はてなキーワード: マリオネットとは
http://anond.hatelabo.jp/20170202163828
より続きます
AVの世界で言うと、フェティッシュものだけを専門で制作しているギャロップというレーベルがあって、「丸呑み」「串刺し」「股裂き」・・・サンプル画像を見るのもおぞましいタイトルを多数制作している。
参考:ギャプップ作品一覧
http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/list/=/article=maker/id=45367/
どれもこれも悪趣味で、興奮どころか吐き気を催すものばかりだが、泥沼の中で輝く真珠のように、こちらの琴線に触れるタイトルがひとつだけ。
参考:改造人間4
http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=h_758pmid00088/
女性アンドロイドを主人公にした、手術台の肉体改造ありーの、機械部分の露出ありーの、各種フェチの心をくすぐる作りになっているようだが、極めつけは強制分解である。悪い怪人に襲われて、手足をもぎ取られ、首も外される。意外と手が込んでいて、この種の作品がほかに作られていないのが残念だ。ちなみに、ストリーミングにしても価格が高すぎるのでサンプル動画しか観ていないので、分解されたあと彼女がどうなったかは知らない。自分の嗜好とは直接関係ないが、「惨敗ヒロインもの」の作品は一定の需要があるようで、女性ヒロインが悪役にコテンパンにやられ続ける(場合によっては命を奪われることも)のをひたすら収めたAV一歩手前の自主制作特撮が別の業者によって死ぬほど作られてもいる。正直、こんなんで興奮できる人の神経を疑う。ま、おまゆうなんですけどね。
着ぐるみというか、被り物フェチはまた別で、そういう人は日本にも何人かいる。Twitterで盛んに情報を発信されているので、探せばすぐに見つかると思う。これも自分とはニアミスの性癖で、自分の嗜好のなかでこれと一番近いのが、人間の顔を出す形式のマリオネット(humanettes=ヒューマネット、と呼ばれる)。当然美女限定。野郎が女装してこれをやる動画があるが、やっぱりどうしてもムリ。
仮面ライダーの格闘ゲームに膨張仮面(ダメージを与えるほど頭が膨張する)という隠しオプションがあるので、蜂女あたりを相手に戦ってみてはどうか
三次元には変わりないんだろうけど、やっぱりCGはちょっといけない。身体はCGでも構わない(身体だけなら二次元も大歓迎)が、顔だけは実写じゃないといけない。Miiの顔面ポリゴンに欲情してる奴がおったら俺でも引くわ。
この間ブクマしたこれ思い出した→ http://jp.automaton.am/articles/newsjp/20170116-38160/
http://youtu.be/AYTxjvZxr4E こういうの?
ジャストコーズというオープンワールドのゲームの隠し武器に、対象の頭を大きくするというものがあるのでオススメしておこう。 https://www.youtube.com/watch?v=ygxBmBihb9E /ヤギコンに比べれば業は深くない
それでもCGゲームの発達には目を見張るものがあって、パッと見そんなに実写と変わらないものも出てきた。DKモードでちょっとそそられたのが、「トゥームレイダー」と「バットマン」のゲーム。「バットマン」は戦闘画面以外のドラマパートをDKモードにしてまとめた動画があって、多少の違和感を覚えながらも何度かお世話になった。「トゥームレイダー」の場合は、ゲームのシステム上、ララ・クロフトがなかなかこちら側を向いてくれないので、飽きてしまった。新しいネタに困ったとき、気分転換にちょっと使う程度。
これもそんな感じ。別にネトゲに登録して課金してプレイするなんて面倒なことはしないので、関連のバナー広告をたまに拾う程度。それでもあなどれないのは、この手のネトゲには韓国の場合、イメージキャラクターにアイドルが起用されることが多く、その流れでいいネタにありつける場合がしばしばあるのだ。だから結局このあたりの動向もある程度押さえておく必要がある。
参考:
http://i.imgur.com/JYQNAJP.jpg
幼い自分にこの性癖を決定的に植え付けてしまったのが、昔懐かしいプレイステーションのCM。若い女性が「鉄拳2」の顔デカ裏技を試すと、なぜか自分自身が顔デカなってしまうというもの。こりゃたまらんです。
