2023-09-14

事象は別の側面から見た時に違った景色を映し出すが、具体性を有する場合において顕著であり、高度に抽象化された事象においては、発生しにくいように思える。

例として、「人類」と「増田さん」を比較した場合、「増田さん」の方が様々な見え方をする。親友職場の同僚は「増田さん」のあらゆる側面を見せられているが、「人類」にはそこまでの幅がない。

なぜなら、増田さん自身人類包含しているためと言える。人類になくて増田さんにはあるものが多数存在する。

これは現地現物重要性を示唆している。その場で得られる情報経験こそ尊い抽象化された事象での議論一般論的になりがちであり、ここに高度成長期現代日本の違いがあるかもしれない。

戦後高度成長期においては、管理職であっても現場だった。いや、今ほどに机上ではなかったという方が正しい。現場に赴き、見て聞いて感じていた。それらの一部がグレーな接待と言われ、糾弾された。

今はマネージャーという言葉がひとり歩きし、机の上で管理することが正しいことのように扱われる。机上で何が見えるのか?一般論を求めるなら生成系AIが勝る。

きっとあらゆる組織で、あらゆる立場の人が目の前の景色を語っている。具体性のない議論から無味無臭産物が生まれ、負けていく。

  • いまも普通に接待しとるぞ 昭和・平成中期までと比べたら比じゃないのかもだが 交際費フツーにありますやろ

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