はてなキーワード: 自己中心的とは
馬鹿言え一発逆転で美人高収入のお姉さんとお近づきになれるチャンスだろ
電車男読んでないのか?
※鬱が悪いわけでも薬を飲むことが悪いわけでもありません、ひとりの個人への苛立ちチラ裏
やべーよ、話が通じねえ
自分の話しかしない上に自己中心的、ちょっとでも反論すると凄まじい勢いで自分の正しさを主張してくる
反論つっても俺はそうは思わんけどね、みたいなこと言っただけでえ?なんで?おかしいよ!みたいに責め立ててくる
喧嘩する気にもならないからはいはいってテキトーに肯定したらそれが気持ちよかったのか自己中が加速して後悔した
どうやら強い薬処方されてる上自分で更に効果強めて飲んでるみたい(危険なので真似してはいけない)で躁状態がすごいんだわ
平和的解決とか言って平気で他者を傷つける上に自分は被害者ヅラするし
自分はハブられて可哀想、だけど我慢するよ、自分が我慢すればいいことだからって
散々オメーに我慢させられてんだわ俺たちは
なにが可哀想なんだよ
※鬱が悪いわけでも薬を飲むことが悪いわけでもありません、ひとりの個人への苛立ちチラ裏
やべーよ、話が通じねえ
自分の話しかしない上に自己中心的、ちょっとでも反論すると凄まじい勢いで自分の正しさを主張してくる
反論つっても俺はそうは思わんけどね、みたいなこと言っただけでえ?なんで?おかしいよ!みたいに責め立ててくる
喧嘩する気にもならないからはいはいってテキトーに肯定したらそれが気持ちよかったのか自己中が加速して後悔した
どうやら強い薬処方されてる上自分で更に効果強めて飲んでるみたい(危険なので真似してはいけない)で躁状態がすごいんだわ
平和的解決とか言って平気で他者を傷つける上に自分は被害者ヅラするし
自分はハブられて可哀想、だけど我慢するよ、自分が我慢すればいいことだからって
散々オメーに我慢させられてんだわ俺たちは
なにが可哀想なんだよ
5年間一緒にいたねこを手放すことになりそうなので、自分の気持ちの整理のためにつらつらと書く。
5年間一緒にいたねこは私がはじめて選んだ家族であるし、人生のパートナーである。
私がこのねこと出会ったのは運命的でもなんでもない、保健所で一緒に暮らすねこを探していたときだ。
当時の私は自堕落的で、アルバイトとして働いてはいるものの、なんの目的もなくただダラダラと呼吸をしていた。働くということがまま苦痛であったし、大きなトラブルはないのに人といることに疲れていて、未来なんてどうでもよかった。死ぬほどでなくとも積極的に生きることもできない、そういった自分が嫌ではあったものの、特に変えるための努力もする気になれなかった。
ふと、自分が猫を飼ってみたかったことを思い出した。昔は無理だったが、今ならそれを実行できる環境にいる。短絡的ではあるが、働くことも人と付き合うことも生きることも、私だけの猫がいればできそうだった。
すぐに保健所に電話をして、引き取れそうな猫はいるか確認をし、年明け後にすぐ猫を見に行った。私の数少ないいいところはすぐ行動に移せることである。
保健所には十数匹の猫がいた。仔猫もいたし、成猫もたくさんいた。
仔猫はきっと他の誰かが選んでくれるだろうと、私は成猫を引き取るつもりでいた。それも誰も引きとらなさそうな猫を。
成猫を探しているというと、職員さんは1番奥のケージを見せてくれた。ハチワレ猫と黒猫の2匹の兄弟が目を丸くしてこちらをみていた。ハチワレの方は怯えていなかったが、黒猫の方はすごかった。私を確認するなりケージの隅へ避難し丸くなり、全神経をこちらに集中させていた。
誰も引きとらなさそうな猫と決めていたが、その様子を見て少し怖気付いた。なにしろ私は猫を飼ったことがないのである。
職員さんにどちらかを引き取ることにしますと伝え、一週間後に迎えに行くことになった。
一週間結構悩んだ。いっそのこと2匹一緒に引き取ろうかとも思った。そうしなかったことは今でも悔やんでいる。
受渡日当日、私はまだ決められずにいた。
もう一度直接みて決めるしかできなかった。
私たち人間の緊張を感じ取ったのか、一週間前はリラックスしていたハチワレも、その日は警戒心をむき出しにしていた。黒猫はそもそも初対面の時から私を警戒していた。
黒猫がキャリーケースに入れられている間、私は飼育に関する誓約書や、外飼いされる猫の悲惨さ等の書類と対峙していた。余談ではあるが、この保健所は非常にいい保健所で、職員さんたちはみんな動物に対して愛情を持っていた。私がカウンターで待っている間、少し離れたところにいた職員さんが業務を止めてさみしそうに、でも本当にうれしそうに、飼い主さんがきまってよかった〜〜よろしくお願いしますと伝えにきてくれた。
少しして、遠くの方からアオ〜〜と悲しげな大声が聞こえはじめ、キャリー片手に職員さんがやってきた。
では、よろしくお願いしますのひと声とともに黒猫の入ったキャリーが渡されて引き渡しが完了した。
大きな黒猫は怒り混じりにずっと鳴いていて、施設内の人たちは物珍しそうに少し笑いながらこちらをみていた。
黒猫は1年ぐらいは慣れないかもと職員さんから伝えられていたが、1月ほどで私に腹を見せ、擦り寄ってきた。
