はてなキーワード: 抑うつとは
テレビを見ているのにその内容を記憶に留められなかったり、後で思い出せないという症状には、いくつかの可能性があります。以下に考えられる要因を挙げますが、詳しくは専門医による診断が必要です。
1. 加齢による影響
加齢に伴う記憶力の低下や集中力の減少が原因となり、記憶に残りにくくなる場合があります。
特に初期のアルツハイマー型認知症や軽度認知障害の症状として、短期記憶の低下が見られることがあります。テレビの内容を覚えられない、または思い出せないことも、初期症状として現れることがあります。
3. 注意力の問題
テレビを見ている際に他のことに気を取られていたり、心が別の場所にあると、記憶に残りにくくなります。特にストレスや不安、抑うつ状態があると注意力が散漫になり、記憶が定着しづらくなります。
4. 睡眠不足
睡眠が十分でないと記憶の定着が妨げられ、テレビの内容を覚えていられなくなることがあります。
ADHDやうつ病などの他の神経学的・心理的要因が関連している場合もあります。
もしこうした症状が続くようであれば、神経内科や心療内科の医師に相談し、必要に応じて記憶や注意力に関する検査を受けるとよいでしょう。
鬱病は中学2年生のころに発症し今も続いているが、明確な原因があって患ったというか、なるべくしてなった。鬱病になる素質が生まれつきあったと言うほうが納得いく。
鬱病は誰にでもなりうる病でるが、なりやすさは人の性質によって異なるだろう。どうやら自分はなりやすい人の中でもかなりピーキーな”生まれつきの鬱病予備軍“だったのであろう。
これに関しては、受け入れるしかない。困るのは自分の性質上、一回発症したら一生付きまとう可能性が高いことだ。実際2〜3年の周期でかなり鬱が悪化し自殺未遂で入院までした。幸い閉鎖病棟の生活は人間関係に恵まれかなり回復して退院できたのは良かった。
むしろかなりスマホもパソコンもなかったのに楽しくて今でも退院のときすごく寂しかったのを覚えている。調子のいい時期は、負の感情に晒されることが少ないとき。
ストレス耐える。これができない。普通以上につらくて感じてしまう。初就職の前職では1週間で鬱病が悪化し、辞職することになった。入社3日目あたりから職場や家、食事のときもまったくリラックスできず、動機と息切れや怒りが収まらず嫌なことがひたすら脳内に、意思に関係なく四六時中反芻される。
抗うつ病薬のおかげで朝だけは無の感情でなんとか出社はできたが、怖すぎて言葉や声を発することができなくなったこともある。
人間の性格は、遺伝、環境、そして偶然や「運」によって複雑に影響されています。以下、各要素がどのように作用するかについて、研究の知見を基に詳しく説明します。
1. 遺伝の影響
• 双子や養子の研究によれば、性格の約30%から50%が遺伝によるものと考えられています 。一卵性双生児は、別々に育てられても似た性格を持つ傾向があり、これは特定の性格特性(例:外向性や神経質傾向など)に遺伝の影響が強いことを示しています。
• 遺伝子の中でも、性格特性と関連が示されているのは、例えばセロトニン受容体の変異です。特に「不安」や「衝動性」に関わるセロトニン関連の遺伝子が、性格に影響を与えるとされています 。
2. 環境の影響
• 性格形成には、家庭環境や教育、社会的経験が重要な役割を果たします。例えば、家庭内での親子関係や兄弟間のやり取り、学校や職場での対人経験などが性格に影響を与えることが知られています。
• 幼少期の環境、特に親の愛情やサポートは、性格に強い影響を及ぼします。愛情豊かな環境で育った子供は、社会的で感情が安定する傾向がある一方、虐待やネグレクトを受けた子供は、不安感や抑うつ傾向を抱えやすいとされています 。
3. 偶然・運の影響
• 一部の研究者は、性格形成における「ランダム環境」の役割を強調しています。ランダム環境とは、出会う人々や偶然の出来事、個人の生涯における特定の経験など、予測不可能な要素を指します。こうしたランダム要素が、性格に予期しない影響を与えることがあります。
