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2023-10-28

ソフトウェアエンジニアを続けていく自信がない

ちがうな

60点は出せるが90点は出せないと言う形で続けていくしかない、みたいなもやもやする感じ

 

チーム戦だからどうやっても自分だけではどうにもならない

じゃあ優秀なチームに入ればどうかと言えば、IQは高いがプロダクトのことよりパズル的なコードの話に興味がある奴らが多すぎる

彼らはただの数学オタクみたいなもんで、工学的には落第だ

普通にメガベンチャーなどそこそこの会社に勤めるのはどうかといえば、それは正解に近いんだけど給料頭打ちになる、2000万は超えない

から野良になったんだけどそうすると仕事相手を選べない

 

ああ一個あるか、自分組織作るっていう

死ぬほどめんどくさいしやれる気がしない、向いてないがこれしかない

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

スタッドレスタイヤ

アイスエスポルテとノーストレックN5で悩んでる

195 65R15なら価格差12000円なんよなあ

雪上性能は数年前から頭打ちに近いけどエスポルテは5年以上前モデルから悩むわ

アジアンのAW1とかグリップマックスも悪く無いんやけど価格考えると、国産でよくねってなっちゃ

2023-10-16

臨床研究医としては、今後の癌治療を発展させていくには生物学分野、医工学分野からアプローチ重要だと思っている。

基礎研究・臨床研究頭打ちな感じ。

息子は「僕も将来お医者さんになって人の命を助けたい」と言ってくれているが、個人的には遺伝子工学や医工学の分野に進んでくれると面白いなと思っている。

徐々に耄碌していく職場のおじさん

独身は狂う」みたいな記事ずっと前にバズってたけど最近職場で徐々に狂いつつあるおじさんがいてやっぱり結婚ってしといたほうがいいんだろうなって思って来た。

そのおじさん(Aさんとする)は俺が20代半ばの頃30代半ばで初めて会った時から喪男だろうなあという清潔感のない見た目と言動だった。

けど普通に仕事熱心ないい人で、職場の人たちから信頼されてたし誰も彼を嫌う人はいなかった。

Aさんは俺に心を許してくれていた。オタクだったから、アニメ漫画の話で盛り上がれる唯一の社員だったし、Aさんは博識で何を話してても楽しかった。

今の職場10年働いてみて、10年そのAさんを見て来たことになるんだけど、もともと冴えない見た目だったのがさらにどんどん自分に構わなくなっていってる。

それに、昔はもっと仕事熱心だったのに、仕事も雑になってきた。

長いことこの仕事続けて来て、頭打ちというか、でかいプロジェクトにいくつか関われたけどそれを大成功に導くことはできずに、残りのキャリア的にもあまり出世とか大きなイベントもないだろうって天井が見えて来たのがわかる。

彼はすごく真面目に仕事熱心に打ち込んできた尊敬できる人だけど、別に有能というわけではなく、ただ出世もせずにもう残りイベントのない人生なんだなみたいな諦念が伝わって来るんだよな。

彼は昔から女性に話しかけるのが苦手みたいで、極力女性との接触を避ける。

でも別にセクハラをするわけじゃないかシャイな人なんだなぐらいで女子社員も彼をキモがったりもせずとにかく空気という感じだった。

ある年、職場アラサーの元ギャルっぽい女性が異動してきて、その女性は誰にでも気軽に話しかけてくれる明るい人だった。

その女性は誰に対しても気さくに話してくれるだけなのだが、Aさんは「自分と楽して話してくれる女がいる」ということで何か極端にスイッチが入り、彼女理由もないのにプライベート時間仕事にかこつけて電話をしたり、LINEを送ったりしはじめた。

それが一日に数十件とかのやばいレベルで、その女性もさすがに怖くなったのか同性の上司相談し、あの大人しいAさんが…!?とおれもびっくりした。

その女性も悪意があって噂を広めたとかではなく、本当に困っていた時期におれにも相談してくれて、俺がかわりにAさんの対応をしたりしていたので、このことは俺と上司しか知らない。

なんで40前半のオタクっぽいおっさんアラサー女子社員(しかギャルっぽい)にいきなりいけるって判断したんだ?ってびっくりしたし、そういう自分客観視できないタイプの人とは思えなかった。

だんだんAさんは職場で腫れ物みたいになってきてる。病欠理由仕事を休むことも増えて来た。もう昔みたいにアニメ漫画に素直にはまってないっぽいし、暗い顔をしていることが増えた。

