はてなキーワード: 仮の姿とは
小学校高学年くらいの時考えなかった?
増田は十二国記が大好きだったから、人間関係とかがしんどい時はよく自分は胎果でしかも麒麟で、向こうからお迎えが来たらこの仮の姿から本来の姿であるとんでもない美人になって、しかも金色の麒麟じゃなくて髪が見える角度によって虹色に輝く特別な麒麟(オリジナル設定だね😇)になる、シチュエーションとしては放課後忘れ物を取りに誰もいない廊下を歩いてたら急に人ならざる女が現れて、会いたかったと泣きながら増田のことを優しく抱きしめ、誰なんだろうこの人と思いながら顔を上げて目を合わせた瞬間に世界が反転し、気がつけば向こう側の世界にいて、増田は本来の姿に戻っていた...
みたいなの考えてましたよね?
まあ現実はそのままデブ続行で特に人生で特に変わったイベントも無く小さい会社の事務員やってるんですけど...友達はホグワーツからの手紙を真剣に待ってて、入学方法をかなり真面目に探したって言ってた。みんな1回は逃げたいよね。逃げたいと思いながら頑張って大人になって社会に出て偉い。
クラスの人は学校側から何人か仲良くするように言われてる人たちがいたようで、3,4人ほどの生徒がまともに会話を許されてるような感じで、交流があったように見える。とてもぎこちなく会話をしていた。会話の内容も皆にジロジロ見られてる感じだった。
一方、ある同級生は大学時代お金に困らないバイトをしない方某出版社から名刺を渡されたと話していた。
二外はこの学科ではメジャーな中国語だったが、とても厳しい先生のクラスで単位落としたと聞いた。
授業に来ていた本人は、大学生というよりは小学校中学年くらいの風貌で、あまりの細さと小ささに奇妙に感じた。結構毎回席が近いのでよく見えたが、テレビで見ると丸顔だが実際はとても小さく、鼻がとても高く目の色素も薄く、ハーフのような感じだったのを覚えている。そして、鼻の穴の中…粘膜がとても赤いように見えた。いつも疲れている感じで、時に居眠りもしてた。
授業は入り口にマネージャーがいて、いつも落ち着かない。授業が終わるとバンで移動というスタイルだった。
帽子を目深にかぶってて、帽子を被っていると怒られる講義でも教授に「よく来たね」と怒られていなかったのを見て不公平に思う学生の声を聞いた
一度、部外者が本人を見たいため講義に混ざっていて、2人はTAらに捕まっていた。そのうちの一人はスキンヘッドだったのを記憶している。
ある日、図書館で一人で勉強している本人を見かけたので、一緒の授業だと声をかけたがすごい表面的に返事をされた。その時は本当に一人でいたようだ。人当たりは別に悪くない気がした。
でも、面識ができたと思いきや、授業で再会して会釈をしても向こうの反応はなかったので、あまり普通の生徒とはやっぱり話したくないのかなと思った。
その後、某イベントのアルバイトしてたら、当時騒がれていた本人と本人の交際相手がお忍びで来た。
本人は、学校の時とは全然違う、サングラスをかけとても派手な感じで、交際相手はチェーンを全身にジャラジャラ身につけ音がするくらいの服装だった。一般人近づくんじゃねーという空気を感じた。業界の人という感じ。
御忍びだったからか、一番早い時刻できて、一番早く帰って行ったが、その時に目が合った時思い切り無視された。面識はあったと思うのだが…
私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。
私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれた名前の中には、地元で教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。
小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市で勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生のお話を聞いた。ある年の学校新聞の1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。
高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶を担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
高校を卒業すると、私は自分の実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族と散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっといたかもしれないな」と思った。
大学を卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元は神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。
ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。
彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校の社会の教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分が高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
私は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビルは2021年に高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダンな茶色のファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。
私は今日、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、阪神淡路大震災の記憶とともに生きる「最後の世代」だと言われている。確かに、地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっといたかもしれない。地元の同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分の人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。
記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害の記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これからも阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後の世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後の世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。
(1)anond:20221023223518からの続き
いくら視覚的な識別手段が機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。
例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。
