はてなキーワード: 相撲部屋とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
fukken ガチでの勝負を前提として、球場や故障にもっと寛容になればいいだけの話。なんで八百長を許容するって話になるんだよ。八百長など、競技としても神事としてもまずかろう。
つか故障に寛容ってなんだよ。現状でも寛容だよ。みんなサポーター巻いて出てきてるだろ。
だが神事で八百長の何がまずいんだ?神事なんて多くは演劇だが。
豊穣の神とか疫病神とかと取っ組み合いする神事は珍しくないよね。
故障に寛容wになったって15日連続ガチでやればどんどん怪我人が出る。
はてな民はどうもハードな運動部経験者とかが少ないんじゃないだろうか。
だからいいこと言ってるつもりで「故障に寛容になる」とか意味不明な方針が出て来る。
diabah_blue ガチンコが危険と言うなら、危険でなくなるようにルールとして明文化すればよい。フェンシングの剣が真剣でないからつまらないかと言えば、そうではないと感じる。
これマジで酷くない?
冗談で言ってるんじゃないんだもん。
相撲のような身体をフルにぶつけ合う種目とフェンシングのような相手の身体に直接触れない種目を比べてどうする?
レスリング、柔道、ラグビー、アメフト、みんなフェンシングより怪我が多いよ。調べないけど調べるまでもないことだ。
これほとんど「相撲は将棋に比べて怪我が多い、将棋みたいにルールを整備しないからだ」って言ってるのと発言の馬鹿度は変わらないからな?
いつものことだけど、こういうのを1人が言ってるならいいんだよ。酒飲みながらコメントしたとか睡眠不足でコメントしたとか一瞬脳の血管詰まってたとか色々あると思う。でも大勢が星を付けて人気コメントになるのはどうなんだ?全員酔っ払ってるの?
相撲をどうルール整備したら相撲の形を保ちながらフェンシング並みに怪我が減るのかおしえてくれ。
具体的に言ってみなよそのすっごいアイデアを。
きっとそのすごいアイデアはレスリングや柔道にも応用して怪我を劇的に減らせるはずだ。
言ってくれよさあさあ。
n-styles とりあえず土俵の周りにフワフワのエアクッションでも置いたらどうか。どう考えてもいきなり転落するの危ないし、土俵の外いじって安全策講じても競技性や伝統に大した影響ないでしょ。
ただすごいみっともなくなるので相撲では出来ないだろうな。
あと勘違いされがちだが、殆どの怪我は土俵の下に落ちたところで怪我するわけじゃないから
相撲を取ってること自体が腰や膝に飛んでもない負担がかかるんだよ。
昔なんて「無気力相撲はやめましょう」って注意が公然と協会から出てたの覚えてないかな。
勝ち越し負け越し決まったあとの取り組みは平然と流す力士が多くて、
勝つ気がないの明らかな相撲を取る力士がいて、テレビでも流れてたよ。
相手が7勝7敗で自分にとっては重要じゃない取組のときにあんまり本気でやるのは「行儀が悪い」って言われてた時代もあった。
プロ野球でも勝ちが決まってる大差で盗塁とかしたらキレられるだろ。しらねーか。
プロ野球は純競技なんだから半神事の相撲の八百長よりよっぽどまずい筈だがまかりとおってる慣行だ。
新人選手が大差勝利の試合で盗塁したら相手チームの監督がマスメディア相手に「大変なことやと思うよ」って怒りを表明するぐらいには堂々とやってる。
afurikamaimai 言い分は分からなくもない。ただ「八百長や星のやり取りはない」って言って裁判まで起こして異論潰して回ってたのはまさに大相撲なわけで。後ろから相撲を撃ってることになるんじゃないかな。
2018/01/19
相撲ファンはみんなそこまでわかって納得してる。
お前等がなんにも知らずに頓珍漢な事言ってるだけ。
toitoihoh プロレスは台本ありのエンターテイメントである代償に、競技としての格闘技を見たい客を呼べないという対価を払っている。だが大相撲はその対価を払っていない。ならば八百長が相撲で許される理由は、ない。
・相撲の八百長度・競技としての不純度は日本の腐りはてた格闘技全般、K1やらRIZINやらと同じぐらいだ。いや、あれよりはマシだな。
つまりは八百長っていうと0か1か・全部取り決めか全部真剣勝負かだと思ってる、この程度の理解の馬鹿が知った口を叩くなと。
no9875 ガチンコじゃないなら愛想や体格のいい日本人横綱が常に2〜3人いるように調整してもいいのに、若貴以降ハワイやモンゴル出身ばかり横綱になったのはなぜ?伝統という面でもいまいち意味不明なんですが。
いい質問ですね!
知らないなりにしったかぶったりせずに素朴に疑問を書くなら親切に教えちゃうよ。
安定して勝ち越せる人がいて、例えば11勝4敗出来るとするじゃん?
