はてなキーワード: ゲームオーバーとは
吹っ飛ばす意味は?
確かに空き缶やびんを割ったり出来る
割れるのはすごいけど
でも意味は無い
意味があるとは、反応がある事
すると何か反応が返って来る
そういう事
スイッチをつけたらどうなるかやってみたいですよね?
また、スイッチの入ったパソコンで主人公はどんな反応をするのか
もし仮にそのPCが壊したり出来てもそれはそういうように動いただけで何かそのPCを気になって調べたりする気になるものではないですよね?
ああ壊れるんだと最初に分かれば飽きたら後同じ壊れ方するものがその後何度出てもそれ以上はいじらないと思います
次出てきた何が壊れようとどんな壊れ方しようと同じ反応を流用してるだけです
全てが同じ反応しか返らないって事です
でも作りこまれていたら違う
PCを付けたら無意味に何か自分の好きな音楽を検索したりしてみたり
または、調べたものの中から進める上での重要なヒントがもらえたり
どきどきしながらどれを調べても次も気になる
次はどこを調べられるんだろう?
ギターがあったら調べたら主人公が弾いたり、弾こうとして自分にギターを弾けないでいらいらするしぐさをしたり
またはその後にこんな事してる場合じゃなかったとか独り言を言ったり
さらに、それでもギターをいじり続けてると、何か不幸な事が起こって死んでゲームオーバーになったり
こういう反応がある事で物体に命が吹き込まれている
後、どう反応しても同じように壊れるのと、個別にその物体だけが特別に壊れる反応をするのも違う
PCを何度か使ってると勝手に壊れると言う反応が来るのと、たたいたりするとどの物体も同じようにそれが壊れてその中の一つ似すぎないものだと言うのと
何やっても同じ反応が返って来る
「同じように壊れる」と言う
だから同じように壊れるんだったら改めて別の物体に興味が出ないでしょう?
昔のゲームは色々と分かれ道が分かれてたと思う
主人公のした行動でストーリーの分岐や実際の歩いてるフィールドも分かれ道いっぱいあったと思う
正解の道以外に、間違いの道や、トラップのある道や、ご褒美のある道
興味をそそるものでプレイヤーをひきつけて、ウッヒヒこっちは間違いだぜ、見たいな
プレイヤーのゲームの購買心理はその頭の駆け引きのやりたさに由来してるはず
その他はおまけ程度
ここにアイテムをおいたら拾いに行きたいだろうな、拾ったら悪い事がおきるようにしよう、とか
助けを求めてる人と、今にも落とし穴に落っこちそうなアイテム、どっちを先にとったかで変ったり
あからさまに怪しいロッカーがある、調べたら恐怖の存在が出てきてしまったり
過去のある地点であるものを見たかどうかとか、見つけたかどうかとか、調べたかどうかとか
ある時点である人やある物を助けたかどうか、説得したかどうかとか
だからここではどうなってる
だからこの今の時点でこうなってるようにする為にこの時点でこうしてこうするみたいな(または未来なんて分からないからどうなるようにしたいとか祈りながら進むか)
そういうものの方こそが主成分
今のゲームは何もかも一本だと思う
買う人の購買心理は芸術を買うみたいな感じだと思う
とかこのキャラ好きとか
グラフィッカーとデザイナーとシナリオライターがそれぞれ自分のアートを作る事だけ専念する
どれだけ美麗なCGでどれだけきれいで感動的な演出でどれだけ感動的なお話か
やってる人はその美麗なCGや演出や感動的な話を眺めてるだけ
やってる側からは何をやっても変化は無いので、何としてでも何々をどうこうしたいと言う欲求が無い(依存性が無い)
自分が何やっても何の変化も無いので無意味な期待はしないでしょう
貴重品のようなものがおいてある部屋
昔のゲームの作り方だとそれをとると部屋の扉がしまって面倒な事態に巻き込まれたり、最悪ゲームオーバーに直行する分岐になったりする
同じトラップでも今のいかにもな作り方だと、ゲームオーバーになるような分岐にはそもそも進めない(ゲームオーバーに進むと分かっているのにその先のシナリオを作るなんてそもそも無駄だから)
だからそんなトラップを用意しないか、用意するならシナリオとして主人公はトラップにはまって、そこから無事出られるまでのシナリオも作ってそのシナリオに沿って進むしかない
主人公はその部屋で必ずその貴重品を手にとって必ずトラップにはまり、それを必ず対処すると言う選択しかない
昔のゲームでは、ただとるかとらないかの選択肢のひとつでとったら悪い事がおきてとらなければ何も無いってだけだったのに
今のゲームでは、とるしか選択が無いしとって生き残るしか選択が無い(作業に失敗してのゲームオーバーはある:今のゲームはゲームオーバーの理由は「失敗して」が殆どで、「間違った選択をして」と言うものが殆ど無い、「失敗して」はどうすれば正解かは分かっているけれど自分の腕が足りないから失敗する、正解は分かっているのに成功するまで何度でもやらされる・・・今のゲームの主成分、「間違った選択をして」と言うのは正解を知らないから失敗したのであって次やったら違う選択をする、果たして次の選択は正しいのか・・・昔のゲームの主成分)
全体像を見ればシナリオ主体の上に載っていて、毛の生えた程度
骨組みがストーリーのシナリオだからどうしてもストーリー主体で考える
今のゲームは何があるか分かる
怖いゲームで、死体があったらもしかしたら怖い存在が来るかも知れないと感じるのが昔のゲームで
昔のゲームではそう感じるように、作ってある
作ってる人とやってる人との心理戦なので何が起こるかは分からない
今のゲームではシステム化されていて「こういう場合に敵が来る」と言うのが分かっているから、「こういう場合になったか、ならないか」しか気にしない
2013年4月26日、アーケードゲーム業界に突如現れた大型爆弾、それがけいおん!放課後リズムタイムである。
今時ケータイをいじれば無尽蔵にあるようなゲームが、アーケードに登場した。
アーケードに興味のない方、またTCAG業界に詳しくない方も居られるだろう。ここで軽く紹介しておく。
TCAGとは、トレーディングカードとアーケードゲームを合体させたジャンルである。
カードを集めて、手持ちのカードを使って何らかのゲームを行う。
分かりやすく説明すると、ソシャゲーに筐体がついて多様かつリアルタイム性のあるゲームがプレイできるものである。
TCAGと言っても戦略ゲームやスポーツゲーム、シューティングゲームにリズムゲームなど、カードを使ってどのようなゲームを行うかは多岐に渡る。