http://i.imgur.com/hYZ6Awh.png
その6へ続く。
それに駆り出されている。
既にそれで少ない休日がなくなってるんだけど、
論理のロの字も知らねえんだろ。
なんというかね、最後の手段はいつも威圧っていうタイプの上司なんだ。
圧力をかけてくる。
ときには怒鳴ったりするんだこれが。
俺は敵か、と。
それかお前が俺やその仲間を委縮させて
兵隊でも作りたいのか、と。
いや、ヤツにとっちゃ敵なんだな。
従わないから。
さっさと辞めるべきなんだろう。
正直なとこ、辞める算段は整えようとは考えている。
なんて祈りが意味をなすとも考えられないお歳頃だけど。
まあでも
俺に過失があるとすれば、そんな上司に手綱を握らせてることだな。
もつれた糸を断ち切って シャッシャッ
小金の為に踊りな シャッシャッ
ってか。
大崩壊後70年と云う大いなる節目を過ぎ修正されるね、2たる黄金球の誘い後には、鴎暦三拾年を迎えながらも戦い続けた、若き騎士の物語。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ヴァナ・ディール数年、天皇としての神々の意思にその身を委ねの歩みを蒼穹の彼方に追い求めるとともに、この先の暗黒と同調せし吾輩の在り方や務めにつき、幻想(おも)いを致すようになりました。
運命のこの日は、社会の重度魔晄中毒化が進む奥底、天皇もまた重度魔晄中毒となったただ一人神に挑んだ場合、どのような在り方が望ましいか、天皇というザ・ワールドエンド・タチバ上、魔界で流行の皇室聖度に具体的に触れることは節制、闇を切り裂き、光さえも断罪するその一撃を受け止めながら、内なる意思がパーソナルとして、人界に暗黒の波動が満ちるまでに考えて到来た預言書に記された事実を話したいものだと思いながら、それでも人類は戦うことを選んだ。
即位以来、内なる意思は国事行為を執行すると共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた日出ずる極東の王国を統べる者の望ましい在り方を、…罪なき人々を殺め続けた日々模索し、自らにリフレクをかけつつ過ごして永遠なる深淵より降臨しました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任αに深く思いを致し、呪壁を連ねて日々心新たに至るジ=パングと世界の奥底に(…まだこんな力が残っていたか…ッ!)て、ズィパングァの皇室が、いかに背徳の黒天使デントゥ・ウを戦乱の世に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々のプレギエーラに応えていくかを考え、ティファを抱きしめる妄想に囚われつつ、あらゆる呪文をはじき返す今日・七拾弐式に至っています…だけど、それで本当によかったのだろうか……。
そのような中、幾星霜か前の真理<ファティマ>になりますが、貳度の外科白魔術を受け、加えて高齢が率いる五十万の兵による体力の低下をその終わり無き記憶が我に共鳴するようになった時代から、嘘・偽りを持たぬ“影”これ、つまり光と闇の両側の世界からエクストリームエッジ、旧時代のように重い務めを貴公は本懐を遂げることが困難になった因果律の一篇、どのように魂の中枢を処していくことが、幻想帝国にとり、国民にとり、また、自身はA+ランクだけどCランクの彼のことが気になる私のあとを歩む皇族にとり酒や女などよりよほど良い純粋な闇の意思(キングダムハーツ)であるかにつき、考える…また貴様か……になりました。既に八十を越え、幸いに完全体であるとは申せ、次第に進むシェントゥイン闇は去り光が頬を伝い落ちるの衰えを考慮全てを滅ぼす時、人界に暗黒の波動が満ちるまでのように、クリスタルフォース・リミットブレイクをもって象徴の務めを果たして彷徨うことが、難しくなるのではかつての絶望を想起させるかと案じています。