「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というものが存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」
二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。
このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚・聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像の産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦の言葉「想像力による夢幻の世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。
ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。
視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚・聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像の産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。
それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚・聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなたの想像の産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。
もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来の女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性が日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻の世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。
もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分を他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分を他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレントな言葉なのではないだろうか。
『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚・聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品を執筆したものと思われる。
『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、甘露寺蜜璃のような「本当の自分を他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉に類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前の笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実の世界にも多数存在するように思われる。
そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。
それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である。
そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷な現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである。
(了)
(2022/10/25追記)香り・嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである。
普段ぼやーっとしてるのも、それ以外の態度取ると集団から排除されるからだしな
「私才能あるけど不遇なんです」
とかいっさい許されなくて飄々とすることだけが許されてきたんだよ
で、ずっと「自分よりも才能がないのに楽して大学に行った人の方が自分より偉い」
っていう状態に耐えてるんだよ
増田が評価してる普段ぼーっとしてるけど有能って態度も実は生きるために自分自身を変形させた仮の姿
元々精神疾患キャリアで、予備軍なんだよね、ぼーっとしてるのが素じゃない
実力はあっても自分の責任ではない事情で低学歴に甘んじ続けるしかない人の配慮がなさすぎ。
フェミニストを名乗ってる萌え豚ってどう折り合いをつけてるんだろうか?
なんとVTuberにもいるらしいけど別に単独行動をしてるわけでもなく他のフェミニストと連帯してる
萌えエロどころかエロ抜きの萌えですら問題視してるフェミニストもいるのに一緒に混ざってるのが違和感ある
なんていうか萌えオタ兼フェミニストというアピールはフェミニストを相手にしたオタク文化を守る為のロビー活動にしか見えない、つまり本気ではないのだ
萌えオタでフェミニズムに傾倒してる豚はオタク文化を守る為に、ただ傾倒した振りをしてるだけ、仮の姿、仮の批判、仮の擁護……
でなきゃ自分達が日々叩いてるオタクに混じって萌え作品を消費したりなんかしないはず
けれど通常、その矛盾に彼らは気づかないし気づかないふりをしている
はてなのホットエントリーに入ってるから読んでみたけど、なんとなく嘘松くさいなと思った。
だいたいがVTuberの界隈での通例に外れる表記や認識が多いからだ。
その理由をまとめておきたい。
これは意外と当のVTuberでさえもバラバラで、「VTuber」と「Vtuber」どちらが正式な呼び方なのか曖昧ではあるのだが
ニュース記事になったり企業プレスリリースなど公的な表記は「VTuber」が圧倒的だ。おおむね「VTuber」と呼ぶのがリスナーの間でも一般的だ。
「Vtuber」と表記することもなくはないが、間違いなく少数派で、まだVの界隈に慣れてないのかなという目安の一つにもなる。
これもまた人によって呼び方が異なるのだが、個人のVと企業所属のVを対比して呼ぶならば、個人勢と企業勢と呼ぶのが通例だ。
ここまでは、まぁそういう表記もあるはあるよねと思うが、一番ないなと思ったのは次の認識。
ちょっとVの世界にハマっている人なら、まずこんなことを言わない。
VTuberにとってアバターというのは、好き勝手に付け替えるものでもなく、一つのアバターに沢山の想いが込められた、リアルの枷から外れたもう一人の自分。
だからこそ、アバターをガラッと変えるとなれば物議も醸し、新衣装お披露目や新ビジュアル発表となればわーわーキャーキャー大騒ぎになる。
そして中の人がいるなんて、ちょっと調べたら分かることだから知っている、でもそんなこと分かっているうえで楽しんでる。
バーチャルをバーチャルだと分かった上で楽しんでいるのがVTuberのリスナーだ。
こういうお約束のうえにあるのがVTuberのリスナーのはずなのだが、noteを書いた妹さんはVTuberのオタクを自称しながら全然分かってない。なぜ?
