「三島由紀夫賞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三島由紀夫賞とは

2024-06-13

[][]阿修羅ガール

 舞城王太郎小説を読むのは初めてだった。ブックオフで著書がたくさん並んでいるのだから面白いのだろうと長年思っていた。それで、代表作であろう阿修羅ガールを読むことにしたのだ。

 面白かった。ただしそれは小説全体の中盤、具体的には第一部が終わるまでだったが。主人公アイコ)のキャラクターがしっかりと立っていて、貞操倫理観も欠如した主人公感情のままに刹那的かつ本能的に振る舞うのが一人称でまくしたてられていて、読んでいて心地よかった。

 ストーリーも着々と盛り上がっていき、今後の展開に目が離せなくなる。主人公と肉体関係を持った佐野失踪した理由は何か、アルマゲドン匿名掲示板で呼ばれる青少年暴動主人公が巻き込まれていきどうなっていくのだろうか、といった具合にである

 しかし、第二部が始まり芸能人政治家が何の脈絡もなく突然に登場してストーリーをひっかきまわしていくので、作者はヤケクソになったのではないかストーリー収束させるつもりは無いのだろうかと困惑する。私は、00年代初頭に2ちゃんねる上で流行したガクトスレ(『はっきり言って、ガクト気持ち悪いです。』URLhttp://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1371.html )を連想した。作中の匿名掲示板2ちゃんねる元ネタなのは明らか)でのスラング再現ぶりからして、舞城王太郎ガクトスレに影響された可能性は高いと思われる。その後の展開でも第一部で描かれた丁寧な描写と打って変わって、リアリティの無い夢や妄想のような世界を大型文字を交えて描かれたり、突如主人公が変わって架空世界でのホラー調ストーリーファンタジー風に展開されたりと、メチャクチャな展開になっていく。例えるなら、リレー小説でそれぞれの作者が我を強く押し通して話を作り、落丁などをほったらかしにしたままに話をそのまま繋げたという感じだ。連載小説なら、設定やストーリーの根幹を軽視してその場の盛り上がりを重視するというのも分かるが、どうやらこの阿修羅ガールはそういう訳ではないらしい。

 そして、第三部では第二部でのハチャメチャな展開を無理やりにまとめるが、それまでの展開を夢オチとするも同然の扱いだった。そうでもしなければ、話を収束させられないから仕方がないけれども。とはいえ失踪した佐野に関するオチが全く無いのもどうかと思ったが。そして最後まで読んで、こんな小説が賞を受賞したのかと愕然としたが、三島由紀夫賞というのを目にして納得した。三島由紀夫の著書はまだ一作も読んだことがないけれども、WikipediaYouTube動画から読み取れる三島由紀夫人格を推測するに、思想の根幹が弱いわりに伊達人生を貫いた人という印象だ。伊達人生に命を懸けたという点で、ある意味では思想が強いとも評せられるけれども。それだけに、この阿修羅ガール三島由紀夫賞に相応しいのだろうと、読了後に感じたものだ。

 まあ、文学というのはこういう物なのだろう。「文学」というよりは「文楽」だろうと思ったけれども。つまり文を「学ぶ」のではなく、文を「楽しむ」だ。音楽論理的に作ったり分析したりしている人を見ると、「音楽」というより「音学」という言葉がふさわしいのではと思うことがある。しかし、出版社主導によって商業評価をもってして誉めそやされている「文学」という代物は「文楽」という言葉の方がふさわしいだろう。当作『阿修羅ガール』でも同様だ。

 阿修羅ガールは、作品の根幹を成すストーリー思想価値観よりもその場限りでの文章の修辞的な技巧に重きを置いて、その技巧を楽しむエンタメ作品だ。こうした小説こそが、出版社主導の賞にふさわしいのだろう。そして、こうした小説を生み出せる人が、商業作家として大成していくのだろう。

