はてなキーワード: 眉唾とは
ダイヤモンドプリンス号に、コネを使って潜り込み、あとからすぐに「映像を撮りしながら、あそこがダメココがダメ」と批評して雑誌やyoutubeに載せ、現場を混乱させるという最悪のタイプ。これ、災害対応で一番邪魔な奴なんだよね。
完全に迷惑な奴。
上杉某、内田某と本を出してるという時点でかなりやばいと思うし、とても信頼できる人間とは今の段階では思えない。
少なくとも、一日で追い出されたという理由はすぐにわかる。部外者が勝手に入り込んで、「現場の指揮にギャーギャーギャー」となんの権限も責任もなく文句をつけ、動画を撮影しながら文句を言ってたら、追い出されるしネットに公開というのでは、ただの迷惑な奴である。
東日本大震災ではこういうやつが山ほどいたが、「その後ほぼ本当です、米軍情報」のように、すべてでたらめだったみたいなことがあるので二度と同じ手は食わぬぞ!
https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その3
鳥嶋が白泉社に移ってから、インタビュー等に答えるようになり、その内容を絶賛している業界関係者がいる一方、SNSやはてブを見ると、過去の実績で威張っている「老害」扱いしている人も少なからずいる。
しかし、上記のツッコミはご都合な証言は眉唾で読むべきだという意図からしているもので、証言や年配者の武勇伝自体を否定するものではない。
鳥嶋は実績は圧倒的である。
そもそも編集者を初めとする裏方の仕事をする人たちは、そのほとんどが証言を残さずに去ってしまう。
そんな中、証言を残してくれること自体、オーラルヒストリー的に価値がある。
コンサルのように、「俺とその出身会社は偉い」アピールのセルフブランディング()をして仕事を獲得することを目的としているわけではないので、メディアで発言しても鳥嶋が得しているわけじゃないのだ。
誇張とご都合が混じっているにせよ、貴重な証言であることには変わりがないのだ。
老害というのは、年を取ってもまだ自分は現状を理解していると勘違いし、現場を自分勝手にコントロールしようとしてかえって状況を悪化させるような権力を持った年長者のことを言う。
https://info.manga-lab.net/?p=146
と発言しているように、現役編集者を否定しているわけでもない。
だいたい前の世代の発言をすぐに老害扱いして却下する奴は、先の世代の経験則の蓄積の中から適用できるものを選び取り、技術継承していくことができないことが多い。
前世代を全否定していれば気持ちいいかもしれないが、技術継承無しで新しい方法論を築けるのは限られたの天才のみだ。
前の世代の発言に一々抑圧を感じてるのはコンプレックスに過ぎない。
また、鳥嶋が白泉社の社長に就任してから白泉社の少女漫画雑誌が変ったという意見があったが、上記の発言のように鳥嶋は今の自分が現場で活躍できるだけの感性を有していると考えてはいないので、雑誌の個別の編集方針や作品には関与していない
(していたらそれがまさしく老害だ)。
「『ドラゴンボール』と『ナルト』の元担当編集が語る「ジャンプ」の裏側 ― 絶対に敵わない『ワンピース』に勝つために『ナルト』が取った戦略とは【鳥嶋和彦×矢作康介×鵜之澤伸×松山洋】」
での鳥嶋の発言に、元ジャンプ漫画家木多康昭がtwitterで反論していた。
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/191227f
https://twitter.com/KitaYasuaki/status/1211312539792891905
https://togetter.com/li/1448906
鳥嶋の
「さっき矢作が言った、新人の新連載で表紙にするっていうのは、じつは僕が戻ってからなの。」
