はてなキーワード: 養女とは
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おしんがドラマとして優れている点は、登場人物が自然体、未来を知らずただひたすら前を向いて行動していることである。
現代の価値観を登場人物に投影せず、今の人が言いそうなことはまったく口にしない。
憎まれ姑になるおしんの描写にしても、素で無神経な女性になっているのであり、それを客観的におしんはすっかり変わってしまったなどと、神の目線でナレーションが入ることもない。
さて、最後に初子についてのメモを残しておく。その2で触れたおしんが生きた「植民地支配の時代」の考察はひとまず置いて、おしんの人間的成長のきっかけとなった初子の存在について触れておきたい。
初子は9歳で山形から奉公に来た後、田倉家で実の娘のように育てられ、戦後はおしんを常に支えてきた人物である。物語においても、竜三と並んで重要な役割を果たしている。終戦後、竜三の自決をきっかけに、おしんの人生に一区切りがついたと多くの視聴者が感じた。しかし、20代の初子役として田中好子が登場したことで物語は新たな展開を迎えることになる。
田中好子は、持ち前の包容力のある演技で、初子の内面を見事に表現した。中年期以降の初子は佐々木愛が演じ、その深みのある演技は、初子の内に秘めた感情を的確に伝えた。特に田倉家での初子の居場所探しの苦悩は、彼女の表情や視線に表れている。おしんにとっては実の娘のように思っていた初子であるが、初子自身は戦死した雄への思いを抱えながらも、自分の居場所に悩み続けていたのである。
ところで一視聴者として、初子が養女であるかどうかについて疑問があった。公式には養女として扱われているものの、養子縁組が明確に描かれていないため、その法的地位が不安定だといつも感じてきた。それはさておいても、初子の存在は田倉家の中でも微妙で、特に仁の妻・道子からは「初子とかいうわけのわからないひと」と陰口をたたかれることもあった。この表現は、初子が抱えていたアイデンティティの危機を象徴している。
初子にとっての転機は、八代希望(のぞみ)の妻の交通事故死だった。彼女は希望の息子、圭の世話をしながら、希望の家で新たな居場所を模索していたのである。しかし、おしんが初子と希望の結婚を仲介しようとしたことで、結果的に両者を傷つけてしまう。この出来事を通じて、おしんの人の気持ちを理解する力が衰えていたことが露呈したが、同時に初子の独立が真剣に考えられるきっかけとなった。
おしんは年齢を重ねるにつれ、いまでいう老害のような昔の感覚を若い世代に押し付けるだけの年寄りになっていたのである。
それをいつも優しくたしなめてきたのが初子であった。しかし、初子の心情そのものは決して台詞には表されず、表情のみによって表現されてきたのが、今回、視聴しての発見だった。初子には常に表のセリフと裏の表情がセットになっていたのである。
戦後の田倉家で、初子の存在は常に微妙なものであり、彼女は嫁としても小姑としても、お手伝いとしても、内心では本当の居場所を見つけることができずにいたのが初子のほんとうの心情である。おしんはしばしば自分の肩をもんでくれる初子の言葉を背中越しに聞いていることが多かった。しかしおしんには気づけなった。初子の表情はおしんの目に入っていなかったのである。
最終的に、田倉家が初子の独立を支援するに至ったのは、これまで初子と二人で暮らしてきたおしんが次男の家族に同居することを決めたことがきっかけである。おしんの決断で、初子の居場所問題はついに崖っぷちに来てしまった。初子の居場所がないこと、そしてこれまでも初子は悩み続けてきたことににようやく気が付いたおしんは、あたらめて初子の長年の苦悩に思いをいたし、独立に向けて尽力することになる。老害化して久しいおしんがようやく初子の気持ちに気が付いたよと。視聴者は、この初子の救済の瞬間に感涙せざるを得ない。
この一件以降、おしんは悟りを開いたかのように、人間の心情をくみ取れるようになってゆく。自分を痛めつけた佐賀の姑の思いも、故郷の父親の思いも、そして兄と兄嫁・とらの思いも、そこには自分の立場からはみえなかった思いがあることに気が付いてゆく。私もこんな年の取り方をしてみたいとおもうけれど、老害のままで終わってしまうんだろうな。
1983年夏放送に放送されたおしんと同時代を生きた女性たちへの当時の貴重なインタビュー。
主演の田中裕子が撮影中、過労のため失神し、一ヵ月近く撮影が中断したのは有名な話。インタビュー番組はその穴を埋めるために制作された。
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この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパーの進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去におしんが初恋した相手、並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパーの土地買収における重要な場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。
なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。
「おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしんの失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマの伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしんの家出の理由も最終週で回収される最大級の伏線のひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子や演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである。
特に佐賀編では、あまりの過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。
第1話から第3話にかけては、おしんが並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者はおしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である。
実際には、おしんは失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパーの進出についての話である。並木商店の大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである。
