はてなキーワード: 転覆とは
https://twitter.com/sankei_news/status/1305465691399569411
BLM支援で見損なった。
たとえ金メダルを取ったとしても、ちっとも嬉しくない。
というか、日の丸を背負ってほしくない。
https://twitter.com/sankei_news/status/1305372077893890049
日本語も満足に話せない、肌の色も違う、日本の伝統や文化、常識を理解してない
これで日本人と言われてもね・・😒
別に良いです
日本人の誇りを一切感じない
https://twitter.com/sankei_news/status/1305126642944147458
抗議活動や政治をスポーツの世界に持ち込むなんていう生ぬるい行為ではない。自身の知名度を最大限に活かした工作活動への加担でしかない。
なんかきらい
https://twitter.com/sankei_news/status/1305034782640762882
お身体の調子は如何でしょうか!ご無理なさらずにゆっくりして下さいね。
優勝は良かったですね。
https://twitter.com/sankei_news/status/1304910965662650368
おめでとう!
前ほど嬉しくないけど。
なぜか素直に喜こべない😢⁉️
このまま緩んだ感じで行った結果アカン感じになり、東京がそれこそニューヨークみたいになる。しかし封鎖はなんとか間に合い、他の場所は大したことにならない。
東京のみならず他のところにもがっつり広がり、スペインとかイタリアとかブラジルみたいになる。
今みたいなビミョーな数字が出続け、そのうち弱毒化かなんかして何も起きずに終わる。
全国に広がりはするものの、案外体験してみると大したことないな…という感じで、死者は数万人出るもののそこ止まりになる。
コロナで荒れたところに政変が起こり、国家が転覆する。感染とか言ってられなくなり、うやむやになる。
南海トラフや首都直下地震などが来てそっちに話題がうつる。避難所での感染などでコロナは広がるがあまり話題にされず、なんとなく普通の病気として定着する。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だろう。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けはわたしがやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている仕事が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担のルールは決めた。お互いが納得できるようたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」といった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。
平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールは出来た。だがルールを基準としながらも、実際には毎度の交渉が物事を決定づける。交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。
二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い真横に倒され転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと思う。地面に突き刺さった電柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だ。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けは私がやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている案件が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担の決められたルールはある。お互いが納得できるようなルールを作るためにたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」とかいった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。こんなことは週に何度もある。平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールが出来上がった。だがルールを基準としながらも、現実には毎度の交渉が物事を決定づける。
交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと感じている。地面の深いところに突き刺さったコンクリの柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だ。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けは私がやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている案件が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担の決められたルールはある。お互いが納得できるようなルールを作るためにたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」とかいった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。こんなことは週に何度もある。平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールが出来上がった。だがルールを基準としながらも、現実には毎度の交渉が物事を決定づける。
交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと感じている。地面の深いところに突き刺さったコンクリの柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
じゃあ社会を転覆させてくれる学生の方を私はいっとう望みますね。
この国政の危機に立ち上がって暴動を起こさない学生など何の価値もない。
洗脳されつくして国に搾取されるだけの有象無象、そういった学生は不要ですし
本論わかってます?
そもそも「陰キャ」は身も蓋もない蔑称だった。12,3年くらい前から使われだした関西あたりの学生の若者言葉だったかな?
スクールカースト底辺かそこに組み込まれさえしないハブられ者のレッテルでしかなかったんだよ。
それがSNS経由で世の中に浸透しだして、ついに「陰キャ」という概念が一般周知されたものになった。
そこで今度起こりだしたのが「米津とか本郷奏多みたいな二枚目もよくよく考えたら陰キャじゃね?」という価値観の転覆な。
そうやって陰キャを自称することで多面性をアピールする人気者、陰キャからのシンパシーで人気を集める者が出現するまでになった。
「チー牛」ミームがどこまで長続きするかは知らんが、これが淫夢ネタのようにしぶとく生き延びるなら、
「明るく見られるけど俺って高校時代はチー牛だったんすよw」みたいなことをインタビューでほざくイケメンとか現れるよ、きっと。
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
リベラルの皆さんは
新型コロナウイルスで日本人が死ねば死ぬほど、安倍首相の責任が問えてうれしいんでしょうし
オリンピックが開催できなければ、安倍首相の責任が問えてうれしいんでしょう
リベラルの皆さんにとっては安倍が憎い以外の優先事項はないのは分かるけれど
もしも野党やメディアが望むように全例検査を実施していれば、イタリア同様に日本人が多数死んでたでしょう。
偽陽性、偽陰性、検査精度、それから日本の感染症に対する法律やリソース数は他記事を読んでください。
破綻して韓国の様に多数の重症患者が入院出来ずに見捨てられたように死んでたのは確実でしたね。
そしてオリンピックを自主的に諦めてれば、早々に経済を浮揚させる重要な契機を失うことになる。
欧州の事情を考えると難航は必至としても提案して、開催に漕ぎつける努力は絶対に必要な局面に
間違えることなく開催しようと努力できる首相で良かったと思う。
マスメディアに扇動されパニックになった国民の圧に屈することなく、病床も検査リソースも足りない現実を見て
野党だったら、日本人が多数死んでて、努力もしないでオリンピックを諦めることで再び経済的な打撃を受けてたでしょう。
このご時世に桜を見る会をやってた野党の党首ではなく、最優先課題を間違えない人が首相なのはありがたいもんです。
野党が優先順位を履き違え、無意味な揚げ足取りとスキャンダル探しをしてる間は
(追記
今回、野党は全例検査を失敗することを承知で脚を引っ張るつもりで主張したと確信している
新型コロナが指定感染症であり病床数が1800とすくなく、検査精度の問題かある事は
(例えば尾身茂がPCR検査リソースを2000から8000になるまで3月末に向けて増やす計画であるとも言ってた)
物心ついた時から足は遅いし自転車はなかなか補助輪が取れないしバスケの授業ではヘイパス!ヘイパス!って声を張り上げてるだけの置物になるしでとにかく運動が苦手で嫌いで、なので社会人になってからも運動からは距離を置いた生活を送っていたんだけど、こないだ縁あって川にカヤックをしに行った
そしたらあれだけどんなスポーツをやっても箸にも棒にもかからなかったのが嘘みたいに、何故かこれだけは上手く出来た
すんなり船に乗れたしどう足を突っ張っていれば転覆しないかも感覚で分かったしどうパドルを動かせば進みたい方向に進めるかも考えなくても分かった 自分でも本当に不思議だけど
何よりも嬉しかったのはインストラクターのお姉さんが「センスありますね!」と言ってくれたこと
その時は滅相もないと否定したんだけど、現金なものでこの日を境にあれだけ運動を嫌いと思っていた気持ちがかなり和らいだ
それで運動に対するハードルが下がったのか、それからパーソナルジムに行き始めた
誰と比べられることもなく自分のペースで体力づくりが出来てすごく楽しかった
他に何か運動してるんですか?ってトレーナーのお姉さんに聞かれたので「カヤックやってます」って言ったら「運動好きなんですね!」と言われてとてもびっくりした
そんなこと言われたの生まれて初めてで、というか人生のほぼ全てを運動なんて嫌いと思って生きてきたので
でもそう言われて、「あー私運動好きって思っていいんだなー」って、大袈裟に言うとなんか呪いみたいのから開放されたような気がした
というか私が嫌いだったのは運動ではなく体育の授業とか、明るくて運動出来る子の隣で自分のどんくささを突きつけられて心がぺしゃんんこになるあの惨めな気持ちとか、そういうことだったのかなーって思った