はてなキーワード: ものごころとは
ものごころついて83歳超え。
なにをされたのか(近所の人が殺されたとか敗戦宣言がもっと早ければとか)悲惨さの体感できてる人で90歳くらい。
でそもそもスマホやコンピューターに意見いわないし首相なんてみんな年下の赤ちゃんだよ。
そりゃG7どうでもいい、原爆のほうが自分たちの世代のリアタイなんだと主張していかなきゃと思うだろうな
そういうマイナー勢からもちゃんとインタビューをとるのが報道なわけよ
いちいちリベラルが~とかじゃなくてもっと中立な目で社会を見られれば増田ももうちょっと賢くなれるんじゃないの
こいつ当時赤ちゃんでバブーだけいってた老人でもリベラル扱いしようとしてるんだろ
気持ち悪いと思う人もたくさんいるだろうから自己責任で読んでね。
私はものごころついたと同時に目覚めた。
初めは「おかいつ」の着ぐるみ着ておにいさんたちが踊ってる歌だったと思う。全身タイツも顔だけ出てる着ぐるみも、見ていると羞恥心でいっぱいになった。デフォルメされたかわいいクマや犬、もしくはモノ(エンピツとか)の着ぐるみから人間の顔が出ていてそこだけリアル。ああ、いい大人がこんなものに入れられて可哀想。なんだか見ていてむずむずした。
自分が動けなくなるのも好きだった。遊びで布団にぐるぐる巻きにされて動けなくなって、必死にもがくのが何とも情けなく恥ずかしかった。
初めてオナニーをしたのは幼稚園児か小学校1年生の頃で、リビングの机の脚でやって酷く怒られた。でもやめられなくて人目を盗んでやった。パンツの中にティッシュを詰めたりタイツを履いたりしてより気持ちよくなる方法を探した。寝転がって手ですることも覚えた。布団の中で隠れてやるようになった。学校でも机の下でこっそりした。
アニメも妄想でも「囚われの姫」「拷問」そんなのばっかり考えた。
この行為の名前を知ったのは中学生のときで、たいそうびっくりしたのを覚えている。家のパソコンでたまにそういうのを調べることはあったけど、見たいのは別に男女の裸とかではなかった。どういう言葉で調べたらいいのか、それすら分からなかった。
ケータイを買ってもらうと当然いろいろ調べた。自分の好きなジャンルが「BDSM」「ヒロインピンチ」「陵辱」「全タイ」「ボンテージ」「着ぐるみ」などだということが分かった。男性向けAVを見ることが多かったが本番行為には興味がなくいつもそこで止めていた。女の子の甲高い声も好きじゃなかった。
今わかってるのは、とにかくかわいそうで情けないジャンルが好きってこと。変な格好させられてギチギチに拘束されたい。縄でもガムテープでも鎖でも枷でも拘束衣でもシャチの浮き輪でもOK。そのままほっとかれてたい。肌は見えない方がいいけど痛いのは嫌。世に存在するらしい「ご主人様」に奉仕したいとは思わない。ただ物語の中で、不本意に捕まっていじめられたい。ドラマの撮影として縛られるのも良い。あくまでそういう設定の中で楽しみたい。強気で出て心を折られたい。
昔よく妄想したのは、誘拐されるやつ。無理やり連れていかれた先はそういうお店だったり奇妙な性癖をもつボスがいるところで、自分以外にも女の子がたくさんいることもある。全身タイツ+着ぐるみでお客さんやボスを喜ばせる。彼らに直接なにかされるわけでもなく、ただ芋虫の着ぐるみに入ってもぞもぞ動くのを鑑賞されたり、小魚の着ぐるみを着て大きなくじらに飲み込まれてり(する体のショー)。とてもAVじゃこんなのないから小説や漫画の方が好き。
ついでにそれ以外に対する許容範囲も広い(と思ってる)。レズもやってみたいと少し思うし、それ以外もまあいろいろ。
自分のように幼い頃から目覚めて今もこうして人に言えない歪んだ性癖を持ち続ける人はどのくらいいるだろう。多分思ったより沢山いるんだろうな。一貫性のない性格の自分が唯一持つアイデンティティとすら感じる。
1950年代に考案された最初のAIであるニューラルネットワークは、1990年代には実用化した。
2000年代に多層ニューラルネットの欠点を補完する深層学習が誕生すると、
やがて民生用の量子コンピュータが普及し始めると、AI の量子演算化研究は当時のホットトピックとなった。
だが、高度に複雑化した量子化AI理論を理解できる学者は世界に数人しかおらず、論文の査読に8年もかかったという。
その実用化にはさらに多くの年月を費やしたが、身の回りのあらゆる電子機器に搭載されるようになった。
量子化AI の導き出す結論は常に最善・最適なもので、人々は機器に言われるままに行動するようになった。
その方がいつも快適だし、無駄な思考コストも要らないので当然のことである。
電子機器の指示に従って暮らす人にとって、 AI は神であり、その言葉はご神託となった。
