はてなキーワード: 留学生とは
平成も終わろうとしている時に未だに昭和のノスタルジーを引きずっている老害番組に意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。
男も女も同じ顔の判子絵。子供は短パンで駆け回り、嫁は働きにも出ず家で家事と育児。携帯電話もパソコンも無い家。娯楽といったらテレビだけ。7人家族で被扶養者5人猫1匹。家族みんなで同じ時間に飯を食べる。これが家族の代表かよ。
大人がノスタルジーに浸りたいならもっと別の作品があるだろ。三丁目の夕日とかNHKが朝やってるドラマとかさ。
子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキングに一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんはブーム当時にあったかもしれない)
参考:週間高世帯視聴率番組10
名探偵コナン。グルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入を更新する異常さ。
クレヨンしんちゃん。時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具も時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代の家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長。専業主婦に子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。
ドラえもん。2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連。現代の科学力がひみつ道具を凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。
アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。
その他ワンピース、ポケモン、プリキュア。戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。
なぜか維持し続ける高視聴率に「国民的アニメ」という驕りから来る感覚のズレ。変化することなく惰性で続くことを良しとする保守的な思考。
ちびまる子ちゃんなどサザエさんの前座でようやく人気を保っているようなものだろ。仮に放送時間を日曜朝9時周辺にしたら誰も見なくなるわ。
初期にはあった毒気も無くなり最近ではどこかで見たような良い話や無難な話ばかりで全く面白くない。ドラ泣きに便乗して作られた「イタリアから来た少年」など留学生が来て別れてお涙頂戴なんだろうなと思ったら本当にその通りすぎて笑えた。過剰な日本美化やステレオタイプな外人描写、多すぎる外人キャラを全く活かせていない展開に脚本家の知性を疑う。テレビスペシャルレベルの作画で劇場のスクリーンに映す意味が本当にあったのだろうか。
23年前の「わたしの好きな歌」の方がストーリーも良く湯浅政明が描く強烈なアニメーションの方がよっぽど凄かった。
視聴者だってバカではない。こんな誰向けかもわからない番組を見ようとは思わない。実際に視聴率も低迷している。
これから先、視聴率が上がることもなくじわじわと下がり続けるだろう。幸い最近のフジテレビは「長く続いているだけ」の番組をどんどんと打ち切っている。この調子で下がれば数年後には打ち切りもあり得る。
空いた枠には現在放送中の鬼太郎を持ってくればいい。こちらは「現代」を反映したストーリーとなっており十分見応えがある。同じ時代、同じ季節ネタを同じキャラクター達が延々と繰り返す毒にも薬にもならない番組などよりずっと面白い。
10代~60代までの女性層の映画を見る理由第一位が「好きな俳優が出演している映画」ってただのアンケート結果でしょ。何ケチつけてんの?
たとえ当てはまらなかったとしても、「へー、そういう女性が多いんだ。私は違うけど」とか「オレも好きな女優が出る映画は必ずみるな。女性よりだな」とかで済ませればいい話じゃん。
偏見を助長する?ステレオタイプがさらされてミソジニストが増える?アホかと。
あんたが個人主義者なのは良いけどさ、集団には特定の傾向がある事実を無視しちゃいかんだろ。
男性より背の高い女性がいたり、腕相撲が強い女性がいるのは当たり前でしょ。
でも統計的には女性は男性より背が低いし、筋力が低いんだよ。それが統計的な事実なんだよ。
まぁ確かに「女性は俳優が出演している映画を見る」って書くと主語がでかくて苛つくのも分からんでもないわ。
でもいちいち「統計的には~の傾向がある。」って付け加えて「統計的には男は好きなジャンルの映画を選び、女は役者で映画を選ぶ傾向がある。もちろん全員に当てはまる事ではない」って言うのも面倒くさいんだわ。
意識高い系クソ野郎が多いはてな民は怒るかもしれないけど、「アメリカ人は陽気な人が多い」やら「ベトナム人留学生って犯罪するやつ多いよな」とかステレオタイプ的な文句を言わせてくれよ。
面倒いんで、マジで
~~~~~~
以下追記
差別だから女は屋外作業を伴う職業にもっと就こうって話あまり聞かないよな。
非公開型クローズ型調査だからサンプリングバイアスそんななさそうじゃね?
