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はてなキーワード: 路線とは

2022-11-29

雀魂の広告表現

広告表現の是非はともかく、雀魂は、Vの人たちがこぞって使った影響で子ども麻雀始める入り口になってるんだからエロ路線ちょっとやめてほしいんだよね。

まあ、エロキャラ出してガチャ引かせないと儲からいから仕方ないと思うけど。

何かを規制するということ

何かを規制することで社会をよくすることは出来るのか?

社会を変革させるためには2種類の手段がある。

何かを開放することと何かを規制することだ。

例えば人種差別

米国ベースボール世界でも昔は黒人プレーヤーになることが出来なかったと聞く。

しかし、そういった差別(暗黙の規制)を開放することで社会はよりよい形へと変革させることが出来る。

 

改革開放というやり方がある。

中国なんかは比較的貧しい国だったが鄧小平改革開放路線経済特区のなかで規制を開放して経済活動を出来る仕組みを作った。

その結果、世界第二位経済大国へと発展した。

こんなふうに世の中を変革するのに開放というやり方は有効である

 

一方で世の中を変えるためには規制を導入することが肝要である考える人達がいる。

僕はそのようなスタンス否定的だ。

ルールというのは行き過ぎた開放による弊害が出たときの最小限の規制であるべきだと思うからだ。

基本的に人は自由だ。人による表現の自由保証されることと同程度に自由である

とはいえ人間社会というのは人の自由をそれほど保証してこなかった。

人類がその社会運営していく中で様々なルール因習というものを積み重ねていった結果として人は様々なものに縛られる結果となった。

そういったものを「開放」することを目指した結果としてあらゆる人種やあらゆる性別社会進出して活躍する世の中を実現しているのが現代社会である

しかし、何かを「規制」するというのはその方向性真逆であることの危機を察知できない人たちがいる。

 

物事価値観というのはそのときどきで変化する。

それは文化というものが変化するということで、その変化がこそがまさに人類の発展である

しかし、ある特定価値観を強く主張して物事に対して規制をかけようとする考えを持つ人達は、ある価値観による社会固定化を望む人たちだ。

そういった社会は結局のところ、新しい差別や新しい因習を育むための土壌にしかならない。

から、僕は表現の自由規制することに反対なのだ

 

別に駅のど真ん中にポルノを置くのが望ましいとは僕だって思ってはいない。

でも、それでも駅のど真ん中にポルノを置ける世の中のほうが僕は望ましいと思っている。

そもそも駅のど真ん中にポルノを置けない社会だったのだ日本は。

なんと破廉恥な!と昭和初期の社会であれば否定されていただろう。

そういった社会を変革していった結果が今の社会なのだ

 

オタク文化というものは本当に抑圧されてきた。

漫画アニメを好きである

そういった「正しくない」考えを持つ人々のことを「オタク」という蔑称差別したのである

そういった歴史があるのだ。

もしオタク文化を気に入らない人たちが、どんどんと規制」をかけていったのなら今の日本文化は随分と違ったものとなっているだろう。

 

人間社会にはルール必要である

しかし、それは「開放」を保証するための規制であらねばならない。

決して、特定の人たちの趣味嗜好を満足させるための規制であってはならない。

2022-11-27

切符

自動券売機で料金選んだら違う到着駅しかでてこなくて

目的駅の近くの駅を選んだら違う路線の違う到着駅の乗車券がでてきた

改札通ったし同じJRだし運賃は一緒だから大丈夫だよな?

2022-11-24

anond:20221124194421

うわー!めちゃくちゃありがとうございます

ミステリアス的な路線も考えてたので、教えていただけてよかったです🙇‍♀️

では、相手の話を聞くことは前提として、私自身のこととかもけっこう喋ったとしても大丈夫ですかね??思いついたこと全部話しても大丈夫ですか??

