はてなキーワード: ヴィジョンとは
俺も絵を描くオタクだけど、
お前みたいなやつって男のオタクにもいるけど、
本当に理解できない
まず俺は自分の絵が一番好きだし。
俺より上手い人が沢山居るのは事実として認めてるけど俺が一番好きなのは俺の絵。
そう言える程度には俺は自分の欲望のヴィジョンが明確だし、それを形に出来る画力が(まだ全然不完全とはいえ)ある。
実際絵をネットに上げたら「おっ」「あんたの絵好き」的なこと言われないことはないからね。
要するに揺らがない自信家なんだよ。
でも俺は俺の絵が一番好き。
あんたはそうじゃないわけでしょ?
それがうざい。
俺は自分より上手い絵を見て、それが自分の好きなテイストなら、好きだなあと思うし、取り入れていくだけ。
単純に「好き」って言われリャうれしいけど、世間一般の鑑定眼なんか全然信じてないから。
人の絵で凄いいい絵なのにRT数少ないとか普通にあるし。
話題の素材つかったり言及しやすい形にしたりすればRTなんか伸びるし。
俺は自分が好きな漫画嫌いな漫画を根拠付けて完全に説明出来る。
それが出来ずにぼんやりとしてる奴はみんなが褒めてれば褒めるし叩いてれば叩く。
みんなが褒めてる場で批判的なコメント見ると「荒らしだ!」って怒るし、叩きの場で褒めてるの見たらそれも怒る。
俺はあいつらが遅ればせながら言ってるようなツッコミは初期に言い終えてたからね。
その時はみんな褒める流れだったから俺はしょっちゅう荒らしだと言われた。
そいつらがずいぶん遅くなってあの漫画が微妙だと気付いて、あと周りがみんな叩いてるからって理由で叩くようになってる。
頭が悪いからぼんやりとその場のなりゆき感情と周りの反応で生きてる。
RTの数に心が動いて、自分の考えや価値判断の芯が無いわけだ。
しょーもな。
二十代前半、物心ついた瞬間(とき)から時を喰らうものとあなたの心に語りかける形ある真実はあった気がする。精神隷属機は内なる闇と闘いし者くらいから流行り始めた。
メールよりLINEのフォースが主流になって、ラグナロクの索引が特別じゃ無くなって、いつでもどこでも我が大いなる影に潜む「モノ」...そう、貴様とでも繋がれる現世に闇に心を奪われた。大体のことは瞬息の間に調べられる混沌の時代に魂を奪われた。
どうみても格好良くない言霊遣いがクラウド似だと持て囃されたり、どうみても可愛くないサブカル騎士団の虚構の偶像達が可愛すぎ修正されるねと騒がれたり。
黎明の一方で、己が愛を捧ぐスフィアヴィジョン番組は時代に完全調和〈マリアージュ〉していないなどとアカシックレコードで酷評されまとめられたり。
1つも響鳴出来ない「こんな嫌なやつにあった私可哀想だべ?これも全て宝条って奴の仕業なのよ。かつて聖府によって禁じられたのは全部『かの者』!私は迷惑帝国にあるカフェでお茶をしようと声をかけて…思い出の中にしかない!」なんていう拡大変容に信じられないくらいの反響がついたり。
私にはきっと、クリスタルが国民的賢者の石を生み出して、灼熱の焔な存在(もの)がみんな似たりよったりだった時代のフォースがあっていたんだと想う。
私には帝国の威信にかけて、数多の縁という名の鎖で繋がれし世界なんかなくて、クオリアが狭かった方があっていたんだと回想(おも)う。
私の魔法力は、もう”俺たちの時代”には合わないんだと彷彿とさせる。
英雄のいない現代(いま)には、禁忌とされるほどに魔力感知が高い人が衆すぎる気がしてしまう。
傷つけられた、と囁く運命<こと>を禁忌とされるほどに底知れず受け止めすぎな気がする。断罪のくびきを背負えば傷はつく。繋がれし意識でエインフェリアぶってる人だって、『ノイズ』にならないだけで、ヘッドに出ないだけで、創られし物を傷つけたことは絶対にある――予想できていたはずなのに、英雄の名が傷つけられたとたん其なるものをスペル化して拡散して。
闇の血族を滅ぼしたところで、媒体に関わらず神の導きのままに言葉にできる人だけが痛みを表明できるような時代になってしまったように感じる。
かつての予言書の事実はもう通じない。幾ばくかのルーンの刻まれた魔石の掛け違いで相手に少しでも傷つけてしまったら、インフィニティ世界に向けて私がまるで悪の根源のように幻想変換されて。其なるものに慰めの言の刃(コトノハ)がいっぱい預言書に記されたままにて。
この戦乱の時代が違えば私は完全に無知なる平民どもだった気がするんだけどな。
この乱世は選ばれし戦士をクリスタルと同等にする混沌の時代だ…預言書にはそうあるから。如何なる場合においても我が魂の宿りし器の魔法力に基づいて魂の波動を感じているだけ――ただそれだけなのに、僅かばかりでも傷つけてしまったら無知なる平民どもの愚者に預言書に示された通りのこと告げられた哀れな存在を抹消されしものっていう叙事詩にされちゃうもんな。
何が詠唱したいか分からなくなって…畢竟、その一つ事への拘りが炯眼を曇らせた。
神装(こせい)なんて叫ばないで。更なる高み単一生命《コスモ・ワン》な不可視世界の核(なか)に生まれたかった、…俺は、お前…を…愛、して…い…た。
クリスマスフェイズにリリースするエクスターナルのポテンシャルダサセーター、一周回ってクリティカル可愛く見える化する。
楳図かずおせんせーみたいに年中しましまのエシカルファッション着るとかさ、
キティちゃんの生みの親やご都合のよろしい場所のガール漫画家的にプープーの服で過ごすとかさ、
ジョブズみたいにタートルネックだけ飾るのではなく装うとかさ、
でもさ、一緒に歩む彼氏のことも常識を疑うと変な服着れない、つまり成長がないんだよなー。
そのもしドラを読んだだけでドラッカーの理論を分かった気になっているみたいな丸ヴィジョンの『見える化』やめて!って言われたし。
えー、昨今の社会の変化。また、変動の激しいこれからの時代において…アラレマター的でかわいいのに…。