毛はふわふわでの長毛で、声は高く、ずんぐりとした樽のような胴体に、ポンポンのような短い鍵尻尾を持つ大きな黒猫。
食べることがすきで、度々勝手に餌袋を破り思う存分腹を満たした困った黒猫。よく私のお腹や膝の上に乗っては機嫌良く撫でられていた。
本猫の努力もあり、ちょっとしたダイエットに成功した後は歩くたびに伸びたお腹の皮が左右にたゆたゆと揺れる。水のように柔らかい。目が合うと短くンニャと鳴く。寝てる私の気を引きたいときはゆっくりと私の顔に爪を立てる。歩くときは爪を出さず。
前歯がすきっ歯で、獣医さんに相談するまで、自分の不注意で歯を一本無くさせてしまったのかと思っていた。
はじめて黒猫を洗った時、シャワーをかけ続ける張本人である私に、震えながら縋りつくようにして膝に乗り、その日から度々、私がシャワーを浴びている間は心配そうに浴室の外から私を見守ってくれる。目が合うと小さくニャッと短く鳴く。
もう1匹の新猫を迎えた日、大いに不満もストレスも抱えただろうに、一週間後には新入りを舐めてくれた。
その新入りした仔猫は多種多様なアレルギーと喘息を持ち、ご飯に対して気難しかった。
歩くときは爪を出さない大きい猫と、歩くときも爪を出す小さな猫。
視線だけで訴える甘え下手な大きい猫と、鳴いて物事を要求する甘え上手は小さな猫。
どちらも私がそばに行くだけでゴロゴロと喉を鳴らす気前のいい猫。小さな猫は尻尾を震えるほど立たせるので分かりやすい。
車に乗せると怒鳴るように鳴いて不満をぶつける小さな猫。以前はほぼ毎日のようにしていた喘息も、最近は全くといっていいほど出なくなり、落ち着いてきて本当によかった。
間違いなく私の人生は救われたし、大袈裟でもなんでもなく、今の私がいるのもすべてこの猫たちのお陰だ。
たまに、猫の死について考える。そのときは必ず火葬や仏具について泣きながら検索する。それは今から心の準備をしておかないと、駄目だからだと思う。
いつか私は猫たちを看取って、小さな骨を拾い、猫の思い出が残る家で生きていくものだと思っていた。
まわりは、配偶者が猫アレルギーで喘息であるなら猫を手放すのが当然だという。それが極端だといってくれる人もいる。
私は、猫をペットとして飼っていない。家族として接し一緒に生活してきた。
ひとりは、猫に依存すること自体間違っていると言う。自分のことしか考えていない、今が変わるときとも。きっとその通りなんだろう。
猫と別れる選択をした場合、おそらく妹夫婦が猫を預かってくれることになる。
それは逃げだと言われたけど、一軒家でも同じ建物内に猫といたくないと言われたら、私は離婚以外この選択肢しか選べない。選べないことに絶望する。
今までの薄給をほぼすべて猫に関することに費やしてきた。観葉植物も空気清浄機も、Amazon Echoもデジイチも、オイルヒーターも除湿機も。他の人には一見関係ないものも、すべて猫に関係している。
一緒に暮らしてきた猫と完全に人生を絶たれれば、私には働く理由も欲しい未来もほとんどがなくなる。と思っている一方で、人生を救ってくれたこの猫たちと別れたあと、意外と平気で生活できそうな気もする。私はそれが怖い。
配偶者は、私が猫を選んだとしてもだれも責めないと言ってくれる。
かといって、本当に我儘に生きてきた私に怒ることなく辛抱強く優しく誘導してくれる配偶者を捨てることも私にはできない。惚気になるが、この人は少し鈍感なところもあるけど、本当にできた人間で、こんなウジウジとして怒りっぽく自己中心的な私にはもったいないくらい良い人だ。猫も人も、私には本当にどちらかを完全に切り捨てることが怖くてできない。
だからせめて、妹夫婦に一時的に猫を預けるということに今はさせてほしい。この先、絶対にまた一緒に暮らせる時がくるという希望がほしい。気兼ねなく会いに行くことができる人に預け、猫に関する費用を払うことで、私を関わらせてほしい。
猫にも配偶者にもどちらにも誠実でなく、妹夫婦にも負担を強いるという選択を取ろうとしている。猶予はまだある。もしかしたらもっと違う選択をとるかもしれない。
ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。
(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)
のどっちかかと思われる。
新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。
私の場合は大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題ないか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。
さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。
中座のエスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。
母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。