間違いなく、あのnoteを書いた妹さんはVTuberの界隈のいろはをよく分かっていない。
それでももしかしたら、いろはをわかっていないだけで書いてある内容は真実かも知れない。
もしそうだとしたら、VTuberのお姉さんは間違いなく才能に溢れている人だ。
noteの中には具体的な登録者数や視聴者数が記載されていないのでなんとも言えないが
次々とAmazonで注文しているからには、様々な試行錯誤を繰り返していることがわかる。
それだけの試行錯誤をするからには結果も出ているのだろう、リスナーともコミュニケーションを重ねているようだ。
おそらくある程度の登録者数を得ていることは間違いない。
個人のVTuberは伸びない、個人のVでは登録者数1000人超えるだけでも大きな壁があり、才能と努力が必要だ。
そして企業に属さずに個人でやるならば全て自分でやる必要がある。
それこそ寝る間も惜しんで配信内容を練って配信の準備もサムネの用意から始まり、配信外でもTwitterで積極的にツイートして他のVにも絡んでいくなど多大な苦労がある。
そして仕事をしながらVTuberの配信をしているなら、なおのこと凄まじい苦労もあるはずだ
VTuberのお姉さんはは間違いなく滅茶苦茶に苦労して努力もしているはずだ。これができるのは才能だ。
そうした苦労と努力をリスナーでも分かっているから、配信開始ツイート一つでも「ツイートできてえらい」がVTuberとリスナーとの間でお約束になるほどだ。
こうした苦労と努力がVの影にはあるのだと、たとえ企業のVだけを見ていたとしてもVのオタクであるならば、わかっているはずだが、妹さんには理解できてないようだ。
私生活や家族関係に問題があるとしても、どうか長い目で見て欲しい。間違いなくVTuberのお姉さんは才能があるし努力をしている。
VTuberは続けようと思えば、決してお気楽な遊びではない。VTuberのお姉さんは選ばれた人だ。どうかその才能と努力を認めてあげて、もう少し見届けて欲しい。
こんなに反論を掻き立てる増田の釣り才能に嫉妬するものの、素直に反論を書いてみたい。
発言その1
ところがである。指名回数が数回を数えた頃、みゆさんから唖然とするような言葉が出てきた。
私はうつ病になる前はある専門職だったのだが、まだ以前の職に戻ることは諦めていなかった。その職では第一線で活躍していたわけではないが、そこそこの功績があることはみゆさんも知っていた。
なのにこの発言である。これは、私はもう以前の職には戻れないという意味なのか? しかもそれだけではなく、工場労働のような3Kで非正規の仕事にしか就けないと言っているのか? いや、工場労働に就いている人は大変ご苦労様で立派だと思う。しかし私は痩せ型で体力がないし、運動音痴だし、オタク気質でおとなしい文化系で、ブルーワーカーと話が合うとは思えない。工場労働が自分に向いているとは思えなかった。
無職であることの地位を不当なまでに低く見積もっている人、そういう価値観をもった人は多く見かける。みゆさんの発言からも無職というステータスに対して、非常にネガティブな印象を持っていることが、増田の書いた文章から明確に見て取れる。それに対して、増田自身は自分のステータスに対しては全く違う見方をしていることもまた明確だ。「無職はあくまで仮の姿であり、本来の自分ではないのだ」という自己認識だろう。しかし面白いことに、お互いの価値基準が異なっていることに、お互いが気づいていないのだ。でもそれはそのはず。年齢も全然違えば、お互いが同じ未来を目指しているわけでもなんでもないから、すり合うはずも、ズレている事に気づくはずもないのだ。
だから
この発言も、現状の地位・ステータスに最重要の価値を置いているみゆさんから見ると増田のステップアップの話になり、職業の貴賤を軸に自分が属する職を考える増田から見るとステップダウンの話になるのだ。
発言その2
工場労働の話に関連して、私が病気のために体力がないということを伝えるため、こういう話をした。
