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はてなキーワード: 直木賞とは

2016-02-28

ラノベ読書の数には入らないという人たちへ

読書しない大学生は45% 過去最高


っていう記事ブクマコメントを見てたら、

ラノベマンガを読むのを読書にしている奴はいるはず」

かい脊髄反射的なコメントがあったけど、文章がメインの媒体である以上、それは読書に入れてよいのでは。

(※ネット場合情報がメインのマルチメディア媒体

こういった記事の時にラノベ的外れ批判使用するのはよくないと思う。


  第一、ラノベ読書でないなら、直木賞だって読書じゃないよね?


どっちも大衆に向けられたものなんだから

しかしたら、その人は直木賞読書じゃないとか言いそうだけど。

とにかく、そうやって読書ハードルを上げるから読書への関心が薄れていくんだよ。

2016-02-27

SNS軟禁するのいいな

仕事するのにブラウザ起動してて、ついでだからツイッターとかフェイスブックとか増田とかmixiとか開いてた。

タスクが終わったり、大小かかわらず壁にぶちあたったり、気が進まなかったり、何か割り込みがあるたびにそれらを巡回してた。

とくにツイッターフェイスブックなんかは、新着があるとタブに未読数が表示され、それが溜まっていると消化したくなる。

そのせいで仕事が進まず、よくないから改善しようと思い立ち、ある日からこれらをブラウザから常駐させることをやめた。常駐してないだけで、気が向けばチラ見はするけれど。

するとどうだろう、集中力が断然違う。今までよりも数倍はタスクに入れ込めるようになった。

とくに未読があっても常駐させないからどこから読んでいないかは気にならないし、そもそも未読があったからといって自分重要な話など5%にも満たないのだ。うすうす感づいてはいたけど。


続いて通勤電車内でSNSを貪るように読んでいたが、それもやめた。

車内でのネットワークの遅さにイライラしながら、話題ブログなんかにアクセスして、それがしょうもない話だったりして、さらストレスをためていたことに気づく。

通勤車内では、片手をあげられるスペースがある程度なら、文庫本を読むことにした。有名な芥川賞直木賞受賞作家作品だと、好みはあろうが大きなはずれはない。

まり、くだらない今はやりのブログなんかを読むより、精読するのにストレスがたまらない。むしろ安心して読書にふけることができる。

これで通勤中に得られる情報はいつもよりも数倍になったことに気づく。


意識高いとか言われる気がするけど、今のSNSの質が良くないってだけで、またネットワークが向上したり、質の良いコンテンツが生まれときにはそっちを使えばいいと思ってる。

今現状は自分のつかっているSNSは少なくとも朝から晩までひっついてる価値があるものではなかった。1日に3回ぐらいアクセスしたら十分。軽い情報取得ぐらいがストレスまらない。

仕事ストレスなのはもちろんなのだが、実際はSNSにへばりついてるのもストレスだったのだ。俺は今ストレスの根源に気づき解放された。すがすがしい。

2016-01-19

直木賞作家の予告

業務上横領告発、だろう、作劇的には

ありそうや。

2015-09-04

書評作家履歴書 21人の人気作家が語るプロになるための方法

Amazon: http://www.amazon.co.jp/gp/product/4041107113?keywords=%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%B1%A5%E6%AD%B4%E6%9B%B8&qid=1441361617&ref_=sr_1_1&s=books&sr=1-1

出版ではなく作家志望者を喰い物にして稼ごうという業界の魂胆が垣間見える本。

シナセンや芸術系専門学校カルチャーセンターが細々とやってきた業界ビジネスに、胴元が参戦してきた。

流行作家雁首を揃え、文筆業の華やかな部分だけを語っている。

阿川佐和子石田衣良江國香織角田光代大沢在昌 etc.

