はてなキーワード: 頭打ちとは
生成AIに関して詳しく書いてある文章があったので、興味深いと思って読みました。
ttps://note.com/freena_illust/n/ne1442b0563c3?sub_rt=share_b
返歌ではありませんし、技術的根拠も出せませんが、思ったことをまとめたいなあと思いました。
断っておくと、上記の記事に対して肯定的な感情を抱かなかった人が書いてます。
そして生成AIはChatGPTを無料でしか使ったことがない人が書いてます。
嫌な予感がする人は読まないほうがいい。
冒頭で書いたように私は生成AIに詳しくはありません。
でも一応話の軸がぶれないように、最初に主張したいことを述べます。
「高精度なAIには大量の学習データが不可欠だから、権利問題をクリアしても未来はなさそう」です。
先日びっくり発言を見かけました。
曰く、生成AIの技術を認めている人はすべからく盗作を認めている(意訳)、とのことでした。
現在の生成AIツールがそうなっているだけなので、学習元を変えれば権利侵害にはならないはずです。
まあ技術的に可能というだけで実際にそうする人はいないと思いますが。
権利の問題が解決されていないのに生成AIのツールばかり絶賛するものだから、生成AI賛成派は著作権を踏み倒していると解釈されるのは理にかなっているとも思います。
先に述べたように、私は生成AIに限らず、AIという技術が発達すればいいなと思っています。
がしかし、問題があるとすればAIという技術には膨大な学習データが必要で、ネット上にある膨大なデータは全てが著作権フリーではないということです。
さて、件の記事では「無許可のデータを学習」という文がありました。
ふと思ったのですが、逆ならいいのでしょうか。
ですが、「許可されたデータ」の数とはどれほどなのでしょうか。
それで生成できるコンテンツとは何なのでしょう。
ニューラルネットワークの階層が極端に少なく、陳腐なものが成果物となるでしょう。
法で「許可されたデータ」のみを学習対象とするように律することは出来たとしたら、AIの未来はないと思います。
理由は当初に述べたとおりです。
機械学習の本を読んだら寝たので諦めましたが。
それで、だいぶ路線が違うのですが、過去に形態素解析をかじっていたころがありました。
その際に「データ量が少ないと何もできないな」ということを痛感しました。
形態素解析というのは文章をスパスパ区切って順位付けなり分類なりをするというものです。
その文章をスパスパ区切るために、単語の分類と区切りが記載されているであろう「辞書」が必要になります。
「今日魔界ではどちゃくそ雪が降った」という例文があったとして、
単語量の少ない辞書では「今日/魔/界/では/ど/ちゃ/くそ/雪/が/降った」
単語量の多い辞書では「今日/魔界/では/どちゃくそ/雪/が/降った」
になる、というかんじ。
イメージ図なので本当に魔界が分割されるかはわかりませんが、固有語はほとんど未知の単語と認識されて分解されると思います。
無料に頼るからよくないのですが、ネット上の無料の辞書は単語量が少ないため、現代風の言い回しがだいたい判別できません。
ボボボーボ・ボーボボなんてこようものなら、もはや人名とすらも認識されません。
いやどっちかというとマンガ名か?