ソーシャルゲームとの大きな違いはプレイに対して課金が必須であること、そして独自のインタフェースや機能が自由に設計できることにある。
一般的にソーシャルゲームよりもグラフィック面で大きく有利であり、凝った演出や操作がウリの一つでもある。
また、大人向けの戦国大戦やベースボールヒーローズなども有名であるが、一方でアイカツ!やジャイロゼッター、ムシキングなど子供向けゲームが盛んなジャンルでもある。「カードが手に入る」というのが子供にウケるのだろう。
けいおん!放課後リズムタイムはリズムゲームを題材としている。
つまり、けいおん!の絵が描かれたカードと、けいおん!の楽曲を使って音ゲーをプレイするのだ。
なるほど楽しそうだ。きっとアイドルマスターのように名もないクラスメイトのカードがカスカードとして出てきて、初音ミクProject DIVAのようにキャラクターを使ったPVが見れるのだ。
そして「ちくしょう軽音部のメンバー揃わねぇじゃないかよ!……でもこの子かわいいな!」となるわけか。期待に胸が膨らむな。
……賢明な諸氏ならお気づきかと思うが、ここで取り上げているのだから上記のような真っ当なゲーム要素は一切存在しない。一切。
では、実際の様子を順を追って見ていくことにしよう。
まず君は筐体に1コインを投入する。
すると、あずにゃんのSDキャラクターがゲーム上の注意を喋ってくれる。
なぜあずにゃんがメインキャラクターなのかと言うと、ランキング一位のプレイヤーの推しメンだからである。
つまりこのゲームは筐体一位を取ると筐体のナビゲートキャラクターを変更できるのだ。
カードが排出される。このゲームには描きおろしカードは一切存在しない。最上級のミラクルレアでも既存絵である。
画面が変わる。軽音部の五人から使用キャラクタを選ぶ。ここでカードは必要無い。今後のプレイではナビゲート役があずにゃんから使用キャラクタに変わる。
次はカードスキャンだ。スキャンしたカードが画面に表示され、合計ポイントが計算される。
もし組み合わせが良ければコンボポイントが追加される。例えば、3枚とも同キャラのカードで揃えるとか。
カードの意味はここで終わる。単にポイントとしての役割しかない。
ゲーム中に選んだカードによってスキルが発動するだとか、服装がチェンジするだとか、そういった機能は一切無い。
カード特有の要素は何もないのだ。ただ唯一、スキャン時にカードの画像が表示されるのみ。
次は曲の選択だ。2013年に出たゲームなのに、アニメ一期の曲しか無い。一応キャラソンも入ってはいるが。
ゲームを進めると追加される、と思ったら甘い。
このゲームは本当に一期の曲だけしか無いし、そもそもユーザー登録は無い。
曲のロード画面が映る。黒背景に白字で「ロードしています…」と表示される。他には何も無い。文字のスクロールすら無い。こんな殺風景なロード画面見たことない。せめてキャラクターの画像でも貼ってくれればいいのに。
ゲームが始まる。円形のライン上を赤・青・緑のアイコンが滑り落ちてくる。
同じラインで現れるのでボタン配置が分かりづらいが、1プレイもすれば慣れる。
最高難易度でもさして難しくない。長押しや同時押しが存在しないので、ゲームとしてはただ単調である。
だんだんと背景を見る余裕が出てくる。
……一枚絵だ。一枚絵がゆっくりと拡大されて、縮小して、また別の所が拡大する。
なんだこれは。3Dでダンスしたり、せめて、アニメ映像が流れたりはしないのだろうか。
百歩譲っても、スライドショーにはならなかったのか。同じ一枚絵が、ずっと、ずーっと表示されている。当然、この背景も既存絵だ。
ちなみにこの筐体はブラウン管であり今時のゲームとしては解像度が異様に低い。
というのも数年前のゲームである「めちゃモテ委員長」のゲーム筐体を流用しているためだ。
しかしめちゃモテ委員長は着せ替えができて3Dでダンスしたし、メモリーカードを利用したユーザー登録もできたのだが……。
「50コンボ!」唐突に言われて初めて気づく。このゲーム、コンボ表示が無い。
50コンボごとに声と表示で知らせてくれるが、リアルタイムのコンボ数は一切表示されていない。
選んだキャラクターがプレイ中に関係するのはこのコンボ音声だけである。
そういえば、合格ラインも無い。何点以上とか、何割以上とか、そういった基準が全くない。
かろうじてスコアは表示されている。しかし比較対象が無い状況で数字だけ見せられてどうしろというのだろう。もちろん、曲のハイスコアは表示されていない。
現れるアイコンに合わせて黙々とボタンを押す。背景も見飽きた。
…………ゲームが長い。一番が終わったかと思ったら間奏に入って二番が始まってしまった。
約4分、延々と代わり映えしない背景を見ながら、3ボタン単押ししかない音ゲーをやり続けることになる。
そもそも体力ゲージが無いのでどんなヘタクソなプレイをしてもゲームオーバーにもならない。
ハッキリ言ってTVサイズでも飽きる。それを4分。地獄である。
ようやく曲が終わる。ロード画面だ。「ポイント集計中」の表示が黒背景に踊る。いや、踊らない。ただ無機質に表示される。
ポイントは三種類の評価が下る。カード点、ゲーム点、コンボ点である。これを合算して最終スコアとなる。
「良いカード」を使って「ノーツが多い曲」で「フルコンボ」を出すことが稼ぎプレイの必須条件だ。
これはセーブがないのもあるが、「高スコアを取ってもどこにも発表されない」という意味でもある。
では得たスコアはどうなるのかというと、「使用キャラクターに」加算される。
これは軽音部五人の投票数ランキングであり、決してプレイヤーのスコアではない。
このランキングで一位のキャラクターが筐体のナビゲート役になるわけだ。
もちろん投票数は合算スコアなので、一位を追い抜くためには相当数のプレイが必要になる。
君が継続プレイするモチベーションは「自分の嫁をナビキャラにする」の一点のみ。
もしカードがほしいだけならばカードだけ買うモードがあるのでそちらで延々買われるのが良いだろう。
ただし、全て既存絵だが。
そしてプレイする動機となるランキングはスコアで決まるため、本当に必要なカードは「ポイントの高い上位3枚」に絞られる。
より高位のカードを手に入れた瞬間、これまでのカードは完全に単なる下位互換にしかならない。
さて、ようやくプレイを終えた君は立ち上がって横を見る。