本書の想定読者は"本を読んだことはないけど何となく作家になりたいと思っている人たち"だろう。

作家の語りの冒頭では、先生方の略歴が記されている。

前職は勤め人だった、直木賞を獲った、作品映画化された……

どんな有名作家の、誰でも知っていそうなことでもしっかり書かれている。

「こんな基本情報さえ読者は知らない」という前提で作られた本なのだ

略歴紹介に続く本文では、"山本周五郎(しゅうごろう)賞"、"芥川(あくたがわ)賞"などとルビが振ってあったりする。酷い。

荻原浩は「公募ガイドを見て新人賞に応募した」だなんて言ってるし、森村誠一は「私の作品を読んだことがない、小説はあまりきじゃないと言う担当編集に会って驚いた」と書いているから、本書の読者も相当ナメられているだろう。

道尾秀介40歳)をして「失敗するのを恐れて、臆病な読者が映画化された本を買う」と言わしめるほどである。読者の質が低いのは業界周知の事実で、自然と商いのレベルも落ちているのだ。

念押しするかのように、あとがきでは北上次郎が「作品は斬新さが重要、完成度は求めていない、ストーリーはどうでもいい」と放言している。端から新人作家使い捨てにする気でいて、作家を育てる余力が業界にないのだ。

愛書家としては絶望しかないが、仕方のないことなのだろう。

ちなみに私は本著を図書館で借りて読んだ。

堂々たる複本所であるが、予約を入れてから二ヶ月ほど待たされた。

それだけ"ニーズ"があるのだ。

2015-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20150826021119

表現についてどうこう言うのは余計なお世話

だって表現自分がどう思ったかを示すわけで相手がどう受け取るかじゃないでしょ。

相手がどう受け取ったか、そしてそれについて対応をどうしようかと問いかけてくるのは次の二つが考えられる。

自分表現が乏しいと指摘された人

相手:表現が乏しいと指摘している人

1)相手の好きな対応をする選択をしてもらって、相手の好みの結果につなげてほしい

2)相手の好きな対応をする選択をしてもらって、相手の好みの結果に貢献してほしい

あなたのため、とか言葉としては言い方があるけど、自分のためであるならそれをわざわざ告知したりする?

知らないうちに自然としているものでしょう?

だって自分のためになっている物というのはほとんどが知らないうちに摂取されてできあがってきたものだもん。

わざわざ指摘されて身についた、という転換点は人生にどれほどの数があるのかな。

自分さんは、ダメな子だなあとか指摘をしてくる人っていうのは基本的になにかしら相手の利益になる関係を築きたいと思索している場合じゃない?

ということは、相手がこのみなら「ありがとう」を使い続けたらいいと思うし、好みじゃないなら「じゃあ他の方に聞いてみますね」って距離を取ればいいんじゃないかな。

別にあなたがどれほど表現豊かになって直木賞作家になろうが、だれも気にしないしだれもそんなこと期待してないと思うよ。

2015-07-19

純文学って

人によって色々あると思うけど、純文学って「個の狂気」だと思ってた

まあ火花のことだけど、編集者の手で添削された小説を「純文学」として売り出すことに疑問を持つ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150717-00000046-sph-soci

 そして、ある日「火花」と名前の付いた縦書きワードファイルメールに添付され、送られてきた。一読し「コレが載ったらウチの雑誌完売するな」と確信しつつ、編集者として意見を伝えた。不要なシーンはカットし、登場人物を加え、4、5回と改稿。又吉は掲載の直前までゲラを真っ赤にした。

芸人が書いた小説だけに、既存文学から外れた異質な作品を期待していた自分としては、残念以外にない

ただの小説家養成学校に通って、何とか形になった凡百の作品と大して違わなかった

よく芥川賞商売なんだから、なにマジになってんの?的な意見を聞くけど、それは違うと思う

菊池寛は、芥川賞と同時に直木賞も作ってる

まり芥川賞は、直木賞とは違う「何か」を背負った賞として最初から運命付けられた存在のはずだ

その「何か」って、芸術としての文学のことで、純文学のことだ

芥川賞選考委員はきちんとそのことと向き合っているのだろうか?