いいかんじにメンテされてた辞書も、とある日を境に更新されなくなってしまいました。
そんな具合で、当時はデータ量が少ないと何もできないなあと、役に立たねえなあとひしひし感じました。
先ほどの無許可、許可のことを書きながら、このデータ量のことを思い出しました。
文章生成AIであれば、学習する際、単語を分割したり重みづけをしたりする際に相応の辞書を使っているはずです。
要はデータ元もそれを補助するツールも、多くのデータがあればあるほど真価を発揮するはずなのです。
フェイク画像やらなにやらが話題になったのは、サムネイル段階で目を引く造形だったからですよね。
その点では遠目で人の興味を惹く成果物を作れるほどになった技術自体は賞賛すべきものだと思います。
でもそれで作られたものって盗作だよね? という声が聞こる気がしますが……。
私も趣味で絵を書いたり文章を書いたりするので、同一のもの、あるいはひどく酷似したものが他者から後出しで出されたらぞっとします。
この手のものはトレパクというものに当てはまりますが、時系列の証拠を出せばおよそどちらが権利を侵害しているかが認められるものだと思っています。
ただ、生成AIでの成果物は本当に権利を侵害しているのか、という疑問はあります。
ttps://note.com/compass_0000/n/na536a5d16c7a
上記の記事はとある絵師さんのトレパク疑惑について書かれたものです。
記事の内容を見ても、この勝訴した絵師さんはトレパク冤罪をかけられたものだと思えたのですが、某SNSで検索をかけて驚きました。
敗訴した絵師さんをかばい、勝訴した絵師さんを非難するような方が多く見られたのです。
しかも裁判が起こるだいぶ前にこのトレパク問題はとても話題になり、「トレパク疑惑」というところがすっぽ抜けて「トレパク」とだけ把握する人が多数いたようです。
つまり、かの絵師さんには「トレパク疑惑の絵師」から「トレパクの絵師」というレッテルが貼られてしまったのです。
そんな先入観からか、はたまたもう片方の絵師さんを妄信しているのか、ふたりを殆ど知らない私ですら妥当と思った判決結果に疑問を抱く人が世の中にいます。
証拠がはっきりしているトレパク裁判ですら、すべての人が納得出来ていないのです。
(なんでだろうね)
トレパクではしばしば線の重なりが証拠として出されますが、生成AIでの盗作の証拠とは何なのでしょうか。
私の作品を学習してると思います、という見知らぬ絵師さんの引用投稿を以前見かけたことがあります。
こことこことここがその証拠です、と赤丸をつけていた記憶があります。
決して私も詳しいわけではありませんが、かの絵師さんは生成AIの生成過程をご存じないのでは、と思いました。
1枚の絵が与える影響がそんなに大きいとは思えません。
ノイズを出してから1px単位で要素を除外していく、という過程だけを知っていたらそんな言いがかりはつけないと思います。
今、このような方がどれだけいるか分かりませんが、身を守るのだとしたら敵を知るべきです。
思い込みや無知では戦えません。……と思い込みでこの文章を書いている私が言うのも説得力がありませんが。
絵柄を寄せて作り出した成果物であれば話は別です。
あえて特定の絵柄に寄せ続けた成果物を作ることで、模倣元の著作者が得るはずだった利益を奪い取ったと訴えることが可能と考えます。
が、この場合も似ている絵柄などごまんとある、という反証が出来てしまうのかなとも思います。
「学習したことの証拠」よりは「模倣したことの証拠」のほうが敷居が低そうではありますが、それでも茨の道ではあります。
逆に言えば証拠らしい証拠を出せないのが生成AIなのかもしれません。
裏はブラックボックスなので……。仮に問い合わせて計算データ云々を入手できたとしても数値の羅列でしょうし。
現状では、生成AIの成果物は盗作疑惑が永遠に付きまとう、という認識にしかなりえないと思います。
盗作じゃないって証明でないならいいじゃーんって開き直る人がいそうですが、グレーゾーンって喜んでいいのかなあ……。
「高精度なAIには大量の学習データが不可欠だから、権利問題をクリアしても未来はなさそう」です。
データがたくさんあればAIという技術の発展が見込めるけれど、それには権利の問題が立ちふさがる。
仮にそれが権利者の権利を守る段階に来たらAIの発展は終わる。
でも、現状の生成AIの成果物は権利侵害をしているともしていないとも言い切れないのでは?