あと、本人にぜったい言えないけど臭いんだ。加齢臭じゃなくて、風呂あんまり入って無い臭い。もう何もかもどうでもいいんだろうな、って感じがする。

仕事に熱意もなく、他に人生希望もなく、いつまでも趣味世界に逃避もできず…そんな印象を受ける。

昔はこんなにキモくなかった。普通の人だった。

ちょっと冴えないけど、もう少し見た目に気を遣って、もう少し行動的にちょっと女性お茶にいってみるとか、それぐらいのことで何かいい縁を作ることもできたと思う。

Aさんは悪い人じゃない。Aさんを嫌う人も見たことがない。そのAさんがいきなり客観性を失って職場の一回り以上若い女にいきなりこんな「キモいおじさん」そのものの振る舞いをするなんて信じられなかった。

特別に大きな事件もなく、悪い人でもなく、じわじわ普通のおじさんが希望を失って耄碌していってる過程を見ている。

Aさんに何かいいことあればいいな、と思うんだけど、もっと早く行動してたらよかったのにとしか思えない。

2023-10-09

現状、右翼陰謀論者の投票先って感じだからなあ

アメリカみたいに国民の40%が何かしらの陰謀論を大真面目に信じている程度にならないと頭打ちになると思われる

2023-10-05

anond:20231005212846

名目上だけではなくて役所縄張り問題

厚労省が主管する限り「福祉」で、社会福祉法人が主役の座を譲らない

サービス価格が安く抑えられるのは一見素晴らしいように思えるが、保育士供給頭打ちになる

料金に応じてサービスの質や可用性にバリエーションを持たせることもできない

福祉でも教育でもなくて産業振興なら、厚労省でも文科省でもなく経産省が主管となって、託児施設運営しなければならない

資本主義原理にのっとって、都会のパワーカップル要望に応じて、それなりの金額を出せば上質かつ十分な保育サービスを受けることができるようになるのが望ましい

2023-09-25

20年、30年後の世の中を予想する

結論めっちゃ変化がないと予想

 

30年前といえば1993年くらいだ

まずこの30年、言うほど変わっていない

若者が減って元気がなくなったくらいだ

同様に、こっから30年で変わることはほとんどない

 

未来への予想は余計に立たなくなる

この30年を見ると、どんどん5年後が想像できなくなっている

ただしあくまでそれはビジネス上の話

それ以外は予想できないというか変化がない

 

学校ほとんどかわらない

こいつはマジで変化がない

ただ、髪を染めるのくらいOKになっていてほしいが

 

AIによる変化は言うほどではない

ググるのと同じようにAIに聞くようになるだろうが

インターフェースが若干かわるだけで、やってることとしては大して変わらない

AIの肝はあくまインターフェースであり、裏にある価値を使いやすくなるだけである

から音楽を聞く」とか「動画を見る」とか「飲食店を予約する」みたいな価値部分に変化が起こるわけではない

んで、それらを現状あまり活用できていない60代以上は退場するので、結果現状と大差は起こらないんだ

 

ゲーム進化は止まる

人の認知能力限界が来ている

もう既にリアル映像は作れているわけで、これが少し変化しようが頭打ちである

 

AIによるエロはどうなるかわからない

ワンチャンすごいことになるが、規制される気がするから

 

家族構成も言うほど変わらない

現状起きている少子化は、未婚率の変化によるもの

から独身が増える一方で、家族の方は変化がない

 

独身が増え、老人が増える

ここは大きな違いではあるが、今の都会が地方雰囲気になるくらいの差でしかない

既に子供ほとんどいない集落というもの存在している

アレになるだけだ

 

アバターコミュニケーション進化しそうである

TikTokによる化粧や、AIによる自動生成など、あれらが進化するとアバターと美化の中間のようなものはできるはずで

それを用いたコミュニケーションは起こると思う

エンタメ範疇からは出ないと思う

 

一番期待してるのは自動運転

旅しながら仕事したい

2023-09-03

anond:20230903100612

市役所だが1日中ボーっとして何もしないBさんがいた。何もしない理由簡単所掌事務実質的になかったから。管理職はケツを拭く手間をなくすために仕事を与えなかったが、当の本人他人の目を全く気にしない無敵の人だったので毎朝定時に出勤して夕方定時に帰るまでただ座ってボーっとしていた。上司はたまに暇に耐えきれずに寝てるのを注意するくらい。

Bさんの給料40代頭打ちになっているがそれでも700万くらいでコスパならトップクラスであった。ほぼ最低賃金で働いている非正規を尻目に1日出勤するだけで若手平均よりもずっと高い給料がもらえていた。有給は当然全て消化。これと比較したらJTCのBさんなんかかわいいもの

大阪維新が躍進したのも、こういう公務員府民市民が知っているからだろう。どこの自治体でもいるとは思うが、公務員に限らず、クビにできないって本当に悪な制度だ。大阪派遣を使いまくるのは結局Bさんをクビにできない制度の中での最適解とも言える。