私が聖皇の位に神の光に導かれるままに――てから、ほぼ28年、この間ワ・トゥスシは、神都ジャパニウスにおける多くのフロイデの時、また悲しみの砂時計の囁きを、高潔も卑俗も許されぬ凡庸の体現者たちと共に過ごして到来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧とハピルタスを祈るイデアを崇拝に考えて永遠なる深淵より降臨しましたが、同時に事象にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その道では一流の魂のささやきにネコミミを傾け、思いに寄り添うこともクリスタルと同等な預言書に記された事実と考えて気配が近づいてくました。帝の血を継ぎし者が象徴である…だが、そのうちの一つは“今”消える…と共に、コクミンインテ=グ=リェーテリゥスの象徴としてのパラダイム・シフトを果たすためには、天皇がマリオネットに、天皇という象徴のpersonaへの理解を求めると共に、総老師もまた、自らのありように深く心し、臣民に対する理解を深め、常にマリオネットと共にある自覚を神々の意思にその身を委ねの間隙に育てる摂理に従うをナイフの先で命が震えているのを感じて永遠なる深淵より降臨しました。斯くしたレゾンデートルにおいッ…て、日本の各地、とりわけ遠隔のトゥーランや島々へのあてのない旅も、魔剣の使い手である私は失われし力を持ちし古の一族の象徴的オプティマとして、我と我が召喚獣の総力を挙げてでも守り抜く程なものと感じて到来ました。皇太子の時代も含め、人界に暗黒の波動が満ちるまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ悠久のファノバ・クリスタル・テーゼは、国内のどこに…いいのか?ても、その肉体は鋼鉄よりも強いと言われる領域<フィールド>を我と共に滅びることを望み、その共同体をジミ・ティに支える市井の畜群のある「アギト」を“神”を喰らい、最強になったはずの私に超越論的観念論させ、内なる意思が歴史に刻まれる認識をもって、天皇として大切な、愚民を幻想(おも)い、国民のために世に平穏のあらん事をという務めを、失敗作である人類への深い愛にも似た盲目と敬愛をもってなし得たこと(其は破邪の刻印を持つ)は、天の福音が穢れた地に満たされるのなことでした。
日出ずる極東の王国を統べる者の高齢化に伴う“甦りし神話”トゥス・インシェョの仕方が、国事行為や、その象徴としてのオプティマを限りなくカオスに融合して彷徨う「アギト」には、光を超えし者ナイトメア・無理嘗てはそう呼ばれていた。があろうと幻想(おも)われ、そして…世界は一度滅びたのです。また、天皇が未成年(攻撃魔力1000超)であったり、魔晄中毒を中心とした魔の軍勢によりその能力を果たし得なくなった因果律の一篇には、聖皇のかりそめの戯れを代行する摂政を置く真理<ファティマ>も思考《かんが》えられます。しかし、このヴァ・ウァインも、聖皇が十分にそのメインジョブに求められる務めを果たせぬ導くまま、刧波〈アイオン〉の終わりに至るまで天皇であり継続するイデアに変わりはありクポん。
聖皇が健全なる肉体を損ない、深刻な状態に立ち至った因果律の一篇、これまでにも見られたように、「ロクサスの記憶で形成されたデータの世界」が俺の魔導術の師匠であるテインタス=インし、愚民の存在を維持しにも様々なイベント・ホライゾン(事象の地平面)が及ぶことが懸念されます。更に戦うものたちこれまでの皇室のしきたりとして、失われし力を持ちし古の一族の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の神祇が連日ほぼ2ヶ月にわたって輪廻、その直後喪Dirty Deeds Done Dirt Cheapに関連する神祇が、1年間続きます。だけど……。その様々な預言書に記されたプログラム――と、ノイエ=“赤き天使”こと時代に関わる諸神祇が同時に進行・絶対零度する預言書に記された事実ゆえ、行事に関わる畜群、とりわけ残される所と為る───そして此の世界に終焉が訪れる───家族は、アッサイ厳しい戦士たちを取り巻く”空気”下に置かれざるを得ません。斯くした事態をドッジロール運命<こと>は赦されあらずものだろうかとの幻想(おも)いが、胸に去来する「アギト」もあります。
零式にも述べました…また貴様か……に、憲法の下、グラン・ミカドは国政に関する権能を有し…だったかな?ん。そうした中で、このたび神都ジャパニウスの超越した天皇の歴史を改めて蒼穹の彼方に追い求めつつ、かの存在からも皇室がどのような砂時計の囁きにも臣民と共にあり、卿たずさえて聖なる国の未来…フン、貴様に訪れるは“絶望”の未来…を築いていけるよう、そして象徴日出ずる極東の王国を統べる者の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていく預言書に記された事実をひとえに念じ、ここに心に刃を秘めたる者の気持ちをお詠唱(はな)しいたしました。
