はてなキーワード: 洋服とは
彼女いない歴=年齢 だ。
彼女いない歴が三十年近くになろうとしている。
都度 なんで彼女ができないのか考えてきたが、最近新しく発見したことがあったので書き残しておく。
① 魅力がない。
街を歩いていたり、友人の恋人を紹介されたりすると、
恐らく、その答えは下記のコピペが正しい。
私、君達みたいな男の人知ってる。
「パソコン買いたいな」って言ったら、
お勧めのパソコンリスト作ってきてくれたりしてくれるんだよね。
彼氏は別にイケメンじゃない。でも一緒にいると幸せな気持ちになるし、
「可愛い」って言われただけで頭がぼーっとなる。
彼氏の為だけに可愛い洋服や下着を選んで迷って、一日かけてたりする。
それを褒められるとホントに嬉しい。
全然違う。君達と。
何が違うんだろう。
誤解させたならごめんなさい。告白させたりしてごめんね。
優しくしたのはお年寄りに優しくするのと一緒なの。
気付いてる?君達ってお年寄りと似てる。
そう
何かが違うのだ。
恐らくこれは『魅力』というやつなのだろうが、
筋トレしても、オシャレにしても、面白い(?)話をしても、盛り上げ役になっても、ちょっとした変化に気づいて褒めても、カワイイねって言っても俺にはダメだった。
いい人ね。面白い人ね。とはよく言われる。
たぶん、これは『魅力』にはならないのだろう。
何かが違うのだ、何かが。
人間(または男)としての深い深い根っこの部分で。
これまで恋をしては、苦しい思いをし、やがて告白し、フラれてきた。
もう嫌だ。
恋なんてしたくない。
『もう恋なんてしないなんて、言わないよ絶対』って。俺には無理。
やがて、どーせ苦しい思いをしても恵まれないのなら、最初から誰かに惚れるなんてことをしなければ良いということに行き着いた。
最近、良い言葉を見つけた。こんなのは学習性無力感というらしい (たぶん)。
実はまだ、数年前に片想いした女の子を忘れられずにいる (ような気がする。詳細④参照)。
ちょっといい感じだったのだ。イケると思った。
でもフラれた。
フラれた直後、環境が悪かったのかもなとか、忙しい時期だったもんな、とか色々理由を考えてしまったのが良くなかった。「実はオレのこと本当は好きだったけど、色んな理由でフっただけなんじゃね?」と。
その子が結婚でもすれば諦められるかもしれない、と思っている。
自力で諦める勇気が無いのだ。天から諦めるきっかけが降ってくるのを待っている。
③ 迷惑をかけたくない。
これも、まずはコピペ。
局の子にお昼おごらされたり、
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。
段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
こうなったら悪いかなって。
ましてや、何だか気まずくなって、本当に好きだった俺の友人に思いを伝えられなくなっちゃったら、嫌だなって。
考え過ぎか。
自身の傾向として、一目惚れってあんまなくて、自分の周囲にいる女の子を好きになったり、好きになってもらいたいって思ったりする所がある。だから、周囲の女の子を褒めたり、色目を使ったり、気さくなジョークでその場を和ませたりしてきた。
でも、それって実は「増田くんのこと好きだよ」って言ってもらいたい。認めてもらいたいだけだったんだったんだということに気づいた。
しかも、自身の周囲にいる女の子なら、ある程度俺を知った上で、好きになってくれているということで。これはすなわち、より俺が認められているっていうことを表していて。
きっと、俺の処女信仰ってこの延長線上にあって「他のどの男を認めなかったこの子が、俺のことを認めた!俺って最高!」って思いたいだけだったんだな。
だから(概ね)誰でも良いんだ。好きになってくれるのなら。
(ここで女の子を選ぶ所が、俺の最悪なところ)
周囲の女の子に彼氏ができると、いっちょまえに嫉妬することがある。
恐らくこれは「お前は私が好きになるほど魅力を備えてない人間だよ、バーカ」って言われているような気がするからだろう。
自分で好きなモノは認めて欲しい。だから多分、俺は俺自信が大好きなんだ。
~~~~
以上で、ある程度この三十年間考えていることがまとまったかな、と思う。
ここまで読んだ方は、よほど奇特な方なのだろう。ありがとうございました。
別に返信は求めていない。
「なんだよ、こんなこと書いて。『違うよ。増田くんは違うよ』って言ってもらいたいだけだろ」
もうこれでいいよ。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( _) 俺が結婚しないことで
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_, )
/ \ `
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
 ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄
| .( ( | |\
| ) ) ) | | .|
|________(__| .\| 俺の代わりにだれか一人、結婚できる
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俺はそういうことに幸せを感じるんだ
<⌒/ヽ-、___
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ただ のうべんだらりと生きて ただ酒を飲み、死を待つべし。 (了)
こんな記事がYahoo!ニュースのトップに上がっているのを見て、
「昔は俺もそうだったなぁ。。。。」と感慨に耽ったわけであるが、
まずは結論ファースト。
「安いキャバクラに行け」
駒込や巣鴨と言ったややマイナーな駅や、八王子・立川と言った西の方がオススメである。
以下、その理由について説明していく。
「キャバクラとは、キャバクラ嬢と呼ばれる女性が客席に付き接待を行う飲食店。」(Wikipediaより)
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小学校 → 共学
とまあ、「女子が1割もいるのか!!」という驚き方をするような
「あーあー、チャラ男はイヤだね」
と自己欺瞞しつつ、内心忸怩たる思いを抱えて幾星霜・・・オッサンになっちゃった感じである。
そんな自分が、社会人になって合コンに行くようになっても、まあ盛り上がらない。
「仕事は−?」「うけつけー」「そうなんだー。大変そうだねー。」「そうだねー・・・」「・・・・・・・」
という感じで、いつのまにか、6名の飲み会での話しの中心が自分のいない側に徐々に移動していく。
自分ははじっこの方で、ビールをあおる頻度があがり、中心の話題に合わせて笑うだけ・・・
みたいな感じで、あふれ出るキョロ充ボッチ感がハンパなかったのである。
「そんな自分も安キャバメソッドを3ヶ月続けたら、雑談力に自信が出てきて、周囲に明るくなったと言われました。
また合コンとかでも軽妙なギャグを飛ばせるようになり、女子からもメールの返信がくるようになりました。
おかげで、仕事もばりばり進むようになり、上司にも気に入られ、今度銀座のクラブに連れて行ってもらえる事になりました!
閑話休題。
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さて、ここでなぜ安い(やや場末感のある)キャバクラが雑談力向上に有効なのか?
キャバクラなら、女子が雑談を盛り上げてくれるんじゃ無いのか?
甘い。まず安価場末キャバクラで働いている子は、雑談力とか0である。
あまつさえ「私はキャバクラなんかで働きたくないのにー」というオーラむんむん、なんて人さえいる。
隣に座って「こんばんはー」「こんばんはー」「・・・」「・・・」
といきなり雑談力が無い理系男子にとっては手痛い先制パンチを食らわされることもある。
まあ、安価場末キャバクラにいる、という女子にはそれなりに理由があるわけである。
誰かしらが話題を提供してくれる。
それにフンフン頷いたり、ネタに合わせて笑っておけば、大体なんとかなる。
ところがキャバクラは1対1のサービスを売りにしてるので、基本はサシ飲みである。
しかも相手は、「なんちゃら巻き」みたいに髪をモリモリ盛った、化粧ばっちりの女の子である。
理系男子としては、「え・・・ちょっと」と言いたくなるし、場合によっては畏怖の対象である。
その子達が何の話しに興味があるか、なんてのはかなりの難問である。
当然、思考は空転し、沈黙が続く。しかし誰も助けてくれない。。。。
そうなったら雑談力鍛錬環境としては勝ちであり、雑談的には勝負の始まりである。
まずはベタだと思いつつ、天気ネタから始まり、出身地、趣味、出かける場所、すきな映画、芸能人、来ている洋服・・・・
などなど会話をつなぐ、盛り上げるための様々なネタを繰り出し、玉砕し、ヒットし、たまに会心の一撃を出し・・・・
というのを繰り返していると、段々雑談力がアップしてくる(はずである)
ちなみに、自分が色々と学んだのは、
・「趣味は?」と聞かずに、「休みの日は何をするのが好き?」と聞いた方が趣味的なものが聞き出せる
・相手のことを聞き出したら、次に自分についても話す
・たまに自慢話を混ぜる
などなどである。
結局は、いかに「他人に甘えられず、自分でどげんかせんといかん状況」を作り出すか、つーことですよね。
★基本の3点セット
・靴下(白、グレー、薄手と厚手をそれぞれ2足ずつ)
・リラックスウェア(ちょうどサイズのスウェット上下など、寒くないもの)
★フォーマル7点セット
・コート(真冬ならウール、その他ならコットン、無地でよけいな飾りがないもの)