アイカツの筐体と、そこで楽しそうにプレイする幼女が見えるだろう。
ここは大型ショッピングモールの子供向けゲームコーナーである。
このゲームはなぜか女児向けにデザインされており、多くの場合は他の子供向けアーケードゲームと横並びで設置されているのだ。
アイカツではスキャンしたカードと同じ衣装を着た3Dのキャラクターが画面内を所狭しと踊っている。
ジャイロゼッターは高らかに明滅しながら筐体が変形し、ロボット操縦レバーがせり出している。
大学生だった2007年頃から趣味で他愛もないホームページをつくっていた。
ワードプレスやライブドアブログのようなCMSには頼らず、1から10まで自分で作ることにこだわった。
すぐにのめり込んでいき、大学の図書館にこもりWEB関係の本を借りまくった。
しかしWEB関係といってもPHPやSQLは理解できなかったので、まずはHTMLとCSSだけ勉強して静的なページをべた書きで量産していった。
HTML,CSSですら最初はつまづいていたけれども、自分の意図した通りにデザインできるようになってからは面白かった。
アクセスは全く増えず、一日100PVにも満たなかったが、僕はめげなかった。
講義には出ず、学園祭にもサークルにもいかなくなり、周囲からは「まだやってたの」「何がしたいの」と呆れた目で見られるようになった。
付き合う人も限定されて社交性は衰えていった。
半年が経っても動的なページをつくれる技術はなかったので、未だに力押しでページを量産していた。
しかしデザインにはこだわっていたので、単純なHTMLでも、見た目にはそれなりのサイトに仕上がっていた。
内容はくだらなくても、いっちょまえなレイアウトで書けば、それだけで見栄えのする物になった。
PVはすぐには伸びないとわかっていたので、平均滞在時間、平均PV、直帰率を目標にしていた。
ユーザビリティには独自性は無用で、正解があると思っていたので、ヤコブニールセンのWEBユーザビリティの本を買って、素直に勉強した。
PVが少なかったので、平均をとっても余り意味がないのだけれども、平均PVは8はあったと思う。
ビジネスの基本は選択と集中だと考えいたので、PVが伸びなくてもサイトのテーマは広げず、なるべく狭く深くを追求していった。
サイト制作をはじめてから8ヶ月ごろではじめてグーグルアドセンスが振り込まれた。
ヤフーニュースの関連する記事にリンクが貼られたことも大きかった。
アフィ収入は年間400万を超えて、僕は大学3年で親の扶養を外れた。
稼げるようになってから、周囲の目が変わった。
いまどきアフィリエイトかよと呆れていた人が僕にジャンルや手法を訊いてくるようになった。
この頃から僕は自分にはプログラマの適正があると勘違いし始めた。
HTMLやCSSは狭義のプログラミングではないにもかかわらずだ。
調子に乗った僕はプロの話を聞きたいと思って、広告で見た翔泳社のデベロッパーズサミットに参加した。
年に一度開かれるITエンジニアの割と大きなカンファレンスだが、仕事で来てる人がほとんどだと思う。
名刺がないので受付で恥ずかしい思いをした。
javaのカリスマエンジニアやオラクル、NTTデータ、MSの偉い人、はてなの人などが講演していた。
当時HTMLとCSSしかわからず、PHPとMYSQLをかじったばかりの僕には話の内容は1割も理解できなかった。
引きこもってプログラマごっこを続けているうちに大学4年になった。
一生アフィで食っていけるわけもないので、就職活動をはじめた。
WEB系はブラックが多いとそれとなく聞きかじっていたので、大手IT企業や大手SIerを中心に受けた。
(新卒でWEB屋の門を叩かなかったことを、今でも本当に後悔している。)
結論から言うとMSもデータもオラクルもグーグルもユニシスも全部落ちた。
営業職も応募したけれど、いずれにせよPHPとSQLをかじっただけでは戦力にならないし、そもそも、WEBとSIでは言語の畑が違うのだろうが、たぶんそういう技術的な事はどうでもよかった。
技術的な事は入社後に教育する体制ができてるので、学生には何よりもまず社交性を求めていたのだろう。
~でも、私には在学中に専攻外の事を勉強していった自主性があります、
~これに関しては誰にも負けません。
とアピールしたのだけれども、ダメだった。ただの独り善がりの変なヤツに見えたのかもしれない。疑わしきは落とす。
結局僕は社交性、人間性、社畜適正、その他、大企業が学生に求める普遍的な魅力を欠いていたから内定がでなかったのだろう。
文系の学生が独学で中途半端にプログラミングの勉強を始めたばかりに、それはIT業界から内定を得る上での強みになるどころか、致命傷になったのだ。
友人は立派な会社に就職していったので、当時リーマン不況のまっただ中で就職難だったというのは理由にならない。
facebookで大学の友人をみると勤務先がNTTデータとかアクセンチュアになっていた。僕よりも人間的な魅力があったのだろう。
サイト制作は趣味と割り切り、日本を支える製造業を仕事に選んだ。
内定をもらってから卒業するまでの間に、僕よりもずっとITに明るい友人に、アフィで成功していたことを買われて起業を持ちかけられたが、何度も衝突し、結局2ヶ月で僕の方から音を上げてやめた。
起業するなら一人でスタートして人を雇うなり外注するなりすべきで、チームで始めるにしても誰が一番偉いのか最初に明確にすべきだと、このときに確信した。
就職したが、毎日のような飲み会と、週末のゴルフ、一発芸の強要など体育会系の慣習に嫌気が差した。
僕は仕事の傍らの片手間の作業でも収入が増えていくアフィに目をくらませて、半年で退職し、専業アフィリエイターになった。
今は無き海外ニートブログの労働観と、後述するコピペが僕を後押しした。
専業になってから収入は伸び続け、一番多いときで月80万を超えたが、その代わり孤独になったので、以前のような精神的な余裕がなくなった。
技術的には大学在学中からほとんど成長しておらず、未だにhtmlのべた書きで、サイトの一部でphpとsqlを使用してる程度だったからだ。
僕のサイトはWEBサービスといえるような代物ではなく、ただの一方通行のサイトで、コメント欄をつくる技術もないので、放置していもユーザーが勝手にコンテンツの価値を高めてくれるということはなかった。
ページを増やすのは社員を増やすようなものだと考えていたけれども、僕の身体は一つなのでべた書きで増やせる量には限界がある。