2022-11-23

anond:20221123112324

憎悪愛情の反転なので虐待はどっちかっていうと子供への執着の強さによる

嫌いな子供に執着することなんてないし、そもそもそいつのせいで犯罪者になどなりたくないか

普通子供嫌いな親はその路線(無関心)で行くよな

統一教会メディアVtuberがズブな件」は今見るとだいぶグレーだな

最初記事(https://note.com/faqfaqyou/n/n21d79f41b548)は世界日報メディアにVが特集されているという事実のみから引っ張って関係性を主張して、

それをもって「統一教会メディアVtuberがズブ」だなんて言って撤回させられてたけど

安倍首相暗殺からの今を経るとやっぱり世界日報統一教会メディアといって差し支えないじゃん。

もちろん記者趣味だったんだろうし、PVあんまり伸びなかったか記事を書くのを辞めさせられたんだろうけど。

記者記事(https://note.com/ryuhga/n/n9454556b9eec)を見ると世界日報は家庭連合(統一教会)とほとんど関係無いと何度も書いてあるけど、

それが欺瞞であることは一連の出来事を知った俺達はもうみんな知っていることじゃないか

 

この記者統一教会信者もしくは統一教会と相当親密な関係にあったんじゃないか

とあるごとに家庭連合と言い直させるムーブも含めて妙だし、そもそも信者でもないのに統一教会メディア企業に入るのもあり得ない話では無いにしてもやっぱり不自然なんだよな。

Viewpointというメディアカジュアル路線記事配信することによって信者を獲得するための手段だったんじゃないの?

 

統一教会といえばおぎの稔が未だに渡瀬裕哉と関係を切ってないこともヤバい

https://ichikokumin.jp/

渡瀬裕哉は幸福の科学とも関係しているらしい(https://note.com/point2000/n/nc6fc0d809cd0)から統一教会信者では無いだろうけど相当親密な関係にあることは火を見るよりも明らかだし。

こいつと関係を切らない限りおぎののことは信用できないわ。

 

で、そのおぎのとズブなバーチャル美少女ねむは今はどう考えてるんだ?統一教会メディアとはズブじゃないようだが。

あのときは「統一教会?なんて新興宗教は知らないんですけど!」なんて愚かな態度を取っていたけど今はもうそんな態度じゃいられないよな。

おぎのにきっぱり「渡瀬裕哉と関係を切ってください」と言うべきなんじゃないのか?

一ノ瀬家普通に胸糞でキッツイ

タコピー大丈夫だったけどこれは普通に苦手なやつ

タコピーでウケて完全胸糞路線行っちゃったんかなあ

2022-11-22

クール・ジャパンの何が悪かったのか、雑感

アニメ漫画海外でも受けているというが、

「パクれば儲かる」「タダで見れ消費するより更新頻度が高い」

というあたりだったのだと想像する。

ファンは居ても、どうすればお金を払ってくれるかというのが弱かった。


ゲーム3Dアセットなどもそうだが、パクってそのまま海外販売するのは普通に起こっているし、

アニメ漫画画像はグッズにして海外販売というのも起こっている。

ペーパークラフトなど、データであるものは、そのまま海外販売だ。

漫画だったら、日本に住んでいて、発売日に買ってデータ化、翻訳して海外印刷して販売

日本語圏、英語圏以外に輸入して広めているわけだ。(中国語以外も含めている)


日本食は海外にも広まっているというが、グーグルマップ海外を調べればわかるが、

わざわざ日本から食材を輸入して和食を作るなんてやっておらず、現地の食材でそれっぽく作られている。

食材に関しては各国規制があり、輸入しようとするとそれなりに面倒だったりするだけでなく、

おそらく味付けが合わないとか、見た目とか、どうしようもない所がずれている気がしてならない。

日本からすると日本食材を使った店があるとありがたいのだろうが…。

CJK混ざったアジアンレストランも多く、そもそも本場の味を知っている人が居ないので、

見た目がそれっぽければパクリ放題だ。

シャインマスカットだって世代が進んで味が日本の物と変わろうが見た目がそれっぽければいい。

輸送問題もあろう。米国日本食材扱っているスーパーだって日本冷蔵するもの冷凍されて売ってたりする。


そもそもアニメ漫画日本食材も高くて買えないとかもある。

安く大量に生産し、大量に輸出するという米国日本差別化する必要があり、

高級路線を進めたわけだが、量は出ない。

農作物だったら、1世代しかちゃんと育たず毎年種子メーカーから種子肥料を買わないといけないとか、

そういう防衛もない。



あとはオープンにするのと、国内ノウハウを閉じるのを上手く選別しないと駄目ってことじゃないだろうか。


他に個人的に、ふるさと納税のような各市町村特産品海外簡単販売するサイトとかの方がありがたいんじゃないだろうか。

2022-11-20

ラスボスだと思われた相手と戦わなかった漫画

チェンソーマンの銃の悪魔ラスボスポジションじゃないなりに結局戦ったけれど

わずに終わるのかと思った

本当に戦わずに終わった打ち切りじゃない漫画ってありゅ?

