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はてなキーワード: 倒産とは

2024-10-27

ネトウヨに媚びた政治ネトウヨに媚びた人物ネトウヨが支持した未来

が軒並み国を悪くするだけである事が既に明らかとなった今

今後のあらゆる場所でのネトウヨは軽視される対象となるのは間違いない

今でもYoutubeの一部ではネトウヨコメント欄多数派を装って居たりするが

それは決して社会多数派の声でも無ければ正しい意見でもない

寧ろその真逆であると気付く人が多くなるだろう

日本はこれから極右からの揺り戻しの時代が来る

またそれは激動の時代

見せかけだけの安定から変わらざるを得ない現実へと移行する社会の到来を意味する

多数の企業倒産

老人の医療介護問題の表面化

加速度的に悪化する超少子高齢化

地方の急速な衰退

自民党政権の数十年間による無能無策で作り上げられた巨大な爆弾が次々と起爆する時代

君は生き延びることができるか

無知ワイ、倒産するまで船井電機大阪会社だと知らなかった模様

2024-10-25

自民党大不況やばい

倒産する会社とその予備軍が増えすぎ

完全に地獄自民党政権だわ

anond:20241025114023

それ某松◯電器が技術とか特許を持ってる下請け会社自分のものにするやり方そのものじゃん。

その下請けにずっと発注しておいて、ある日突然止めて倒産に追い込むってやつ

2024-10-24

今年の百合ガールズバンドアニメハケアニメ制作会社が倒産しちゃった?

アニメ制作会社クラウドハーツWebサイトドメイン切れに 24年春アニメ「ささ恋」などを担当

百合ガールズバンドアニメなんて地味だから誰も興味なくてみてないかもしれないけど万策尽きたあとの続編楽しみにしてたのになあ\(^o^)/〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2024-10-23

今年の百合ガールズバンドアニメハケアニメ制作会社が倒産しちゃった?

アニメ制作会社クラウドハーツWebサイトドメイン切れに 24年春アニメ「ささ恋」などを担当

百合ガールズバンドアニメなんて地味だから誰も興味なくてみてないかもしれないけど万策尽きたあとの続編楽しみにしてたのになあ\(^o^)/〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2024-10-20

釣りバカ日誌ハマちゃんって「楽すること考える有能」だよな

でも現代日本企業ではああいうのは絶対許されざる者……。

でも昭和時代の名残が色濃く残る平成の初期にはああいうやつは本当にいたしその企業はそれなりに上手くいっていた。

でもどんどん景気が悪くなっていってリストラでそういう有能なチャランポランが消えていってイエスマン、つまり勤勉な無能ばかりになっていくうちに俺が新卒就職した会社倒産してしまった。

2024-10-15

文句を言うなら中小企業会計情報を公開すべき

文句がないなら公開しなくていいと思う。

結局賃金が上がってるとか、経営がとか

データがないとまともな主張にすらならない。せいせい倒産の数くらいしかデータがない。

から中小企業会計情報を公開すべきだ。

しかし、コスト的に厳しいという主張もわかるからこそ、より主張を強めたいならと付け加えたい。

まあ、強制は無理にしても公開したら税制面で優遇くらいはしてほしいよね。

いや、ググっても出てこなかったのでなにかすでにそういったものがあったなら申し訳ない

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-09

イっちゃってる経営者の手前には逆方向にイっちゃってる社員がいる

自分会社経営者になり人を雇用することになって思うのは

ヤバイ社員20人に1人程度だけど確実にいるし入ってくる

そういう奴らの手綱を握るには、毒をもって毒を制すとしなければなかなか難しい

何度注意しても客に挨拶しないクソ社員には気狂い絶叫朝礼で挨拶練習させないといけないし

あの手この手でサボってくるクソ野郎に対しては監視カメラとskyseaとGPSマイクでがんじがらめに監視しないといけない

 

だって別にそんなことしたくないんだわ

でもそのぐらいしないと店員が客に挨拶しない店ができあがるし、サボリーマン給料払って倒産する会社なっちまうんだわ

おれもニコニコ楽しくみんな仲良く毎日を過ごしたいよ

誰か助けてくれよ

 

