はてなキーワード: 有効とは
私が日ごろ「あなたが男だったら付き合うのに」と言われるポイントを教えます
既に知り合っている人には有効だと思う
男性からのこういうキュンとくるポイントみたいなの教えて欲しい、、
・改札まで送る。時には相手の最寄り駅まで送ることも。迎えに行くこともある。1秒でも長く一緒にいたいから。でも、サラッとね。
・待ち合わせをスムーズにすることに全力かけてる
・スケジュール管理。遊ぶ日程とかね
・遊ぶ工程とか行く店とかは全部探して手配する。3パターンくらいから提案。全否定されても笑って次のパターンを準備。奢るかどうかよりここが重要な気がする。相手のぼんやりした希望を具体化していくイメージ
・突然ものをあげる。お土産とか。お菓子とか。ちょっとした小物とか。ここのセンスを磨くのに全力かけてる(職業柄もあるが)
・何かを一緒にやり遂げて全力で喜びあう。登山とか。そういうイベントを起こす。
・連絡はマメに!
後輩指導は叱ることが大事だと考えている人は多いと思うけれど、叱ることが大事なのではなくて、緊張感を持たせることが大事なのだと思う。
叱られると次は叱られないように気をつけようといろいろ考えて行動するようになるというのが叱る主な目的だと思うけれど、これは質問攻めで代替できる。
質問に答えられないときの冷や汗は結構肥やしになる。次から次へと浴びせられる質問は叱られているときと同じくらいしんどいわりには、すぐ立ち直れる。
問いは人を成長させる。
好きこそものの上手なれというのは、それだけ自分の考える時間を好きなことに費やすからだと思う。考えを尽くすとはすなわちどれだけ問答を繰り返したかということ。問いの数が多い人ほど、発揮できるパワーも大きい。
後輩指導は、その子にどれだけ頭を使わせるかの勝負。そのためには、それを好きになってもらうか、失敗できない緊張感を持たせるべき。質問攻めは一つの手段として有効だと布教したい。
叱るのは、萎縮させるだけになるリスクと隣り合わせだ。
叱るにせよ、質問攻めにするにせよ、適度に居心地の悪い環境を作ってやることは、人の推進力を引き出す一定の効果がありそうだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/54373
「医療大麻」に対する肯定的な反応が多いが、どのようなものをイメージしているだろうか?
医療大麻Medical Cannabisと言った場合、ほとんどは飲み薬や注射ではなく、大麻草に火を付けて煙を吸入するものを指す。英語で検索すれば分かるだろう。上の記事中で言及されている大塚のサティベックスは「大麻から作られた薬」であり、医療大麻ではないのだ。
つまり嗜好品として吸われる大麻と医療大麻は大麻草の品種が違うぐらいで、実質的な差はほとんど無い。大麻製剤ではなく医療大麻解禁を求めている連中はまず下心があると思っていい。
大麻に医療上有効な成分が含まれるのは間違いないが、だからといって「医療大麻」が医療上有効ということにはならない。カテキンやポリフェノールが健康にいいからと言って、茶やワインが健康にいいとは限らないのと同じだ。十分な量を摂取できないし、余計なものをいろいろ取り込んでしまう。
THCはいわゆる麻薬で、鎮痛・吐き気止め・食欲増進などの効果がある。ただし効果が不安定で副作用が大きく、目的に反して痛覚が鋭敏になったり吐き気を増幅したりする場合もあるため使いづらい。他の鎮痛剤や医療用麻薬の効き目が悪い患者用としての需要はあるので、無意味というわけではないが。
CBDは麻薬ではなく、依存性もハイになったりもしない。てんかんの治療に使えるとか、抗がん剤の作用を増幅するとかいった効果があるようで、それなりに有望な成分だ。
ただし大麻やTHCと違って、CBDを薬として使用することは今の日本でも禁じられていない。CBDに期待するからといって、医療大麻解禁などを訴える必要は無いのだ。
最近は住宅営業やリフォーム営業がやたらめったら電話をかけまくってくるのだが、その中で特に迷惑な行為として、御しやすい女と爺にターゲットをしぼって男が出たと分かると無言でガチャ切りというパターンが増えている。出た方はものすごくモヤモヤして時に「なんだったのか」と不安に怯えてしまうわけだが、それを解消するのに136が有効だ。136は最後にかかってきた電話番号を30円で教えてくれるサービス。固定電話にナンバーディスプレイがついていなくてもこれで大丈夫だ。教えてもらった電話番号をネットで検索すればたいていは電話番号検索ポータルで迷惑電話営業の情報が書き込みされている。さっそくさっきかかってきた電話番号を調べたら他の人の迷惑書き込み投稿はまだなかったが地元のリフォーム会社のものだった。他の人の被害を出さないためにも迷惑行為はネットで共有するよう投稿しておこう。
普段やらない類の趣味をやる、コロコロやる事を変える、というのが案外遠回りそうで有効だったかと思います。
個人的には漫画などのイラストを描く作業をすると、脳の切り替えが上手くいく感があって、脳の切り替えが上手くいくようになると、ネットにドハマりしなくなるという感じでした。
って、開発されないんですか?