「個の狂気」のない良く出来た小説って、もうそ本屋大賞だと思う

今後の日本文学で、純文学がなくなっていくのではないかと、とても危惧してる

http://anond.hatelabo.jp/20150716232738

ウィキペディアぐらい読んでから書けばいいのに。

設立者菊池自身は「むろん芥川賞直木賞などは、半分は雑誌宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている。」

菊池は賞に公的な性格を与えるため1937年財団法人日本文学振興会を創設し両賞をまかなわせるようになったが同会の財源は文藝春秋寄付に拠っており、役員も主に文藝春秋関係者就任している(事務所文藝春秋社内)。」


芥川龍之介賞 - Wikipedia:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E8%B3%9E

賞に勝手権威をつけたのは世間でしょ。

ほぼ民間の一企業がやってる選考会に「純文学界」とやらを背負わせないでよ。


というか「文化商業化がひどい」とか「文化資本に侵されている」とか言ってるけど,文化担い手は霞でも食ってろとでもいうつもりかしら。

じゃなきゃあなたパトロンになってよ。

パトロンがいなくなっちゃったから文化資本主義の中で商業化して,生きてくためのお金世間の皆様から広く薄く集めなきゃいけなくなっちゃったんじゃないか。

2015-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20150605080610

ティーン向けのエンターテインメント小説

表紙に漫画アニメのような絵が描かれていることが多い。

毎月、多くの作品が出ていて、書店一角を占めている。

人気のあるものアニメドラマになったりする。

ラノベ出身で大人向けに書いている作家も多く、何人かは直木賞を受賞している。

2015-02-02

ラノベを読んでラノベ批判をするのでもだめなんだろうか

ラノベを読んでないから馬鹿にするという意見があった。

なるほどな、たしかにそういうことはあるだろうと思った。

でもじゃあ、実際に読んであまり評価をしてない場合はどうなんだろう。

ラノベオタクはどんな人でもラノベをしっかり読みさえすればラノベ馬鹿にしたりはしないはずだなんて思ってるのかな。

ぼくはまあべつにそこまでラノベ馬鹿にしてるわけではない。

ラノベ大衆文学の一種、それこそ直木賞とかの一般エンタメ小説と同じものだと思ってるから

でもぼくはその一般エンタメ小説はくだらない、幼稚だ、時間無駄と思って積極的には読んでないので(大ヒット作はいま世の中ではどんなもんがはやってるのかなっていう興味で読むけど)、そういう意味ラノベもくだらないと思ってあまり読んでない。

からといって読まずに評価をくだすのはさすがによくないと思って、とりあえずすこしは読んでみた。

読んだなかでいまぱっと思いついたのだけ列挙してみると、

イリヤの空、UFOの夏

半分の月がのぼる空

涼宮ハルヒの憂鬱

狼と香辛料

サクラダリセット

文学少女

人類は衰退しました

AURA

神様のメモ帳

楽聖少女

シュガーダーク

『巡幸の半女神

生徒会の一存

聖剣の刀鍛冶

ヴァンパイアサマータイム

十二国記

シュガーアップルフェアリーテイル

こんな感じ。

このなかで面白かったのは『シュガーアップルフェアリーテイル』くらいかな。あと、荻原規子さんの『RDG』がアニメ化にともなって岸田メル絵でスニーカー文庫から出たけど、あれはよかった。やっぱり文章うまい

とにかくラノベは全体的に文章が下手だと思った。

最高クラス秋山瑞人とかなら、ラノベレベルってのもわかっちゃうな。

でも不思議なことに、ラノベではないと思うけど『ビブリア古書堂の事件手帖』は文章うまかったんだよね。ラノベ作家ってわざと下手に書いてるのかもねとちょっと思った。

あと、ついでだから言っておくと、『巡幸の半女神』の2巻打ち切りでああこの業界終わってるなと思った。伏線ばらまいて打ち切りやがったのでもう許しません。ふざけてるんですか!

ぼくは普段は海外文学しか読まないから、大好きなフォークナーとかと比べると、この辺の小説、すべてゴミだと感じた。ちゃんと読解すればフォークナー並みの小説なんだという意見があるなら、ぜひ聞いてみたいところだけど。

ラノベってそんなにすごいんだろうか。

読んだ上で言うけど、ぼくはラノベはとくにすごいとは思わなかったな。

ラノベって10代のオタク男子向けの娯楽小説じゃないの?

で、10代のオタク男子向けの娯楽小説だとしたら、大人から「こんなもの……」って馬鹿にされちゃうのもある程度仕方ないのでは。

それってあきらめるしかないのでは。

ラノベオタクのきみらだって、ぼくがアイカツとかたまごっち見てるって言ったら、「アイカツおじさんwwwww」とか言って馬鹿にするだろ?わかってるんだよ!

