はてなキーワード: アイドル声優とは
去年ぐらいから流行っているVtuberってコンテンツがある。
テキストサイトから続くネット文化の進化系+日常アニメの延長の生きているキャラクターでバーチャルな姿をした新人種。
去年の今頃から嵌っているが、自分に取っては日常アニメの進化した姿という認識で特に変わっていない。
だから好きなアニメのキャラがライブやったり、バラエティやドラマに出てるっていう長年の夢みたいな物が叶いつつあり、
アニメのキャラが現実を侵食するなんて光景を当事者として見れるなんて楽しくて仕方がなかった。
が、同時にこの考え方が界隈ではマイノリティではないかとずっと感じていた。
その一番大きな違和感が押しって言葉と異常に生放送を神格化している界隈全体。
僕は未だにファンの事を敢えて押しって言っている意味が分からないが、みんな使っているのでそんな物なのかと思っていたが違和感しかしかない。
そして1時間の生放送ってよくよく考えたら正直コンテンツとしてとんでもなく重たい。
シットコムが20分、アニメなら25分、ドラマなら50分、映画なら2時間ぐらいが普通の中で1時間が普通で、それ以上も当たり前ってコンテンツとして見るとありえないレベルの重さだとずっと思っていた。
もちろん僕は生配信を否定する気もないし、別にそれはそれで構わないと思っているけど、いくらなんでもコンテンツとしてそこまで生放送を神格化しているのはおかしいともずっと感じていた。
で、気づいた。「押し」って言葉積極的に使っている人達と見てる世界が違うなって。
僕はあくまで究極に進化したコンテンツ産業の一つで漫画とかアニメの仲間だと思っているVtuberだけど、アイドル声優さんとかアイドルさんの代替として見てる層がいてそれが実は大多数なのが実態だったりするんじゃないかなって。
僕もアイドル文化に詳しく無いので分からなかったが、パリピとヒッキーを同じ箱に入れるような物で本質的に別の種族だったのに同じ物が好きってだけでわかり会えると勘違いしていた。
結局、その事に早めに気づいた人達はさっさとVtuberと距離を取って、残っているのはそういう層ばかりって事だ。
なので、長々と書いたが僕は1年間やってきたVtuberファンってカテゴリをやめる事にした。
別に今ファンをやっている人達のファンをやめる気はない。ただその人達をVtuberとは今後認識せず、数あるコンテンツの一つって認識に改める事にする。
何が変わるかは分からないが、とりあえず界隈からは距離を取る。生放送中心の人はカテゴリーエラーなので近づかなくて良くなる。新規発掘はできなくなるが、本当に力があるコンテンツなら目に着くところに上がってくるだろうと信じている。
・一人の大人が文化的で健康な生活していくのに必要なお金のこと
・声優のギャラの低さ
・40、50まで声優だけで食えて残っている声優の少なさとその圧倒的な才能
・アイドル声優となり劇場版コナンに出演するには、三流タレントになってゲスト出演するほうがまだたやすい
・すべてを受け入れてあえて挑戦したいなら止めないが、支援は三年間のみ
だいたいこういう事を話して、それでも興奮気味の子供はやる!リスクとる!と豪語した。
そしてアニメ専門学校の体験レッスンに連れていき、アテレコ体験をしたら自分の声が自分で聞いているよりずっと鼻声だとショックを受けて、声優になりたいと言うことはなくなった。
知っている人は知っているのだが、
某人気アイドル声優に強烈なネット(リアル?)ストーキングを仕掛けている人物がいる
そのアイドル声優のツイッターに1日中、リプライを繰り返している
1日に1000回を超える事もある
だが冷静に考えてみると彼は1日中、そのアイドル声優の事しか考えていないわけだ
経験があるのだが、タイプな女の子と出会えてイチャつけたりすると、そのことで頭がいっぱいになっていると、
夢でもその女の子が出てきて、朝から心地良い気分で1日が過ごせるのだ
毎日夢にそのアイドル声優が出てきて、毎日気持ちいい朝を迎えられるのではないだろうか