・ダークスーツ(必ずジャストサイズで買うこと、喪服にもなる)
・テーラードジャケット(チャコールグレーが便利)
・パンツ(グレーが便利、靴がちょっと隠れるくらいにしてもらうこと)
・シャツ(薄いドレスシャツ、厚いシャツをできれば1枚ずつ。白が便利)
・ベルト(黒、茶、いずれか1本、あるいは1本ずつ)
・革靴(黒、茶、いずれか1足、あるいは1足ずつ、プレーントゥというものが便利)
・ビジネスバッグ(黒、茶、ナイロンか革製で外側のポケットは2つ程度)
・アナログ腕時計(白い文字盤、読みやすい数字、革のベルト、飾り少なめ)
・ポーチ(革製か布製、小物をまとめるのに使う)
・財布(革製、できれば長財布)
★カジュアル4点セット
・カットソー(Tシャツ。無地で丈夫でちょうどサイズを1枚。白、紺、灰が便利)
・デニム(ジーパン。色が濃い生デニムというのが便利。ちょうどのサイズを1本)
・スニーカー(白、紺、灰が便利。色は多くて2色。キャンバスというのは春夏専用)
・トートバッグ(無地、色は多くて2色。革製か硬めのコットン。黒、紺が便利)
・ショルダーバッグまたはデイパック(無地、色は多くて2色。黒、紺が便利)
★余裕があったら持っておきたい6点セット
・ニット(セーター。冬は厚手の編み込み、春は薄手のカシミアが便利)
・カーディガン(脱ぐのが簡単なセーター。基本はニットと同じ)
・ワークブーツ(茶、黒、どちらか1足。防寒になる)
秋:ちゃいろ/だいだい/あか/きいろ
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20140320/1056067/
同社では、女子中学生から「プール授業で着たい水着」に関する意見を集め、企画に生かしている。回答は明瞭だ。「今の水着はダサい」「スタイルをよく見せたい」「体のラインがくっきり分かるのはイヤ」「太ももにパンツのゴムがくいこむのもイヤ。ハムみたいになる(笑)」といった意見が次々に出るという。
男女共学の私立中学に通っていたんだけど、「生理でーす(笑)」と言って半数以上の女子がプールの授業を休んでいたよ。
理由は「学校指定の水着がダサい」から。で、好きな水着を買ってよみうりランドとかに行くんだよ。
ダサい水着を来て真面目に水泳の授業に出ていたのは、あんまり可愛くない子たちだった。
大人の男性は可愛い女子中学生にダサいスク水を義務として着せて泳がせることに興奮するかもしれないけど、最近は中学生にも結構人権あるんだよね。中学生の人権が昔よりもましになることを寂しいと感じる大人の男性って本当に人格曲がってるよね。社会に出て権力者から人権を踏みにじられながら日々を生きてると、やっぱり自分よりも若くて弱いものの人権を踏みにじりたくなるものなんですか?そういう風に思うのは個人の勝手だから別にいいけど、同情や理解を求めるのは非常に気持ち悪いね。若者は負け組の大人に踏みにじられるためにある便所みたいな存在ではないので。
正確には、何かのきっかけですぐ思い出す事件。
2010年に起きた大阪の3歳と1歳の子供が、母親に自宅に閉じ込められ餓死した事件。
あまりにも衝撃的で、詳細を知る度どんどん気持ちが沈んでいった。
私は今10ヶ月の息子を育てている。
妊娠中に散々インターネットで検索し、ある程度覚悟をしたつもりで臨んだが
何もかも初めての出来事、目を離したらすぐに命が散ってしまいそうな存在を四六時中見ているというのは
「でも愛する息子の為に頑張れるよね」みたいな綺麗事で済まされないような精神状態に陥ることもある。
慢性的な睡眠不足や行動範囲もかなり拘束されるので息子というより自分との戦いでもあった。
なので、この母親の「育児を投げ出したくなる気持ち」はわからないでもない。
しかしあくまで「投げ出したくなる」であり、完全放棄したこの母親は許せない。
許せないというより憎んでいる。実際に見たことも話したこともないけど憎い。ただひたすら憎悪がわく。
お母さんが全てと言っても過言ではない年頃の子供を、餓死という拷問のような殺し方をしたこの母親が憎い。
私という存在は「母が私を産み、育児してくれた」という結果だ。
特に仲の良い家族というわけではなかった。それなりに荒れてた時期もあるが両親には感謝している。
子供が大嫌いな人がいたとして、それは共感はできないが理解はできる。
そういった人はそもそも子供を持つ選択をしないだろうし対策はするだろう。
彼女は2度も産んでいる。計画的なのか、できちゃったのか知らないが。
子供ができたときも、かわいいペットにかわいい洋服を着せて写真をとるような感覚で産んだのかもしれない(全てのできちゃった婚がそうだと言いたいわけではない)
たしかに憎くて殺したくて、ドアに目張りをして閉じ込めたんじゃないと思う。
巨大なゴミ箱を作り、そこに捨てて見えなくして「なくなった」つもりでいた。
1日、いや1食でも食事を抜いたらつらいなんてわかるはずだ。