結果、「親友の花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式の演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想。
「自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。
でももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。
挙式、披露宴で随所に差し込まれる、「父親・母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。
調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合の演出方法もあるらしい。
もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。
また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。
披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。
自分の母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。
中座のエスコート役をやると、カメラマンが花嫁とのツーショットを撮ってくれる。
カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。
笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。
ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間は常識がない。
あり出席者側が「今日ちょっと機嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)
■結婚式後も引きずる痛み
結婚式の最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友の結婚式に出てもネガティブな感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。
家に着いたら、花嫁から「結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。
また悲しくなった。
これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。
今は微塵もそんなこと思えないのに。
喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。
■結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い
結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。
「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」
「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」
そう思うと会いたくもなくなってくる。
中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。
結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。
また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。
私は断るべきだったと思うし、もしかしたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。
「はぁ?」みたいな反応をされてしまった。
この部下、言ってみれば自己中心的で組織労働を苦手としているような男の子なのだ。
いや男の子と表現したけれども年齢は30歳のそろそろ大人に求められる言動を取って貰いたい年代に入っているのだけれど、まだまだ学生のような若さが抜けない。
単独で済むような仕事はそこそこできるし、ウチの会社の仕事の7割は一人仕事で済むような業態なので何なら彼自身「自分は仕事が出来る」と思い込んでいる節がある。
残り3割は労働に関する調整だ。個々の仕事の割り振りを決めたり、進捗を把握したり、有給取得の状況から代替人員を確保したり、上から降ってくる指示を捌いたり、いろいろ根回ししたり、何処の会社でもある直接的に影響があるわけではないが、やっておかないと主業務へクリティカルに影響する仕事が3割だ。
この彼、いわゆる報連相を非常に苦手としている。
どこまで仕事が進捗しているのか、誰からの指示を受けているのか、誰へ仕事の引き継ぎをしたのか、勢い良く動いているが根回しをやったのか?キミがそれをやっているの他の部署や人は把握しているのか?
