俺が社会人1年目、まだ何もできなくて研修生だった時のこと。ちょっと年取った母親と俺の二人暮らし。
自分の希望の進路もあったのだが、親の希望でそれを諦めて手に職系の仕事に就いた。自立できてほしいという親心は、まあ理解できたから。
しかし研修は辛くて毎日午前様。土日も出勤。俺は同期の中でもトロい方で、仕事に余計な時間がかかるので尚更。
母親はそんな俺に「もっと早く帰ってこい」と言ったが、俺は「仕事終わらないんだから仕方ないだろ! あんたが就けって言った仕事に就いた結果がこれなんだよ!」と内心キレていた。
仕事をすること自体が技術を学ぶ勉強であり、それを放り出したら一人前になれない。当時はそう思っていたし、今でも残念ながら他のステップアップ法は思いつかない。
普段は目覚ましかけて自分で起きているのだが、その時は母親に対して怒った。何で起こしてくれないのかと。
母親の答えは、疲れているのだからゆっくり寝かせてやろうと思った、というものだった。俺はそれ以上話をする気がなくなり激怒しながら職場へ行って、先輩や上司やお客さんに謝り倒した。
あの頃から随分時間が経って、その寝坊事件については、「なるほど社会規範を破ってでも体を休めさせようとしたのか」と今なら分からなくはない。が、やっぱり今でも起こしてほしかったと思う。
一日よく寝たところで労働環境は変わらないし、職場で白い目で見られダメな奴のレッテルを貼られるだけ。転職してもこの業界はどこも同じようなもの。
うんと場末ではもう少し楽な所もあるが、そういうところでは技術を学ぶのは絶望的だ。
ある程度の技術を学んだ今は、場末の楽な場所に転職してだいぶ楽な暮らしをしているが、最初からその手を使っていたら、何の技術も知識もないまま技能職としてふるまう上辺の態度だけを身につけ、ほとんど詐欺師のような反社会的な存在になっていただろう。
親としてはそれでも健康に暮らしてほしいのかもしれないが、俺はやっぱりそんなものになりたくはない。ゾッとする。母さんはそれでいいのかよ!と言いたい。
こうしてある程度落ち着いて過去の話ができるようになった今は、親の方がもう痴呆症で碌な話ができない。
情けないことだが、俺は本当は、親に「良く頑張って立派な社会人になった」と一度でも言ってほしかったように思う。
実際はそういうことは一度もなかった。あまりそれを口に出すような親でもなかったから仕方ないと言えば仕方ない。
が、結局俺は、一人前の大人として母親を満足させてやれたことは一度もないのかなあ、という気持ちは消えない。