はてなキーワード: 眼鏡とは
5年生のとき、当時の自分の中で精一杯のオシャレだったヘアピンを「似合ってない」「調子こいてる」「きもい」とクラスで馬鹿にされてから、『オシャレ』がトラウマになった。
今思えばくだらないことだが、あのときの私にとってはそうでなかった。小学生の私にとって学校は全世界だった。
だからさらに地味な服を着るようになった。好きだった花柄のシャツも着なくなった。気に入っていた髪飾りもつけなくなった。
オシャレをして攻撃されるのが怖かった。ブスで似合わないから、ブスが着飾っても見苦しいから、オシャレしてはいけない、資格がないと思うようになった。
中学、高校、大学ととにかく身なりに気をつかわなかった。髪は真っ黒モサモサひっつめ。所有するスカートは制服のみ。私服はジーパンにヨレヨレパーカー。化粧はおろかスキンケア皆無。眉はボサボサ。オタクメガネ。
それでも、いつか「綺麗になりたい」とは思っていた。
いつかパーマをかけて茶髪にして化粧をしてコンタクトにして、綺麗なスカートを履いてみたい。
今なら「したいならすればいい、アホか」と言ってやれるが、当時はそう思えなかった。
オシャレが怖いのに、オシャレに物凄く憧れていた。拗らせていた。
彼氏などいるはずもなく暇はあったので、アニメゲームの合間に勉強だけはした。コミュ力と容姿抜きでも就職しやすい分野を選んで必死で勉強就活して、周囲より相当遅れたがどうにか内定をもらった(就活時は「マナー」として、ムラだらけのファンデーションだけは塗っていた)。
そしてやっと転機。就職して一年後、たまたま激務だった時期があり夕食を怠ったせいで計らずとも痩せた。Mサイズの服が着られるようになった。アニメが豊作だったり残業代が多く入ったりで浮かれた私は、これくらいなら許してもらえないか、と水色で花形のボタンがついたカーディガンを買った。それまで茶・紺・黒のヘビーローテーションだったから、自分としては大冒険だった。レジに持っていくとき、比喩でなく本当に動悸がした。店中のひとが「ブスのくせにそんなの着るな」と思っているような気がした。病的だった。
そして二週間後(着る決心がなかなかつかなかった)、着て行ったら予想以上に職場で反応があった。小5のときとは違い、誰も馬鹿にしなかった。「珍しいね」「いいね」と言ってくれた。お世辞だとしても、何かが覚めるような気分だった。
ここでようやく考えた。
かかる費用はもう自分で稼げるのだし、今の環境ではバカにもされないらしい。
割と単純な気質なので、遅くなってしまったが頑張ってみようと決めた。
しかし魔法のコンパクトがあるわけでも、テレビ企画のようにスタイリストが1日で大変身させてくれるわけでもない。一気に化粧品をそろえ服を買い替えるほどの財力があるわけもない。そもそも何から手をつけていいかわからない。
だから脱オタ系のサイトやブログを読み漁り、書いてあることを少しずつ、素直に実行することにした。最低限のスキンケアにそれなりの化粧を覚えて、もう2キロ痩せて、近所のおばさん美容院でなくて街の美容院に定期的に行くようにして、眼鏡をかえて(コンタクトはドライアイで無理だった)、タンスの中に白や緑、薄ピンクなんかが増えるまで一年かかった。もちろん失敗もあったが、ドラッグストアや服屋をキョドりながら探検して自分に似合うものを探すのが、いつからか楽しくなっていた。整形したわけでないので当然美人にはなれなかったが、いわゆる「小奇麗なブス」にはなれた。喪女であることもオタクであることも変わらないが、職場では褒められた。親も喜んでくれた。素直に嬉しかった。
汚いブスから小奇麗なブスになって、私の場合は間違いなく生きやすくなった。打ち合わせの相手が優しくなった。上述のとおりもともと職場ではひとに恵まれていたが、みんなさらに優しくなった気がした。店員が話しかけてくる系服屋に入れるようになった。洒落た喫茶店で休憩できるようになった(もともと一人飯自体は苦じゃない)。バスや電車で、隣に若いお姉さんがよく座ってくるようになった。その他諸々。で、今に至る。