そういうことが本当に出来ないようで、当然ながら報連相がないことが積み重なりキャパシティが突然超えるような状況となってから発覚するのだ。
彼を受け持つようになって半年経ったが、受け持ちから1ヶ月程度で「あぁ報連相が苦手なタイプの子ね」と察してマネジメントをしてきたが、いくら指摘しても治らず、しまいには朝礼時・昼休憩明け時・退勤時に報告を義務付けたのだが、ほんの一部しか報告せず(私から見れば)隠し持っている仕事が後から発覚する。
同年代の子たちと楽しそうに仕事するのは良い、強気な部分もあり「俺が一番仕事が出来るんだ!」と誇るのも良い、でも周囲で同じ様に働く他の人たちへ対する気遣いや配慮、愛情が欠片も感じられないのは良くない。
他人と関わるには愛が必要なんだ。自分よりも知識や経験がある人には敬愛を、自分よりも実力が劣るなと感じた人には慈愛を、新人や後輩へ接する際には父母性愛を持って自分の知識と経験を伝え繋ぐことが必要なんだ。
この様なことをいつものパターンで失敗した彼へ伝えたら「はぁ?」みたいな表情をされたわけだ。
彼はどうやら「業務を円滑にする職場の対人コミュニケーション」と「愛」をどうやら上手く紐付けられないようなのだ。
彼にとって仕事とは7割の主業務だけであり、残り3割を仕事として認識できておらず、そのような状態で「俺が一番仕事が出来るんだ!」と思い込んでしまっているのが危なっかしい。
ただ勘違いしてはならない。問題があるのは彼ではなく彼が30歳になるまで置かれてきた環境が「愛」の種類や解釈を物凄く狭めてしまっているんだ。それらを必要とする環境がなく、そしてそれを教えてくれる人も居なかったのだ。
おそらく彼が異動するのは早くても半年後の組織改編、異動が命じられなければもう1年もう1年と私の下に就くこととなる。
私の手から離れるまでにはどうにか少しだけでも理解させてあげたいなと思っている。
だって勿体無いじゃない。主業務はそこそこ出来るのだから複業務が出来ない惜しい人材のままにしておくのは。
この度はあらゆる方にご迷惑をお掛けすることとなり申し訳ございません。
誰にも迷惑をかけず、誰にも存在を認知されないまま消えたかったです。
誰にも心を割けず、人に迷惑を掛けるだけの価値のない存在でした。
本当にすみませんでした。
仕事が忙しく自分の責任能力のなさと矮小さで死を考える癖がついてしまいました。
退職直前には既にまともな思考力がなくなっていたのだと思います。
それから個人で受けた仕事も家のことも碌に手がつけれず風呂にも入らず、いつ死ねるのかどうすれば迷惑を掛けず楽に死ねるのかばかり考えていました。
友人が家に来てくれた時もありましたし、とても心配掛けました。
ほっておいてほしい気持ちと、私が鬱々とした状況に心を痛めた友人を見て許された気持ちになりました。
他人がどう思い、嫌な気持ちになるかが人一倍欠落し、自己中心的な人間なのだと思います。
死ぬ失敗と死後の迷惑がちらついて、情けなくも怖くなりました。
自殺した人が偉いとは一切思いませんが、行動に移した度胸は尊敬します。
自殺について調べた際気づいたことは、こころの相談ダイヤルに救われるなら今年だけで14000人も自殺していないです。
死ぬことも責任も放棄した全ての言い訳をみっともなく残し、自らデジタルタトゥーを彫りました。
これを書いている今も誰かに助けてほしいわけではなく、きっとどうにか自分で出来るだろうと過信している自分がいます。
一先ずここで一度、私は私を殺します。
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【追記】
自殺するつもりなわけでもなく、何か起きるかもしれないので残します。
相手もいません。
なので後悔はしていません。
前職に勤めていた頃から退職後しばらくまで、その頃の自分の精神状況は非常におかしかったと思います。
本業と同時に、友人の仕事請け負いをしていたのですが、当時勤めていた仕事が非常に激務で段々と気づかない内に自分の考え方や精神の在り方が崩れていったのだと思います。
本来の仕事と友人からの仕事、自分なら両立できると思っていましたが、自分が弱く計画性もなく、楽な方に逃げた結果、友人からの仕事は手を付けれない状況が続いていました。
しかし、退職する目途が立っていたので虚偽の進捗連絡をしました。
退職さえすればどうにかなるだろうと思っていました。