• たとえば、同じ遺伝的背景と環境の双子でも、異なる学校に通ったり、異なる友人を持ったりすることで、性格に差異が生まれることがあり、このようなランダムな要素が性格の多様性をもたらすとされています 。
人間の性格は、遺伝と環境が基本的な基盤を形成しつつも、個々の経験や偶然の出来事によって予測できない形に変化していきます。遺伝の影響は比較的大きいですが、環境と偶然の要素も同様に無視できません。人格形成を理解するためには、これらの要因がどのように相互作用するかを探ることが重要です。
っていうか別に今も弱者男性やってるんだけど、ここ2年ほど精神科に通ってカウンセリングを受けるうちに自分の思考の歪みに気づくようになってきた
生きづらさを解消するためのメンタルトレーニングとして、恥ずかしかったり屈辱的だったりする過去の黒歴史を実際に紙に書きながらそれを受容して未来への糧にするためのアドバイスを受ける……みたいな感じのをやっている
最近、トレーニングの一環として俺が弱者男性拗らせていた頃の恥ずかしい恋愛観を紙に書いていた折、これをあえて衆目に晒せばここ最近の弱者男性界隈の考え方の理解になるのではないかと思った
ここのところ、フェミ関連の論争や弱者男性界隈の論争を見るにつけ実は弱者男性の思考の歪みの傾向って一般の人にはそんなに知られていないよなと思う場面が増えた
同情してほしいとか共感してほしいというのではなく、相互理解のための補助線として弱者男性の恋愛観の一類型をお披露目しつつ反省の弁を記しておこうと思う
これはメンタルトレーナーからも言われているので、あえて断言させてもらう
思春期の多感な時期に自己肯定感を育てられず、人とのコミュニケーションに支障が生じた
自己肯定感を育てられないとどうなるか
まぁ色々な方向性の悪影響があるそうだが、俺は他人を心の中で馬鹿にするようになった
当時の俺は例に漏れずオタクであり、アニメ漫画ゲームにハマっていた
で、いじめっ子たちはことあるごとにそれを馬鹿にしてくるわけだ
すり減った自尊心を保つために俺は「こいつらは芸術の素養がない馬鹿だ」「教養がない低能だ」と心の中でそいつらを見下し、逆に自分は教養があふれるがためにかえって大衆からは疎まれる存在になってしまったのだと思うようになった
これが恋愛観にどう作用したかというと、「モテているやつは底の浅い馬鹿ばかり」「俺はそんな底の浅い恋愛ではなく真の恋愛を成し遂げるのだ」と思うようになった
ここでいう真の恋愛とは、
といったものだ
『自分の趣味ではないディズニーに付き合って楽しんだふりをする』
こういうのは真の恋愛ではなく、単なる見栄と性欲のためのゲームだと思っていた
世間一般の皆様がやっているゲームのような恋愛と俺の脳内にある真の恋愛
この二項対立でものを考えるようになるので、非モテはますます加速した
無論俺は初デートサイゼ論争においてサイゼを否定する女のことを嫌っていた
だって俺は当時自意識を拗らせすぎてサイゼやガストや牛丼チェーンくらいにしか行けなかったから
おしゃれなレストランに行って頓珍漢なことして恥をかくのが耐えられない
自分の見知らぬ場所に行って人から笑われるようなことをしてしまう恐怖心が、サイゼはあり得ないと言っている女性への怒りに転嫁されていた
「真の恋愛ならば相手がサイゼに行くことを受容するはずだ。だって高級なレストランに行って恥をかく恐怖を理解してくれるはずだから。女はパートナーの弱さを察する優しさを持つべきだ。そんな優しさすら持てずサイゼに行くことを馬鹿にする女はみんな低能だ。自分のことしか考えてないビッチだ」
色々と理論武装してサイゼ否定派をぶっ叩いていた裏で、無意識の本心としてはざっとこれくらいのことを考えていた
「こちらの弱さを無条件に受け入れて慰撫してくれる存在」がいたとするなら、それは親もしくはカウンセラーであり、恋人という一番近い距離にいる他人に求めることではない
最近の俺はこれを受け入れようと努力しているのだが、それでもやっぱり疑問が湧くことしきりだ
世の中には真の恋愛をしている人たちも存在していて、相互にお互いの全てを無条件で許容しあっており、自分を高めたり相手を受け入れたりする努力を一切せずただありのままを受け入れあっている