上記の経験を得て思ったのは、「オシャレしたいならしていい」ということ。オシャレしなくてはならない!ではない。
別に興味がなかったり、そんなものよりもっと大事と思うことに追われていたり、そういうひとに「オシャレすべきだ」などと主張するつもりは一切ない。
しかしオシャレしてみたい、でもブスな私には許されない、どうせ似合わない、世界が許さない、そんな風に拗らせている私のようなひとがもしいるならば、「ブスもオシャレしていい」と言いたい。私の場合は、「美人」ではなくて「人」になるためにしている。美人にはなれないが小綺麗なブスにはなれる。生きやすくなる。楽しくなる。
オシャレは強要されるものではないが、逆に誰かにやめろと命令されるものでもない(校則や仕事のTPOは除く)。クラスメイトでも親でもなんでも、「ブスで似合わないからオシャレをやめろ」と命令する権限はないんじゃないだろうか。
普通のひとなら「当たり前だろ」と言いそうなことに気付いた私は、とても出遅れてしまったが毎日楽しくブスオタクをやっている。
これはいいか悪いか微妙だが、ひとと会いたいという気持ちが生まれたのでオフ同人にも足を踏み入れた。オタクの友達もたくさんできた。本当に毎日楽しい。
しみじみとそんな回想をする小奇麗なブスオタクは、
何か意見することを「人を裁いている」と表現することに違和感がある。
は?脳ミソにウジでも湧いてるの?
弱者っていう固定の役割を据えて物事を判断しようとしてるけど、切り口によって弱者か強者かは変わるもんだし弱者だからといっても議論する上では議論のプロトコルを守る必要がある。それだけ。
切り口によって~とか言ってるけど眼鏡をかける近眼も障害とかいう訳の分からない言葉遊びしてるゴミクズはつごうよく言語化して自分も弱者だという可能性を示すことで被差別者を沈黙させたくて仕方ないんだろうなぁ
そしてまたしてもプロトコルとやらを都合よく決定してるのはおまえ
弱者のみに許される会話の仕方(例:まず足をどけろ)があってはいけない。
差別しても黙って死んどけというのがおまえの結論だとわかりましたOKOK
前から見て思ったが、コロコロ話を変えるのもむしろお前の特徴のように思える。
意味不明。差別の話題としてキャッチーなものをたとえとして挙げるのが話を変えることになるのか笑
じゃあ例え話しかできないわかりやすさだけを求めて物事を単純化して自分に都合よく意見を刷り込ませるゴミ虫君はコロコロ話を変えまくっている自殺した方がいいクズだということだな。
おれはこの1イシューしか話していないはずだ
うんだからそれに対して黙らそうとしてるだけのモンスターがおまえ、という指摘をし続けてるのが俺だね。
被差別者の立場として「何が」絶対に駄目って言おうとしてるんだ?喋るときは要点をきちんと抑えて
えっ?おれの主張をまったく理解してないのに今まで適当なことしゃべってたってこと?笑
話をコロコロ変えるな。トラバツリーの最初から議論停止語をやめようという話をしている
被差別者として開陳するなと言い続けてたゴミ虫くんを否定し続けたわけだが不利になったから顔真っ赤にしてなかったことにしだしたぞ笑
「私は弱者だ」って言ったらそこで話が止まるんだよ
彼女と知り合ったのは、私が結婚で大阪に転居した先の近所にある病院だった。
彼女はDV男と同棲中で、目に青痰つけて出勤してきたり、首に締められた痕としか見えない内出血をつけてきたりしていた。
しかし元来彼女の看護師としてのスキルは高かったこともあり、「アレは男が悪い」と皆彼女に対して同情的だった。
私は生まれてこの方父親も含め男性に手を上げられたことが無かったので殴られても首を絞められても別れようとしない彼女の事が理解出来なかったが、まだ特別親しくもなかったので「色々な人がおるもんやな」くらいの感想しかなかった。
数ヶ月して私は彼女と同じ病棟へ移動となり彼女と一緒に働くこととなった。
「DV男と同棲する女」という色眼鏡で見ていたのに、一緒に働いてみると看護師としての彼女は本当に優秀で頼りになるしっかりした女性だった。
