はてなキーワード: 留学生とは
おれがこの遊びを編み出したのはとある国に留学してた時。大きな湖のそばにある街で、とにかく散歩が楽しかった。
晴れた日にはポルノグラフィティの「World Saturday Graffitti」を
寒い朝のカフェではUnchainの「Until dawn」を
学校終わりに寄った昼下がりの中心街ではFozztoneの「Jaguar in the stream「を
なんでもいい。その時の気分に合う曲をかけて、まるで自分がその曲のPVを演じてるかのように、時には口パクなんかしちゃったりするのだ。その曲に対するイメージを存分に出してやるのだ。これがなかなかにハマる。浸りたい気分にズブズブにはまれる。ところがある日、そんなおれの楽しみがふっつり消える。
女人禁制の我らがホーム(当時留学生何人かと一緒にホームスティしていた)に女の子がやってきた。それも日本人の。
お互いに留学環境を楽しんでいる身ではあったが、そりゃ日本語の方が考えを素直に発信できるわけで。おれらは久しぶりに味わう自分の気持ちを存分に言葉にできる楽しみに浸り、毎夜散歩をして、語り合った。友達とバーに行かない時にPVごっこをしていた時間はすべて必然とこの”発散”に費やされた。
時に彼女の部屋の鍵をこじ開けようとする他の留学生を追い出したり、彼女に猛アピールをしかけるブラジル人をどう撒くか2人で作戦会議したり、深夜にふらりと散歩して、街道沿いのドーナツ屋でおしゃべりしたり。そんないまだになんていえばいいのかわからない日にも終わりがくる。
彼女が遠いヨーロッパに発つ前夜、おれらはリビングでひたすらコーヒーを飲んで、お絵かき大会をして、気づいたら空は明るくなっていた。昼にでかいキャリーバック抱えて出発。小さい体してるくせになんてでかいもんもってるんだか。からかいながらバスに乗る。空港までは電車とバスを乗り継いで1時間半くらい。バスから見える景色がどんどん寂しいものになってく。彼女の白いキャリーバックが夕日にすっかり染まってたのを覚えてる。お互いなんも喋らなかった。いままであんなに話題尽きなかったのに。
「やっぱずっとここにいようかなあ」
聞こえないふりをした。
ここにずっと留まってちゃだめだから、笑って送りだそうってずっと決めてた。ゲートでハグして、楽しんできてねー!なんてせっかく明るく振舞ってんのに、結局あの子は泣いた。ぐずぐずに泣いて、行きたくないとダダをこねるあの子を、行きゃ変わるからって無理やり送り出した。何度も何度もぐしゃぐしゃの顔で振り返るあの子に大きく手を振った。ゲートの係員が、本当に送り出しちまうのかい?と話しかけてきた。留学して初の苦笑いで返した。
帰ったらやることは一つだった。夜の散歩をしようと思った。いつもおしゃべりして歩いたあのコースを、あのドーナツ屋までやけに遠回りの道を、今日から1人で散歩するんだ。手が寒くて、ポッケに突っ込んだ手にイヤホンが触れた。耳に差し込んだイヤホンから曲が流れてきた。自然と口が歌詞をなぞる。
旅立つ空に出会いと別れ
青春の日々全てを描き
いつか互いに大きな花を
きれいな花を咲かせまた共に笑おう
濡れた頬に当たったあの北風のするどい痛みを、おれは忘れない。
祖母の生家は広島県で曽祖父が亡くなった時に母親がぽろりと曽祖父のお姉さんは原爆で亡くなり遺体も見つかっていないと言っていた。祖母が始めて母に観たいから連れて行ってとお願いした映画は「この世界の片隅に」だった。見慣れた街の景色をとても楽しんでいたと聞いた。
小学生の頃の私は酷く内向的で人と話すより空想したり本を読むのが大好きで図書室にある本は全部読んだ。はだしのゲンが唯一置いてある漫画だったので漫画も読みたい私は全部読んだ。時間が余った総合学習の時間にサトウキビ畑の唄を全部見せてもらった。映画が好きで、あと嵐が好きだったから硫黄島からの手紙も父親たちの星条旗も見た。総合学習の時間に学内新聞を作るため私たちの班には日本軍が行なった生体実験というお題が与えられた。字を読むのが好きだし家に当時からパソコンがあったから調べまくった。
中学生の修学旅行では長崎に行き被爆地を目で見た。写真で見るのとは全く違って、建物は静かで異空間の恐怖を覚えた。それは原爆に対するものではなく長崎のそのピンポイントに対する恐怖だったと思う。
大学生になって、留学生が多い学校だったから何かの流れから戦争の話になり、アメリカ人、韓国人、日本人で話していた。韓国人が感情的に私へ怒りをぶつけてきたことを覚えている。講義で原子爆弾関係の映画をいくつか見た。一番印象的だったのは「太陽を盗んだ男」だ。パワフルさがたまらなく心に刺さった。映画を見て議論するという講義だったが、この時はあまり議論は盛り上がらなかった。それでもこの映画で描かれた9番という立場は当時の私にとって衝撃的だった。