一人で安定してコンテンツを生み出すには、今後は趣味のサイトからは卒業し、より商業的なユーザー参加型のCGMを作らなくてはならない。このままではまずいと感じていた。
しかし僕はcakephpのようなフレームワークを使用せず、というかMVCを理解できず、。
ワードプレスのようなCMSもつかわず、力押しでべた書きで作っていたので、できることには限界があった。
僕と同じ個人事業主がつくっているW3Qのような立派なサイトをみるのが怖かった。
僕のサイトはブログやニュースサイトではなく、テーマが普遍的なサイトだったので、放置していもPVは減るどころか増えていった。
あぐらをかいた僕はサイト制作を完全に放置して、不安を紛らわすために現実逃避で遊びはじめた。
目的地も決めず、平日に思いつきで一人旅やサイクリングにいった。
仕事を辞める引き金をひいたのが、2chの独身男性板でみたこのコピペだった。
もし仕事に行きたくなくなったら、そのまま反対の電車に乗って、
海を見に行くといいよ。
陽に当たりながら飲むといいよ。
ビールが無くなったら、そのまま仰向けに寝ころんで、
流れる雲をずっと眺めるといいよ。
そんな穏やかな時間がキミを待ってるのに、何も無理して
毎朝ネクタイを締めるときにストレスで吐いていた僕の背中を押してくれた。
なんて罪なコピペだろう。
気晴らしのはずの一人旅なのに、旅館の人に今日はお仕事お休みですか?と聞かれたのが辛かった。
他にも一人で野球観戦に行ったり、映画を借りまくったり、早朝深夜のメジャーリーグの試合を見まくったり、夜更かししてロンドンオリンピックを見まくったりした。
野球中継に関してはスカパーのプロ野球セットを契約していたので、144試合中130試合は1回から9回まで見ていたと思う。
僕はサラリーマン時代に味わえなかった自由をほとんどすべて享受した。
サイトの方はなんだかんだで半年以上更新してなかっただろうか。
そして昨年の11月に事件が起こった。
グーグルのアルゴリズムが変わり検索順位が大きく下がったのだ。
打開するための次のサイトのアイデアはあるのだけれども、技術がない。
フロー理論でいう挑戦と技能の間の大きなギャップがあり、不安に駆られ現実逃避しか出来なくなった。
収入は落ち込んでいくのに、サイト制作をする気にもなれず、この一ヶ月前に自営業を断念した。
僕は公務員を目指すことを考え始めた。
一ヶ月後の6月が試験であるが参考書だけ買って全く勉強は進んでいない。
今年は無理だろう。
しかし今年で27歳だ。公務員になるにはそろそろ年齢制限にひっかかる。
来年筆記試験にうかったとしても、年増が面接に受かるだろうか。
27歳にもなるのに職歴がなく、独学でphpとSQLを囓った程度ではWEB制作会社は雇ってはくれないだろう。
詰んだかな、これ。
もっと外に出て、みんなと同じ大学生活を送って、みんなと同じ就職活動をして、みんなと同じように働いていれば。
初めての増田。
気持の整理ができたのでよかった。
13/5/18 15:00
はてな、ツイッターでの様々なご意見、ご指摘ありがとうございます。
27歳で実務経験のない僕が現時点でのスキルでWEB制作の仕事にありつけるとは思えず、納期がある請負も性にあっていないので、やはり公務員試験の勉強をがんばります。
僕のサイトははてぶ400userもありませんが、最後にホッテントリ入りしてWEBに小さな足跡を残せたので、悔いはありません。
とはいえ、FPSだとかそういったネットゲームではなく、Twitterと診断メーカーを使った簡素な、TRPG風味のものだ。
つまり、ゾンビサバイバル(http://shindanmaker.com/235938)をしている。
詳しいルールはhttp://www49.atwiki.jp/zombie_survival/ だとかに纏められている。
要するに診断メーカーの結果(1日に1回変わる)をゲームの1行動にあて、その結果からステータスを増減させるというものだ。
ステータスといっても実に簡素。HP、食糧、アイテム二枠、そこに状態変化なんかがつく。HP100食糧100から開始。
診断メーカーにキャラの名前を入れ、診断。例えば「【戦闘】ゾンビが襲ってきた! ダメージ5」というものが出たらHPから5引いたりする。ちなみにHPか食糧が0になる、もしくはゾンビになってしまうとゲームオーバーだ。
ちなみに実際はもっと情緒溢れる文面だ。どうにも面白い、と思っていたら、どうやら診断を作り、ゲームマスター的な立ち位置にある神はTRPGを作ったりしているプロの方だそうで、至極納得した限りだ。
そしてこれに、自分はこの夏、はまった。
Wikiなどに書かれている通り、様々なルールに縛られつつ、かつ舞台設定などに関しては自由にしながら、診断を繰り返し、キャラを動かす。ロールプレイはルールに沿っていれば割合どんな設定でも自由だ。犬にしてもいい、虫にしてもいい。鳥でやっている方も見かけたことがある。
最初、右も左もそんなにわからないまま、とりあえず自分もキャラを作った。
とはいえそもそもTRPGなんてしたこともないから、最初は自分をそれなりに投影していた。自分が生き残るためのサバイバル診断、のような。特にキャラを作ったつもりなんてなかった。だからTwitterの名前で診断した。
だがだんだん気がついた。#ゾンビサバイバル などのタグをたどっていく限り、どうも、キャラメイクをしている人が多い。ロールプレイというらしいその行為に自分は興味を持った。
そしてゾンビサバイバルの肝心のプレイの状態にも変化が出てくる。「同行者」である神父の役目が切れた。「同行者」というのはアイテム扱いで同行させていると、例えば戦闘ダメージの軽減などをしてくれる、NPG的なものだ。ロールプレイ中は結構皆いろいろな味付けをしている。人形として扱っている人もいる。
さて、肝心の神父の設定・効果というと、こうだ。「カンフーの達人である神父。戦闘ダメージを3回まで0とする。1日に付き食糧-1」というものである。余談ではあるが、その夏に流行っていたアニメの影響で、この神父のイメージはあるキャラに似たものに固定されてプレイされていることが多い用に思う。というかカンフーの達人って貴方それどう考えても某麻婆な某八極…いやなんでもない、というわけである。
そして自分はダメージの大きい戦闘に3回出会い、3回神父を使った。残ったのはもう効果もない神父である。さあどうするか。アイテムは2枠である。お別れか? というところで、自分は思った。