もうもう統計的事実を言うたびにベル・カーブの説明するしかないわな
特定の個人をステレオタイプに当てはめなければ、ステレオタイプ的な文句言ってよくね。事実なんだから。相手を不快にさせない程度にさ。
😺こんにちはー。
折角だから2人並んでうしろのコーヒーショップのカウンターも写しておきたくて
当時はスマホがなかったんで、カメラを渡してシャッターを押してもらったんですが、
私と友人2人の後ろに、そこの近くの大学生たちが4-5人?がまるで集合写真みたいに
私と友人がしてたピースサインを一緒にしてて、
これじゃ私ら、まるで旅の女の子2人じゃなくて
留学生じゃん!!みたいなのが撮れてました。
まるでゼミの合宿か、学校のあとにコーヒーショップにみんなで来ました風の
たぶんシャッター押してくれたのが地元の学校の子で、その仲間たちが後ろで
(ぜんぜん知らない人たちなんだけどね!)
或る意味良い思い出になりましたよー。
ここ3ヶ月で通算5回目。
これまではロックがかかる度に嫌々認証の為にバレたら色々死ぬ個人情報を送りつけて解除してきたが、今回は電話番号認証したにも関わらずメール認証まで要求され、しかもメールが届かない。
異議申し立てなんて手段もあるらしいが2〜3日事細かに確認するのも面倒ならば、その数日が経った時にツイッターをやる気があるかも分からない。
もう面倒臭い。
ばいばーい。
リアルタイム情報を流してくれていた行きつけのお店の皆様、イベント告知をしてくれていた作家の皆様、お勧めコンテンツ語りをしてくれていた皆様。
あそこも大量規制がかかり取り回しが悪い時期が続いたら嫌になってアクセスしなくなった。
今回についても2ちゃんねるの時についても原因はともかく大量のアクセスをして気に入らない発言をする人間を攻撃する方々だ。
声がでかく、主語がでかく、あたかも大人数のフリをしたがり、言葉尻を拾って被害者ぶる方々。
次々とヒトの居場所を窮屈にして回る姿はさながら侵略者である。
どの方々かはハッキリと断定できないので(その為に彼等は「大衆」のフリをする)、参考に他は認証しろとせっつかれるだけであったが唯一「発言を消せ」とツイッター側に要求された4回目の時の話をしよう。
呟きに詳細は記さなかったが「LGBT」「ウザい」等の単語は含まれていた。
学生時代、窓口にて困っている同性のベトナム人留学生を見かけた際に事務員も留学生も困っているだろうと多少の英語通訳をしたのだが、これが間違いであった。
その留学生はそれ以降学部が違うにも関わらず一日中付き纏い、挙句「授業が分からないから付いてきて解説をしてくれ」(こっちにも授業がある時間にも関わらず)と述べたり、家にまでついてきたり、妙なあだ名をつけられたり、パートナーシップが結べる土地に籍を移してパートナーになってくれと言ってきたり。
そして断りを入れると即座に「差別だ」と騒ぎ立てる。(何故その日本語だけはスムーズに出てくるのだろう)
そんな人物に対して疲れ果てていた何年も前の愚痴をわざわざ掘り返して『気に食わない』発言を糾弾した方々がいるのだ。
タイミングから見て某政治家の発言により活発化した方々が「LGBT」という単語に反応しての事と推測できる。
近頃のツイッター無差別凍結もそもそもはこういった手法を使って気に入らない発言をする人間を攻撃して回る方々のフィルタリングであるらしかったが、焼肉屋のフェア情報を確認しているアカウントが割りを食うという理解し難い自体が起きている。
自分は面倒臭がりで諦めの早い人間であると感じているし、殆どの人がそうであると思うが彼等は大半がそういった人間である事を期待してコミュニティというコミュニティを居心地の悪いものへしていく。
侵略が進行した暁にはどうなることやら。
30代、会社員、既婚、子持ち。自宅前のコンビニの店員に恋をしてた。
ハーフか、クオーターか分からないが中東系のエキゾチックな顔立ちに一目惚れだった。
平日、週末どこかしらのシフトに入っていたので、もしかして留学生?とも思ったが、レシートに印字された名字から日本人だと分かった。二世なのか?