そして、それ以外の彼女はとても可愛らしく、ほっておけないような、同い年なのに妹のような、美人では無いが人懐っこい笑顔が印象的な魅力ある人だった。
私達はあっという間仲良くなった。
三十路を前にしてオトナになって初めて出来た親友と呼べる友達だった。
曰く、DV男の両親は所謂地元の名士だったが、悪い人に騙されて土地山を奪われた上多大な借金を抱えており、世間体至上主義な両親が自己破産するわけもないので、DV男が一生かけて借金を返すのだ、と。
その為に結婚式等は出来無いが、私も一緒に働いてDV男を助けていこうと思う、と。
色々言いたいことはあったが、彼女はバツイチでこども2人の親権を元夫に取られた過去があることや、今のDV男との出会いのきっかけは◯ムウェイだったことやらを考えると、行くとろこまで行かないとわからないのが彼女の人生なんだろう、と思い祝福した。
泣くばかりで何も喋れない彼女に、
「今どこにおるん?今すぐ迎えに行くからうちにおいで」
いう言葉が口をついて出た。
夫にも了解を得て彼女を迎えに行くと、彼女は家中の衣類を全て詰め込んだような大きなカバンを2つ抱えて泣いていた。
結婚したものの義父母義妹との同居生活は最悪で、DV男はかばうどころか一緒になってモラハラ発言を繰り返すばかりで、もうどこにも居場所が無い。
妊娠発覚した途端に洗脳が解けるが如くこれまでの色々な「オカシナ理屈がまかり通っている」事に疑問が湧き上がってきた。
彼女の実家は南の方にある離島で、離婚して独りになった母親がいるだけだが、他に頼る所も無いし一旦実家に帰ろうと思う。
そして、お腹の子は堕ろしたい、その時は付き添って欲しい、と。
彼女と母親との確執について何度か聞いた事があったので、実家に帰るという選択肢はちょっと現実的では無いかなとは思った。
それに首を絞められても顔にグーパン喰らっても別れられなかったDV男と、そんな簡単に別れられるだろうか?とも思った。
しかし、その時の彼女はヘトヘトに疲れきっており、ぼーっとしてるかと思えばシクシクと泣き出したりと情緒不安定の極み状態で、何はともあれ産婦人科で妊娠の確定をせねば、と病院に付き添った。
DV男は私の存在を知っているにも関わらず、私に電話もして来ず、職場に問い合わせもせず、ただただ彼女の携帯にロミオメールを送り続けていた。
現実的な対処は一切せずに、ひたすら彼女の心に毒を染み込ませていた。
「お前がいなくなってずっとあちこち探して歩きまわっているけど何処にもお前の姿が見えなくて途方に暮れている」
「僕をこんな辛い目に合わせられるのはお前だけだ」
「お前と一緒に行った桜並木は今も満開で美しいけれど、お前が居ないと桜はただの物体で何の意味も無い」
もっと他にやるべきことはたくさんあるだろうに、親には「あいつは友達の所に泊まっているから心配ない」と言い、自分の友達には嫁に家出された事は隠し通し、阿呆みたいなロミオメールを一日に何通も送信していた。
初めのうちは着信には出ていなかったが、家出三日目を過ぎたあたりで彼女は通話に出るようになった。
DV男が会って話がしたいと言うので、私は母に助言を受けて昼間のファミレスで私も同席し話し合う事にした。
同伴の男友達は昔ヤンチャしてました系で無駄に態度のでかい男だった。
DV男はどこだか忘れたが四大を出た後NYで一年留学した経験があり、たった1人でアメリカのディズニーランドに行った事が自慢話のひとつだった。
しかし今にして思えばFラン大からの親のカネでNYで一年語学留学だとしたら、NYで一年遊んでたけど友達出来なかったから本場でぼっちディズニーしただけの話だよな・・・。
取り敢えず四人でファミレスのボックステーブルにつき、さぁ話し合いを始めようかといった所でDV男が最初にした事は煙草に火つける事だった。
私がすかさず制止したら、DV男は慌てて火を消したが何故か苦笑いしながら、
「でも副流煙を吸ってるのは非喫煙者だけじゃないんですよ?喫煙者も副流煙吸ってますからね?」
と、のたまった。
はぁっ!?んなもんは喫煙者の自業自得やんけ!そんなしょーもない言い訳が妊婦に副流煙吸わせる免罪符になるとでもおもとんかこのドアホが!
