はてなキーワード: 小銃とは
恐ろしく保守的だし、百年に一度の天才がやってきてエイヤっと条件出すと五十年は変化が無くなる世界。
ブローニングのコルトM1911が正式採用されたのは1911年だし、ストーナーがAR-15/M-16の原型を完成させたのは1956年だし、改良版のAR-18は1963年、CETMEとAK-47は1949年。新参で樹脂部品の劣化がないのかと度々話題になるグロックですら1979年。
これらのデッドコピーで銃器市場の2/3が語れて、米軍では3回か5回くらい代替品や強化版や発展コンセプトが提案されては「重い、壊れる、動かない」と却下されてるくらい、一度固まってノウハウを積み始めた設計が覆せない世界。
だから銃器にフォーカスするより話に集中するべき。漫画版エヴァでは「かっこいいし描くのが楽」というだけの理由で全ての小銃がHK G11だし、特に銃知識披露したいんじゃなければ、今だったら世界中どこでも何の話でもMk18とグロック19とAKMで全て済ませられるし、そうすべき。
まずそんなことありえない。
上級国民の番犬にして一般国民を法と暴力で支配する技術もシステムも完成しちゃってるわけよ
100m先でも人間なんて当たれば簡単に殺せるサブマシンガンと、300m先のアスファルトを粉々に叩き割る威力の弾を指先一つで30連発出来る自衛隊の正式小銃と小銃を、一般国民から搾り取った年貢で最近こっそり3000丁も買い足してて、弾ですら止める重装備で固めた銃器対策部隊をSAT含めて2000人も頭数揃えてるわけ
そして、インテリヤクザの上位互換みたいな東大法学部卒のエリート警察官僚が1000人くらいいて、元祖一般国民や共産党を拷問にかけて、あの伝説のスパイ、リヒャルト・ゾルゲですら捕まって拷問うけた挙句に処刑された、白色テロの専門家の特高をそのまま継承して、自衛隊すら監視してる超弩級の危険な秘密警察の公安警察も5000人くらい揃えてて、そこらの一般警官ですら、殴ればガードごと腕の骨を割り箸みたいに叩き折る63cmとか木刀みたいな長さの鉄の警棒と、人間なんて簡単に射殺出来るピストルを腰に下げてて、無線機のボタン一つで、3分で仲間を呼んでくるマドハンドみたいなシステム構築してる奴等を約30万人擁してるわけ
体を重ねるよりピロートークをずっとしていたい。そんな思いを汲んでくれて、
あずまんが大王と桜蘭高校ホスト部の話で盛り上がれる泡姫の元に今日もまた通ったら、六月で辞めるねと告げられた。
お嬢いわく、小学校の頃はドッジボールで男子のボールをキャッチしてガンつけるのが好きだった。
お嬢いわく、背の順と名前順は表面上の公平さを歌いつつ実際は不平等な社会に初めて出会った瞬間だった。(どっちも後ろの方だったらしい)
お嬢いわく、小学校低学年の時にお兄ちゃんのタンスにあった、蔵馬と飛影のBL18禁同人誌を読んじゃって受けた衝撃が今でも忘れられない。
お嬢いわく、Mステの曲をカセットで録音すると、ガシャコンって音だったり救急車だったりバイクの排気音だったり、時々家族の声も入った曲をいつも聞いてた。
汲んでも汲んでも干上がる感じはなくて、昔話は続いていく。そんな話をずっとしていた。
生まれ変わるなら17才ー18才の女子高生がいいというお嬢に、僕は13歳だと言ったときのお嬢の表情を観て、
お嬢はなんでも話を合わせてくれるのだけど、ちゃんとひくこともできるんだなとそんなことを考えながらずっとその顔を観ていたくてガン無視して話しつづけた。
店頭にイリヤの空、UFOの夏を持って行ってレジのお姉ちゃんにドキドキしたその感情をまた取り戻したいんだと早口熱弁は止まらない。
お嬢の言葉にわかる、それな、せやな、知らんけどと相槌を打つたびに強く滾る感情に、今日も不発だった短小銃の代わりだと思った。
昭和生まれも後一年で二十代から消える今、一昔前のオタばなで花を咲かせることもだんだん難しくなってきた中で、歳を隠さない彼女には救われ続けている。
スマホの入力の打ち方がフリックでもなぞり書きでもなくてガラケー打ちなのを見るたびに、auのイチマツを使って初めてメールを顔も忘れたクラスメイトに送った当時を思い出してまた、話が止まらない。