そして約半年で退職を迎えましたが、その頃にはおかしくなっていました。
自分が入社してからスタートした案件だったのですが、社内で対応できる人間もおらず、ほんのわずかな知識しかなく実績もない自分が担当となりました。
自分は人前で話すことが得意ではなく、注目を集めた状態で人前で話をすると頭が真っ白になったり声が震えたり、頭や手が痙攣したようになってしまうので精神科に通ったこともありました。
しかし自分の業務は打ち合わせ等が比較的多く、確実に負担になっていました。
件数が増えると外注先が対応しきれない案件のフォローも増え、回しきれない業務による残業・ストレス諸々で逃げ出したい気持ちが大きくなりました。
そこで初めて自殺を考えました。
朝起きる度、自殺がちらつく日が続きました。
風呂にも入らず、外にも出ず、家事も手を付けず、食事は宅配で済ませ重なる出費、前までの自分ならやばいと思えたこともどうでもよくなりました。
どうせ自殺するし今日しなくていいや、という投げやりな考え方をするようになりました。
結果、ありませんでした。
マンションでの自殺・電車飛び込みは損害賠償費が発生し迷惑になるのでNGです。
いのちの相談ダイヤルとかいうクソの役にも立たないものが出てきて少し嫌な気持ちになりました。
結果、繋がりませんでした。やっぱりクソです。
ですが死ぬぞ死ぬぞと考えて数カ月経ち、いい加減死ななきゃと思い紙ごみ用の紐を首に巻き付けてドアに掛けました。
30秒もしない内に喉が辛くなり紐を外してしまいました。
結局、私は死ぬ度胸はありませんでした。
そうなると生きるしかないので、これからどうするかぼんやり考えました。(※)
そうこうしていると虚偽申告を続け連絡を絶っていた知人の仕事について、催促の連絡が届きました。
最終的に弁護士を挟んで損害費用を請求するとも伝えられました。
本当に申し訳なかったので借金をしてお金を送りました。(今はリリースしているのを知ったので申し訳ない気持ちは消えました)
この知人が同級生なので、それから他の同級生とも連絡を取っていません。
また、同時期べつの界隈の友人からも依頼をされていたのですが、こちらも逃亡。
どん底なのでこれ以上気持ちが下がることはなですが、上がることは二度とないと思います。
他人と関わると誰かの迷惑になるので、誰とも関わらないように生きていきます。
(※)のタイミングで仕事を探していたところ、就職できました。
借金は年内に返す予定です。
太田出版のサイトで、Quick Japanの村上清が欺瞞に満ちた自己中心的な弁明を公開したので、筆を取ることにする。
記事中にも書いております通り、もともと本企画は「いじめた側といじめられた側の対談」という趣旨でした。しかし今思えば当然なのですが、「いじめられた側」の方に応じていただくことが叶いませんでした。対談という形が不可能になり、
=引用ここまで=
実に奇妙と言うか不可解な弁明である。
村上清は、彼自身が"いじめサバイバー(凄絶なイジメ被害を経験して生き延びた人間)"という『設定』だったはずである。ならば村上清は、自分自身をいじめていた同級生などを探し出して連絡を取れば「いじめた側といじめられた側の対談」を実現できたのではないだろうか。
村上清は、何故、自分をいじめた加害者との対談を実現させるために行動しなかったのか?これには、仮説としての理由が幾つか考えられる。
【仮説その1】
村上自身のコメントでも明らかなように、いじめられた側の被害者にとって、いじめた側の加害者との再会・対談など、大きな精神的苦痛以外の何物でもない。だから、村上清も嫌がったという理由である。
この場合、村上清は、いじめられた側の人間に対して、加害者との再会は大きな苦痛を与えることになると理解・予想した上で、注目を集めるような記事を書いて手柄を立てたかったからという動機で、そのための精神的な負担を他人に押し付けたということである。つまり村上清は、実に自己中心的な人間だということである。
【仮説その2】
これは仮説その1に、もう一つ別の理由を付け加えたものである。
ある暴力的な事件で被害者の立場だった人間が、別の場所で起きた別の事件では、加害者の立場ということは屢々ある。そのようなケースでは、被害者としての鬱憤を紛らわすために、加害者になろうとすることも珍しくない。村上清も、そのような「加害者になろうとした被害者」だったのではないか?