と言いたいのをぐっと堪えて、「いやー、それと妊婦の前で煙草吸う事はちょっと話の次元が違いますよね(笑)」とやんわりたしなめたら、DV男は私を見て一瞬ハッとした顔をしたものの何やらモゴモゴ言いながら話題を変えてきた。
当初の彼女の言い分は「離婚も堕胎も一旦棚上げして実家に帰って少し独りでじっくり今後の事を考えたい」だった。
DV男の言い分は「実家に帰るならもう自分たちの関係が修復される事は無い。だから今すぐ帰ってきて欲しいしこどもも産んで欲しい。これからは両親・妹からお前をちゃんと守る。」だった。
私は本当に彼女の事が大事ならば今は実家で心身共に休ませてあげて、別居等準備が整えてから彼女を迎えに行けばいいのではないか?と提案してみた。
だがしかし、彼女の口から出てきた言葉に私は耳を疑うことになる。
話 が 違 う や な い か ー い !
彼女の荷物が少し残っていたので、私は彼女に「DV男と一緒に私の旦那に挨拶がてら荷物取りにきて。人として最低限のけじめやと思うからそれだけはお願い。」とメールを送ったが返信は無かった。
数週間後、忘れ物を持って彼女の家の近くまで行ってから電話をかけると、こけつまろびつ彼女が出てきた。
DV男に私達と会っている所を見られたくなかったのだろう。
上下だるだるになったスウェットにクロックスを履いてノーメイクにぼさぼさの頭で。
目には涙を湛えて「ごめんな、ほんまにごめんな」と私や旦那に何度も深く頭を下げ続けていた。
そんな彼女の姿を見ながら、
「あぁ、もうこの子と会う事はなくなるんだろうなぁ。」
と頭の中で考えていた。
私も積極的に彼女を助けようとしてくれた旦那に申し訳なくて、「なんだかんだ言ってあのDV男の事が好きなんだ」と裏切られたような気持ちにもなっていた。
番号は変えなかったから彼女から電話がかかってくればその時関係復活すればいいと思った。
そして、電話は鳴ることなく私は夫の地元へと転居し、私達の縁は切れた。
あれから14年経つ。
無理矢理別れさせることも堕胎させることも実家に帰らせることも、どれひとつ出来無いしするべきでは無かったからしなかった。
ただネットの世界に漂うDVの記事を目にする度に彼女にした事出来たかもしれない事をついぐるぐると考えてしまう。
14年も経ったのに、未だに。
西原理恵子さんはアルコール依存症の旦那さん(故人)に酷いDVを受けていた時のことを著書の中でよく書かれている。
その中で「DV被害者は洗濯機の中でぐるぐると回り続けているようなもの。まずは洗濯機の中からつまみ出す事が先決。シェルターなりに一旦避難させてDV男との生活が異常な状態であることを認識させる。DVの洗脳を解く。そうじゃないと簡単にまた洗濯機の中に
戻っていっちゃう」と言うような事を書かれていた(私の記憶によるものなので細部やニュアンスは違うかもしれません)。
