特会芝園団地付近クルド人住民迷惑しているという情報を掴む。

そこでヘイトデモ開催地蕨駅西川口から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。

但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルート許可していても判らなかったかもしれない。

 

こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。

 

もう一つの理由トルコ少数民族問題で、トルコ親日国で、そこで問題化している少数民族クルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題親日反日しかえれな人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローであるそもそも少数民族問題国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドタバコを吸うバカの如しである

 

故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである

 

続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255

2023-09-22

anond:20230919122312

昭和交通事故トラック事故が多かった

昔はリミッターもなく高度成長期トラックも多く走っていてよく轢かれていた

トラック事故日常にあったからこそタッチ幽遊白書のようにトラックに轢かれるという描写が当時の風土資料としてフィクション作品によく散見される

令和は鉄骨落下が身近になることでフィクション作品に盛り込まれることが増えるだろう

2023-09-14

事象は別の側面から見た時に違った景色を映し出すが、具体性を有する場合において顕著であり、高度に抽象化された事象においては、発生しにくいように思える。

例として、「人類」と「増田さん」を比較した場合、「増田さん」の方が様々な見え方をする。親友職場の同僚は「増田さん」のあらゆる側面を見せられているが、「人類」にはそこまでの幅がない。

なぜなら、増田さん自身人類包含しているためと言える。人類になくて増田さんにはあるものが多数存在する。

これは現地現物重要性を示唆している。その場で得られる情報経験こそ尊い抽象化された事象での議論一般論的になりがちであり、ここに高度成長期現代日本の違いがあるかもしれない。

戦後高度成長期においては、管理職であっても現場だった。いや、今ほどに机上ではなかったという方が正しい。現場に赴き、見て聞いて感じていた。それらの一部がグレーな接待と言われ、糾弾された。

今はマネージャーという言葉がひとり歩きし、机の上で管理することが正しいことのように扱われる。机上で何が見えるのか?一般論を求めるなら生成系AIが勝る。

きっとあらゆる組織で、あらゆる立場の人が目の前の景色を語っている。具体性のない議論から無味無臭産物が生まれ、負けていく。

2023-09-08

anond:20230908192039

世の中の厳しさを知らないぬるま湯おじさんは結構見るなあ

公務員とか、民間でも高度成長期に入れてろくな仕事してないのに高給もらってるおっさんとか

anond:20230908141724

大日本帝国陸軍は、まず、捕虜民間人レイプで有名なんだ。レイプした婦人の数を競って笑い合ったりしていた話が今も残されてるよ。

やめるように命令が出てたけど、効果はなかったんだ。

そもそも戦争を始めたこ自体が非常にバカなのだが、長い時代鎖国日本教養も遅れていた


ほとんどの男を赤紙軍人にしてただろう?陸軍教育は今の自衛隊のような小さな規模で行われたものではなかったんだ

日本の多くの人はまともな教育もないまま陸軍天皇万歳のもとにわーくにが世界一で、天皇の元には神風が吹くから全てはうまくいく、必ず風のおかげで勝てる、色々めちゃくちゃな戦争教育されていったんだよ


そして戦後なんだが、上の世代焼け野原で、陸軍の亡霊みたいな奴もたくさんいた

アメリカはさっさと復興してもらって日本軍用基地にしたかったので、国民民度が落ちるのは承知そいつらを排除始末はしなかった

いちから組織を作ったり権力者を育てたりするより一応日本人を軍や集団として機能させたノウハウがあるバカ支配者やバカ軍人にそのままやらせた方が復興が早かったか

ある時代人間はめちゃくちゃバカなんだ

そのバカは、高度成長期戦後の時期復興の時期に援助や補償をもらって、ひたすら煽てられてバカ矯正されないまま高い給料をもらい、ブランド品を買い漁り、海外旅行に行きまくり役員になり、勝ち組になってしまった

そのまま権力を持ってしまった

バカの作ったテレビ雑誌差別だらけ蔑視だらけセクハラパワハラだらけの気持ち悪いものだったけど、それを見て育った層もそのままそれが普通だと思ってバカ二世なっちまった

終わってる国なのね

2023-09-05

anond:20230904221133

自由恋愛と未婚率を紐付けるのは擬似相関的な関係ではないかなぁと思う。

1970年初期に第二次ベビーブームが発生して人口自体は増加したんだけど、この増加した人々は一般団塊世代と言われる世代経済高度成長期に育ったんだよね。

経済の高度成長に伴う文化の変化、ここで発生した娯楽の多様化があったと思っていて、それが恋愛に相当する楽しさを持っていたというのが原因なんじゃないかなと思う。

娯楽が増えて結婚しようと思わなくなったか自由恋愛なら恋愛しない自由選択してしまう人が増えたのであって自由恋愛自体問題があったわけではないはず。

娯楽を統制してしまえば自由恋愛のもとにまた婚姻率は上昇していくんじゃないかなぁ。

anond:20230904224021

江戸時代くらいまでの農村部普通庶民自由恋愛どころかフリーセックスに近かったそうじゃん。

夜這いとか村祭りの後のあれやこれやとか、聞いたこと無いんか?