ラノベ批判するとすぐに「差別主義者だ!」とか言ってくる人がいて、ほんとに困っちゃうね。

そういう人と対話って可能なのかな?

無理だよね。

向こうはもう完全に切れちゃってるし。

ラノベ批判絶対にゆるさーんってなっちゃってるし。

というわけで、この話題はもうやめよう。

ラノベはすごいねラノベはすごいね世界最高の文学だね。

最後にぼくが言いたいのは、ラノベオタクは「大人でも読める!」「大人でも読むべき!」「傑作!」「文学!」とか煽ってラノベを紹介しないでほしいってこと。何度だまされたことか!ただの娯楽小説だよ!

2015-01-16

直木賞めでたい

しかしこれで各版元が調子に乗って既刊増刷するじゃないですか

・いまでさえブックオフ定番商品なんですよね実はね

もっというと108円棚の定番なんです

・しばらくはいいよ、受賞の余熱がある間は

・そのうち「思ってたような内容じゃなかった」

・「直木賞作家から期待して読んだのにぜんぜん」

・とかなんとかいう「読んだひとの本」がブックオフに回遊する一方

・刷りすぎた商品が誰にも買われないまま、同様にブックオフに流れていって

地獄のような在庫の山ができる未来

……しか見えない気がするけど、それでもやっぱり

彼女が得てしかるべき名誉なんで

いち愛読者として、受賞を寿ぎたく存ずる。

蛇足ですが、同じ「小学館作家」の藤谷治複雑骨折みたいな喜び方してるんですけど

あれ、伝わりづらいと思うわー

2014-05-20

峰なゆかって例の、男のいじめを取り上げた四コマのせいで女の味方みたいに言われるけど実際は全然そんな事ないと思った

新しく出来た雑誌コラム映画『私の男』についての感想イラストと共に書いてるんだが、

そこで義父から性的虐待を受けているヒロインに対して

ダサい恰好で男の庇護欲を掻き立てるあざといタイプ断じて一方的に扱き下ろした上で

義父の彼女であるライバル美女の方が感情移入出来ると書いていたんだが

それを見てドン引きした

単なる三角関係ならともかく、保護者から虐待被害者に対してどうしてそんなに敵意丸出しになれるんだ?

10歳で引き取った義父から性的関係要求されるなんて地獄じゃないか

とてもじゃないけど男に選ばれて羨ましい立場だなんて思えない

ネタとしてやってるんだと言い張るのかもしれないがそれにしても不快

フェミニスト峰なゆかを評価している人も多いがこのコラムを見たらどう思うんだろう…

(それにしても胸糞悪い作品だな。これが直木賞を取ったとか世も末だな。

映画サイトを見ても『十代とは思えない妖艶さ』とか書いてあるのか…気持ち悪過ぎる。

桜庭一樹って女性だよな。虐待犯罪として描くんじゃなく美化して書いてるとしたら信じらんない)

2014-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20140428040704

これまた炎上に火を注ぐだけのまとめブログ並みに誤解を煽る文章。ちゃんと裁判山形浩生が負けて小谷側が勝訴したとまで書きなさいよ。

そんなテクスチュアル・ハラスメント裁判なんて言われても知らんよという人のためにざっと説明すると、評論家翻訳家野村総研研究員である山形浩生氏が97年に出版された『オルタカルチャー 日本語版』の中で

そもそも小谷真理巽孝之ペンネームなのは周知で、ペンネームなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向ではある。

こんな文章を書いた結果、訴訟され裁判にまでなったのである



これだと裁判仕掛けたほうを馬鹿にする文章だが、そんなことはない。裁判になる前に何の対応も取らなかった山形浩生馬鹿なだけ。

あと大森望SF作家クラブに入れないってのは、東野圭吾直木賞落選し続けたみたいなのと同じような「ネタ」でしょ。何かマジギレしてる外野が多くて引く。

2014-02-01

女性ニュースになった時

プライベートを報じられる/報じられない境界はどこにあるんかな。

ってことを、小保方博士の件を見てて思ったんですよ。

つらつら思いつくままに挙げていってみます

例1 将棋里見香奈女流棋士

先日奨励会3段に昇格されましたね。女性初。すごい。

でも、その報道の中では別にプライベートには突っ込まれてなかったような気がする。

見た目の地味さ(個人的には良いメガネっ娘だと思う)、将棋という種目のストイックさが阻んだのか?