逆に言うと毎日粘着して常に頭でいっぱい埋めておかないと、良い夢が見れない
おそらくどんな薬よりも効果が高いと思う
ノーベル賞を受賞した数1000万の薬よりも圧倒的に効果は高い。しかも無料
そもそもこのストーカーは精神疾患だと思うが、薬では治すことはできない
嫌な事があるとそれに引っ張られ、幸福で満たし続けることはできない
その点彼の場合、1日中そのアイドル声優の事だけを考え、それ以外の事は考えなくて済む
夢の中、あるいは起きている間も、脳内でイチャつくこともできる
リアルではドロドロとした駆け引きがあるが、アイドル声優は処女性を見せてくれるからだ
書いててさらに羨ましくなってきた
アニメの作り手は一つの作品だけでも沢山いるので「なんで殊更声優に詳しい人が多いんだ?」という疑念は、全くアニメを観てなかった2年前の私も持っていたのだけれど、いざアニメを観るようになってからは、三度「彼らもこうやって声優のことを好きになったのかなぁ…」と思うことがあったので、そのあたりの経験を増田に投げてみようと思った。
アニメにハマった初期の頃は声優の名前を気にせず、物語の好き嫌いだけで観ていた(そういう意味では「アニメ=魅力的な原作を動画化したもの」という認識だったのかもしれない)のだけれど、去年ニコニコ動画で「ふらいんぐうぃっち」を観ていたとき、作り手に言及したコメントがたくさんあったので、自然と本作の監督、脚本、絵コンテ、音楽、背景等について興味が湧き、めっちゃ調べまくったのを覚えている。
それ以来、アニメは必ず作り手が誰かを気にしながら観るようになった。自分の好きな作品に関わるスタッフが別作品に関わっていれば、観てなくても好みの作品であることが分かるので、そういう「好きなスタッフ」を増やしていくことが、大好きな作品に出会うための一番の指針になるからだ。でもこの時点ではまだ、殊更に声優を意識することはなかった。声優の演技は基本ディレクション次第で、いい演技=いいディレクションだと思っていたからだ。
最初に声優の凄さを実感したのは〈物語〉シリーズだったと思う。どのキャラも作中で掘り下げていて必ず見せ場があるので、一通り中の人の好演を観ることができる。おかげでキャラと中の人の名前が一致するのにそれほど苦労しなかったのだけれど、そんな彼らが別の作品に出ていたのを観たとき、声がまるで別人みたいな声色や喋り方で(別人格だから当たり前なんだけど)、いくらディレクションが違うとはいえこんなに多彩な演技ができる声優ってすごい!と感じ、以降気になったキャラの中の人は「作り手」として積極的に覚えるようになった(この頃はまだ、アニメ作品の主演声優すら覚えてない事が多かった)。
一方、明確に声優個人の人となりを意識したのは「てさぐれ!部活もの」シリーズだった。これは中の人とキャラクターの境界が非常に曖昧な作品なので、本作に限り「このアニメを好きになる=中の人を好きになる」といっても過言ではない。また、本作はニコ動で公式ラジオを今でも無料開放しており、声優同士の馬鹿騒ぎや、それに対するファンからの愛のあるコメントを見ることができる。そこではどの声優も独特のいじられ方をしており、非常に愛に溢れた独特の空間になっている。当然声優個人に興味が湧いたので各声優のニコニコ大百科を見たのだけれど、どの声優のページもあらゆるエピソードや出演作を網羅的に記載していて驚いた。あまりに面白かったので、暫くの間声優の大百科サーフィンにハマっていたくらいだ。これだけの情報をまとめるファンたちはすごい。もはや一種のエンターテイメントである。おかげで、特定の作品の中の人を全員覚えることが出来た(全員覚えたのは本作だけかもしれない)。この頃から特定の声優目当てでアニメを観ることが多くなった気がする。
