はてなキーワード: 頭痛とは
最近原因不明の病み期を迎えていて、オタク活動をしていないと疲れすぎて何も頑張れなくて
おそらくTwitterを監視している両親に色々釘刺されまくってしんどい
「本当に勉強する気あるの?何がしたいの」と毎日言われるんだけど、勉強する活力を得られるのが自分にとってはオタ活だけで、生活の片手間に二次創作とかイベントとかグッズ買ってるだけで、周りの同級生よりは時間数的に言えば遊んでない
凄く疲れる
勉強もようやく成果が出て来たのに
何故か暗い気持ちがついてまわってくるし偏頭痛がここ最近酷くて生きている心地がしない
勉強しろ勉強しろと言われているわりにプレッシャーを感じていないからおそらく勉強へのプレッシャーがストレスって訳でもないと思う
生命活動の全てが面倒くさくて風呂に入るのもトイレに行くのも歯磨きするのもめんどくさい
家に帰って机に向かって椅子に座ったまま溶けてなくなりたい
つらい、本当につらい、どうすれば良いのかわからないしどうにかしたいって思っているうち、ここに書けてるうちは大丈夫なんだろうけど
本当に今死にたい
本当にダメな時はオタ活さえする気力が起きないのがまずい
どうにかしたい
助けて
ゼアルを少しでも批判されたら死ね殺す病気池沼などの人格攻撃、
気に入らない意見や感想をスクショで晒す、個人ブログへの集団凸、
ARC-Vはクソアニメなので5D’sもクソアニメなど他シリーズを巻き込んでのARC-V叩き、
鉄血とARC-Vを叩くための動画をニコニコ動画に何本も投稿など他作品を巻き込んでのARC-V叩き、
自分たちのマナーの悪さを指摘されたら「信者なんて見たことない」や「それはこのシリーズの評判を下げるためにやってるアンチの工作」で誤魔化す、
自分から他のファンの気持ちを逆なでするようなことを言って批判されたら被害者面、
小野キッズ(小野勝巳監督の信者という意味)という架空の存在を生み出し都合の悪いことを全て小野キッズのせいにする、
自分たちの行いが批判されたら架空の小野キッズのせいにして小野キッズを叩くついでに小野監督作品を叩く、
マナーの悪さを注意されても全くやめない、
とにかくこのくらいはあるが忘れてたりするのもあるので実際はもっとあるだろう。アニメの信者だけなのでOCGのマナーの悪さを入れたらますます出てくると思う。人格攻撃は文章で書くと軽く見えるが、凡人では思いつかないような人格攻撃をするので全然軽くない。
小野キッズという架空の存在と戦う信者は小野キッズの設定を丁寧に解説するし、集団ストーカーや宇宙からの毒電波と戦う人みたいで見てると頭がおかしくなりそうになる。ちょっとでも批判的なことを言うとアンチ認定からの人格攻撃もあるが、この作品をおもしろいと言ってる人で具体的にどこが面白いと言ってる人はいないのでファンは実際いないというアンチ理論もあり頭痛くなってくる。
楽しんでる人が憎くてスクショで晒して叩きたくなるくらい嫌いなアニメはもう視聴切った方がいいんじゃないかと思う。
遊戯王しか取り柄がないから遊戯王やめたら何もなくなるから不安でやめれないんだろうか。
「楽しんでる奴がいるから悪化する!それを食い止めてるんだ!」っていうならそれならそれでいいが、
作品を愛してるからアンチや信者は人格攻撃していいなんてことはない。
たとえ遊戯王しか取り柄がなかったとしてもまた新しい取り柄を見つけるというのもある。
とにかく他のファンに迷惑かけないでほしい。(自分が迷惑行為をしているという自覚のない人もいるだろうからまた厄介だが)
「他のファンに迷惑かけないで」というのを好きな作品が叩かれて悔しい信者の言い訳とか捉えられそうだが、自分がされて嫌なことは他人しないという方向で考えてほしい。
ヘルニア……。
外からこういうのは全く見えません。
酷くなったら手術しかないらしいけれど。
頭痛も酷い時は酷かったし。
2016年に自治会の役員廻ってきて、それも話したけど断れなくて。
七夕飾りのいろいろ飾り付けた笹の身長より長いのを公園まで運んだりもしましたしー。
買い物のたくさん入ったカートよりは重くもなかったけれど。
見かけって大事なんだなぁ。