あるとすれば黒幕はアイツだったんだ!と偽ラスボスに教えてもらう路線が多そうだ

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-19

フリーランス自営業が減る

これはインボイス制度のため確定路線

てことは正社員が増えるわけか

あるいはフリーランスの単価が上がるのか

anond:20221119010505

持ち味を消してももったいないので

デーモン小暮閣下みたいな路線で行けばいいんじゃない

春日とかでもいいけど

2022-11-17

彼氏が壊れた……

毎日毎日お昼ご飯に具なしのペペロンチーノを作って出してくる……

せめて具を入れてほしいと頼んでも「それはペペロチーノアーリオオーリオじゃない」と取り合ってくれない

にんにくオリーブオイル鷹の爪の3種類しか使わないからこそ繊細な味の違いが出るって言うんだけど

毎日食べてても味の違いが判らない……

今日は私が作るから!って言っても譲ってくれない……

夏までは毎日違う料理に挑戦してくれてたのに何で急に極める路線に入っちゃったの……

2022-11-16

anond:20221116215952

記録んと大福んは途中からデフォアイコンを止めてオリジナルアイコン路線に進んでしまった

やっぱハテブを統べる王や女王デフォアイコンじゃなきゃね

anond:20221115192046

リアルバスケで主将つとめてた井上先生からしたら、〇子のバスケ必殺技俺ツエー路線は苦々しく見てただろうな

バスケ人口が増えたことは良いとは思うけど

2022-11-15

anond:20221115113118

ゼレンスキーがNATTOにすり寄って反ロシア路線を明白にしたこと(と経済政策)で支持率下がりまくってたか

ゼレンスキー暗殺されたら親ロシアとまでは言わんけどもうちょっと中道バランス派が新大統領になってた可能性が高い

丸の内線大江戸線

環状っぽいけど切れ目があるから出発地と目的付近にそれらの路線の駅があっても、それらの路線安直に使うと遠回りになるパターン結構あって、なおかつ遠回りになるかどうかが頭で即判断できないからすごく使いづらい。

2022-11-14

anond:20221114195718

一時期人気出たけど、最近路線は相容れなさそう

ガーシーとかで盛り上がってる感じはない

2022-11-12

赤字路線の客は学生主体なのに、通学割引で会社側が損する運賃体系になっているのが疑問

主体となる客相手に得しない運賃体系になっているなら、そりゃあ、赤字路線赤字のままだと思う。

その結果、通学時間帯でも増便はしない、車両も増やさないとなるのは至極当然だと思う。

から、通学割引を廃止するか、それが酷なら、通学割引分を自治体が肩代わりしない限り、赤字路線赤字を脱せないと思う。

個人的には、赤字路線もっと自治体お金を出させればいいのにと感じる。

受益者負担を徹底すれば、そういう自治体のゴネ得もなく、赤字路線自然な形で終焉を迎えることができるだろう。

老害路線乗車中

四十代だ。

もう押しも押されぬ中年だけど、頭の中だけは適宜アップデートしてこうと思っている中年だ。

身近な話からさせてほしい。

会社再雇用くらいのお年の方がいて、まめに奥さん旅行をしてお土産を買ってくる。

愛妻家なのだ

彼はその土産を、主婦パートさんに先ず渡す。好きなの取ってね、取ったら配ってね、というわけ。

土産って自分で配るもんじゃない?

わざわざ主婦パートさんに配らせる意味ある?

と、ちょっと思う。

でも、それを主張して断る意味あるかなーとも思う。

困ってる訳でもないのに。

けれど別の話。

取引先の役員が同い年。

そこは家族経営で爺さんが社長、父さんが副社長、お母さんが経理ボス……みたいな感じ。

そこの爺さんと同い年が喋ってるのが聞こえてしまったんだけど

子ども三人は欲しい」

「男でも女でもいいけどやっぱ男かな」

「ほら、男だと会社継がせられる」

「いいお婿さん探すより育てた方がいい」

……おまえほんとに昭和生まれ平成育ち令和の社会人

って思ったけど、そういう考え方の爺さんが育てた父さんに育てられた同い年ならそうなって当然なのだ

それはそうだ。

てことは、年寄りアップデートしないと下の世代も染まる。スプラトゥーンだ。なんちゅうナワバリバトルだ。クソみたいな思想だと思っても、塗られたら塗り返さないと負けてしまう。

