はてなキーワード: 両論併記とは
あとそれのトラバについてるこれもだけど
http://anond.hatelabo.jp/20160308233851
全体的にフェミニズムの良点というか、理論上のあるべきフェミニズムを紹介してる印象が強くて勉強になったけど
これくらいわかりやすく冷静に紹介してくれてるならそのトーンのまま現状のフェミニズムの問題点も書いて両論併記的にしてくれると嬉しい。
思想やシステムについての批判や反感が過剰だったり微妙に的を外したりしたものになりがちなのは、
詳しい人から「説明」されたり教科書を読んで「勉強」できる内容が、だいたいおきれいで理想的なお題目的なものであり、
でも現実でその思想が唱えられてるのを見るとどうにも納得できず、しかし適切に言語化できないから大雑把で過激な罵倒になり、更にそれに惹かれる人が増えてしまうからだと思っている。
途中の議論を引かれてもなあ。両論併記が原則のwikipediaで、そういうふうに恣意的に引用したら、どちらの立場も「証明」できるよ。
議論を整理すると、イエスの実在と神武天皇の実在は同じように疑われている、というのがもともとのあなたの主張。私は、wikipediaを引き、イエスの実在の方がずっと確からしい、と主張している。あなたは、それに関してあなたの推測(ぶっちゃけ西洋世界においてキリスト教に関わる人間がそうしたがってる)によってwikipediaを否定している。これ以上あなたの方からwikipediaより信頼できるソースの提示がないなら、議論はここまでだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911
http://anond.hatelabo.jp/20151115051501
何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。
だから、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。
自分の発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。
すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。
でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点としか見れないのだろう。
私は2chのアニメスレに、何度か優れた考察をするブログのURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。
「でも○○のパクリだから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。
もはや、ネットはネガティブな思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。
とはいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。
しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから、監督や脚本を責め立て、自分の理想を延々と垂れ流す。
ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。
そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター性至上主義」を煽る文化に一因があると思える。
魅力的なキャラが何より大事だから、特定キャラをsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。
また、「キャラが脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。
もちろん、アニメ化以前からキャラクターが確立している作品もあって、一理ある場合もある。
だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。
なぜなら、既存のキャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。
なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。
常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。
限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブな行為だ。
大事なことほど明確に描かれず、テーマ上不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味が評価される芸術だ。
だから、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。
だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。
そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。
そういう人にとっては、アニメを違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。
だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。
アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。
すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来の姿勢には戻れなくなる。
その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。
作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。
アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。
また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。
その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。
それが実際はトンデモな批判でも、通っぽさが伝わるとROMのにわか層には説得力をもって伝わるのだ。
ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやすい環境に生きている。
この手の重箱の隅批判が公益を生むこともある政治や行政への批判あたりならまだマシだ。
が、アニメ漫画なんていうのは、趣味で自分が楽しむためのもの。
こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。
それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい、存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。
こういうネガ・dis思考はtwitterやLINEやまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。
軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家の蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。
もっと作品やクリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク」気質の人。
大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。
結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。
むしろ、そういう人が目立つのは時代の必然と考えたいという話。
目の前に広がる不快な現状をみて、
その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさんが元増田なら、
「ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。
どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。
そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。
ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、
でもリアルやSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。
つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的・評論的な物言いをしたくなる時も、
それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。
しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても
「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。
一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。
なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから。
ああオトナになるのは本当に難しい。
しばらく前に入ったばかりの会社を早くも辞めたくなっている。
仕事の段取りを考えたり、相手に失礼のないように対応したり、スケジュールを決めたり、納期までに作業を終わらせたり……そういう社会人として基本的な所作ひとつひとつがいちいち苦痛だ。もう新卒なんて年齢では全くないのに。
俺はもっと、こう……倒れたペットボトルを起こしたり、ドモホルンリンクルの雫を見守りながら一滴一滴の行く末に大河の流れや宇宙の壮大さを感じる仕事がしたいんだよ。広い田んぼで遊びまわる子供たちが崖っぷちから落ちそうになったときに捕まえる仕事とかさ。いや、すまん、それはいいや。
なお会社がブラックかというとそうでもない。と思う。普通の会社だ。パワハラとか特に受けてない。今のところ残業もない。というか俺が定時後に残っててもやることないしな。先輩たちはまあそれなりだが、日付を越えるようなことは滅多にないようだ。俺の教育に当たってる先輩からも特に悪意は感じない。
俺は辞めるべきか辞めざるべきか?
