はてなキーワード: 一心とは
牛丼店・ハンバーガー店・ファミレスなどの全国チェーンの飲食店に混じって地元チェーン店や個人経営店もある飲食店の激戦地に、新規出店したばかりの店だった。
この『タルタルソースはおかず』という店ができる前にあったのは、立ち食いステーキ店だったか? それとも二度付け禁止の串かつ店だったか? などと思いながら、壮年の男はその店の前に立っていた。
それにしても派手な看板だ。
看板に書かれている謎のインベーダーとロボットはどういう意図なのだろうか。
外壁も看板と同じ色になっていて強烈なインパクトを放っている。
そう思いながら、男はその店に初めて入っていった。
座席配置は牛丼店のようだ。U字型カウンターを中心にテーブル席もある。男は店員の案内にしたがいカウンターに座ってメニューを探した。メニューは座席に無く、壁に貼り付けてあった。
並 | 600円 | (1人前、卵4個) |
大盛 | 800円 | (1.5人前、卵6個) |
特盛 | 1000円 | (2人前、卵8個) |
激盛 | 1300円 | (3人前、卵12個) |
追加タルタル | 300円 | (0.5人前、卵2個) |
この店はタルタルソースと食べ放題のご飯しかないのか? と思ったが、隣にトッピング表があるのを見つけた。
チキンカツ | 250円 |
唐揚げ(1個) | 100円 |
サラダ | 100円 |
みそ汁 | 100円 |
チキンカツや唐揚げはメインのおかずではなく、サラダやみそ汁と並んでトッピング扱いなのか?
男はメニューを見ながら何を注文しようかと考えている間に、カウンターのふたつ隣に遅れて座った客が先に注文した。
「タルタル特盛、以上で」
特盛? タルタルソースは並や大盛では足りないのか? ラーメンや牛丼が並だと物足りないように。俺も並ではなく大盛か特盛を頼むべきなのかと考えながら、男は隣の客を見た。やや小柄な男だが太っていて、ズボンのベルトに腹肉がだらりと乗っていた。そして、ハゲかかった頭頂部は毛髪の隙間から、汗なのか油なのか光を放っている。
いかんいかん。いかにもな大食漢の注文に呑まれるな。タルタルソースのボリューム感がわからないし、口に合うかどうかも分からないのだ。そんな物をたくさん食べる羽目になるリスクは避けなければ。何か、この店で初めて頼むべきメニューはないだろうか、と男は壁をあらためて見たら、おあつらえ向きとも言えるメニューを発見した。
迷ったらコレ!
タルタルソース(0.5人前) | |
ご飯食べ放題 | |
チキンカツ | |
唐揚げ(2個) | |
サラダ | |
みそ汁 |
これだ! 揚げ物をメインとしながらもタルタルソースが付いている。ふつうの店にもありそうな定食的なメニューで無難すぎる気もするがこれでいい。タルタルソースをメインとする尖った店に自ら入っておきながらも、男は店の雰囲気におののいて堅実に初心者向けセットを注文した。
注文を終えて一安心した男は、目の前にある調味料を見た。塩・コショウ・山椒・唐辛子・しょう油に、いろいろな種類のソースがたくさんある。卓上調味料の種類の多さは某牛丼チェーン店以上だ。これらの調味料はタルタルソースに使うのだろうか? そう思いながら男は待っていた。
「お待たせいたしました。タルタルソースの特盛です。よくかき混ぜてお召し上がりください」
店員はそういって隣の客の前にどんぶりを置いた。ここからじゃよく見えないが、あれがタルタルソースなのか? しかし「よくかき混ぜて」とはどういうことか? 混ぜずに提供しているのだろうか。さらに店員はどんぶりに入ったご飯も置いて、
と言って、カウンターの端にある自動ごはん盛り付け機を指し示して厨房へと戻っていった。
隣の客は全身を使って一心不乱にかき混ぜているが、どんぶりの中身はどうなっているのだろうか。男がそう思っている間に頼んでいた初心者向けセットが届いた。
なるほど、ごく普通の定食だ。ご飯・みそ汁・サラダ・揚げ物、ただ一点タルタルソースが異彩を放っていることを除いては。小鉢に入ったそれは、例えるならば居酒屋等でよくある混ぜて作るポテトサラダのようだった。ゆで卵1個・温泉卵1個・キュウリのみじん切り・ラッキョウのみじん切り・マヨネーズが入っていることが見受けられる。
フォークでゆで卵をつぶしながら混ぜるとドロリとしたペースト状になってきた。しかしこれはタルタルソースと言えるのだろうか? タルタルソースと言うより、卵サンドイッチの具材だ。フォークでもすくえるくらいにドロっとしている。
サラダ——キャベツの千切りに申し訳程度のトウモロコシとキュウリが添えられた粗末な代物に、タルタルソースをドロリと乗せて食べてみたが……うまい。思っていたよりも卵の味が濃厚で、そんなに油っぽくない。卵はゆで卵と温泉卵のそれぞれで違った食感を与えてくれる。黄身はマヨネーズと一体化した半熟の黄身と、一体化せずに固ゆでのままの黄身の二種類が感じられる。白身もドロリとした白身と、しっかりと形を保った白身の二種類だ。
タルタルソースのメニュー表で卵の使用個数が丁寧に書いてあったのが気になっていたけれども、まさかゆで卵と温泉卵の二種類だったとは。それならば、タルタルソースの並(1人前)はゆで卵2個に温泉卵2個、大盛(1.5人前)はゆで卵3個に温泉卵3個ということになるのだろう。隣の小太り薄毛が頼んだ特盛(2人前)だと、ゆで卵4個に温泉卵4個の量になるから、小鉢ではなくどんぶりで提供されているのだ。なるほど、この店は卵料理の専門店なのだな。こうして実際に食べてみるとわかる。タルタルソースは調味料なんかじゃなくて、立派な卵料理だ。タルタルソースはまさにおかずなのだ。
タルタルソースを唐揚げに乗せて食べてもうまい、チキンカツに乗せて食べてもうまい。タルタルソースがあまりにも濃厚でうまいので、唐揚げやチキンカツが完全に負けてしまってる。ここでは、タルタルソースと揚げ物の主従関係が逆転している。濃厚なタルタルソースの前には、唐揚げもチキンカツもトッピング扱いなのだ。