そう思っています。
NFTがいい例ですが、著作権を持っていたとしても物理的には何の意味もありません。
権利持っている人以外スクショできる機能なんてスマホにはありませんし。
絵を描いたのならばAI学習疎外ツールを使って自己防衛する時代になっています。
正直、盗作盗作いう人たちの決めつけ発言に辟易しますが、グレーゾーンであることは変わりませんし、この先白か黒かに変わることもないと思います。
そうです、私はAIという技術が気になっているだけあって、生成AI技術=盗作ツールというレッテルが貼られるのが嫌だなあと思ってるだけです。
今現在は否定できる証拠もないので、断言はできないでしょ! としか言えないのですが。
AIがうまーく発展してる未来のフィクションはどうやって高精度で大容量なデータットの獲得と権利問題を解決したのでしょう。
フィクションに聞いてもわかりませんね。
そうそう思い出した。
DXが進んだのはコロナの影響という話を以前聞いたんです。
企業がちまちまやっている業務効率化や働き方改革なんてちっとも効果がなくて、COVID19が一番の功績者だったと。
その部分はただの皮肉でしたが、事実でもあるので、人間って環境が変わるとそれに対応していくんだなあとつくづく感じました。
とはいえ、今回話題にしている生成AIはおよそ画像生成AIのことを指しているので、環境変化によって必要に迫られることはないと思います。
何に使うんだろう。
気にはなってるけど傍観者なもんで……。
なんかこう、心理学に似てるような……一般人は何に使うんだろうってなる……専門家は分かってそう……。
技術の発展って難しいですね。
ペンタブで描いたものよりアナログの絵が賞賛されたように、ハイテクはすごい、という先入観があるのかもしれません。
すごいからずるい、になるんでしょうね。
障害があって絵が描けない人が生成AIで絵を出せるようになったという話を見たとき、そういう人もいるのかと感心しました。
乱数要素も絡むため、著作物であると主張できるかはさておいて、想像したものを出力できるのは楽しいと思います。
……使ったことないですけど。
生成AIには一定の規制が必要と強めに思っているけど、俺みたいな無産からすると、ぶっちゃけ一次創作者の既得権益とか、学習に使用されない権利とかはわりとどーでも良いんだよな。
問題は生成AIが創作者の完全な代替になれない癖に創作者を害する能力が高すぎる点なんだよ。
結局、現状のAIの技術レベルじゃ生成物も二流の域を出ないし、学習元が枯渇したら発展も頭打ちになる。
それなのに、考えナシに創作者を潰せば、まず最初に市場が死に、次いで文化そのものが死ぬ。
個人的には初期のベッタリしたAI絵柄のイラストしか碌に出力できなかった頃のNovelAIなんかは、市場にたいした影響を与えないおもちゃの域を出ていなかったので、肯定的に見ていたけどね。
生成AIでもとくに荒れる話題の多いイラスト界隈なんかを見ると、絵師当人じゃなくて周囲のオタクなんかもAIに否定的な意見を持つ人が多いように見えるけど、これも素晴らしい絵を提供してくれる絵師に嫌がられてまで生成AIを生かしても、それが消費体験を向上させることには繋がらないという感覚があるせいだと思う。
多くのプラットフォーマーが自サイトでAI生成物の隔離や禁止を決めたのも同じ理由を市場レベルでより深く理解しているからだろう。
反対に、はてななんかで見かける無節操な生成AIの自由を求める意見の人は、そういう各創作ジャンル周辺の文化そのものには興味がなくて、技術進歩を眺める方が楽しいんだろうな~って人が多い印象。
全体の半分くらいのポケモンを捕獲していて、強メンバーも固定になってきている。
最近、新たにログインボーナスが設けられたということは、毎日アクセスするユーザーが減ってきているということだろう。
初期から始めた人ほど、現環境ではゲーム部分が頭打ちになっているだろうことは想像できる。
今Netflixなどの配信サービスが増えたことでアニメが伸び、副次的に漫画が伸びつつあるが
これって偶然なんだろうか
日本は大体自国で楽しんでいたところに、アメリカが突然コケて結果海外でバズるみたいなケースが多くないか
で大体2番手にいつもつけてて、アメリカがコケると自動的に抜き去ることもある
まあアメリカが復活すると追い抜かれるんだけど
人口と言えば中国は伸びているものの思ったほどではなかったよね
10年前は中国がもっとコンテンツ業界でも席巻するんだと思ってたが
まだそうなっていない、俺にリーチしていない
雑な考えだけど、人口よりも文化醸造に時間がかかるのかもしれない
たくさん出るし作家性を残している、売れたらメディアミックスしていくみたいな仕組みはオーディション的でありリスクをかなり減らしている
ラノベでもそれは起きたし、エロゲでも起きた、それらは一定数文化規模が拡大した(頭打ちになったけど)
もったいないのはスチームが日本でできなかったことだね、あの仕組み作られたら負けるよ(と思ったけど案外負けてないのがまた意外)
日本のコンテンツが伸びる必然性があるなら伸び続けるのかもしれん
そうだ、実写界隈って明らかにハリウッドの影響でしぼんだ説あるよね
強いところが現れるとほかがしぼむ可能性はあるね、俺は逆だと思ってたんだけど
空に舞う白いハチマキ。
そこにおれの白いハチマキは無かった。
...