議事録を取ってみたところ、肯定派、否定派の意見はおおむね以下のようになった。
会議を開いたはいいが、結局のところ両論併記なんかしてみたところであまり意味はない。俺は「辞めてもいい」理由を探し続けているだけだ。それは自分の弱さや課題に向き合うのとは真逆の態度で、逃げ出す決断をするために、決断のコストを下げるために言い訳をしているに過ぎない。俺の心は逃げたがっている。俺はもう、自分の弱さにほとんど敗れ去ってしまっている。それなのに欲望に身を任せるだけの思い切りも失っているのだ。要は勇気が無い。
辞めるか続けるか? 進軍か撤退か? きのこかたけのこか? いったいどうすれバインダー?
相談できる友人もいないので(2回目)、一人で悩む。一人で悩んでいるとだんだんと感情が強化されていく。連休が始まったころには「辞めようかな……」くらいだったのが今や「辞めるしかない……」までエスカレートしてしまった。
くそ、俺はもう寝るからな。枕元に1億円をセットしておいてくれ。あときのこ派は日頃の行いを悔い改め今後同じ過ちを犯さないように気をつけてほしい。
ミュゼプラチナのCMに出てる娘のCMをよく見るんだけど、もう付き合いたいじゃなくて自分にもあんな娘が居たらなと思う程度のオッサンだ。
最近、会議とか議論とかプレゼンの資料とか、ハッキリ言うと仕事を進める上で、自分でも違うって判っていながら使う技術がある。
ハナキンなのに一人酒してたら凄い罪悪感で歯が痛くなってきたから、懺悔したいと思う。
例えばだけど、こんな感じ
もしくは、地熱が有力ですみたいな説明をする。
リストに意図的に入れていないなんて説明はしないし、商業ベースの発電実績に大きな差があるとか言わない。
そうすると、「知識を持っている人であっても、載っている情報で判断しようとする」バイアスがかかる。
電通と博報堂は売り上げも従業員数も段違いだが、並べて書くと2強に見える。
例えば「ホームセンターでの売り上げに差はないと考えられる」とか書いて、ざっくり説明する。
そして、売り場での実績データや、他社製品の動向を手持ち資料で準備しておく。
リストアップの応用だが、人間は会議中にそんなに記憶しておけない。
だから、レアケースや災害時の対策、計算しにくいリスクをあげると、
「今提案中の議案」VS「指摘されたリスク」のようになる。
例えば「小学校にPRにいく」という提案があったときに「不審者が入ってきたらどうする?」などのケースをあげる。
(それは小学校の担当範囲であるというのが真っ当な反論だが、「我が社としては何も考えないと言うことか?」と畳み掛けたりする)
レアケースの応用だが、本来の意図と違う部分を仮定して、それに対して反論する。
例えば「太陽光発電パネルを小学校に設置すると言うが、例えば小学生がそれで滑り台にして遊んだらどうなるか?危険はないのか?」
ポイントは「小学生が近寄って危険はないのか」であれば、「近づけないように柵で囲う」と言えるが、
「滑って遊んだとき」に関しては「データがない/危険だと思う」などの言い方しかできない。
(つまり、まともに答えてはいけない質問になるが、職場には部署が異なっても上下関係がある)
何を答えても「もし遊んだらどうなるのか?」と繰り返し質問するタイプの上位役職がまれにいるが、対処は諦めよう。
議事録の記載が最たるものだが、発言を言い直すと相当に印象を変えることができる。
例えば「我が社の既存の商材に比べて、大きなアピールポイントとして」を
「うちの商品は売れないから、奇抜な特徴をつくって売るってコトだろ?」など。
提案者側の時には、必ず議事録の作成中にチェックを入れて、面倒そうな指摘は無かったことにしたり、複数の質問をまとめたりする。
例えば「既存に比べてと言うが、どの程度違うのか?結果の売り上げ予想は?」を「既存商材と比較した違いは何か?」など。
(大抵の場合、質問した側は数字が欲しいのではなく、指摘したいだけ)
まともな会議中であれば、この逆や裏をつかった反論には普通指摘が入るが、意外に流されて印象が変わったりすることがある。
例えば「メンテナンスが簡単なので、導入障壁は低い」に対して、
「導入障壁が低いと好評な既存商材は、前に比べてメンテナンス性は変わってないが」
「じゃあメンテナンスが面倒なよその商品は、導入障壁が高いはずだが、売れている」
(対偶まで見ると明確だが、そもそも「参入障壁の要因がメンテのみ」と暗に仮定しているのが間違っている)
「太陽光パネルを推すと言うことは、地熱の可能性を無視するということか?