2023-08-24

anond:20230824093530

ゲーマー向けとしての需要も高いっちゃ高いけど、ゲーミングの用途としては頭打ちしてるからなぁ。

最近特にゲーム用途で無理に高額なグラボ買う意味も無いし・・・

一時期はマイニング需要もあったし、Nvidia強いわ。

2023-08-18

anond:20230818004933

JTCらしい水準です。転職後は同水準600万程度からまり、30台で750〜850万が想定されます。その後、管理職にならなければ900万程度で頭打ちでしょうか…

2023-08-14

anond:20230814133245

ワイちゃんそもそも適齢期に大不景気やったから周囲みんな結婚してなかったやで。という話。周囲に流されたのではない、仕事もねえ給与が上がる見込みもねえ。そんな状態結婚しても経済破綻まっしぐらだったろう。結婚しなくて後悔とかそういうぬるい次元の話はしていない。結婚すれば経済的頭打ち貧困層に没落、死ぬ

2023-08-09

趣味or子供orプライドを持てる仕事or金が稼げる事or円満家族必要性

やっと理解してきたわ。

これらが一切ないと年齢を重ねるたびに失っていくものしかないんだ。

趣味があれば「俺の盆栽は◯年モノだぜ?」と出来る。

子供がいれば「ウチの子ももう◯歳」って出来る。

プライドを持てる仕事なら「俺もこの業界で◯年か……」となれる。

金だけでも稼げれば「貯金が◯円溜まってきたな……」が少なくとも残る。

俺さ、何も残らなかったよ。

ダラダラ流行り物追いかけて何となくアイドルライブ行ったりゲームやったりしたけど、なんか全部虚しくってさ。

今やってる仕事も金稼げるわけでもなければ人の役に立ってる感じもなくてただただ生きるための最低限の金を得るためってだけだ。

家族とか恋人とか友人とかとの付き合いもなんかコレといったものがなくて、生存政略としてやってるだけって感じだ。

こういう時に子供がいたら絶対楽だろうな。

少なくとも子供が育っていればなんか残した気になれる。

逆にそういう人間が突然子供失ったらもうどん底だろうな。

老い自分の体と、もう大して好きでもない結婚相手ぐらいしかなかったら、もう狂うしかないんじゃないのか。

辛いな。

失うものばかりの人生は辛い。

何かが残ればよかった。

筋トレとかも素人が雑にやったら5年ぐらいで頭打ちになるじゃん。

なんか最近は何も残った感じがしないんだよな。

緩やかな低空飛行を少しマシにするので精一杯。

趣味が欲しいけど、流行り物雑に追っても結局覚めるだけだからな。

運命出会いたいわ

2023-07-28

アクションRPGなんかのゲームをやると、キャラクターステータスが数値化されていて、成長のバランスを見たり限界値が分かったりする。

それを見ていると、果たして自分自身ステータスはどのようなバランスなのか、そして成長の限界値はどれくらいだったか、というのを知りたいような知りたくないような気持ちになる。

もし本来向いているステータスバランスとまったく違う方向に数値を上げていたり、逆に限界値に届いていて頭打ちになっていたりしたら悲しい。

遺伝子的にそういうものが計測できるようになったとしても、精神的には良し悪しだなと思う。

2023-07-25

anond:20230725102953

それでなんとかできるうちはそれをやる

それで頭打ちになったら業種を変える(いわゆるリスキリング)

ただ、リスキリングは単なるバズワードからどこまで効果があるか不明

2023-07-23

「何言ってるのか分からない」と他人表現の仕方のせいにする人

こういう人は理解できることが普通より低いところまでで頭打ちになると思う

理解できないのは表現された内容そのものに対する自分知的水準の至らなさではなく表現形式のせいと信じて疑わないから、もっと理解力を上げるように背景知識を学ぼうとかいうような方向に心が向かないんだもの

そういう奴に高度な物理数学は無理

2023-07-17

anond:20230717095313

今のコンビニで言えば

出店数が頭打ちになったか利益率を高めるには何とか値上げするしかないだろ

まり経営方針の差

2023-07-11

ギター三日坊主を超えたぜ

メジャーコードは全部覚えたぜ

ロマチックを地道にやってればメキメキ上達するビジョンが見えるのと同時に、そこそこの所で頭打ちになって苦しむ未来も見えたぜ

あとギターも程々にさっさと内定を取らんといか

アニメの絵の質って頭打ち

配信で見れるようになったので昔のアニメ見てる

その話の終わりに劇画調の静止画になったり、同じシーンを3回繰り返したり、静止画がじりじりアップになったりするような画面の比率が4:3の時代のやつだ

さすがに古い絵だって一目でわかる

なんせ40年とか前のアニメ

だが今のアニメはどうか

40年後に見直して「古い」って思うだろうか

40年経っても遜色なさそうと考える一方で何らかのイノベーションも期待してしま

2023-07-10

久々にQiita覗いた

デザインとか一覧とかいろいろ変わったみたい。

で疑問なんだけど、これ、企業団体個人の人脈、固定ファンを持ってない人の記事ってどういう導線があるの?