ちなみに、Youtubeとかで自称経営者採用面接のコツとか語ってるけど

「人をよく見て社風に合わない人は絶対採用しないようにしていますニコッ」とかは絶対に嘘だと思う

人を穏便に叩き出すノウハウ確立されてるだけだと思う

2024-10-06

おばあちゃん商品券

亡くなったおばあちゃんからもらった商品券

今日1000円だけ使った

とっておくより使ったほうが、本来のおばあちゃん意図的には正しいのだろうけど

おばあちゃんからの贈り物と考えると、なんだかずっと使えなかった

10年くらい寝かしてしまった


百貨店共通商品券は、発行元が倒産すると使えないらしい

そして、発行元は地方百貨店三越大丸とは違う

思い切って1枚だけ使ってみたよ

お香買って焚いてみた

詳しくないけど、お香ってなんかご先祖様の供養にもいいっぽいし

いい香りで癒されて、新しい趣味になりそう

これから旅行先とかでご当地お香を集めていこうかな

anond:20241006224231

デブ

んぼぼー20年SEやっでいくづんもの地獄を乗ん越えてくたベテランソンジャーのはずなんだども一向に待遇が良くならないだど!

んぐっんぐっなんがインターネッヅでは「Iてぃー業界待遇がどんこつどんこつ良くなっでんどいると話題に!いんまやふーふー、Iつー業界に入っでないんやつはあはぁ(汗かき)負け組だべだど言っていいだど!」みだいな感じだどになっているけどけどだど、本どーにおんなじ日ぼんのはなはな、同じ地球、同じ世界線なのかと疑ってしまっただど!

じ獄のようにどこまでも残業が続くことは減ったけどどどどんどん、ふーふー代わりに給料がそれ相応に下がってきたんだど!!!うぼー!

GQの上がりハバネロんは物価の上昇にママ全く追いついてないことだけは間違いないだどど!

よ世の中で言われているリモート出社みたいなのも何だか遠い話だ。

フルリモートという名の「家にいるときでも働かせホーダイプラン」とか、セミリモートという名の「いつでも呼び出しOKプラン」みたいなのは食らったことあるけど、基本的には出社して普通に働かされている。

転職エージェントとやらを使ったこともあるけど「あっ、これ今より酷い人売りに売るだけ売られて終わりだな」ってパターンを引いてしまい逃げてくるのが精一杯だった。

次に使ってみた転職エージェントからは「増田さんの今のスキル転職しても、別に待遇とかよくなったりしないっすね。悪いことは言わないんすけど、ぶっちゃけ時間無駄じゃないっすか?」みたいな事を言われて終わった。

経歴詐称してバーターピーター偽装請負させられてて、使えないからどうんこ掃除雑用ばかり押し付けられてきた20年間で俺が得たものは老化により長時間残業に耐えられなくなったうんこマシーンぼでぇだけらしいど。

20年かけて何も身についてないだどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!うおおお!

そもそもの時給がクソほど低い上に賃金未払いくらいくらいくらったまま会社倒産したりもしてるから残業代もあんま溜まってないだどおおお

何も残ってないだだだど!

おかしいだどぉおおおおおおおおおおおおん!

世げんじゃ「20年前からあいつーにいだ奴らは先見の明があるだど!ボラックだなんだとケケケケケケケ敬遠していた奴らはきっと後悔してるはずだど!」みたいに言われてるけど、20年間ITで飯食ってた俺だって後悔しかないだど。

んじゃあ他の業界でん何やればよかったのかはしらんけどなんだど

うんこうん、うん運送業引越し業者で20年やってたら腰いわして死んでだどどんした可能性もあるし、今はまだマシましだんじゃないかって考えて必死にえぐえぐ涙を堪えるぐらいしか出来ないだど!。

この人生、どこで間違えたんだどおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

20年SEやっていくつもの地獄を乗り越えてきたベテランソルジャーのはずなんだけど一向に待遇が良くならない

なんかインターネットでは「IT業界待遇がどんどん良くなっていると話題に!今やIT業界に入ってないやつは負け組と言っていいでしょう!」みたいな感じになっているけど、本当に同じ日本の話、同じ地球、同じ世界線なのかと疑ってしまう。