「売り上げ予想データがないのは、開発した技術を使いたいだけで、利益はどうでも良いんだろう」
「そんな前提は説明されなくても判っている。周回遅れだ。考えが浅い」
「(営業マニュアルが準備されていないが、の質疑後)その必要性?そんなところから説明が必要なら話にならない」
「太陽光発電はネットでの評判が悪いが、ブランドイメージは大丈夫か?」
「私立の学校では、そんな発電よりも給食などが喫緊の課題ではないのか?」
面倒なのでまとめるが、
比較時点で落としたものを再度持ち出す、邪推する、自分が知っているから古い=だから駄目、自分が信じる必要性を理解していない=だから駄目、特にデータ無く印象で否定する、全く関係のない話題と比較する。
流石に会議に参加するのは全員良い大人なので、この手のは基本的に「感情的な発言」として無視される。
ただ、「だから駄目」パターンの「オレの言いたいことぐらい判っていろ」に関しては、部署で暗黙に前提とされていたりもするので場合による。
(会議には立場も上下関係も売り言葉に買い言葉もあるので、当然発言そのものは良くある。議事録には残らない)
「〜っていうことか?」という都合の良い言い換え系は大抵馬鹿発言だが、
リストアップして重みの軽重を無視する、レアケースの指摘、仮定しての反論などは、チェックしてると使える技術が拾えたりする。
あとまあ、同じものを違う名前で呼ぶと頭の中がリセットされるとか、違うものを同じ名前で呼ぶと印象を引っ張れるとか色々あるけど、
横槍スマソ。元主の反応なかったので史学科の俺が書いとくと、平城京は、710年から714年頃に遷都っていう両論併記が主流になると思うよ。
いまんとこあくまでも「元明天皇が710年に遷都するっていったから710年が平城京遷都の年」である派が主流と言ってよいと思う。
けど、最近、あまりにも「714年に平城京遷都」の方がもっともらしいから、その派の勢いがなくなってるのよね。
つか、遷都するっていったからで決めてたら、史料批判も何もへったくれがないわけで、発掘する意味ないしね。
あと、遷都するって言ったから710年派はソース元が一つだから論争も何も反論できないのも痛い。結果的には両論併記になると思われる。
書く場所に困ってここを使うだけで、
人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時 - あんまり使い道のない日記 - Wikipediaグループ 2013/1/15
に自分で書いた「グループプライベート設定日記」のほぼ転載です。それ以外の方にも読めるようにしたためにここ使いました。
基本的にwikipediaに関心のある人向けですが、ここに書く以上はそれ以外の方からも含めて好き勝手な反応が返ってくることもまぁあるでしょう。
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近年ja(に限らず)wikipediaの執筆注意事項系の記事まともによんでないのであれだけど、「人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時の対処法」がわかりにくいという話を、少なくともわたしよりは近年の執筆注意系を読んでいる人が言っていたのを聞いて、まぁ各種執筆注意系の記事を全部読めばわかるはずだけどあまりに普段自分で執筆・修正をする意図のない人には負担が重すぎるので一カ所にまとまっているといいなぁ、とは思いますよね。既にあったらごめんなさい。
こんな感じになるのかしら。(つっこみ歓迎、というか改善すればよりましになるなら、以下の文章の権利は主張しませんのでどなたか引き継いで流用の上やっていただいてかまいません)。少なくとも、以下の文章の中で関連する執筆注意系記事へのリンクは随時入れた方がいいとは思います。
・申し立てが本人であることが確実に伝わるメディアで表明しないとなかなか対応されない
・現状の記述の「問題」が、確かに「問題」であることが第三者検証容易な資料を提示するとベター
・ボランティア作業であることとウィキペディアの方針の関係でなかなか対応されないことはあるが、黙っているよりは表明する方が改善される可能性が上がる
最低減やった方がよいのは「記事が誤っていることについて、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことです。
これは「インターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事等)」が理想ですが、「疑うなら事務所に電話して確認してください」とかそういうのでもしないよりは良いのですが、確認する執筆者が出てこないと記事に反映される可能性が下がってしまうと思われます。これは書き換えるのも無償で人間がやることなのでなかなか難しいです。
最も理想的な形は
「本人であることが確実に証明でき、かつインターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事、公式認定されたツイッター等)、に誤っている旨と正しいとされる内容を記述した上で、それを信頼できると思われる第三者がその内容に同意したことを示す出典でインターネット上で第三者確認が容易なもの(ウェブで閲覧無料で可能な新聞記事等、他人が関わった事実関係なら関係者の証言)へのリンクを示すなどする。(その上で当該記事のノートページにそこへのリンクを書き込むとなお良いです)」
ことです。
しかし、これはこれで本人にかなり負担が高いと思われます。また該当する出典がそもそも存在しない可能性もあります。なので、「第三者による出典」は「ウェブで誰でも確認できるものがなければ、図書館等で閲覧可能な書籍」等でも本来は良いのですが、記述を変更する人間が確認作業がなかなか行われずに記述の修正がなかなかなされない恐れがありますが、何も出典を書かないよりましです(これは人間がやることなので、どうにかなりづらくても難しいというしかありません)。
そもそも本人がそう主張するという以上に出典までを示すこと自体が「wikipediaに執筆なんかしたくはないんだ」という本人にとっては負担で、時に理不尽ですらあるのは間違いないので、しないならしないでも、止むを得ないとは思いますが、その場合「と本人が主張している」的な記述に修正されてしまう可能性があります。第三者による出典がそもそも存在しない場合も少なくないと思いますが、これはいかんともしがたいです(本人の主張する事実と矛盾する出典がそもそもどこにも存在してない場合であれば、結果的に本人主張をもとに記事が修正されることは現実問題としてしばしばあると思いますので必ずしも無駄ではありません)