そういうカップルがいるはずだと思えてならない
でもどうやら現実は違うらしい
相手の望む自分であろうと努力して、慣れないレストランを予約してみたり恥をかきながら勉強したりするのが正しい恋愛でありコミュニケーションのあり方なのだそうだ
恥をかくのが怖すぎてずっと逃げ続けた結果、いい年して中学生みたいな化け物になってしまった
カウンセリングの場で、俺と同じような恋愛観を持っている人は多いと知ることができた
恋人のために何かを我慢するなんてことはあってはならない、恋人は無条件で自分を安心させてくれる存在でなければならない
グループワークでそういう話を聞くたび正直わかるわかると頷いてしまった
と、同時にやはりこういう恋愛観は幼稚でまともな大人の思うことではないという背反した考えも頭の中に流れたりもする
とりとめもなくなってしまったが、弱者男性的な恋愛観とはそういうものだ
世の中から色々なものを奪われてきたという自意識を拗らせているので「相手に合わせて〇〇する」という恋愛の初歩的な気遣いができない
それを要求されようものなら「これ以上俺から奪うのか!!」と怒り狂ってしまう
だから優しくしろと言いたいのではなく、フェミ関連の論争に興じる際には弱者男性のそういう思考の傾向を踏まえれば少しは話が通じるようになると思うのでぜひ頭に入れてほしい
人間ものの考え方だけでこうも生きやすくなるのかって感動するぞ
思った以上に反響をもらえて嬉しい
投稿から日が経ってしまったが誤字脱字を直すついでに寄せられた疑問に答えようと思う
これは俺の書き方が悪かった
経緯としては、
↓
カウンセリングも受けるといいですよと勧められる
↓
カウンセリングも受けるようになる
って流れ
だから厳密に言えば精神科での治療とカウンセリングは別ものなんだが、まぁ医者も心理士と連携して色々やってるらしいのでセットのように記載してしまった
今は月1のカウンセリングと数ヶ月に1回薬もらうために精神科へ通院するというスタイルで過ごしている
弱者男性の定義については色々あると思うが、一応ASDと抑うつで精神障害3級の認定を受けた上に今は実家暮らしで仕事も事務仕事の時短勤務、童貞非モテ、収入もゴミカス、病院行くにも親からお小遣いをもらってる在り様なので一応弱者男性仲間に入れて欲しいなぁと思う
唯一親の支援を受けられているという点では弱者性は薄いかもしれないが弱者男性の全員が親と険悪ってわけでもないだろう
もちろんそっちも努力している
っていうか今回はあくまで恋愛面にフォーカスしただけで俺の生きづらさは友達付き合いから仕事、単純なコミュニケーションまで多岐に及ぶ
そもそも精神科に行き始めたきっかけも職場で嫌われてうつ病患ったから
前は普通の正社員やっていて転職も3回経験があるんだが、どの職場でも人間関係がうまく行かず嫌われたり煙たがられたりしていた
そしてついに3つ目の職場で精神的に折れて実家に逃亡、精神科受診って流れ
今の職場では一応なんとか嫌われてはいないっぽいので(変わった人認定されているきらいはあるが)、精神科とカウンセリングの両方面でのケアの効果はかなりあるなと感じている
単純に応援してくれているらしい反応や否定的な反応についてはここでは特に言及しない
一部創作の疑いをかけられていたようなのでその方面への補足のために上記を回答してみた
精神科に通ううち、自分のプライドや内的な欲望を一旦脇において「なぜ自分は人から嫌われるのか」「どうやったら生きやすくなるのか」「どうやったら人と適切なコミュニケーションがとれるのか」って現実的な視点で人生を見つめ直すことができた時に、少なくとも俺は生きる辛さをいくらか軽減できたように思う
オナニーに人生を壊されそうな一般男性です。困り果てて色々調べていたけど、ポルノ断ちから始めてみるのが良さそう。
というのも、俺には定期的に来る抑うつ状態的なものがあって、それがオナニーの周期と関連してるっぽいことに気づいたから。体感ではあるけど、激しいそれをした後は激しく落ち込むとか、禁欲してたら丁度一ヶ月後に性的な衝動と激しい不安と希死念慮が湧いてきて、結局オナニーしちゃうとかそういうの。