地獄のようにどこまでも残業が続くことは減ったけど、その代わりに給料がそれ相応に下がってきてる。

時給の上がり幅は物価の上昇に全く追いついてないことだけは間違いない。

世の中で言われているリモート出社みたいなのも何だか遠い話だ。

フルリモートという名の「家にいるときでも働かせホーダイプラン」とか、セミリモートという名の「いつでも呼び出しOKプラン」みたいなのは食らったことあるけど、基本的には出社して普通に働かされている。

転職エージェントとやらを使ったこともあるけど「あっ、これ今より酷い人売りに売るだけ売られて終わりだな」ってパターンを引いてしまい逃げてくるのが精一杯だった。

次に使ってみた転職エージェントからは「増田さんの今のスキル転職しても、別に待遇とかよくなったりしないっすね。悪いことは言わないんすけど、ぶっちゃけ時間無駄じゃないっすか?」みたいな事を言われて終わった。

経歴詐称してバーター偽装請負させられて、使えないからと雑用ばかり押し付けられてきた20年間で俺が得たものは老化により長時間残業に耐えられなくなった身体だけらしい。

20年かけて何も身についてない。

そもそもの時給がクソほど低い上に賃金未払いくらったまま会社倒産したりもしてるから残業代もあんま溜まってない。

何も残ってない。

おかしいな。

世間じゃ「20年前からITにいた奴らは先見の明がある!ブラックだなんだと敬遠していた奴らはきっと後悔してるはずだ!」みたいに言われてるけど、20年間ITで飯食ってた俺だって後悔しかないよ。

じゃあ他の業界で何やればよかったのかはしらんけどな。

運送業引越し業者で20年やってたら腰いわして死んでたりした可能性もあるし、今はまだマシなんじゃないかって考えて必死に涙を堪えるぐらいしか出来ない。

この人生、どこで間違えたんだろう。

2024-10-05

八重山日報沖縄県融資するそうで

マスコミ行政が肩入れ?

というのはキモいけど、公報の一端(お悔やみ欄とか)と考えると維持するように働きかけるのもやむなしなのかな?

とはいえ融資である以上はいつか回収しなければならないわけで、今の新聞連中にそのような将来ビジョンあるのか?

というのは甚だ疑問がある

回収できなくなって結局倒産されたら、県民にはクソ迷惑な話だと思うのだが

人手不足倒産を解消するには給料上げろって言うけど

給料上げたら上げたで人件費払えなくて普通に倒産する会社も多そうだから

どのみち死ぬべき運命やったんや

2024-10-04

ブラック企業倒産したところでホワイト企業無能を雇ってくれると思うのか?

遊びが足りなかったのかな

将来を考えて大手公務員とか安泰の道を選んだ人ほど倒産したりショボい万引き一家夜逃げしたりするのよな。

やっぱ徳って言うか遊びって言うか、余分な部分が無かったから綻びが出ちゃったんだろうな。

高校生の時に空バックに全巻万引きする様な人ほど社会人だとマジメにやってるからな。やっぱ最初からマジメだと大人になってから捕まるんだろうな。

2024-09-29

anond:20240929154510

推薦人の見通しずっとだんまりのまま最終日まで総裁になったらどうのこうの語ってて最終日にごめんなさいって、自転車操業なのに経営状態明らかにしないで突然倒産する会社みたいだわ

anond:20240929092753

かつて、女の人は男の人よりも安全安心を望んでいるから、まずはそれを提供できるような人間にならないとみたいなのは本で読んだことがあるな。

プリマリタルカウンセリングをしている牧師さんが書いた本だったと思うけれど。

著者は既婚者で、結婚前は長らくフリー仕事をしていたが、結婚前後彼女安心させるために正社員雇用されていたとが書いてあった。

ワイも卒業したら結婚するつもりでいたので就職先はベンチャー外資ではなく、大企業にしたんだったな。

大企業OB訪問でそんなことを言ったら、OBからそういうのを求める相手おかしいというようなことを言ってキれられた気がするが、内定には影響なかったらしい。

増田を読んで、いくらそこら辺の正社員よりも給料がよかったとしても、派遣リスク正社員より高いのでその分女性から結婚相手としては敬遠されそうだなと思った。

もちろん、大企業から安心というわけでもないのだが、他に比べると倒産リスクは低いよね。

2024-09-23

anond:20240923190422

しろ民主党時代マジで倒産危機だったから社内の超絶優秀な奴らが集まって社内政争とか完全に封印して協力し予測立ててたんじゃね?