こうだっていっても、見えない病気は、少し話すだけでただの愚痴って言われそう。
スマホに頸椎ヘルニアのMRI画像を常に用意して、見せて歩くべきなんだろうかと悩んだりします。
治らないというか、何かできるわけじゃない。
怠けているようにずっと言われる運命なんだろうな。
10代アイドルさんの腰椎ヘルニアについての増田があったので、
同情かうために書いてるみたいになって滑稽なので
なんとなくメモとして。
病状を、「こんな風ですよ」と話すだけで、愚痴って言われちゃう。
可哀そうな人という立ち位置になりたくはないけれど、
病状話すだけで物凄く気を遣う。
はぁ、って感じです。
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
1月24日あたりから身体がものすごくだるかった。でもだるいだけで特に症状なし。
1月26日、あーこれ体調崩れるなという予兆を感じる。でも熱なし。会社にあった市販の風邪薬を飲んで誤魔化す。
1月27日、せっかくの休みだけど予定をキャンセルして家に引きこもる。軽く頭痛。
1月28日、どうしても出かけなきゃいけなくて6時間ほど外出。帰宅後割れるような頭痛と、ここにきてはじめて37度台の微熱。倒れるように眠る。鎮痛剤を飲んだら楽になった。
1月29日、熱はなし。仕事行こうとしたけど身体がだるすぎて会社を休む。やや頭痛。軽く咳。ただの風邪だとおもって病院に行ったら検査で鼻に棒を4回出し入れされて涙目になった。
判定、B型。今週一杯仕事行ったらあかんと言われる。弊社はインフルエンザやったら普通に有給使わないといけないので絶望する。有給、もっと有意義な使い方をしたかった。
帰りに吸引?してむせておばちゃん看護師さんに怒られた。
熱もないので病院から歩いて帰った。道すがら上司に電話したらゆっくり休めと言われ優しくて泣いた。仕事山積みだったのに。
咳が止まらない。汚い話痰がものすごく出る。たまに血が混ざっていた。夜も眠れないくらい咳が出る。頭痛は軽め。そして熱はなし。倦怠感も特になし。食欲はかなりある。ふつーにお腹減る。
真夜中までDVDを見て過ごす。
1月30日、咳がピーク。軽めの頭痛。熱は出ない。食欲も普通にある。アプリで遊んで過ごす。昨夜夜更かししたので21時半ごろには就寝。
1月31日、仕事行く時間よりもはやく起きる。数時間寝て数時間起きるの繰り返し。今日は鼻水がすごい。咳はたまに出るくらい。頭痛もましだけど倦怠感がすごい。熱はない。鼻が詰まって息が苦しい。
昼間寝すぎて今起きて増田に日記をつけている。あと2日したら出かけていいらしいけど鼻水だけなんとかしてくれ。ティッシュ使い切っちゃうよう。
はぁ。長く続けられると思ったんだけどなぁ。
7か月でした。情けないなぁ。
でも短い間だけど色々もやもやがあったので踏ん切りをつけるため最後だから少し愚痴らせてくださいね。
長文なのでご注意を。
在籍してたのは社員5~6人(変動多かったけど最大でも7人)のちっこい会社でした。
私は事務のアルバイトで入ったけど、何か突然「営業成績をとるためテレアポをやってもらう!」と言われた。
でも契約は事務なので、テレアポの人より給料凄く少ない。時給800円とかそんなもん。田舎なのもあるけど…。
それが入って1か月ぐらいの時だったかな。
(事務で正社員で働いてた時期もあったので、とる方は大丈夫だけど掛けるほうが……)
社員相手のロープレでさえも緊張して噛んで、顔真っ赤にしてああああってなってる始末。
それを見てさすがに上司が、あっコイツ使えねえと思ったのかテレアポはなくなって
電話対応・来客対応・データ入力・ファイリング等々、普通の事務の仕事をしてた。
そっちのほうが向いてたし、絵を描くのが好きだからチラシを作ったりして顧客に送ったら意外と評判よくて
まあ、電話しなくても大丈夫だなっていう感じになったので安心してた。
そうこうしてる間に、でもやっぱりテレアポしてくれる人は必要だよねと社長が判断し
事務パートより高い給料(時給1000円ぐらいかな?)でテレアポ専用の人を雇ったらしい。