実際、ジャンプの表紙を調べれば鳥嶋編集長時代(1996年から5年間)以前にすでに新人の新連載が表紙になっている。
これはジャンプを離れて現在はヤンマガで連載していて、なおかつ加藤浩次なんて比じゃないほどの「狂犬」である木多康昭だからこそできた証言だ。他の編集者や漫画家にはできない。
鳥嶋の過去の証言が間違っていると指摘できるのは、同時代のジャンプを経験していて、なおかつ集英社(グループ)を離れている利害関係のない元編集者や漫画家ぐらいなものだろう。
ちなみに矢作も
『ジャンプ』としては、新連載は新しい漫画家でやりたいと。まったく世の中に出ていない作家、この漫画で初めて世に出る作家を、新連載号の表紙にするんですよ。そんな雑誌なんて『ジャンプ』しかないですよ、たぶん世界中で。
と発言している。
他の(少年)誌はそもそもアイドルの写真が表紙なので比較しにくいのだが(アイドルの横に新人新連載の大きめのイラストがある表紙ならいくらでもある)、調べてみると世界どころか最近の日本ですぐに見つかったw
たとえば、週刊少年サンデー2016年47号は新人の新連載「RYOKO」が漫画単独で表紙になっている。
とはいえ、めったにないことではあるので恒例化しているジャンプが珍しいのは確かである。
Vジャンプ時代(~1996)の鳥嶋は、復帰するまでジャンプを読んでいなかった節があるし。
それはね、オレはもう卒業生だから言っちゃうけど、『ドラゴンボール』は止めたかったのに止めさせてもらえなかったんだよ。はっきり言うと、僕の前の編集長とその前の編集長の判断だよね。
あの時、僕が『Vジャンプ』にいて、鳥山君を助けてあげられなかったのは、今もって悔いている。魔人ブウ編はやるべきじゃなかったよね。
鳥山明が本当にドラゴンボールの連載がつらくなったのはフリーザ編終了後のセル編とブウ編、1991~1995年のこと。
この4年間のため、鳥山明は「燃え尽き」てしまい、以後長期連載はしないようになったと自ら語っている。
(鳥嶋は「真っ白」と喩えている)
この鳥山明が本当に苦しんでいる時期、鳥嶋はなにをしていたかというと、立ち上げ期のVジャンプで週刊連載をしている鳥山に、
もこの時期だし、継続で
の仕事も行っている。
この週刊連載と平行して行った大量の仕事に関しては、鳥山自身は後に「ムチャクチャ」だったと振り返っている(『超事典』でのインタビューより)。
これほどに作家を酷使しておいて、よく「助けてあげられなかった」なんて言えたものだ。
責任を前々編集長(後藤広喜)と前編集長(堀江信彦)に押し付けているが、鳥山明の燃え尽きの責任の一端は確実に鳥嶋氏にもあるだろがよ!
(言い訳としては、鳥山明の苦難は連載の際限なき長期化であって、Vジャンプでの仕事は気分転換になっていた、仕事量の問題ではない、というのが考えられる)
鳥山明を育てたのも鳥嶋なら、漫画家として燃え尽きさせたのもまた鳥嶋なのである。
(鳥山が完全に消耗し終わることから救ったのは、連載終了を判断して、そのための各種交渉を行ったブウ編の担当編集者武田冬門である)
本文はここまで。
以下は補足点となる。
このソース(?)が全面的に正しいとして、NECを知ってる元増田が、シートベルト警告音を知らなかった10歳下の彼女より知能の上で優れてるって何を根拠に決めてるんだ?この調査で使われてるテスト全部受けさせてバトルしないと分からなくね?一応それなりに意味があるって言われてる知能検査なんて受けるだけで高い金掛かるからほとんどの人は受けたことなんてないし、元増田がボロ負けしても全く不思議ではない。
一応心理学専攻だった者の端くれとして、そもそもIQまわりについては眉唾で聞いてしまうのはあるんだが、IQにまつわる言説が全面的に正しいとしても高いIQイコール優れた人間とはならないやん?パートナー選ぶ時にWAISとか受けさせるんか?自分より得点低かったらどれだけその時点で優れた人間と感じてても別れるんか?
