はてなキーワード: デメリットとは
独身貫いてても楽しいって意見ばっかり見るせいで結婚に対するモチベーションが上がらない。
まあそうだわな。近代的な人権思想を厳格に適用するなら天皇制は廃止しかない。
「他の制度と比較せよ」って批判は的外れだけど、投稿者による反論もあまり的確でない。
さてと、「闇バイトか判定する方法」なんてもんを書きたいのだけど、あいにく「コレコレで闇バイトか判定できる!」なんてテストは存在しない。というか、巧妙な連中が「〇〇で簡単に鉄砲玉をゲット!しかも、これなら『闇バイト判定法』も通過できる!」なんて考慮しないわけじゃないじゃん。だから、はっきりいえば「ブラックバイトに関わらない方法」なんて存在しない。それに、なんか「フツーの会社員な俺が、指定されて行ったのが闇バイトだった件」って可能性もあるわけで、それだったらもっと逃げにくいよ!(と経験者は語りたいのだ!)
じゃぁ、どうすりゃ良いの? ... ってなるわけですが、こればかりは便利なツールはないので、
という観点から、自分の過去を振り返って「もう罪をおかしたけど、それでも娑婆にいれるような方法」を自分の恥をここで書いて、若い人が避けれるようにしたい。
全力で走って逃げ込め。光のあるほうへ突っ込め。人のいる方向に逃げ込め。コンビニや警察署、はたまた火災報知器のスイッチを鳴らす、警備会社のステッカーの貼ってあるところに突っ込む、とか防犯カメラのあるところにいく、... という妄想をした。というか、はっきりいえばここまでのことはわからん。ただ、ここで逃げないと、時間が経過すればするほど最悪に至ることは自覚すること。言い方は悪いけど「ポリスマンが公的にヤバイことして罪人になってからのこと身内と刑務所での生活」「指定暴力団〇〇組のメンバーが鉄砲玉になって収監されている最中に組みが蒸発してしまったときの処遇」よりは絶対に良いと思うぜ?
>そもそも近年の共産党は単純な所得控除額引き上げ否定派。理由は山添のポストにあるとおり「高所得者ほど減税効果が大きい不公正」だから。
>2021年の共産党「同じ額の控除をした場合でも、適用税率が高い高所得者ほど、減税効果が大きくなります」
>これらの人的控除は「生活に不可欠な経費には課税しない」という「生計費非課税」の原則を具体化したものであり、憲法に定められた生存権に基礎を置くものです。「所得控除は高額所得者ほど減税額が大きくなり、金持ち優遇だ」という議論がありますが、これは誤りです。
結局金持ち優遇なのか、それは誤りなのか、どっちなの?どっちなのっていうか、上が正しいんだよね。
だとしたら下の主張は「間違ってました!やっぱり金持ち優遇でした!」と訂正しなければならないし、
間違った文章の載ってるページを削除しなきゃダメでしょ?そこんとこどうなの?
>「国民民主党案では、高額所得者ほど減税額が大きいですが、制度設計によっては、是正できる」
じゃあ山添拓がそう言えよw
山添が「共産党の意見は国民民主党とほぼ同じです。ただ、高額所得者ほど減税額が大きい点、制度設計時に是正が必要でしょう。いずれにせよ重要な政策なので、国民民主党と協議し、ぜひ一緒に実現を目指したいです」
とかいえばよかったんじゃねえか。実際宮本さんのツイートはそれに近い。
(本当に是正が必要なの?というメリット・デメリットの議論は当然必要だが)
勢いのある国民民主党に乗っかって、力を合わせて、国民の生活のためになる政策通せばいいだろ。
本当にしょう~~~もない根性してるよな。
せっかく共産党の長年主張してきた政策を与党に呑ませる、千載一遇のチャンスなのに!
庶民の苦しみよりも共産党のプライドの方が大事なんだ?アホくさ~~~~!!!
>つまり、コミュニティノートが付いてからURLを移動したわけではない。
「移動」なのか「削除」なのかは些細なことだろ。何が問題視されてるかわかってる?
「コミュニティノートが付いた翌日に、突如削除した」のが問題なんだよ。
「移動」を「削除」に訂正すればいいだけの些事。どっちにせよ「見れないようにしようとした」ことに変わりはないんだから、
実際、スプラ氏もこう書いている。
https://x.com/bulletshower/status/1852293312277000386
>一応、旧サイトのデータはまだ残っているという指摘がありましたので、こちらに貼っておきます。
>元の記事で引用したURLとは異なりますので、当該のデータを削除した又は移動した結果、見れなくなったのはファクトなので、投稿自体は残しておきます。
で、コミュニティノートに付いていたURL先のページ「だけ」を削除したのはなんでだ?
ちなみにコミュニティノートが付いた時点では(あと元党員の人が指摘した時点では)、
>消えたとされる方→https://web.archive.org/web/20141001000000*/https://www.jcp.or.jp/web_policy/2014/12/post-662.html
このURLは生きていた。それは山添さんの該当ツイートに付いたリアクションを見れば確認できる通りである。
なんにもやましいことがないのなら、なぜ消した?
