はてなキーワード: パイとは
2017年秋、僕は京都市内でしょーもない会社の飲み会に付き合わされた後、なんとも言えないもどかしい気分を吹き飛ばそうと木屋町の某ヘルスにふらりと向かったのだった。
訪れたのは以前にも何度か利用したことのある店。
ここのシステムではヘルスタイムの前に15分間のお遊びタイムがあり、短時間コースでも3回転、つまり3人の女の子が代わる代わる部屋を訪れてキスや下着越しのお触りなどのプレイを楽しめる。
その中で気になった子がいればヘルスタイムの相手に指名できるし、指名しなければ出勤中の誰かが来る。もちろん事前に指名して予約することもできる。
HPの写真だけで指名するのはリスクが高いが、ここは実物を見て選べるので系列店も含めてよく利用している。
で、このときはフラっと来店したので事前に指名はせず、回転中にビビっと来た子を選ぼうと思っていた。
今となっては1,2人目にどんな子が来たのかは覚えていない。
ただ2人目がまあ許せるレベルだったので、3人目がハズレだったら嫌だなぁとの理由で部屋の受話器を取り2人目の子を指名した。
だが3人目の子がドアを開け入ってきたとき、僕は自分の目を疑った。
黒沢と◯よがいた。
駆け出しの無名声優ならまだしも、今をときめく大人気女性声優がこんなところにいるはずがない。
しかしセーラー服を着た彼女の、150cmも無いであろう身長。
その全てがそっくりだった。
「川崎のアマテン」「中野のあやねる」等、世の中に女性声優似の風俗嬢が存在していることはインターネットで知っていた。
ただそれは関東の話で、ましてやこんなに特徴のある声優に似た嬢が京都にいるなんて夢にも思っていなかった。
その時のプレイ内容は詳しく覚えていないが、とにかく愛嬌たっぷりで、軽いスキンシップしかできない回転タイムながら思わずイキそうになるくらい、乳首攻めと股間のイジり方が抜群に上手かったことが強く記憶に残っていた。
いやその前にトモヨの指名を知らせる店内放送があったのでどっちにしろ指名は叶わなかったのだが。
回転タイムが終わった後、指名料の徴収に来た店員にダメ元でトモヨに変更できないか頼んでみたがもちろん無理だった。
その後のヘルスタイムも、頭の中はトモヨのことで一杯だった。僕は必ずリベンジすることを誓って店を後にした。
ただ、僕は風俗狂いではないので数ヵ月に一度しかこの手の店に行きたくなる気分にはならない。
何度かそういう気分になったときに店のHPを覗いてみたが、出勤一覧に彼女の名前を見つけることはできなかった。
いつしかキャスト一覧の中からも見失い、てっきりもう店を去ってしまったのだと思い込んでいた。
あれから約4ヶ月。
いつものようにムラムラしながらインターネットでポルノサイトを巡回していたとき、何となく店のページを開いてみると、いないと思い込んでいたトモヨの名前が。
やった!まだいたんだ!と喜び、出勤スケジュールを確認。よし、行けなくはない。
ただその時はそこまで機運が高まっておらず、予約することはしなかった。
一方で、これを逃したらもう次はないかもしれないという思いも頭の片隅にあった。
迎えた出勤当日、僕は女性声優のCDを買いに大阪へ出掛けていた。
そのCDは購入一枚ごとに店頭抽選でサイン入りポスターが当たるキャンペーンをしていたのだが、まぁ~当たらない。
結局1万円以上注ぎ込んでも当たりは出ず、僕は意気消沈しながら帰りの電車に乗り込んだ。
その時ふと、そういえばトモヨの出勤日だったことを思い出した。
今日は既にかなりの金を使っている。来月もライブ遠征続きで貯金は減る一方だ。