それ以来、特に必要ないのだが、毎日のように買い物に行った。挨拶くらいはして顔も覚えてもらおうと努力した。自分の子供も連れて行って、子供をだしに会話もした。いつかはランチくらいはしたいとか思っていた。
しかし、終わりは突然やってきた。
ある平日の朝。その日は休暇で、朝食の準備も面倒だったのでコンビニで買うことにした。いつも通勤前にも利用しており、その時間帯に彼女は居ないことも知っていた。
レジで支払いを済ませ、家に帰ろうとした時、自動ドアが開き見知った顔が入ってきた。彼女だった。
こんな偶然あるんだ。と喜び挨拶がてら話そうと思ったのもつかの間、はじめて見た彼女の服装を見て恋が冷めた。当たり前だが、それまで彼女のコンビニ制服姿以外見たことはなかった。
その制服は見知っており、通勤時によく見る近所の高校だった。彼女が乗ってきた自転車のラベルを見て確信へと変わった。彼女が何しに来たのかわからない。忘れ物でも取りに来たのか、昼食でも買いに来たのか。もうどうでも良かった。
自分自身が高校生だったからこそ分かるが、高校生と大人の恋愛とか無理なのである。それくらい高校生の恋愛観は馬鹿なのだ。社会的地位、保有財産、清潔感、趣味嗜好。大人の恋愛には多種多様な要素が絡み合うが、高校生にはそんなのは一切ない。イケメンかどうか、可愛いかどうか。それだけだ。能無しレモンサワー消費機械であるEXILEレベルじゃなきゃ可能性はないのだ。どんなに財力を見せ、大人の余裕を見せても駄目なのだ。高校生はそんなの無視して貧乏なジャニーズかEXILEを普通に選ぶ。それくらい未熟なのだ。(別にジャニーズやEXILEを馬鹿にしているのではない。彼らはちゃんとアピールしたい層に全力で寄せているだけである)
万が一の可能性もあるだろうが、そんな分の悪い賭けをいつまでも続けるのも馬鹿らしい。それ以降もコンビニを利用するが、彼女目当てで時間を合わせたりはしなくなった。元々必要ないものを買っていたので回数も激減した。
でも、名残惜しさは無かった。どう頑張ったって女子高生とは無理なのだ。恋愛発達途上の彼女らに多くを求めることは不可能なのだ。やはり、狙うなら年上の婚期逃した女性に限る。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/1014
寮生は情報発信が苦手だから、誤解されがちなことや誤解じゃないことについて勝手に書いてくよ
そこまで深く運営に携わってるわけじゃないから勘違いや誤りがあるかもしれないけど、自分が理解してる範囲で無責任に書いてくよ
匿名掲示板やSNSなんかで寮に関わる都市伝説的な話がまことしやかに語られるのは遠巻きに見てる分には愉快だけど
ブコメを見て思い込みベースでバッシングされるのはなんか悲しいなーっと思ったので
明らかに裕福そうな家の人もいるにはいるし、寮に来なくても暮らしていけそうな人で言えば多分結構いるし自分もそう
とはいえ素知らぬ顔で一緒に暮らしながら、仲良くなって家庭環境を知ってみると結構壮絶で
授業料免除と寮暮らしとアルバイトでどうにか通ってるような人も一人二人とは言えないくらいには知ってるから
あくまで印象だけど、学生全体の平均と比べてみても割合的にはやっぱ低所得層の家の人たちが多いんじゃないかなって
寮生は多分300人近くいるはずなので、一人一人の政治的な信条について断言はできないけど
少なくとも自分が住んでる数年間の観測範囲では、そういう人達が寮内で大手を振って活動したり、運営に首を突っ込んでる姿は見たことない
というか今時、ああいう連中の妄言にまともに付き合う人っているんかな?(大学構内ではやたら元気に活動してるけど)
一方でマイノリティの権利なんかにセンシティブな人達はいたりはするけど、そういう人たちは勝手にやっててるし無理やり勧誘してくるようなことはないので...