村上清は、いじめの加害者と被害者の対談をセッティングし、被害者が苦しむ様子を見て楽しむことで、学生時代の自分には所属することが叶わなかった"いじめ加害者グループ"に仲間入りしたかったのではないか?それによって村上清は「今(記事執筆当時)の自分は、もうイジメ被害者ではないのだ!」と、鬱憤を晴らしたかったのではないだろうか?これが第2の仮説である。
【仮説その3】
村上清が実は"いじめサバイバー"ではなかったとしたら、どうだろうか?
この場合、村上清をいじめていた加害者は実在しないということになり、それならば、村上が自分自身のケースの加害者を探し出そうとしていなかったことも、説明がつく。
そもそも、村上清が"いじめサバイバー"というのは、村上自身の自己申告に過ぎず、何か証拠が有る訳ではない。
もしも、いじめ紀行の記事が批判された時に「記事を書いている自分(村上清)も、いじめ被害の経験者なんです。だから、記事には馬鹿にする意図は有りません」と言い訳することが出来れば、これは非常に便利で都合が良い。こう考えると"いじめサバイバー"を名乗ることにはメリットが、つまり名乗る動機が有ると言える。
私は彼のインスタのアカウントを全部追うほどYouTuber Mickの大ファンだった者であり、今もAsuka Louisとしての彼の活動を追っていて、これからの彼の大ファンにそのままなるであろう者である。彼のことは大好きなのだが、最近の彼について勝手に心配に思っていることや意見したいことがあるので、この場で並べさせていただきたい。
彼は顔を出して堂々と活動しているのに私は顔はおろかネットのアカウント名さえ出せないようなつまらない者なので、ただの1ファンのつまらない意見として受け取ってほしい。こういう長文でダラダラ書くのは彼の潔いスタイルとはかけ離れているし物事を伝える上で効率的ではないのだが、私はこういう形でしか残せないので、もし目に止めてくれたらこんなに嬉しいことはない。
Mickは活動をやめてしまった。彼はたくさんの動画を消してしまったので発言を引用することはできないが、ジャスティンビーバーと同じ事務所に入ったばかりでYouTuberとしても音楽家としても活動をどんどん大きくするであろうという一番楽しみなとき、アメリカでのアジア人種差別についての学びのある社会実験動画をあげてしばらく経ったタイミングで日本のメディアに取り上げられ、その記事の題名に「日本育ちの韓国人」と書かれたことがショックだったというような発言があったと記憶している。
私は彼のような出自ではないし大して有名になったこともないので彼の辛い気持ちを推し量ることはできないが、なぜそこにそんなにショックを受けてしまったのか少し疑問に思った。
彼は人種差別についての動画をあげて、演技とはいえその中でアジア人であることを揶揄される。演技でもそれがすごく辛いことは簡単に想像できるし、あの動画を撮るのはすごく勇気がいっただろうなと思う。それには耐えられたのに、記事の題名がそんなに辛かったのか。
彼はもともと、自分が血筋上は韓国人であることは公表していたし、日韓英3ヶ国語が話せるという動画もあげていた(カッコいいなと思った)。それに、あの題名はMickがそう公表していたから付けられた題名であるわけで、そこに差別の意図は全くないはずだ。むしろあそこに日本人YouTuberと書くほうが大いに失礼だし、逆になにも書かないのでは記事の意図がよくわからないから、担当者がつけたにすぎない。
もともとあの動画は、アメリカでも差別に反対している人はたくさんいる、むしろそっちの方が多数派だということを伝える内容だったはずだ。なのに、Mick本人がアメリカではなく日本での差別にとらわれ過ぎてしまっているような印象を受ける。過去に辛いことがあったのかもしれないが、私含めほとんどのMickのリスナーは彼が韓国のルーツを持っていることを好意的にカッコいいことだと捉えていたはずなのだ。それを彼にはもっと知って欲しかった。
しばらくあらゆるSNSの更新を止めた後、彼は全く違う姿で戻ってきた。緑のパーマ、顔と首に大きなタトゥー。彼がひっさげたアルバムも、音楽性は大きく変わった。明るくアコースティック感の感じられる曲調から、どこか影を感じるビビッドな電子調に。それからインスタライブで彼は日本語を喋らなくなった。