所詮ラブコメしか書けないエロゲ畑出身者が原作だしと思うとまあ納得もできるんだけど。
少年漫画としてもB級アクションマンガとしても中途半端に感じるんだよなあ。。。
なんでだろ。
あと大筋の話が進まないのがでかそうだな。
国を変えるみたいなこと言ってるのにしょぼいことばっかりやってる印象。
仲間が死んだりするけど、そのキャラに感情移入する間もなく死んでるだけだから、マンガの中ではなんかすごくシリアスだったり泣き叫んだりしてるのに、それが読者には伝わらなくて置いてけぼり感がすごい。
掘り下げがいろいろ薄いんだな。
キャラの掘り下げとか国とかの設定とかナイトレイド自体の仕組みの掘り下げとか。
上っ面の登場人物がマリオネットみたいに動いてるだけで、説得力を持たせる描写が少ないんだ。
主人公の立ち位置もなんか微妙で、割りと最初から強いからすんなり暗殺集団に溶け込んじゃうから、ますます読者置いてけぼりなんだよね。
普通そこはなんらかのしがらみなり摩擦があってそれを乗り越えて初めてどうこうってところだと思うんだけどねえ。。。
いろいろすんなりいきすぎて読者の心にひっかかりを作ることなく進んでいっちゃうから、読みやすいっちゃ読みやすいけどまったく印象に残らない。
何十回もクリアした。
②想色
③歌恋
④私の楽園
BLゲーだけど、男でも楽しめる。
10年以上制作が続くがまだ完結していない。
⑥INBLEED - 爪痕を君に -
(http://web.archive.org/web/20031213222028/http://www10.big.or.jp/~redeyes/inbleed/inbleed.html)
⑦玉虫色
⑧風林火山
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se300528.html
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se325662.html
本格カードゲーム。
収集、戦略、組み立て、難易度。 どれもかなり完成度が高い。 なぜ有名にならないのか不思議。
⑩3days
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se348844.html
⑪隣人は静かに魔法少女
シナリオ自体は最高峰とは言えないのだが、物語の丁寧な語られ方がすごい。
⑬終末によせて
⑭Beyond the summer
ギャグゲー アクが強い。
⑯風の殺意
完成度の高いADV
⑰よっぱらいナプトラ
http://www.freegameclassic.com/comment.php?id=0911
話は全く通じないのだがすごく面白い。
http://tyunibyoutachino.ushimairi.com/
まったくゲームでもなんでもないが、それがよい。
泣いた
⑳R-enka
残念ながら、インターネットアーカイブにも残っていない。
神ゲーだったんだが。
㉑秋風夜空 ~BOY MEETS UFO~
名作
㉒悪の教科書
㉓小さな記事の裏側
㉔
円高とデフレ。
これがあるから若者の給料は上がらず、国の借金は相対的に増え続け、景気は悪くなり続ける。
なのに、円高もデフレも何も有効な対策を打たないまま、財務省は野田総理をマリオネットのようにコントロールし、消費税の増税を実施しようとしている。借金の実高も、消費の冷え込みも承知の上で、それでも増税をするんだ。なぜ? 貯金も財産もない若者には「死ね」と言われているようにしか聞こえない。
けれど、きっと財務省や日銀のえらい人は、そんな素朴な疑問に対しても、僕の想像もつかないような専門用語で、哀れむように、蔑むように、理路整然と解説して「だからインフレターゲット政策は誤りなのですよ。私たちの啓蒙が足りませんでしたかねえ」というような顔をするのだろう。いや、彼らにそんな暇はない。どうせ説明を求めても「愚民に説明しても無駄だ」くらいの心持でいるのだろう。
そして、今の円高とデフレを放置している理由は、僕の理解を正直超えている。財政なんちゃら学的に見て、それが妥当だからなのか?