夏に差し掛かった季節に換気もせず閉じこめたらどんなに苦しいかなんてわかるはずだ。
どんなにひどい事をされても、まだ小さな世界にすむ子供は親の愛情を信じたいんだよ。
一度は来てくれたお母さんの迎えを、小さな姉弟はまた期待しながら、ゆっくりと死に向かっていった。
自身が虐待されて育った、だから彼女も被害者だなんていうがそれは違う。
ゴミの中で排泄物にまみれ、暑さから逃れるために裸になる経験なんかしなかったはずだ。
ひたすら悲しい。この子たちは守ってくれる存在が誰一人いなかったという事実が。
こんなのは氷山の一角で、この事件と似たようなケースもゴロゴロしてるんだと思う。
どうやら書籍化や映画化もされてるみたいだが、別に見たいとも思わない。
この事件をはじめに聞いた時は、妊娠も、結婚すらしてなかったが、本当に強く強く心に残った。
旦那にこの事件を簡単に説明したが、普段は非常に気が強くてタフな旦那が涙ぐむのを初めて見てしまったので何も詳しい事は話せず。
むごい事件の感想を楽しげな出来事がタイムラインに踊っていたTwitterに書くのも気が引けたので、増田を利用させてもらった。
きっかけは昨年の12月、気がついたらシャンプー時に抜け毛がすごい。
体中に抜けた毛がはりついてシャワーで流しても足りない、髪を洗った両手にはぶわっと髪の毛がくっついてきてとにかく尋常ではない量。
もともと髪の毛がものすごく豊富でしっかりとした髪質だったので、
抜ける量も人よりは多く、気にしていなかったのだけど、
あまりに気になって、母に頭皮を見てもらった瞬間、「ひゃっ!」と母が声をあげた。
面積にして500円玉3つ分くらい、すっかり頭皮が抜け落ちた清々しいくらい透明で白いそれが
そこに在った。
たしかに触ってみると、ふにっとした頭皮しかない。ない。毛が無い。
禿げてる、わたし円形脱毛症になってる。。。
その日から、私はハゲの恐ろしさと抜け毛の恐怖に苛まれている。
他の部分、むしろ頭全体の毛が毎日ものすごい量、無慈悲に抜けていく。
気がついたら、髪の毛の量が半分以下に減っている。
あれだけ量が多くてうざかった襟足部分はスカスカしていて、こころもとない。
前髪も薄くなったので、薄い部分を隠すようにいつも後ろから髪の毛を持ってきている。
いつもいつもとにかく抜けていく事を気にして、髪の毛を失うことにおびえて過ごしている。
亜鉛を飲んだり、イソフラボンを飲んだり、シャンプーを変えたりして
努力をしてきたけれど、この抜け落ちる髪の毛に私の努力は無力すぎる。
抜け毛ってほんと回復不可能なダメージを与えられるものなんだと
しみじみ感じた。男性も女性も関係なく、これはほんときついね。
どんどん自分に自信と余裕がなくなってく。
原因がわかればいいんだけど、加齢と言われたら仕方ないのか・・・。
経験したことのないような体の不調にさいなまれるようになるってのが
年をとることなのかな、ってさいきんしみじみ感じる。
なんだか抜け毛以外にも、生理痛激しいとか、膀胱炎にすぐなるとか、頭痛とか
地味に不調が続いてる。
年齢的な不調と合わせて、トントンみたいな感じ。
アラサーって揺らぐのかな、揺らいじゃうのかな。
確かなものなんて、なにもない。手のひらからこぼれ落ちていく髪の毛のように。
みなさん、がんばりましょうね。
こんな夢を見た。
二人はまだコトを致していないが、互いにそろそろ時期だと考えており、ラブホに入りたいと思っている。
二人は互いが制服姿であることに気がつき、繁華街の安い洋服店で買った私服に着替える。
準備は整ったが、最後の一歩を踏み出せず、二人は繁華街を行ったり来たりする。
私はそんな二人が、生徒指導の教師に見つかりはしないかとひやひやしている。
と、その時、なぜかそれとわかる、教師の携帯電話の着信音が道に響き、やがて私に朝を告げるアラーム音に変わっていった。
私はモテぬ。路端の自販機よりモテぬ。清い清い高校生時分には、夢に見た体験など起こりようも無かった。
132 左利き(アラバマ州) :2008/10/10(金) 21:38:22.48 ID:ktx0uVep
私、君みたいな男の人知ってる。
「パソコン買いたいな」って言ったら、
お勧めのパソコンリスト作ってきてくれたりしてくれるんだよね。
彼氏は別にイケメンじゃない。でも一緒にいると幸せな気持ちになるし、
「可愛い」って言われただけで頭がぼーっとなる。
彼氏の為だけに可愛い洋服や下着を選んで迷って、一日かけてたりする。
それを褒められるとホントに嬉しい。
全然違う。君と。
何が違うんだろう。
誤解させたならごめんなさい。告白させたりしてごめんね。
優しくしたのはお年寄りに優しくするのと一緒なの。
気付いてる?君達ってお年寄りと似てる。
実際そう言われたのでは…?
元増田は現状に「開き直ってる」という言葉を使ってるくらいだから、
外見に対してさほど自信があったり気を使ったりしてるわけではないんじゃないの?