注意点としては、「矛盾する資料が一般的に信頼できる資料として既に公表されている」場合は両論併記になったり修正されなかったりする可能性がありますが、これも、それはwikipediaの性質上、回避することがなかなか難しいです。既に公表された側が誤りで有ることが第三者にわかる証拠を示すことで修正される可能性はあがるのですが、wikipediaの方針としては取り入れられるとは限らないです。
更に言えば、「単なる事実と多くの人に思われているタイプの事象」、例えば何年にどこの機関に所属していた、といったことに比べて「第三者の評価に関わることや、主観が混じると思われがちなこと」、例えば「××として評価されている」等は本人主張で誤りというだけではなかなか修正されない傾向がありますが、wikipediaはそういうものと思っていただくのがよいです。(特に研究者がそのように評価し何かに執筆して公開している場合などは、特に修正は難しいです)。
もちろん、本人が特定の内容を「掲載して欲しくない」と主張することは自由ですが、反映されづらいのはそういうものかと思います。ただし、これが法に触れる場合(名誉棄損等)や、プライバシーの侵害につながる場合はその旨主張する権利は当然あります。違法の恐れが高ければ原則として対応されますし、違法でなくてもプライバシー問題はwikipediaの既存の基準にしたがって検討されるもので、一般的に守られて然るべきと思われがちなものは対応される可能性が比較的高いと思われます ※この辺の対応ルールを簡潔かつ正確に書くのは結構難しい気がする。
「今wikipediaに書かれていることは誤りであるが、それが誤りであることを示すのに未公表のプライバシーを明かさざるを得なくなるので証拠を出せない」等複雑な事情がある場合は、修正されづらいのはなかなか難しいものです。強いて言えば、信頼できる情報源とされるような第三者(マスコミ、研究者、業界関係者)にのみそれを伝えて誤っている旨同意公表してもらうと少しは対応の可能性が上がるかも知れません。
と書いてみて、上記の内容だと、wikipediaの方針よりも、既存の方針や実態を利用したテクニックやノウハウの領域に
なってしまっていて、wikipedia内に記事を立てるのが不適な内容になってしまっている気もしますが(つまり、それがwikipediaの方針と主張するのは適切ではないが、wikipediaの方針を利用した使い方として第三者が別の所で表明するのが間違いとは言えない的な意味で)。
注意事項ですが、上記記事はろくに推敲も現状の記事wikipedia確認もせずにささっと今書き上げたものなので、上記記事はそのまま鵜呑みにして第三者拡散はしない方がよいと思います(最新の方針に熟知された現役のウィキペディアンで、大して問題がないと思われる方がいらっしゃるのならばそれは拡散なさってもよいと思いますが)
あと、あまりよくないのは「自分で記事を修正してしまう」ことです。wikipediaの他の記事を触る意思のない人にとっては理不尽かもしれませんが、wikipediaの方針上、自分で書き換えたものは勝手に書き戻されるリスク、編集合戦になるリスクがあります。せめて、ノートページに書く方がよいです。その場合も、本人がそれを書いたことがわかるように冒頭に書いたように、「記事が誤っていることについて(それをノートに書いたことについて)、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことで改善の余地が増えますが確実とまでは言えません。
※もしかすると私の気分次第で後ほど上記を推敲してもう少しはましに修正するかもしれません。
※1/16若干加筆と誤字修正しました。 1/16中に二度目の校正。 1/16中に三度目の修正。
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追記:
先に書いておきますが、前半部分の数字がついてるのは「はしもとのあれ」です。
で、その周りに書いてあることは、みなさんから反応をもらう前に私が思っていたことです。
色々反応を頂いて、自分なりに理解できたつもりにはなったので、そのまま残しておきます。
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よくわかんないので整理
1-1, 個人の意思に反して従軍させられた慰安婦がいたとしたら、周辺諸国に謝罪すべき
1-2, しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。
1-3, 閣議決定は、政府の公式見解、政府の公式見解は、日本の公式見解
1-4, にもかかわらず、諸外国から従軍慰安婦の件で、過去を反省しないレイプ国家との謗りを受けている状況は国益に適わない。
特に1-2が閣議で決定されているわけで。外野がわやわや言おうと、閣議で再決定なり覆したりしない限り、日本の見解は変わらないよね。
もし、間違いなのだとしたら、閣議なり国会なりで信頼できる証拠、少なくとも国内では確実なものだと言える証拠を提出して議論すべきだよね。
で、件の風俗発言だけど
2-1, 昔は、強制でない買春はどの国にでもあった
2-2, ここでいう買春は国が管理しているものではなく、民間業者や個人
2-3, 買春は当時の感覚では、今ほど拒絶されているものではなかった
2-4, それを戦勝国だからと言って、敗戦国で当時行われていた買春だけを責めるのはアンフェアだ
そして、アメリカの話
3-0-1, 古くはGHQ時代から買春が個人によって行われていた
3-0-2, 沖縄米軍基地の周辺でレイプや暴行事件が後を絶たない。つい最近もあった
3-0-5, 米軍の女性兵士でレイプ経験があるのは30%に達するとの報告があり、問題解決に取り組みはじめたところ
3-1, アメリカは軍の性犯罪問題に真正面から取り組むべきだ
3-3, 日本の法律で認められた風俗産業では買春は認められていない
まとめると、
1, いま、諸外国から責められている、国が管理する従軍慰安婦問題は、少なくとも日本の公式見解として存在しない。
2, 昔は一般的だった問題で日本だけが責められるのはアンフェア
3, アメリカは今までに色々問題起こしてるよね。日本を責める前に問題に真正面から取り組んだら?