多分私の生きてきた中に、戦争加害者としての日本が強く意識づけられている。原子爆弾を落とした蛮行は未来永劫たとえ彼の国が滅びようとも許すことはできず、曽祖父の姉を奪ったそれがとても憎い。曽祖父が爆弾の落とされた街を歩き姉を探しそうして見つかることなく生涯を終えるまで一体何を感じたのか想像することもないだろう世界は憎い。数多の人の命を一瞬に、そしてゆっくりと奪い今も苦しめ続ける原子爆弾をまた使うような未来は絶対に避けたい。
それと同じくらい、戦争をして私たちがその立場になるのが嫌だ。私は女なので戦地に行くことはないかもしれないけど女性の社会参加が都合よく叫ばれている今行かなくてはいけないかもしれない。そんなことはしたくない。見ず知らずの日本の誰かが顔も知らない世界の誰かを傷つけて欲しくはない。私に怒りをぶつけ暴言を吐いた彼女に不快な思いは偉大たがたとえ大義名分を得ようとも彼女の命を奪いたくはない。
奪いたくないし、もちろん奪われたくもない。それが保たれることはとても平和で、命に限らず生きる中で何も奪わず奪われないことは、ある視点から見たらつまらないけれどとてつもなく幸せなことだと思う。満たされているということだから。
そういうことを思う。
そして満たされないからあらゆるものを巡って争うのだなということも分かっている。切ない。欲望がもう少し小さければいいのに。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000030-asahi-spo
勉強目的でない留学生についてヤフコメでも批判的な意見が強いように見えるので、もうちょっと冷静に見ようねというスタンスで書いてみる。
まず部活動について、学校の宣伝活動になっているとの批判があるが、
学校において部活動以外のどんな活動もすべて宣伝になりうる活動だ。
進学実績は?修学旅行先は?
「最低限」を超えたサービスはすべてそうだ。
この学校では交換留学生をやってるよ、というのも宣伝材料の1つだろう。
日本から海外に留学していく学生だって、本当に向こうの高校で数学を修得したのか?
南北戦争について十分に学んで帰ってきたのか?
次に生徒や保護者について、勉学を目的として高校に来る生徒がどれだけいるというのか。
「本気で部活をやりたいから」も勉強を主目的とする人と同程度いるはずだ。
「大学進学のため」だって部活の反対側に位置しているだけで、本来は怪しい立ち位置だ。
部活動の改革が叫ばれ始めて久しいが、結局のところ部活動は大きなニーズであることは変えられない事実だ。
部活動が感動を呼ぶ側面は否定できないし、今テレビをつけたら「スポーツ王」だってやっている。皆スポーツが好きなんだ。
大成しなくとも、部活動に打ち込んだ高校生活を子どもに送らせたい保護者はたくさんいる。
それならば公的な予算を減らして、代わりに大会の入場料を取ることを認めるなどして半営利化をすることで、
どうせ金のかかる部活はこれまで通り部費が多くかかるし、多くの並の選手からは多く金をとって
実力のある選手には部費免除、学費免除、謝礼金給付などで還元するだけだ。
各自治体や学校法人の財政状況は少し好転するし、クラブチームとして戦う気の無い学校は「楽しくスポーツ」に移行していくだろう。
生徒や保護者の利益にも繋がるし、部活にしか興味のない体育教師や社会科教師は初めからクラブチームの指導者に職を求め、
教科指導を純粋に追及する教師が増えて学習体制は充実していく。
学校と切り離してクラブチーム化、という意見はよく見るんだけど、
学校に所属したまま営利活動としてクラブチームを運営していくというスタンスはあまり見ないので
結構いい案を考え付いたと自負しているのだけど、どうだろうか。
授業を受けていて、最初は「流石にFランとは違うな」と刺激的に感じていた。
自分がFランで、周りとは違うんだと感じて勉強してた世界の最先端のようなことが、当たり前に現実になってる。
「世の中の大学ってやつは、東大のこういう講義が本になったのを読んだ人たちが演劇みたいに真似してるぐらいなんだな」と思った。
しかし、シバシバ違和感があった。東大の先生方が、自分の分野から少しそれると、言葉を濁す。
あるとき、ハッキリと、「この分野では日本に未来は無いです」という意見が耳に入り始める。
実際、論文やらを調べてみると、日本は世界から絶望的な位置に居ることが理解できる。この先勝てる可能性も無い。
そういう分野が、もう、ホトンドなんですね。なーんにも勝てないし、勝てる要素が無い。
非現実的な、『逆転の可能性があるとしたら~』みたいな話をするんです。
で、気づいたんですよ。
教授たちは、「自分の研究しているところ」をアピールしていたと思ったけど、それって、「それ以外のほとんどが負けていて、一発逆転でもしかしたら勝てるかもという希望を託せる非現実的な戦略」を話していただけだと。