世界広しといえども今日もお世話になったあの人だけだろう。深く深く感謝したい。しながら寝る。決して安くはないが、今日途中で盛り下げたおそ松さんの話をするためにまた再来週あたり行くだろう。
今時の小銃は右の壁に隠れても左の壁に隠れても撃てる
長らく日本人サバゲーマーでは羨望のアイテムだった?三八式歩兵銃のエアガンが海外メーカーの雄、S&Tから比較的手ごろな価格で
発売され大いに盛り上がっていますが、その一方で旧日本軍についてあまり詳しくない人からは「『輜重部隊が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち』 などと言って補給を軽視していた」だとか
「日本刀を振るっている精神主義に固執した軍隊だった」「巻脚絆がダサい」等々誤解が未だに蔓延っているのも事実なのでそうした誤解を解消する一助になれば……と思いこうして
筆を起こしてみました。
※調べていない点もあるので下士官兵に限定した内容です。将校准士官は除外されるものと思ってください。
※古い時期では下士官兵を「下士卒」と呼称しますが「下士官兵」に統一します。
当時の旧日本軍(恐らく同時期の各国軍も)歩兵に代表される徒歩移動が主の「徒歩本分者」と騎兵等の「乗馬本分者」に分かれており
下士官兵はそれぞれ適した被服が与えられました。
すなわち
・徒歩本分者→「銃剣」「長袴」(九八式では短袴に統一)「巻脚絆」「編上靴」
・乗馬本分者→「軍刀」「短袴」「長靴」または「官給型革脚絆と編上靴」
となります。
また、騎兵であれば二等兵でも三十二年式軍刀(甲)を、それ以外の兵科では刀身の短い三十二年式軍刀(乙)後年では九五式軍刀を装備します。
……あれ?同じ日本軍の同じ兵隊でも乗馬本分者の方が軍刀を帯びてブーツを履くのでとても「カッコいい」スタイルですね(偏見)
※本部付下士官では例外なく乗馬本分者扱いのようで将校准士官と同じ革脚絆を巻き、軍刀を帯びるようです。
※平時は上記のような塩梅でしたが戦争の推移で末期戦の悲哀からか、小銃不足で軍刀の配備率が上がって末期では伍長でも軍刀を携えていたみたいです。
また、大雑把に区分すると
・歩兵……徒歩本分者
・砲兵……徒歩本分者、乗馬本分者(※徒歩移動と乗馬移動双方がある為、但し一定の者(本部付下士官?)以外は乗馬本分者でも軍刀に変えて銃剣を携行する模様)
・工兵……徒歩本分者
・憲兵……乗馬本分者(※徒歩移動がある場合は徒歩本分者と同じく巻脚絆と編上靴を用いる模様)
……という風になります。
※昭和期になると機械化、自動車化による改変で装備が変わった可能性(馬に乗らなくなくなる)があるのであくまで目安。
※徒歩本分者/乗馬本分者以外にも帯剣本分者とか執銃本分者とか帯刀本分者とか色々用語があるらしいけど、流石にネットだけじゃ調べ上げるのは無理だった……
冒頭に上げた『輜重部隊が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち』は正しく言うと「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」で
具体的に言うと
・輜重輸卒→専ら荷役や輸送作業等に従事(当時は人力が主)銃は持たず銃剣のみ装備。
・輜重兵→輜重輸卒を統率し管理する。(なので二等兵でも乗馬しながら輸卒に指示を出したりする必要があった)騎銃と軍刀を装備。
……なので「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」は正しく解釈すると「銃も持ってない奴が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」ということになります。
そして輜重兵は歩兵と違って騎兵とほぼ同一のカッコいいスタイルなんだ!?(偏見)
つまり乗馬戦闘で用いる役割と指揮棒的な役割と見栄えを整える役割が有ったんだけど、
丁度過渡期な戦争が日中戦争や太平洋戦争で「前時代的な刀を振り回す日本軍」と後世に脚色されて伝わったんでしょうかね~?