「増田団長に着いてきて良かったです! T地区最強! 来年は任せてください!」
「最優秀賞おめでとう! 悔しいけど今年はお前らだったよ、受験頑張ろうな!」
「仕送り机の上においておいたから、明日から勉強頑張りなさい。今日はかっこよかったヨ」
などの、その日を締めくくる素敵なメッセージがたくさん届いていた。
それぞれが立場を違えても、今日という日はそれぞれの人生に違った意味を持って刻まれたのだろう。
おれにはどう刻まれたのだろうか。
深夜練という名の集まりが明日からなくなること。そしてその週末にはもう統一模試があること。
今日までの日々が青春だったと、日が経つほどに強く感じるのだろうなと思った。
しかしそれを認めたく無かった。それを認めると大人になってしまう気がした。
この儚い気持ちを仲間と共有したいが、身体は睡眠を欲している。
そんな中で気力を振り絞り、学寮の友人と語らった。そんな夜だった。
今日を噛み締めたものから、1人、また1人と自分の部屋に戻っていく。
学寮の大広間は静かになっていく。大広間から出ると、その瞬間大人になってしまう気がした。
そんな気持ちのせいで、結局おれは最後まで大広間にいたのだが、遂にあいつは来なかった。
同じクラスで、同じ部活に励み、同じ寮で過ごす、おれが最も今日の感情を共有したかったY田のことだ。
おれはY田に伝えたかった。「優勝はおれたちじゃない。」と。
...
卒業生が資金を拠出する組織があり、その組織が確か設立100年は超えていたと思う。
生徒たちは自身の出身地域別に「地区」と呼ばれる組織に配属される。
中学校の統廃合を勘案せずに、創立当時の区分けを守り続けてきたため、同じ中学校でも、違う地区に配属されることがよくある。
体育祭では、この地区間で「競技」と「演舞」で競うことになる。
競技はみんなが想像する一般的なものだ。100メートル走や綱引きとか。
(なぜかムカデ競争以外の種目は練習することが許されていなかったため、「競技」を中心に活躍する生徒は、青春の多くをムカデ競争に費やしていたのを覚えている)
午前に1回、午後に1回、各チームの応援団が学ランと扇子、太鼓のみを用いた演舞を披露するのだが、その演舞は「創立当時から守り継がれる」ものだった。
日陰のおじいちゃんやおばあちゃんが、高校生の演舞に合わせて手を動かしていることがよくある。それくらいその地域では知られ愛され親しまれたものだった。
また、各地区の団長にのみ、先代の団長から「歌言」が描かれた扇子が受け継がれ、演舞の終わりにその「歌言」を空に向かって読み上げ、その言葉に自身の青春を重ね涙が溢れる大人もいる。
おれはT地区の団長として、そしてY田はR地区の団長として夏が始まった。(イニシャルを用いているが、実際は地区名となる。)
部活でも、クラスでも、学寮でも同じだったおれたちは、夏からより深く話すようになった。
Y田の所属するR地区の演舞は流線的で、とても弱々しく見えること。
おれの所属するT地区のOBがよく菓子折りを持って見にくること。
Y田の所属するR地区のOBは「また最下位だろ?」と嘲笑しにくること。
おれの所属するT地区の深夜練では、演舞がシンプルなので、練習が早く終わりすぎて、喋ったりお菓子を食べたりしていること。
Y田の所属するR地区の深夜練では、「この演舞だしどうせ負けるっしょ」という空気が蔓延していて、1人で頑張っている気持ちになっていること。
「伝統のある演舞のせいで、おれの青春が頭打ちになるのはおかしい。」
そう決断したY田は、100年続くR地区の演舞を変えられないか動き始めた。
まずR地区内でとても揉めたらしい。女子の団長がとても真面目で、伝統を崩すことに猛反発したと。
次にOBと揉めたらしい。先代の団長から、長々しく生々しいメールを受け取っていたところを見せてもらった。
流線的ではありつつも、それがどう美しく見えるか、どう迫力を出すか。