ポルノだって定期的に見る訳じゃないけど、Twitterで流れてきたらつい見ちゃうし、時によってはエロ広告でも手を止めて見てしまう。そういうのから徹底的に排除するのが良いのではないか。
と、思ったから無計画にも始めてみる。一応、自分で書くこともあるからそれも無しで。上手く行ってほしい。上手く行ってくれなきゃ、このまま人生が壊れるだけだけなんだよなぁ…
ジョーカー フォリ・ア・ドゥみた。
的な前作のアレに対して、「そうだが?」と言わんばかり。
母親からのえらい言われようの暴露。カスすぎてもう悲惨を超えて笑っちゃうんすよね。
笑えないネタ帳とモテモテ妄想日記の公開処刑。童貞じゃね?とか言われる始末。笑わせるのではなく笑われるばかり。
笑いを強いられる発作の悲哀も抑えめ。
哀れな復讐者ではなく、徹底して惨めな中年男の底を見せびらかす。
悲惨な環境は認めつつ、アーサー・フレックに「仕方なくないです」を突きつける。限りなく後者に傾いたバランス感。
前作に感化されたような「模倣犯」に冷や水をかけるよう。現実に帰れって、エヴァみたい。わざわざ実写映画にアニメーション入れるとこまで。
他者への無関心とか抑うつ状態とかの「軽度でごく一般的」な精神的問題を並べて「言い訳になりませんよ〜」ってのは、もう観客の方を刺しに来てないか?と思った。
ハーレイクインが良いとこのお嬢様ってのも、前作に感化された人間に対する意識を感じるというか。
本当に良いショーは幕が下りても感動が続く。それこそがエンターテインメントだ。みたいな台詞が割と印象的だった。
ちょくちょく挟まれる妄想ミュージカルからして、アーサーともども自己陶酔的。
おだてられて「ジョーカー」を演じて、「これは現実なんだぞ」と言われても耳を貸さずに物語に浸るばかり。でもそういう気分を全く持たない生き方もつまんないよなって思う。
うまくジョーカーを演じられなくて、空回りの末にゲイリーの言葉でダメージ食らって自分から降りちゃうダサさ。
豚箱暮らしと法廷の往復で地味な絵面が続く中、もう終盤になっての派手な爆破。初めて「何かが始まるかもしれない」と思わせような激しさ。
何度も流れる聖者の行進より、逃げ去る車の中で流れるビリージョエルの方が印象的だった。「物語」的で。
でも既にジョーカーを降りちゃった以上、ハーレイにはすっかり失望されちゃう。捨てないでくれとすがる姿は、つくづくこいつの行動原理はすり寄ってきた女にいいカッコ見せたかっただけだったんだなとすら思う。被DV人間の依存癖もあるのかもしれない。
それはそれとしてガチ勢には刺されちゃうし。結局「カリスマ」よりも狂信者の方がヤバいっていう。
模範囚としてちょっと上向きになった頃、馴れ馴れしく看守の背中を叩いて引っ叩かれるシーンが結構印象に残ってる。彼は元から結構調子乗りがちな性格なんだろうか。
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。
ネガティブキャンペーンを行う。
一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、
周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。
生成AIイラストレーターをネットリンチしたり、生成AI使用者を威力業務妨害をしたり、
パブリックコメントで組織票荒らしをしたり、政治家アカウントに突撃したりする。
あるいは、奇跡が起こって手描きイラストの終焉を回避できないかと考える。
手描きイラストの終焉と、生成AIイラストの普及は避けられないことが分かり、
あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。
自分にとって都合の良い主張をリツイートしたりはするものの、自分自身の言葉ではあまり語らなくなる。
40歳か。
俺はもう少し若いが、30歳手前から全く同じ思いを抱いている。
言いようのない焦燥感というか虚無感で胸がいっぱいだ。
おそらくミドルエイジ・クライシスだろうというコメントが付くことが予想されるが