例2 サッカー女子川澄奈穂美選手

ちょっと古い話ですけど、W杯オリンピック活躍の後の報道といったら、そりゃもうアレでしたよね。

川澄さんは(柏木に似ているものの)カワイイという一般的評価を得ている方ですから、やっぱり見た目でしょうか。

あとはネイルとかピンクゴムとか、突っ込みどころが割とあったせいかもしれません。

例3 芥川賞作家の皆さま

女流作家の受賞も多い芥川賞ですが、男女の別を問わず結構プライベートまで報じられがちに感じます

「それまでの人生が作品のバックボーンになっている」という思想なんですかね?

歴代でも報道過熱といえば、綿矢りささん・金原ひとみさんのW受賞の時でしょう。若さビジュアルキャラ立ち完璧でした。

余談ですが、直木賞の方は比較的人物報道が軽めなのはなんででしょうね。

例4 参議院議員・吉良よし子さん

どうしても一瞬吉良吉彰を思い出してしまう吉良議員

若いビジュアルも悪くない、でもそこまでプライベートが話題になっていた記憶はありません。

こと政治家は身近さを売り出すためか、家族だの好物だの、自らプライベートなことをPRしがちだと思うんですが。

やはり共産党のお堅いイメージが勝ってしまうのか。

結論?

とりとめもない印象の書きなぐりですけど、結局のところ

若いか/若くないか(境界は30代前半ぐらい)

・見た目が華やかか/地味か

・どこか突っ込みどころがあるか/一見スキがなさそうか

ということなんでしょうかね。

小保方博士もお気の毒なことでした。

追記

zeromoon0 「お父さんのためのワイドショー講座」視点報道から

ikd18 金になるかならないか。

いやそうなんですけど、その『「お父さんのための~」の対象になるか/金になるか/数字がとれるか』の基準はどこにあんの?って話です。

結論をさら一言でまとめると「オッサン受けするかどうか」になっちゃうな。いやー、身も蓋もねえな…

2013-07-07

ヨハネスブルグの読者たち

うあああ自称SF読みども超気持ちわりーーーーーーーー。

(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。

伊藤計劃幻視したヴィジョンをJ・G・バラード手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから


政情不安内戦グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱現在未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています


テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教民族イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。

「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。

いつからSF読者こんなに気持ち悪くなったの?

SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、

「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として

ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

しかしその死後気鋭の作家ポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも

いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作コミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。

そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介

小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき

そんな奴が地域紛争911テーマ連作短編集を出したもんだから既存社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。

おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃幻視したヴィジョンをJ・G・バラード手法で描いた”。

何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。

やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物言語宗教の問題はバベルの塔彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格コピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった

こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。

んなもん「あなた恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画感想にでも垂れ流しとけばいい。

お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?

せめてタイトル検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?

最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数感想引用して終わる。あーイラつく全員死ね

まず舞台がねー、ヨハネスブルグニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタン都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京バリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。

追記。

補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、

twitterに書かれてたこれにだけ返事しときます

ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから

A1.読んでます

A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?

  感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www

  ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww

  褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニー作法なんざ知るか。

  小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。

A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。

  ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。

  「お前は本当に気持ち悪い」という文章からSFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。

  あー気持ち悪い。

2012-07-17

最近引っ越したら近くに図書館あったからよく本借りてるんだけど、直木賞関係と本屋大賞関係は予約が半端ない

同じ作家の他の代表作だって数件なのに、何百件も入ってた。広告効果ってすごいんだなあ。

2011-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20111202145432

だよねぇ……

公募賞の受賞者に担当がついて最初に言うことは、

「専業作家になろうとは当面思わないでください」

なぜなら、作家1本で食っていけるだけの人はごくわずかだから

賞をとるレベルの人であっても、受賞作から数作で消えることもままある。

北村薫埼玉高校教師小説家の二足のわらじだった。

日本推理作家協会賞」受賞当時もまだ教師。直木賞ときはさすがに専業。

瀬名秀明は在学中にデビュー日本SF大賞受賞時は大学勤務、現在兼業

大鐘稔彦は医者やりながら作家原作者。「孤高のメス映画化されたね。

二足のわらじは決してめずらしいものではない。

……で、元増田の受賞歴はどんなんだっけ?