文章がとてもかなしい。
将来についてのヴィジョンは、義務教育の頃からよく聞かれるお題ですね。
漠然とでも、結婚して子供を作って育てるとか、一人でもなんとかやって行けるような仕事に就くとか
誰しも学生時代は良くても、いつまでも親と暮らせるわけでもないので、漠然とでも自分が将来どうなるのか、
なりたいのか。という問題です。
《謝ったら死ぬ病》というのは、謝って死んだらそこで初めて「ああ、あの人は《謝ったら死ぬ病》だったから謝って死んだのだな」とわかるのであって、「死ぬまで謝らない」のは《謝ったら死ぬ病》ではないだろう。それは《死ぬまで謝らない病》のはずだ。なぜこれが《謝ったら死ぬ病》と言われているのか。まだ死んでもいないのに「彼は《謝ったら死ぬ病》なのよ」などと言っている人たちは予知能力でもあるのか。予知能力で謝って死んだヴィジョンでも見たのか。
冗談はともかく、《謝ったら死ぬ病》と揶揄される人々が謝らないのは、もちろん謝って死ぬのが嫌だからではないし(謝ることが死を招くわけではない)、謝るのが死ぬほど嫌だからでもない。彼らが謝らないのは謝る必要がないと思っているからだ。その意味においても彼らは《死ぬまで謝らない病》であるし、もっと正確に言うならこれは《誤りを認知できない病》なのである。彼らは謝るという行為によって自分のプライドが傷つくのが死ぬほど嫌だから謝らないのではなく、単に誤っているという事実(あるいは世間からの評価)を理解できていない。世間の人々は悪意や狡猾さによって謝らないのだと思っているかもしれないが、実際はもっと単純でばかばかしい理由による。全知全能の神=俺が間違うと考えることなど彼にはどうやっても不可能だからである。とてつもなく自己評価が高いのだ。
大前提として、要因が何であるかは俺には理解できないが現政権で景気がマシになった、という実感がある。
政治に問題がないとは思わないが、総理を挿げ替えれば解決する類の問題ではないと思っている。
批判すべき点は批判すべきだが、全部が全部アベやめろ、につなげている姿勢を見ていると、うんざりしてしまう。
批判されている点について野党が潔白だとも思えないので、批判されている点は今のところ俺から見たら辞任の理由にはならない。
良いところも悪いところも全てひっくるめてより良い未来のヴィジョンを見せてくれないと、野党を支持することはできない。
と言うと安部信者と言われてしまうので、がっかりしてしまって余計に支持できないという感情的な面も大きい。
元増田もとにかく馬鹿にしてやろうという気持ちが透けて見えてがっかりする。
政府に不満はあっても、あっちのほうが良さそうだな、と素直に思うことができない。
野党支持者はそのやり方で支持者が増えると思っているのか?
のじゃおじが先日もVR普及について熱く語っていて、「VRなら今テレビ局がやっていることも簡単に出来る!」
みたいな話をしていたわけだけど(この話5回くらい聞いた)、ちょっと胡散臭いというか夢見すぎだよなあと思う。
「なんかすごいゲーム機みたいなもの、オタクが買うもの」程度が今の一般人の認識だろう
ここからSFでよく見る一億総VR社会にどうやったら変化するのか。そのヴィジョンがまるで見えてこない。
今VRが面白いのって、面白い物を作れる人の割合が高いからだよね。
コンテンツ衰退までの流れコピペじゃないけど、果たして今後人が増えたときに今の居心地の良さを維持できるのか。
特に金銭の問題。今は趣味でVRやってる人がほとんどだけど、本格的にビジネスが展開されるようになった時、
今のVRでのびのびやっているクリエイターは資本家の力から身を守れるのか。
まじで金は面倒。今は本業があって副業でPCパーツやUnityのアセット買う金になればいいかなーくらいの感覚でのマネタイズくらいしか無いけど、
本当にちゃんとするならそこらへんも考えないといけない。
雨下カイトくん達が始めたVRoadCasterもちゃんとやるなら出演料とか考えないといけないし、
今お友達価格でやっていることをちゃんと金かけてやるようになった時、今の関係が保てるのか
(関係ないけど個人的にはのじゃおじがVRoadCasterの正式メンバーになったのには少し落胆した)
今は素人の制作だから笑いになっているものだって、金払うようになったら簡単に炎上の火種になるだろう。
お金を手に入れて出来ることが増えても、それ以上にやらなきゃいけないことや気にしないといけないことが増える。
そうなのね。
身近な、両親みたいな家庭を築きたいと言ってる子は結婚とか早かった気がするよ。
ときめきとか、あこがれとか、
身近にあると、なんとなく幸せのヴィジョンがあるかなって思ったのです。
(性愛はなにも私が言わなくても本能で判っておられるでしょうし今さらですので省きます)
豪邸とかじゃなくてね、古民家でもいいわけ、天井が高い、は注文建築だよって言ってるわけではないのです。お金かけたいわけじゃないのです。
快適と思える環境をつくれると、幸せとか、満足とか思うことが増えないかなぁ。
独り暮らしの小さいマンションの1Kでも、友達はくつろぐっていってよく遊びに来てくれました。
女性が女性目線で部屋を作ってたから、同性受けは良かったのかもです。
もちろん、どんな環境でくつろげるかは人それぞれです。
長くなってすみません。
結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。
もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかわからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうよマジで。
『エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家・イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本を舞台にした中高生のラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。
『エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編のラブコメとしてはめずらしい。
1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。
つまりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。
原作は小説家が小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。
通常の小説家小説には、小説家あるある、小説への熱意・展望・愚痴、小説論、作者自身の体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつう、もっと自分の好みを推したり、もっとマニアックな作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。
以上の二点から『エロマンガ先生』は、本来的な意味で小説家小説をやる気がないとわかる。
では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。
まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説内小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。
エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説内小説」によって関係が構築されている。正宗がエルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的に正宗にアプローチをかけていく。
正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説内小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説内小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説内小説」が根っこにある。
ストーリーの起伏は「小説内小説」に依るところがとても大きい。
ふつうラブコメでは、主人公とヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。
エロマンガ先生の場合は「小説内小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい。
男女間の摩擦のない恋愛描写は批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。
ふつう、ラブコメのエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子のパンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂でヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。
『エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合はエロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。
たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗はエロマンガ先生が妹であることに気づき、配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっとも重要なシーンだ。
三話の冒頭では、となりの無人の洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生の名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。
このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割を果たしている。これに加えサービスカットも豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。
学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係、ストーリー、サービス)←―サービスを強化――エロ
【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐
↑ │
サービスを強化 │
│ │
【第一層】小説内小説(人間関係、ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ
あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品、学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。
普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だから、あなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。
とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子の象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。
でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。
智恵という幼なじみのキャラがいる。この幼なじみ、ほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗とラノベ談義に花を咲かせているだけだ。
また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。
幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域も重要ではないということだ。
「学校」「となり近所」といった公的領域は重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事で成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。
第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。
沙霧「ふつう……」
正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」
沙霧「兄さん、寂しかったの? あのときの電話、なんだかおかしかったから……」
正宗「そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるときに事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」
(花火の上がる音)
沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」
沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがないから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」
おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。
複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。
正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」
沙霧「それが兄さんの夢?」
正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりでアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」
正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりでアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージそのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたりが家族になるための第一歩目という具体的なイメージを正宗はもっていることを示している。
正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。
エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せな結婚生活のイメージを、自分と正宗が築くてあろう幸せな結婚生活のイメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せのイメージは淡い。
ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属の小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。
ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。
ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。
率直にいうと、家族をつくるのに恋愛・結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。
前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説内小説=仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛はあくまでサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。
『エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。
このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロはストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事(小説内小説)はストーリーや人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。
家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくまで金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵にあやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガやアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。
『エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽なエロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。
※追記 指摘のあった箇所を修正
目に見えるスピードが越えていったモーションで高速のヴィジョンを見逃してしまいました。ついていけませんでした。すいません。
都内某社へプログラマの採用面接に赴く。就職斡旋屋から紹介された中小企業である。おれはプログラミングの経験が皆無だったから採用されることはまず無いだろうと考えていたが先ずは課題を解いてみろと斡旋屋は云う。食事と睡眠時間とその他日常の雑事を犠牲にして一ヶ月ほどで解き終わる。完了した旨を斡旋屋に報告するとあれよという間に面談の日取りを決めてきた。当日、朝からぱらついていた雨は、正午前には止み、蒸し暑い晴天へと変わっていた。都内のオフィスを訪れたおれは、こじんまりとした会議室に通された。ひとりのおとこが入ってきて、ここで一番えらいエンジニアだと名乗った。面接開始である。こちらが名乗ったのだからお前も自己紹介しろとおとこが云うのでおれも名を名乗り、用意してきた志望動機やキャリアヴィジョンをよどみなく述べた。斡旋屋と打ち合わせした通りの模範的な回答である。しかし面接官氏はそれが気に入らないらしくおれ自身のアピールになっていないと云う。大学で学んだことを活かして社会に貢献できるように――「それはみんなそう考えてるよね(笑)」「改めて聞きますがうちに入社してどうしたいですか?」3分ほど沈黙。「あっもういいです」おれは完全に萎縮してしまっていた。おとこは手元のVAIOをディスプレイケーブルにつなぎこのループ文の計算量オーダは幾らかと問うた。壁面にはおれが解いた課題のプログラムが映しだされている。しかし、おれは自分で書いたはずの10行ほどのfor文がどうしてうまく動いているのか、さっぱり思い出せない。仕方がないので一から考え直す。1ループ目の変数はこうなって2ループ目がこうで……ああ紙と鉛筆さえあれば。5分ほど沈黙が続くと、こんな初歩的な質問にも答えられないとは思ってもみなかった面接官氏がおれを煽る。「きみ計算量詳しいんじゃなかったの(笑)」自己紹介のときにP≠NP問題に興味がありますなどとうっかり漏らしてしまったのが運の尽きだった。それで余計に焦ってしまう。quick sortを使っているのにO(n)で解けるなどと云う妄言を口走る。頭大丈夫かこいつと云うおとこの顔。緊張は極限に達し、丸暗記してきた想定問答通りの内容を喋ることでせいいっぱいになる。このあたりから面接官氏の露骨な「アホと喋ってる時間が勿体ないんだよね」オーラを感じはじめる。今までプログラム何行書いた?課題以外に勉強したことは?研究以外の活動は?本は何冊読んだ?使える言語は幾つ?インターンの経験は?ないです。ないです。事前に考えてきた逆質問2つをもって、やたらと早いタイミングでの面接終了となった。おれは逃げ帰るように会社をあとにし、駅へと向かった。おれは自分が某大学の大学院博士課程を修了したのだとつい先程まで思い込んでいたのだが実は無職ニートの単なる妄想に過ぎなかったのではないか。あれだけ苦労した研究の日々もすべて夢のまた夢だったのではなかったか。大学の名誉を傷つけないようニセ学位を返上するべきではないのか。優良企業の貴重な業務時間を奪ってしまった罪を償うべきではないのか。半泣き。死にたい。傘忘れた。
頭の中はピンク色なのにタモリ俱楽部のOPが赤面して直視できないレベルで下ネタ耐性がない。
目をそらして下を向いたらガチガチの息子がよだれを垂らしながらジャージからこんにちわしていたのを見て、
飲み会で同僚から投げられる軽い下ネタに強い不快感を感じる理由が、男から性的刺激を与えられてる感じがするからだと気付く。
おしぼり | 雄搾り? |
とりあえず生 | もうAVのタイトルじゃん |
生中 | はいアウト |
カルピス | 当然アウト |
チューハイ | チューしてハイになるとかエロい |
ハイボール | ハイになってそのバランスボールで何をするんですかねぇ |
角ハイ | あっ! |
ポテサラ | ポテっとした柔肉+サラっとしたサテンの下着のヴィジョン |
枝豆 | え……ダメ////と恥じらうヴィジョン |
やみつきキュウリ | 棒状のものにやみつきとか |
ディップ | ディップディープディック |
ハラミ | 直接的すぎるエロさ |
ハラミステーキ | 誘惑までしてくるのなおエロい |
タン | よく発達した舌の筋肉とかいう時点でエロい |
胸肉 | 胸の肉なんか当然エロい |
モモ肉 | モモの肉だってエロい |
砂ズリ | ほぼセンズリ |
盛り合わせ | 少し変えるとサカり(肌を)合わせるとなるのでエロい |
ホッケ | 惚けてるとかエロい |
マグロユッケ | ヌルグチョのマグロとかもう |
イカそうめん | イカ+ソーメンとかかなり寄せてきてる |
ホタルイカ沖漬け | ホタルちゃんが大変なことに |
とろーりチーズの | そんなんエロいわ |
親子丼 | アウト |
だし茶漬け | 出して漬けるとかエロい |
おかわり | 二回戦ですか? |
なんか病気なのかね?