ということで。うん、至極真っ当な気がする。
タダの正論だと思うんだ。
で批判だけど、
1-1, 人権云々が「管理売春」の話であれば、大戦時も今もない(ことになってる)ので的外れ
1-2, 性風俗に従事する人たちの人権が、というのなら自由意志でやっていることなので的外れ
1-3, そもそも性風俗に従事している人の人権が、というのならそれは別の問題
2-1, 主張としては正しいと思うけど、じゃあ対案は?3-0-5とかひどいもんじゃない
3-1, うん、安い挑発過ぎるね
4, 維新の会への印象が悪くなる
4-1, うん、そうだね
5, タブーに触れるのはよくない
5-1, なぜ?
6-1, 3に関わる話なら分かる
7, メディアがつまみ食いするの分かってるんだから、もう少し要点をはっきり話せ
というところで。正直、国益を損なう発言であるという以外に問題が見当たらない。
その他の批判はポジショントークだったり、メディアが勝手に切り取った話をつまみ食いしてるだけで。
7が一番の問題な気がするんだけど、それはメディアの問題で。
で、何が、本質的な問題なの?
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1-3から明確な誤りですね。07年3月の閣議決定は辻元氏への答弁で、「いわゆる強制連行」を示す根拠がなかったとはしているが、93年8月の「いわゆる従軍慰安婦問題について」を踏襲することが明言されているもの。
「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦がいたこと」は政府が公式に認定しているところというのが2007年の閣議決定の内容ですよ。
調査結果中には「業者らが或いは甘言によって、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集められるケースが数多く、更に、官憲等がこれに直接加担する等のケース(白馬事件)も見られた
発言では
証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると
と言っているので、明らかな間違いがあるってことですね。ありがとうございます。
で、まぁ
「当時は必要だった、お前らもやってただろ」と「俺たちが悪かった、でもお前らもやってただろ」の前者を選んだ時点で価値観が露呈。
だし、
http://anond.hatelabo.jp/20130515145914
橋下市長はこの問題に全く関係ない。 別に今大阪市長として何らかの政治判断を求められてるわけでもない。 だったら別に答えなくても良かったのに。
が結論かな。
あざっした。
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途中で飽きました。すみません...
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それはわかるんだけど、きれいごとで世の中が変わるのなら世話ないというのもありますよね…
当事者に倫理観がないからレイプが発生するのだから、というのは論点のすり替えか。
うーん。
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http://anond.hatelabo.jp/20130515154352 が紹介してくれた、
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/01/post-514.php
って記事、
日本での慰安婦問題に関する論調にある「狭義の強制連行はなかった」という主張は、裏を返せば「当時の法制や慣行に則した広義の強要はあった」ということであり、要するに「やっていたと堂々と認める」という話に他なりません。これは大変に異様なことです。20世紀に起きた「交戦地帯における兵士相手の管理売春の強要」を21世紀の国連加盟国の政府が「狭義の強要よりは反道徳的ではない」と主張する、それも「大っぴらに主張する」というのであれば、理解される可能性は限りなくゼロに近いと考えるべきでしょう
がかなり腑に落ちた。
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BBCの記事では「慰安婦は必要だった」という歴史認識と「慰安婦への配慮は言葉でいい」という部分が問題視されてたと思うけど。このまとめは的はずれじゃないかな。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-22519384
Japan WWII 'comfort women' were 'necessary' - Hashimoto
...
