太田出版のサイトで、Quick Japanの村上清が欺瞞に満ちた自己中心的な弁明を公開したので、筆を取ることにする。
記事中にも書いております通り、もともと本企画は「いじめた側といじめられた側の対談」という趣旨でした。しかし今思えば当然なのですが、「いじめられた側」の方に応じていただくことが叶いませんでした。対談という形が不可能になり、
=引用ここまで=
実に奇妙と言うか不可解な弁明である。
村上清は、彼自身が"いじめサバイバー(凄絶なイジメ被害を経験して生き延びた人間)"という『設定』だったはずである。ならば村上清は、自分自身をいじめていた同級生などを探し出して連絡を取れば「いじめた側といじめられた側の対談」を実現できたのではないだろうか。
村上清は、何故、自分をいじめた加害者との対談を実現させるために行動しなかったのか?これには、仮説としての理由が幾つか考えられる。
【仮説その1】
村上自身のコメントでも明らかなように、いじめられた側の被害者にとって、いじめた側の加害者との再会・対談など、大きな精神的苦痛以外の何物でもない。だから、村上清も嫌がったという理由である。
この場合、村上清は、いじめられた側の人間に対して、加害者との再会は大きな苦痛を与えることになると理解・予想した上で、注目を集めるような記事を書いて手柄を立てたかったからという動機で、そのための精神的な負担を他人に押し付けたということである。つまり村上清は、実に自己中心的な人間だということである。
【仮説その2】
これは仮説その1に、もう一つ別の理由を付け加えたものである。
ある暴力的な事件で被害者の立場だった人間が、別の場所で起きた別の事件では、加害者の立場ということは屢々ある。そのようなケースでは、被害者としての鬱憤を紛らわすために、加害者になろうとすることも珍しくない。村上清も、そのような「加害者になろうとした被害者」だったのではないか?
村上清は、いじめの加害者と被害者の対談をセッティングし、被害者が苦しむ様子を見て楽しむことで、学生時代の自分には所属することが叶わなかった"いじめ加害者グループ"に仲間入りしたかったのではないか?それによって村上清は「今(記事執筆当時)の自分は、もうイジメ被害者ではないのだ!」と、鬱憤を晴らしたかったのではないだろうか?これが第2の仮説である。
【仮説その3】
村上清が実は"いじめサバイバー"ではなかったとしたら、どうだろうか?
この場合、村上清をいじめていた加害者は実在しないということになり、それならば、村上が自分自身のケースの加害者を探し出そうとしていなかったことも、説明がつく。
そもそも、村上清が"いじめサバイバー"というのは、村上自身の自己申告に過ぎず、何か証拠が有る訳ではない。
もしも、いじめ紀行の記事が批判された時に「記事を書いている自分(村上清)も、いじめ被害の経験者なんです。だから、記事には馬鹿にする意図は有りません」と言い訳することが出来れば、これは非常に便利で都合が良い。こう考えると"いじめサバイバー"を名乗ることにはメリットが、つまり名乗る動機が有ると言える。