1~2日でバックレる人、1日目終わった後に親から「もういけません。うちの娘がごめんなさい」と電話が来る人。
メールで「もう無理です」と送ってきた人。様々だけど大体1か月もたない。
多分、私が入って5か月ぐらいで7人は辞めたかなぁ。
原因はいろいろあったと思う。
ある人は、初日に足組んで頬杖ついて仕事してるところを社長に咎められて逆切れして辞めたし
ある人は、子供が熱出したのでお休みさせていただきます。と電話したら「シフト決まってるのに困るなぁ」と嫌味を言われたと言っていたし…
ある人は初日に「タイムカードはどこですか?給与明細はどのようなかたちでいただけますか?」って聞いて
「あー。うちタイムカードも給与明細も存在しないんですよ。ハハハ」って言われて次の日来なかった(´-`)
ちなみに、私は定時で仕事終わらせて机の周り片づけて机ふいて帰ろうとすると
「なんで定時にいそいそ帰るの?急いで帰ろうとしてる様子が鼻につく。備品でも盗んでんじゃないの?」と理不尽に言いがかりつけられて辞めようかなって思った…という出来事がありました。
(※勿論備品も盗んでないし、仕事も定時までやってからそこから片づけしてました)
タイムカードがない会社は見たことあった。けど、給与明細ない会社は初めて。うーん。
でも、もう少しだけ様子を見ようって思って年末まではがんばった。
年始からは、ちょっと私が体調を崩してしまい入院することになってしまって…
多少入院をずらすことができたので、会社の暇な時期に入院することにした。
けど、まあこれまた嫌味がすごい。
嫌味というか、多分本人は嫌味とも思ってなくて冗談のつもりだったんだとは思う。
社長に「このままクビにしたらいいんじゃないんですかwwww」と言ったり
わざわざ「増田さん大病で入院してもう帰ってこないんですよーwwwww」と笑ったり
(※大病ではないし、戻るつもりではいた)
初めのほうこそ「大病じゃないですよw」「復帰させてくださいよw」と笑ってたけど
1時間に一度ぐらいそのネタで笑いをろうとしてくるので腹立ってきた。し、疲れた。
一応「すいません病気のことは結構デリケートなこと何であんまりふれないでもらえますか」とお願いはしたけど
結局入院するまでずーーーっといじられたなぁ。
入院してからは、私も初入院だったもので緊張しまくりで入院する前より体調悪かった(´・ω・`)
緊張して肩がこってずっと緊張性頭痛?っていうのかな、頭痛くて
頭痛すぎてついには思いっきり吐くし、緊張から来るストレスでお腹壊してご飯食べられないし…
そもそも検査によっては朝ごはん抜きとかあるし、そのへんもつらかった(´;ω;`)
「入院生活どうですかwwどうせ暇でしょw仕事してくださいw」だのそういった感じのやつ。
それはまあいらいらした。そもそも何のために入院してると思ってんだと。
病院の消灯って大体9時ぐらいじゃないですか。
そんな中、23時半ぐらいに検査に備えて寝てたら社長と社員から連絡きたわけです。
三人から来るからブーブーブーブーうるさくて目が覚めたわけです。
何やこんな時間に、と思って開いたら私の大好物の食べ物の写メがあったわけですよ。
「焼肉大好きな増田さんに報告しておきます。焼肉食べますwwwwww」
思わずiPhoneぶんなげそうになりました。まじふざけんなよと。何時だと思ってんだアホども。
返信はしませんでした。
でも、その後も連絡はきました。
「いつ退院するのwwいつから来るのwwそろそろ来ないと席なくなるよww」みたいなやつ。
あとは「復帰したらあなたもテレアポ。ノルマ課す。できなければ罰金」という死刑宣告。アッもう無理だわ。
7か月ため続けてたヘイトが焼肉の写真で爆発した気がしました。
気付けば私スマホ握りしめて病院のラウンジにずんずん歩いて行って退職の連絡をしてた。
体調が思いのほか悪く復帰のめどがたたないので、温情でお休みを頂いておりましたが退職させてください。
そんで、無事退職したけど仲良くしてくれてたパートさんからさっき聞いた話。
「今までずっとニコニコしていて、嫌なことなんて何もなさそうに見えた」
「なんで辞めると決める前に俺に何も相談してくれなかったんだ。一言ぐらいあったってよかった」