でも……
「この機を逃したら次はないかもしれない」
オタクショップで予約CDを引き取りながら時間を潰し、決戦の地・木屋町へ向かった。
狭い待合室には先客が3人ほど。
まずは回転タイムだ。
1人目、どエラいブスが来た。
強烈な右アッパーを食らったかのように顔の歪んだ30歳くらいの嬢だ。
これがいつものように無指名来店だったら焦るところだが、今日はトモヨを押さえているのでウォーミングアップと割り切ってスキンシップに興じる。
夢中でおっぱいを貪った。
いよいよトモヨの番だ。緊張を圧し殺しながら待っていると、ノックに続いてドアが開いた。
ひょっこりと顔を出したトモヨは、4ヶ月前と変わらず小さくて可愛らしく、僕は安堵した。
トテトテと近寄ってきてぎゅっと僕を抱き締めるトモヨ。
にっこり微笑んで唇を突き出してくる。
この身長にこの顔でセーラー服姿の子とこんなことをしていて本当に大丈夫なのか心配になってきた。
僕「なんか悪いことしてる気分だ」
以前は気付かなかったが、心なしか声も黒○と○よに似ている気がする。
唇を重ねながら股間をまさぐられていると、あっという間に回転タイムは終了した。
服を調えたトモヨは「また後でね」と告げ、手を振りながら一度部屋を後にした。
まさか女性声優(のそっくりさん)とこんなエッチなことができる日が来るとは……。
数分後、再び扉を叩く音。
トモヨ「ただいまっ!」
僕「おかえり」
トモヨ「え?誰にも似てないよ」
僕「○沢○も○さんって知ってる?声優の」
僕「死ぬほど似てるよ」
彼女の受け答えが本当かどうかはわからないが、軽く会話した後シャワーへ。
おっぱいはギリギリBカップという可愛いらしいサイズ。本物もこんなくらいだろうか。
ダメ元でパイズリできないか試してみたが案の定ボリューム不足で、2人で笑い合った。
トモヨは「最近太った」と話し、確かに少し下腹が出ていたが、女性声優が服を脱いだときにちょっとだらしない身体だったらメチャクチャ興奮するのでむしろ全然アリだった。
ベッドに移ると、トモヨは「シュッシュッ!」と声に出しながら僕の息子をしごき始めた。
この子、とにかくこんな感じでめちゃくちゃノリと愛想が良く、仮に女性声優似じゃなくても指名で通いたいレベルだ。
ここで非常にどうでもいい情報をお伝えするが、僕は極度の早漏である。
本気でちんちんをイジられるとアっという間に果ててしまうので、その旨を申告し優しくするよう要望しておいた。
何度か危うい瞬間があったが、その度にタイムをかけて耐えた。
ちなみにベッド側面の壁は鏡張りになっており、女性声優(のそっくりさん)が僕の息子を舐め回す姿を三人称視点でも楽しめる。
よし、なんとか暴発せずに耐え切った。
トモヨがラストスパートをかけ、剣先を咥えた口の動きが一層速くなる。
僕は全神経を股間に集中させた。
脳裏にあの曲が流れ始める。
“風は吹き抜ける 花は薫る 星は廻って 鳥は翔ぶ 女のコはひかり輝き 心はフォルテで脈打つよ! 愛の鼓動”
人生で最高の瞬間だった。
必ずと言って良いほどに「肘パイ」される。
肘鉄…ならぬ、肘パイ。
胸に肘鉄してくるのだ。あれは物凄く痛いので勘弁してほしい。
そもそも肘あてたくらいじゃ何もわからないだろう?本当にやめてほしい。
つり革に掴まることすらしないオッサンとかが
私の胸に肘をグイグイ押し付けてくる。わざとなのかとも思ってしまう。
確かに胸は邪魔なんだけど、肘パイするほどなのか?としみじみ思う。
どんだけみんなの肘が荒ぶっているの?どうしたの?