たぶん違うと思う。それに陥るにはまだ若いような気がするし抑うつ傾向があるわけでもない。
最近思っているのは、ラスボス直前でゲームがやりたくなくなる現象と似ている気がする。
良くも悪くも、可視化されすぎたというか。
攻略本もないのに、攻略してしまったような気分になっているというか。
あとはSNS。
否が応でもSNS発信の話題が目に入ってきて、何となしにストレスになっているような感覚。
だって、もう先が目に見えてるもんね。
人間の寿命だってここ数十年変わってなくて、どういう人生を辿るかは目に見えている。
もちろん、どこかの段階で突発的な事故や災害に巻き込まれることはあるだろうし
平和ボケと言われればそれまでだけど。
それを解決することで自分の価値を保てている感覚があったというか
けれど、今の時代、誰もがそういう課題に真正面から取り組める時代じゃない。
仕事だって、自分じゃなくちゃ務まらないとか、そういう仕事が減ってきているように思う。
何だかなあ。
この分析にはいくつかの正しい点がありますが、全てが正確とは限りません。
ただし、この分析が全ての側面を網羅しているわけではなく、他の要因や視点も考慮する必要があります。
この分析がAIによる出力である可能性はありますが、確定することは難しいです。以下の点を考慮すると、AIによる出力の可能性が高いかもしれません:
ただし、人間の専門家も同様の分析を行うことができるため、AIによる出力であると断定することはできません。どちらにせよ、この分析は一つの視点として参考にする価値がありますが、他の視点や専門家の意見も併せて考慮することが重要です。
原神、スターレイル、ゼンレスゾーンゼロあたりはPSストアで売上上位にいつもいるで
PC/PS/モバイルで遊べるマルチプラットフォームが特徴やけどTCG好きならサブコンテンツでDCGがある原神がおすすめやな
世界大会も定期的に開催されとるし(日本人勢は少ないから穴場かも?)、サブコンテンツやから課金要素はゼロやで
ある程度オープンワールドの探索やシナリオを進めとく必要はあるかもしれんが
ゲーム自体は年間200億以上かけて作られとるだけあって基本無料ゲーの域やないで
ワイはおっさんすぎてアレやがこういう平和な人気ゲーム通せば20代の子なら友達作りやすいんやないかな
ワイが20代の頃はネトゲでワイワイすることで鬱で死んでるリアルをやり過ごしてたんやが
とにかく抑うつ気味のオタクが気を紛らすなら人気のオタク作品のどれかに触れて「みんなと繋がってる」感覚を得るのが良いと思うで
思い描いていたハイセンスで優雅なパリのイメージと現実がかけ離れていて、旅行や生活が期待外れだったとがっかりしてしまうこと
パリ症候群(パリしょうこうぐん、仏: syndrome de Paris, 英: Paris syndrome)とは、「流行の発信地」などといったイメージに憧れてパリで暮らし始めた外国人が、現地の習慣や文化などにうまく適応できずに精神的なバランスを崩し、鬱病に近い症状を訴える状態を指す精神医学用語である[2]。具体的な症状としては「日常生活のストレスが高じ、妄想や幻覚、自律神経の失調や抑うつ症状をまねく[3]」という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
いつも思うけど、女性の知的障害を見抜くコツは髪と肥満よなぁ。手入れする能力が足りないみたいで、うなじがボサボサ、年齢不相応のツインポニテ輪ゴム結び、ボーイッシュなショート、コスプレみたいな子供っぽい髪留め、など髪に不自然さが出てくる。これで肥満と反復性うつ病があれば察しがつく。
そう考えると男性で当たりをつけて検査につなぐのはやや難しい。持続性抑うつ障害、あるいは単に不信感があると受動的会話になって、一見して知的障害臭く見えることがあるので外す。うまく言語化できない「清潔感のなさ」の方がよほど当たるような気もする。
https://x.com/cicada3301_kig/status/1833805635617710131?s=19