「自分を変えたくない」と言うのは、外見について自分なりのこだわりを持ってるならそのままでいいだろうし
イラッとする権利もあるんだろうが、そうでないなら「芋ブス」と言われても仕方ないと思う
・そういう訳ではなくてなんか体型とか整形とかをなんとかする
この三つは整形以外は不可分なのでいかんとも。
体型が標準から外れてるならそれを目指さなくてはならないし、スキンケアや化粧がおざなりならそれも必要だし、
髪型がもこっち状態なら美容院に行くべきだし、そうしてはじめて可愛い服も浮かない。
「磨く」ってそういうことなわけで、ある日可愛いお洋服着たら大変身!なんてこたあない。
Cancamはギャル雑誌みたいなもんなので無難でも何でもないと思うけども。
正直急にオシャレに気を使いだすのが気恥ずかしい気持ちは分かる。
分かるけど、多分元増田は若いんだと思って言うが、服の失敗は若いうちにしておいたほうが絶対に良い。
服屋で迷って、失敗して、メイクに挑戦して、だんだん自分の顔立ちや体形を客観的に把握していくしかない。
それができていないと、ある程度の年齢になった時に本当にみっともないよ。
どんなに私生活は適当でも、冠婚葬祭会社の付き合い、ある程度きちんとした格好を求められることはあるから
そのときに「何着ていいか何が必要か自分の見た目がOKかNGかまったくわからん!!!」てなるか、
ある程度自分の中に服選びと化粧ののノウハウがあった上で臨むかで、生きやすさは全然違うと思う。
ぶっちゃけ若けりゃ多少似合ってなくても若さだけで何とかなる。
失敗してもOKなのは今のうちだ。がんばれ。
タイトルには嫌いと書いたけど、嫌いというほど強烈なものではないと思う。居心地が悪いわけでもなければ、過ごしづらいわけでもない。必要なものだって揃っているし、正直いって十分な暮らしをしていると思う。
でもなんとなくいやだ。夜ベッドに入って、ツイッターを見たり、ブログを見たり、友達とラインをしていて、ああいやだなあと感じることが多い。高校のときはもっとひどかったと思う。家が嫌いで嫌いで仕方なくて帰りたくなくて、学校が閉まるぎりぎりまで何をするわけでもなく教室に残っていた。1日中泣いていたり、1ヶ月ぐらい毎日保健室に通いつめていた時期もあった。
両親にはそのことを伝えていない。
匿名だから書けることもきっとあるだろう。だから今日はどうしてわたしが実家を嫌いなのか書きだそうと思う。これはわたしのまとめだ。わたしのための自分の気持ちの整理のためのまとめだ。でも、誰かに見て少し考えてほしかったのだと思う。そうじゃなければわざわざネットになんて書き込まないのだろう。自分でも自分が何を考えているかわからない。
まず母の話だ。
わたしの実家嫌いはきっと母によるものが大半だと思う。料理がうまいと父は言うが、正直いって給食のほうがおいしかったように思うし、至って普通の料理をする母親だ。お酢が好きで匂いも味もはっきり残るぐらい入れることがあるし、味の濃いものがすきなのか、味噌汁もいつも塩辛くて飲めたものではない。正直な話、どうしても食べられなかったときは母には内緒で鍋に戻すようにしている。母にはばれているのかもしれない。申し訳ないとは思うけれど、捨ててしまうよりは鍋に戻すほうが罪悪感が少なくてすむから、いつも鍋にいれてしまう。ああでも、よく考えたら母が流しにヨーグルトやラーメン、味噌汁、あげくはご飯まで、食べ残しをそのまま流すところを見るから、食べ物を捨てることには抵抗がないのかもしれない。だったら捨ててもいいのだろうか。わたしにはない感覚だな、と思う。
それから、わたしの母には浪費癖があり、ほしいと思ったらすぐに買ってきてしまうところがある。ほしいから、とか、かわいいからとか。便利だから、とか。まだ使えるものが家にはあふれているように思うけれど、気づくとなくなっているから、母は飽きたら捨てているのかもしれない。それか、すぐに物を捨ててしまう父のおかげだろう。母が買って父が捨てる。我が家では当たり前のことだ。自分がほしいと思ったらすぐ買うのか、服やバックも頻繁に買っているような気がする。わたしは今年で20になるけれど、高校を卒業してバイトができるようになるまではずっと、毎年1万円分、服が買えればいいほうだった。かばんは基本母のお下がりだったし、下着なんて2年に1回買ってもらえればいいほうだった。わたしは頑張っているから、とよく物を買ってくる母がうらやましくて仕方なかった。
母は家計簿をつけない。だから支出なんてわたしが生まれた20年前から一度もはっきりしたことがない。これを支えているのもお金に関連する仕事をしている父だ。父が毎月、いくら渡すかを計算して渡している。だいたいこれぐらい使ったのだろう、と父がいるからわかるけれど、父がいなかったら我が家はずっとその場しのぎでしか生きていけない家なのだ。言葉を度忘れしてしまった。なんていうんだっけこういうの。