胸は重いし、肘鉄は痛い。
肘パイするくらいなら、胸を持ち上げてくれまいか。カバンとかで。
重いから代わりに胸の重みを味わってくれ。
そうしたら肘パイしたことも許してやろう。あ、ちなみに、Gカップです。
あと、リュックぶん回すやつもやめてほしい。
前に抱えようとリュックを持ち直すのは良いのだけれど
周囲を見て、ゆーっくり動かしてほしい。
ぶん回して人に被害を与えておきながら知らん顔とかマジやめて。
古来からインターネットには「荒らしにかまう者も荒らし」や「無視してればいなくなる」なる言葉がある。
でもそれは本当だろうか。
まあ結論を言えばだ。少なくとも上の2つの言葉は該当しなくなってきてる。ソースは俺。
荒らしが楽しくて楽しくてしょうがないような救いようの無いアホは、そもそも「無視されようと」荒らし続ける。
アテにならないソースだと?かつて荒らしだった人間が言うんだ。間違い無い。
俺みたいな人の嫌がる顔が大好きなヤツ(あるいは大好きだったヤツ)は、嫌がってる反応も気持ちがいいけれど、必死に見ないふりしてる姿も正直快感なんだ。
あと何もされないと反応欲しくてもっと荒らしちゃう。嫌がられる反応、敵意のある反応が欲しくて仕方ない。
だからコミュニティや掲示板のスレッドが廃墟化しても荒らし続ける。空席の土俵の上で一人相撲を楽しむ。チンコおったてながら四股踏んでシコってる。
ちなみに荒らし行為をやめたのは単純に虚しくなったからだ。長く激しいオナニー後の永久的な賢者タイムだ。
それともう2つぐらい無敵の荒らしがある。「アンチ拗らせて狂戦士化したヤツ」と「押し付けがましい善意で動いてるヤツ」だ。
それぞれが底なしの敵意と憎悪、一方通行の愛情と思いやりで動くんだけど、俺みたいな愉快犯よりもっとやばい。
だってどっちも自分が正しい事を信じてるんだから。間違ってる自覚のある愉快犯よりも勢いは上。
んでもって、こういうのが生まれるのは大体俺みたいな愉快犯荒らしが原因だったりするんだよね。荒らしに反応して本当に荒らしになっちゃったヤツに、我慢しすぎて自分の正義に目覚めたヤツ。
ひー、こわいこわい。
だから、荒らしが来たら無視とかは正直意味ないよ。管理者とか然るべき所に頼もうね。
アクセス禁止とか、プロパイダ通知とか、実力行使してくれるから。マトモなら。
愉快犯って危険なライン理解してるから、「あ、これマジでやばいやつ。」って感じたらとっとと撤退するよ。
自分が正しいと思うタイプもまあ、実力行使なら止まるんじゃないっすかね。
2つの領域に強みを持つ人材(パイ型人材)を目指すべきみたいな増田が上がってた
あれ、10年前くらいから流行ってるんだけど、ちょっと独り歩きしすぎな気がしてる
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbb200301/hpbb200301_2_006.html
平成14年7月には,第一次提言として,「世界トップレベルの研究者の養成を目指して」が取りまとめられた。
同提言においては,これからの研究者にとっては,自らの専門分野にいたずらに閉じ込もるような蛸壺的な専門性ではなく,
周辺の専門分野や全く異なる専門分野を含む多様なものに関心を有し,既存の専門の枠にとらわれないものの見方をしながら自らの研究を行っていく能力が重要
(中略)
そこで,同提言では,「幅広い広い知識を基盤とした高い専門性」こそが,これからの時代の研究者に必要とされる「真の専門性」であると指摘している。
でもこれ、割りと多くの人事系・人材系の人が一般層に向けて言ってる気がする
聞こえは一見良さそうにみえるんだけど、凡人に2領域なんて無理なんだよ
(あるいは得意領域があっても「未だ足りない」と悩み続ける)
しかも周囲からは「経験者」って扱い受けるから、半端な二領域で苦しくなる
T型なら個人的に良いと思うよ
専門領域外は「知識として知ってるけど一人で担当できるほどではない」ってくらいが丁度いい
「(これしか)できない」ってのは場合によって結構良いもんだ、頼られないし
タカラヅカの世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人のFC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位がそもそもの始まりだった。
しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたのファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバスの時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいたものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからきたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。
無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。
公演の入り待ちに出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。
そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。
いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。
そして迎える退団公演。最後だからといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場で最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後だからと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女のファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティの足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間でおひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後だからとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。
過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分の立場を自覚した。私はお金も時間も費やしていないただの茶の間なんだから。現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカの世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業の最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとう、ファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人の世界に存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。
そして千秋楽のチケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。
私の中で何かが失われた瞬間だった。
もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。
大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっとは落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間は大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。
twitter+Instagram+Facebookのフォロー数を足した数を戦闘力とする(2018年1月時点の数字)
―(スーパーサイヤ人の2倍)―
―(フリーザフルパワー1億2000万)―
https://lab.syncer.jp/Document/Twitter/Follower/
http://www.talentfb.com/follower/12/
私の推し(ここでは名前を伏せておく)は顔がよく(という噂)、声もよく頭もよく、いいとこ尽くしのとてもかっこいい推しなのだ。彼を知ることができて誇らしいとさえ思える。
ただ、ただ少し欠点があるとすれば、今年の目標に「一回30万円くらいする高級風俗に行きたい」と書くくらい風俗好きなところだろうか。
「私たちは彼の下のことしかしらない」とファンに言わしめる頬、自分の性的なことや排泄物関係の話もしれっとオープンに語ってしまうのだ。
親にエロ本を見られても構わないらしい。ある意味強い心の持ち主だ。
さて、皆さんは「びっしょり汗だく爆乳家政婦」というAVをご存じだろうか。私は知らなかった。
先日ある時、彼の好きなAVについて知る機会があったのだが、他のメンバーの前で「これ俺の好きなAVやねんwww」とあっけらかんと言い放ったものだ。
(ここだけの話、特定を避けたがる彼らは好きなものさえもファンに教えてくれないためこういった情報はかなり珍しい)
早速検索してみた。
巨乳 家政婦 汗だく …… お、これか。
後悔した。
まさか開始30秒でおっぱいに顔を埋めるシーンが出てくるとは思いもしなかったのだ。
おまけに家政婦の乳首を掃除機で吸うシーンがあった。なんだこれは??どういった状況なんだ??家政婦ものではよくあるのか??
私の中で(というより大抵のファンの中で)「かっこいい」「王様」と思われていたイメージが、一瞬で崩れ去ってしまった。
パンドラの箱を見てしまった自分に震えながら説明文を読んでみる。
『ちょっとドジだけど従順で汗っかきの爆乳家政婦が肉体を使って一生懸命ご奉仕いたします!掃除中に汗で濡れ透けた巨乳に興奮した三男の為にパイズリ!長男の勃起チンポを慰める授乳手コキ!マッチョな次男とオイルでヌルテカSEX!家の主を爆乳泡洗体&乳コキ!爆乳メイドコスで汗だくびしょ濡れ激FUCK!びしょ濡れの爆乳とぐしょ濡れのオマンコでチンポを磨き上げます!』
さらに震えた。
パイズリ????授乳手コキ???????ヌルテカ????????授乳手コキ???????
