はてなキーワード: アイドル声優とは
夏アニメに演技面で本当に酷いのがいくつかあったが、こういうことだったのか
アイドルの声優活動なぜ増加? 2つのシーンに起こった変化を読む - Real Sound|リアルサウンド
声優がアイドルをやる時代から、アイドルが声優をやる時代になったわけね
没個性でも最低限聞くことが出来る、あるいは作品のイメージに合ってればいいんだが糞下手でその域に達していない演技力だとそれだけで見る気が無くなるのでやめてほしい
例を挙げるとナナマル サンバツ、クリオネの灯り、アース・スター全般(最近だと無責任ギャラクシー☆タイラー)。古いのだと電波教師、C3部、R-15辺りは酷かった。
アイドルアニメはさらに酷く顔出しやライブ前提の容姿優先演技力は二の次のキャスティングで話や作画でいくら取り繕っても聞くに堪えない。例:アクションヒロイン チアフルーツ、ドリフェス、WUG!(一期)等
そもそも中の人の容姿や演技以外の個性に全く興味がない自分にとっては、どれだけ若くて美人で歌って踊れるからといって「だから何?」としか思えないんだ。
そんな二の次の要素を優先する前に演技をなんとかしろよ。例えそれがライブや中の人宣伝アニメでも最低限見れるレベルじゃないと宣伝以前の問題だろ。
声優がアイドルごっこやってファンにちやほやされるのと、アイドルが声優をやる(あるいは最初からアイドル声優として売り出す)のとじゃ話が違うだろ。糞演技が作品の評価に直結するんだから。
どうしてもやりたいなら洋画の吹き替えや国民的アニメの劇場版、スペシャル回だけでやってほしいね。ナナマルの原作ファンは泣いていいよ
結局みんなズリネタじゃん
「違う」と怒るやついるけどそういうやつって自分がズリネタにしてるの気付いてないか認めたくないだけで完全にズリネタだよな
いやおれは、アイドルを見て男性がちんちん充血するのって当たり前の反応だしあんなかわいい子たちがあんなんしたらそりゃちんちんジュンジュンするの当たり前だしもちろんそれでシッコシコだけど、それを嘘ついて隠してあたかもおれは美しい花を鑑賞して楽しんでるだけなんだみたいな美化やめろよと思う シコるじゃん 絶対シコるじゃん おまえぜったいシコるじゃん 結局ズリネタじゃん
そうやって美しい花はきれいですばらしいな みたいな詭弁に騙されて女の子たちが「あたしもお花になりたい!」とか自分で言って目指したりしてんだけどほんとはそれおまえただのズリネタだからな おまえはお花じゃなくてズリネタ
布を剥ぐか剥がないかの違いだけでAV女優と同じ仕事なんだっていうことを理解してんのかな
いや、AV女優は素晴らしいお仕事でまじリスペクト 毎晩おれのキャンタマをフル稼働させてくれるおかげで前立腺ガンになる可能性が極めて低くなってるくらいだしほんと命の恩人と言っても過言ではない ベーシックインカムとか言ってないで国は早急にAV女優や風俗嬢に特別手当を支給して国をあげて保護すべき対象だとおれは思うしそういう立派なお仕事なんだけど、アイドルだってそれと同じお仕事だかんな?