揚げ物と一緒にタルタルソースを食べると、キュウリやラッキョウの食感が食欲を増進させるように感じる。キュウリやラッキョウは大きめに刻まれてゴリゴリとした歯ごたえがあり、濃厚な卵に負けず劣らずの主張をしている。キュウリに独特の酸味が感じられるが、もしかしてピクルスも入っているのだろうか?
タルタルソースの濃厚さに心を奪われて男はしばらく気づかなかったが、味が薄い。タルタルソースに入っている塩の量が少ないのでは? そうか、それで卓上調味料が大量に存在しているのだ。そのことに気づいた男はチキンカツにタルタルソースを乗っけてウスターソースをかけて食べる。これだ! 舌上に感じる旨さに恍惚して、後頭部で脳髄が歓喜のあまりに跳ね上がる。思わずご飯を口に掻っ込む。うまい! うまい! 男はタルタルソースをサラダやチキンカツや唐揚げに乗せて思い思いの調味料をかけて食べて、ご飯を消費するのに夢中になった。
気が付くと目の前には唐揚げ1個だけになっていて、他は全て平らげてしまった。ご飯もタルタルソースもなくなっていた。隣の小太り薄毛がどんぶりにご飯を入れて席に戻ってきたのを見て、男は自我を取り戻した。小太り薄毛がどんぶりを手に席に戻るのは初めてではない。おそらく、おかわりは2回目かそれ以上だろう。せっかくのご飯食べ放題なのだから、俺もおかわりをしようと男は思った。しかしながら、1つだけの唐揚げをおかずにご飯を食べるのはむなしい気がする。せっかくならばタルタルソースをおかずにご飯を掻っ込みたい……隣の小太り薄毛のように。小太り薄毛は今まさに、どんぶりのご飯の上に残ったタルタルソースの全て乗っけている。そこにしょう油・山椒、他にもいくつかの卓上調味料を代わる代わる振りかけては、一気に口の中に掻っ込んでいき、食事のラストスパートをかけていた。
俺もだ。俺もそれをやりたい。男は強く願い、思いは言葉となって自然と口から滑り出てきた。
【完】
山田玲司が言ってたけど、幼少期に親から愛されて自己肯定感が高い絵描き(漫画家やイラストレーター含む)は、根底に自信があるから必死こいて練習しないらしい。
なので絵はあんまり上手くない人が多い。「他人に伝わる絵が描ける程度の画力があればいい」と思ってる。(山田玲司自身がその例)
逆に、
幼少期に親から十分な愛情を与えてもらえなかった子が絵描きになると、絵が上手いとか、何か誇れるステータスが無いと自分で自分を誉められない。
あるいは承認欲求が強くなる。親から言われなかった「すごいね!」を他人から求める様になる。
結果、褒められたい一心で絵がめちゃくちゃ上手くなる、と。
もちろんそれもあるけれども、だからと言って脛に傷が無いわけではない。
ちょっと気になるんだけど、あれかこれか(相互排反)的に捉えていないかい? アメリカでユダヤ系が力を持っているからといって欧米諸国の脛に傷という要素が無いということにはならないだろ。もちろん逆も言えるわけだが。
なお、英米(特にアメリカ)ではユダヤ系の存在は大きいが、EUの中核であるドイツではそれほどでもない。国ごとに事情は結構異なる。そしてもちろんアメリカだけが欧米でも世界でもない。
念のために付け加えると、たしかにアメリカでのユダヤ系の影響力は大きいし、特に外交面では一心同体に近いと言ってもいいくらいだとは思う。兄弟国だという表現をする人もいるくらいだし。 過去の国務長官にも何人もユダヤ系がいた。
いまこの文章はPOMERA DM250で書いている。夜の静けさが部屋に満ち、デスクの上の薄暗い電球色の明かりがぼんやりと輝いている。窓の外は漆黒で、星が遠くからちらちらと光っている。この小部屋は都市の喧噪から隔離された楽園のよう。そしてここでは、ただ指の軽やかなダンスとポメラの静かな応答の音が、穏やかな調べを奏でている。
ポメラのシンプルさと静謐さが、夜更けの執筆を優雅なものに昇華してくれる。ここではインターネットの誘惑から解放され、一心不乱に言葉と向き合うことができる。他のデバイスでは気が散りがちだが、ポメラの前ではその心配がない。集中する力がこの場所とこの時に存在する。
この小さなデバイスが思索の道を明るく照らしてくれる、まるで一本の灯りのように。ポメラと夜更けの静かな時間を共有すると、心はもっと自由で、もっと広い空間へと飛び立つ。新しい思いが次々と湧き上がり、素晴らしいアイデアが生まれる。この一瞬一瞬が、深い満足感をもたらしてくれる。
インターネットから切り離され、全てが静かになるこの時、心は落ち着き、真の創造性が花開く。これぞ、ポメラの真髄。これぞ、ポメラで夜更けに書く喜び。ポメラはただの道具ではない、それは創造のパートナー、心の友だ。
そう、ポメラは静寂と集中、そして創造の喜びを与えてくれる存在なのだ。夜更けのポメラとともに、新しい一日を、新しい考えを、新しい世界を迎えよう。
仕事は管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。
気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。
この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校を卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。
大抵は店頭で接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校の音楽の先生のパシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。
因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハの看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署の地位は低い。
管楽器などというものはピアノやヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。
などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的な楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。
私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。
当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死で楽器を直しまくるしかない。
客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである。
その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要な設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。
そうやってたくさんの楽器店からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門の人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。
さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。
一般的な楽器店にしろ全国に点在する工房にしろ、とにかく労働環境が悪い。
数行前に薄利と書いたが、性質上ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。
単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラとセクハラが蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らしを余儀なくされたなんてパターンもある。
そのため専門学校を卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間は20代のうちに業界を去る。
20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業の経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである。詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。
私は頭が良くないので、自分に管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。
なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。
営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニでアイス買ってお昼寝できる。
楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである。
たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。
修理部門に異動になった理由は何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。
でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。
担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。
それに思うように手が動かない。
10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。
今の会社は労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。
転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードでしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえ、あんまりだ。
今の会社に転職してきた理由は、ダブルリードの経験を積みたかったから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社に未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。
入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。
管楽器の修理をやろうとする人間は陰キャが多い。陽キャは音大に行く。音大はヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身の人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口はやばい。ヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。
しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。
この業界には40代50代になっても高校のときに吹奏楽コンクールで全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。
しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。
私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。
泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。
修理を今更やる気になれない。ダブルリードの経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。
営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業のアファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。
平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒で女性を採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業に抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。
おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAXで写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。
それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。
育成前提で業界未経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。
悲しすぎる。今の会社、業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。
そういえば新卒のときの月給は12万だった。地方。総支給。ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。
つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。
結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。
そんなことより明日は休みなので阪神の優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間とお金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから。
でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。
※タイトルに「うっかり」と書く程度には地雷が豊富な話題です。やたらめったらに人を傷つけたくはないです。「うっかり妊娠」がグサッときた人は読まない方が良いと思います。
結婚8年、夫婦二人暮らし。最近性生活はお互い淡白だったのにたまたま気が向いて、クリスマスイブに数か月ぶりにセックスした。ベタすぎて恥ずかしい。
中学生みたいなバカな言い訳をさせてほしい。「コンドームはちゃんとしてたんです!」
夫は勃起不全気味な上に早漏で、装着時間は確かに短かったかもしれない。が二人で思い返してみても陰茎と膣が生で接触していたタイミングは殆ど無かったように記憶しており(挿入時はずっと装着していたし素股もしていない)、一体全体夫の精子がどうやって私の卵管まで到達したのか皆目見当がつかない。挿入時に夫の分泌液が付いた手でちょっと私の膣の入口を触ったとかはあったかもしれない。あとは口淫のとき…?そのくらいしか原因が浮かばない。いい歳して情けない。
私は年明け早々1週間遠方へ出張に行き、帰ってきても出張疲れがいつまで経ってもとれないなぁ、風邪ひいたかもなぁと思いながらゴロゴロしていた。しかも生理が始まらない。そんな馬鹿なと思いつつ妊娠検査薬を試したら一瞬で線が表れた。目の前が真っ暗になりながら帰宅した夫に玄関で検査薬の線を見せた。彼も唖然としながら「セックスって本当に交尾なんだね…」と馬鹿みたいな台詞をこぼした。はは…わかる……(全然笑い事じゃない)
コンドーム以外の避妊も同時に行わなかったことを激しく後悔した。ピルで体調を崩したことがあるので私はピルは飲めない。それなら、セックスの頻度が減っていたとしても子宮内避妊具も選択すべきだった。何もかも後の祭りである。最悪の気分だった。
2日後二人で半休をとり近所の産婦人科へ胎嚢と心拍を確認しにいった。げ。やっぱり妊娠していた。帰宅後、午後出勤までの30分間で夫と軽く話した。「せっかくできた命が勿体ない」といった生半可な気持ちで妊娠を継続してはいけない認識だけお互い再確認して、とりあえず午後の仕事にとりかかった。とにかく時間がない。産むか、中絶か。早く結論を出さなければと焦り、その日は全然仕事が手につかなかった。
私達は子無し派だ。周りにも「子ども自体は好き」を添えてそう伝えてきた。大いに働いて、人並みよりちょぴり多めに稼いでその分しっかり納税してきたし、時短勤務による仕事の肩代わりもまぁそんなもんだろうと特に何の抵抗感も無くこなしてきた。そのお陰かは分からないがお互いちょっぴり昇進もさせてもらってきた。こっちは将来に向けてコツコツ貯金しておくから税金は子どもにじゃんじゃん使って欲しい、なんなら(現実的には難しいが)子無し税や、もっと大胆な妊活助成金・給付金を創設してくれよと思うくらいには「子持ち応援寄りの子無し派」で生きてきたつもりだ。
そうまでしても子どもを持ちたくなかったのは、かいつまんで言うともう夫は将来に向けて暮らしのイメージが固まっており(私もそのイメージにとても共感していた)子を持つと実現が金銭的に難しくなるのは明らかだったからで、私の場合は親族含め実親…特に父親がかなりアレな人で(よくあるパターン乙)自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしかったからである。
混乱の胎嚢心拍確認日から2週間、毎晩夫が帰宅してから子どもがいる人生(産む選択)と子どもがいない人生(中絶し避妊具を装着し続ける選択)、どっちを選択するか話し合った。