 なんだかんだと文句を書き連ねたような感想になってしまったが、それも最後まで読み切ってしまう楽しさを持つ小説からこそだ。楽しさの無い小説など、途中で読むのもやめてしま感想を書く気にもなれないのだから

2022-11-21

山月記現代

山月記

頭脳明晰大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」

と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761流行ってるみたいだけど

全然違うでしょう


頭脳明晰大企業勤めをしてた」

大企業努めではなくてエリート官僚だよ

しか所詮は保身しか考えない閣僚政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ


「いきなり作家になると言って仕事をやめた」

これは違う、文学史に名を残したかったんだ

「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、

政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと

今の時代詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない

作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない



「一作も書き上げられず」

これは全然違って、例えるなれば「芥川賞ノミネートされたけど受賞を逃した」くらい

それどころか三島由紀夫賞にも引っかからなかった

いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと


失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが」

ここが一番ダメ

流れとしては作家を諦めて一度公務員に戻ってるんだよ

ところが前は国家エリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ

その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ

その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う

歴史に名を残すだけの能力自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家俗物批判し、エリート官僚政治家犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ

で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった

一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった

そんな話なんだよ

簡潔にまとめるなら、

エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激言動ヤバイ人として有名になってしまった」

あたりかな

2022-09-26

TVアニメ作家性なんていらねぇんだよ

そんなもんは単館系クソアート映画に任せとけばいいんだよ

なーにが作家性じゃボケ

監督性癖愚痴愚痴オナニーじゃねぇか

そんなもんをアニメに求めてねぇんだよバカ

見終わったときに、あー面白かったで終わらせろよカス

 

おい、庵野お前だよ

エヴァちょっと褒められたからって調子に乗ってゴミみたいなオナニー演出カレカノをめちゃくちゃにしやがって

お前みたいな監督が一番嫌いなんだよ

サッカセイだかラッカセイだか知らんけどそんなもんはオリジナル作品でやっとけよカス

鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞野間文芸新人賞大江健三郎賞三島由紀夫賞芥川龍之介賞と賞を取りまくる本谷有希子文学少女役として採用した慧眼だけは認めてもいいがその本谷有希子声優としてはクソヘタクソだったじゃねーか

今見返しても主要人ほとんどヘタクソでため息しか出ねーわ

せめて半分素人にするにしても、ドラマIWGPみたいに「なんか今見て見たら大物ばっかり出てんじゃん」ってことにできんのか、しょうもない

本当に作品自分の色にしようとする奴嫌いだわ

2022-06-16

[] 庵野秀明許してない増田(本谷有希子増田)

2020-08-07

anond:20200807180705

沢田役の本谷有希子が後に大江健三郎賞三島由紀夫賞芥川龍之介賞純文学新人賞三冠を獲るんだから世の中わからんよな。

個人的原作めちゃくちゃ好きだったか庵野が好き放題したアニメ版ゴミオブゴミだと思ってるけど。

anond:20200807181322

2021-07-05

細田守新海誠庵野秀明も

本来サブカルど真ん中の人材なのになまじ一般層に届く大ヒットを飛ばししまったせいで、メインストリームに担ぎ出されてちょっとバツが悪そうに妥協しながら作品作ってるのって正直萌える

 

でも私はカレカノの大ファンだったので「俺、庵野ぞ」みたいにゴミみたいな実験アニメにした庵野秀明を今でも許してない。

後に純文学新人賞三冠作家になる本谷有希子見出したのは慧眼があったのかとも思うけど演技はゴミオブゴミだったので声優としては一切許してない。

思い出したらムカムカしてきたわ。

anond:20210705120342

2022-01-21

■いまだに庵野秀明を許してない

新進気鋭の監督だったか何だか知らんが、俺の青春バイブル彼氏彼女の事情を半分素人学芸会したことを私はいまだにおこているよ。

2億歩譲って「生感」を出すためにリアル高校生採用したことは許すとしても、作画演出も手を抜きまくったことは許されないよ。

ただ小説家少女沢田亜弥に当時は単なる演劇科生だったが後に鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞野間文芸新人賞大江健三郎賞三島由紀夫賞芥川龍之介賞を受賞する本谷有希子採用した眼力だけは認めてやってもいい。でも演技はヘタクソだったからやっぱりおこているよ。