2011-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20111128221615

その女の子がどういう女の子かわからないけど、女の子に勧めるなら桜庭一樹作品が良いと思う。

最近直木賞取った作家からオタクコンテンツ偏見があったとしても抵抗が少ないし

何より女の子の心情に沿った物語を書いている。

お気楽エンターテインメントが良ければ「GOSICK」を、重めの話が良ければ「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」を勧めてみてはどうだろう。

少女には向かない職業」も良い。

もしその女の子が極度の活字中毒

・どこに行く時も文庫本を手放せない

・暇な時はつい、辞書やチラシ等、手近にある活字を目で追ってしま

・本を買う時はつい、文字数÷値段でコストパフォーマンス計算してしま

タイプなら、西尾維新もおススメしていいと思う。

化物語か、戯言シリーズ

2011-10-05

小説を知らない人への小説の売り方

http://anond.hatelabo.jp/20111005092209

文学賞

直木賞芥川賞本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界大家でも日本では無名作家が一気に売れるようになる。

映画化ドラマ

普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション俳優陣は勿論、脚本家監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元から原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベアニメ化もこれに含まれる。

企画本

「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。

新訳、新装

ここ数年の流行夏目漱石太宰治小畑健の絵をつけたり、サリンジャーチャンドラー村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。

芸能人作家デビュー

去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。

一見すると効果があるように思われて、実は効果がないもの

2011-07-26

フクシマ後、松本龍の一件をみて景山民夫を思い出した

チェルノブイリ事故の後、当然のごとく反原発運動はあって、

「危ない話」の広瀬隆氏あたりが有名だけれども、

景山民夫氏やいとうせいこう氏が論陣をはっていたのだそうだ。

http://www.geocities.jp/goki_con/e/54.html

イラ小学校低学年頃で、残念ながら、その頃の記憶はまったくない。

それから5,6年後(オイラ中学生)、

幸福の科学フライデー被害者の会を名乗ってデモ訴訟をやる騒ぎがあり、

その広告塔だったのが、景山民夫氏。

(ちなみに当時、ビートたけしは俺は加害者の会だ、という冗談を言っていた)

この件で彼のことを初めて知った。

その後も、彼は料理の鉄人あたりに出演していたし、

直木賞受賞作である、「遠い国海から来たCOO」が映画化されたこともあって

日テレ40周年で製作された角川映画なんだが公開が春樹氏の逮捕と重なった!)

どんな人だろうと気になり、彼のエッセイを読み出したのだ中学3年~高1のころ。

ちょっとオトナな話が多いので、オトシゴロのオイラはすぐに引き込まれていった。

原発の話題も多かったが、科学の子(もちろん学研的な意味で)を自負していた当時のオイラは、

そこにはあまり共感はできなかった。

(その後、核をテーマに「パンドラの選択」という小説を出されるのだけれども、これはあんまり面白くない)