みたいな問題を見てさ
どうしても俺は思ってしまう
「じゃあTwitterやらなきゃよくね?」
って
うんわかる
わかるよ言いたいことは
この理屈は「痴漢が嫌なら電車に乗るな」とか「交通事故が嫌なら車を使うな」みたいな無茶な理屈に見えるだろう
「死にたくなけりゃ戦場に丸腰で来るな」
みたいなことなんだよ
そりゃ殺す奴が、犯す奴が悪いのは違いない
でも戦場で「ファックプリーズ」と書いた看板を持った全裸の女がレイプされたとき
アイドル声優がネット上に写真をアップロードするってのはそれくらいの行為なんだよ
何故ならインターネットとは法の行き届かない
……なんてのはもう遥か昔の話なんだよな
日常のすぐ隣にある
整備された町並みに清潔な建物を数多の企業の看板が彩る立派な都市になってしまったんだよな
そりゃそんなとこで白昼堂々レイプしようもんなら捕まってもしょうがねえわな
ちげえねえ
今時こんな考えを持ってる俺は
戦争が終わったと認めたくないジオン残党みたいなもんなんだろうな
俺は件の声優のことはよく知らないしTwitterはアカウントすら持ってないが
素直に射精していた彼らになんとなく仲間意識のようなものを持ってしまうんだ
「ああ、お前たちもまだ戦場に取り残されてるのか」
って
今までと比べてかなりつまらなかった。
けものフレンズ8話がつまらない、ということもまたけものフレンズという物語を紐解く上で重要な意味を持っているからである。
OPを歌っているアイドル声優グループが演じるPPPというフレンズアイドルユニットが主役となっているという事からは明らかな大人の事情が伺える。
物語の中においても、ヒトがいなくなり文明的な要素の多くが失われた世界でアイドルを行っているPPPは異彩を放っている。
そもそもフレンズがアイドルユニットを組んでいるという状態はジャパリパークがまだアミューズメントとして機能していた時代に置いても特別な存在であった事は想像に難くない。
動物が観客に見せるために芸を磨くという行為は現実の動物園では一般的な行為となっているが、それは動物の本来の姿ではない。
動物園が営業していく為に動物に行わせている本来の生態から外れた行為である。
PPPはいわばヒトが持つ商業主義、拝金主義的な側面の化身としてジャパリパークに存在している。
けものフレンズはここまでそれぞれのフレンズの自然な姿を描いてきた。
フレンズ達がそれぞれの日常を自然にのびのびと暮らす世界をカバンちゃんが旅する話である。
確かにアルパカが喫茶店を開いたり、ライオンがDOG DAYSみたいな事をしている事はあった。
しかしそれらの中にも、徒歩によって移動するフレンズでありながら高い崖の上に難なく移動してしまうアルパカや、狩りごっこごっこに興じるライオンといった形でフレンズのベースとなった動物の生態が現れていた。
ロイヤルペンギンのプリンセスがPPPを再結成しようとしたのは、ペンギンの生態がそうであったからではなくPPPがその昔ジャパリパークに存在したからである。
いわば間接的ではあるがヒトの手による強い介入を受けた行動である。
(まあぶっちゃけアルパカもジャパリカフェの名残という形でヒトの介入や大人の都合をゲフンゲフン…例外として今は忘れてくれ。)
カバンちゃんと無関係の所でここまで強くヒトの影響が描かれることは今までなかった。
そしてそれによって描かれた光景は、我々がけものフレンズに期待していたものとは全く違ったものとなった。
自分たちの存在、自分の存在が観客に受け入れられるのかと恐れるプリンセスの姿は、自分の本来のあり方のまま生きている他のフレンズにはないものである。
なぜなら他のフレンズはただどこまでも自然体で生きているからである。
PPPに参加せず普通のペンギンとして生きる道も開かれている事を知っているプリンセスと違いそもそも生きる道を選ぶという発想自体がない。
目先目先の日常から抜け出て生き方を選択するという発想は文明が発達したことで生まれたものである。
自分が何者であるかを迷うという行為は、道があることによって生まれる感情である。
ヒトの商業主義によって生まれたPPP、今までとは違う生き方の選択肢の登場によって生まれたプリンセスの悩み、これらはヒトが残した文明の残り香がなければ存在し得ない物である。
文明のない世界では生き物はただ生きるために生き、空いた時間はただ本能のままのびのびと過ごす。
ある種の貪欲さ、ストイックさをもってより良く生きようとそれまでとは違った生き方を選ぶ道である。
これは7話において博士達がジャパリまん以外の食べ物を求めカレーを食べた際に半分描かれている。
火という恐ろしい存在がカレーという益をなす光景は、文明の危険性をを暗示してはいるがそれが実際にフレンズを傷つけることはなかった。
だが今回は違う、文明は選択することの不安という形でフレンズに牙を剥いた。
自然の中でのびのびと生きるフレンズの姿を描いてきた作品の中で、文明がフレンズを傷つける姿が描かれたのが8話である。
ヒトのもたらした文明がフレンズを傷つける、それが8話である。
唐突にこんな物を投げつけられて無意識が嫌悪感を抱かないでいられるはずがない。
我々がけものフレンズの8話をつまらない、何かが違うと感じたのは当然なのだ。
だがそれは同時に我々がけものフレンズに求めていた物を再確認させてくれる。
8話の直前に7話が描かれたのも、これが文明を否定する物語でない事を強調するためなのではいだろうか。
それはなにもカレーだけではない。
ライブだけではない。
ジャパリまんだ。
ジャパリまんはジャパリパークの平穏な生活を支える重要な資源である。
それらはラッキービーストによって管理されフレンズの元へと配られている。
8話で初めて登場した二人目のラッキービーストは多くの情報を我々にもたらした。
フレンズが多い場所にラッキービーストは現れる、それは彼らが能動的にジャパリまんを配り歩いていることを意味している。
フレンズは自由な生活を送りながらジャパリまんの供給が受けられるようになっている。