anond:20220121145225

2022-01-21

いまだに庵野秀明を許してない

新進気鋭の監督だったか何だか知らんが、俺の青春バイブル彼氏彼女の事情を半分素人学芸会したことを私はいまだにおこているよ。

2億歩譲って「生感」を出すためにリアル高校生採用したことは許すとしても、作画演出も手を抜きまくったことは許されないよ。

ただ小説家少女沢田亜弥に当時は単なる演劇科生だったが後に鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞野間文芸新人賞大江健三郎賞三島由紀夫賞芥川龍之介賞を受賞する本谷有希子採用した眼力だけは認めてやってもいい。でも演技はヘタクソだったからやっぱりおこているよ。

2019-08-12

anond:20190812012815

木村友祐ってWikipedia見たら単行本化に恵まれない人なんだなぁって思った

「イサの氾濫」2011年すばる掲載三島由紀夫賞候補かになっても集英社から単行本化せず5年経って未來社という知名度低いところから出てる

今回の参考文献にされてしまった小説古市のおかげでどっかの出版社が拾って本にしてくれるのではないだろうか

2019-01-24

anond:20190123231432

ライトノベルの枠の中でしか活躍できていないのに、自分は「底が深くて頭を使う難しいもの」書いてると思ってる奴は痛いね

少なくともそんな御託は三島由紀夫賞とか直木賞候補ぐらいに選ばれてからにしてほしい。

2010-09-09

ラノベから一般文芸への転向の理由

http://togetter.com/li/48558

以下、チラ裏

ラノベ作家が次々と一般文芸転向する理由

1.儲からない

結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベイラストレータ印税が折半になるので1冊当り25円の印税ハードカバーなら10%で140円の印税ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。

中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。

さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞吉川英治文学新人賞山本周五郎賞推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞芥川賞ラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメ直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。

さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビ福田和也が批判している、大作家福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。

2.長い間書けない

角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。

資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説技術を身につけた作家転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。

以上、思いつく限り。

2007-07-03

北國新聞 2007年7月2日号より転載

北風抄 - ”文学賞批判”を批判する

 『文学賞メッタ斬り! 受賞作はありません編』(大森望豊崎由美著、パルコ出版)は、書名どおり芥川賞直木賞や主要文学賞選考のあり方を”メッタ斬り”する対談であり、ことに、選考委員のお歴々が実はまったく小説を読めていない、批評能力に乏しい─と軽い調子で鼻で笑って斬るところがミソであるようだ。

 そのあたりはまあ読み流すとしても、白山市制定の島清恋愛文学賞にまで鉾先が向けられるとなると、ちょっと黙過しにくくなる。

 「島田清次郎は二十歳のときに書いた『地上』という小説ベストセラーになったばかりに人生を誤ったんですね」との認識も粗雑に過ぎるが、「最後は早発性痴呆現在統合失調症)と診断されて精神病院に収容され、肺結核にかかって三十一歳で死んじゃった。こういう人を記念して恋愛文学賞を創設した白山市はたいへんな勇気があるなと思いました」との発言には大いにひっかかるものがある。

 この「たいへんな勇気」が肯定的な意味で使われているのではないことはもちろんだ。この筆法でゆけば、三島由紀夫賞も、”市ヶ谷自衛隊駐屯地突入日本刀で総監に斬りつけ、割腹して果てた人物を記念して文学賞を創設した”出版社はもっと「たいへんな勇気」があったことになる。