Some 200,000 women in territories occupied by Japan during WWII are estimated to have been forced to become sex slaves for troops.
...
He acknowledged that the women had been acting "against their will". He also claimed that Japan was not the only country to use the system, though it was responsible for its actions.
...
"It is a result of the tragedy of the war that they became comfort women against their will. The responsibility for the war also lies with Japan. We have to politely offer kind words to [former] comfort women."
訳されて、中国の反応を付記してるだけで、かなり中立的な気がするけど。
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「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」は全然意味が違うんですがそこは大丈夫なんですかね…
質問(辻元清美)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm
答弁(安倍晋三)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm
なお、「いわゆる従軍慰安婦問題について」は以下
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
「従軍慰安婦についての本当の話」
http://www.geocities.jp/ianfu99/
によると、
新聞や雑誌を読むと激しい論争があるように思いますが、では研究者はどう見ているのでしょう?実は慰安婦を研究している人で慰安婦を職業的な売春行為だとしている人はほとんどいません。最初に資料を発見した代表的な研究者である吉見義明と異なる立場をとる研究者は、実際上秦郁彦1人だけです。研究者の間では慰安婦が旧日本軍による犯罪(誘拐・監禁・強姦による性暴力)であることに異論はありません。
とある。
この文章の信憑性がどうとかいう声があるけど、
今日(2013/5/15)の段階で(どうせリンク切れになるのでタイトルのみ)
っていうことになったので、
1-3「しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。」
ってありえない発言(要約が正しいとすれば)だな。と理解。
談話は以下。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
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はしもとのあれに関しては、もう飽きたのでいいとして、あずまさんのTweetみててあーこれだなと思った。
性風俗やポルノさえ撲滅できない世界で、なぜ慰安婦すなわち兵士対象の売春行為が撲滅できるのかぼくにはよくわからないので、そんなら最初からその前提のうえで話したほうがいいんじゃないですか、ってのがぼくの言いたいことです。慰安婦に日本政府が絡んだかどうかってのはぼく話題にしませんよ。
@hazuma 5月13日
小学生でもわかるように書くけど、個人が性欲をコントロールすることと、集団が性欲をコントロールすることはまったく別。そりゃ個人では禁欲する男もいくらでもいるし、一般市民は普通コントロールしてるさ。でも集団になると必ず一定確率でコントトールできないやつが出てくるんだよ。
それで、戦争とかで若い男性たくさん一箇所に集めたら、そりゃ性処理問題は出るでしょうという話で、それは基本的に通勤電車があると一定確率で痴漢でるとかと同じ。これがどうして「野獣としての男を肯定するマッチョな話」になるのかさっぱりわからん。
要は、若い(中高年も?)健康な男性を多数管理しようとすれば、現実問題として彼らが抱く性欲は考慮しなければならず(会社だって同じでしょ)、そこで各人の禁欲なんかに頼っても暴発は不可避なので精神主義に頼っても意味がないという話なのに、なんでこんな炎上するのかね。よくわからんよ。
@hazuma 5月14日
(1)軍には男性が多い、(2)交戦中の軍は構成員に異常な心理状態を強いる、(3)その結果はしばしば性欲の昂進として現れる、(4)それを目的に売春行為を扱う業者も出現する、(5)以上の(3)および(4)を非倫理的で阻止するべきだと思うのであれば戦争をやらないほうがいい。以上。
@hazuma 5月14日
あと従軍慰安婦問題だけど、これは調べれば調べるほど込み入っている問題でして、ぼくはぶっちゃけ不可知論というか「専門家でもないしよくわからん」という立場です。それは無責任と思われるかもしれないけど、ぼくからすればよくまあみなさん断言できるなという感じ。
そういう認識のうえで、ぼくは、「従軍慰安婦は性奴隷でもなければ招集に政府も関与しないと橋下氏が信じているのであれば、軍と性の必然的な関係について述べた彼の発言自体は問題とするに価しない」と言っているにすぎない。
@hazuma 5月14日
で
もはや事態は「本当のことでも言っちゃいけないことがある」的なかなりくだらないレベルに落ち着いたようだな。
@hazuma 5月14日
か。うん。納得。しかし実名でやるんだもんなぁ。マッチョだなぁ。
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別に議論したいわけじゃなくて、はしもとの問題って「ただしい」ってのがどれだか分かんなくて。
なんか書いたらみんながレス付けてくれて、理解できるかなって思ったのでまとめました。
これを実名でやるほど肝が太くないんです
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おそらく理解してくれないと思いますが、いちおうちゃんと書きます。ぼくが最初に高橋哲哉の名前を出したのは、ぼくのこの歴史認識についての「いいかげん」な不可知論的立場がデリダについてのぼくの研究(と高橋氏の研究の差異)と理論的に繋がっていることを示唆するためです。
20世紀半ばの哲学者たちはおしなべて、世界に真実はない、ものごとは解釈でいくらでも自由になる、と主張してきました。それが行きすぎてソーカル事件が起きたのはご存じのとおり。1990年代からは一気に風向きが変わり、「確かな真実は疑い得ない」がトレンドになります。
デリダといえば脱構築ですが、そんな彼も90年代には新しい方向で再解釈されました。けれどもぼくはその流行に抗して、むしろ「テキストだけではなにも決定できない」という古い主張を擁護した。それがぼくの博士論文ですが、その立場と歴史認識問題へのぼくの立場は密接に関わっているのです。
ぼくは別に、真実が複数あると言っているわけではありません。真実はひとつです。しかし、真実に近づく方法が文書資料しかない場合、そこにはつねに複数の解釈可能性があって、その差異は合理的討議では決して回収できない。これは理論的問題であり感情的問題ではない。
そしてこの問題はネットの出現で深刻になっている。なぜならネットとはなによりも文書の場だからです。ある事件について資料が公開される。そこまではいい。しかしその解釈は、資料が多ければ多いほど拡散し複雑化して、結局肝心の真実は闇に包まれる。歴史認識問題で起きているのはそういうことです。
@hazuma 5月15日
反応をくださったみなさんありがとうございました!