免許証ないおじいさんが事故起こして子供が亡くなった話があったけど、
今後そういう事件ってもっと増えてくんじゃないのかなあって思うんだけど。
ETCカード入れる装置みたいな感じで、そこに免許証入ってないとエンジンがかからない仕組み。(車のキーとは別)
(家族に話したらこれからは顔認証とかじゃない?て言ってたけどそれだと運転する人が限定されちゃって不便かな?)
(でも顔認証ならそれを保険適用の人だけ登録してる車は保険料が安くなる、とかできるかもしれない?)
敷地内は免許証なくても(あと災害時とか緊急事態?)、って言うなら免許証入ってない状態で運転すると
シートベルトしてない時みたいな警告音が鳴るとか勝手にハザード点いて運転してたら周囲に分かるとか。
幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。
また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。
ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。
バイトのシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。
現役で地方の駅弁大学に入学して、卒業が近くなってからは資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。
一応何とか大学は卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。
自分は、根本的に人生はディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的に自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分の学力のピークになっていたと思う。
確か当時の全国模試の総合偏差値は70を超えていたはずである。
でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。
何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。
その頃から学力の減退も生じていて、自分で自分がコントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校のランクを一つ落として、何とか国立の大学に合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分の人生の最盛期だったのではないかと思う。
大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活が崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数の語学習得を目指し大学のゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分をコントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。
俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分の計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活は大学を卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。
何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐、牛乳、納豆、青魚、葉野菜。こういうものをバランスよく摂るようにしていた。でも、自分が自分をコントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神でバイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。
いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。
さて。
いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しかし実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己をコントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。
原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である。身体におけるありとあらゆる不調や、自身のコントロールを掌握できていない感覚は殆どの場合、血流の低下に基づいているのである。ADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動が有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効なもののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。
シンプルながら散歩はADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である。普段自転車や原付で移動する距離を、例えば自転車や原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneのヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。
腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレは実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。
ドストエフスキーや夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHDの改善法となると俺は思っている。大抵の場合、活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書のカテゴリーに加えておく。
基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。
同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである。
すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書や文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画のイラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間を生活の中に設けるようにしている。ファミレスやハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。
ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHDの改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなのである。なので俺は最近は文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。
鬱持ち・ADHD持ちにありがちな、思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。
上で書いた通り、卵や牛乳、青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。
つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなのである。つまりそれは、そう、料理の煩雑さや億劫さである。
基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。
脳に一定以上の煩雑さや負担を押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。
追記。瞑想は効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブな効果が起こっていると思われる。
読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアルな瞑想を行うことがある。これもまたオススメ。
など
こんなところだろうか。
思い出し次第追記を行いたいと思う。
今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要な発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である。
上では書かなかったが、俺は重篤なインターネット依存症持ちでもある。
しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所や欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである。
是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。
自身の病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生」なのだ。
それでは。
うわー、私の15年ぐらい前と同じ状態の人がいる。もっとも離婚した当時は30をちょっと過ぎたばかりで、まだまだイケると思っていて、自由になれるってなんて素晴らしいんだろうと思っていた。
その後しばらく実家で暮らし、マンションで一人暮らしを始めて現在に至る。結婚生活が短かった(3年半ぐらい)のと、元ダンナといちいち趣味や休日の過ごし方が合わなかったので、「やりたくないことをやらずに自由にできる」というのは素晴らしいことだと思った。ただ、実家だと家事は全部母がやってくれるので暇を持て余し、休日はネットばかり見ていた。
結婚前の若いときも友達は少なかったし、休みの予定もあまりなかったので、離婚してからもあまり生活は変わらなかったけど、自分ひとり分でも家事は発生するので、一人暮らしになってから、好きなことをやる時間は減ってしまった。趣味はいちおうあるし、そのサークルにも入っているけれど、あまり頻繁に皆で集まったりするわけではなく、各自で活動して成果を持ち寄るような感じなので、休日に寝過ごすと、洗濯物を片付けて実家に晩ご飯を食べに行って一日が終わってしまうようなことがままある。
嫌いなことをやらなくていいというのは幸せなようでいて、自分の能力の可能性をつぶしているのかも知れない。料理をほとんどしなくなり、掃除も面倒で水回りだけときどきやるレベル。防災設備の点検とかでときどき業者が部屋に来るんだけど、「みっともないから部屋を片付けなくちゃ」みたいなモチベーションはゼロ。子持ちの主婦だったらもっとてきぱき動いて私と同じ時間で何倍ものことをこなすんだろうなとか妄想する。
やらなきゃいけないことを能率的に片付けないと自由があっても時間を有効に使えない。趣味のサークルはメンバーの技術レベルがどんどん上がっていて、自分だけが取り残されているような気持になることがある。旅行はほとんど一人旅。前は頑張って2~3カ月に一回ぐらい行っていたけど、最近それもめんどくさくなっている。一人旅って自分のペースで動けるのはいいけど、私のようなペーパードライバーだと交通の便が悪いところで苦労する。結局国内一~二泊の県庁所在地とかある程度便利なところになってしまう。ツアーに乗ってもいいんだけど、一人で参加するにはつらい行き先とか一人だと泊まれない宿とかあって制約が多い。
ときどき「新しい趣味に挑戦しよう!」と思ってお道具をそろえるんだけど、そこまでで終わってしまうことが多い。今のマイブームは着付けで、リサイクル着物の店で着物と帯をゲットし、小物もある程度ネットで買ったんだけど、果たしてマスターするところまで行くかどうかが問題だ。私の投稿を読んでも特に希望はわいてこないと思うけど、元増田さんも何か楽しいことを見つけられますように。
「先発薬を開発した会社が気の毒」みたいなブコメがあるんだけど世間知らずすぎて呆れ返る。ジェネリック医薬品の存在を根底から否定してないか?
id:AyanoIchijo 知らない世界の話なんで的外れかもだけど、みんながジェネリックにしちゃったら先発で開発した製薬会社にお金入らなくなったりしないの?ジェネリックが売れても多少開発した会社にお金入るの?ならいいけど…
id:yujilabo 生保のことは置いといて、製薬会社勤務の知人がいる身としては原則ジェネリックという意見には賛同しがたい。膨大な労力をかけて開発した薬が一定期間を過ぎて後発品が出ると殆ど売れなくなるというのは可哀想過ぎる
俺も知らない世界だけど、こんなん↑↑↑↑一般常識だけでも間違いってわかるわ。
特許の有効期限は出願から20年。これはお薬とか関係なく平等。だから、先発薬を創った会社は「特許の有効期間中に開発費を回収した上で利益が出せる薬価設定」をするだけのことですよ? 創薬もビジネスですよ?