会社雇用存続の目標へ向かって意思統一されちゃった、だからその世代が未だ残ってるトヨタは今でも強いと

2024-09-22

女は飛行機組み立て工場マジでオススメ

天にまします我らの神よあなた倒産寸前の我が社にパン仕事をお与えくださいました女の手を借りて戦闘艇を作る罪深き私どもを お許しください

ザーメン

2024-09-21

anond:20240921055526

掃除機かけられるだけ偉いよ…😟

ただでさえIT関係の機材でゴミ屋敷だったのに、自作3Dプリンターギター3本、小型アンプ2台、エフェクターなどなどなど…

Meta Quest被ってるときだけ、部屋が無限に広く感じられるわ

敷布団一枚分しか歩ける範囲ないのに…😟

もうIT関連の仕事撤退して、ブルーワーカーでもトイレ掃除でもやるしかないな…、という覚悟はしたつもりなのだけど、

なんだかんだ技術書が捨てられない

日本ピアソン社が倒産するとき、大量に名著が放出されて、自分もついつい大量に本を買ってしまったりしたので、

せめてメルカリとかで売りたいけど、かなり奇麗だけど、タネンバウム先生の本とか読む人いるのかな?

あと、肝心のOSの基礎的な本は訳が酷い、この訳した人は本当に理解してるのか?と思うレベルなんだけど、

いちおう名著だし、ピアソン在庫処分、手伝ってやろうじゃないの、みたいに買ってしまった

そういえば、シュープリンガーだったかの本もなんか買い込んでたよな

勉強してるっていうより、ビブリオマニアなんだよね

本棚に名著が並んでると精神が落ち着く、雑誌を買うと創刊号から廃刊するまでコンプリートしないと気が済まないみたいな精神

今は本をほとんど買わなくなったし、買ってもKindleから床が抜けることはないんだけど、

今度は捨てられないんだよね

完全にIT関連の業務とおさらばする覚悟ができたようで、まだ足りないんだろうな…😟

2024-09-20

日本共産党、突如第一党に──悲劇日本政治大転換

「振り返ると、あの時代はやはり、日本近代政治において最も暗い時期だったと思います。」

203X年、政治学者や社会評論家たちは、202X年に起こった日本共産党(JCP)の政権奪取について語る時、その口調には重い沈黙が伴う。彼らは、あの時代がどれほどの混乱と失望に満ちていたか、そしてその後遺症が今なお日本社会に影を落としていることを痛感している。

自民党崩壊国民の「絶望選択

202X年、日本は長年の自民党政権が突如として崩壊し、JCP第一党となった。この大転換の背景には、経済の長期停滞、深まる経済格差、そして自民党政権に対する国民の信頼崩壊があった。特に若者たち未来希望を見出すことができず、自民党保守的政策が彼らの生活改善することはなかった。就職難、住宅価格の高騰、少子化の進行、そして年金問題が絡み合い、多くの若者は「変革」しか道はないと感じていた。

JCP政権を取ったのは、国民積極的共産主義を支持したわけではなく、既存政党絶望した結果です。彼らは、もはや失うものがないと感じていたのです」と、ある政治学者は語る。国民の多くがJCPに託したのは希望ではなく、破壊的な変革によって何かが変わることへの淡い期待だった。しかし、それがどのような結末をもたらすか、誰も理解していなかった。

政権奪取後の初期混乱

JCP政権を取ると、直ちにその理想主義的な政策が打ち出された。最低賃金の大幅引き上げ、労働者権利強化、累進課税の強化、大企業への規制強化が次々と施行され、政府は「労働者のための新しい時代」を謳い上げた。しかし、その影響はすぐに経済に現れた。中小企業は増大するコスト負担に耐えられず、倒産が相次ぎ、雇用が急激に縮小した。

労働者保護しようとする政策が、逆に労働市場全体を破壊してしまいました。企業資本海外に移し、失業率は急上昇。残された労働者たちは、希望があったはずの政策失望していました」と、当時の経済学者は述懐する。失業者の増加は、JCPが掲げた「平等社会」という理想とは程遠い現実を突きつけ、社会的な混乱が一気に広がった。