夜這いなんか明治以降もかなり存続してたそうだし、山村じゃ戦後まで結構残ってたみたいだぞ。高度成長期の前くらいまでな。

2023-08-30

少子化の原因はお見合いというより職場結婚の衰退が大きいのでは

よく少子化・未婚化の原因としてお見合い結婚が減った事が言われるけれど

そもそも本当に、昔ってそんなにお見合いって盛んだったの?

一般お見合いって聞くと高価な着物を着て料亭仲人に連れられて顔合わせをして…みたいなのを想像するけれど

普通に考えて、田舎農村だったり下町工場だったりの庶民がそういう「お見合い」を当たり前のようにしていたとは考えがたいんだけど。

おそらくだけど、お見合いって言ってもその実態は、今でいう「友達の紹介」とかそういう奴で

大抵はそんなに本格的なものではなかったと思うんだよねー

普通に考えたらそうじゃない?

そして高度成長期には職場結婚が盛んだったと言われていて、その実態若い男女を集めたお見合いのようなものだったともよく言われるところ

さらに昔の農村の近場で済ませる婚姻職場結婚のようなものとも言えるだろうし

日本社会における「仕事」のウェイトからして、職場って生活の大半を過ごす場所なので

そこで接する機会の多い相手恋愛結婚するっていうのは相手をよく知るという意味合理的だと思うんだよ

私は昨今の少子化・未婚化って職場結婚の衰退によるところが大きいとと思っている。要は女性非正規化。

昔の女性労働者はお茶汲みOLだの何だの言われても、同じ職場の「正社員」ではあったんだよね

それが今は非正規比率が著しく高まり、仮に専門的な仕事をしていようとも契約社員派遣社員という使い捨て部品に成り下がっている

こんな状況では同じ職場男性から対等な仲間として見て貰う事は出来なくて、職場恋愛なんて程遠い話になる

2023-07-27

anond:20230727210849

ほとんどは高度成長期にはじめたところばっかりじゃないの?

2023-07-23

anond:20230723164424

高度成長期経営者は、社員給与を多く払えば社会が潤うという、慈善的な経営思想を持っていたけど、

バブル期経営者は、給与コストと考え、コストを最小化すれば、経営者自身が儲かりまくるという、自己中心的な考え方しかできない人達ばっかりだったから。

2023-07-21

anond:20230711181019

ジャニーズ問題原発問題

1.戦後すぐに問題の萌芽があった

2.高度成長期問題は大きくなった(フォーリーブス原発立地、廃棄物受け入れ…)

3.わずかな人が糾弾の声を上げていた

4.うっすら知っている人も多かったが国民の多くは受け入れていた

5.マスコミ問題としなかった

6.21世紀にかなり大問題になった

7.ジャニーズに楽しませてもらった人々、原発電気を使っていた人々は気まずい思いを感じているが・・・

8.ジャニーズによって美味しい思いをした業界人が沢山いる、原発安全宣伝片棒を担いで高額の原稿料を講演料を受け取った漫画家コメンテーター・・・

9.被害?それによってデビュースターになったんだろ?メリットのためやられてたんじゃないのか?  被害?それによって電力会社から補助金もらってたんだろ?

2023-07-10

anond:20230710122859

返信するのもタイコスパ観点から

また付き合いがありそう→返信する

もうこれっきりっぽい →返信しない

相手はウチとの取引の太さを無視できない →返信しない

こんなかんじ。

30年成長しない低能の群体なんだからまり期待しないほうが良いよ。

局所的に伸びてると言い張る連中も言い出すけど、あくまでそれは例外で、総体としては沈没船からね。

高度成長期は「下層すら」生活水準が伸びていたという現実を知らないリアリストの群れ。

2023-06-25

anond:20230624221212

俺は千葉で生まれ育ったけどすごいわかるこの感覚

その気になれば東京に行ける距離ではあっても、よっぽど発達のいい子供か、親が上手く動機づけしてくれるかじゃないと行けないんだよな。「東京がそこにある」ということを認識できないから。元増田は俺よりもずいぶん精神の発達が早かったようで、郊外の家しかない街が嫌なんだと自己認識して東京に行ってみたりバイトしてみたり色々したのは凄いことだな。