ヒステリックで、母に非があるような物言いをすると怒鳴り散らす彼女が、わたしは怖くて仕方ない。母が横でしゃべっていると口を挟んではいけないと思ってしまう。三者面談のときも基本的に下をむいて黙り込んでいるのが常だった。何をいっても怒鳴られるように思うので、なるべく母の前では母の意見に肯定的になるよう返答している。いやなことでも一応はウン、といっておく。あとからどうしてうんといったのにやらなかったのだ、と怒られる。ごめんなさいと謝るけれど、母は最後に決まっていう。「あなたはうそつきだから」「どうしてこんな風になっちゃったのかしら」。
中学1年のとき、わたしは母に首を絞められたことがある。私立中学に入ったのに空気が肌にあわなくて不登校になったからだ。そのあと結局公立の中学に転校したけれど、転校するまでの1ヶ月間、どうしていかないの、早くいきなさい、当たり前のことにもウンウンと返して、でもいかない、を繰り返すわたしに、母がキレてしまった。玄関で押し倒されて首を絞められた。よく覚えていないけれど、息がすえないことにびっくりして、それから目が圧迫しているときみたいにちかちかして、わけがわからなくて暴れたように思う。離してもらえて首をおさえて放心していたら、母が泣いていた。泣きながら彼女が言った「あんたなんてうまなきゃよかった」という言葉をわたしは今でもよく思い出す。
次は父の話だ。父の話、といったけれど、本当に父のことに関しては書くことがない。あるといえば男尊女卑の傾向が強くて、口答えするとむっとされることが少し気になるぐらいだ。わたしは父に似ているといわれるけれど、基本的には理論的に物事を考えている父に似てよかった、と思う。1年ほど前に「女の癖に口答えしやがって」と酔った父に言われたことがあったが、まあそれぐらいだ。アルコール依存症で毎日日本酒を2~3杯コップについで飲んでいることも気になるだろうか。でもわたしが物心ついたときからこうだったし、飲んでも飲まなくても性格が変わらないのもあって、わたしは父がアル中なんだと気づくまでに相当な年月を費やした。具体的には18になるまで気づかなかったしそれが普通だと思っていた。頑固なところもちょっと気になるだろうか?それぐらいだろう。
あとは何を書けばいいんだろう。うちには弟もいることだろうか。弟はかわいい。わたしに似てひねくれてしまったのが残念だけど。
ここまで書いてきたのは全部家族の、というか大半が母の愚痴だけれど、実家の何が一番いやか、というと、ものの置き場所がないことかもしれない。6畳?7畳?ぐらいの部屋に、わたしと弟の机と2段ベッドが置いてあって、クローゼットの中(ここだけで2畳ぐらいあるのかもしれない、そこそこ広い)に、両親が別の部屋で寝る用の布団と、母の服と、弟の服と、わたしの服が入っている。コート2着とスーツとワイシャツをかけたらハンガーラックはもう一杯なので、あとは衣装ケース2つになんとか下着・靴下・インナー・パンツ・スカートとか、そのあたりをつっこんでいる。わたしには机があるからまだそこに教科書をおいたりできるけれど、母はクローゼットしかものの置き場がないから、なんだか可哀想に思えてこれ以上わたしの場所を増やすようにはいえない。
それから、宗教のことだ。我が家は有名な某巨大宗教に家族で入信していて、両親は毎年20万円ほど宗教団体の本部に送金しているようだった。母に聞いたからきっと間違いない。多いときは50万という年もあったらしいが、最近は20万ほどなのだという。わたしはみじんもこの宗教を信じていないけれど、生まれたときから両親によって入会させられていたし、母は狂信者なので、大変にうるさく信じろ祈れ、といってくる。ほうって置いてほしい。信じていないからいやだ、なんていったら泣かれるか怒鳴られるかだと思うからわたしはいつもそうだねあとでやっておくよ、と嘘を吐く。そしてまた怒られる。これもいやなことのひとつだ。
色々ごちゃごちゃ書いてきたけれど、要するにわたしは自分が可哀想だと思っているんだろう。洋服を買ってもらえなくてかわいそう。ものの置き場がなくてかわいそう。買ったら捨てろ、という父に物を捨てられてかわいそう。自分が一人になる場所がなくてかわいそう。親に意見がいえなくてかわいそう。本当にみじめな人生だ。
わたしはこれからどうなるんだろう。引っ越せばなんとかなるんだろうか。少なくとも後半で書いたことは解決できそうな気がする。でも宗教はどうだろう。追いかけてくるのだろうか。信じろと要求されるんだろうか。すごくいやだな。
機能不全家族なんだって思い込みたかったけれど、書き出していたらそうでもない気がしてきた。単純にわたしは自分を可哀想と思うことでしかアイデンティティを確立できないんだろうな。高校のときどうこう、と頭で述べたけれど、あのころはリストカットをすることでしか自分が保てなくて1日に数十回浅い傷をつけて流れる血を見て安心していたように思う。今はしなくなったけれど、こうやってネットに書き込んで、返ってくるかもしれない反響でどきどきしている。そんなことで落ち着こうとしている。
