はてなキーワード: 両論併記とは
報告書が出ました。「軽微なもの」と「翻案作品」のDLを違法化対象から除くのは合意に至りました。「著作権者の利益を不当に害する場合」への限定は賛否が割れ、両論併記です。検討は政治の場へ。
>東京新聞:漫画海賊版サイト対策で報告書 2次創作物ダウンロードは容認 https://t.co/zxAKdx1lNL— 福井健策 FUKUI, Kensaku (@fukuikensaku) 2020年1月16日
しかしパブコメが4400件程度集まりそこで8割所か9割近くまで反対意見が集まったのにガン無視して、初めから提示していた譲歩ラインから何一つ変わっていないのにも関わらず、議論を尽くしましたみたいな顔をしている事と言い、前回の会議自体ひろみちゅが指摘する位にはgdgdで、結論すらまともに出ていなかったにも関わらず、この様な報告書を出した事と言い、参加していた消費者団体まで業界寄りで規制に賛同した事と言い、色々な意味でこのダウンロード違法化結論ありき検討会は文化庁及びこの手の著作権規制の推進している連中の腐敗具合を象徴する様な会議だったとしか思えないよね。
何にせよ、これで出版及び商業漫画家も逆に世間から嫌われて終わりだろうし、以後音楽業界の二の舞をやらかす事になるだろうよ。
漫画家に関してはダウンロード違法化の音頭取りをした上にわずか3回の短い期間の反対意見を封殺する為の結論ありきの談合会議をやらかした時点で弁解の余地すらないとしか今回は言い様がないしな。
昨今漫画家は調子に乗って、この著作権改悪以外にも漫画センターやあわよくば裁判関係の改正も狙っているみたいだけど、二兎所か三兎も追っているのだから、一兎も得ず所か大方ドツボにハマって、そのまま沈んでいく事になるだろうよ。
しかし漫画アニメも終わりだといよいよ日本から売るものがなくなるな。
何もかも安易な規制で産業や文化を潰して、終わる国にはぴったりだろうが。
これを見ていると流石にないと思うが、例の香川県のゲーム障害条例について急に騒ぎ出した事自体、この著作権の報告書を隠蔽する為もあるんじゃないかとすら思えてくるよ(苦笑)
昨今あの話題を見ていてふと思ったので、書いていこうと思う。
大体この位か。
社会学で学位をとった優秀なあなたが、なぜに薄汚れた営利企業でくすぶっているのですか?
営利企業は、競争相手を出し抜いて資本家の利益を追求するのですから、社会的正義などは二の次です。
たとえば逆に活動家組織において、両論併記などと言っていたら、政治性のない反動分子として袋叩きに遭うでしょう。
資本主義を内側から転覆させるとか、資本家の生き血を吸って力を蓄えるとかという戦術をとっているのなら、大義のために多少のことは気にならないはずです。
しかしながら、社会学部は社会運動家を育成する学部ですから、長年の訓練を積んだあなたが、実力を発揮できる組織にいないのは大きな損失です。
デマを防ぐためにリテラシーを、とかネットの情報はすべて疑いましょう、とかいうような意見が飛び交っている。
しかし、そんなものは必要ない。単純に、1日おいてからRTして意見するだけでいいのである。
そもそもデマかどうかの判断をド素人のあなたがしようとすることが間違っている。
あなたの発言が一日遅れたところで救える命も解明できなくなる事柄もない。
1日置いておくだけで、ネットは自動で両論併記になり、識者が突っ込みを入れてくれるかもしれない。
社会に対してアクションするのならば、それからでも全く遅くはない。
そもそも、学があれば、とかリテラシーがあれば、とか情報に接する態度が、とかいうのは、自分は引っかからない人間でいたいというバイアスにすぎない。
かつてリテラシーなんてのは確率発動のスキルにすぎない、と言っていた人がいるが、勉強をすることで引っかかる確率は減らせるのかもしれないが、ひっかかるときはひっかかるのである。
まあ、でもそんなことはみんな分かっているのである。
ではなぜみんながいっちょかみをするか。
それはある種の負の側面として仕方ないといえば仕方ない。
あそこには、100ブクマより前に入り込めばひたすらスターが伸びていく。
そして100ブクマよりあとからいくらコメントしたって負け犬の遠吠えにしかならない。
音楽と歌詞は安易に切り離して評価できない。相互に絡み合う、それはそれは繊細な関係なのだ。
もっと言えば、音楽が主で歌詞は従の関係だ。フルトベングラーもそう言っている。私もその一派である。
のぶみの絵本は嫌いだし、歌詞だけを見たときも嫌いだと思った。
しかし、歌を聴いたら感動した。
「呪い」と言う人もいるだろうが、歌を聴いて率直に感じるのは、圧倒的に母であることの喜びだ。
どうしてもやりたいなら佐野元春ぐらいには慎重にやりたまえ。
私がそう感じただけで、歌を聴いてもやはり呪いの歌にしか聴こえない人も多いのかもしれない。
しかし、歌詞だけ見た時と、歌を聴いた後では少なからぬ人が違う感想を持つはずだ。逆転はしないかもしれないが印象は変わるだろう。
もちろん変わらない人もいるだろうけど。いちいち言い訳のために両論併記しなければいけない社会は本当に息苦しい。
これは完全についでに言うけど、
この歌詞だけで感動したり救われる人もたくさんいるんだろう。それは容易に想像がつくはずだ。そのこと自体の好き嫌いは別にして。