入寮してから表には一切姿を見せず研究室と寮の往復しかしない院生なんかもざらにいるので、寮で付き合いを強制されることはそんなに多くないと言えるんじゃないかな
これはマジ
とはいえそのこと自体が強制されるわけでもないし(嘘か誠か昔は強制されてて、『敬語を使うんじゃねえ!』と先輩に殴られたとかいう笑えない話がある)
自分なんかは入寮するまでの人生で年功序列制を十分すぎるほど内面化していたし、人見知りなので入ったばっかの頃は同級生にすら敬語だったよ
いざ敬語を使わないのに慣れてみると年齢の感覚が曖昧になって、干支ひとまわりくらい離れてるおっさんとも普通に友達になれるようになったし
立場の違いを必要以上に気にすることがなくなってフラットな人付き合いが出来るようになったよ
向き不向きはあると思うけど、自分にとってはこれが一番好きな部分かもしれない
長いこと住んで感覚が麻痺しててしまっている自分ですら、今のような湿度の高いじめじめした季節には廊下の饐えた臭いが鼻につくし
汚さに関していえば共有スペースはともかく、個々の住人の部屋に関して言えば綺麗な人はどこのモデルハウスだってくらい綺麗なので千差万別
写真で見ると不思議とイカニモな感じに見えてしまうけど、変な人もいるにはいるが大半は普通の大学生なので
当たり前にサブカルに興味ある人もいれば、そうじゃない人も多い
寮にサブカル的な価値を見出したり、挙句自分がいかに変わっているかアピールし出すのはむしろ、訪問者側の人たちに多い印象かな
というのも良くも悪くも、住人にとっては寮はまず第一に家であるし、一緒に暮らす住人に自身の特異性を必要以上にアピールしたって遅かれ早かれ化けの皮がはがれるだけなので...
気が向いたら増やす
私が初めてしんちゃんをテレビで観た記憶は、おそらく私の最古の記憶でもある。
でも、話の内容は全く覚えていない。エンディングの映像と曲(米村裕美『素直になりたい』)が妙に心に残っている。
その頃私はたぶん5歳かそこらで、しんちゃんとほぼ同い年。
ウチはそこそこお堅い家庭で、テレビは基本的にNHK、民放はせいぜい動物モノの番組ぐらいだったけど、ドラえもんとしんちゃんは許されてた。
それどころか(アニメと比較して下ネタも多い)原作も読書家である母親がほぼ全巻揃えてたのである。当時は2000年代以降のような再評価の流れもなく、普通に子どもに観せたくない番組筆頭だったはずだが、母なりになにか感じるものがあったのだろうか。
そして私はしんちゃんに夢中になった、というわけでもなく、しかし我が家には漫画本といえばしんちゃんしかないので、暇な時間はとりあえずしんちゃん。毎週一回のアニメ(今は金曜日だが昔は月曜日に放送してた気がする)も、どうしても観たいというわけでもないが、とりあえず観る。
ただ当たり前のようにしんちゃんは私の生活の中に存在していた。私が中学、高校、大学と進み、成人しても、しんちゃんは5歳児の姿のままで…
そんな私も、しんちゃんからしばらく離れた時期もあった。大学在学中に、家出同然で実家を飛び出した。
想像を絶する極貧生活の中で、漫画を読むどころではないし、仕事の都合でテレビ放送も観ることができない。
とはいえ熱心なしんちゃんマニアというわけでもないため、それを特段意識はしてなかったのだが。
そういえば原作者が亡くなられたのはこの頃だろうか。もうしんちゃんの新作は二度と読めないという事実に、なんとも寂しい気持ちになったことを覚えている。
でも、アニメの制作に関わる方々や、偉大な声優さんは、しんちゃんを生かし続けた。オトナの事情という側面はあるかもしれない。私だって当時は複雑な気持ちにもなった。でも今は…
その後、ひょんなことから、私はとある国から来た留学生の子と付き合うことになる。
しんちゃんが好きで、日本に来てすぐ春日部に行ってみたら、何もなくて驚いたのだという。
別にそれがきっかけというわけではないが、しんちゃんが好きな人とならきっと上手くやれるだろうな、とは思った。
少しずつ生活に余裕が生まれ、いつもではないが、時々、ご飯を食べながら一緒にしんちゃんを観るのだ。私は31歳になった。でも、しんちゃんは、野原家は、幼稚園も、かすかべ防衛隊も…変わらない。いや、妹が生まれたり、先生が増えたり、ネネちゃんが凶暴になったり、ちょっとした(?)変化はあったけど。
自分が子どもの頃から変わらずに、生きて存在し続けているものがある、それがどれほど喜ばしいことか!
