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はてなキーワード: ラブライブとは

2016-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20160527114605

普通に市場規模の違いじゃないの?アニメ興味ない知人とかでもまどまぎとラブライブは知ってる。

実際、自分アニメは見ないが、なんとなく「ほむら」「スクールアイドル」くらいのキーワードは知ってる。ガルパンガルパンという言葉の響きがなんかイイということしかわからん

ラブライブまどマギフィルム100万超す値がついたり

けいおんでも10クラスの値が付くのに

ガルパンフィルムは付いても1万ちょっとくらい

金持ちが付いてるかどうかなのかこういうの

それともガルパン本当は人気ないのかしら

2016-05-13

はぁ・・・

これ以上は本当にやめてあげて欲しい。

声優ファンでもラブライブファンでもなんでもないのだけれど、心苦しい。

avに出たのは自己責任映像権利av会社が持っている、今出せばavは売れる。

からってやっちゃダメでしょ…。

何かあってからじゃ遅いんだよ。そのとき自己責任

2016-05-07

記事が出てから一ヶ月経ったので現状を整理すると

新田恵海デビュー前にAVに出演してたのかどうかは「不明

 → アサヒ芸能が名指しで「出演疑惑」の記事を載せた(事実

 → 事務所は本人に確認した上で「出演したことはない」と発表(事実

 → アサヒ芸能は本誌発売直後にWeb記事を削除した。以後復活していない(事実

 → 東スポは「当人は「またこれなの?」と言って嗤っている」という記事を載せた(記事存在事実

 → サイゾー系列の主にサイゾーウーマンは「アサヒ芸能は確実な証拠を掴んでいる」という記事を載せたが、その後アサヒ芸能に動きはない(憶測

 → サイゾーウーマン株式会社Sの声優取材徳間書店が行えなくなった、と言う記事を載せたが、株式会社S・徳間書店双方から否定リリースが出る(事実

記事以外の動きでは

ネット上では、歯やほくろの位置、声紋などを持ち出して「確定」と決めつけている者もいるが、「本人である」という確定情報公式には出ていない

騒動に巻き込まれ新田恵海は、リリースイベント時間短縮&厳重警備の上でそれでも実施し完走(事実

スキャンダル記事以降、ニコ生が1回お流れにはなったが、それ以外のレギュラーネットラジオ地上波ラジオへのコメント出演、地上波テレビナレーションレギュラーアニメ作品などから降板という動きはない(憶測

・この手のイメージを気にするであろうNHKレギュラー番組ナレーション継続Eテレでのラブライブ二期の再放送も無事開始、告知ミニ番組ナレーション新田恵海担当していた。

・その後の大ヴァンガ&大バディ祭では特に厳重警備など無く通常の運営の元でステージ出演している(事実

当人キャラクターボイスを務める1000ちゃん(パチンコメーカーイメージキャラクター)がキングレコードからメジャーデビュー決定(事実

・2ndライブ特に変更無く開催予定でチケット販売

・1stライブBlu-ray発売告知CMも、ブシロード提供している番組では普通に流れている。

新田恵海激やせしたと見るファンも居る(筆者は判断を避ける)

結論として

・今回のスキャンダル記事は、彼女仕事を失うほどのモノではなかった。

・一部記事徳間株式会社Sに否定されたことにより、サイゾーの他の記事に対しても疑念がわく

アサヒ芸能側も結局「疑惑」以上のことは今は言えていない

新田恵海本人に心理的ダメージはあったのかもしれないが、仕事は通常通り行えているようではある

・つまるところ「割とどうでもいいゴシップ誌の与太記事」として、現場では切り捨てられてそうではある。

まり宮村優子の時と同じで、このまま有耶無耶になるのだろう。まぁ、そんなもんなんだろうな。

キャリアを積めば、どうでも良くなる話だったのだろう。

2016-05-03

社会人になってからオタトークする相手がいない

社会人1年目

卒業して3週間だけど久しぶりに大学の同期と遊んできた

山登りとか飲みとかいろいろしたけど一番楽しかったのはオタカラオケ

気付いたけど社会人になってから誰ともオタトークしてない

今期の推しアニメについて語り合ってない

ラブライブについて語り合ってない

同期とは糞みたいな差し障りのない話しかしてない。朝も昼も帰りも。

趣味について語り合える仲間がほしい。

同期はみんな非オタから無理

つらい

どうしよう

GW明けてから働きたくない。

あーあ………。

2016-05-02

AbemaTVアニメ一挙放送をただひたすらTwitterて実況してる人がいるんだけど

せっかくの連休なのに寂しすぎないか?

何度も繰り返し放送されてたラブライブを実況してた時は流石に引いたわ。

2016-04-24

公式から

ラブライバー向けの注意文が出てるけど…

何かトラブルが起こっても公式は知らんぜーっていうのなら

観光地自体ラブライブ応援しない限り

ラブライブ関係目的訪問するのはやめてねって言ったほうがいいんじゃないの。

ガルパンとかと違って歓迎されない感じがぷんぷん臭ってるんだけど。

2016-04-15

コンテンツの広がりがさまざまな層に受けていることだとするなら

おそ松さんは今のところ一番広がりを持っているオタコンテンツではなかろうか

次点ラブライブ

2016-04-13

アイマス既存オタク文脈で読めるけどラブライブはまったくの別物で観測史上こんなことはあんまりなかったので戸惑っている

http://anond.hatelabo.jp/20160413211142

十分気持ち悪いから自信もって布教するといいよ

俺は二次元しか興味ないからラブライブとかその手の三次元リンクした話しされても困る

二次コンの人はBLカフェとか絶対に興味持たないから布教相手は見極めた方がいいと思うよー

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい③

http://anond.hatelabo.jp/20160413011603

映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成演出楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)


 京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性TV1期から存在する事は明らかです。漫画小説では表現できないアニメならではの作品とする方向性

どのように構成演出楽曲が一体となって表現されているか説明して頂けないと解釈が難しいです。また、一体となっていないことを表すもつれが構成存在することについては、おりあそ氏の記事やそれに対する自分考察記事などでも言及されています。それを全部放り捨てて「一体となってます」と無理矢理言い張られても困惑します。

しかするとアニメならではの作品として表現したいという方向性が一環していてそのために構成演出楽曲すべてが一体となっているという意味でしょうか…。だとしたらその姿勢や結果に致命的な怠りが存在しているので問題があるという話を何度もしています。そしてそれは言い換えると全てを雑にやろうという意図がしっかりしているみたいな状態です。

劇場版でSDSのライブシーンで海未がいるはずの所に存在せず作画ミスだと物議を醸したことがありました。海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。

絶賛派はそれについても全体的な表現として問題ないからどうでもいいというつもりでしょうか。呆れるしかありません。


自分価値観絶対ではない


 それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。

ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)


 まあひどい言われ方ですね(笑)

海外ドラマにのっぺりとした無個性二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』


 ため息がでます・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょうね。

自分価値観相手価値観絶対ではないのです。そんなことは発言する時の広く大きな前提です。その自己嫌悪の苦しみと戦いながら内へ外へと開いていくものです。

このように結局は絶賛派が批判派に対して主として持ち出すのはファンとしての立場の在り方的な話です。作品の内容を論じる場でそれを用いても、今まで論じてきておいて今さら何を言っているんだろう…?と思ってしまます

一時期流行ったように「それはあなた感想ですよね?」と返せば全てが解決するわけではありません。それは元も子もない大前提ですし、お互い様になってしまます

自分感想他者感想として言っていたなら問題あるでしょうけれど、互いに自分感想を真っ向から述べているはずの場です。

また、絶賛派の考えがその作品としての在り方を照らし合わせて見た時に論理的妥当性を欠いていて即時的で表面的な感想じみていることは、この記事でもずっと指摘してきていますし、そこを検討してみてほしいところです。

もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。


 増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田自分論理に無理があると薄々気づいているはずです。


 多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。

洗脳だろうと幻覚だろうと感動したらしい人達が沢山いたことは確かでしょうから、そのことには一定価値があると思います

しかし、主に内容自体の在り方を主題として論じていたところで「お前が何を言っても感動した奴は沢山いるんだぞ」という内容自体考察から距離が離れた根拠を持ち出されても、たまたま都合がいい形で現れた現実に縋りながら、内容そのものという真実から目をそらしているように映ります。内容に対する真実の好きを手に入れたいと思わないのでしょうか。好きという状態さえあればいい、そんないまが最高だからいいのでしょうか…。


君、原理主義に陥る事なかれ


 自分価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います


 『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しか現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。


 正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。


 増田自分の好きなものポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)


 私にとっても『駄作・理解不可能』な作品世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分認識不足自覚し考えを改めます


 増田本来は同じだと思いますしかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。

確かに理解不能作品が売れたり評価されたりしている状態不愉快ものですが、人気がなくても好みなのでしかたがない。一方で人気があっても嫌いなのは好みなのでしかたがない。芸術はそういうものだと思います

どの現実真実により近いのかは分かりません。だからより感じて考えて主張して反応を見て…などという行為意味も生まれるのでしょう。

 『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。


.

 私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。

投稿においては確かにアニメ以降の批判が多いかもしれませんが、それでも初期の良さも述べていますし、また、先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども、肯定で終わらせられるわけがいくらいにラブライブというプロジェクトは致命的な問題が山積みなのです。

それを好きな人擁護する人が多いから問題ないとするのは思考停止です。犯罪はバレなきゃいい理論に似ています

自分現実的に考えて、作品是正されることや、社会的糾弾されることにはもはや期待していません。作品が終わる折に思い出を語るように純粋意見を発信する目的で述べています

純粋さと不純さどちらがいいとも悪いとも時によりけりではありますが、作品批判されたくないために内容の状態にかかわらず擁護するというのは不純です。内容自体に対して、また自分自身に対しても純粋でないために説得力が不足しています

今回は意見交換になってますが、元はただ作品内容の問題点感想としてただ述べているだけでした。

そのように純粋意見独り言のように発しただけの投稿を態々発見して頂き、読むだけでなく反応を返してくださったことはとても貴重なことで有り難く思います。そのような純粋な喜びは励みになります


補足など

以下は補足説明に対して述べます自分の補足説明にもなりますね。

*補足1*

はいメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。

名前とか見た目や声だけ同じμ’sでもキャラ作品内容が根本的な所から違いすぎるのでそれを乱暴に同一人物が出演してるかのようにまとめてしまうのは逆に問題があります

*補足2*

パクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています

せっかく自分パクリじゃなくても滅茶苦茶つまらないからクソだみたいな身も蓋もない独断偏見を避けて説明したのに対して、まるでどこにでもあるようなパクライブ批判に対して反応するかのようにざっくりいかれてしまって残念です。

とりあえず配慮の足りてない意図から内容を歪め、配慮の足らない結果になってしまったことが問題なのですと繰り返し強調しておきます

*補足6*

「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味

ひどい皮肉ですね(笑)しろ私は『今が最高』の本来意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』※(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。

もちろんその点にも怒っているというか呆れていましたが、その点は言うまでもないほどのことですので…。過去のことや積み重ねてきたものをしっかりと大事にしながら、今を成し遂げたなら今が最高もいい言葉になるんでしょうが、そうではないので残念でしたね。結局、大事原案とか過去とのつながりを普段どうでもいいと思っているくせに困った時だけメディアミックスを持ち出してみたり、黎明期声優のことに思いを馳せて声優を思いやれるファンを気取る程度のファッション的なファンにとって都合良く理由はないが今が何より良い気分だということと、積み重ねを感じているふりをできるということを表せる都合のいいフレーズになりましたね。


*補足7*

ラブライブ!PVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPV二次元化であり』- ②より引用


私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います結論が違うのはやはり増田原案重視だからではないでしょうか。

架空アイドルコミック化~化…という作品なら特に珍しくなく、今に始まったことじゃないですから当時に期待するものとしては価値見出しませんでしたね。

実際公式がどうしようとしていたのかは分かりませんが、自分が当時の状態を見て想定し、期待した魅力ある展開の仕方はそれだったということです。

そこについては原案重視とかそういう問題ではありませんし、また、アニメ以降の在り方を評するならともかく、アニメ以降の立場から物言いでその点を論じるとかなり捏造に近いと思います

また、ここで原理主義的だとか原案厨や原作厨というものについても言及しておきますが、それらはよく批判されますけど、それが重視されるのは時により人により残念かもしれませんが当然だと思います

そこについては逆に原作を好きじゃない作品の展開について考えていた時に至った考えです。結局は原作が一番偉いから仕方ないと思わなきゃいけないんだと自分を納得させました。その作品をその作品たらしめるのは原作であって、原作者であるべきなんだろうと考えたのです。

まり原案原作こそ作品にとって最も重要アイデンティティとなり、軸となる要素ですから、その要素が消えて倒れてしまったら、もはや元とは無関係作品です。

実際アニメ以降のラブライブラブライブ無関係学生が歌って踊る作品としてならば積極的評価できる部分も増えてくると思いますが(それでも色々盗作などの問題点はありますが)、『ラブライブ!』として見たら間違ってもとても快い気持ちで見られる作品ではないということです。

カップヌードルカップヌードルで美味しいと思いますけどステーキ屋で高級ステーキを食べられると思いそれを期待して頼んだ時にカップヌードルが出てきたら快い気持ちになるでしょうか。

それをカップヌードルステーキと違ってただ肉を焼いただけではなく素晴らしい発明で最低限肉も入っていてステーキよりむしろ素晴らしいんだとかなんとか言われても一理なくはないですが困りませんか?

それぞれをそれぞれに例えたわけじゃないですが、自分が感じる納得できなさはそのような感じなのです。

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい②

http://anond.hatelabo.jp/20160413011057

正負のエネルギー

負のエネルギー対義語は正のエネルギーなのでしょうか。

正のエネルギーとは必ず正しいエネルギーたりえるでしょうか。仮にそうだとしても絶賛派の持つエネルギーはそれにふさわしいものでしょうか。

恐らくそ根拠としては何事も賛美することや推進することこそが正のエネルギーだという思想なのでしょうけれど、悪事や間違いを推進することは正のエネルギーと呼べるのでしょうか。悪事や間違いを批判することも負のエネルギーなのでしょうか。

そしていきなりそのような立場に立ってしまうと、議論する物事善悪や正誤の考察をする前提をすっ飛ばししまっているように思われてしまます。そしてそのような所に絶賛派ラブライバー宗教的だとか、盲目的で妄信的だと呼ばれる所以があります


また、そもそも私的体験の話をすれば、アニメ1期の時点では自分アニメの内容の嫌な部分に目をつぶりながら作品全体の動向をポジティブ応援しようとしていたのです。しかし2期以降、先述のように作品展開の裏切り汚染が加速拡大していくのを目の当たりにし、目を覚まして絶望するしか無かったのです。


絶賛派の大多数は初期作品群を否定していません

とありますが、肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います

アニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう。


自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?


アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為ラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。

と、絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります。そこがアイドルヲタクというよりジャニーズヲタク的で、女々しく感じます

また、批判への批判ですら批判であることや、何かを肯定する時には別の何かの否定を孕んでいることが多いことも留意しなければならないように思います

恐らく全てを好みの問題で済ませられると考えているか脳天気に、表立って批判する奴が悪いと言えるのでしょうが盗作問題などをはじめとした不可解な部分、問題があると指摘した部分を深く検討していただけないと原案派への本当の理解や同情は難しいと思います

悪い所があったり、悪いことをしていたりしてもそれを批判することは悪いことだという考え方にはぞっとするものがあります。まるで盲目的な自分達を認めてほしいから目を覚ますようなことを言わないでくれと言っているかのようです。

ただ単につまらない、嫌いというだけで批判しないで済む状態であれば態々大きく批判しなくていいかもしれませんが、そのような甘く生温い状況ではないことを2期以降に強く痛感したのです。その内容の説明は既に先の記事でも今回の記事でもしていますが…。

それと、乱雑な感情論理から導かれる暴力的な賛美や批判と、真摯感情論理から導かれる賛美&批判を一まとめにして考えることはナンセンスだと思います

そのような指摘をみても、やはりアニメ劇場版ラブライブ2013年以降の作品プロジェクト全体は、積み重ねや面倒臭い決め事を破棄して、表面的で浅いつながりで結ばれた妥協馴れ合いの間に合わせで叶えた物語好きな人に支持された作品だったんだなと思えてきます

好きだからこそより高みを目指したい、好きだからこそ勿体ない部分を指摘する、批判するという発想がないのでしょうか。ラブライブはもはや好きとはいいがたい作品に成り果てましたが、自分は好きな作品でも問題のある部分については批判します。好きだからこそ正直で誠実に向き合いたいからです。その点の行動をするかしないかについては好みで問題ないとは思いますが。


 あえて単純化して例えれば、ピカソキュビズム絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンス議論なのです。

この点は先述のレストランの例えで説明しましたが前提のズレがありますラブライブ場合、写実画というには写実的から程遠く、キュビズムの方向に傾かせたというには写実的すぎるという半端な状態です。それがいいといえばそれまでですが、それが悪いといえばそれもそれまでです。

そしてそれらが地味で不規則な所を見ると、ただのミスなのではないかという気がしてなりません。また、ラブライブ芸術作品という意味ではキュビズム絵画と同じでも一枚の絵でも一つの彫刻でもありません。ストーリー作品キャラクター作品物語なのです。さらにあのアニメ内でも『みんなで叶える「物語」』などと言ってしまっています

まりラブライブという作品キャラクター性や物語性の描写の在り方について審議されるのは当然ですし、ましてやそれを無視してしまうだけでなく、無視して見る方が正しいかのように主張する態度は、作品評価をする上で致命的な怠りがあるように思います


 増田の観たかったものは、キャラクター内面リアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?

アイマスといっても色々ありますが、本家アイマスシンデレラガールズ(一応双方アニメのとしておきます)などはアニメラブライブよりはともかく、物語性などについても、キャラクターが多すぎることや、原作主人公であるプロデューサー存在が軸となりすぎていることもあって内面の掘り下げについて理想には少し遠い面があります。またアイマス原作ギャルゲー風の育成ゲーム芸能界作品ですし、そのような物語性やキャラクター性などの部分への描写を前提する要素がラブライブより少ないことがその部分において許されやすい部分はあるかもしれません。

ただ、アイマス声優などの外部のネタキャラ作品に持ち込む二次創作的な風潮がラブライブより強く、そこが支持されてもいますがそこは自分にあまり馴染まない部分ですし、そこはラブライブには真似してほしくなかったのですが結果的追従するように似たような道を歩んでいってしまった印象があります

それでも、アイマス原作ゲームであるという絶対的な軸があり、キャラクター的にもその区分け比較大事にしているので、ラブライブよりはファン棲み分けがしやすくなっているように思います

自分ラブライブ応援する以前にアイマスが好きだったのですが、アイマス2騒動距離をとるようになりました。あれも作品公式運営への不信感を感じる騒動でしたけれど、その後アイマスは先述の区分けのおかげでなんとか致命的に沈み込むことはなく持ち直していったように感じています。また、当時のファンの多くが大きく問題視して糾弾したのも現状に対して盲目的で内容に興味があるのか疑問を抱いてしまラブライバーの多くとは違う点でしたね。あまり高く評価するつもりはないのですが、結果的にはアイマス場合ファン意思がある程度「プロデューサー」として作用し反映されたおかげかもしれません。

対して、ラブライブに期待していた広い意味でのコンテンツの在り方は前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20160330020728言及した通りですが、そこでも述べた通り、ラブライブというプロジェクトファン意思存在を「みんな」の中から排除したものだったという気がしてなりません。


京極監督花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドル表現したのです。

アニメならではの特徴を利用したとしても、アニメでも表現できることを怠りすぎていたので批判されていることも考えていただきたいように思います

物語性を「軛」と表現していますが、それは致命的な配慮の怠りで思い上がりですね。絶賛派は似たようなことを言うのである意味信頼できますが苦笑します。

別のとある絶賛派の人はキャラクター描写について批判する人をキャラクター至上主義ダメ批判したりしていますが、裏を返すと絶賛派は表現至上主義なわけです。

また、キャラクター性や物語性の描写の拙さを批判する人達別にアニメ表現演出のあり方を否定していません。

対して絶賛派はあの表現演出さえあれば物語性やキャラクター性の描写不要だ、ない方がいいくら否定的に捉えているわけです。表現演出をそれらの免罪符のように扱っているのですから

しかし、先述の例えのようにシリーズアニメにおいて表現演出というのはキャラクター物語性の拙さを打ち消す免罪符に足るものではありません。

まあメタ的に、「アイドルアイドルファンというのは実はこんなに狂気的で下らないものだ」というのを、アニメ全体を使って表現したというのであれば、それはある種のテロリズム芸術として評価できるかもしれません。

そういうものオリジナル作品勝手にやったのであればそういう作品性面白い有意義だと手放しでいえた可能性があったと思いますしかし、元々の作品の指針としてコンセプトが違う原案存在する作品を預かりながらそれを行い、それらを生かしたとは到底言い難い状態にある作品となったので好き嫌いを超えた善悪問題批判しているのです。

現実的であったり表現主義的であったりする要素を作品にあってはならない要素だとは思っていませんし、何度もいうようにそこを特別批判しているわけではありません。

せっかくのシリーズアニメ作品で、物語形式だったのですからそのような最重要の部分を十分生かして欲しかったのです。

そして批判派の多くは勝手ミュージカルをするなとか急に踊り出すなとかいうのを言っているのではなく、そのような表現主義的な意図があるとは思えない単純な所でもただのミスではないかというような違和感を抱く描写があり、その点への指摘や批判すら絶賛派が、全ては芸術的表現からそれでいいんだというように無理矢理擁護してしまうためにうんざりしているのです。

仰っているような表現方法などに特化しただけのものでいいのならオリジナル作品や、またはそれこそ、PVだけ作っていてくれればよかったと思います

それに対して「いやあの形のアニメからいいんだ」と主張する場合理由は、おそらく知名度が上がりやすく人気が出やすからでしょう。

確かにラブライブというコンテンツは人気が出て欲しかったですし、知名度さえ上がれば元のままで高く評価されることが可能なポテンシャルは十二分にあったと感じていましたが、絶賛派が表現主義的に評価するアニメを、あの形でアニメ化しなければならなかったとする根拠を考えると、人気が出た作品ファンを名乗りたいという表面的な所に帰結していくように思います

今となってはアニメ化せずに人気が出なくてもアニメPV付きシングルがもう何曲も出ていた方がただのファンとしてなら幸せだったなと感じます

表現方法などが優れているとしても、前の記事でも言ったようにかつての作品の在り方とそれらの表現手法などは両立できたでしょうに、最初からしない道を選んだことを批判しているのです。