自分のテリトリーを守らなければ生きていけない、と言う気持ちもわかるが、そんなに必死で否定して叩き潰さないといけないのか。
そうですか、いけないんですか。じゃあしょうがない。やってください。やりましょう。
私もそうします。
音楽なめんなよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c
あとシノドスのフリーライターのレポートもあったが、どれも「医術と呪術を混同する両論併記をやめよ」という趣旨が確認できる。
林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、
林氏は心無い中傷で県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。
本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。
壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。
そうした福島県民を始めとする東日本大震災の被災者の皆様の気持ちは自然であることは認める。
しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会が始動しだしたところである。
私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、
泥流による放射線の健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、
新潟県知事選当時、県内在住の反原発派から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。
(インターネット上で選挙運動や訴訟活動を行っていることを明記した人物に限定した話ではある)
現在、在日コリアンを念頭に外国にルーツある人物へのヘイトスピーチは違法化された。
この前例に則り、学術会議への異論も福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、
事実、在日朝鮮人や沖縄人への民族差別をアナロジーとして、福島県民への差別を説明するレトリックは存在している。
このような議論は被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である。
しかしポストコロニアルな当事者性を強調することで国や東電の構造的責任が看過されてしまうことはないのか。
実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災の観点から引用し検討することすら差別や呪術であり、
野蛮な攻撃とすることは学問の権威化であり、自由を害することである。
こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。
2007年の中越沖地震での放射能漏れが原体験として上げられている。岩手県の震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。
チェルノブイリは福島第一よりも安全という発言は海外への県の農産物輸出戦略の一環である。
国際的観点から見て廃炉出来ていない原発がチェルノブイリに比して安全だと言えるのか。
ショッキングな発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要な見解だったのであり、
過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。
(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義を扇動している自民党からしか国政候補へ立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)
私の知る限り、泉田知事が被爆が疑われる人物に意識的に差別的な県政を行ったという情報はない。
四期目を断念した後自ら原発に屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、
撤退理由であるフェリー船問題は船を売りつけた韓国企業が東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、
そのような形で追い込まれて撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。
このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難な言動を求めるのは酷すぎる。
県民の代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味を想像していただきたい。
自己批判してればインテリに見えるとか両論併記だとかのポーズでさ、わざとらしくブクマ改善と批判ブロガーとか注目エントリーで上位に上げてさw
そんな事より後進国やマーケティング会社に有料でブクマさせる薄汚いバイトをなんとかしようとかって気はないの? 金で作ったエントリの順位なんてテレビや出版社のステマ、ゴリ押しと何が違うのさ?