 『メッタ斬り』の対談者は石川県人が島田に寄せる微妙な心情に全く気付いていない。「島田清次郎の悲劇は何がしか石川県人の心を揺さぶるものを秘めている」(水洞幸夫氏)のであり、夢や理想や栄光を求めて東京へ出たものの、空しく挫折した無数の石川県人と島田が重なり、郷関に残った者ともどもシンパシーを呼び起こされるのかもしれない。私などは、この賞の創設を、痛ましい限りの生を余儀なくされた島田の鎮魂として意義深い、と勝手に解釈している。

 『メッタ斬り』の島清恋愛文学賞への批判はそれだけではない。批判の大半は、選考委員のひとりへのかなり激しい誹謗で占められている。名前を秘すのはかえって失礼だから挙げておくが渡辺淳一氏のこと。近代文学の名作をも”メッタ斬り”にした『百年の誤読』でも、豊崎氏は渡辺氏のベストセラー失楽園』をこっぴどくやっつけた。『メッタ斬り』では、同じくベストセラーになった『愛の流刑地』に罵詈讒謗の集中砲火を浴びせている。

 豊崎氏らが『愛の流刑地』を読めないのは勝手だが、だからといって渡辺氏の選考委員としての資質まであげつらうのは行き過ぎも甚だしいと言うべきではないか。失礼千万ではないか。私個人としては、第九回の岩井志麻子氏(『自由戀愛』)、第十回の谷村志穂氏(『海猫』)の受賞など、わが意を得たりとひそかに喜んでいただけに、見当違いの選考委員攻撃には不快を禁じえない。

 『メッタ斬り』が巻末で小説群を百点満点で点数評価しているのも賛成できない。文学作品はこんな評価方法にはなじまないはずだ。文学批評なるものは、褒めようと貶そうと、読者にひとつ読んでみようと思わせるのが”芸”であり、点数評価では”芸”も何もあったものではない。『メッタ斬り』が全編真摯な態度に欠け、先に述べたように当世流行の軽い”ノリ”で批評して見せるのも不快。蟷螂の斧に過ぎない地方からの発言だが、とにかく書いておきたい。

────青山克彌(泉鏡花記念館館長)

2007-01-21

[]筒井康隆「セックスとは書くものではなくするものだ」

第16回三島由紀夫賞選評

今回の他の候補作はいずれも描かれている世界があまりにも狭く、書くことが他にないのかと思えるほど男女の愛やデートやセックスの話ばかりであり(何度も言うようだがセックスとは書くものではなくするものだ)、短くすればよくなる筈の話を一冊の長篇にするためにだらだらと引き伸ばしていて退屈だったり、書いていてさすがに世界が狭いと感じたのか陳腐な政治論や戦争論が出てくるもののそこが一番つまらなかったりする。自分の少女時代のひ弱な感性をそのまま描いている作品が多かったが、これは女性の一部からは共感を得るかもしれないが逆に言えば読者を限定していることにもなり、つまりは日記感想文と同じでそれだけの作品にしかならないことを知るべきだろう。普遍的に文学に高めるにはそんな描写をし続ける自分=作者に対する疑問や、そこから発展して現代の文学のありかたを否定するくらいの大きな視点が必要になってくる。(筒井康隆 2003年 「「阿修羅ガール」を推す」 『第16回三島由紀夫賞選評』 新潮社


今の『増田』の状況に似てないか?

2007-01-18

筒井康隆:「セックスとは書くものではなくするものだ」

今回の他の候補作はいずれも描かれている世界があまりにも狭く、書くことが他にないのかと思えるほど男女の愛やデートやセックスの話ばかりであり(何度も言うようだがセックスとは書くものではなくするものだ)、短くすればよくなる筈の話を一冊の長篇にするためにだらだらと引き伸ばしていて退屈だったり、書いていてさすがに世界が狭いと感じたのか陳腐な政治論や戦争論が出てくるもののそこが一番つまらなかったりする。

第16回三島由紀夫賞選評

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん