はてなキーワード: ビジネス書とは
増田で話題になってたので、いわゆる氷河期世代のおじさんとして個人的な体験から思うこと、つらつらと。
いつのころからか蔓延るようになった言葉を初めて聞いたのは、2001年位のころ、外資系コンサルの人と仕事をしたときのように記憶している。
その少し後の頃から、書店のビジネス書コーナーの棚に「外資系コンサルの書いた、地頭を良くする本!」みたいな胡散くさげな本が並びだしたように思う。「フェルミ推定」なんて言葉が出回るようになったのも、多分その頃。
あの頃の日本は、山一證券とか北海道拓殖銀行とか、まさか潰れるとは思わない「一流企業」が相次いで潰れるという経験を経て、バブル崩壊が単なる景気循環ではなく、とんでもないことが起こっているということをようやく自覚しつつも、その後「失われた30年」が訪れるとは露一つも思わずに希望を持っていた。
バブル崩壊前の多くの日本人は「学校の勉強をちゃんとやって、一流の大学にいけば、その後はいいとこに就職できて一生安泰だ」と素朴に信じていた。
その頂点には、東大法学部をでて大蔵省(現・財務省)に入るという“エリートコース”があった。かつて、東大法学部の学生が就職の話をするとき、司法試験も公務員試験も目指さないでいると「え?君、民間志望なんだ!」などと言われたらしい(という話を東大文学部出身の人に聞いたことがある。「だから法学部の奴らはいけ好かないんだ」と)。
まあ、普通の大学生には、そんな雲上人の気持ちはわからなくても、文系なら都市銀行や総合商社、大手損害保険会社あたりを頂点とした就職ヒエラルキーが、かつての日本には厳然として存在したのである。
そんなものは、山一證券の社長が涙ながらに「社員は悪くないんです!私らがみんな悪いんです!」と謝罪しながら同社の廃業を決めたあたりから、ガラガラと音を建てて崩れていった。と、同時に日本という国は低迷して現在に至るわけである。
そんな中で、人気の就職先としても少しずつ存在感を出してきたのが「外資系コンサル」というやつで、そんな奴らがやたら振り回してた言葉が「地頭」という印象がやたら強いのである。あくまでも個人の観測範囲の話だが。
日本の学校で身につけるような、与えられた定型的な問題に解答するだけの「頭の良さ」だけでは、この大変革を乗り切れない! これからの時代を乗り切るには地頭の良さが必要だ!みたいなアオリも一頃はやたらとみかけた。地頭力などという不思議な日本語も生まれた。
で、地頭という言葉は俗語としては定着したようだが、結局、地頭ってなんなのかよく分からないままひろまって、「まともな言論」ではあまり見かけないように思う。そして、日本の低迷はずっと続いている。
結局のところ、遊ぶものが近くにあってはだめ。
ソシャゲの入ったスマホ、漫画、テレビなどは手の届かないところにやるべきだ。
しかしこれは部屋の構造によっては難しいかもしれぬ。PC仕事だとよけいにね。そのPCで遊べてしまうし。
本来そういうときはファミレスでやれみたいな話になるんだけど、コロナ対策だし本末転倒だよな。
1時間以内に○○までやる、みたいなことをきっちりきめて達成する。
意識が高くないと失敗しがちだけど、少なくとも何をやればいいかははっきりする。
やっぱり人の目はあったほうがいい。カメラで仕事している自分のことを撮ってしまえ。
究極的には、体力をつけるしかない。
集中して仕事ちゃんとするのは、筋肉スポーツと同じで、鍛えて練習して出来るようになること。
最初は辛くてもどうにかやるしかない。そのうち慣れてできてくる。
Clubhouseでビジネスの話をしている人は、東京を前提にしている。
ビジネス書を見ると、Apple、Google、Netflix、Amazonなど、前提条件が異なりすぎていて適用できないのが多い。
金も人もそうだが、米国が強いのは軍事力を背景にした世界に適用できる法律があるからだ。
ネットで情報発信できるようになったとはいえ、こちらも東京が圧倒的に有利だ。
ネット以前のメディア出身の人が東京に集中しているというのもある。
高速道路によってストロー効果で東京に持っていったように、ネットでも東京にもっていかれている。
省庁が地方に移ればという意見もあるだろうが、それだけでは変わらないだろう。
1 問題提起
やらないとやれないの違いはなんだろうか。
行動を起こさないことの原因が、自分の判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準で区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。
行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。
自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。
2 これまでの状況
私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。
その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。
そのときのきっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。
休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。
次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事をサボるようになって仕事がたまって辞めた。
今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である。
難しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。
別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。
でも、なんか今すぐはやりたくないのである。
仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さらに時間が経っていく。
そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。
こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。
自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。
でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである。
また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。
そのときの気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である。
この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電の時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである。
人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。
(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)
そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである。
むしろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。
ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分に死ぬ気があるとは思っていなかった。
ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。
今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。
しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。
なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。
3 これまでの対応
また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。
「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである。
これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書、自己啓発本を読んでみた。
そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分はADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。
(ADHDの可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。
自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである。
今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。
ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。
検査受ける際の困り事の説明に、上記「死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。
そこで、現在のカウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。
なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。
本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。
こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。
実際、家族のことを考えると、死ねば家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。
4 直近の出来事
さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。
そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。
でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である。
ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だから!ちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。
(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)
このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。
また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である。
これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。
そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチかからなかった。
そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。
つながらない。
いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。
かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。
この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分が飛び降りてしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。
そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。
やっと繋がった。
「あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう。
でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルのマックに行き、スマホを充電することにした。
どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。
自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。
このときの気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。
やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。
でもどうしよう。
身動きのとれなくなった私は、自分の業界の協会?にメンタルヘルスの相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。
そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときにカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。
そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。
カウンセリングルームに電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。
日曜、カウンセラーに金曜の出来事を説明したら、カウンセラーはこういった。
「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」
手の指が冷たくなっていった。
それから、
「これは、精神分析療法じゃないですよね…」
ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末でルームが休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。
上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。
私が話した。
上司は、
「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか。実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」
「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」
「上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。
今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。
月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日に生産性が落ちた。
木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。
今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。
そのご、不穏な長文メールが返ってくる。
(中略)
今に至る。
4 私のぐちゃぐちゃな心境
責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!
やりたくてもやれないの!!!
私のせいじゃない!
(逆ギレじゃね?
結局やらないことを、維持することを自分で選択してるんでしょ。
本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。
やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。
これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。
もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。
(また投げ出して逃げ出すの?
これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)
独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。
独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族がブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。
飛ばんと分からんのか?
(信じて貰えないことの当て付けか?)
担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?
信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?
(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。
そういうしかないんじゃね?)
多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。
すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。
意志が弱すぎる。
いい大人とは思えない。
(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーとライン、仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)
多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。
そこから、どうしたらいいんだ?
今まで、口から「死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。
真に受けずに、その気持ちを直視しないで、その気持ちからも逃げてた。
でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。
この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。
5 最後に
本当にただの日記になったが、自分の気持ちを整理できた。よかった。
文章の「わかりやすさ」「良さ」「上手さ」という言葉に引っ張られすぎ。
もちろん大多数の個人が同じ感想を持つということはあり得るが、それから外れた感性を持つことも十分に武器になるし、気にする必要が無い。お前はお前の文章が好きならばそれでいい。
ただお前は、お前が好きな文章以外の文書を書けるようにならないといけない。
これは、良いとか悪いとか上手いとか下手とか関係ない。
代名詞は使うな。主語は省略するな。結論から書け。形容詞は対象語に近接させろ。
そういうルールに沿った文章を、お前の上司は「わかりやすい」と言っているはずだ。これは実は上司がわかりやすいかどうかを判断している訳じゃあない。「わかりやすい文章とはなにか」というビジネス書に書いてあったルールに沿ったことを言っているだけだ。
実際問題、読めばわかる文章にわかりやすいもわかりにくいもあるもんか。だって判るもん。
俺にはわかりやすい文章かどうかなんて判断つかん。お前にもつかない。誰も判断できるやつなんていない。本当に判るかどうかは個々人による。
「わかりやすい」文章しか判らないアホならそんな奴の話はそもそも聞く必要がない。
推理小説を子供に読ませることで思考力の育成が期待できます~だとか
そんな言説を見聞きするたびに「エンタメコンテンツから面白い以外の見返りを求めるな!」と今まで思ってきたのだが
「エンタメコンテンツに対し面白い以外の実益を求める人々」に対して、私は今まで見下しの態度をとってきたのではないだろうか
「実益を求め打算的に読むと面白さが損なわれてもったいない」となんとなく思っているわけだが
それは私が勝手にそう思っているだけであって
なにかのブログ記事で読書術みたいなタイトルに釣られてクリックすると、ビジネス本をいかに速読し要約するかみたいな内容で
「はーーー!私が知りたいのはいかに小説の読書体験をより充実させるかなんですけど?」
と思った経験がその見下し態度の原因かもしれない
ここまで書いて自分の中で二つの思いが混ざっていることに気付いた
・「エンタメコンテンツから訓話を得ようとするのはエンタメ性を損なう」と私は思っている
・読書と一口に言っても小説やらビジネス書やらのどれの話かわからなくて面倒なんで言い分けられるといいのになあ
小説とか単著ならそれもわからなくもないけど、今回著者数名のビジネス書で事前に、何ヶ月も前からがちがちに企画かためてたんよ(だから自分でも書けた)
百歩譲って無理でも、前日には「無理」ってわかるやん?
自分は本を出すのが初めてで、何から何まで珍しいことばっかりだったんだけど、ずっと思ってたことは「出版業界って仕事の常識が違いすぎる」でした。
契約が口約束であとからお金の話をするとか、そういうのはよく聞いてたから別に驚かなかったんだけど、何よりスケジュールの概念がめちゃくちゃすぎて笑った。
(これは著者側の問題だけど)締め切り日過ぎてから「ごめんなさい!」って通っちゃうのな。それを出版社も何事もなかったように受け取るし、締め切り守ってるとすごい褒められるという。そもそも出版社から提示された最初のスケジュールがいつの間にか後ろ倒しになってたこともあった。
ちなみにその締め切り破りさんは大企業での経験を売り物に活躍中のフリーランスです。サラリーマン時代のその人のことも知ってるけど、そんな人ではなかったはずなのだが。
何者かになれ、自立せよ。何かをなせ。だけど。それは若い時もてはやされる価値観だなと30になって最近思うで。
鬼滅が流行っているのも、唯生きてください。生きているだけで意味がある。
命をつなぐ。子供をのこすこと。幸せに生きていること、生きているだけで素晴らしいというメッセージが
凡庸だけど、あえて人間の命を賛歌しているところが家族を持っている層に受けたわけだし。
古典的なメッセージがむしろ新しく感じられるということは、それだけ何か役に立たない人間はいらないとか価値観が画一的になってるのかも
(鬼は資本主義的な自分の成長や自分の生命、自分の利益しか追求しない現代的な(いまマジョリティ)価値観)
子供がいても虚しいこともあるし、経済的に厳しいこともあるし、
やっぱりそれも仕事で忙殺されている状態と子育出て忙殺されている状態と変わらないかも。
私も上京したくちだけど。都会に出て仕事も落ち着いて、これから結婚するのか、転職するのか、趣味に生きるのか、
仕事でもっと自己実現するのかというタイミングで色々と探求できないのは辛いね。
ただ、生きてるとどんなにあがいてもどうにもならない、天運が悪い時がある。(天地人だね。)
そうゆうときは、本を読んだり、自分が何がほしいのかよく考えて力を貯めること。
そして、コロナが終わったら、動き回って若いのだから自分の欲しい物に向けて足掻く。
精神的に辛いときや死にたくなるときって、新しい人生の価値観やフェーズ突入の進化のサインなので
外出はできないかもだけど、これから自分が何がほしいのかエッセイとか、電気とか、ビジネス書とか死ぬほど読んでよく考えてみると良いかもよ。
まぁでも、こっちも上京して仕事でやりたいこと大体やれて、好きな人と結婚して、子供もできたけど
家族はいたでいたで、自分の想定しないトラブルに振り回されたりするから小回りは効かないなーって独身羨ましくなるときもあるよ。
なんかうまくいかないときって、大体隣の芝生は青く見えたり、虚しいなーって思うこともあるから。
まぁでも、コロナ。出歩けなくて本当にストレスだよね。ワイも限界だわ。
料理覚えるとか、家でヨガ・筋トレやるとか、体をメンテするぐらいしかないんかね。
みんなは、なにして暇つぶししてんの?