外交防衛崩壊

国内経済問題に加えて、JCP外交政策もまた重大な転換点を迎えた。日米安保条約廃止という政策は、彼らが政権を握る前から掲げていたが、政権奪取後にそれが実現に向かって進み始めると、国内外で強い反発が生じた。アメリカ政府日本防衛義務放棄するかのような動きに対し、厳しい態度を取り始め、日本は一気に国際社会から孤立し始めた。

防衛の空白をどう埋めるのか、政府は明確な答えを持っていませんでした。非武装中立を掲げたものの、現実の脅威に対して無策であることが露呈しました」と、元防衛省高官は述べている。中国北朝鮮軍事的脅威が増大する中、日本は自らの安全保障担保できなくなり、防衛力強化に急遽乗り出す必要があったが、それはJCP理念と大きく矛盾していた。

政党内部の分裂と無力化

さらに、JCP内部では早くから対立が生じていた。理想主義を貫こうとする急進派と、現実路線模索する穏健派の間での争いが激化し、党内の団結は次第に崩壊していった。当初、改革旗手として国民の期待を集めたJCPであったが、内部の混乱が続く中で政策一貫性を失い、党内の一部は離党を示唆するに至った。

「党が掲げた理想が実現できず、むしろ国民生活悪化させてしまったという自覚が、党内の若手議員たちに広がり始めました。改革が進まないどころか、全てが行き詰まっていたのです」と、元JCP党員が当時を振り返るように、政党内部での分裂が政権運営に大きな打撃を与えた。

社会失望政治的幻滅

こうした混乱の中で、国民の間には急速に幻滅が広がった。JCP政権に期待をかけていた層は、経済悪化外交問題に直面し、自分たち選択が間違っていたことに気付き始めた。特に地方経済は完全に崩壊状態に陥り、失業率の上昇と福祉の低下が重なり、国民生活は次第に悪化していった。

私たちはあの時、変革が希望になると信じていました。しかし、現実は違った。私たち選択が、むしろ日本さらに苦しめる結果になったのです」と、当時若者だった国民が述べるように、社会全体が「変革の失敗」を痛感するに至った。もはや希望はなく、政治に対する信頼も完全に失われていた。

失われた時代の教訓

「あの時代は、私たちいかに無力だったか象徴している」と、203X年の社会評論家は語る。JCP政権運営は理想現実乖離によって破綻し、日本社会は深刻な分断と停滞に陥った。この経験から得た教訓は、「政治選択いかに国の未来を左右するか」という厳しい現実であり、今後の日本社会がこれを乗り越えるためには、あの「悲しい時代」の失敗を忘れてはならない。

日本があの時、何を失ったのか。そして、それを取り戻すのがいかに難しいか。それを思い出すたび、私は胸が痛むのです」と、識者は静かに言葉を結んだ。

「どうすれば変えられたのか、悔やんでも悔やみきれない」

多くの識者がこのように反省の念を抱きながらも、振り返れば、それはもはや手遅れであることを知っている。あの時、何かが変わっていれば――もっと早くに、目の前の問題が見えていたならば――日本は、異なる未来を手にしていたかもしれない。だが、その「もしも」は、今となっては叶わない夢であり、選び取った結果の重さを受け入れるしかないという現実に、人々は否応なく直面している。

私たちは無力だった。しかし、もっと無力だったのは、あの危機が目前に迫っていたにもかかわらず、誰もがそれを本気で直視しようとしなかったことです。無知や油断、そして過信が日本をあの道へと進ませたのです。」

振り返って見えるのは、自らが選び取った決断の結果であり、それを避けることができたはずだという後悔の念に駆られた国民の姿だ。もしも当時、もっと冷静に、もっと現実を見つめていたら――この反省未来日本に引き継がれなければならない。

屈辱と後悔、それが我々の未来への教訓である

識者はそう締めくくりながらも、その言葉には、深い屈辱悔恨がにじんでいた。失われた時代に何もできなかった無力感が、未来への一歩を踏み出すべき教訓として刻み込まれた。そしてそれは、次の世代に託された希望への道標となることを願っているかのように、静かに語られていた。

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