「いや、クリア(条件を揃えるとヘリポートまで脱出という)まで連れていくし」
…そう。愛着を覚えていたのだ。この麻婆神父、いやもといカンフー神父に。役に立たなくてもいい。連れていく。そう思った。
で、そこで神父にまあそれなりに執着し始めたわけなのだが…このあたりだったと思う。自分はいろいろな例も見たせいもあるだろう。ロールプレイを始めたのである。
なんというか、元々タグを付けて色々と描写とかを投稿していたわけなのだが、どうもなんだかそれが、自分というより、自分の分身になってきたのだ。要するに、だんだんとキャラに乖離してきた。
そもそも創作分野に属していた――といえば聞こえはいいが、要するに自分は妄想過多人間である。キャラを作ると決めたら結構さっさと浮かぶ。自分の分身っぽくしてもいいわけで、どういうキャラにしろという指定もないわけだ。ならば割と簡単だった。神父をどこまでも連れて行くという設定も付随している。
というわけで、ざっくりと設定を作り、プレイしている。どんなキャラかを書くと匿名ではなくなるだろうからやめておく。
そしてゾンビサバイバルつながりのフォロワーなども増えていきつつ、ザクザクと診断を進める中で、当然のことだが、自分はある行為に出る。
別のアカウントにもう一人。キャラを作った。今度は始めっからキャラ扱いだ。
このゾンビサバイバルには館というものがある。ゾンビサバイバルの世界観として、所謂ゾンビに満ちた世界、パニックホラー的な設定が根底にある(それ以外は自由らしい。日本の東京をイメージしてもいいし、バイオハザード的な市街を想定していてもいいらしい)のだが、その原因はなんなのか、という謎が、その「館」にあるらしいのだ。それを探りたかった。だから作った。
初めの1キャラでいいではないか、と思うかもしれないが…流石TRPGのプロ作成というべきか。このゾンビサバイバル、なかなかのゲームバランスなのだ。ぶっちゃけ1キャラだけだと心許ない。1キャラは生き残ること目的の物がいてほしいのだ。
と、いうのは建前。本音はあれである。
要するに自分は妄想過多なのだ。1キャラだけで済ませるなんて、とてもできない。
というわけで、キャラを増やしプレイしたのだが…これがなかなかマズかった。
思ったより館内がきつかったのである。
ゾンビパニックの原因というだけある。ゾンビが襲って来る謎のペナルティ噛まれてもいないのにゾンビ化の危機…。えぐい。えぐすぎる。真相に辿り着く前に生き延びさせねばならなくなる。
そしてそれには、1キャラだけでは、どうにもきつかった。
ではどうするか。
幸い1アカウント1キャラなんて制限はなかった。自分は作り始めた。援護用のキャラを…。
ぶっちゃけこの時点でこのキャラは死んでも良かった。死んでも良かったのだが、その作り方がまずかったのだと思う。
死んでもいいからと、自由に作りすぎたそのせいで、自分はそのキャラを気に入ってしまったのだ。
さて援護されるキャラは真相の切れ端だけを掴み、館から一時脱出した。館は出入り自由ではない。入るときは情報があればいいのだが、出るときは出てもいいという診断がいる。それが出たので、一旦アイテム調達などで体勢を整えるべく、もう館内のきつい診断の山で、色々とギリギリだったキャラは脱出したのだ。
ここで残されたのは援護用のキャラだ。援護用らしく逞しく生き延びていたそのキャラだが、やっぱり1キャラで館の中は無茶である。死にかける。
このあたりで自分は気づきはじめた。このゾンビサバイバル、協力プレイなんかも可能だが、1キャラに1つずつ診断結果が下る限り、多くのキャラを作ってもある程度までしかゲームの難易度は下がらない。
そもクリアの条件も実にランダムだ。クリアのためのフラグは買えるのだが、ヘリポートで乗せて貰う権利は診断結果が出ないとダメなのである。
ということはつまり、自分のキャラが全員無事で脱出できるかどうかはごく、時の運であるのだ…。
というわけでなんとなく、自分はこの先ゾンビサバイバルでどうするかが見えた。援護キャラを作る。そのキャラを気に入る。そしてまた…。いつか止めねばならないだろうが、つまりそういうことなのだ。
自分はキャラに色々と、主に愛情を移入しすぎるきらいがある。それを踏まえて考えるべきだったと、今になって思うのだ。
ただそれでも、キャラを作ったことは、後悔していない。みんな自分のキャラだ。もう今はそう思う。
さてこれからも自分はこのゲームをやり続ける。キャラの全員脱出を目標に。じきにキャラがゲームオーバーになることもあるだろう。覚悟しておかねばなるまい。
ゲームオーバーなったキャラをゾンビにして診断結果に反映してくれる公式イベントもあるらしいが、当選確率も低いようだし。
以上は自分のプレイ法であるが、この他にも、いろいろなプレイスタイルの人がいる。病院襲撃というイベントを利用して、病院から回復系アイテムを奪取し続ける人もいれば、昔の印象深い一例として、ヒグマでプレイしてゲームオーバーの後、見事ゾンビリバイバル(上で言ったゲームオーバーになったゾンビにして診断結果に反映してくれる公式イベント)により凶悪な診断結果の一つと化した、という人もいる。
そのあたりは、非常に自由だ。プレイブック的なルールさえ守っていれば、なにをしてもいいわけなのだから。
そんな様々なプレイスタイルの存在する世界で、自分はキャラを動かして、生き延びさせようとしている。
サバイバルをしている。
このサバイバルを始めるのは簡単だ。Twitterアカウントがないのなら作り、あるのならそのまま診断をすればいい。勿論、ルールを把握する必要はあるが、TRPGに関して門外漢な自分にしても、だいぶ飲み込みやすいルールであると思う。
だからといって定型文的に言うのはどうかとも思うので、何も言わないことにする。レッツサバイブなんて言わない。いわないったら言わない。
俺はADHDだけども。
こういう文章見る度に思うんだけどさ。社会で働いて生きていくってことは、そこに馴染んでいかなきゃいけないわけで。
んで、「金をもらう」っていう立場に立つ以上、選択権は向こうにあるんだよね。社会を批判したってさ、既存の民間企業みたいな組織ってのは
営利をベースに動いてるから、結局その中で役立たない存在ってのは辛い目にあうのよ。
んで、「ヘンテコな脳みそを持って生まれた少数の個人が健やかに生きるために社会よ変われ」って発想はさ、ADHDの俺が思うにムリがあるんだよな。