3.11の後、ふと読み返したくなって、中古本を買ってきたのだが(残念ながらほとんどの著作が絶版)、

週刊朝日での連載をまとめたエッセイ集では、原発関連企業CMにはでません!なんて話があって、

勝間和代の一件もあって非常に興味深い。

さて、景山さんは、放送作家出身で、

昭和40年代日本テレビ業界を扱った長編小説の「ガラス遊園地」がある。

この中で、佐藤首相の引退会見を描いた場面がある。

例の、「テレビ真実を伝える」「NHKはどこにいる?」発言のシーンだ。

ここで、ある登場人物が「最後最後になって、佐藤首相もとんでもない名言を吐いてくれたんだね」と解説。

アメリカ大学で、「ノートルダムのせむし男」の映像

編集してナレーションをつけることで、

学園紛争映像に作り替えてしまった映像を見た話を主人公にしてみせる。

ナレーションコメントを付け加るだけでなく、編集して発言の順序を入れ替えれば、

逆の意味にしてしまうことも可能だと。

この後、テレビを見て育つようになれば、日本人フィクションノンフィクションの区別がつかなくなる、という話が続く。

この話を読んで、オイラはとても背筋が寒くなった。

指摘されたとおり、自分は無批判にテレビが伝えることを信じてしまっているではないか

これ以降、オイラテレビを信用しないことに決めた。

さて、最近、この話を強烈に思い起こさせる一件があった。

我が郷土、福岡選出、部落解放同盟プリンス松本龍氏の言動と

それをめぐる報道だ。

http://www.youtube.com/watch?v=TpvGCRA4228

http://www.youtube.com/watch?v=rCuBxebD4-Y

村井知事自衛隊出身であること

地元漁協が強く反対しているこにも関わらず、知事漁港集約を進めようとしていること。

この2点を知っていれば、だいぶ受ける印象が違うのではないか

あれって本当に「叱責」?

松本氏が起こっていたのは知事が遅れてきたことに対して?

この剣幕に知事もおもわず苦笑い、ぐらいのコメントだったら、はたしてどうだったか

どうしても私には、松本氏の最後の軽口が、

テレビ関係者を立腹させてしまたから、

印象操作をされてしまったようにしか思えない。

イラはあまり松本龍に好意的な印象をもっていなかったのだが、

この件ではついつい同情してしまった。

2010-12-10

漫画アニメ芥川賞直木賞をやらない日本カス

エンターテイメントでも文学でもはるかに上なのにな。

所詮身内だけの持ち回りの賞でしかないならやめちまえ。

2010-12-06

もしも〇〇が×☓なら、の愚考

などなど、「もしも〇〇が×☓なら」という話は、どれだけ価値がないかおわかりいただけただろう。

このような話は空想するだけムダなのだ。

2010-10-03

ミステリマガジン 2004年9月号 桐野夏生インタビュー後半部

とある記事のはてなブックマークでその存在を知って、中身が知りたくなったのでミステリマガジンバックナンバーを借りてきたよ。

そしてその内容が個人的にグッと来るものだったから、メモ代わりに後半部だけをここに書き出してみるよ。

『OUT』という名の運命 桐野夏生


 九六年二月、私は、青山ベルコモンズカフェ言葉を失っていた。狭いテーブルの上に広げられたのは、探偵ミロを主人公にした旧『柔らかな頬』第二稿。付箋が挟まれ、赤字が入っている。対しているのは、新担当編集者だった。彼は、「うまく直っていない」と告げて沈黙した。第一稿が上がった時点で、様々な注文を付けたのは彼だった。複雑過ぎるからもっと単純に、対立を明確に、タイトルを変えろ、等々。エンターテインメント小説王道を説かれ、何とか努力して改稿した結果がこれなのだ。

 私は、紅茶の染みが飛んだ原稿を書類袋に仕舞い、「わかりました。これは捨てます」と言った。彼は、私の反応に少し慌てたようだった。だが、私は周囲のざわめきすら、気にならないほど打ち沈んでいた。誰も見方がいない、これから一人でやるしかないのだ。その思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。「これからどうしますか」と問われ、「別の小説を書きます」と意地で答えた。この時、『OUT』の構想が生まれた。行き場のない中年女たちの小説を書こう、と。行き場のない中年女とは、まさしく自分のことだった。

 その年は、他の細かい原稿は一切書かず、『OUT』の書き下ろしに専念することにした。どのみち、デビューして間もない作家に、そう多くの注文は来ない。私は、原稿を捨てたトラウマを抱えつも、何とか『OUT』で勝負したい、と必死になっていた。その重圧に押し潰されそうだったし、『柔らかな頬』を捨てたことで、作家としての自信を失っていた。とりあえず、どん底にいる私が発見したのは、恐ろしく単純な事実だった。書くしか生きる方法がない、ということ。そして、それは恐ろしいほどの孤独を生きる、ということでもあった。

 取材は多岐に及んだ。井の頭公園バラバラ殺人事件の取材をした記者ルポライター、深夜の弁当工場、街金。取材対象のアポは、ルポライターを除いて、ほとんど私自身が行っていた。当時、私のような駆け出し作家には、出版社は金も時間も多くは割いてくれなかったのだ。しかし、自分で切り開いた取材先は、得るものも大きかった。結果としてはその方が良かったのである。私は一人で車に乗り、物語現場と仮定した東村山市に度々出かけた。駅前で描写のための写真を撮り、見知らぬ公団住宅広場を歩き回って、主婦の顔を見た。頭の中で、雅子邦子たちが息づき、喋り、早く書いてくれ、と叫んで、今にも爆発しそうだった。