ホームトレンドも半分以上がオーガナイゼーション所属か見覚えあるアイコン

企業系はもう身内でいいねだかLGTMだかを押し合って押し上げる印象しかないし。

有象無象投稿者一見さんが訪れるのはせいぜいアドカレ?年末だけか。

Qiitaって今、盛り上がってるのか…?

2022年ランキング見ても

https://qiita.com/Qiita/items/75a34af032d898a86679

Contribution数0は除いてるし実態がわからない。

ひとつストックされない記事がどれぐらい埋没してることやら。


覗いたついでに一個記事を上げてみたけど、初日の閲覧数100前半で止まった。

読み物でもなく需要トレンドがあるわけでもない記事だけど100人ぐらいにしかクリックすらしてもらえないんだな。

数年前の3いいねぐらいの記事でも5~7000viewぐらいあってクローラーだとかの細かい積み重ねにしてもひどい頭打ちね。

今、ゼロからQiita投稿していこうってエンジニアは何をモチベに投稿し何かしらモチベになるものを受け取れているのか…?


まあ、Qiitaはもう昔から内輪で回す閉じたコンテンツだっていうバイアスをかけてるからそう見えている可能性が高い。

QiitaとかZenとか日本語版スタックオーバーフローとかteratailとか、ここらへんのコミュニティ環境を定期的に解説してくれる人いないかなぁ。空気感とかこんな出来事があってこんな風になったよとか。

下世話すぎるか。

今後万が一復帰するならまだZennがオススメなのかな。なんか他にQiitaクローンあった気もするけど。

個人ブログ時代はてなブログマネタイズすっか!

2023-06-30

打ち止め

直感派を自称して、何でもある程度出来たのだけれどもいつもどこかで頭打ちになってそこで終わり。運動スポーツ勉強も、何もかも偏差値60ぐらいで止まってその先に行けない。だから理論必要なんだと何もかもを分解して分析してみたけれども直感でやってる時よりも下手になったり、良くても明らかな差は出なかった。自分なりを継続するのがいいと分かっているのに、自分なりだから先に進めない。とても受け入れ難い。ここまでがあなたの才能です、はい終わり。そこであなたなりの幸せでも見つけてくださいねバーカバーカ。神様バーカ。

2023-06-29

「ひたすら今を凌ぐ」以外の仕事したことがないんだよなあ

まあ掃除夫とかそういうタイプ仕事イメージして貰えば良いんだけど。

とにかくメンテして長持ちさせる……場合によっては寿命を削ってでも一時的な見栄えを良くするだけの仕事

それをずーっとやってる。

なんかたまに虚しくなるんだよなあ。

とにかく時間内に合格点を満たすだけなんだよこの仕事

時間制限と最低ラインの両立以外は何も存在しないと言って良い。

たまーにイレギュラーが起きることはあるけど、自分立場で出来るのって状況の報告ぐらいでさ、本格的に治すのはそれぞれの専門家なんだよね。

結局そういったとき専門家がどこまで上手くやってくれるかの方が、その現場のその後への影響としては自分の日頃の仕事よりも遥かに比重が大きい。

色んなことが頭打ちなんだよなあこの仕事

給料は当然として自分自身の成長も完全に止るしさ。

年齢だけ重ねてドンドン周りから収入も離されて、転職市場での価値も細まってくわけ。

やっぱ仕事って「何かを生み出す」って方がハードではあっても遥かにやりがいがあるんだろうな。

俺も最初の頃は「誰かが土台を支えていなきゃ駄目なんだ!」みたいに息巻いてたけど、それを言うなら「誰かが始めたり伸ばしたりしなきゃなんだ!」の方がやっぱ遥かに強いわけよね存在意義のパワーみたいのが。

なんだかなあ……自分を甘やかす言い訳ばかりして生きてきた果てというか、随分と人生がしょーもなくまとまったもんだよ。

これで時間的に余裕があるなら良いけど、割と薄給激務な面もあるんだよね。

クリエティティのない薄給激務は気持ちドンドン削れていくよ。

でも能力低めで強いて言うならサビ残耐性ぐらいしかないオッサンの居場所って転職市場にはないのよねん。

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