わたしのわたしらしさはどこにあるんだろう。家を出たら本当に大丈夫になるのかな。友達も少なくて、見てくればかりつくろうから深い付き合いをすることもできないのに。
いやだなあ。
例えば、小学生のお子さんがいるご家庭は、
綺麗さっぱり片付いているよりも、
なんだか温かく感じますけどね。
自分が小さい頃描いた絵とか、
母がとっておいてくれたりすると、
じんとしたもんですけどね。
そういう感情を元から持っていない人も結構いると思うんですが。
私の母がそんな人で、子どものおもちゃや服なんて不要になった瞬間に捨てるし、
作品も出来の良いほんの少数だけを残して全部捨てられていた。
だけど私だって、小さい頃使ってたおもちゃや服なんて一々とっておかれても、
どうしても思い出を残しておきたければ、
そのおもちゃで遊んでいるところ、その服を着ているところの写真でも撮った方が、
物だけ残しておくよりも有意義じゃないのかな。
家族の中が良ければ、それらの物の思い出話くらいするし。
とっておきたい人は邪魔にならない範囲でとっておいても良いとは思うし、
捨てた方が良いとも思わないけれど、
私も私の両親も、それらの物はただの不要物としか思えない価値観の人間なので、
“じんとする”なんていうのもさっぱり理解できない。
自己トラックバックでもっと言ってしまうが、自分自身を「俺は男だから」だとか「私は女だから」だとか言ってアイデンティティをもつことも、自分自身を縛ることになりますね。
だから例えば自分の人生や能力の可能性を潰すことも多いですしね。
そして、「男らしく」「父親らしく」「夫らしく」だとか言って独りで抱え込んで頑張って、自殺する人もいますね。
「女だから」という理由で、結婚して「いい花嫁さんになって」子どもを産んで等々と自分を縛る人がいますよね。さらに言えば、ハイヒールを履いて無理して歩いたり、洋服や下着で自分を拘束したりしているのも、不健康なことだと言えます。
こうした性別、ジェンダー意識というのは、私からすると「誰得なんだ?」と思うわけですよ。性差やジェンダーというのは、人類の生存可能性を高めるためにつくりだした分業体制です。手段が目的化したら可笑しいでしょう?
親の欲望としての発言であり、子育てとは全く本質がずれていることに気がついていないというのは、実は子育ての経験がない人の発言の限界かなとも感じた。
私たちは「普通に」子育てをしたい。お金がないから遊ぶのは近所の公園とか習い事させられないとかは「普通じゃない」子育てだと思う。その結果常識の無い子供が出来上がっていくのを目の前で何度も見ている。
「普通の子育て」とは習い事をさせてお金をかけて育てることではない。
ただ単純に愛情をもって接することだと思う。
常識のない子供は、親も同じように常識がない場合がほとんどです。
お金を使って色々な施設に行ったり、お金をかけて教育をしても結局は親の接する態度に帰着していくもんです。
いい大学や会社に入っても親との関係がこじれたり、メンタルに問題を抱えるのは愛情を注がないで、教育に目を向けすぎた家庭に多いです、もちろん犯罪者の家庭においても、、、。
そろそろ子供をと思っているが私が妊娠したら世帯年収が約半分になる。
お互いの両親は九州と北陸の田舎住みな為手助けも期待出来ない。
そもそも少子化少子化騒ぐなら私たちみたいな夫婦が普通に子育て出来る環境にしないと一向に少子化は解消されないと思う。
私たち見たいなというのは、産みたいけど「金銭的」に産むことが難しい層の事。
よくその年収でも子供産んで育ててる奴いるとかいう人いるけど全くの見当違い。
習い事もさせたいし、綺麗な洋服も着させたいし、いろんな所へ連れて行きたい。
これはわがままではなく当たり前の主張だと思う。
お金がないから遊ぶのは近所の公園とか習い事させられないとかは「普通じゃない」子育てだと思う。
その結果常識の無い子供が出来上がっていくのを目の前で何度も見ている。
子供を育てる事で経済が周り、将来子供が税金を納める事で国が潤う。
子供が産まれなければ国は衰退する。
少子化の解消は国として最優先事項でしょ。
子供を作りたい人の問題の殆どが「お金」で解決するのだから、独身税でも富裕層税でも取って子供を産める環境の家庭や子供に分配するべきだ。
風邪をひいてつらい中、頑張って寒い駅で待って座れたボックスシートでまったりしていたら、途中の駅から乗り込んできたのが子連れ。
子供が騒ぐのをとめるのは立っていた父親。
バカ母が、折角子供が集中して外をみてるのにケツをつついてわざわざ騒がせる。馬鹿すぎる。
この母親、口開きっぱなしだし、くさい。
子供がすることなんだから何でも許せとばかりに、座った時に何度も子供の靴で他人の荷物、他人の洋服を汚す。
いい加減、これ以上よごさないでくれ!という気持ちで、「これ以上はやめてもらえませんか?」と言ったが、結局奴らが降りるという時にまた汚された。
別の日ののバカ母は、子供が騒ぐ以上の大声で、友達?とのおしゃべりで騒音を出しまくっていた。
こんなのが親なのか?