 夏までにほとんどの取材を終えてプロットを作り、私は九月から書き始めた。千ニ、三百枚以上の長編になるはずだった。せいぜいが八百五十枚の経験しかない私には、初めての大作だ。ミロシリーズ一人称一視点をやめ、三人称多視点で物語の速度を速め、螺旋状に回すことを決める。十月に二百枚入稿年末に五百枚。順調だったが、書いている間は他の作家の華やかな噂を耳にして、心が乱れた。一人でパソコンに向かう日々は、実に孤独だ。書くしかない、と思っても、小説の終結まで途轍もなく長い時間がかかるのだ。そのことを考えるとどうしても落ち込んだ。短編小説の注文もぽつぽつあったが、理由を話して断った。その頃の私は、仕事を断ること自体が冒険でもあったから、これでその出版社からは、二度と仕事は来ないだろうと覚悟した。

 三月十七日の夜、最後の一行を書いた途端、涙が溢れた。やっと終わった、辛かった、と言葉にすると、また泣けてきた。しかし、ようやく脱稿した私に、厳しい現実が待っていた。初版部数は一万三千部だというのだ。内容に自信があったし、二年越しの仕事だったから、初版部数の少なさは衝撃だった。だが、これが現実だと思えば、やり遂げたという自信を胸に、次の仕事に賭けるしかない。それが作家だ。何とか自分を慰めた時、不思議なことが起きた。口コミで爆発的に売れ始めたのだ。『OUT』は作者の手を離れ、ひとりでに読者の元へ飛んで行ってしまった。

 九七年の『このミス』で一位、翌九八年直木賞ノミネート。破竹の勢い、と自分でも満悦だったが、ここから『OUT』の不思議運命が始まる。直木賞落選。次の吉川英治新人賞でも落選。ようやく推理作家協会賞で長編賞受賞。三度目の正直だった。賞にノミネートされる度に有望視された『OUT』は、その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ。そして、その不思議運命のとどめは、今回のエドガー賞候補である。

『OUT』は、私という作家ブレイクさせてくれた作品だが、同時に、私をOUTな作家にしてくれたらしい。それは、決して王道を行けない奇妙な小説家としての道でもある。その始まりは、旧『柔らかな頬』を捨てた日の、打ち沈んだ気持ちにある。誰も味方はいない、一人でやるしかない、というあの思い。だが、孤独作家を鍛える。再び、同じ思いをして自分を鍛えたい、と最近思うのである。

2010-09-09

ラノベから一般文芸への転向の理由

http://togetter.com/li/48558

以下、チラ裏

ラノベ作家が次々と一般文芸転向する理由

1.儲からない

結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベイラストレータ印税が折半になるので1冊当り25円の印税ハードカバーなら10%で140円の印税ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。

中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。

さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞吉川英治文学新人賞山本周五郎賞推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞芥川賞ラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメ直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。

さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビ福田和也が批判している、大作家福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。

2.長い間書けない

角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。

資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説技術を身につけた作家転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。

以上、思いつく限り。

2009-02-27

うーん。

http://anond.hatelabo.jp/20090227091112

石原さんのことはそれほど好きじゃないけど、少なくとも抜粋部分は作家/作品に対する評として妥当だと思う。

文学だって娯楽の一部という側面があり、「鑑賞する他者に最低限のある共感をもたらさなくては作品としては通るまい」とあるのはその側面を特にクローズアップした結果と見ることができる。「繰り上げての当選」という表現は確かに政治家としての石原慎太郎を強く思い起こさせるけど、むしろ政治家として見られていることをきちんと意識していますよ、というアピールじゃないかと思うんだよなぁー。

あと、

一方の直木賞候補作品たちに比べてみても、今日純文学とか称されるカテゴリ作品の不人気衰退が相対的に如何にもうなずける。

一方の大阪府知事に比べてみても、今日作家出身の知事とか称されるカテゴリの不人気衰退が相対的に如何にもうなずける。

これは邪推し過ぎだろうw

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