知能や性格が遺伝するのは事実だ、って嬉々として語る人がいるのは分かるんだけど、その人たちが思ってる”知能”や”性格”ってものが実際にそれらの研究(というか検査法)でどのように導出されてるのか、把握してる人ってほぼ居ないんじゃないか
日頃はてブのホッテントリを眺めていると、ツイフェミと呼ばれるフェミニストの中でも特に質の低い単なるミサンドリー丸出しの人たちをよく見かけるが、私はこういう人たちがきっととても頭が悪いのか、もしくは差別的な経験から何らかの病魔に蝕まれ症状を抱えているから思考が狂ってしまったのだろうと思い、何を言っていたとしても余り気にしないことにしていたが、どうもそうではないように思えてきた。
きっかけはこの池戸万作さんという人のツィートだ。
https://twitter.com/mansaku_ikedo/status/1210862614307168256
氏の唱えていることは、「貧困男性ほど未婚率が高い傾向があるので、貧困男性の年収アップが少子化対策になるだろう」というものだが、これ自体は私は眉唾だと思っている。
日本はバブルの頃には今と大差ないレベルの少子化に陥っており、平均賃金の上下と出生率の上下が全く相関していないのだから、少子化対策としては落第だろう。
ただ、「結婚したくても出来ない貧困男性」というのは事実として存在しており、その人が収入をアップすることで結婚することが可能になるなら、そういう対策もあっていいだろうとは思った。
が、ここにツイフェミ的な方々が猛然と噛み付いているのだから驚きだ、会話の流れは以下のような具合である。
私はフェミニズムというのは、「誰も差別されない平等な社会を作る」ためにあるのだと思っていたのだが、これは全くの勘違いだったようだ。
だってこの論争の中で女性側は「少子化をケアしなければならない」とも「結婚したい貧困男性を支援してあげなければならない」とも一切思っていないことが明白なのだ。
そこにあるのは、「他人に利益配分するな、私に利益配分しろ」という強烈な自己利益中心主義と、貧困男性に対する差別意識である。
このやり取りへのブクマを見ても、この女性の貧困男性蔑視と自己利益拡大への祈念は、当然のものとして受け止める向きが多いようである。
つまり彼女たちツイフェミはバカだから差別主義に陥っていたわけではなく、心から差別主義を行使したい、差別する側にまわりたいと思っているのである、そうとしか考えられない。
女性が「自分とは無関係な貧困男性の支援なんてやめろ、私を支援しろ」と言う限り当然男性側も「女性の権利擁護なんてする必要はない、なぜなら俺の利益にならないから」と返ってくると私には思われるのだが、多分そろそろそういう差別主義の殴り合いをしても勝てると踏んだのかもしれない。
他人のことを低く見積もって自分を相手よりも頭がいいと思いこんでいたのは全く恥じ入るばかりで、ツイフェミには謝罪しなければならないと感じた。
ごめんなさい。
良くも悪くも「日本だけが特別」という話は全て眉唾物だと思ったほうがいい
https://togetter.com/li/1444850
関連:日本よ、いい加減オリンピックまでに「ロリコン・ショタコン」をやめないとこの国は全世界から「病的決定」になる!?
https://togetter.com/li/1444490
レイチェル・ソーン氏が人種差別発言を非難されて、それから逃れるために自身を非難してきた人物等をロリコン扱いして、攻撃されていると逆に全く関係の無いオタクまでバッシングをした件把握。
こう言う事なのな。
何にしても攻撃してきた相手をロリコンと差別発言をして、英語垢等で被害者ぶった時点で、自身が逆にオタクに対して差別をしている差別主義者であると認めている様なものだ。
フェミやジェンダー関係ってこの手の他罰的主義な人間本当に多いよね(呆)
また今回の発言は見る限り、漫画家やアニメーター、ゲーマー、オタク等の人種に対して、真正面から喧嘩を売っている代物そのものだし、この様な人間がマンガの教育に関わる事自体、問題があると思う。
何にしても子供の権利はお前らの気に入らないものを潰す為のツールではないし、お気持ちを押し付ける為の道具でもないんだよと言う感想。
ほっんと創作物潰しの為に子供の権利やら児童ポルノやらを悪用するのはもう良い加減にしてほしい。
こいつらのお気持ちのせいで規制ばかり進められ、児童保護予算がつかなかった事実があるからな。
「海外で言ったら逮捕だよ?」‥‥雑。とにかく全ての主張が雑。10代後半、初めての海外留学でカブレ気味の欧米出羽守という感じ。が、現実には京都精華大学マンガ学部教授。京都精華大学マンガ学部って人材難なんですかね。— marion_ko (@marionko_) 2019年12月16日
ほんこれ。
実は男性の性器は体毛から進化したというのは知られていない事実。
人間という種族もさかのぼるとねずみみたいな生物になるんだけど、その前にもう一段階あって、
小さいカメレオンみたいな姿だった時期がある。そこからねずみみたいになる時に、体毛が発達したので「体毛期」って呼ばれる時期があるんだけど
それは置いといて、実はその小さなカメレオンだった時(以後小径期と呼ぶ)も、体毛は生えていた。
主に、背中、頭部、尻の部分に生えていて、四足歩行に置いて敵から攻撃されやすい部分に生えていたんだけど
実は四足歩行の守られている内側、小径期の頃の性器部分にも毛は生えていた。
小径期の頃は性器は雄と雌共に似たような形をしており、突起物が無かったんだ。
でもその毛を伝ってメスの体内に精液を入れる事により生殖していたんだ。
そして体毛期が来て体中に毛が生えると、その性器部分の毛が埋もれてしまう、なので、より長く、太く進化するうちに
だから男性の体毛に対して「男性的なもの」を女性を感じるのは、実は男性ホルモンが多いとかそういう理由ではなく、
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。