とぶつくさ言っていたらしい。
パートさんは「まあ焼肉の写真は駄目でしょ。さすがに」とつっこんじゃった、てへって笑ってた。かわいい。好き。
もう社長に伝えるすべもないししゃべりたくないから言えないけど…
社長。「焼肉の写真送ったの、だめだったかな」の疑問に関する答えはYESです。
もう、そういうことやったらだめですよ。あんまりおもしろくないですよ。
以上です。
もう無理だ。精神がボロボロ。テスト勉強どころじゃない。それでますます追い込まれてもうどん底。
生理一週間前にきたのにまたきて、ずっとPMS酷くて頭痛くて、精神も不安定で意味なくボロボロ泣けるし、そんなだからテスト勉強集中できなくて、ぜったい単位落としたくないからまた追い込まれて、それで寝られなくて、ますます頭痛酷くなって、生理だから眠いし、しょうがないからレッドブルとかコーヒーとかのんで、そうすると今度カフェイン中毒で頭またガンガンして、生理痛ひどくてロキソニン飲んで、眠くなって、レッドブルのんでお腹痛くなって、寝ないと酷くなる一方なのにテスト勉強集中できなくてどんどん時間ばっかりかかって、寝たらよくなるかもしれないけど起きられる保証がなくて、単位は落としたくないし、間に合う保証もないし、今週いっぱいはこうやって体騙しながらやってくしかなくて、辛くて辛くて、ホームシックになった
ホームシックになったら前よりもっと泣けてきて暗くなってくるとどうしようどうしようって不安になって、家族に会いたくて、寝たいし、頭とお腹いたいし、単位落としたくないし、テスト勉強もっと早くやれば良かったとかぐるぐる色々考えて、とにかくやらないとってコーヒーのんで、ロキソニン飲んで、ほとんど泣きっぱなしでレジュメの文字よく読めなくて、でも頭に入らないといけなくて、ただでさえパソコンで目も使いすぎで寝てないし、目も腫れてるのにもっと腫れてて、そして今日は1限からテストで、今日はほかにあと二つもテストがあって、眠いし、お腹いたいし、頭痛いし、血もいっぱい出てて、全然うまくいかないし、単位不安で泣けてくるし、ママに会いたいし、いえにかえりたい
生理がおわってくれたら、こんなことにならないのに、おわってくれたとおもったのに、もういやだ
はやくいえにかえりたい
あっためて良くなるのとひえてよくなるのの2つがあるよ
眼精疲労や肩こり(この2つは繋がってる場合が多い)もあるし、熱や偏頭痛とか種類は色々
頭の皮が痛い時もあるよね。神経痛みたいな。これは自分もどう治したらいいのかわからなくて困ってるよ。
まあ、なんだ、薬に頼るのが一番手っ取り早いよね
自分は頭痛と人生を歩んできたから、最近は温めれば楽になるのか冷やせば楽になるのかだんだんわかってきたよ。それでも万全じゃないけどね
薬に頼るのが嫌なら2錠のところを1錠にして飲めばいいよ。それで聞けば万々歳だし、いざという時に容量通り飲んでばっちりきくようにもなるだろうし。
夕食後、急に喉が痛くなった。
その夜、あまりの寒さで起きる。身体の震えが止まらず、湯たんぽを抱えて朝を待ち病院に行った。
熱を測ったら37度5分、大したことないが、明らかに震えが止まらない。寒い。直感的にこれはヤバイ風邪をひいたぞと思っていた。なおインフルではない模様。
「病院から処方される薬は効く」という認識が自分の中にはあり、お薬貰ったしもう大丈夫と思って安心して寝てた。
実際、頭痛も震えも収まり、風邪特有の具合の悪さもそこまで感じず、食欲もあったし「これは勝った」と思って寝てた。
が、息ができない。
痛みは引いたものの腫れは収まっていないらしく、喉が非常に苦しい。
息をするだけでフゴフゴ言う。本当に苦しい。
その日の夜からは痰も出てきて、おそらく扁桃腺が腫れているんだと思うけど息を吸うたびフゴフゴ何かがひっかかるのと、息を吐こうとすると痰が絡んでヒューヒュー言うので息苦しいことこのうえない。
わりと本気で死ぬかもと思った。
高卒で社会人になった私だが、今社会人と呼ばれる人たちを尊敬している。
風邪、ましてやインフルエンザかもしれない程体調が悪いのに会社の為にちゃんと出勤してるんでしょ?