だって、フツーの人たちでフツーに回ってる社会に俺たち異物が入りこんだら上手くいかないのは当たり前じゃんね。変なのは俺らで、少数派なんだからさ。
発達障害の人に必要なのは、「社会の変化」とかそういうあんまり期待出来ないデカい話じゃなくて
「障害を抱えて(あわよくば能力として活かして)いかに生きるか」のロールモデルと、早期に受けられる適切な診断なんだよ。
例えばさ、俺は大学卒業して就職するまで自分がADHDだと気付いてなかったのよ。「時々うっかりするけど行動力溢れるアイディアマン」ってのが
周囲の評価だったから。ところが、就職で金融機関に入ってしまったものだから、あっというまにキチガイっぷりが露見。
まぁ、金融事務とかADHDがやってはいけない仕事ランキングトップ3には入るよね。そののち診断を受けて今に至ると。
んで、自分の特性を掴みなおして職を変えて成功した。まー、苦労はあったけどさ。
つまるところ、「何が向いていて、何が向いていないか」を適切に理解したうえで、仕事を選ぶしかないわけよ。俺の場合は営業→起業だったけどさ。
でさ、こーいう「選ぶ」っていうのはある程度社会的評価がないと難しいわけじゃないですか。
俺の場合は運よく出来たけど、そうもいかない人はたくさんいる。
「アスペでも得意分野があるなら任せとけばいいじゃん」って言葉を引用してるけど、実際社会ってわりとそんなもんよ。とんがった得意分野があれば結構いける。
俺は際立った営業能力のおかげで生きてこれたしね。でも、「得意分野」がそもそも無い人、あるいは社会的評価が低い人ってのはそうもいかない。
だから、アスペとかADHDの人が生き残るためには、早い段階で自分の特性を正しく理解したうえで「ふつうに生きていったら俺は死ぬしかなくなる」っていうシビアな危機感を持って
得意分野を作るしかないわけよ。アスペやADHDが生き残るには「学歴」+「得意分野」が絶対必須。
そりゃさ、社会が俺らを理解していい子いい子してくれるくらいに優しくなりゃ、それはそれでいいけどさ。そんなんムリだから。
だって、俺自分の会社の経理にADHDがいたらクビにするしかないし、営業部門にアスペがいてもやっぱりクビにするしかないもの。
まぁ、配置転換くらいは考えるけどさ。でも、やっぱりアスペやADHDは採りたくないよ。何か際立った職能が無い限りは。
発達障害の人間にとって一番必要なことは「自分は何か一芸が無ければ社会にとってただの異物、ゴミ以下のキチガイ野郎だ」
っていうシビアな自覚そのものだよ。「発達障害を理解しない社会が悪い」なんて考え始めたら、もうゲームオーバー確定。
#この文章は「シムシティ4」をプレイしたことある人向けです。プレイしたことない人は、攻略サイトなどを見てから読むとより分かりやすいでしょう。
シムシティ4は起債も不可能となりいよいよ収入不足でフローがマイナスになると「上院選立候補のため市長退任」というゲームオーバーがある。国政転出ってなんかリアルでもありそうな話だw
「働かざるもの飢えるべからず(ただし高度医療が受けられるとは言っていない)」
これは、日本と言う国の税収を考えてこうなるしかないという結論。BIと医療保険・年金の両立は確実に不可能。
だから、俺は賛成してる人は度胸あるなぁ、優秀さに自信があるんだろうなぁ、と思って眺めてる。
「~なければならない」なんて言っても、そりゃ不可能だからしょーがないという結論。
仮に、BIが制度として実現したとして「さぁ、ヤバイ時に備えてカネ貯めよう!」と思っても、
翌日に両足ポッキリ☆でゲームオーバー。後は、痛む足を抱えてギリギリメシ食えるだけの金を与えられるだけ。
まぁ、でも貧民向けのショッボい医療も流行るんでないかい。アメリカ化すると思うよ、全体的に。お金がなければジェネリックを使えばいいじゃない!
BIに賛成する人間はその支出が何によって代替されるかを考えなければならない。
だから、基本的にBIって主張は強者の論理であって、弱者とは全く馴染まない。
俺はBIになっても特段生活が変わらないから反対も賛成もしないけど、多くの議論はその面でピントがずれてるなーと思う。
結局、BIってのは「飢える心配」だけがなくなる制度で、その上に来る不安に対応するには結局のところ働くしかないわけで。
友人の子供を一日あずかることになった。今までに何度か預かったことがあるから慣れたものだ。また、おれの家にはゲーム機がそろっていて、退屈しないで一日過ごせるというのも子供の親にとっての安心材料のようだ。
が、おれはなぜかその日機嫌が悪かったので、子供の言動ひとつひとつが気に障って仕方がなかった。家にきても挨拶もせず、もう帰りたいだのともごもごと言っている。今なら子供だから仕方ない、と思えるのだが、その日のおれはその態度に腹が立ってしまった。小学一年生だというのにこれはないだろうと思ってしまったのだ。
おれはこの子供に意思表示の方法と物事をお願いする姿勢というやつを覚えさせてやろうと思った。が、これはいいわけでただ意地悪をしたかっただけだ。
おれはWiiでゲームをはじめた。子供は即座に反応し、キャーとか言いながらTVの前に釘づけになった。なんだこれーマリオー、のような独り言にはおれは一切反応しない。マリオできるのーといった問いにはYesNoで答え、おれはひたすらVCのRPGとかマリオカートなどいろいろなゲームを一人で遊び続けた。
子供は、最初のうちはみながら騒いでいるだけで自分も遊んでいる気になり満足していたようだが、マリオカートをはじめたあたりから自分がゲームをできないことに疑問を感じ始めたようだった。
でもこの子供はゲームをさせてください、と自分で言うことができない。今まですべて子供の親がこうしたおねがいをしていたからだ。
マリオカートではかなり盛り上がり、物欲しげな顔でおれのことやコントローラーを眺めたりしていた。おれは、ゲームをやってみるか、とおれから問いかけることはしないように努めた。
昼食の準備をするときは、コントローラーの電池を抜いて放置しておいた。なにやらいじっていたがおれは無視した。
昼食後、しばらく自分で持ってきたレゴで遊んだりしていたが、おれがマリオカートを始めるとまたTVに釘づけになった。ゲームオーバーになると、その都度もう一回やるーと言い、おれは自分でゲームをもう一回やってみせた。おやつの時間になる頃にはストレスがピークに達したのか、泣くまではいかないが、軽くかんしゃくを起こしたりし始めていた。自分がどうしてかんしゃくを起こしているのかは理解できていないようだった。おれは、ゲームをしながら適当に話をしてガス抜きに努めた。