変わった「だけ」ねえ。
変わったんなら「変わったんです」って言えよ。共産党が。山添さんが。
だいたい昔のページまだ残ってるんだから、今もそう主張してると取られても仕方ないだろ。
つうかお前、すべてクリティカルな部分から目を逸らして、ちょっと訂正すれば済むような些事にばかり大げさに食いついて、一方で共産党に不利なことは無視し、矮小化を図る。
もはや目的が「何が何でも共産党が無謬であり、絶対に間違わない、今までも間違ったことなど一度もない、永遠の絶対正義政党であると主張すること」になっちゃってるの、気づいてる?
それは中国やソ連や世界各国の共産党と同じじゃん。日本共産党だけは違うんじゃなかったんですかね?
一度でも自分らの非を認めて「敵」に謝罪したことがあんのかって。え、ゼロ回?常に正しいんだ!すごいね!それはもう毛沢東や習近平やスターリンやポル・ポトと変わらないんよ。
そんなんだから松竹さんや神谷さんや大野さんや大山さんや内田さんや朝日新聞や毎日新聞や東京新聞の至極真っ当な、常識的な指摘に
電波男くらいから「俺は非モテ」と語りだす男が沢山いて、非モテ論壇と呼ばれていたが程なくして男同士でマウント合戦を始めた。
「実は俺はモテるし沢山の女を抱いてきたが、女の汚さに辟易して自ら女との付き合いを断った」と他の非モテ達に自慢し始めた。更には「俺には若くて美人で俺が抱くまで処女だった恋人がいる」とまで言い始めた。
ネットの「非モテ」語りの系譜はそこで一度途絶えたと思っている。
ちなみに昔ネットで男だけが語っているようにみえていたのは、女が性別を隠していただけだろう。
その頃の2chやネットでは女だとバレると卑猥な言葉で罵られ馬鹿にされるのが当たり前だった。女にとって性別を明かすことはデメリットしか無かった。
なので多数の女が書き込んでいても男しかいないように見えていたわけだ。
昔は男しかいなくて良かった、女が参入してきておかしくなった、のではないのでは。
世界が変わっただけだ。
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。まあお前の巨乳もお前の努力じゃないだろと言われてしまえばそこまでなのだが。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
通常、こういう議論は変えようとする側がその利点を説明する責任があるんだがな
変えたほうが世の中がより良くなる、デメリットもあるがメリットの方が遥かに上回る、ということをきちんと示せば、自然と世論の支持は集まるだろう
「夫婦別姓のデメリットを語ることで制度に反対している」ではなく「夫婦別姓を推進するときに語られる言葉に欺瞞があることを批判している」ように見えるんだよなあ
しかし反応は話者が夫婦別姓反対が自明かのようにみなすものが多いように見える
デメリットはあるけれど制度採用に賛成、しかし賛成の立場の人が時に語る売り文句に欺瞞があるのが不満という立場もありえる気がするんだがな
見てて思うのがさ、なんだろ
日本人の変わるの嫌病、これ
ここに不快感を感じる
社会制度、身の回りのルール、方針、一度決めたら未来永劫変えるな
これがうぜぇぇぇぇぇなの
夫婦別姓はどうでもいい
とりあえずやってみりゃいいじゃん
ダメだったら戻せばいい
やってみて社会的な弊害の方が大きい、デメリットがデカかったならさーせんで元に戻せばいい
でも、日本人は極端に失敗を恐れる
社会制度なんてやってみなきゃわからん、副作用がどこまで波及するかなんてわからんよ
ならばやってみてダメなら戻せばいい
5年10年とりあえず夫婦別姓やってみて、なんか想定外のハレーションが起きたら、元の制度に戻せばいいだけ。
戻す時は夫婦別姓にしてた人も強制的に同姓に移行させるみたいな時限立法でいいじゃない
なにかを変えて1の失敗をするよりも
みたいな
あんな連中が何の得があって推進しろと言ってるのかが見えてこないからいまいち賛成に踏み切れない
こういう改正って一度変えたら未来永劫元に戻せないから、こんなはずじゃなかったと後悔しないためにも賛成派は反対派の指摘に真摯に対応してもらいたい
推進派の態度を見てると、夫婦別姓の致命的なデメリットに世論が気づく前に勢いで実現してしまいたいという印象を覚えるんだよな
一問一答する人少ないよねきっと。
・同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?→私は誰も攻撃したくない。他の人は知らない。
・子供の姓どうするの?→自分の子供については、自分と同じでなきゃヤダとか無い。現状、夫の姓だし。選択的夫婦別姓になって自分が旧姓に戻したとしても、子供の姓はどうでもいい。子供が好きにすればいい。子供を産む前だったと仮定したら、じゃんけんでもくじ引きでも相手の希望通りでもいい。世間では現状追認で男親と同一にする家庭が多そうと予想。家制度の尻尾みたいで感情的にはヤダけど、人んちのことなので知らない。家制度の尻尾が直ちに消えるとも、直ちに消えるべきとも思わない。歴史の中でなるようにしかならないと思う。揉める人たちは揉めるしかない。
・選択的夫婦別姓がないと、男尊女卑が温存されるの?→選択的夫婦別姓が男尊女卑解消の道具とは思ってないし、道具になるほどの力はないと思う。女が男の姓になるのが大半、という現状維持になるのではと予想。
・パートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?→はい。様々な形態の世帯を包括する制度が好み。生計を一にし、相互扶助をし、相続等の権利を有し、一定の優遇のある制度。兄弟姉妹での助け合い同居とか、友人世帯もあり。子供の扶養には優遇あり。貞操の義務はオプションとか。制度が複雑になるデメリットはあるだろう。
・手続きめんどくさいとかはマイナカードに言えば?→言ってる人は言ってると思うけど、私個人は手続きめんどくさいもマイナカードしっかりしろも言ったことはない。今、変更する事由が発生してないので。SNSで言ってる投稿にいいねしたりはする。どっちも進めりゃいいんじゃない?