私は洗濯機の中へ帰っていく彼女を引き止めるべきじゃなかったのか。
駄文最後まで読んで頂いてありがとうございます。
参考画像:
http://precure-diamond.tumblr.com/
http://www.pixiv.net/search.php?s_mode=s_tag&word=%E8%8F%B1%E5%B7%9D%E5%85%AD%E8%8A%B1
そりゃそうさ。ITエンジニアなんて、学校時代は不遇のオタクのクソ眼鏡野郎で、たいていスクールカーストの下層部方面のルーザーだった奴。なので、人から認められる経験に飢えまくりなので、ちょっとしたことですぐに先生気取り。喋ってる内容は、大したことないgoogle検索結果の完全受け売りばかりなんだけど、ITしろうとにはマウントポジション取って認められるから、やめられないのさ。教えてる側は大抵「こいつバカだなー」と心の中で思いながら、一方で学生時代に味わえなかった承認欲求をガツガツガッツキまくりで満たしているだけ。
ウソだとおもったら、得意げに教えているITエンジニアに、「googleるとそのまま出てくる件ばっかりで大したこと無いね!」といってやんな。
全然気が付かなかったけど会社の受付に可愛い女の子が入ってたぁぁぁぁ!うほおおおおおお。
今日は早上がりだったから気づかんかった!悔しい!ビクンビクン!いつからだよー!教えろよ!
既に他の社員に声かけられてんだろうなぁ。かわいいし。悔しい(2回目
でも出社時間も退社時間も合わないんだよなぁ。話すタイミングがない。
俺のほうが朝は早いし夜は遅いし。たまにしか早く上がれないし。
趣味がないから今まで残業したくてしてたんだけど、そしたら当たり前になっちゃってダメだこりゃ。
接点ができるとしたら来客→電話で呼び出しくらいか?ぐぬぬ。しかも3人いるから他のBBAにあたるかもしれん。
まぁでも会社へのモチベーションが7000倍くらいになったから来週から来客入れまくってワンチャンを作っていこう!うひゃひゃー。よだれが出るぜー!
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ちゃんぽん(冷凍)、セブンイレブンのファミチキ(いや、違うのはわかってるよ、鶏肉を揚げた食べ物のことを言いたい)
○調子
なんだけど、今日で大筋は出来たので、明日からは定時帰りになりそう。
はややー、頑張った頑張った。
ノー課金。
○ポケとる
・デイリーの…… うわあこいつの名前なんだっけ、いやポケとる起動すればわかるんだけど、姿とタイプはわかるけど名前が出てこない、エスパー飛行だよね、BW初出で…… 特性の一つに色眼鏡がある…… ポケカのBWでEXポケから技を食らわない特性持ってた…… シンボラー? シンポラー……? 自身ないなあ、シンボラー……?