※ただ、かつての武士を重ねていたという要素はあるかと思います。
さて、(サバゲー的な見地による)三八式歩兵銃を用いる兵科となると以外に少なく
(※九九式小銃、短小銃登場後は九九式短小銃に事実上統一されました)
また弾薬盒はレプリカでお馴染みの前盒二つと後盒一つのものを使用しますが、
※工兵の場合前盒一つだけの模様。また任務の状況などで弾薬盒を減らしたりして臨機に対応するようです。
※一時期後盒が廃止され前盒だけの時期もあった模様。
余談ですが騎銃用の弾薬盒は乗馬本分者用と徒歩本分者用で別れていて乗馬本分者用は専用の負い革とベルトが付属するようです。
三八式歩兵銃を基幹にするとして
・ヘッドギア→軍帽(四五式軍帽)または略帽と鉄帽
・軍服上下→四五式、昭五式、九八式……と様々あるので徽章類の組み合わせに注意しつつ好みをチョイス
※個々の解説については膨大なので省略
・腰回り→革帯、弾薬盒、剣差、銃剣(サバゲー主体ならば危ないので銃剣は無くてもよい)
・靴→編上靴(茶色で踝に膨らみが無いスエード調の物、なるべく鳩目が五つのものを探す)巻脚絆(カーキ、国防色)
・その他→雑嚢(なるべく軍服と年代を合わせる事)、水筒(昭五式とか九四式と言われるタイプか明治三十年採用の徳利水筒)
……ここまで揃えれば『うるさ型』な軍装マニアもニッコリ???(逆に今度は「背嚢も買おうよ~」とか勧誘が激しくなりそう)
どう足掻いても電動ガンには勝てないので頭を使うこと。
二、軽機班(フルオートができれば89式でもM4でもなんでもいい)を編成して共闘できれば当時の雰囲気が出て盛り上がりそう。
最近ではレッテル張りのようになってたり、アニメや漫画じゃまるでテロリストなんていう職業や技能があるかのような勘違いをしている人が多いから大学時代の研究論文を要約して書いてみようと思う
まず第一に、テロリストという職業はない、厳密にいえば、テロリストを仕事とした場合、その仕事が成功したら、それはもう「テロリスト」とは呼ばれないからだ
例としては毛沢東、チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、レーニンといった「成功した人たち」がこれに当たる
これを見ればわかるが、レーニンは「政治家」だし、毛沢東は「軍閥(軍事勢力)の指揮官」だし、ゲバラとカストロは「ゲリラ部隊の指揮官」で、軍事的・政治的技術や技能をテロリズムに活かしただけで、テロリストという職業が成立する「専門技能」というのはないということがわかる。
第二に、世間一般に一昔前想像されたテロリスト像、これが一番テロリストというステロタイプに近い、冷戦時代のテロリストたち
例えばPFLPはイスラエル軍と正面戦闘で戦えるだけの立派な「軍事勢力」だし、赤い旅団や日本赤軍、その他イタリア「鉛の時代」のテロリストたちや、ETAやIRA、80年代まではテロリストといえば、PFLP系かIRA系のイメージが強かったが、これらもPFLPやソ連から直接訓練や支援を受けて動いたスパイとして育てられたエージェントだし、IRA暫定派やバスク祖国と自由のテロ技術のルーツは、第二次世界大戦にイギリスが編成した「SOE」のノウハウが元というのだから、彼らは「スパイ」や「破壊工作員」であって「テロリスト」という技術ではなく、スパイや準軍事的な技術をテロに応用しているだけである。(超有名な「カルロス・ザ・ジャッカル」も、パトリス・ルムンバ名称民族友好大学でスパイ&破壊工作員として訓練を受けた超万能のコマンドかエージェントであって、その技能をテロに応用してソ連の支援を受けて動いていただけである)
※余談だが冷戦時代が舞台の映画や漫画で「ソ連でテロリストとしての訓練を受けた~」という元ネタは、このパトリス・ルムンバ名称民族友好大学で行われたパルチザン・スパイのカリキュラムのことを指す
あとはIRAに至っては、全盛期のその9割近くの日常業務が、違法煙草や違法薬物の密売、パトロールと称したみかじめ料の徴収、地道なイギリス軍への諜報活動、裏切り者やスパイの摘発・捜査・そして裏切り者の処刑や暗殺と、過激な暴力団とやっていることはたいして変わらない、では暴力団とIRAのテロ組織といわれる違いは何か?