大抵、表面的にはいい人を気取っている割に、
実は、面倒なことやリスクから逃げて、自分が必死になりたくないだけで、
自分の限界や実力が露呈することを恐れて、自分を取り繕うことだけを考えている。
自分から女に話しかけたり誘いをかけるわけでもなく、待っているだけの態度で、
同性にすら、自分が仏頂面をしていても優しく扱われることを一人で期待していて、
グループ行動ができず、かといって一人でも、一匹狼ではなく群れからはぐれた羊。
自分から企画をしたり、決断をするわけでもなく、すべて人に任せるだけで、
問題が起きれば、自分は関係ない顔をして逃げたり、迷惑そうないやな顔をするだけで、
当然ながら仲間からの信頼がゼロに近く、そういう評判にも敏感な女からは敬遠される。
当事者として経験を積むことがなく、年齢の割には顔つきが非常に幼く、
そのくせ、ろくな運動や食事をしていないのか、肌や体つきがかなり老けていて、
そのアンバランスさが全体的にエイリアンっぽくて、童貞の匂いがプンプンしてくる。
会話の内容が、テレビやネットを通じた他人の話ばかりで、行動力のなさが窺え、
知識自慢で相手を退屈させ、相手の話には必ず否定的な説教をして自分を偉く見せ、
話を膨らませるより遮断させることが得意で、ネガティブなオーラが顔をますます暗くする。
・同窓会に来たがらない
・周りが異性の話になったら別の話に振りたがる、もしくは喋らない
・基本的に『悪』に成りきれない
・良くも悪くも周りに影響を与えることがない
・処女崇拝が激しい
・気に入った女性と出会っても、その子の元彼の話を聞くだけで興味をなくす
・善人だが思い切った行動に出れない・何事にも発生するリスクを最重要視する
・女性と話すのは当然緊張するとして、あまり親しくない男性と話すのも緊張する。
・自分以外の数人が会話してて、自分一人だけ黙っている状況がよくある。
・用があるのになかなか店員に声をかけられない。
・知らない人(店など)に電話をかける前に、相手がこういって自分がこういうなどある程度考える。
・慣れない場所、状況だと異様におどおどする。
・声が小さく、よく聞き返される。
・インドア派。
・広い交友関係を築かず、いつも同じ人と一緒に行動する。もしくは一人。
・順番で何かを発言する状況で、自分の番が近くなると心拍数が高くなる。
・自分は人に取るに足らない存在だと見なされていると思うことがある。
・髪型が昔とたいして変わらない。ワックスなんて滅多に使わない。
・筋道立ててきちんと話すことができない
・趣味は専ら一人で黙々と楽しむタイプのものを好む、あるいは無趣味
・相手が話すことがうまく聞き取れない。聴覚が悪いだけでなく、脳で理解できていない
・独り言が多い
・マイナーな分野にばかり興味がいく
・スポーツが苦手
・趣味は専ら一人で黙々と楽しむタイプのものを好む、あるいは無趣味
・視野が狭い
・場の空気を読めない
・何事にも要領が悪い
・何事にも一生懸命になれない
・仕事が嫌い
・平気で仕事の手を抜く
・負のプライドは高い
・携帯を持っていても基本料金内におさまる
・笑うのが苦手
・無愛想
・夜道で女性を抜かすとき驚かれないよう少し前から無駄に足音を鳴らす
・すれ違い様女性と目が合いそうになったとき近くの物体を見ているフリをする
・内向的
・自己主張が苦手
・無口
・周りに溶け込めない
・空気読めない
・神経質
・心配性
・根は真面目と言われる
・一回言われたことをすぐ忘れる
・親や上司の言うことに従わない。従わなければと頭ではわかっていても従えない
・小説でも漫画でもアニメでも映画でもドラマでも人間関係が中心に描かれた作品が嫌い
・仕事に必要な知識は欠如しているが、役に立たない雑学的な無駄知識の量は多い
・ホームレスを見ていると他人事とは思えない。将来の自分だと思う
・他人を叱ったり注意できない
・悪い意味で優しい
・良く言えば謙虚、悪く言えば卑屈
・石橋を叩いて壊す
・仕事の話をするのが嫌い
・機転が利かない
・馬鹿正直
・結果を考えて行動できない
・衝動的
・短気
・どこへ行っても浮いてしまう
・どこへ行っても嫌われる
・少ない友人知人を大切にする。が、相手から見れば「しつこい」以外の何物でもない
・友人が全くいない、あるいは極度に少ないゆえに仲良くなった人を大切にしようとする。
が、自分にとってはかけがえのない大切な友人でも相手にとっては単なる知り合いの一人。
その温度差で結局は嫌われて切り捨てられる
・そのようにして去っていった人に対して根に持っている
・昔のことをよく覚えている
・どうでもいいことにこだわる
・写真を撮られるのが嫌い
・電話が嫌い
・何をやっても詰めが甘く、失敗する
・冷や汗や脂汗をかくことが多い
・後片付けができない
・超保守的
・環境の変化を極度に嫌う
・レベル(年齢)が20になっても30になってもショボい魔法しか使えない
・去年の今頃の自分を振り返ってみて、全く成長していないことに気づく
大して変わっていないことに気づく
ビジネス書や教育系YouTuberの動画のほとんどは他人のコンテンツ安易な模倣であり間違えた情報を発信していることが多い。自分はそういうものを見たときに嫌な気持ちになるが、人によってはおもしろかった、役に立ったなどとコメント欄に感想を書き込む人もいる。価値観に個人差があることは分かっているつもりだがその光景を目の当たりにすると自分の評価の仕方を過信しては行けないと思うようになった。
特に自分という存在に対する自分の評価(自己評価)には気をつけたい。自分のことを無知で無能で愚かな人間であるという思いから抜け出せずにいるが広い社会には自分のことを好意的に評価してくれる人がいるかもしれない。完璧主義で自罰的な性格は簡単には修正できないが少しだけ自分に優しくしようと思う。
ワイはビジネス書読まないやで