また、それがオリジナリティに溢れていたならまだしも、元々の原案に沿うことを拒絶しながら他の無関係作品は平気で参考にして適当になぞらせるようにストーリーキャラクター設定を(前回の記事説明したような)稚拙配慮の下に歪ませてしまったことが甚だしく受け入れがたい問題点なのです。

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①

はじめに

返信有難うございます

また長くなってしまい、面倒臭い人間申し訳ありません。

レイアウト問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。

多少機械的になりますが、考察反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います


まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。

一応、どうしても楽しめない境遇可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さら相手感情思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います

また、「かわいそう」といえば、自分アニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。

そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。


ところで、

一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。


また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。

勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります

おりあそ氏やkato19氏は自分考察批判を読んで、「自分記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。

個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判論理を受け止めてほしかったと思います特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。

様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。

例えると、本来議論平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります


批判派と絶賛派の勢力状態、それぞれのエネルギー根拠

次に、細かい内容について見ていきたいと思います

(批判派は)呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています

とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログ書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます

おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。

また、普通は相反する立場相手意見を交わす際には自分意見相手意見比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分意見説得力の有無などよりも、相手意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります

そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分自分たちファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体評価を行う上ではズレが生じていると思われます

また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体スポークスマンのように便宜上賛美、擁護立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます


一方で、自分やその他の原案アニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見根拠概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います

その上で、

コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空アイドルアニメに出演している、そういうものですよね?

と氏の記事にも言及があるように、ラブライブメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。

原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメ声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます

それはつまるところ、「アニメメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。

実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからスルーしつつ、基本的ポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。

しかし、PVCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。

メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います

しかスクフェススクパラ、ドラマCDPVライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)

いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色から許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。

まり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスから許しなさいという理論説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。

また、アニメにおいて原案方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています

glee盗作騒動自分絶望アニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写凄惨状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品キャラクターを扱う上での倫理的善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります

絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深問題から目をそらしながらの朦朧とした感情論理から批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。

仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品批判されたくないとか、好きな作品パッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。


内容に対する好きの根拠価値

kato19氏や自分思い当たる絶賛派の何人かもアニメ作品表現演出評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合表現曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来キャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています

ただ、絶賛派が作品物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品演出などが安易パクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…


たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人から好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠アピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます

kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠評価する根拠を読んでいると、その作品ラブライブという作品であることの意味価値殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案原作物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。

おりあそ氏の批判や先の自分考察反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。

絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います

そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現演出その部分だけを見て論じる第三者的評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。

その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。

高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナー建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストラン料理包括的意味でのファン評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質料理提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。

レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員いるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員ファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います

この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出声優スタッフなどにあたるでしょうか。

秋元が頭の悪い曲を作って炎上しているが

アインシュタインよりディアナグロンって曲で何故か海外ドラマglee実在女優名前を使い、女の子バカでいい可愛ければいい愛されないと意味がない的なドラマ女優真逆な歌詞を書いて炎上している

http://blog.livedoor.jp/akbg_kashi/archives/58056439.html

普通にバカ女の子の歌をやっておけば炎上しなかっただろうに、何故見たこともないドラマ名前を盛り込んでしまったのだろうか、なぜ秀才キャラ勉強できない可愛ければいいバカ代名詞に使ったのだろう

内容的にターゲットキモオタだと思われるし、キモオタgleeやらディアナグロンなんて解らないし、ドラマ好きな人からしたらドラマを汚されて怒りしかわかんだろ

丁度いい具合にラブライブgleeをパクってるし、キモオタへのアピールにもなるからラブライブでいいじゃん

アインシュタインより絢瀬絵里テストの点以上瞳の大きさ気になる

どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない

スカートひらひらさせてラブライブのように

だったら女も怒らんしキモオタも喜んだだろ、海外有名ドラマ女優を持ってきて何がしたかったの、下手したらまた海外ニュースになって日本男女差別は酷いねーと言われる可能性もある、秋元意味わからん