またこれまでラッキービーストにあわずともカバンちゃん達が不自由なく生きてこれた事からも、ジャパリまんの供給量や栄養価がフレンズ達の暮らしにおいてかなりの余裕がある物であることがわかる。
ジャパリパークの平穏な生活は文明の力によって支えられている。
それはヒトのもたらした物であろう。
だが文明の持つ暗部も描く。
自然体で生きることの素晴らしさを描きながらも、そうやって自然体で生きるのに文明の力が役立っている事を描く物語がけものフレンズである。
だがそこで文明を投げ捨てたとしてそこに求めていたものがあるかといえば違う。
文明と共に生き、しかして文明の持つ闇に飲まれないようにすることが、我々の求める生き方に辿り着く鍵なのだ。
声優オタクはもう動じなくなっている。
仮に花澤さんではなく現在売り出し中の若いアイドル声優の同棲報道とかであっても大した騒ぎにはならないだろう。
紅白出演を果たした人気絶頂の大人気声優が実は元AV女優でした、しかもそのエロ動画が出てきました、というのに比べればどれもなんてことはないのだ。
みくさん事件を超える声優スキャンダルなんて、例えば車で人を轢き殺してしまったとか、ライバル声優を毒殺したとか、放火したとか、そのレベルだろう。
声優なんだからAV出演くらいしていても当然、枕営業していても当然、堕胎を繰り返していても当然、といったような認識が広がっていく。
声優に対する理想像の押し付けといったものはなくなり、声優を一人の人間として見るようにはなるだろう。どこにでもいる汚い人間の一人として。
全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。
違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体はエイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。
前も書いたように、プリリズのアニメで最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲もエイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分でお金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。
というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。
プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。
もちろん、LISPも81とエイベックスのプロジェクトである。そこだけ見ればWUGもi☆Risと同類であるが、決定的な違いがあった。
LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。
いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界にはいるかもしれないが、オーロラドリームの放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル。
なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。
こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックスの中の人としては
「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募型オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」
そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソン・ヴォーカルオーディションが始まります。
といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。
エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。
2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押しで素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。
…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド
「養成所を卒業したばかりの新人や養成所在籍中の子を適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」
も発動。
演技力も歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。
それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。
初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。
2013年4月にアニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。
そういうわけでTRFとコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。
この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。
念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris、主題歌i☆Risなアニメが始まったわけです。
アニメを作るのに必要な時間の長さを考えれば、ほぼ全作業がプリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。