・ケルディオ(どっちのフォームかわかってない)のレベルアップステージをレベル7まで攻略。
ケッキングを捕獲する気が起きないなあ、挑戦にお金かかるステージ嫌い。
ログボのみ。
新宿メトロプロムナードにて実施されていたデレステ広告ジャック企画にて、「最終日の最後に流されたMVにコールが入ったり、終了後に『アイマス最高!』をやっている人がいた」としてTwitterで話題になり、批判ツイートも相当な数になった。
それ自体は当然の流れだと理解できるが、いろいろ見ていると中には「拍手も迷惑行為だ」「MVが終わるごとにスタッフが拍手を促しているのを見て冷や冷やしてた」という意見も散見された。正直言うと、私にはその「拍手も迷惑行為」というのが理解できなかった。もう少し正確に言うと、拍手に言及して良識派を気取ってる人々の考え方が理解できなかった。
そこでこうして私見を書き殴っている次第である。
まず言いたいのは「スタッフがOKとしているのであれば、それは許可された行為なのでは?」ということである。
先程も述べたが、MVで1曲終わる度に拍手をするのはスタッフ側から促された行為である。つまり、イベント運営側としては拍手は「問題ない行為」と認知されていることになる。その運営側から容認されている行為を批判するのは的外れなのでは?というのが、私の意見である。
そういうことを言うと「スタッフだって間違うこともある。下手な運営だって有り得る」と言われるのが目に見えているが、今回に限って言えばそれは無いと私は思っている。と言うのも、今回のイベントに関しては運営側(スタッフ)は「イベントに関係ない一般の方に可能な限り迷惑をかけない」という一点に関しては物凄く気を配っているからだ。
実際に現地に行った人ならばわかると思うが、今回の現地では、展示物の前以外の場所で少しでも立ち止まると、即座にスタッフから移動するように注意されていた。特に両サイドの柱の間、中央の通行スペースは、一瞬でも立ち止まるとすぐにスタッフが飛んできた。また、展示物の周辺でも柱の内側をほんの少しでもはみ出すとすぐに注意された。一般の通行人の邪魔になることを極力回避しようとしているのが伺える。
また、展示物と反対側の壁、常設の店舗が並んでいる辺りの間にちょっとしたスペースがあり、初日・2日目ぐらいの頃にはたくさんのイベント参加者がそこで休憩していた。ところが最後の方になると、そのスペースはいつの間にかロープが張られ封鎖されていた。恐らくそのスペースの両側の店舗から苦情が入って対応したのだと思われる。
今挙げたのはほんの一例だが、このように今回の運営は相当気を配っているというのがわかる。話を戻して拍手についてだが、もしそれが最初に一部のスタッフが勘違いして始めたのであれば、そのスタッフは注意されて随時修正されるはずだ。それが為されず最終日の最後までずっと続いたということは、運営が拍手は問題ないと判断していると思って間違いない。先述の通りここまで神経質になっている運営の判断であれば、それに従えば迷惑行為にはならないと私は考えている。
MV終わりに拍手をしていたのは、初日からずっと繰り返されてきたことである。それを6日目までは何も言及してなかったのに、最終日になって急に槍玉に上げ始めた人が本当に多い。あたかも「今まで言ってなかったけど、実は自分もそう思っていた」とでも言わんばかりである。
ずっと思っていたのなら最初からそう言えばいい。何なら、現場でスタッフに直接言えばいい。それをせずに最後だけ周りの空気に便乗して好き勝手言うのは、いささか無責任ではなかろうか。もっと 有り体に言えば、「本当に自分で考えてそう思ってる?周りがそう言うから合わせただけじゃないの?」という印象を受けた。
付け加えるなら、オープンスペースでのイベントで言うなら、デレマス2周年記念イベントが新宿アルタ前で行われた時のことを思い出して欲しい。あの時はミニライブがあったとはいえ、ライトも振るしコールも全力という有様だった。当然一般人がすぐ傍を通るし、新宿駅のホームまでコールが聞こえたという報告もある。だが、それをネタにして笑う空気はあったが、真面目に批判する人がどれだけいただろうか?
アレをネタで済ませる人と同一人物が、たかだか拍手程度を批判している。この状況に違和感しか無い。
上記のような状況を踏まえてなお、拍手を問題視する人たちは、一体何を根拠にしてその判断をしているのか、私にはわからない。これだけ神経質になり、また場所を提供しているメトロからの苦情情報等も直接聞ける運営と、そういった批判する人々の素人判断と、どっちが信用に足るかという話である。
「公共の場で騒いではいけない」というのは一般常識であり、それ自体を否定する気は毛頭ない。だが、あの場は果たして拍手を封じた程度でどうにかなるような場なのだろうか?