増田「動く歩道で自分だけが立ち止まっている。他の人はみんな歩いている。お年寄りさえ自分を追い抜いていく。自分はお年寄りより体力がない」
するとみゆさんはこう言う。
このコミュニケーションの齟齬から、工場労働に対して持っている情報(印象)は全く異なるものであることが見て取れる。
増田は工場に対する印象を簡潔に3Kだと、しかし明確に捉えている。しかし一方で、みゆさんも同じように3kだと思っていたのだろうか。20そこそこの小娘に、はたして、工場労働とハイパーメディアクリエイターの仕事の中身の業務の違いが想像できるだろうか。もっというと、工場労働に対するイメージは、年齢が近いであろう私と増田とでさえ、どれ程一致するだろうか。
このような、前提知識が大きくズレている話題にあって、さらに歩く歩道の話で婉曲的な体力の話をしても、彼女にとってはもはや工場労働の話とは全く結びついていない別の話であり関連しつつも違う話題だと捉えられていた可能性が高い。
これも発言1と同様に、お互いがズレた話をしていることに、お互いが気づいていない。
発言その3
これが一番こたえた。
増田「知り合いの50代~の女性は奥手な自分によく話しかけてくれるんだけど、なぜ若い女性は話しかけてくれないんだろう?」(冗談っぽい口調)
みゆ「自分から話しかけずに相手から話しかけて欲しいなんて、都合が良すぎるよ!」
そんなこと言ってないのに~~~
なんで年代で態度が変わるんだろう? って言ってるのに~
期待していた答えは「えー、なんでだろー、増田さんかっこ悪くないのにねー不思議ー」とかなのだろうか。
年齢で態度が変わる、ということを伝えるには、
を例示するべきだったかもしれない。そうすれば、求めた答えを手に入れられただろう。「増田さんいい人なのにねー」とかね。
けど、増田はこのように伝えた。
これでは焦点は増田に集まり、頭に浮かぶ答えは1つ「え?お前がオッサンだからだろ?」でしかない。
しかし彼女は頭に浮かんだその答えをちゃんと飲み込み、あなたへの応援に変換して伝えている。
満点ではないにしろ、厳しさある言葉の中にも「自分から話しかければ女性から否定されるわけじゃないよ」というニュアンスをなんとか含ませた高得点の返答ではないだろうか。
さて、こういったやり取りの中でのズレは、増田とみゆさんだから起こった事ではない。
この程度の認識の違いから生まれる齟齬は多くの人のコミュニケーションにおいて、日常茶飯事だ。
そして、皆ズレたことに気づいた段階で、「確認し修正する」か「受け流す」かを選択している。それが通常のコミュニケーションだ。
ところが今回、せっかくのズレに気づいた増田は違う反応をしている。
相手に「期待し」「察する」ことを求めたあげく、勝手に「失望」しているのだ。
なぜ「期待しすぎ」たのか。それはあなたが彼女を商品だとみなしているから。
「お金を払って会っている自分は、それに見合う対価を得る権利がある」という思いが根底にあるのだろう。
しかしそうだとしたら、自分の期待に添わないリアクションが返ってきた場合、相手を評価すればいいだけなのだ。
アマゾンのレビューを書くように相手に伝えるなり、減額要請するなり、別の女性に替えるなり。
しかしあなたは、それをせず、期待を続け、そのたびに失望している。それは明らかに商品に対する失望ではなく、人として失望しているのだ。
それ、矛盾していないか?商品として期待したのに、人として失望してまっては出口のない闇だぞ。
もちろん相手も悪いかもしれない。客のあなたに、人として答えているシーンが多いのだろう。
あなたはきれいな女性に対して自分が偏見を持っていた事には気付けたものの、残念ながら偏見を取り去ることはできていない。
彼女は、完璧な女性を演じれるわけではなく、オッサンが嫌いな普通の若い女性としてのボロが出ているのだ。
それはそのはず。しょせんは20そこそこの小娘なのだから。しかしあなたはなかなか偏見を振り払えず、期待を続けてしまうのだ…
あなたが、今回気付けた事は、本当に1つの前進だと思う。今後、そこから迷宮に迷い込まず、偏見を拭い去れることを切に祈る。
勝手に同士と思っているKKOより