実家には何年も帰っていない。でも、しんちゃんの声を聴くたびに、ちょっとホッとして、まるで、帰りたい場所に帰ってきたような気持ちになる。
それは、本当に偉大な仕事だと思う。
ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)が大好きな野郎が身近にいてかなり鬱陶しいので、なんでお前らが嫌われているのかわかりやすく伝えてやる。バズって本人の元まで届けこの想い。
まずこれを見て欲しい。
こんなことを言うやつは潜在的に留学生を見下している!日本語不自由を女に変えて「女なのに凄いな」って書いたら駄目さわかるだろ!
言うまでもなく見下す意図で言っているのではなく、「日本語が不自由な環境でも努力して結果を出すなんてホント凄いな」という意図で言っているし、仮に「女なのに凄いな」と言ったとしても「現代社会ではまだまだ女性に目に見えないハンディキャップを背負わされているにもかかわらず結果を出して凄いな」という意図で言っている。
しかしポリコレ野郎は「レイシストが『そんな意図はなかった』と言っても、根底にそういう考え方があるのが駄目なのであって、意図のあるなしは問題にならない。それで傷つく人がいるかもしれないのであれば、二度とそういう言葉を言わないように反省すべきである」という主張をしてくる
その主張は正しい。正しいから「コレクトネス」と言われる。この場合の正しいは「面と向かって否定することが出来ない」という点で正しいが、本当にその正しさって社会に必要なのか?本当に全ての人間が正しい社会が理想なのか?
意図からして差別的だった場合は注意すべきだ。「韓国人はクソ」みたいなのがその例だ。一部クソな韓国人はいるが、クソではない韓国人もいる。関わりのない未知の韓国人をクソであると断じるのはレイシストだ。それは発言者を注意するなり、発言者から距離を置くなりすべきだ。
しかし意図全体が差別的でない表現も「未知の人がしてショックを受けるかもしれない」と言うのはどうなの?そりゃいるかも知れないが、本当にそんな人がいたらその人が「この表現にショックを受けました」と表明してきた場合に「こういう意図だった」と説明し、その段階で初めて元発言に注釈を付け加えるなりするのが正しいだろう。知らない間に相手にショックを与え、その人が自分に対して距離を置くことがあるかもしれないが、それは仕方ないし、差別的な意図がない以上それはもう個性として受け止めるべきだろう。
Twitterなどで公に発信した場合は、意図しない受け取り方をする人がいる確率はダントツに上がる。なのでポリコレ的に問題のある発言が指摘を受ける機会は多いだろう。しかしネットであれ、実際にそれでショックを受けた人が直接的に表明するのが正しいあり方で、第三者が「それはおかしい!」と声を上げるのは余計なお世話としか言いようがない。
そういうと「そのツイートを見た他の人も同じようなミスを繰り返し、結果としてポリコレ的に間違ったツイートが増えることになり、将来傷つくかもしれない人を増やす要因になる」みたいな反論があるんだけど、これこそまさにポリコレ警察ですね。そういう奴らをまとめてカリフォルニアにディストピア都市を作って引きこもってもらいたいもんです(←ポリコレ違反だ!)
ポリコレを指摘する奴らがうんざりなのは理由は上記の通りだが、本当にクズなのはここではない。内心ではポリコレ違反だと思うけど、わざわざ注文つけるほどではないな、という奴も間違いなくクズなのである。
なんでか。ポリコレはそもそも、「絶対的に正しいあり方があって、そこから外れたものを否定する」面がある。もっと別の言い方があるだろうとか、誤解を招く書き方をするなとか、ポリコレ的に間違っていることを指摘すれば、それは100%議論で勝てる。
だからポリコレ野郎は「ポリティカル・コレクトネスは絶対的に正しい基準である」と考える。
そうするとポリコレ野郎は「外れているやつはその点で配慮がない、劣っている」と考える。
ポリコレ野郎は、徹底的に減点法の考え方になる。傾向として今までの人生に自信がないので(←ポリコレ違反!)、絶対に間違いのない基準があると安心するのだろう。自分が正しい、ということを何より大事にし、重症の奴に至っては構造図を書いて正しさを確信し、それを相手に突きつけたりする。信じられないだろ?いるんだよ。
減点法は最悪だ。他の良い面が一杯あったとしても、その1点だけが気になってしまい、悪い評価をつける。人の良さを評価することが出来ない。才能豊かで社交的な奴でも、何度かポリコレ的に正しくない発言をすれば、内心で「こいつは正しくない」とか思う。
何様だお前。
そういう奴に限って、例えば育ちの悪い奴を否定することを極度に嫌がる。ご飯に箸を突き立てて何が悪い、そういうのを否定することこそ間違いだ、というわけだ(さすがにそんなに育ちの悪い奴を見たことはないが)。そして自分は寛容だと思いこむ。なぜなら、それは正しいから!育ちが悪いのは本人のせいじゃないから!誰にも迷惑をかけていない以上否定することは出来ないから!世間の人は差別して偏狭だ!俺は寛容だ!