夕方になると、涙をこぼしはじめた。おれは、家に帰りたいのかい、とわざと見当違いのことをいう。子供は、そうじゃない、というがおれが、お母さんもうすぐくるからな、というと、少し落ち着く。お母さんに会いたい気持ちはあるのか、自分が何をしたいのか説明できないようだった。
夜になると子供の親から電話があり、おれは少しずぐっているが大丈夫だ、と状況を説明した。おれはようやくWiiをしまい、子供と無理やりレゴで遊びながら親の到着を待った。親の顔をみると、子供はまた泣き出した。よくあることなので親は驚きもしなかったが、ここで初めて子供は、マリオやりたい、と意思表示をした。親に諭され、マリオをやらせてください、とおれに頼む子供。
大傑作ですよ、これ。
最初は「おれは新世界の神になる!」とかイッちゃってるヤンデレな妹に殺されかねないくらいに愛されて困っちゃうお兄ちゃんの話かと思いきや、それが軸ではあるんだけどその周りにくっついてきてるモノの量が半端じゃなくもうお腹いっぱいなのについついジャンボパフェをいくつも食べてしまうような気分になった。あとから考えるとどう考えてもギャグにしか聞こえないのに本気だし本気だと思わされてしまうところもすごい話だった。
まず、各ヒロインがとても濃い。
正義のためなら自分の肋骨や腸をえぐり出して攻撃することも厭わない正義感少女とか、生まれつき生き物を殺すことが大好きなフリークスなのに人間世界の論理というものをちゃんと理解してそれと折り合いを着けているけど論理的に一般大衆の敵だと判断したが最後笑顔でマシンガンをぶっ放すおねーさんとか、どう考えてもツンデレです本当にありがとうございましたな蜘蛛の人とか。
次に、主人公がとっても重い。
厄介な呪いにかかってしまったことがきっかけで大量殺人者としての人生を歩むことを余儀なくされてしまったのに、自己肯定をカケラもしない。全部俺が悪いんだの一点張り。でも決していじけたり投げやりになったり狂うことに逃げることはなく、目的を果たすまでは殺人者としての道を外れられないけどそれを果たしたら法のもとに裁かれることを唯一の希望にしている、そんな人。
もうね、そんな主人公にベタぼれ。根暗で無愛想で人付き合いが下手ででもいつだって誠意を忘れない。そしてそんな人だからこそ、自分の罪から逃げられなくてどうしようもないところをぐるぐるぐるぐる何時までも回ってる姿を見て、言葉が変かもしれないけどいとおしさを感じる。はい本当にベタぼれです。あと声が好き。
で、こんな主人公が各ヒロインに関わることで自分の罪と贖罪の道に答えを出すのだけれど、それがまたすごい。
主人公は自らを悪と認め人を殺すことはどんな理由があれども悪でしかないとの答えを出し、世のために正義の名を掲げて悪を打ちこの世に希望を取り戻したい正義感少女と真っ向からのガチバトル。
殺人狂のおねーさんに復讐対象とみなされ断罪され殺されることに生きる希望を見出し、そのおねーさんの腕の中で安らかに殺されるとか。
ツンデレな相棒にあんたも所詮フツーの男でしょやったこと全てに責任を負える立派なすごい男じゃないでしょーが!とグリグリされて罪を償えなくとも生きていること自体に価値を認められるようになるとか。
そしてヤンデレかと思いきやまるっきり正気だったのがすっげー怖い妹関連もすごい。天下に武を布き『強いヤツがえらいヤツ』という世界をつくりだしてその世界で全ての人類に勝ち、神様になりたいなどとのたまっている妹さん。こんなとんでもない考えをどうして実行したいのかというと、その理由はひとつ。「父に愛されたい」という想い。妹曰く、父は人の法によって自分から奪われてしまった、では神になって神の法を布けば父は自分のもとに帰ってきてくれるはず、とのこと。今お前の前に父親を引きずりだしてきたらどうだと訊いても、そんなのは人類の意思に負けた偽物の父親が出てくるだけだからダメだと。んで、いろんな人の思惑の手助けもあって最後には本当に神様になってしまう妹すげー。そしてそこまでやったけれども願いがかなわなくて、でも満足して死んでいった妹すげー。
それと上から目線になってしまうけれど、物理もしっかり理解出来ているのがシナリオの随所に見られてちょっとニヤッとしてしまった。重力を操れるということは時間と空間も操れることだということが分かっていたり、創気、辰気、磁気とが強い力、弱い力、電磁気力にしっかり対応していたり。
いろいろ語りたいんだけどうまく言葉にならないことが多い。序盤に消えた悪役が最後の一歩手前で黄金の巨人になって再登場するゴッド右京とか、朝廷、幕府、GHQの三竦みの構図かと思っていたら実は違ったでござるとか、ばばあー!結婚してくれー!!とか、自分が実はマゾだということを鬼畜主人公に萌えたことで悟りましたとか、裏ボス殺しちゃったらゲームオーバーとか。
増田はステキだね。自分のブログには恥ずかしくてかけないこともこの場なら書ける。ここまで駄文に付き合ってくださった方、ありがとう。
ん~何度読んでもこの人ずれてるなぁ。
えと、ごめん。その「実際は」って何?もしかしてこのケースでは「たまたま」そうだったってことを「実際は」って
言ってるの?何?貴方の中では「車の周りを多数で囲まれてフロントガラスを割られる」ってケースは世の中に
ひとつしかないの?え?ゲームじゃないんだよ?色々なパターンがありうるんだよ?
そして、人間って結果論で動けないんだよ?だってその場面に遭遇するのは毎回初回で、ゲームの繰り返しプレイじゃないんだよ?
クルマを止めて降りたら、「たまたま」相手もボンネットから降りたし、「たまたま」恫喝こそすれ身体に危害を加えてもこなかったそうです。
なんだよ?あくまで今回に限り実際結果的にこうだったってだけのはなしだよね?発生するまで実際にはわからないでしょ?
ゲームでも一回でもプレイしない限りその場面で何が起こるかなんてわからないんだよ?攻略wikiとかないんだよ?
で、なんでそういう状況で選択肢「・だったら俺は車を降りるぜ」が選択できちゃうの?車をおりたらたくさん人がいるんだよ?
それもフロントガラスを平気で割れるような人を含めたたくさんの人が。
あのね?車のフロントガラスを割ったらどうなるかわかる?目の前でガラスが飛び散るんだよ?それが目に入ることも充分ありうるんだよ?