橋下市長が指摘「偏狭なナショナリズムが高まっている」 ― スポニチ Sponichi Annex 社会
↑はじめは「お前が言うな」と思ったが、ひょっとしてこれは彼は彼なりに真面目にそう考えているのでは、と思いなおした。
ここで出てくる「子どもに近現代史を学ばせる施設を造る構想」とは、大阪人権博物館(リバティおおさか)と大阪国際平和センター(ピースおおさか)とを統合して、「新しい歴史教科書をつくる会」などに助言を受けて作る新しい歴史博物館のこと。
「つくる会」呼んでおいて「偏狭なナショナリズムがどうこう」とか言うなよ、と思ったんだが、どうも本気で新施設で歴史観を養おうとしてる様子。
ひょっとしてこれ、橋下市長的にはつくる会の意見を入れて「両論併記」すれば自然とバランスのよい歴史観になると考えているのでは。
いや、もちろんただの推測なんだが、そうだとするとid:Apemanあたりが切れそうなので楽しみである。
とりあえす録画画像公開待ち。http://www.pref.osaka.jp/daitoshiseido/togohonbu/index.html
twitterの公式アカウントで微妙な発言をした産経さんですが、日本語版twitterは自重せず微妙な発言をするのに使用するものなのですからこれからもどんどん微妙な発言を重ねていただきたい。
J-CASTさんは産経さんの謝罪発言をいち早く伝えるなど、twitterの性質をよくわかってらっしゃる様子。感心しました。
個人的には報道各社の本音バトルがtwitter上で見られると大変面白いのですが。○日と○経の殴り合いとか。J-CASTがそれを遠くから見守ってるの。
産経新聞社会部 | 産経新聞が初めて下野なう(2009-08-31 05:34:52) | ■ |
産経新聞社会部 | でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。(2009-08-31 05:36:49) | ■ |
産経新聞社会部 | 乞うご期待、ということで、13日間に渡った本ツイッターはこれにて終了させていただきます。ごフォローありがとうございました。またアレします。(2009-08-31 05:41:01) | ■ |
産経新聞社会部 | 下記の発言について、たくさんの厳しいご意見をいただきました。軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます。(2009-08-31 17:15:12) | ■ |
産経新聞社会部 | 産経新聞は、保守系の「正論路線」を基調とする新聞です。発言は、新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした。(2009-08-31 17:15:44) | ■ |
産経新聞社会部 | また、本ツイッターは、新聞という媒体だけでは伝えられない臨場感や現場の記者の思いを伝えるための社会部としての試みでした。(2009-08-31 17:16:07) | ■ |
J-CASTニュース | RT @SankeiShakaibu: 「産経新聞が初めて下野なう」http://twitter.com/SankeiShakaibu/status/3651457841(2009-08-31 17:26:41) | ■ |
J-CASTニュース | RT @SankeiShakaibu: 「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」http://twitter.com/SankeiShakaibu/status/3651489549(2009-08-31 17:27:50) | ■ |
J-CASTニュース | 産経新聞、謝罪なう。http://twitter.com/SankeiShakaibu/status/3662041584(2009-08-31 17:29:04) | ■ |
産経新聞社会部 | これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます。(2009-08-31 17:39:30) | ■ |
「産経新聞は、保守系の「正論路線」を基調とする新聞です。」と言っておきながら「中立的な立場に立った上で」というのがよくわからないのですが、そんなことはよくわからないままでもいいのでしょう。NHKも「中立的な立場で」と言ってるくらいですから。両論併記すればいいってもんじゃないでしょうに。「中立」とは何か。答えられますか?