最先端は最先端だけど、主流のところで最先端なのでなく、ニッチな当たったところで最先端という。世の潮流では最先端どころか、プライド捨ててアメリカなどの模造品を作ってるだけという。
東大の凄い授業に感動していましたが。よくよく調べると、世界の主流はネットで見る通りです。
国で負けてると言うか、企業の研究者に国の研究者が全て負けてるというぐらいの話です。
日本企業で、世界に通用する企業、トヨタくらいじゃないですか。あとは、他の分野でも負けまくり。
負けてる理由が、なんとも悲しいことに、『戦略で負けてる』んですね。
この状況を見て、「これは海外に行くしかないな」と思いました。
ただ、悲しいかな、TOEFLも80点しかないんですよね、僕。
こんな人たちと争って勝てるのか。
「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。
人見知りで、人とコミュニケーションを取るのが怖いけど、人と喋るのは好き。お酒を飲むと喋れる。相手が楽しんでるのかは知らないけど、嫌われたことはないんじゃないかと思う。酒飲んで喋った後も関係は続くし。
普段は聞けない好みを聞ける。映画とか、音楽とか、画家とか、研究者とか、番組とか、料理とか。聞けるし、喋れる。共感できる、反感できる、聞き流せる。とても楽しい。
意外な一面を知れる。彼女の股間を絶対パイパンに剃り上げる、というパイパンの友達、仲のいい研究者からの理不尽な対応に怒る先輩、地元の話をしてくれる留学生。普段話せばいいんじゃね?とか思うか?あーん?普段なら聞けたとしても話広がらねーよ。こっちのリアクションを伝えられねえよ。
またね、と言えるのもすごい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ポリティカル・コレクトネス
これ見てて思った
性別を限定する職業を男女共通で使えるようにするのもポリコレだが↓のように
職業 伝統的な表現 ポリティカル・コレクトな表現
議長 chairman chairperson または chair
実業家 businessman businessperson
写真家 cameraman Photographer[要検証 – ノート]
英語で見ると男性限定の表現だったものが女性も使えるようになった例が多い
それに対して日本は女性限定の名称が男性も使えるように変更されたものが多い。
カメラマンやビジネスマンキーマンのような海外では既に改定された用語はそのままなのは、日本人はマン=男という意識が薄いからだろうか?
看護士 看護師 2002年、保健師助産師看護師法改正。男性も職業に就いているため。
障碍者 「害」の字が使われていることに不満がある人の感じる悪い印象を回避するため。2001年(平成13年)に東京都多摩市が最初に採用。
助産婦 助産師 2002年、保健師助産師看護師法改正。ただし現行では資格付与対象は女性限定である(同法3条)。
保父 保育士 1999年、児童福祉法改正。男性も職業に就いているため。
キャビンアテンダント (CA) 1996年に日本航空が従来の呼称を廃止。他社も追随した。世界の航空会社では、男性も従事している。
トルコ風呂 ソープランド トルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリの抗議により、1984年に改称。
女優 俳優 男優という言葉があるのにもかかわらず、男性のみに俳優という肩書が使われることが多いため。
メクラフランジ 閉止フランジ JISなども改正済み 英語ではblank flange・blind flangeなどと云い、JISでも記号はBLと残る
独島、旭日旗、慰安婦、徴用工と呼んでる出稼ぎ労働者事あるごとに謝罪と賠償を要求される。
大学時代には仲良くなった韓国人の留学生と喧嘩した際には「あなたは戦争を起こすような人種だから存在事態が間違っている」というようなことを言われた。後日仲直りして当たり障りなく付き合っていたが卒業とともに彼は故郷へ帰った。「日本の企業より故郷の方が給料がいい。自分はお前と違い故郷ではエリートである」というようなことを笑顔で言い捨てた。
日本人に生まれたから、韓国人には頭を下げ続けなければならない。それが常識と刷り込まれて生きてきたがそもそも私は彼らに何かしただろうか。していない。それなのに日本人というだけで罵倒され罵られることを耐えていなくてはならないのだろうか。
彼らは日本人がレイシストだというが、逆ではないか?過去の日本人が犯した間違いは過去の日本人が償っている。歴代の総理謝罪、請求権協定みんなその歴史ではないか。なぜ自分と同じ世代の若者までこちらを責める権利がありというのか。