婚活を初めて結婚を諦めるまでの過程が死の受容プロセスに似ていると思った。
婚活を開始するも自己評価と異性からの評価のギャップに衝撃を受ける。自分からアプローチした相手からはまったく相手にされず、自分にアプローチしてくる人は一目で詐欺目的と分かる人や10歳以上年上の人、容姿が著しく悪い人ばかりだと感じる。酷くショックを受けたために抑うつ状態に陥ったり、婚活を中断してしまう場合もある。
衝撃から回復して婚活を本格的に再開する。1つだけでなく複数のサービスに登録し、課金しなければ使えない機能を試す。婚活の体験談を読んだり周囲の人の話を聞いたりして必要なことを学び、プロフィールの文言や写真、コミュニケーションの仕方を修正していく。「婚活がうまく行かないのは自分自身の問題ではなく、やり方の問題なのだ」という信念をモチベーションに精力的に活動する。
婚活を続けてもうまく行かず、怒りや抑うつの感情が抑えられなくなる。「異性は現実的でない高望みをしている」とか「まともな異性がいない」といった考えを抱き始め、SNS上でも同じ意見のコメントや記事を好んで読むようになる。自分は誰からも愛されないと感じ、抑うつ状態に陥る時間も長くなる。怒りや落ち込みのために疲れ果て、仕事にも集中できなくなる。婚活は継続しているが活動していると苦しいため、一縷の望みにかけて最低限の活動だけを続けている。
自分には結婚できる見込みがない、ということを事実として受け入れる。利用サービスを変えようがアプローチ方法を変えようがどうにもならないことを理解し、結婚することを諦める。「受容」というとポジティブな印象を与えるが受容期は決して幸福な段階ではない。「努力したけれど結婚できなかった」という事実は重く辛く苦しいものであって、次のステップの糧にできるような実りある経験ではない。しかし受容期にたどり着いた人間は、その苦しい現実を前にしても激しい感情を掻き立てられることなく過去の出来事として静かに受け入れられるようになる。受容期に至った人間は婚活サービスのアカウントを全て削除し婚活市場から消える。以降は結婚に関する話題に関心を持たなくなる。
https://www5b.biglobe.ne.jp/~mikihide/page118.html
被告人が有恒不動産株式会社を退職せざるを得なくなったのは、当時の上司であったCの策略によるものであると思い込み、同人に嫌がらせをして報復しようと企て、そのため同人がノイローゼ等の心神の異常を来してもやむなしと考え、平成三年五月二日頃から同年一一月二五日頃までの間、名古屋市瑞穂区村上町〈番地略〉所在の前記C(当時七一歳)方前路上やその周辺において、ほぼ連日にわたり付近を徘徊して自己の存在を顕示した上、同人方に向かって、「C出て来い。」、「ばかやろう、ばかやろう。」、「どろぼう。」、「やい、ギャアー。」などと怒号し、C方前道路と車庫の段差部分に架け渡した鉄板を足で力一杯何度も踏み鳴らし、ダンプカーを運転して来てC方玄関先で急停車や空ぶかしを繰り返したり、殊更に自転車のスタンドを地面に打ちつけ、あるいは自転車のべルを鳴らすなどして騒音を発するなどし、これら一連の嫌がらせ行為によってCに著しい精神的不安感を与え、よって、同人に入院加療約三か月間を要する不安及び抑うつ状態の傷害を負わせた
家から叩き出せとか母親に弟無視して行動するのを促すのを推奨する増田やブコメ多いけど、
弟くんみたいに自殺仄めかしてる人は、実際に普通の人より自殺に至る危険性は遥かに高いから、気をつけてね
増田は弟くんのこと疎ましく思ってるかもしれないし、ネット上の赤の他人は「ニートなんてやってる時点でそれで死んだってどうでもいいだろ」みたいに思っている人も多いだろうけど、
弟くんが本当に若くして自殺に至って母親は完全にメンタルやられて一生抑うつとかのパターンもあるからね
家族を大事にする気があるならちゃんと弟くんの方からじっくり向き合うことをおすすめするよ
繰り返すけど、増田が弟くんのことを本音では疎ましく思ってたとしても、ネット上の赤の他人が「ニートなんてやってる時点でそれで死んだってどうでもいいだろ」と考えてたとしても、