優勝狙えるほどじゃない。でも勝ち越しラインの8勝から3つも星が余ってる。
これを売ってあげるわけ。
何かが懸かってる人にね。
ただ、星を買う側だって「自力で4勝しか出来ないから星を4つ買います」ってわけにはいかない。
自力でも勝ち越せるぐらいの人が、調子悪い場所で終盤に保険で星を買うのよ。
エスポワール号みたいだろ?
疲れも出てる場所終盤で勝ち越し負け越し賭けて全力相撲なんかしたら怪我が増えるじゃん。
相手だってそこで全力でやるほど人情がないわけじゃないし死に物狂いを相手にして怪我したくない。
なら「貸しひとつな」ってことになる。売り買いってより貸し借りなんだよな。金が媒介すること「も」あるだけ。
要は互助会みたいなもんだよ。
はてな民の好きなやつだよ。従業員同士で苦しいときの助け合いをしてるんだ。
かつて〇皇は互助会会長と呼ばれてたしクンロク大関と賞賛されてた。
大関を張るに確かな実力がありつつ星の貸し借り仕切ってる人の安定した成績が9勝6敗。
「さすがの会長、今場所も貫禄のクンロク」「今場所は10勝5敗、乱れが見えた」つって互助会見るの好きな相撲ファンは喜んでたもんだ。
質問に戻るけど
これの答えはもうわかったよね。
「八百長は実力足りない奴が上にいく為のシステムではないから」。
イケメンだけど実力がないっていうカカシみたいな奴を横綱に出来るわけではないの。
だから長持ちしたの。
もちろん八百長だけで綱を張れるわけじゃないから、十代の貴乃花に力量負けしたのを悟って引退した。
だから怪我人続出したでしょ?
貴乃花で怪しい相撲なんて若乃花の綱取りかかった場所の兄弟対決だけだね。
仲悪くなったのあれが遺恨じゃないかって説があるぐらいよ。
普通の力士なら実の兄や兄弟子の綱取りかかったとこで本気でやらないなんて当たり前の人情だけど、
同じ国からこんな外国まで来て下手すれば高校から部屋住みでチョンマゲ結って相撲やってて厳しい実力社会で立身出世目指して、同郷同士助け合うのが当たり前でしょ?
で、脱落していく仲間を見送りながらも生き残った者同士、十両、幕内、と目鼻がついてきて、そこで潰し合いなんかするか?
お互いの苦しい状況での星の貸し借りなんて普通に発生するわな。綱取りかかってたら協力するわな。
白鵬は違うが、鶴竜と日馬富士が横綱になれたのは完全に互助だからな。
実力が全く横綱に足りてないとまではいわない。運がすごく良ければ自力で横綱になれた可能性はある。
そういう奴等に不運や怪我を回避させて上げるのが互助の精神で、それが相撲の八百長なわけよ。
それ見ても相撲ファンは「モンゴル人はズルい」なんて言わなかったよ。「日本人ももうすこし助け合え」つってたんだ。
だから横綱0人なんだってな。日馬や鶴竜ぐらいの器量の力士は日本人にも何人かいたから。
ただ報道の通りなら最近の白鵬はちょっと道を違えてたみたいだね。
八百長に応じない同郷の後輩に「俺達に勝つのか」とプレッシャー掛けるようなことは相撲ファンから見ても看過できない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
(追記)
相撲に詳しくなるには5chかtwitterかって話のようだけどそれは一長一短じゃね?
最近見てないけど5chも現役力士が書き込んでたりしてそんなに悪くはなかったような
kjkw 『相撲には八百長があるし、相撲の八百長はいい八百長。』本気で肯定してるにしても、あえて肯定してるフリして書いてるにしても分かり合える気がしない。
どういう意味でのどういう効果のある八百長なのかってちゃんと説明したよね?