訳もわからず半狂乱になった私はそのままページを下にたどっていく。どうやら評価の欄だった。
総評価数 6
Fitchの巨乳&汗フェチ企画「びっしょり汗だく爆乳家政婦」シリーズのGカップ女優「天野美優編」。舞台は、やんちゃ盛りの3人兄弟がいる、とあるサラリーマンの家庭(父子家庭)。ある日、突然の出張でしばらく家を離れることになった父。「美優」という名の若い家政婦に兄弟の面倒を任せることにするが、これがすべての「騒動(ドタバタ劇)」の始まりとなる。アイドル並のルックスにGカップの巨乳、その上、余計な布はいっさい身に着けない「ノーブラ主義」。着任早々、甘えん坊のユウゾウにねだられ、パイズリ奉仕でザーメンを搾り取る美優嬢。その後、ユウゾウから手渡されたハミ乳全開の「変態エプロン」姿で洗い物をしていると、おっぱいマニアのタケシ登場。ユウゾウに続いて、タケシのチ○ポの面倒を見ることになる。残る一人、キヨシは、「残り物には福がある」ということで、チ○ポ挿入(セックス承諾)の役得。3兄弟だけでなく、出張帰りの父には、混浴プレイ&乳揺れFUCKの出血大サービス。まさに「おっぱい天使」という呼び名がふさわしい、たっぷりの愛情に溢れた最高の巨乳家政婦。』
私はもう何も言えなかった……見てはいけないものを見てしまった……それしか思うことができなかった……
しかし意外と高評価である、このAV。私的には「でもこの人さっき掃除機で胸吸われてたな」と思うと萎えそうなのだが、どうなんだろうか。そこが興奮するのだろうか。
心ないだのなんだの言われるが根は優しく、顔がよく(小栗旬と向井理と阿部寛ともこみちを混ぜたような顔らしい)、金にきたなく、亭主関白で、しかしカリスマがある。
そんな男だったのだ。彼は。
数時間前までは。
これから私はどうしたらいいのだろうか。これからは彼の声を聞く度、きっと私の脳内には「手コキ授乳」の五文字が過るのだろう。
先ほど聞いてみた。過ってしまった。涙を禁じえない。
推しの性癖危うく見ることなかれ。これを私は後世に語り継いでいきたいと思う。
そんな一月の暮れであった
もう全部剃るとか脱毛するとかそういう感じにして全部無くしてツルッツルにしたい。
別にパイ◯ンが性癖とかそういうんじゃなくて、ただ単に脇毛とかそういうムダ毛処理の感覚で鬱陶しいから無くしたい。絶対無い方が快適だと思うんだよ。
でもアンダーが鬱陶しいのと同時に自分は凄まじい大浴場好きだ。近所のスーパー銭湯とか、温泉とか、そういうところが大好きで結構な割合でよく行く。日帰りでも泊まりでも行く。日々の癒しだ。
でもそういう人目があるところに出入りする時パ◯パンってどうよ?????ってなってしまって、結局やめとこってなってしまう。私そういうところでパイ◯ンの人見たことないし。
当たり前だろ。一般に出回ってるものはデザインにアホほど力入れて時間かけてお金かけて作られているからだよ。投資して回収できるだけのパイの大きさも持続性もあるから。一方ヲタグッズなんてのは作品の流行期間は短いし、パイも小さい。デザイナーに頼んでたら時間かかりすぎ&価格が跳ね上がりすぎで、できた頃には誰も買わない。
昨日、バイト先の教え子がある国立大学の赤本で、国語の問題(小説)をやりたいというので付き合った。
江國香織「さくらんぼパイ」が題材だった。シングルマザーと娘の母子家庭で、母親がさくらんぼパイを手作りしたのだが、娘は甘いものが好きじゃないとかでそれを食べなかった。すると母親は泣き出して部屋から出てこなくなった。というところで、傍線が引かれ、母親がこんな状態になってしまったのはなぜか?という記述問題が出ていた。ちなみに、母親の心情はどこにも書かれていない。娘視点で、お母さんが泣いちゃった。と書かれてるだけ。
つまり受験生は、「母親としての自分を否定されたような気持ちになったから」とかそういう心情を、この状況から推察して書かなければならない。これは人の感情を読み取ることがムズカシイ、発達障害の生徒には難しいだろうなあと思ってさ……センターだったら小説でも本文中に説明があるイメージなんだけどね。この大学はここら地元で唯一の普通の国公立大学だから(もう一個は医学単科大)、ここは入れないと高額な私立しかなくなっちゃう。こういう大学で発達障害児締め出しはやっていいことなのかなとか。いったい読解力とは何なのか、って考えてしまった。