円滑なコミュニケーションのために黙ったら負けてしまう。



自分青春時代にハマったコンテンツを作り上げたクリエイターが、軒並み還暦周辺にいらっしゃる最近これがだんだんつらくなってきた。

何故か。

それは、彼らが多かれ少なかれ思考アップデートを行えなくなっているのを、SNSなどで見聞きしてしまうからだ。

それを伝えないでほしい。悪習は絶ってほしい。

自分の中で堰き止めて欲しい。

嫌だな、ウンザリだな、と思いながらせめて自分の子どもにはそういうのを伝えないようにしたいと思う。

どの辺からプログラミングって言うの?

VBAってプログラミングとは言わんのよね?雰囲気的には難易度雑魚過ぎて馬鹿にされがちなやつなのかなーと感じる。

とはいえ職場PCサボり防止ソフトの目をかいくぐりながら独学する感じだったから、個人的にはVBAクソ時間かかったし難しかったな。

最近JavaScriptとやらもかじり始めたけどVBAでやってることと割と似てる気もする。てことはJavaScriptプログラミングじゃないってコト?

職場でちょこちょこ勉強して繰り返しの集計作業自動化するエクセルマクロ作ったり、アクセスでそれらの入力フォーム作ってみたり、HTMLとかCSS勉強して業務に使う資料リンク集作ったりと色々やってはみたけど、立場バイトで職位も変わらず時給も1円たりとも上がらないんだから、この程度じゃ世の中から全く必要とされてないんだろうなあ。

ところで野良マクロって悪く言われがちっぽいけど社員許可とりながらやってるし仕様を書いた引継ぎ用の文書も残しながらやってるから許して。地域猫ぐらいのもんよ多分。

面白いと思ってやってたけどあまりに金にならんしこの路線は捨てた方がいいんかなあ。

2022-11-11

俺ら東京さ行ぐだ(令和4年)

はぁ、仕事も無え、求人無え、たまにあるのは介護職。

はあ、テスラ無え、リーフ無え、軽トラ毎日ぐーるぐる

朝起きて、外に出て、30分の雪かき

電車も無え、バスも無え、年々路線は減るばかり。

 

俺らこんな村嫌だ〜、俺らこんな村嫌だ〜、東京へ出るだ〜

東京へ出たなら、銭こあ貯めて

豊洲にタワマン買うだえ〜

 

はあ、本屋無え、服屋無え、商店街シャッター街

コンビニはあるけれど、家から車で15分

じいさんとばあさんが、施設に入って空家でき。

映画も無え、ライブも無え、たまに来るのは詐欺電話

 

俺らこんな村嫌だ〜、俺らこんな村嫌だ〜、東京へ出るだ〜

東京へ出たなら、銭こあ貯めて

積立NISAするだえ〜

 

大学無え、学校無え、中学受験は何者だ?

神棚はあるけれど、使う機会をみたこと無え

合コン無え、出会いも無え、たまに来るのは見合い話(地雷

病院無え、ある訳無え、オラの街には医者いねえ!

 

俺らこんな村嫌だ〜、俺らこんな村嫌だ〜、東京へ出るだ〜

東京へ出たなら、自転車買って

ウーバー副業するだえ〜

 

俺らこんな村嫌だ〜、俺らこんな村嫌だ〜、東京へ出るだ〜

東京へ出たなら、銭こあ貯めて

豊洲にタワマン買うだえ〜

2022-11-10

汚れる予測変換

増田愚痴やシモの話を垂れ流すようになって、ちょっと精神が楽になったと思う。

表向きには、うんこの話もセックスの話もできない。こうして文字の形であらわすこともできない。そんなことができるのはここだけだ。

しかし、そうして自由闊達場所を手に入れた弊害が一つだけある。

スマートフォン予測変換が、どんどんこうした言葉で汚れていくのだ。

ちょっと千駄ヶ谷へ、と路線検索をかけたときにも、予測変換のトップには常に「セックス!」が躍り出る。千駄ヶ谷予測変換に残っても、その隣のよく見えるところには「セックス!」が残る。

他人スマートフォンの画面を覗かれるのが怖くなってきている。早く対策しなくてはいけない。

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