その昔、SF作家のアーサー・C・クラークは、
と言ったが、
という世界が具現化したのだった。
考えてもみてほしい。
ものごころつく前から、機器の指示に従うことが善とされ、それに逆らった人間には事故や病気という罰が与えられる。
祖父母も両親も私もそうやって暮らしてきたし、将来産まれてくる子や孫もそうするだろう。
今、私に与えられている指示は「ロウドウ」だ。
畑を耕し、野菜を育てる。
私の担当はトマトで、午前の担当区画では種まき、午後は別の区画で収穫をする。
水まきは週に1回なので今日は無い。
住人全員が食べる分のトマトを運ぶのはかなりの 運動 になる。
牧畜担当に憧れが無いわけでもないが、友人曰くミルクの運搬がかなりキツいらしい。
夕方には、その日食べられる食材を持ち寄って集計し、グループ単位で調理して食べる。
食事は1日2回。朝はパンとミルクだけの軽食なので、夕食が一番楽しい時間になる。
友人ともいっぱいおしゃべりできる貴重な時間。
食後の片づけを終えたら、睡眠室に戻り、私は「メイソウ」をする。
正直に言うと、この2時間に具体的に何をすればいいのかよく分からない。
お母さんは、何でもいいから自分一人で考えることが大事というし、
お父さんは、妄想でもしとけばいいという。
昔の人の暮らしを想像するのだと言って、なぜか神話を語ってくれた。
人々は神様のことが良く理解できず、勝手に悪い神様を創り出してしまったこと。
それを見かねた良い神様が「フネ」という新しい世界を創造したこと。
その「フネ」はいくつもあって、この「フネ」に宿る神様の名前は…
なんだっけ。一度はちゃんと聞いたんだけど、今はもう思い出せない。
ピピピピッ。
腕にはめられたリングが光り、「メイソウ 〇」の緑の文字が浮かび上がった。
すぐに「スイミン」の指示を示す青い文字へと変わった。
どうやら、今日の「メイソウ」も無事終えられたようだ。
昼間、体をたっぷり動かしたせいで、今夜もぐっすり眠れるだろう。
私は、どうしても思い出せない神の名を妄想しつつ、静かに眠りについた..。
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先日、たまたま入ったカレー屋で、注文を待つ間、カレーの香りとはいったいなんのにおいなのだろう、と考えた。
スパイスの香りだろうか。しかしスパイスとひとくちに言っても、ガラムマサラとか、コリアンダーとか、いろいろある。カレーによって使っているものも違うだろうし……。
そう思いながら嗅ぐカレーの香りは、鼻を抜け、喉を通り、お腹を鳴らす。
待ちきれずに銀色のスプーンをとると、ほんの一瞬だけ、自分が実家のテーブルについて、プラスチックのちいさなスプーンを握っているような気になるのだった。
言葉にならない香りは、言葉を知らないこどもの頃を思い起こさせる。
ものごころついたころ、家では私と姉のカレーだけが甘口だった。だからきっと、スパイスの香りに混じって、すこしマイルドで甘い香りがしていた。きっとそれは、私にとっていちばんしっくりくる「カレーの香り」で、言葉にはしきれない、私の思い出の中だけの香りだ。
自分だけというのは、さみしいような、とくべつなような感じがする。
ちいさなころ、そこら辺に落ちている石ころをとくべつなものだと思って集めていた。はじめは母にも内緒にしているのだが、そのうち、こっそり見せてあげたくなって、たから箱から出してしまう。それを見せて母がよろこぶとうれしくて、だけど私だけのたからものではなくなってしまったことに、すこしがっかりする。
同じ香りを嗅いだときには、思い出といっしょに、たから箱からそっと取り出されてくる。
注文したバターチキンカレーがやってくると、私はカレーの香りをたから箱に大事にしまって、スプーンを握り直す。
消えてなくなりたくて
とても優しい夫がいて
綺麗なオフィスで
適度に出張があって
趣味も充実しているのに
思われるのに
私なんかいない方が周囲の人のためだと
思えてならないのです
如何ともしがたいところに要因があり、
どうしようもないし
ころされそうになったら
そういった行動による
いけないことだと
引きずられてしまう人が出ないようにと
願っているのに
夫には新婚の頃一度だけ打ち明けたことはあり
こういうことのタフさはないだろうし
困らせることが分かりきってるので
申し訳なくて
もう二度目は言えません
一人になれる時間もありません
迷惑をかけないように
この感情とどうやって折り合いをつけて
どうにかやっていけるのか
数十年生きていてもまだ
掴めずにいます
ただひたすら辛いのです
それが客観的には甘えだと分かっていても
自分は妻子持ち男。妻は出産後仕事を辞めて専業主婦をしている。