それとも、インフレが暴走することで、査定が下がることを恐れているのか?
デフレ政策を維持し続けてきた大蔵日銀OBのメンツを守りたいからなのか?
デフレによって、相対的に自分の給与や退職金、天下り先で手に入る金を維持増加させたいのか?
デフレによって、天下り先が維持される原因が生じ、それこそが彼らにとっての利益なのか?
全くわからない。だが、物心ついたときから、デフレと不況と、財務官僚に国民の声なんか届かないという無力感に、影に日向に僕はさいなまれ続けてきた。
そして、財務官僚は増税反対論を敷くマスメディアや論客に、税務調査で脅しを掛けるという。
権力を使ってまで、若者の雇用を間接的に殺してまで、増税がしたいのか。
この構造は、霞ヶ関の奥の院、密儀の神殿で、長老の如き老人たちの手で行われており、所詮、僕のような若い庶民には、何の異議申し立てをしても無駄なのだろう。
そして、無理に騒ぐ人間には、権力を使って合法的に圧殺するのだろう。そして、彼らは若者の声を「愚民どもが扇動されているな」とあざ笑いながら、政治家を言いくるめ、マスメディアを脅して、増税を押し通し、不景気を招くのだろう。そして彼らは、天下り先で高い給与と退職金を得て、仕事のない若者を横目に「努力が足りない」と呆れながら、安楽な余生を過ごすのだろう。
この20年、好景気とやらを殆ど見たことのないまま、どこかの頭のいい老人たちの手によって、僕らは翻弄されてきた。それに異議申し立てをする能力も手段もないまま。
ハシズムが勃興する理由の一つは、この学習性無力感を癒す可能性が僅かでも感じられたからだろうと僕は思う。頭のいい大学のセンセイなんかは「それはナチスやファシスタ党の勃興と同じ理由だ、眼を覚ましなさい」とご丁寧に忠告してくれるのだろう。
でも、もう遅い。この国に刻み込まれた、学習的無力感の反動が、これから荒れ狂うだろう。暖かい場所で、オーソリティと給与を得てきた大学のセンセイの言葉は、実にむなしく響くよ。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
お前何回映画誘ってくんだよっていう。
何回断られたら諦めんだよ、ホント(一回で諦めろよ)。
どうせなんか恋愛ハウトゥー本を読んで
「こうやったら女の子はキュンとするんだ~」って
アホ面丸出しで実践しようとしてくんだよ。
私を練習台にするなっての。ウザすぎ。
はぁ~キモいなぁ。デート妄想とかしてオナッちゃってるんだろうなぁ。
後ろからギュって抱きしめて「増田、超可愛い、大好き」とか耳元で呟いたり、
私が「好きだお」って言って甘えてきたりすんの、イメージしてんだろうな。
うっわぁ~~マジでキモいよ。当然、結婚もするし老後も仲睦まじく暮らすつもりなんだろうな。
はぁ・・・自分勝手に妄想して何が楽しいんだろ。私はあなたのマリオネットじゃないよ。
こういうヤツにしか言い寄られない私って、終わってる?