そもそもあの場は、過去に実施された広告企画とは根本的に違う。MVで音楽は流すし、ぷちデレラのムービーでもBGMが流れているし、時折ぴにゃこら太も鳴く。アクリルパネル展示のエリアも音楽が流れてる。
そんな中で拍手だけを禁止した所で、一般の通行人の印象が変わるだろうか?ハッキリ言ってしまえば、拍手があろうが無かろうが「五月蝿い、邪魔」という印象は変わらないだろう。拍手が無くても音楽がガンガン鳴っているのだから。
無論、「音楽があるのだから」と言っても、騒音を倍増するような行為はしてはいけない。コールがそれに該当する。だが、スタンディングオベーションで拍手喝采という程の物ではなく、音量としても音楽と大差ない程度のささやかな拍手まで禁止して、騒がしさが変わるだろうか?要するに「運営が想定している騒音レベルを超えるか否か」という話であり、あの程度の拍手はそれを超えないというだけのことである。
以上を踏まえた上で「公共の場で騒いではいけない」という一点のみを強調して拍手を批判する人たちは、今回の特殊な状況を考慮に加えず杓子定規に判断しているとしか思えない。敢えて大袈裟な言い方をすれば、一種の思考停止である。
それでも拍手を批難できる理由があるのであれば、是非教えて欲しい。
ミリオン3rdライブの際に一部の広告が撤去された件を引き合いに出して「あれを繰り返すのか」という話も見受けられたが、私の知る限りではエスカレーター逆走等が原因だったはずなので、今回と同列で語る話題とは少しズレる気がする。
2日目の「柱に蹴りを入れた」という件や、最終日の「アイマス最高」の件等、明らかに逸脱した行為を批判するのは理解できるが、ここまで述べた通り拍手のような大事でもないことを手放しに批判できるほど、自分に傷が無いと、やましいことが一切無いと断言できるだろうか?
話題がコールや拍手等の「音声」の問題にばかり傾倒しているが、迷惑行為と呼ぼれる物はそれだけに限らない。先程の蹴りの件はその際たる例だ。
柱の話になったのでそちらで例を挙げると、百歩譲って柱のアイドルの写真を撮る行為はまだわからなくもない(それでも一般の通行人から見たら奇異に見えるだろう)が、柱に抱きついたりしてるのが果たして一般人に良い印象を与えていると言えるだろうか?Twitterでは柱に眼鏡をあてがった写真やメジャーで高さを測った写真が随分とRTされたようだが、それらの行為が一般人の理解を得られると胸を張って言えるだろうか?
ここで言いたいのは「そう言う貴方達も叩かれて然るべき事由がある」ということではない。
「批判する前に一度よく考えてから発言しよう」ということである。
深く考えずに短絡的に叩いていたら、思いもよらない反撃を受けても文句は言えない。そうならない為に、発言内容には常に気を配る必要がある。
よーーーく熟考した上で、それでも批判せずにはいられない時だけ、叩き返されるリスクを認識した上で叩くべきである。人を呪わば穴二つ。アニメ「コードギアス」のルルーシュの言葉を借りるなら「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」ということである。
念の為に繰り返す。「叩くな」と言っているのではない、「よく考えろ」と言っているのだ。
私が今回こんな長文を書いているのは、今回の件をTwitter上で批判している人たちが、上記のような特殊な状況について考察すること無く、実際の状況についてきちんと情報を確認もせず、ただ断片的な話だけを元に脊髄反射の如く闇雲に、盲目的に拍手をした人や拍手を促す運営を批判する姿勢があまりにも無責任で、それで良識派を気取っているのがあまりにも目に付いたからである。
私は「アイマス最高」はやらなかったが、あの場には確かにいた。だからと言って、あの「アイマス最高」を擁護するつもりは欠片ほども無い。