マジなんだとしたらこの相変わらず実体のないまま独り歩きしてる主語の使い方をまずなんとかしたいんだけどさ、理解できるのかな、元増田さんは。
オタクが攻撃してる趣味ってオタクが選挙でもしてその総意でオタク代表として攻撃したの? 気に入らないって大多数の中にオタクが目立ったの? まずこれ、どっちよ。
次にさ、オタク趣味って言うけどそれって何よ? ある特定の趣味を持ってる奴がオタクなの? それともオタクっていうのがいて、そういう奴がやってる趣味がオタク趣味なの? ぶっちゃけ考えたことないんでしょ。
普通に考えて元増田みたいのって自分がキモイと思ったら「うわこれオタクじゃない?」って認定するんでしょ? 自分は顔も出さずに(笑)。 んで「キモっ、キッモー」とかやりだすんだよね? ナイトプール自撮り隠れオタ女子のこととか考えもせずに。どんだけ自分に自信あるか知らないけど(笑)。
でさ、新しいものが流行ってそれに乗ってこないのがいると今度は遅れてるってバカにしてさ、貶して自分から敵を作っておいて、それへの反発が大きくなると「オタクに攻撃されてる」とかやりだしてない?
なんでこういう事書くかって、昔っからいるのよ、元増田みたいなタイプって。
まずさ、批判されてる趣味とされてない趣味、それからオタクとオタクじゃないものってのをハッキリさせてから書いてみない?
https://togetter.com/li/1093213
なにやらはてなブックマークがあるツイートで盛り上がっていた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808
まとめはそれを元にしたまとめ(なんだろう)が、なんとなく観点がずれてる気がしたので、長文だが意見を書かせていただきたい。
100文字では書けん。
「歴史学は歴史学者の独占物なのか?」という「問い」に対しては「独占するべきではない」と思う。
そして、教授陣とはまた違った「在野で歴史を考える者」の意見も、また参考にされるべきなのだ。
まあ、教授が左翼云々は偏りだというまとめでの指摘も最もだけど。
「科学」が「市民感覚」でないがしろにされて良いのだろうか。それは豊洲の件で大いに問題になったはずだ。
豊洲は科学的に安全なのに、「安心」できないから駄目などと言われている。
まとめを読んで、豊洲の例を惹かれて説明されている、このあたりが自分としては特に心配に思った。
「エリート独裁」的なことが行われてしまえば、それはそれで問題である。
まとめ文中では軍事を例にして、専門家だけで暴走することの危険性が語られているが、これはある程度当たっていると思う。
この国は、関東軍の暴走という自称から戦争が始まってしまった国なのだ。それは反省し、今後戦争をおこさないようにすべきだ。
でもその例で言えば、軍人が絶対に無理という作戦を政治家が指示してしまった場合はどうなるのだろう、とも思った。
戦前の反省を元とした言説にこのようなことを突っ込むと、特にリベラルなはてなーには、やれ軍国主義だのなんだの言われるのかもしれないが
現実問題政治家が専門外のことをそこまで指揮を取れるのか。それは歴史学にだって言えると思う。
そこで思ったのは、「様々な説を検討する段階をオープンにすること」そしてそれによって「バランスを取る」ことである。
結局、学者の独占も、過度の政治の介入も両方よろしくないのだ。今回の件は、ある一つの説を押し通そうとしてしまったというところに問題があるようにも思える。
所謂主流の説、「権力を持った学者」の説を押し通すのではなく、オープンにしていく。それが必要なのではないのかと思った。
そして、教科書に関しては、複数の説の併記も必要なのではないか。
東大と京大で学派が違い、入試問題で採用する説も微妙に違うということも起きているが、