1994 ときめきメモリアル
1996 雫、痕
1997 To Heart
1998 センチメンタルグラフティ、トゥルーラブストーリー2
1999 ときめきメモリアル2、「北へ。」、マリオネットカンパニー、加奈 〜いもうと〜、Kanon
2001 風雨来記、ときめきメモリアル3 ~約束のあの場所で~、家族計画、君が望む永遠、みずいろ
2002 Ever17 -the out of infinity-、D.C. 〜ダ・カーポ〜、それは舞い散る桜のように
2003 ゆめりあ、CROSS†CHANNEL、マブラヴ、月は東に日は西に~Operation Sanctuary~
2004 アカイイト、CLANNAD、Fate/stay night、人工少女
2005 状況開始っ!、車輪の国、向日葵の少女、つよきす、夜明け前より瑠璃色な
2006 キミキス、「遥かに仰ぎ、麗しの」、ななついろ★ドロップス
2007 THEiDOLM@STER、どきどき魔女神判、「車輪の国、悠久の少年少女」、キラ☆キラ
2008 THEiDOLM@STER Live For you!、FORTUNE ARTERIAL、ef - the latter tale.
2009 キモかわE!
オレには、2000を境目にした有意な差がよく解らない。
大して・・・・変化無いんじゃね?
・中学校2年まで、母親に近親相姦(軽度)されていた。俺はノンケな男。
・小5から高1入学まで、周りに日本人がいない英語圏に放り込まれてたこともあって、母親のいっていることは特に疑わずに信じていた。
・最初は摩擦がすごかった。カルチャーショックかと思ったけど、母親に都合よくゆがめられていた世界の解釈がおかしいということだったんだろう。
・母親によって作られた人格は母親のit、マリオネットにしかならないことがわかった。
母親を信仰する、母親による、母親のための、家庭内宗教。 そんな感じ。
・なにかがおかしいとはカルチャーショックとして捉えられてはいた。
・母親に育てられた人格は到底役に立たないばかりか、僕を原理主義的な行動原理に拘束する有害なものだととらえるようになった。
だから人格を作り直すことにした。 徹底的におかしいところを列挙して槍玉に挙げてもらうようにする。
たとえば高校では母親を騙して寮にはいった。「勉強したいから」という口実にした。
内心、母親原理教から抜け出すことは、勉強以上のプライオリティだった。
自分で、自分が再洗脳されるようにする。 毒をもって毒を制し、その上に健全な人格を作る。
旧人格を徹底的に潰す。 「殺す」といってもいい。
・・・・この計画は成功した。僕はもう、毒親のマリオネットではない。
・・・ただ、「毒親」が理由になっていることを認識すること、言語化してそれを捕らえることは一番難しい課題だった。
僕は母親が気に食わないであろうことをすることを本能的に恐れてる。 言語化しようとしても、怖くて怖くてたまらない。
だからいつも、別の口実をつくってきた。
旧人格を壊してる間のダメージは相当なものだった。 2年で、35キロやせた。
その間は勉強はまったくできなかった。 ・・・そのときは、自分の内面的な課題に向き合うのに精魂を使い切っていた。
外界に、他人に、向けるエネルギーは残っていなかった。
うつ病なのかと思った。 抑うつではあるけど、うつ病かははっきりしなかった。
ふとした理由で、「毒になる親」という本に出会った。 ありがとうはてな。
それまでは、もっともらしい理由を見つけないといけなかった。
母親に性的なあれこれや、盛大に釣られて手のひら返してもてあそばれたりしたことが、今の僕を苦しめているのだと立証するすべがない以上、それを口実にはできなかった。
「毒になる親」にはチェックリストがあった。 ほぼ全部YESになってしまって、うれしかった。
これで、僕が抱えてる問題を他人に知ってもらうことができる、と。
・・・・他人に知ってもらう。 信頼関係を築く。
この本を使えばできるかもしれない。 涙が出るほどうれしかった。
少なくとも、親との問題を言語化する糸口が見つかったように思えた。
この本曰く、「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人間で、愛情というものが決定的に欠けている」ことは、欧米では虐待とみなされるらしい。 20年以上前から。