「たまたま」今回はフロントガラスを割った時点での怪我はなかったんだろうけど、それもあくまで「たまたま」なの。
うん、かっこいいね。
あなたの脳内では自分が殺されてゲームオーバーってストーリーは展開されないんだ。
あくまで「手」なんだね。
選択し選ぶだけじゃ生きていけないよ?ね?もう少し考えて生きようよ。
怖いよ、あんた。
ラブプラスがわかる人だけ。
登場人物
主人公:23歳、某私立大学卒業後、1年間某メーカー勤務を経たのち、学校法人とわの学園大学に中途採用され今年7月から総務部に勤務。中途採用ではあるが、一部の教育訓練プログラムは新卒採用者たちと共に受講する。とわの市内のワンルームマンションに住む。
28歳。短大卒業後に商社に就職するが、2年後結婚を機に退社。1年後に派遣社員として学校法人とわの学園大学に就業する。一昨年4月から正社員となる。主人公と同じ総務部。主人公の実質的な教育係(主人公の教育係が寧々に教育係の仕事をほぼ丸投げしている)。
一時離婚を考え、実母の下に身を寄せていたが、実母の再婚を機に再び夫と二人暮しを再開している。
主人公を乗せるときは、人目を気にして主人公は後部座席に。
24歳、学校法人とわの学園に今年4月から新卒採用される。父は有名企業の経営者、母は市民運動家。
某有名私立大学に入学したが、自分の実力ではなく両親の口利きがあったのではないかと疑っていて自分に自信がない。
しかし、在学中の成績は常にトップで、研究論文は国際雑誌でもてはやされていた。
博士課程進学を嘱望されていたが、修士過程終了と共に就職する道を選んだ。
本人の強い希望によりとわの市内に1人暮らしではあるが、1人暮らしにしては広すぎるマンションに連日母親がやってきている。
普段は質素であるが、時々庶民離れした金銭感覚が垣間見える。
主人公とは教育訓練プログラムのほか、教職員組合テニス部での活動でも接点がある。
属性:生徒。ブラコン。
19歳。とわの学園大学医学部看護科の2年生。実習のたびに態度を注意され性格を否定され落ち込む。弟(父親の連れ子)を溺愛しているが、最近は弟に避けられてる。
乗りたいバイクが現在取得中の中型免許では乗れないことを最近知る。
ほぼ同じ。
ただし、人目ゲージが高いときにスキンシップを行うと即ゲームオーバー。セーブデータが消去される。
バッドエンディングは次の通り
凛子⇒弟に刺される
ツイッターが混雑してる時に出てくる鯨をさ、野蛮な日本人の集団がモリを持ってぶっ殺しに来るのね。
で、無事(?)鯨が殺されるとツイッターにアクセスできるようになるんだけど、
それを阻止しようと白人どもが船に乗ってやって来る。
で、乗ってくる船っていうのが彼らが過去に散々殺した鯨の骨とかヒゲでできてて、
その船を見ると、助けようとしている鯨は恐怖で逃げていく。
船の動力源は船底でこき使われている黒人どもなんだけど、船の速度上げすぎると
過労で黒人が死んで速度が出せなくなってしまう。
鯨と船の速度を上手に調整して、自己の欺瞞と矛盾を抱えつつ日本人を殺して鯨を救うゲーム。
自動的に[I am a Racist!]っていう投稿がされる仕様で。
あと、時々中国人がボロ舟に乗って出てくるんだけど、
つづき
はじめから恋人の状態
ある一定条件を満たすと、以下のイベントが起こる
人生の難易度が高すぎる気がする
ずっと疑問に思っていた
なんで周囲の人間は、あんなに楽しそうに毎日を過ごしていられるのか
それに対して今の俺のこの惨めさといったら…
もしかして俺、ゲームオーバー寸前なんじゃないの?
それこそ、地道なLv上げでは焼け石に水なくらいに。
しかも実際のクソゲーよりも厄介なのはゲームのようにリセットすれば
最初のプレイ時と初期ステータスが変わるかどうかも分からない。
そもそもリセットしても再びこのゲームの電源が入るかも全く分からない。
恵まれなければ苦労してもLvは上がらないし、
初期ステータスの一部の状態異常もゲームオーバーまで治らない。
中盤以降ではほとんどジョブチェンジはできない。
こんなクソゲーをプレイすることは拷問以上の何物でもないという人も
決して少なくはない。だが、一度切りのゲームでリセットが効かないために
だから、途中で自ら「自殺」することでゲームを終了する人も多い。
だけど、ちょっとこのゲームを終了させるのは待ってみないか。
これらの「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」を一通り試してみる
価値はあるのではないだろうか?
本来想定されているこの「ゲームの面白さ」を無くしてしまう。
でもこのクソゲーに面白さが感じられないのなら
せっかく一度だけでもプレイできるのだから、例えゲームバランスを
崩してしまうことになっても、新しい「面白さ」の発見に賭けてみる
というのもありなんではないだろうか。
「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」はどうすれば知ることができるか?
そこはフツーのゲームと同じ。「とにかくいろいろやってみる」ことだ。
イケメンとブサイクの差ってゲーム開始時にFFでいうラ系魔法を覚えてるかどうかくらいの差のような気がする。
イケメンはとりあえず序盤はラ系魔法使ってれば(MP足りないとか抜いて)、簡単に倒せるみたいな。
んで、ブサイクはまずは魔法なしから始まる。経験値を段々つんでいけば、ファイアを覚えることができる。
中盤あたりになってくると、経験値をまったく積んでないイケメンは普通に戦い始める。
といっても、序盤が楽勝だったので大抵のイケメンは経験値積んでて中盤もサクサク進む。
ブサイクはここらへんで脱落者が出てくる。経験値を積んでないとゲームオーバーになる。努力すればファイラとか覚えられる。
終盤になると、まったく経験値を積んでないイケメンはさすがに辛い戦闘になる。
でも、相変わらず大抵のイケメンはガ系魔法を覚えてるので、普通に戦っていれば勝つことができる。
ブサイクもじゃあ努力すればガ系を覚えるかというと残念、いくら頑張ってもラ系魔法までしか覚えられない。
だからブサイクは経験値を大量に積んでも、ファイラとかでラスボスを倒さなくちゃいけない。
でも、全ての望みが絶たれたわけではない。
FFやったことある人は分かると思うけど、ファイラとかケアルラだけでも戦略を駆使すればラスボスを倒すことは可能だ。
ブサイクも努力して戦略の立て方さえしっかりしていれば、ラスボスを倒すことができるのだ。