布団から出れないくらいの頭痛、関節痛、熱に襲われて「会社に行くことはできますが多分何もできません」って死にそうな声で電話してやっと無理やり貰ったたった1日だけの休みで歩いて病院行ってインフルの診断貰いに行くんでしょ?
私には無理です。
今寒気と戦いながら出勤してますけど辛すぎて涙が止まりません。
喉が痛いだけの初期症状の時に無理やり病院行けと言われ無理やり風邪認定とらされ現在風邪をひいてる自己管理のできてない人間として扱われてますが、完璧取引先から貰ったインフルエンザです。
そして絶対にインフル診断が出るだろう現在は病院へ行かせてくれません。
休みたいと言わせてくれません。
これが普通の会社なら皆さんどれだけ精神鍛えられてるんですか?
やっぱりゆとり思考なんですかね、これ絶対おかしいって思っちゃうのゆとりなんですかね。
とりあえず私には社会人が務まりそうにないので働き始めて一年経ったら辞めようかな、でも勇気がないな。
でも辞めよう、ここは何かがおかしいって少しだけ思ってたんだ。
ちゃんと辞めよう。
生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。
時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。
いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。
でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。
初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。
親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。
ぼんやりとしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からあまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気な子供だったから。
みんなが可愛い、お姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様だから使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。
先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。
私の順番は回ってこなかった。
その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。
あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。
でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。
小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通の赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドのランドセル。
母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。
パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。
小学生になって、一緒に登下校をするようになった。
なんで変な赤色なの?って笑われた。
それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。
パシリにされてて、さらにセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。
ジャンケンでランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。
小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達は大学の友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。
最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由。それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク(父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分があんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。
でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。
多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。
親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。
言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの10、20って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。
生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。
中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強に限界を感じていた。
下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。
中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分は初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分の担当に人がいないからという理由でレギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいか分からなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習もサボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。
部活で同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校の授業料は無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分の学力じゃ、高校の勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科が自分のレベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対にダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。
高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。
得意分野を持つということは自分が自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。
多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。
大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。
クラスメイトに合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校の先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。
母親に合格したことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。
正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校の勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活にシフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。
そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。
誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。
こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。
けれど、高校受験の時に「お金出さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。
それでは何をすれば良かったのだろう?
奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。
でも、まさか「合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。
何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。
大学に入るまで、そして入ってからもお金がかかると言われた。言われ続けた。
大学に入ってしばらく経った頃、仕送りが勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。
なんで仕送りを勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。
その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。
その月の電気代は1,500円もしなかった。
こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。
電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。
馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。
こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。
答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。
どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。
バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。
そういうことも含めて、たまにTwitterで愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。
頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。
しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立の大学に入った。
どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格したことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。
しばらくして、父親は入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。
なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。
しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。
学校に行けば嘔吐と頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。
「離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費と生活費だけは出してやるからな」
素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。
両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分が社会に出てもやっていけるとは思えない。大学の友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメな人間が友達でごめんねとも。
高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本の会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。
そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。
私とはいったい何なんだろうか。
私が生きている意味とは。
なんでこんなに必死になって生きているのか。
辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。
辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなたに仕送りをしているのにという。
私はなんのために生きているのだろうか。
こんな生活、生きているというのだろうか。
ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。
生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬとお金がかかる。親が困る。周りも困る。
ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。
ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。
「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。
私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。
私は
どうすれば良かったんだろう。
何をすればもっと前向きになれたんだろう。
何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。
毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。
でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから。
世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。
みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。
生きていることの何が楽しいのだろう。
生きるなんて、辛いだけじゃないか。
早く誰か、私を殺してほしい。
金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。
生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。
早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。