2016-04-10

アニメ版ラブライブ批判への反論書きましたよ!

http://anond.hatelabo.jp/20160331015322

元増田言及してもらったkato19です。

やっぱり遅くなっちゃいましたが、ようやく書きあがりました。

ただレイアウト上の問題と、書いているうちに自分コンテンツにしたくなってしまったので(笑)自分ブログ公開しました

お手数ですけど私のブログで見てください。

ラブライブ!批判への回答:批判派の負のエネルギーを消し去りたい!』

http://kato19.blogspot.jp/2016/04/lovelive-hihan.html

やっぱり反論って書くの疲れますけど、自分の心の整理にもなりますね。

自分の中のあやふやな部分も整理できた気がします。

あ、でもやっぱり議論平行線なのですけどね・・・

もし返信はあれば、こちらに書いていただいて結構ですよ。

たまにチェックしておきます。それでは!

2016-04-08

限られた時間の中で輝くのは

アニメラブライブ高坂穂乃果が「限られた時間の中で輝くスクールアイドルが好き」と言ってたけど、あれは過去がバレるまでの限られた時間の中で輝く中の人のことを表したメタネタだったのか…?

2016-04-07

最近話題AV

例のAVを買ってDLしてみた。

結論エロかった、十分使えます

これが穂乃果ちゃんの声の声優がやってると思ったらよけい興奮してやばです

あと思ったのが声優って顔出しする必要ってあるのか?

アニメが売れて人気が上がってメジャー&歌手デビューとかあるけどたいして売れてないんじゃないの?

声のお仕事だしエロゲとかに出演することもあるかもしれない。というか今のアニメでもかなり際どいセリフもあるしこれはもういいのかもしれないけどw

キャラに恋することはあってもその中の人容姿なんてどうでもいいのだ、声は重要だけど。

ラブライブは好きか嫌いかで聞かれたら好きだけどそこまでではないので私は余裕でシコれました、ありがとう

百マス計算キャラゲー

ラブライブアイマスキャラみたいなのが、

応援してくれたり育てられる百マス計算ゲームさないの?

なんでつまんねえパズル作業ゲーをやらなきないけないんだよ

百マス計算の方がよっぽど達成感あるだろ。

スコアを反映させるようにすれば射幸心煽りまくりじゃん。

ラブライブ新田恵海とかよく知らんけどハメ撮りで喘ぎまくってる動画が700円で買えるのに

下手糞な歌が収録されたアルバム3000円で買ってるオタクかいるの?

ウザイオタクの事例

ラブライブ女性声優AVに出てたとか、出てないとかそういう議論燃え上がる世間を見て一言

「なんだ…。エヴァンゲリオンみやむーが通った道じゃないか。今更どうこう言っているのは余程若いんだろうね」

ちなみにこのオタクは前々からウザイ発言を繰り返している。

●ある作品が、とんでもない展開になったとき

「○○(お気に入り作者名)だからしょうがない」

「俺らに媚びない姿勢ある意味○○っぽい」

※○○=平野耕太押井守荒木飛呂彦などなど

●馬の擬人化が発表されたとき

日本人想像力の豊かさはヤバイ海外に負ける気がしない。でも、擬人化金字塔を打ち立てたのはやっぱり艦これだよね。」

なんか、言葉論理的に何がウザイのか説明しづらいのだが、一緒にいてとにかくウザかった。

共感できるようになれば、結婚も出来たかもしれないが、無理だった。

結婚しないどころか、破局した。夜の相性が良くても人間性の相性が合わなければ結婚できません!

相性が合う女の子と仲良くして、結婚して、幸せになってほしい。

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