その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしんに土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのである。おしん厳しすぎるだろ。
おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
仁は、母のおしんが交渉に失敗したと思い込み、失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚を宣言する始末。家族の崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。
おしんは仁に、離婚を再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店を倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語のラストにはそのメッセージが強く反映されている。
竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀の実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。
竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺は自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部からの委託で工場を経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。
その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争の責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要な役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任感から来ていたのである。おしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解したからかもしれない。
語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃からの20年間、竜三は佐賀の実家へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀の実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーションが述懐している。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである。
おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
同じ昭和時代の作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田で差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社の経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。
この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚を象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画「青春の門」筑豊編1980年で経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族の運命と二重写しに見える。植民地をいかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。
初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしんの長男・雄の戦死を契機に山形へ帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷なものであったといえよう。自殺を思いとどまり、米軍相手の娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしんの言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である。
当時はあまり思想とかわからなかったけど、バリバリのフェミニズム漫画
咲久子ちゃんと卯乃ちゃんという女の子二人の戦前から戦後までの話で12歳ぐらいから40代ぐらいまでが描かれるんだったかな
超絶美女の咲久子ちゃんは将来的に愛人にすることを予定して、工場経営者のブルジョアジーのおっさんに養女として引き取られる
おっさんは死に、その後華族の花嫁となり顔と体のみでのしあがっていく
卯乃ちゃんは新聞社で働く職業婦人となり、女性参政権を求める活動家になっていく
活動家のわりに卯乃ちゃんはわりとおっとり優しい子で、咲久子ちゃんはオラついてギラギラしている
オラついた咲久子ちゃんが卯乃ちゃんには弱くてたまに会うとべったり甘えて百合百合している
お互い結婚したり子供産んだりするけど、動乱の中で男たちは死んでいき、いつでも心のど真ん中にお互いがいる
ある時卯乃ちゃんは、活動家が次々と登壇して政治演説する集会みたいなのに行く
女の活動家が女性人権について語っているのを見て卯乃ちゃんは感銘を受けて聞き入る
「今の女、いい女だったな」「白い肌が汗ばんでてたまらんな」と女活動家の容姿の品評会をしていた
彼らは女活動家の話した内容については全く論じなかった
卯乃ちゃんは封建的な農家の子で、リベラルな都会にきたつもりでもなにかと女のくせにと言われ、活動家の集まりでようやく男女平等な場を得たつもりだった
https://twitter.com/BrooklynTokyo31/status/1733426187903365571?t=ibtZrcnrkzau3cK17fWo5g&s=19
この6歳少女自認52歳男性の動画流れてきて、インパクトがすごかったから検索してみたんだけどエグすぎ。
ステンフォンニー・ウォルシュ(ポール)
七人の子持ちの既婚男性がトランスジェンダーに目覚め、娘の結婚式に奇抜な服装で出席しようとするのを妻に咎められ死んでやると騒ぐ、受け入れられない妻と離婚、失業しホームレスになり二度の自殺未遂、ハッテンバで出会った養父と幼女設定でアナルセックス「妊娠しちゃうと思ったらペニスがイキリ立った」とインタビューで語る、養父母の家に養女として引き取られる、養父母の7歳の孫娘の妹になるために52歳男性が6歳自認幼女に。