要するに元増田が「WUGの成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。
実際には単に「同時期に、同じレコード会社がお金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。
あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人とキャラのシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である。
11/09/14 ランク外 ***,*** *0 伊藤かな恵 かな恵る
11/12/14 **1,894 **1,894 *1 花澤香菜 KANA
12/01/25 **1,969 **1,969 *1 RO-KYU-BU! kiseki
12/03/14 **2,647 **4,390 *2 竹達彩奈 AYANA
12/03/27 ランク外 ***,*** *0 悠木碧 Diamant fille
12/04/24 ランク外 ***,*** *0 中島愛 まめぐるり
12/07/11 **2,090 **2,437 *2 井口裕香 Le chouchou
13/05/28 **2,410 **2,410 *1 井上麻里奈 MariIro
13/07/17 **1,169 **1,169 *1 三森すずこ みもりんっ
14/06/05 **1,960 **1,960 *1 小倉唯 yui memory
14/12/24 **1,552 **1,747 *2 内田真礼 まあや
15/06/16 **1,860 **2,010 *2 戸松遥 I may Me
かな恵、花澤、竹達、井口とかがいるのだから特に可愛いとか美人でなくてもアイドル声優になれるのは間違いない。
もちろん可愛いとなれないということもないだろう。
コスプレした成人女性かもしれませんが、性風俗産業に毒されていない人にはJKと映ったはずで、観測的にはJKと呼んで間違いないです。不安な方は五反田で量子力学の講義を受けてください。
おそらく学校ないし(ある?)、カバン持ってなかったので、""あえて""制服を着ていたのだと思います。
黒髪ナチュラルメイクのリア充クラスタといった感じの子で、制服姿の自分をウリにしているというか、自分がかわいいことを自覚していて、それを嫌味なくプレゼンテーションできる、コミュ障ノックアウトなオーラをまとっておられました。
いやぁ、まぶしかった。
ロシュフーコーも「太陽とJKは直視できない」と言ってますが、キモヲタなのでキラキラした学生を見ると気後れしてしまいます。
インターネットの暗くジメジメしたテキスト文化に肩まで浸かっているので、あやうくJKに巻き込まれて死ぬところでした。
JKをjk(常考(常識的に考えて))に痴漢もとい置換する心の防衛本能が働いていなかったら、確実に落命していたことでしょう。
昨今のJK事情には疎いのですが、JKのブランド価値って高い……の?
大塚明夫が「アイドル声優の旬は16,7歳」と著作(声優魂)に書いてて、おいそれ若すぎるだろと思ったのですが、マジでガチでそれくらいの来いよアグネスな年頃がビンゴなのでしょうか。
私は心が汚れているので、JKと聞くと「未成年だから危ない、食えない」と思ってしまいます。
往時(90年代前半)、青森ではJKより人妻の方が援交相場価格が高かったらしいです。私も年増の方が好きです。
キモヲタ界隈では『コミュ障なヲタクに合わせてお喋りしてくれる菩薩のような女性』がマドンナとして虚数空間でシェアされているように見受けられます。
う〜む。性的弱者にはイマイチよく分からないお話ですね。パナマ文書について何か発言したいけれど、当事者意識が持てない貧困層の姿を彷彿とさせます。
童貞をこじらせた皆々様におかれましては、JKというよりも三次元の女性が縁遠い存在ではないでしょうか。ニュータイプだから仕方ないね。
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
知り合いっていっても
数ヶ月に一回複数人の飲みとかで会う程度の知り合いだったんだけどさ
その声優…仮にM子とする…の当時(当時は声優目指してるフリーターだったけど)同棲してた彼氏が友人だったんだ
で、(俺の)引っ越しやらなんやらでM子やその彼氏としばらく会わなくなって
2年くらいたったころちょっとした機会で昔の共通の友人(M子の彼氏ではない)に会う機会があった
そこで
「そういやM子、なんだかんだ声優なったみたいだぞ」
と聞いた
(うろ覚えだけどそのときは既婚者のマネージャー?と同棲してたとかで既に友人の彼女ではなかった)
実際ググってみると
アイドル声優としてキモオタに媚を売っている見覚えのある顔があった
それなりに有名な作品の脇役をやってるらしい
M子には時々見せるメンヘラっぽさや、生活面でのだらしなさ、そして俺が個人的に(二次元のアニメキャラは好きだが)アニメ声の女が嫌いだったことからあまりいい印象は抱いてなかったが
知り合いが、たとえそれがキモオタがブヒブヒ言うためのアイドル声優だったとしても、メディアに露出する人間になったというのは面白い話だし
有名になったら自慢するからまあがんばってくれやくらいに思っていた
唐突にM子のことを思い出してググってみた
異常に目がデカイ女の大量の画像というブラクラ紛いのものだった
Wikipediaで調べてみると出演作品は数年前に出た脇役以外ほとんど増えていない
もしかすると自撮り用のアプリやらなんやらで加工しているだけなのかもしれない
しかしなんとなく恐怖を感じてそれ以上調べるのは辞めた
M子自身に恐怖を感じたというのもあるが
それ以上に
俺と同い年だったからそろそろ三十路に突入するこんなメンヘラビッチのブラクラ画像集が一部のオタクたちに夢と希望を与えている