アホか。
言うまでもなく人間には脈々と受け継がれてきた文化があり、その文化の中で発展してきている。文化の中で育ちの悪さは文化の否定となり、社会全体として育ちの悪い人間を排斥するのは当たり前の話だ。その程度の前提の教育も受けていない人間は、社会から見れば底辺であり、悪い評価になるのは仕方ないだろう。
そして、普通に育っていれば(←ポリコレ違反!)、そうでない人に対して生理的嫌悪感を抱くのは文化的な反応で、それをただ「正しくない」という理由で否定するのは視野が狭いと言わざるを得ない。また文化というのは深いし絶対的な正解がないものだ。敬語の使い方とかも各人各様で、とんでもルールを持っている人がいる。絶対的基準がない。だから否定出来るのであればその方が楽だ、というのはそうだが、文化や各人の有り様を学んでその人の立場に寄り添う方がよほど寛容だ。それはポリコレ違反を指摘するよりはよほど大変だし、その結果受け止めきれず注意すべきことはあるだろう。でもそちらのほうが健全だ。茶碗に箸を突き立てる人を注意しない人の方が嫌だよ。
ポリコレ野郎はよく「理性で生理的な衝動を抑えつける」ということを言っているけれど、そうではない。ポリコレ野郎は、判断するのが怖いから(正確には判断を否定されるのが怖いから、議論に負けるのが怖いから)ポリコレ基準を絶対視しているのがほとんどだ。むしろ「怖い」という生理的な衝動に負けている。理性をなくして基準だけで生きていたいと思っている。生き方が規定されていれば生きていくのは楽だ。自分の行動を規定に従って完璧にコントロールするのが素晴らしいと思っているけど、それならあなたいらないです、あなたの規定一覧を頂ければそれでいいですから…。
そんな奴ら、生きている価値は十分あるが(社会貢献は十分にしてくれるだろう)、人として付き合う意味は極めて薄い。かかわらないでくれればそれでいい(が、ポリコレ警察は望む望まざるにかかわらず、向こうから頻繁にやってくる)。個人的にはポリコレに生理的嫌悪感を覚える人の方がよほど真っ当な人だと思う(←ポリコレ違反)。
ここまで否定して最後に持ち上げるのは卑怯だとも思うが、信念を持ってこういう活動をしている人たちは社会にとって大事だと思う。本当にマイノリティで辛い思いをしている人たちのアンフェアな状況を改善したいと活動することは立派だ。例えば広く嫌われている動物愛護団体とか、イっちゃってる行き過ぎた主張が注目されている側面はあるけれど、一方で彼らがいないと一線を超えて何かをやらかす人たちを留めることが出来ないし、文化や法律の変化も起こらない。それが仮に茶碗に箸をぶっさす人に嫌悪感を持つのをやめよう、という活動であったとしても、本気で取り組んでいる人たちは立派だ。自分は近づきたいとは全く思わないが、社会の多様性のためには必要な存在だろう。
ただ、ポリコレを正しいと思っているやつのほとんどは、特にそういう信念もなく、人との関わり合いを定型化しようとするクズなんだよなぁ(←ポリコレ違反)
匿名じゃないとこういうことを書けない自分が情けないと強く思う。情けないと思うので、せめてこの記事に対する反応はしっかり読んで咀嚼したい。罵詈雑言でも構わない、遠慮なく書いて欲しい。釣り気味の記事にしてすまなかった。