雪かきでお小遣い貰って幼女として暮らせて幸せ大人になりたくないおっさん。
これを誰もが自分らしく生きられる美しい物語として紹介してるセンスがすごい。
https://lifes-bright.com/transgender-stenfony-story
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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近所のBOOKOFFに初めて行った。
で、中古本を全巻まとめている大人買いパックなるものがあると知り、いろいろ見たのだが、うさぎドロップを発見した。
俺は昔話題になっていた頃(まだりんが子供時代のみの頃)に気になっていて、だが結局読まずにスルーしていたので、ウッキウキで即購入。
話題になった当時は、うさぎドロップ=「突然独り身の男が幼女の叔母を養女として引き取り、小さい子供の子育てに奮闘する漫画」だった。
だが、それからだいぶ経って、成長した姿も描いてるらしいと聞いていた。
なので俺は、「幼女から順を追ってに成長していき、徐々にお年頃になる女の子を育てる様子が描かれていく」という漫画だと思っていた。
けども実際は、順を追って成長したのは本当に最序盤だけで、あとはダイジェストかよ!ってくらいの感じだった。中学時代に関しては全はしょり。
で、いつのまにか女子高生と同棲するおっさんの漫画になっていた。この時点でだいぶ求めてたものと違う……って感じがした。
なんというか初めの頃に見られた二人で協力して擬似家族を構成していくって感じじゃなくなった。
ただまぁ、求めていたものとは違うとは思いつつも、そこそこ楽しんで読めていた。
全体的に画力低いなって目が覚め始めたのもこの頃だが、まあ楽しめていた。
しかし、既に読んだ人はわかるであろう最終パートに差し掛かった。
ネタバレだけど、主人公のダイキチはりんとは血縁がなくて、だから結婚しまーす^ ^v という展開だった。
そもそも別に光源氏すること自体は抵抗はないんよ。けど、うさぎドロップの最初期の、賢く、けどだからこそ可哀想な女の子を、独り身の男が自分の人生を台無しにしてでも守ろうと決意するってのが最高だったわけよ。それが光源氏になった途端キモさ爆発したわ。
1576年(天正4年)織田信長が中国征伐命を出し、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が侵攻してくる。
その際に人質として嫡子の八郎(秀家)を姫路城の秀吉のもとに送り、直家は毛利勢と激しい攻防戦を繰り返すが、1582年(天正10年)病により生涯を閉じる。
これにより秀吉を後見人として八郎が家督を相続した。秀吉の備中高松城攻めに組み込まれたが、八郎は幼少のため叔父の宇喜多忠家が代理として軍を率いた。
1582年(天正10年)明智光秀謀反のため本能寺で信長が死去する。主人の弔い合戦のため秀吉は毛利輝元と和睦し、八郎は備中東部・備前・美作を領する大大名にのし上り、毛利家の監視役を務めることとなった。
1585年(天正13年)年3月、13歳にて元服するにあたり、豊臣秀吉から一字賜って秀家と名乗り、従五位下侍従に叙せられる。同年四国征伐の豊臣軍に随従し、初陣も果たした。
1586年(天正14年)、前田利家の四女・豪姫を娶る。豪姫は利家夫妻と懇意であった秀吉に養女として出され、大切に育てられていた。このため外様ではあるが、秀家は親族のような扱いを受けている。
また、先のポルトガル人宣教師フロイスによれば、秀吉は、「重立った貴人たちの大勢の娘たちを養女として召し上げ、彼女らが十二歳になると己れの情婦」(『フロイス日本史』)にしたといいます。つまりは12歳の養女たちを大勢犯していた、と言うのです。
どちらも当時としては、成人女性です。
十代前半の女性に手を付けた記録はありません。
また、秀吉は他の大名の奥方=人妻に手を出したという噂が多く、
これらの点を考えても、どちらかと言えば、
その妻妾の多くは、非常に年若い女性ばかりでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14225226119
どっちが正しいのか
美味しい話の裏には苦労もあるかもしれませんが、あなたが全てを背負う覚悟があれば養女になってもいいかと。
身寄りがないと言われても、実際亡くなれば遺産分配問題で親戚と名乗る人も出てきますし。
何故身寄りが欲しいのか?ですね。
遺産の相続問題であれば生前に遺言書でも作成していただければいいこと。
お金があれば確かにいろんな意味で助かりますが大金は人間関係狂わせます。
もし私があなたの立場なら、利用者が本当に孤独で遺産額も多いなら、個人間でのやりとりより市町村が管理してる後見人制度を利用していただき、その上で籍を動かさず利用者との関係を保つかもしれません。
養女または同居された場合のメリットがお金であれば、デメリットはお考えですか?
今はお元気で意志疎通もとれ、たいした問題は想像できないかもしれません。
他者を受け入れにくい方、こだわりが強い方は介護量が増えるとマンツーマンの介護を要求しやすい傾向があります。
また、後見人になり、生死を彷徨ころに遠い親戚とやらがたくさん出てきてもめていたヘルパーさんをみました。
息子さんよりその方の介護を優先させなければいけないときは出てくると思いますよ。
個人契約で専属家政婦で月給保証してもらうのも選択肢ではないですか。ただ、事業所が入っていなければ問題が起きたときは大変でしょうね。
https://mainichi.jp/articles/20211116/k00/00m/040/215000c
こういう事件って本気で合意があったと思ってるのか、それともその場で思いついた言い逃れなのかどっちなんだろう
現在、増田さんが笑顔でサービスを提供できているのは、一回数時間の間だからこそというところはありませんか?
これが養女になったら、そのレベルでの介護を24時間365日してもらえると期待されていることに留意する必要があると思います。
性格も気難しそうです。
家に帰ればその人がいる。逃げるところもない。
仮に一億あったとしても、家に気難しい人がひとりいるだけで、生活はものすごく疲れるものになることが予想されます。
今は感じよく接してくれていますが、家族になれば遠慮もなくなると思います。
ましてや、ヘルパーでも気に入らない人には嫌味を言う人が、もし気が変わって、増田さんを嫌いになったら?
帰る家が針のむしろになるのではないでしょうか。
私の観点ではそれだけでなく、家族になって一緒にやっていける方なのかというところに大いに疑問があります。
お子様もいらっしゃるとのこと、もしその方がお子様を気に入らなかったら