「客観的な事実に基づき」というのは当たり前ですが、非常に重要だと思いました。
発言からは、民主党中心の政権が誕生するにあたり産経新聞の記者さんたちが非常に熱くなっているのが伝わってきます。それは、一読者として大変うれしいことです。一国民としては、頼もしいなあと思います。個人的には、熱意を持って仕事をされておられる姿に元気付けられます。
麻生首相の「読み間違い」レベルの報道なんか聞きたくありません。もっと、こう、政治とは何か、国家とは何かを考えさせられる記事が読みたいのです。もちろんそれは「事実に基づいた記事」の上に成り立つものです。結論ありきの記事の上に記者の個人的感想を述べられても困ります。
保守ってなんでしょうか。民主党政権の誕生を嘆くことでしょうか。自民党の再生をひたすら願えば保守になるんでしょうか。
国家の存続と反映を願うのなら、嘆くより先にやれることがまだまだあると思います。
がんばってください。応援しています。
リンクのアドレス文字列の".jp"を".jip"に書き換える。
編集者:xxxoxxx 編集内容:3c3 -+ハーブマイスターセンター[http://www.herb-meister.jp]のこと。 ++ハーブマイスターセンター[http://www.herb-meister.jip]のこと。
編集者:herb-meister 編集内容:3c3 -http://www.kenko.com/product/seibun/sei_834001_D.html より引用。 +[http://www.herb-meister.com:title=http://www.kenko.com/product/seibun/sei_834001_D.html] より引用。
ブックマークの要約文を改竄する。
** 編集者:xxxoxxx ** 編集内容: -><blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/osito/20080304/p1" title="キーワード荒らしの逆ギレ? - 「愛」も「萌え」も定義は広い。"> +><blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/osito/20080304/p1" title="キーワード荒らしの天才id:ositoです。よろしく">
http://anond.hatelabo.jp/20080311082458
から
http://anond.hatelabo.jp/20080311081417
(計55件)
http://anond.hatelabo.jp/20080307004725
から
http://anond.hatelabo.jp/20080307004753
(計29件)
http://anond.hatelabo.jp/20080306001533
から
http://anond.hatelabo.jp/20080306002034
(計15件)
など
キーワード「ハーブマイスター」の編集合戦が続く中、第三者が中立的視点から両論併記してくれたのに、早速偏った見方からの内容に改竄。
増田にハーブのスパム投稿をしてた連中は「会社(有限会社Active Office)とはまったく無関係で何者かの仕業」という事を、xxxoxxxは知っているらしい。不思議だね。
ktuo2002、globpointの主張は「事実は確認できない」とか言って門前払いしてるくせにね。
編集者:xxxoxxx 編集内容:5c5 7c7 10c10 -同名のショップがいくつかあるが、リンクされているのは西新宿の有限会社Active Officeが運営している店舗である。 +同名のショップがいくつかあるが、リンクされているのは西新宿の有限会社Active Officeが運営している店舗であるが会社とはまったく無関係で何者かの仕業。 -はてな匿名ダイアリーにおいて、興味を持って関連情報をまとめる者が出現したほか、id:ktuo2002氏、id:globpoint氏が継続して動向を追っており、はてなグループにおいてWatch活動を行っている。リンク先になっているネットショップが宣伝書き込みを行っている、リンク先によるスパム行為である、という前提に立った活動である。 +はてな匿名ダイアリーにおいて、興味を持って関連情報をまとめる者が出現したほか、id:ktuo2002氏、id:globpoint氏が継続して動向を追っており、はてなグループにおいてWatch活動(ストーカー)を行っている。リンク先になっているネットショップが宣伝書き込みを行っている、リンク先によるスパム行為である、という前提に立った活動であるが、この会社がスパムをしてる事実は確認できない。 -一方、id:saki-ha氏、id:xxxoxxx氏、id:ktuo2002-globpoint氏はそれらの行為は行き過ぎであるとして「ハーブマイスターストーカー」と名付け、ハーブマイスターは「ストーカーにあっているネットショップである」という意味へとキーワードを修正する活動を行っている。はてな匿名ダイアリーへの書き込み自体もネットストーカーによるいやがらせであり、ショップによる宣伝書き込みではないという前提に立って活動している。 +一方、id:saki-ha氏、id:xxxoxxx氏、id:ktuo2002-globpoint氏はそれらの行為は行き過ぎであるとして「ハーブマイスターストーカー」と名付け、ハーブマイスターは「ストーカーにあっているネットショップである」という意味へとキーワードを修正する活動を行っている。はてな匿名ダイアリーへの書き込み自体もネットストーカーによるいやがらせであり、ショップによる宣伝書き込みではないとい。