去年の今頃もそうでテスト期間に重い昼夜逆転と軽い引きこもりを起こして単位を全部落として留年している
無理矢理起きて登校を試みてもなぜか教室に入れないし図書館で寝てしまう
別に学校生活で嫌なことがあるわけでもないツイッターで作ったオタクたちとの交友関係もあり孤立もしてない
まだ入学してから一度も単位を取ったことがないのでこの留年が一生続くんだろうなという気がしてやまない
病院に行けという話もあるがフットワークがそう軽ければこんなに困ってない
腰が重い
心配してくれる(後輩だった)同級生の「テスト出たか?」に対して嘘ついちゃうのが本当に情けなくて不甲斐ない
こんな不良債権にドボドボ学費融かしてくれる親の顔が見られない
むしゃくしゃして下宿で叫んだら薄い壁をドンドン叩かれてまだ深夜だったなと我に帰る
学問がやりたくて進学したのに学生に向いてなかったって自虐ネタももう笑えなくなった
賃労働も試したがどうにも身体に合わないし牛丼屋からも土方からも逃げてしまったしもうすぐ採点バイトからも逃げるだろうな
実家に帰ってニートをやることくらいしか生存手段を見いだせないがその逃げ道があるだけ幸せなのだろうか否
実家を出る前両親は主に俺の扱いでいがみ合っていたし盆と正月以外に居住してはあの幸せな家は壊れる
俺も臭い
多分もう5日シャワー浴びれてない
何もわからなくなったので前に飯を食ったのが何時間前なのかツイッターを見ないと確認できない
今年はまだマシだ否
登校できてないのにマシもクソもあるか
何を言いたいのかもわからなくなってきた
何もわからない
件の友人に助けを求めろという話もある
そんななので先生に単位をせびりに行ったり再テストを頼んだりもできない
他人に何かをお願いするのが怖い
有効なふうに「助けてくれ」を言うのが気恥ずかしくてだめだ
変にプライドは高い
「定期テストは無対策壊滅だが模試の点数は無対策でクラス上位」をしていた
中学の担任には「絶対にお前を許さないし絶対に推薦入試は受けさせてやらない」と言われた
楽だった
テスト勉強をする習慣がなかった
苦もなく第二志望に現役合格した
大学生活が上手くいってない大学生はいつまでも入試の話ばかりしている
生活が上手くいっていないアカウントはいつまでも非生活の話ばかりしている
どこで間違えたんだろうな
どこで道違えたんだろうな
これをここに書いて俺は増田に何をしてほしいんだろうな
読者のこと何も考えてない本当に不親切なエントリーだな
もう一生進級できる気がしない
追記
少しずつやっていきます
囲碁に関して言えばプロに女流枠があるよ。将棋と違って男性棋士と混じって戦う普通のプロになれる。
(そのおかげかどうか女性棋士全体のレベルが上がってるそうなので、アファーマティブアクションが有効に機能している例と言えると思う)
たとえば、レイ○された人は魂の殺人ということになるが、被害者が信じていなかった魂の存在を信じるようになったり、
心身二元論者になるというのは私は信じていない。
つまり、被害者はそういった存在を信じるようになるのではなく魂という存在や、心身二元論を被害をきっちりと表現するために使用しているということを想定する。
被害者がレイ○されたことが十分に回復した場合に、魂の存在や心身二元論を使う必要がなくなるだろう。
私は思想を使う有意義性を例をあげて説明したとおり理解している。
しかし、私はこの考え方には、いくつか問題点があると考えている。
当然、有効でなければ使うことができないということを意味する。
思想を使って、もし間違っているのなら、簡単に取り下げられる。l
その思想を信じているわけではなく、一時的に有効である思想の立場を使用しているだけだからだ。
そうなると問題が発生する。なぜ信じていない思想を正しいと思えるのかという問題である。
どれだけ目的を達成できるかで決まっている。
また、ここで次の問題が発生する。
目的が達成されるなら一定の線引きはするだろうが、悪とされることを実行してしまう。
思想を使う人たちの、事実を聞けないのであればなおさら、思想を信じることと、思想を使うことの区別は不可能だろう。
しかし、現実の状況として、思想を使っている人の隠れ蓑が思想を信じている人であって、
その逆が成り立たないのだ。
これらの問題からみて目的達成型の人間に関する注意点が確認できそう。
それはまた別の機会に考える。