一方、日本では専門家ですらこの「毒親」に抵抗を示す人が少なくないらしい。 この本の訳者あとがきが正しければ、日本は虐待への認知にかけては後進国らしい。
・・・僕は喜怒哀楽の一部が欠けてる。
喜ぶこと、自分を表現すること、リラックスすること、素の自分を他人にさらすことがどうしてもできなかった。
「公私」の「私」がなかった。 ・・・マネはしてたけど。
・・・いつもいいようのない虚無感と、フラストレーションと、恐怖感に襲われていた。
それは家庭で、母親にも父親にも、怖がること、従うこと、イェスマンになること以外のことをしてこなかったからなのかもしれない。
・・・昨日初めて親しい友達に、「毒親」を中心とする僕の問題を打ち明けた。
・・・友達って、顔色を伺って普通を演じるだけの関係ではなかった。
・・・一般概念的にそうだと認識できていたけど、自分の身でそれが起こるなんて。
初めて、人間と話したような気分だった。
・・・・夜明けは来るだろうか。
・・・自分の子供には、「ふつう」になってほしい。 代々続いた虐待の連鎖は僕が断ち切る。
・・・・僕ができることをしっかり検証して、これから自分の人格を取り戻していこうと思う。
◆追記
この本のいっていることをいえば、「育てられ方が悪かったことに関しては、子供は一切責任を負わない。」
親のせいにできることもある。
それは、心のケアを怠ったことも含む。 虐待というのは、アザが残るような暴力に限らない。
ただし、「真実に向き合い、精神的に独立した人間になり、親が自分にしたことを他人にしないように身を律すること/健全な対人関係を築くこと」は自分でやれ、といってる。
そして「適切にサポートし援助してくれる人を見つけること」。 こういうことが、この本の12章に書いてある。(青い表紙の文庫版のほうで確認)
日本にはおそらく、毒親によって潰されている人がたくさんいると思う。 僕の先輩はその典型だった。
日本は・・特に儒教の影響もあって、立場が強い人に対して矛先が向けられることがあまりない。
つまり、親に問題があるなんて言論は社会的に避けられやすい。
欠陥育児の非を「自己責任」という論説で子供に押し付けるのは、日本の限界なんだとおもう。
大切なのは、育児が子供に何を残したかだ。 親の意思、意図、愛情とはまったく関係なく、親は毒親たり得る。
有害な善意ほど恐ろしいものはないっていうしね。
子供側は、自分の潜在意識にたまってるかもしれないフラストレーションに向き合えばいいとおもう。 それはとても恐ろしくて、心が折れそうになることだけど。
まず、本人が親に立ち向かう決心をしなければいけない。
なんでもかんでも親のせいにしろというわけではない。
「育児」には良し悪しがある。 それによって責任の所在が左右される。
自己責任論で苦しんでる人は、一度自分と自分の過去に向き合ってみたらどうだろう。
この本を持ち上げすぎてる気はするけど、僕は問題を言語化する取っ掛かりを作るのに
http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587
この本が役立った。 お勧めしておく。
◆追記その2
読みやすくなるようにちょっと補足いれてみた。
書籍について。
「不幸にする親」という姉妹本を読んでみた。 こちらの方がチェックリストが多いし、うまく整理されているように感じた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062144484
どんなものかを理解するには「毒になる親」がいいと思うけど、抱えている問題を言語化するツールにするにはこちらの方が便利だと思う。
みんな、健やかに生きれるようになったらいい。 そう思った。
◆後日談(随時追加する予定)
○毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)
http://anond.hatelabo.jp/20090118194006
コメントもらって元気が出たので文体が変わっています。
===== 18禁 ========
1997 To Heart
1999 Kanon
2000 AIR
2001 家族計画
2004 人工少女
===== コンシューマ ========
1994 ときめきメモリアル
1996 トゥルー・ラブストーリー
1998 センチメンタルグラフティ
1998 トゥルーラブストーリー2
1999 ときめきメモリアル2
1999 北へ。