言われなくても家族の経済的な面倒は当然すすんで見るんだけど、問題なのは妻が経済的に自立しておらず、私がいなければ子育ても教育もその他諸々全く経済的に立ちいかない事。
女性は子供を産む可能性があり、産んだら一時的であるにせよ働けなくなる可能性も充分あるという事実は子供の頃からわかっていたはずで、そこから今に至る間の充分すぎる長い時間の中で、その状況を最悪一人でも切り抜けられる準備をしていない事が理解できない。
つまり「充分予想し得た事態を、最悪一人でも切り抜ける」という覚悟がないわけで、最初から誰かに何とかしてもらおうという依存マインド。
老いたら心身ポンコツになりお金に頼らないといけなくなる局面が激増する可能性が高い、という事は子供のうちからわかっているわけで、ゆえにそれまでの長い時間を活用してそのための充分な準備をしておくのは当たり前だし個々人の義務であるはず。それと全く同じ。
私は例え今日妻が突然いなくなっても、一か月くらいは混乱があるだろうが、シッターなり家政婦なりを雇って生活を維持する体制を作れるし、なんなら自分が仕事を辞めて子育てと家事に専念してもいい。働かなくても子供の教育と家族の生活を永続的に十分維持できるだけの資産を既に構築してあるし、家事子育ての生活スキルも意識的に身につけてきた。
そういう準備を若い頃から意識的にしてきたからこの状況を作れたし、だからこそ言えるが、よっぽどハードモードな状況でない限りそういう状況はやる気さえあれば誰でも作れる。
もし自分が女性だったら、ものごころついてから出産するまでの充分な時間を使って、少なくとも主産してから10-20年程度は働けなくても最悪夫無しで子育てが可能な状況を必ず作っておく。
家族や仲間で助け合うのは当然だが、その存在を前提として物事をプランするのはあまりに安易でかつ他者に依存しすぎている。
特に、子育てとか生活基盤の維持とか、ファンダメンタルで重要なものごとに関しては、最悪一人でも何とかできる力を得ておくのは義務。
当然、義務が諸般の事情で果たせない人は一定数おりその人々には支援があるべきだが、特段の事情もなくただ怠惰で依存的な事だけを理由にその義務が果たせない者には、つける薬もない。
自分はものごころついた時からずっとジャニヲタだったと思う。でも、なんかここ数年のいろいろで、きついなと思ってしまった。本人たちをきらいになったわけでもないんだけどきつい。違和感は、SMAPの謝罪からあった。そういうのをやりすごしてやりすごして、こうなってしまった。
ジャニーさんが死んで改めて少年愛裁判のことが話題になった時、そして公正取引委員会の注意があったとき、自分はジャニヲタだからこそ、どちらも「あるんだろうな」と思ったし、これで是正されればそこへの罪悪感が解放されるんではないかと期待した。でも、周囲には「外部は何もわかってない」「余計なこと言うな」という声がたくさんある。特に公取委の注意については「元SMAPの3人は恩知らず」「あちらのやり方は昔から気に食わなかった」「今まで恩恵を受けてたくせに公取委に泣きつくなんて」と、なぜか新しい地図側を攻撃する人がたくさんいて、呆然とした。過激な人だけでなく、ごくふつうの、いつもSNSで楽しそうにしている人も、なぜか新しい地図を敵視しているようなことを言う。
みんな、倫理観が死んでしまったの????ふだん上司のパワハラに怒ってる人も、医大の受験で女子が不当に落とされていたことに怒っていた人も、人種差別に怒っていた人も、政治の隠蔽に怒っている人も、なぜかこの件だけはまったく逆の立場でものを言ってる。なんかもう無理…って思った。別にSNSをやめればいい、フォローを外せばいい、とは思うけど、みんな楽しそうに「ジャニーズ最高」と言いながら、都合の悪いことは無視して、全然違う相手を攻撃するのかと思うと…。
吉本が問題になった時も「吉本とジャニーズは全然違う問題だから一緒にしないでほしい」「あっちはパワハラだけど、こっちは権力争いだから」というようなことも散見されて、いやいや一緒だろ、という気にもなった。吉本のときに「構造の問題を対個人の問題にずらして、解決したような気になるな」という批判があったけど、まさにこれだなと思った。
自分も別に新しい地図がすごい好きというわけではないし、今までSMAPの番組をたくさん見てきたわけではない。でもテレビにもっと出ていいはずなのに出てないのはやっぱりおかしいと思う。ただ、この件でいろいろ見ていると、ジャニヲタの中には新しい地図が活躍しているだけで「なんか気に食わない」という人がたくさんいるんだなと思った。ジャニーズを好きでいる意味がなくなるように見えて、不安なんだろうな。それで余計に新しい地図を攻撃するという。たぶん嫌韓とかの構図にも似てるんだろう。もう、ほんとうんざり。