てさ部がキッカケで多くのアニメに(広報として)公式ラジオ番組があることを知った。この手のラジオは大抵出演声優がMCを務めているので、そのアニメのことを詳しく知りたいからと聴くうち、どんどん声優に詳しくなっていく仕様になっている(特にラジオはSound Onlyなので、声と名前を一致させるところから始める必要があるのも、これに拍車をかけている気がする)。
広報のための番組とはいえラジオはラジオなので、たまに声優個人の近況報告の中で友達の声優や同じ事務所の声優が話に出て来たりするのだけれど、その度調べていくうち「声優のラジオ界隈」というコミュニティにたどり着き、そこからは芋づる式に声優に詳しくなっていった(例:水瀬いのりさんのラジオにちょくちょく出てくる大西沙織さんと一緒にラジオをやってる佐倉綾音さんと仲がいい加隈亜衣さんと東山奈央さんとか)。ラジオを聴く限り声優は職業柄、横のつながりを大切にする人が多いようだ。声優は基本的に他事務所の声優と一緒に仕事をする機会は多く、同じ事務所の声優と一緒になる機会が少ないので、事務所を越えて交友関係が広がる傾向にあるとのこと。声優による、事務所を越えた労働組合を作る日が来たりして。
私はもともとラジオ大好きっ子だったので、ラジオパーソナリティの人となりが好きという理由だけで、福山雅治さんも荻上チキさんも伊集院光さんも朝井リョウさんもオードリーも菊地成孔さんも花澤香菜さんも西明日香さんも小澤亜李さんも黒沢ともよさんも吉田有里さんも本渡楓さんもラジオで聴いている。そう考えると私には「演者として好きな声優」と「人として好きな声優」がいるということなのだろう(必ずしも可分ではない)。ラジオという媒体は多かれ少なかれパーソナリティのプライベートを切り売りする仕事なので、聴けば聴くほど彼らを好きになってしまうのだ。例えば黒沢ともよさんのラジオを聴こうと思ったキッカケこそ「宝石の国」での演技に感動したからなのだけれど、「それはそれ、これはこれ」みたいな。
だから、「声優は好きだけどアニメは観ない人」も「アニメは観るけど声優には詳しくない人」もいて当然だと思う。なんせ声優の仕事は多岐に渡るので「アニメの仕事」は声優のいち側面でしか無く、「アニメに詳しい人が知る声優」と「声優が好きな人が知る声優」は必ずしも一致しないのだから。強いて言えば、多くの声優はアニメが大好きなので自然と「アニメが大好きで声優にも詳しい人」が多くなるのだろう。私みたいに。
よくアニメ実況のTLやニコニコのコメントで声優いじりのネタを書き込む人がいるけれど、あれも「普段ラジオや生放送で馬鹿騒ぎしてる人がアニメで真面目に演技している(笑)」とか「あの作品ではあんなにコミカルな演技してたのに(笑)」っていう、ある種声優本位な観かただったりするので、それはそれで楽しそうだ。
でも私にも全く分からない分野があって、たとえばアイドル声優(アイドルを描くアニメ等の作品と同時展開でリアルでもライブイベント等を通じてアイドル活動を行う人たち)だ。本当に何もわからない。もちろんそれは特定の声優をさすカテゴリではなく、あくまで声優のいち側面でしか無いのだろうけれど、個人的な観測範囲ではどうもファン層が異なるように感じる。あの界隈はやっぱりリアルでのライブに行かないとその本質が分からないものなのだろうか。もし増田erの中にアイドル声優(狭義)にハマってる人がいたら「アニメをどう楽しむのか」とか「アイドル声優と声優じゃないアイドルの違い」とか聞いてみたいな。あと、アニメキャラクターの性格と中の人の性格は当然違うわけだけれど、ライブってどうやって楽しむんだろう。やっぱり「それはそれ、これはこれ」なのかな。
これで3回目になる。
僕の目の前のオタクがおそらく自作したであろう大光量のライトが5本くらいついてるの
お前が目立ってどうするんだ…
そんなに目立ってどうするんだ…
きっと彼(もしくは彼のような人)は普段から注目あびるようなこともできず、
その性分なら間違いなくネット弁慶だろうし、
その邪魔になるような行為というのは賠償責任があるくらいの迷惑行為だのに、
なぜこうも自己中心的な振る舞いができるのだろう。
それを聞いてどうする?
煽ってるの?