Mickとしての彼が本物の彼自身でない演じられたものだったのなら、カメラに写る姿を本物の自分に戻しただけだ。でもMickerの私からしたらそれは全く違う人がカメラに写っているように感じられた。
私は彼の新しい門出を応援したいが、あまりに唐突すぎるように感じた。Mickを応援するファンはたくさんいたのに、一気に動画を消すのは少し自己中心的ではないか。もちろんMickerはものすごく凝ったクオリティの高い動画をタダで見せてもらって楽しませてもらっている立場なのだから彼は自分の動画をどうしようと勝手なのかもしれないが、Mickerがいたから元の彼は活動ができていたのだ。英語がわからないMickerもいるだろうに、Asukaとなった彼は日本語を話してくれないのだから、なにが起きたのか説明はないのと同じだ。
私はMickのオシャレな編集が大好きだった。音楽もシーンによくあっているし、映像の色合いも美しく、何より彼自身が楽しそうで、アメリカはこんないいところなんだと思わせてくれた。
せめて、彼がこんなにゼロから全てを変えて始めようとしているなら、Mickのチャンネルは手つかずのまま新しいアカウントを作って再スタートを切って欲しかった。もしくはMick時代の動画は消さないでおいて欲しかった。(最近MVなどをちょこちょこ戻してくれているようで嬉しいな。)
顔のタトゥー(シールかもしれないがいつもついているので私はタトゥーではないかと思っている)も心配の要因だ。タトゥーについてつべこべいうのはいかにも日本的価値観だと私自身思うし、誰にも迷惑をかけないのだから自由にすればいい。アメリカではタトゥーがカジュアルなことだと知っているし、私自身海外に住んだらいつか入れてみたいなと思い始めているレベルだ。でも顔に入っている人は少ないしやはり異質な感じを受ける。以前某YouTuberが顔にタトゥーを入れて炎上(というより心配されていた)していたが、その人のはAsukaのよりは小さめだった。もともとMick時代から腕や足にタトゥーがあったのならまだわかるが、こんなに唐突に、しかも顔に入れるなんてよほどの心の変化があったのだろう。
それから言葉。彼は曲は日本語で歌って(ラップして)いるが、SNSではほぼ英語のみを使うようになった。正直曲を日本で売ろうと思っているのなら日本語も少しは使うべきだと思うし、日本語だと自分の感情をうまく表せないと言っていたが、いくら英語が使えるとはいえ母語である日本語の方が圧倒的に得意なはずだ。私は彼が英語のみを使うことで、前の自分との違いを際立たせているようにしか見えない。以前よりもswear wordsを使うことも圧倒的に増えているし、曲にもたくさん使われている。私はAsukaが無理に変わろうとしているように感じられて少し心配だ。
躁鬱病という、躁(めちゃめちゃ気分がハイになり、取り返しのつかないことまでなんでもしてしまう)と鬱(反動で何もできない、気分がすごく落ち込む)を繰り返す病気があるのだが、こういう行動は躁っぽく感じるので尚更とても心配だ。絶対に自分は違うと思えても精神のことは自分ではわからないものだから、ぜひ周りに相談してほしいと思う。
8月末のインスタライブでは笑顔も久々に見ることができ少しだけ安心したのだが、気になる発言があった。「本物のファンというのは俺がどんな馬鹿げたことをしてもついてくる人だ」というような内容のことを彼は言っていたと思うが、それは違うのだと言いたい。Asukaが言っているのはただの信者であってそれはファンではない。本当のファンは、いつも応援している人に心配なことがあったらそれを伝えることができる人のことだと思う。(頭ごなしに否定するのはただのアンチ。)
Asukaは私のことをファンではないと思うかもしれないけど、これからも応援しています。別に辛いことがあってもリスナーの前で無理してカッコつける必要はない、等身大でいて、これからも私たちを楽しませてくれればそれでいい!本当の自分を一番大切にしてください。