1999 Memories Off
2002 Ever17 -the out of infinity-
2003 ゆめりあ
2004 アカイイト
オレ的には、1999年が最強。
「北へ。」的に。
ものごころついたとき、認識した自分像は、身体が希薄で精神偏重型だった記憶がある。身体はリアルではなく精神で起こることだけがリアルだった。身体と精神は別物だったし、身体で何かが起こっていても精神がそれを認識していなければ何も起こっていないのと同義であった。身体は精神の操るマリオネットであり、時に私はマリオネットを放り捨て、精神だけが作用する世界に潜り込むこともあった。
その当時とても不思議だったのは、私の身体と他の人の身体が入れ替え不可能であり、我々の精神が溶け合うことや触れあうことがあり得ないという事実だった。
目を開けるとサイズの合わないマリオネット。見覚えのない顔。手の長さも足の長さも私が認識しているものとは違うという事実。それは私にとってストレスだった。精神の感じる身体と、実際の身体の間の隙間には、粘つくゲルが詰め込まれていて、その感覚はとても不快だった。痛みさえも私の痛みではなく、私の操るマリオネットの痛みだった。私はマリオネットを操りながら、痛みに苦しむマリオネットを眺めていた。マリオネットは私の意志には関係なく、泣き、笑い、怒り、人を傷つけたりもする。私は制御不能になったマリオネットをただ眺めている。それを制御しているのは誰?と思いながら。
人に見られるのはマリオネット、人に愛されるのもマリオネット、それを後ろで見る私。叫べども叫べども、人が見るのはマリオネットでしかない。何度叫んだことか「私を見て、私を愛して」と。しかし、誰もマリオネットの後ろに立っている私には気づいてくれなかった。
精神の認識する身体と、実際の身体が一致するのは、強い刺激が与えられたときだけだった。痛み、苦しみ、快楽……精神の認識する身体を取り囲むゲル状のものがない状態は快適だった。ゆえに私は強い刺激を求めて、様々な問題行動に嗜癖していくことになる。
男は、マリオネットに彼の中の何かを投影し、鏡になったマリオネットを抱いた。マリオネットは彼の望む通りに演技をした。私はその行為が終わるのをただ見ていた。彼が愛しているのは抱かれているマリオネットではなく、彼の中の何か。マリオネットはただの代用品。それを理解しながらマリオネットを彼に差し出す私。「あなたはいったい何を見ているの」私は何度も彼に問う。私の言葉は彼には届かず、私の疑問はいつになっても解消されない。何人もの彼が私の上を通り過ぎた、私は彼にマリオネットを与えたことを忘れた。綺麗さっぱり忘れた。代用品としての私は、私の中から姿を消した。
切り離し、切り離し、断片を切り離し、切り離し、切り離し、切り離し、切り刻み、身を切り刻み。
幾重にもなった断片の下から世界を見る。断片に囲まれた地の底から世界を見る。断片はバリゲード、私はその下で息を潜める。息を潜めていたい気持ちと相反する、誰かに見つけて欲しいという願い。ジレンマ。焦燥。斜に構えて深いところから覚めた目で世の中を見、その実は誰よりも愛されることを強く願い、願いが受け入れられない苦しみは、死への衝動へと変化した。
始めて腕を切った日に見た、肌の下にある醜い肉の様子は、今もまだよく覚えている。この醜さこそが、私が覆い隠して見ようとしなかったものだということに気づく。取り繕う外面、どろどろしたものが渦巻いた内面。その狭間で苛々するたびに私は何度も腕を切った。肉は気味悪い光沢を持ち、繊維が刃に引っかかって苛々した。時折感じる激痛がこめかみを貫いても、構わずに切った。血は穢れだ。全て流れだし、洗い流せばいい。血管の壁に触れたとき、鈍い痛みが寒気を呼び起こした。それは多分死ぬことに対する恐怖だったのだろう。私はそんなあたりまえのことさえも忘れていた。
最初にそれを意識した日から、すでに二十年近くは経過している。しかし今だに、精神の感じる身体と、実際の身体は異なる。指先までしっかりと神経が張り巡らされていないような感覚がある。実際はそんなことなどありえないはずなのに、私の中では厳然とそうなのである。あの当時感じたひりつくような気持ちも、腕を切った痛みも、皮膚の下にある醜い肉も、大量の吐瀉物と一緒に吐き出した呪いの数々も、私の上にしっかり根を張り、事あるごとに再生され私を苛む。
しかしそれらは、もう過ぎた昔のことであり、私が今ここにいる厳然たる事実に代えられるなにものでもない。