もしこの記事を見て憤りを感じる人がいたら、
「盛り上げてんだよ!」
いや、そういった間違った楽しみ方で他の人の邪魔しちゃいかんし、
盛り下がるんだよね。
というかなんでこんな低レベルなことで悩まなきゃいけないんだろうな。
幼稚園とかで先生の話をちゃんとききましょうね~とか習わなかったのかな。
猿や犬、猫みたいな動物だってある程度空気読めるのに、それに満たないだな。
まずこれだけは絶対に言えることだけど
これだけ。
どれだけ論理性を駆使して、時によっては過去の判例なんか遡って説明しても、
ちゃんとできないんだ。
髪をセットして髭も剃って爪も切って
好きなんじゃないのかよ、くそ。
境界の話じゃなくて
俺も見てみたらたしかに面白かった、ゲーム実況者くらいの位置づけかな
表にするとこんなカナジ
可愛さ極振り(遠い、崇拝)
↑
①昔のアイドル
④VTuber二期生
⑤かっちゃま
↓
勘違いしちゃいけないのが、この④の位置でもファンや信者は付く
男性版だとこの位置はゲーム実況主なんだが、そちらも女性ファンがすごい
④の位置の女性版は確かに未だまだ開拓が甘かった気がするから今後楽しみではある
(最近生放送系サービスが増えてるのは、ここの開拓なんだと思う。
ただエロ方面も同時に狙っていて、逆に狙ってないのがVTuverの方、どっちが旨いかは未だ分からん)
芸能人だとイモトとかかな、人間としての魅力にフォーカスが行く気がする
そのうち魅力について書く
タイトルで落ちてるのであまり語ることもないが、自分はこのたとえが一番しっくりくる。
従来の(リアル)ユーチューバーや、地下アイドル、アイドル声優などと本質が変わらないという指摘は最もだと思う。
自分はバーチャルユーチューバーがものすごく新しい、次世代のアイドル像とは思わない。
取りざたされるのは中の人の「素」が見える場面であることが多く、持ち上げられ方は既視感にまみれている。
でもやっぱり決定的に違う部分があって、それがこの着ぐるみ性なんだと思う。
ディズニーに行って、ミッキーの対応の良さにいたく感動したとする。
感動した対応の一つ一つは中の人が主体的に起こしたことだけれど、だから中の人のファンになろうとは(多くの人は)ならない。
よって、中の人がプライベートではミッキーらしからぬ生活をしている、裏切られた!とも多分ならない。
一方で、園内にいるときにちょっと暑いから頭を外そう、というのはご法度だ。
多くの人は中の人なんてどうでも良くて、その"キャラの"素の部分を見たがっている。
それはキャラクターの設計上、たまたま、中の人の素の部分と一致しているだけで、本当は中の人なんてどうでもいいのではないか。
もちろん中の人まで気になる人も少数いて、何人かのバーチャルユーチューバーは中の人が割れてしまっているが、
案外、ツイッターのフォロワー数などはやってるキャラクターに比べて全然伸びていない。
自分はアイドルの業界は詳しくないから断言はできないが、実は本来そうなんじゃないか。
元増田じゃないけど。
そこは話がビジュアルについてじゃなくて一般化されてるんだと思う。
暗黙の前提として「アイドル声優の良し悪しは演技力で決まる」というのがあって
よって「アイドル声優の良し悪しをルックスで評価する人々」は「本質とは別の部分を求める人々」ということになる。
なので
【A】アイドル声優の良し悪しはルックスで決まると思ってる人種の同類か?
↓
↓
【C】俺から見りゃ全く一緒だね
という論理展開なんだと思う。
映画についての楽しみ方は様々なので特に文句ないんだけど、声優の例えだけよくわかんないので解説して。
【A】アイドル声優の良し悪しはルックスで決まると思ってる人種の同類か?
↓
↓
【C】俺から見りゃ全く一緒だね
【B】→【C】は繋がる気がするのけど【A】→【B】がつながらない。
「アイドル声優の良し悪しはルックスで決まると思ってる人種ではなくて、演技力で決まると思ってる人種か?」【A】はこういうことかな?
映画のレビューで「映像は素晴らしかったがストーリーが」とか「最高の感動ストーリー」とか「人生の学びが」とかを見るとコイツら頭おかしいだなと確信する。
アバターに対して要約したら「最新技術を使っていることは凄いがそのためだけに雑な舞台設定をしていて映画界の未来に絶望すらした」となるようなレビューをしてる奴が10人に1人ぐらいいたけど、ああいう人種は何しに映画館に来てるんだろうか。
あれか?アイドル声優の良し悪しは演技力じゃなくてルックスで決まると熱弁して年何十回もサイリウム振り回してるような人種の同類か?自分じゃ全く正反対だと思っているんだろうが、俺から見りゃ全く一緒だね。ペッ