2023-04-06

anond:20230406184717

 1576年(天正4年)織田信長中国征伐命を出し、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が侵攻してくる。

直家は始め毛利家に付くが、折りをみて信長勢に帰属

その際に人質として嫡子の八郎(秀家)を姫路城秀吉のもとに送り、直家は毛利勢と激しい攻防戦を繰り返すが、1582年(天正10年)病により生涯を閉じる。

これにより秀吉後見人として八郎が家督相続した。秀吉備中高松城攻めに組み込まれたが、八郎は幼少のため叔父宇喜多忠家代理として軍を率いた。

 1582年(天正10年)明智光秀謀反のため本能寺信長が死去する。主人の弔い合戦のため秀吉毛利輝元と和睦し、八郎は備中東部備前美作を領する大大名にの上り毛利家の監視役を務めることとなった。

 1585年(天正13年)年3月、13歳にて元服するにあたり、豊臣秀吉から一字賜って秀家と名乗り、従五位下侍従に叙せられる。同年四国征伐の豊臣軍に随従し、初陣も果たした。

 1586年(天正14年)、前田利家の四女・豪姫を娶る。豪姫は利家夫妻と懇意であった秀吉養女として出され、大切に育てられていた。このため外様ではあるが、秀家は親族のような扱いを受けている。

記事への反応 -
  • 徳川→当然 前田→織田政権からの重鎮 毛利→西国最有力 上杉→越後の龍の後継だしわかる 宇喜多→えっ誰君??   マジで急に現れた感がすごい。バランス的に西からもう一人選...

    •  1576年(天正4年)織田信長が中国征伐命を出し、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が侵攻してくる。 直家は始め毛利家に付くが、折りをみて信長勢に帰属。 その際に人質として嫡子の八郎(秀家...

    • 知らんけど秀吉が宇喜多のをフェラしてたんじゃね

    • 簡単に言うと「社長にめちゃくちゃ気に入られて婿養子になったエリート若手社員」みたいなポジション。

      • なんで秀家がそんなに気に入られたのかはわかってないの? 豪姫の婿になったから気に入られたのか、気に入られていたからこそ豪姫との婚姻を認められたのか。 戦国時代の大名の婚姻...

        • 秀吉死亡時、五大老の年齢は、 前田利家 59歳 徳川家康 55歳 毛利輝元 45歳 上杉景勝 42歳 宇喜多秀家26歳 という感じで、まあ秀家はどう考えても若すぎるんだけど、 だから実務を期...

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