俺は自分郊外を嫌だと感じていることすら大人になるまで認識できなかった。ただずっと言語化できない何かを渇望していただけだった。言語化できていなかったから、色々やってみてそれなりに文化的体験をしたりもしたけど、本質にたどり着くのには随分時間がかかった。

ファスト風土」で有名な三浦展の「首都圏予測」という本の中に書かれていることを読んだときに俺は膝を打った。

純粋な戸建て住宅地は異物を排除しがちである。静かな環境を求めてきた住民は、住むこと以外の生活住宅地に入れたがらない。静かに音楽を聴いて、読書をして、食事をして、寝て、という家族だけの平穏暮らしを乱されたくないと考え、むしろ家庭を外の社会から隔絶させることを大事にするからだ。”

これだ。俺が生まれ育った郊外住民はこういう連中だった。俺の実家は戸建ではなくニュータウン系のマンションだったが、全く同じだった。それぞれがそれぞれの「家庭を置く場所」としての街を求めているだけで、それ以上に何も求めていなかったんだ。だから家庭以外の商売活動は、住民がそれを求めていないのでビジネスとして成立させることができず潰れる。せいぜい子供関係の集まりくらいだ。それもお仕着せのようなテンプレート子ども会みたいなものだけだった。取り敢えず型通りやっとけばいいだろという感じだった。今ほど情報が行き渡ってない時代だったので、仕方がなかった面もあるだろうけど。

郊外にもショッピングモールができて十分便利だろとか、銀座ダイソーがあるくらいなんだから東京だって大して変わらんとかコメントがついているが、全くそういうことではないと思う。そういった通り一遍の「生活」以外の要素が存在する余地のあることが重要なんだ。郊外にはそれがない。やればできなくはないが、住民がそれを求めていないので広がっていかない。彼らは庭付一戸建て(あるいは柏の葉やおおたかの森や海浜幕張の駅近マンション豊洲晴海のタワマン)に住んで公園イオンモールに行ければそれで十分満たされていて、そこに渇望はないのだ。彼らの子供たちには渇望があるだろうが、子供なのでかつての元増田や俺のようにどうしていいのか分からず燻るだけだ。

都市会社に勤めて郊外の閑静な住宅街に住み自然豊かな環境で伸び伸びと子供を育てる」というのは高度成長期から平成に掛けての「物語」だったのだろうと思う。社会が拡大していく時代はそれで良かったんだろう。「都市」が拡大し「郊外」を取り込んでいくという期待があったから。

でも現代ではもうその「物語」は終わってしまった。人口は減っていくことが確実になり、拡大の期待に依存することはもはやできなくなった。これからは集積の時代になると思う。人口が減っていくからこそ人々が寄り集まりスケールメリットを活かしつつ新しいものを生み出していかなければならないと思う。集積を都市に任せ、互いに隔絶された「家庭」の集まりとしての「郊外」を存在させておく余裕は無くなっていくのではないか。家庭も生活仕事文化も全てが一体となって存在する、かつての下町のような社会になっていかなければならないのではないか。何より、俺が生まれ育った千葉ニュータウンのような街なんかより、その方が面白みがあって楽しいからね。

そう思って俺は都心に狭いマンションを買ったよ。千葉には帰りません。

不思議なのはさ、例えばアメリカは「大いなる田舎」と呼ばれているように、NYCなどのごく一部を除いて、日本人にも名の知れてる街でもまあ田舎なんだけど、ある程度の街はちゃんと街ごとに文化があって小さくても面白みがあるんだよね。Googleがあるマウンテンビューとかさ。街のサイズとしては多摩より遥かに小さいし大した歴史もないんだけど、住宅だけじゃない文化がある。歴史がないゆえに(スタンフォード大学を除いて)新しいものばかりだけどね。だから東京郊外の街も原理的にはできるはずなんだよ。でも現実にそうなっていないのは、やっぱり住民価値観のせいなんだと思う。そこが嫌。

2023-06-19

anond:20230619223104

まあ子供を持つなら生活レベル大幅に低下するのは受け入れるしかないよね…。

1人あたり1000万とか2000万程度の養育費を払えば終わりというわけじゃなく、実質的共働き不可能になることを考えると機会費用としては少なくとも1億は損するだろう。

そりゃ少子化にもなるわなって思う。昔(高度成長期平成初期)は共働き選択肢最初から無かったか機会費用を考える必要がなかっただけで。

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