個人・共有資産を細々と洗い出したり、現在の仕事のポジションや夢を出し合ってお互いの将来性を皮算用してみたり、将来の暮らしのイメージをもう一回言語化してみたり、子ども時代にどういった教育を受けてきたのか振り返ったりしながら子無しの人生を継続していくことでどんな楽しみが待っていると感じるか…。それはそれとして、先述の「子どもを持ちたくない理由」をクリアするためには何をしなければいけないか、その上で何を諦めることになるか、諦める内容は納得できることなのか等々……
泣いたりイライラしたり、とりとめのない話を挟みながらひたすら意見を出し合った。今思うとサクッと中絶を選ばなかったのは、既に子に対する情みたいなものが生まれていたからなのかもしれない……
2週間話した結果、夫が持つ将来に向けての暮らしのイメージが叶えられなくなる懸念については「将来のイメージは結局のところ増田ちゃんと一緒に年老いていくのを楽しむために今まで抱いてきたもので…だから形が変わっても増田ちゃんが一緒なら楽しめるのではないかと、話し合いを進める中で思うようになってきた。だから子供を持とう」と、夫は結論付けてくれた。
私も2週間話し合いを進める中で「おや?これは子を産んでも、少なくとも父親は良い人だからなんとかなるのでは…?」という気持ちが生まれてきていた。自分が良い親になれるかは分からない。全然そんな自信がない。しかし少なくとも父親はまともだ。夫と子に向き合うことで全然違う親像を学べるような、そんな気がした。そこで「子どもを持つ」ことは絶対確定事項とし、私たちは振り返らずに走り出すことにした。どんな子が生まれようと結局話し合いで出た結論に戻るだろう、とお互い考えたので出生前診断もやめた。
私の子どもを持ちたくない理由(自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしい)は、妊娠生活の中で徐々に噛み砕かれていった。
妊娠は何十、何百回も「人による」を実感させられる現象だ。妊娠に伴うマイナートラブルをスマホで調べると無数の妊娠レポが出てきて、そのどれもがちょっとずつ違った。私と似たような体験をした人もいれば正反対の症状に苦しんでいる人もザラにいた。私は徐々に他人の投稿した妊娠レポを参考にしなくなり、そうしているうちに私の親がした子育ても、ネットに無数に漂う妊娠レポ達と同程度なのではと思うようになっていった。
毒親育ちの人に「自分の人生を生きましょう」なんて言葉がかけられがちだが、それができたら苦労しないでしょ、これだから恵まれた人間は…と私は常々思ってきた。が、毎日のように「人による」を実感させられると、なるほどそうとしか思えなくなるものだ。私もこれから子育ての苦労を何度も何度も味わうことになるだろう。でも親が行った子育ての苦労に思いを馳せる必要はない。なぜなら「人による」から。あの人はあの人で勝手に子どもを作って勝手に育てただけだ。私の腹から出てくるのは私ではない。ただただ反面教師にして私も勝手にすりゃいい、と今は思っている。
正直まだ赤ちゃんがカワイイとかそういう感情は今一つわからない。でも生んだらあとはもう一心不乱に夫と走るしかなくて、走って走って、気が付いたら10年20年が経っているような予感がしている。
子どもは今月のどこかで生まれる予定で、まだどんな子かはわからない。その分、頭でっかちになれるのは今のうちだと思ったので書いてみた。
子が1歳になったときにこの増田を読み返して「こんなバカなこと頭の中で捏ね繰り回してたんだな」と笑えたら良いなと思っている。
学校が休みの日、きまって両親は働いていた。土曜も、日曜も、祝日も、夏休みも、春休みも、正月も。
学校の友達にも親が旅館や飲食店で働いている子が何人もいて、みんなうちと似たような感じだったから、それが普通なんだと思っていた。
でも、自分も家族旅行に行ってみたいと憧れてわがままを言うことはままあったので、本心では寂しかったのかもしれない。
幸いにも自分には1歳下に妹がおり大変仲が良かったので、親がいないときは一緒にゲームをしたりビデオを見たり絵を描いたりして遊んでいた。
先日、別府市が、家族旅行で学校を休んでも3日間までなら欠席扱いにしないことにするというニュースを見た。とても良い取り組みだと思った。
自分が子どもの頃に同じ取り組みがあったとしてもうちの両親なら結局休まず働いていそうだが、制度をちゃんと活用する家庭もたくさんあるだろう。
家族との時間を大切にしながら働いている親を見ていれば、自分も将来は別府で働こうと思う子どもたちも増えるかもしれない。
自分は両親のようには働けないと思い、実家を継ぎたくない一心で東京へ逃げもう何年も連絡をとっていないが、そうならない未来もあったのかもしれない。
要らないものを捨てるのは環境に悪いという一心から、ジモティーで出品をしています。
きょう、出品していたちゃぶ台(500円)にメッセージが届きました。現物確認してもよいかとのこと。
はっきり言って対面取引に割く時間ですべき仕事が山のようにあるので、ふだんは非対面取引にしています。でも休日で家にいるし、まあいいかと思ってその旨を伝えました。
ちゃぶ台と衣類を合わせて1,000円、それぞれ手にとって眺めた後一瞬上目遣いの間があって、「合わせて500円でどうですかね?」と。
お前...スクーターのナンバープレートから見るに、きっと隣の市から片道15分はかけてきてるだろうに、たかだか500円を値切るのか...?
っていうか現物を見たいって値引き交渉したいってニュアンスだったのか...?キモい...
別に値引きしてもよかったのだけど、こちとら住所まで晒してるのに「こいつは値引きが通じるやつだ』と思われるのが嫌すぎる。
「バイクで運びづらい」だの「天板が思ったより汚い」だの言い訳が二転三転するのも腹が立つ。写真載せたしサイズも書いたろうがよ...💢
値引き交渉が楽しいのは認めるけど、それはフリマかどこかで勝手にやってくれ。
おじさんは結局ちゃぶ台は買わず、洋服だけを500円で買っていきました。
というわけでまとめると
・値引き交渉をするな
・仮にするとして後出しでするな