年末年始じゃない時は、抱っこ紐を使って周りに注意を払うちゃんとした母親をみかけたけどな。
今年はiPadminiを買ったので電子書籍をDMMで買ってオナニーのオカズにしていました。
なので、DMMのURLを張りつつ、よく使った作品を紹介します。
笑って ぶたぱん
http://www.dmm.co.jp/dc/book/-/detail/=/cid=b173akskr00017/
レズのブスセンのドエス女が魅力的。私もブスなのでこんなご主人様が欲しい。
またエム子のおばかっぷりもかわいらしい。
絵柄も可愛く非常に使えた。
http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_062948/
体験記という形式の一人称小説だが、母視点と娘視点で同じエピソードが違う視点で書かれており
受け手の気分のときと、攻め手の気分のときで使い分けておかずにできた。
私自身もかなりのマザコンだったが、年をとってからはあまりそういう目で母を見た事がなかった。
だが、この小説では、学生の娘と母親だけでなく、子供が生まれた娘とおばあちゃんになった母親みたいな高齢カップリングもあって
生えてる母★娘
http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_045618/
ふたなりは好きでも嫌いでもないんだけど、やっぱり母娘はいいわあ。
特に娘とシックスナインをして「愛液うまい」って母親が呟くシーンで十回はオナニーしました。
女装子母娘 Vol.2 ~愛と淫らな性~
http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_062236/
女装ものは、BLの延長線上にある奴以外は好きじゃなかったんだけど、これはなぜか使えた。
チンコを入れるのは勘弁して欲しいが、自分やパートナーに生えたらと妄想することはそんなに嫌いじゃないと気づけた。
でもやっぱり現実では嫌だなあ。
瑞絵ちゃん物語14
http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_054673/
スカトロは興味がなく、ロリレズに興味をもって購入したが大当たり。
基本的に小学生ぐらいの女の子がうんこして、うんこ食べるだけの「いつものパターン」って感じのシリーズなんだけど、
王道が一番、興奮する。
もううんこを食べたり塗ったりする文章を読むのはかなり興奮する。
実際にもやってみたいが、場所や相手がいないので、悩み中。
排泄戦隊シツベンジャーVOL.00
http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_059544/
上記の瑞絵ちゃんシリーズでスカトロに興味をもって色々購入したけど、これも面白かった。
ギャグ調だから明るく読めるし、なにより「便器役」って書かれたお洋服をきてる女子高生が可愛すぎる。
もうこのシチュエーションだけで満足する、っていうかぶっちゃけそこのjpgeだけしか使ってない。
母姦獄―惨―
http://www.dmm.co.jp/dc/book/-/detail/=/cid=b170akoko00249/
もうこの人の漫画でオナニーするようになって、何年の月日が流れただろうか......
そうあれは、小学生の頃に母親が隠していた鬼畜の書という漫画を見つけたことから、
私はこうなってしまったんだったなあ。
確かに突飛な格好をしてる人には近寄りがたいけど、自分がその恰好をするわけじゃない、という線引きが先ずあるから「許せない」にはならないかなぁ。
その洋服を着てる中の人が嫌いで「あいつあんな服着やがって」と文句言うなら理解できるけど、赤の他人の服装に関して「許せる・許せない」で論じるのはわからない。
増田が心が広いのはそれはそれでいいけど、大概の人には「目に入ると不快」っていうラインはあるだろうってこと。
「見るからにババア」で「ゴスロリ」とか、俺は周囲(会社で隣の席とか)にいたら嫌だぞ正直。「自分がその恰好しないからいい」とまで心広くはなれん。
俺は許容範囲外だからといってワザワザ叩きはしないけど、叩く人が出るだろうことは容易に想像がつく、と言っている。
ああ、若い子だと思って期待したのに裏切られたって怒ってるわけね。
ちゃうちゃう、「若い子だと思って期待」は「本当に」若く見える場合。
そこそこのおばはんだと思ったら歳聞いたらおばはん中のおばはんつーかババア1歩手前じゃん、みたいなケースを言っている。
40前くらいと思ったら50過ぎてて、40前に見せるのにものすごいカネと労力使ってるとかさぁ、どっちみちおばはんじゃん。