ただ、それと一緒くたに他のことまで叩かれている状況が我慢ならなかったのである。
何も考えていないくせに「自分はちゃんとしている良識派です」みたいな態度なのが我慢ならないのである。
最後に。
イベント終了時、閉まりかけたシャッターの向こうでスタッフが「ありがとうございました!」と深々と頭を下げた。
赤信号でも交差点に突っ込んでしまう人に、「信号をちゃんと注意してみろ」といってみても、「赤がススメ、青が止まれだと思っている」のであれば、いくら信号に注意する力をつけさせても状況は改善しない。
もちろん、「信号がよく見えていない人」に「青がススメ、赤が停まれ」と教えても、それは知っていることの繰り返し。
その人に必要なのは知識の教育でなく、信号がよく見えるための眼鏡。
それどころか、知識の無い人間に「お前、眼鏡買ってこい」と指示を出したり、眼鏡をかければ済む人間に「交通教本読み直してレポート提出」とか、時間労力とも無駄以外の何物でも無い。
下手すると「改善策をとったのに出来るようにならない」と自己肯定感の低下にさえ繋がるんだよなあ。
伝えたいことが上手く書けてない気がするので、もうちょっと追加で書く。
そもそも、美人画=美人というのはちょっと違って、ちょっとじゃないか、まるっきり違って、美人画は特殊。
まず、こちらを見てほしい。
浮世絵ではない。
眼球をおさめる眼窩のくぼみ、頬骨、顎の丸み、それを想像できるのはもはや特殊能力だと思う。
だから、フィギュアを作る造形師というのは、絵師以上の才能だと思うんだよ。
そんなわけで、次にやっぱり浮世絵の世界でも美人画は特殊という話につなげていきたいのだけど、そもそもウキヨエって時点で特殊に思われてしまうので、まずその色眼鏡を外してもらいたい。
じゃあ、下の写楽の絵を見てほしい。(浮世絵の中でも写楽は特殊と言われりゃそれまでだが)
https://data.ukiyo-e.org/bm/images/AN00521343_001_l.jpg
ディプレイに表示されたら、右手の親指と人差し指でリングを作り、リングの中に口元だけが見えるようにサイズと手の位置を調節する。
鼻のライン、口のラインから、小鼻の膨らみ、顎にかけての丸みがちゃんと理解できるのがわかるだろうか?
線一つない白塗りの頬に、頬骨がせり出して涙骨とつながってるのが見えてくるだろう。
なんといっても鼻の線どりが見事だ。
最小の線で、小鼻の膨らみを画面につくってる。
小鼻の丸みの中の小さな平面、小さな平面と丸みの連続を見事に!
その線を脳内補完して、延長すると、頬骨、顎、おとがい、すべての凹凸が見えてくる。
いやはや、いやはや、これが写楽!
輪郭線が薄墨色でかなり薄い。
バックは黒なのに、光っている(画面ではわからないが、雲母(ようするに微細な天然ガラス)を砕いたものを敷き詰めてる)。
薄い色の輪郭線と、黒なのに光るバック、これが意味するところは、つまり!
スポットライトがない時代、薄暗い芝居小屋に役者が登場したところ!
窓から光が差す。光を浴びて白塗りの役者の顔がハレーションを起こしてる。その瞬間!
どうだろうか。
恐ろしく写実的であるのに、禍々しく怪しい力を放つ手元、感情がにじみ出た表情、素晴らしく感じないだろうか。
他方、歌麿を見てみよう。
https://data.ukiyo-e.org/aic/images/79632_350913.jpg
どうだろうか?
ちょっとこれは立体造形が難しい。
美人画だ。
アニメの絵のつぶれた鼻を、薄すぎる唇を、あれが実物だったら美人と呼べるだろうか?
否!
同じように、目が大きいほど、二重がはっきりしているほど美人というのは間違いだ。
ところで、この手の記事を書くたびに、浮世絵への情熱に驚かれてる人がけっこういるけど、知り合いのオーディオマニアはもっとすごいよ。
あれは魔道。沼。