実はR地区のRとは、「龍」のRなのだ。だから流線的であることが求められた。
「Y田のせいで〜」
そんな話をよく聞くようになった頃、体育祭が近くなり、おれは自分の率いるT地区のメンバーと過ごす時間が多くなり、Y田とは話さなくなった。
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そして体育祭当日。Y田率いるR地区の演舞は、例年のアオダイショウのような弱々しい流線的な演舞から、その名に違わぬ龍のような演舞になっていた。
流線的に、爆発的に、人の身体と扇子だけで、ここまで美しくなるとは思わなかった。
おれだけでなくみんなそう思ったのだろう。演舞が終わった時、会場からは、R地区に向けて聞いたことのないような拍手が、意味のある長い時間続いた。
そして結果発表のあのとき、みながR地区の優勝を望み、優勝を分かり切っているとき、校長は読み上げた。
R地区の苦労を知らないものほど、白いハチマキを高く放り投げていた。
そしておれは、あのとき、おれは、自分の白いハチマキに手をかけることすらしなかった。
Y田を思い、どうしても投げられなかった。
今思えば、教員達が、R地区のOBに対する忖度をしたのだと思う。そして、変えていくという文化を肯定しまうことを恐れたのだと思う。
ただしその年、R地区は創立以来の優秀賞を獲得した。
遠目に見るY田は泣いていた。悔しさか嬉しさかわからないが、ただ泣いていた。
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おれも何者かにならないと会うのが恥ずかしい。そんな恥ずかしさのせいで、あれから会えていないよな。
こんなかたちで伝えてすまない。
イヤイヤ期を卒業したはずの幼児が「あれ買って」って言うやん?
予定になかったり、予想外に高くて手が出なかったりするやん?
「欲しいんやね。でも今日は買う約束してないから買えないよ」って言うやん?
幼児、大泣きするやん?
こう言う時の最適解がわからん。
お店の迷惑になるから泣き止ませたいけど、泣いたら親が言うことを聞いてくれると学習されても困る。
共感する?共感している時は良いが買えないとわかると余計になく。
抱き抱えて外に出る?15キロを超えた暴れる幼児を抱き抱えて歩くのは無理(落として頭を打ちそうで怖い)。
買う?泣いたら周りに言うこと聞かせると学習されると困る。
諭す?まだ無理。
結局、お店で暴れて頭打ちそうになった幼児を思わず「頭うつ!」と抱き抱えて無理やり外に出たが、数メートルで力尽き。
「嫌だ!!!!!買うの!!!!!!」といきなり公道をダッシュ。
「危ないって言うとるやろが!!!」と抱きかかえて、交換条件つきで購入する羽目になった。
イヤイヤ期こんなんだったね。
こう言う時って結局どうしたらいいんだ…
単価はすごく硬直性があって、取引先を有名企業にでもしない限り増えないとわかったから
その「とにかく量を増やす」が頭打ちになって、とうとう八方塞がりになった
量を増やす方向で、稼働を安定させてもう2割くらい仕事を増やす事を考えたが、チームのレベルがどうしても安定しないためきっちり予定通りにならないという悩みに当たった
他の道も考えてるけどどうにもこうにも
→今以上にもらえるのってシリコンバレー行かなきゃ無理だろ
→理想的だが死ぬほど難しい、ベンチャーや個人開発勢と関わることが多いのでよくわかる、自分ができるとは思えない
・人を増やす
→理想的な受託開発チームができたとして、優秀なやつは出ていくしジリ貧なのは知ってる
数人増やす程度ではダメで、数十人規模になるからゲームがガラッと変わるし後退の道が塞がれる
とにかく何か事業考えないと
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