これはもうただたんに「目的」の違いでしかない、IRAは自治権や議会設置の要求が最終目標で、それが達成すれば一応は武装闘争を放棄して市井の市民に戻った。
暴力団は思想的背景はなく、恒常的に犯罪行為で金を設けてる営利団体だから、暴力団である、それが政治的な目的かそうでないかが重要で、やっている技術そのものはたいして変わらないのだ。
そして現在吹き荒れるテロも、テロリストたちの大半はイスラム国の戦闘員かその訓練を受けて母国に戻ってテロ事件を起こしている形で、youtubeなどでイスラム国の訓練映像を見ればわかるが、どこの軍隊もやっている新兵教育の内容で、その軍事技術をテロに応用しているという形である。
唯一「バックボーン」の存在しないローンウルフテロリストというのも最近多くなってきているが、アメリカの統計によれば、ローンウルフテロの6~7割が軍に身を置いていた経歴があるので、その技術をテロに応用しているにすぎないということがわかる(余談だが残りはスクールシューティングテロリスト等で、彼等のバックボーンは競技射撃である、たまに連続狙撃事件や銃撃テロにもこのバックボーンのタイプがいる)
繰り返しの結論になるが、結論としては「テロリスト専門の技術やノウハウが存在してそれを準拠にテロリストというクラスや職業のようなものがある」という認識は誤りで
「軍隊式・警察式・競技式といった技術をバックボーンとしてそれを応用してテロを起こした者がテロリストと呼ばれているだけ」ということである。
少しでも理解を深めることが、テロ根絶の第一歩になると思うので書いた次第である。
ゴルゴ13や映画「LEON」などのイメージで、テロの戦術として狙撃がポピュラーというイメージがあるかもしれないが、実はこれは大きな間違い
FBIの統計では、テロ・暗殺事件に分類される銃犯罪の内、57%が「拳銃で至近距離から撃たれる」というのが殆どで、35%が「自動火器・小銃による無差別乱射」で、残りにようやく狙撃のロングキルが入るほど、テロや暗殺において狙撃は使われなかったりする。
理由としては、7.62ミリ弾クラスであっても、一発で即死させようと思えば、発射から30m以内のところまででないと、それ以上は急所にキレイに当たらないと、重症にはなるが即死する確率はぐんと減るからである(国内の事例を挙げれば昭和の頃に自衛隊で起きた自動小銃乱射事件の時は、至近距離で撃たれた隊員は即死、その後ろの隊員は弾丸が貫通して重症(後に全治)でさらに後ろの隊員の体内に弾丸がめり込み重症(後に全治)というものなどがある)
イスラエルのモサドや、イスラム系テロリスト、70年台のIRAが多用したように、車爆弾や時限爆弾でターゲットが近づいたところを爆破するという方法が、唯一「テロとしてのみに特化した手法」といえるであろうか。
追記
「狙撃は有用ではない」という意見も出たが、厳密にいえば暗殺・テロにおけるステロタイプの狙撃というのは、ハッキリ言って非常に困難で準備に手間がかかるから選択されないというだけである。
まず狙撃銃というのは、かなり高価な部類に入るうえに、たった1~2発を撃つためだけに、狙撃ポイントを下見して、ターゲットの行動や予定を下調べをして、逃走経路から時間帯まですべて指定、手配した上で、それが本当に予定通りにいくかもわからない中で、狙うというのがそもそも無理筋なので、フィクションの中での話が大半だ、というのがFBIやアメリカ軍のテロ研究の見解といわれている。
テキサスタワー乱射事件のチャールズ・ホイットマン(M70に1-6×32スコープ搭載)や、近年起きたDCスナイパー事件(AR-15クローンに、ホロサイト、フォアグリップとタクティカルライトを搭載)のように、立て籠もったり、徘徊しながら無差別に狙撃をして回るというというものならいざ知らず、こういったステロタイプな狙撃での暗殺事件は、史料上ではケネディ大統領暗殺事件でしか存在していない(それもほとんど推測の域を出ていない)からだ。
その上でも、チャールズ・ホイットマンがあれだけの殺傷ができたのは、長距離に特性を合わせた30-06弾というライフル弾をしようしていたからであり
アサルトライフルの標準的な実包というのは、実は5.56ミリでさえ、弾道特性上150mくらいで重症は負わせられても即死は難しいという結果がある(初速がそれだけ低下するうえに、ヨーイングといって風邪で左右にずれていくからだ)
そもそも、暴力を背景とした行為や脅迫を生業として行うから職業テロリストは存在するというのなら、日本国内の最大のテロ組織は山口組ということになるし
1670年代以降、銃器類の性能向上によって防護能力が不足してくると廃れ始め、18世紀以降にライフル銃が登場すると防弾を目的としたものは歩兵の標準装備から外されるようになった。
第二次世界大戦時には、アメリカ軍においてM1ヘルメットが開発された。1940年に採用されたM1ヘルメットはそれまでの戦闘用ヘルメットとは素材や防御の概念が異なり