ほんとに読んだうえで伝わらないならしょうがないんだけど
報道見る限りだと、これ・・・、もしも元日馬富士が親方やってたら、死人がでる相撲部屋だったのではないかと思えうほど
相撲ってよっぽどヤクザ的な体力(体育会系なんてもんじゃないよな)、ヤクザ的な精神力がないと出来ないものなのかな
後輩を怪我させても謝らない人たちばかりで、この暴力事件を隠蔽しようとする協会がやってるのが、「国技」っていっていいのかどうか、疑問だな・・・
「相撲の素人が勝手なこと言うな」といわれそうだけど、素人からすると、そんなに暴力をふるっても隠蔽って異常だよね
過去、死人も出ているのに、直せない組織ってもうだめなんじゃないかと思うんだが、暴力をふるいあう競技?だからいいとかいう話なのか
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
AKBバブルの頃はAKB嫌いで、メディアに散々出てくるのもうんざりしてたし、何より後ろにいるおっさん達が胡散臭すぎて無理だった。
でも見方を変えて、AKBグループをドロドロな環境の中で行われる女の子達のサバイバルゲームとみると面白くなる。
今のAKBグループには300人位のメンバーがいて、いかに自分を目立つポジションに上がっていくかってことで競争している。
天下のAKBグループっていっても大半のメンバーはメディアに出ることもないし、劇場公演だけが仕事のほぼ無名の半芸能人で、そして、大半が無名のまま卒業してく。
そんな環境で目立つ位置に入るためには、自分のファンの数を増やすか運営に気に入られるしかないんだけど、そこにメンバーの個性が出てきて面白い。
”「AKBの総選挙は面白いよ」http://anond.hatelabo.jp/20150607090630 少なくともAKBは「ルックス×地頭力」で勝負している世界だと感じる。”ってあるけど、
人を惹きつけるには、アイドルとしてのルックスは重要な要素なんだけど、それだけではダメでいかに自分をプロデュースしていくかの能力が重要になってくる。
そこが人間臭いというか、
ルックスがアイドルのレベルに達してなくてもピエロみたいなキャラになることでいつのまにか自分の居場所をつくる子、
ひたすらファンに媚びる能力をつけてファン人気をあげる子、
秋元康をはじめとする大人に気に入られてずっとフロントメンバーにいる子、
逆に凄い美人なのにやる気がなくて人気を徐々に落としていって窓際へ追いやられ卒業する子、
まわりとの実力差であきらめモードでやる気喪失してる子、などなど、普通の会社の中での出世競争と変わらないような人間模様が見られる
AKBメンバーはネットで情報を毎日大量にばら撒いてメンバーが何をして何を考えてるのかを運営の検問なしに表に出してるから、組織の中での人間観察をするには最適な場所じゃないかな
日本でこれだけ大きな組織が筒抜け状態になってるところってないしね、ジャニーズ、宝塚は情報公開するのに積極的じゃないし、プロ野球とか相撲部屋、プロレス業界も情報量が少ないし
一本に拘るとか、バカじゃねーのって思うんだけど。
みたいなもんだろ。
ちょっと覗いてみればさ、トレーニング方法からしておかしいじゃん。
道着で走るとか裸足で外走るとか、なんなの?
冬の一番寒い時期の早朝に稽古とか、真夏にしめきった部屋で稽古とか、そういうのなんで好きなの?
今の時代でまだ練習中水飲むなとかだし、ウエイトトレーニング否定だし。
減量のやり方だって直前に絶食とか水抜きみたいなのやるでしょ?
たとえば段位認定が講道館でしょ?
で、講道館はやっとこさ5代目で嘉納家以外の人間が館長になったけど、それまでずっと世襲だったじゃん。
国際柔道連盟の下部組織が全日本柔道連盟で、でも全日本柔道連盟より講道館がエライ。
何年か前に「国際柔道連盟の代表に日本人がいないのはおかしい」みたいな抗議文だしてたじゃん。
もうね、バカなんじゃね?としか思えないんだけど。
嘉納治五郎があんだけ先進をいってたのに、なんでそれから100年も停滞して、というかむしろ後退してるんだよ。
追記
彼がなかったら武道どころか日本に近代スポーツが浸透するのがずいぶん遅れたと思う。
その点は認める。
昨日外国人力士がいる相撲部屋の様子がTVで紹介されてたんだけど、すげえブラックなのな。
まあ相撲部屋なんて日本でも数少ない超閉鎖的日本社会で特殊で例外ではあるけど、それにしても軟弱メンタルとしては怖かったわ。
「怒られたらまず「すみません」や。お前の講釈なんか聞きたくないわ」
「体調悪い?アホかしんどい時こそ頑張らなあかんやろ。しんどいからって手抜くなや」
勝負に勝つ事が目的なんだから、親方=コーチのいうことが理不尽なら反論も自由だと思うし
大事な試合の前に怪我をしないように体調整えるのは合理的な判断だよな……。相撲だってスポーツの世界には変わりないと思うんだよ。
無理してメンタルや身体やられて力出せないのは甘えとか弱さとかの世界だよな。おお怖い。軟弱メンタルとしては見てるだけで冷や汗な気分になった。
なんかその外国人力士が気の毒で仕方なかった。覚悟の上だろうけど。こんな日本の悪しき風習で苦労させてしまってすみませんって感じだった。
あとコメンテーターが横綱は日本人でないと嫌だけど若者は相撲やりたがらねえからな…って言ってたけど、たとえばテニスとかバスケみたいに、世界中にプレイヤーいてトップを世界で争うみたいな、そういう広がり方したほうが個人的にはいい広がり方だと思た。
すこし論点がズレるけど、養豚養鶏の世界でも給餌(食事)の一回の量は少なく、回数は多くが基本。
科学的な真理。
産卵鶏でも乳牛でもそう。
肉に脂を入れたい和牛の世界だけは異端で給餌回数は少なければ少ないほどよいとされ、ドカッと一日一回給餌。
一昔前の相撲部屋もドカ食いが推奨されてた。
要するに、太りたかったら(しかも不健康な太り方をしたかったら)食べる回数を減らせばいい。
一回に食べる量を増やせばいい。
三食をしっかり!間食ダメ絶対!
みたいに言われるけど、間食がダメというより間食で食べるものが糖質と脂質に偏り過ぎてるからであって、間食しても主食を減らさないからであって、間食自体は悪いことではない。
もどうかと思う。
それこそ宗教。
肉はちょっとだけとか言ってるやつが食べる肉がササミや牛モモである率はすごく低い。
大抵は豚バラだ。
体重で80キロ超のプロ格闘家が、真剣かつ全力で試合をするとしたら、
15日間連続なんて興行が成り立たない。
あと怪我する。真剣にやればやるほどね。
PRIDEでもDREAMでもUFCでも、禁止だ。危険だからね。
頭骨は人間の中でも実は硬い骨なんだ。もっとも大切な脳みそを守る骨格。
それで当たるんだよ。全力で。
そんな試合を想定している格闘技で、真剣なんてありえないだろう?
でもね。どんなに頑丈に生まれてきても、人間なんだよ。完璧じゃない。
怪我をしたらどうする?格闘家だよ。人によっては中学を卒業したころから、
ずーと相撲部屋で訓練するんだろ?
高校にも、大学にも行ってなかったり、すんだろ?
何か職業訓練でもしてるか?ちゃんこ屋?よせよ「若」の店もつぶれたとか何とか。
彼らの立場になってごらんよ。必ず協会の職員になれるか?
親方株をもてるのなんて一握りだ。しかも「タニマチ」がいないと厳しいんじゃなかったっけ?
限定された権利を金で買うんでしょ?
そんな少ないチャンスに賭けられるか?
そこそこの試合を提供すれば、それで彼らの職責にかなうんじゃないの?
相撲が、興行としてどうなのか考えようよ。
もし、人と人が純粋に力比べをするのなら、それに賞金なんて出していいわけないでしょ?
それこそ冒涜だよ。
みなのしゅう、おしらせしよお。
新しく発足するクラブの名は、今、ここに決定した!!
はい、どうぞハルヒー。
「SSOSS部屋ッ!!」
Sekaiwo 世界を
Sutekinakotode 素敵なことで
Ooini moriagerutame no 大いに盛り上げるための
Subarashii heya 素晴らしい部屋
略してSSOSS部屋である。
コラそこ、哀れむような目で見るなー。これでも改良を重ねたほうなのだそうだ。
すなわち、一番初めにハルヒが考えていた名称によると『世界を相撲で大いに盛り上げるための涼宮山ハルヒの相撲部屋』だったそうなので、それから比べればだいぶマシなったほうだと考えるべきであろう。
いや変わってないだろーがという声は華麗にスルーさせてもらうぞ。
……本来なら、『世界を(中略)素晴らしい同好会』とすべきなのだろうが、何しろまだ同好会の体すら立っていない上に、何をする集団なのかも判らないのである。
「だったら、“部屋”で全然問題はないでごわすよ!」
……意味不明なハルヒの一言により、めでたくそのように決まった。
好きにしろよ、もう。
先日、取引先のAさんという人の奥さんが突然倒れ
そのまま亡くなってしまったというので
亡くなった奥さんはまだ40歳。一人息子がいて今年17歳だとか。
息子は今時の茶髪の若者で、遺影の奥さんによく似た顔立ちだった。
喪主をつとめたAさんは突然のことに抜け殻のようになっていた。
3日に1度くらいしか家に帰れないという話は前にも聞いていた。
葬儀場からあふれんばかりの弔問客が訪れていた。
それだけ人がくればいろいろな話が耳に入ってくる。
もともと体が丈夫でなかった奥さん。持病もあったらしい。
体が丈夫な17歳の息子は、高校へも仕事へも行かずニート暮らしを満喫。
最近は半分引きこもっていたらしく、それをとがめた
奥さんに殴りかかったとAさんがこぼしていたこともあるという。
こわばったままの17歳の少年の顔が忘れられない。
これからも引きこもれるだけの経済的余裕があるのかどうかはわからない、
しかし、それまでAさん以上に彼の細々とした生活の面倒を
みてくれていたであろう人は、もういないのだ。
殴りかかりたくても、その相手は
巨漢(中学時代に相撲部屋からスカウトがきたことがある)のAさんだけだ。
彼は、これからどうするんだろう。