強い衝撃を受けた際にも大きな変形を起こすのみで、装着者の頭部に致死的な損傷をもたらす貫徹を起こす可能性は低い。
現代型のヘルメットの主流は、貫通力の大きい小銃弾(初速はマッハ1から2、直径は5ミリ半から大きい物では7ミリ半)の阻止は困難である。
米軍は「ダイニーマ」や「スペクトラ」と同種の超高分子量ポリエチレンを用いたECH(Enhanced Combat Helmet)を研究しており、
ご都合主義を排するというのは確かに名作の条件。だが同時にシン・ゴジラが名作である条件として「行動できちんとキャラが立つ」という点も指摘しておきたい。たとえばゴジラへの攻撃を例にとって言えば、
避難する一般人(ばーちゃんを背負うじーちゃん…)を見て攻撃タイミングを逸する「日本政府」
これはもうやむを得ない。この国は戦後ずっとそういう建前でやってきてその頂点にいる人があそこで人命軽視の判断したらリアリティがない。パシフィックリムの1作目で「怪獣の近くに漁船が…」→「構わん、やれ」みたいなやり取りしてるのを見ると、「ああ、アメリカさんね」と思うあの感じ。ここは"ニッポン"で、prime ministerだからね。仕方ないわね。というカヨコさんの声が聞こえてきそう。
これも、「一発も外さない」という「本質ではない部分の質を高めること」に終始して、「成果をあげる」という本質をついた発想から逸脱している軍隊を戯画的に描いている。ぶっちゃけ、手りゅう弾の外郭に瀬戸焼の上物を使ったり、小銃をピカピカに磨き上げることに必死になってた旧軍と、いまだに大して変わらない日本人の悪癖をよく描いている。そのせいで引き際を見間違えて無駄な犠牲を兵に強いるところまで、旧軍から変わってないなと思わせるシーン。現場の一人一人が少し呑気だとか、「訓練通りにやれば大丈夫だ」とかの無意味な楽観主義とか、でも一人一人は仕事にあたってはホントに真面目だとか(でも報われないとか)、まあいろいろな実態を踏まえて、よくまとめて描かれているなという印象。
それに対してB2(だっけか?)つかってバンカーバスターぶっこむ米軍の「兵の安全優先」「容赦なく物理重視」的攻撃は実に米軍らしい。結果論とはいえその『後始末の悪さ』も含めて、実に米軍らしい。そもそも、バンカーバスター用意している時点で「通常兵器はたぶん効かない」という予測があっただろうに、自衛隊になんのアドバイス・情報提供がなさそうなところといい、自衛隊のことをぶっちゃけ『自分らが使い捨てできるコマ』かおとり部隊だと思ってるよね、みたいな。日米安保下の日米関係に対する皮肉を込めて、リアル?あるいは巧みに戯画的に描いているなという印象。結局「9条砲(=「日本は戦争しません」アピール)」ってほかの何よりもまずアメリカに向かってるんだよねーっと思う。
生物として、ある方向に進むという動機不明な「意図」をもつだけで、積極的な意志をもった攻撃姿勢を見せないゴジラの「生物としての在り様」がまことにゴジラらしい。それが人間の作り上げた都市にとって壊滅的な打撃であることも含めて。「腕をふるってビルを壊す」とかそんなシーンもない(そもそもふるえるほど手が大きくない)。ビルは歩いていてただぶつかるだけのしかかるだけで壊れる。見ようによっては、あまり大きく物をつぶさないように歩いているとさえ見える。巨大なしっぽも、地面を薙ぎ払うでなく、躾の良い健康なワンコのように宙に浮かせてる。中盤の大破壊だって、背中にバンカーバスター撃ち込まれてびっくりしたからだし、ビームだって飛んでるハエを払う程度の反射的行動として描かれている。つまり「生まれたての、ただの無邪気な生き物」としてキャラ立てされつつも、その一方で振る舞い自体はさながら破壊神か悪魔そのものにしか見えない…という高難度な演出をしているところは高く評価したい。『あくまで受身だが、こちらから手を出せば出すほど災厄そのもの』。だからこそ、ゴジラが「世界が手を取り合って解決すべき課題そのもの」として立ち現れてくるという仕組み。すげーな。
…と、たとえばゴジラの攻撃シーンだけをとっても、皆のキャラが立ちまくってる! こういうところも、やはり名作の条件なんだと思った次第。
http://anond.hatelabo.jp/20160813162338
ついでながら、こういう風にあの映画を見た自分から見ると、キープレフトな方々の一部から出ている批判に「ああやっぱり『政治』の世界に『表現』の味方などいないんだよな」という感想を抱いた。結局、作品や作家そのものに寄り添うということが全然できないで、自分らの立てた運動綱領とかが全て。でも、それはもう直しようがないんだろうね。「『人間』を信じましょう」という、あの一言が彼らからは出てこない。それがなければ、たとえば新興宗教と比べて、その主張に何の違いもないというのにさ。ダメだよほんと。