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?→いいえ。伝統は知らない。幼少期からの自分の呼称に慣れてて好きだから。山田花子でワンセットな感じ。山田花子を山田雪子にするのは嫌だし、それの多少薄い版で山田花子を田中花子にしたくない感じ。その意味では新姓創設も私個人にはフィットしない。でも、個人特定には番号にして呼称は昔の武将みたいに気軽にどんどん変えてもいい案を見て、それもありかもな、と少し思う。改姓して長い年月がたち、不本意ながら幼少期からの姓ではなくても慣れてしまったのもあるだろうし、素人創作活動でペンネームやハンドルネームに愛着を持てるのを知ったので、自分好みの名前ならいい気もしてきている。
やる気とか生きる気力に満ち溢れてて何かを成し遂げることが正義だという考えを持ってる人を周りに数人置いてるんだけど最近の私は前と違ってそういう考え持たなくなってきたから生きづらい
厳密には持ってるのかもしれないけどそれすることが面倒だしそれで異常に精神病むならわざわざ自分から嫌な方面に行かずに落ち着いてじっとしろて思います
なので無気力人間で何も持ってなくても何もやってなくてもいいじゃないかって思うわけですよ
何かを成し遂げてる人と喋ってる時憧れからなのかなにかしたいって気持ちが出てるんかもしれんけど独りになった瞬間全て無くなる
前の私みたいにアホみたいに生きたら黒歴史製造したり精神病んだりしてしんどいと思う
私って頭悪いから何かすると絶対得られるメリットよりデメリットのがでかくなると思う
なにか成し遂げることは大事かもしれないけど何もしなければ成し遂げた先とか経験の先に到達できなくて、到達した人の気持ちが分からないからクソみたいな人生でも幸せに思えたりもするんだと思う
増田は今年26歳になる。
この年齢にもなれば、そろそろ結婚する知り合いも増えてくる頃合いだと思っていたが、地元の知り合いや大学時代の知り合いを300人近く思い浮かべてみても、男女問わず結婚した知り合いは1人しかいない。
仲良くはなかったが同じ学年、くらいまで広げてみれば、高校卒業してすぐ出産した地元の同級生は、一応何人か居る。
長年付き合っている恋人がいる人は多いが、女性はみな口を揃えて結婚する気はないと言う。
斯くいう増田も結婚する気はないし、今の恋人がどうしても結婚という形に拘るのであれば、相手の将来や年齢を考えてこちらから別れを切り出すくらいの覚悟は出来ている。
相手は今のところ結婚に拘りはないらしいが、自分の名字は絶対に変えたくないそうなので、もしも夫婦別姓が解禁されたら結婚も考えてみようと思っている。それまでは結婚する気はない。名字を変えてくれる相手となら結婚しても良いというわけではなく、名字を変えることを我慢してまで結婚という制度に拘るメリットも今は特に感じないからだ。
仲が良い友人の話を聞いていても、改姓するくらいなら結婚なんてしなくてよいという女性は10人以上いる。
唯一結婚した知り合いは女性の友人だが、相手に名字を変えてもらったそうだ。
それ以上とはそこまで込み入った話をしたことがないのと、増田が女性である関係で男性側の意見は把握できていないので、上記の改姓の件が世代や女性の総意という訳ではないことは断っておく。
また、結婚しない理由としても、別にしなくて良い、という意見を聞くことが一番多かったように思う。
とにかく、明らかに結婚意欲のある同世代が少ない感じがするのだ。増田の交友関係がそういう傾向にあるのは重々承知しているが、結婚したいという話も結婚したという話もあまりにも聞こえてこない。
自分の周りは世間的に見たらマイノリティなのかもしれないが、結婚したくない理由として名前を変えたくないと述べている層が居ることは確かであり、夫婦別姓が導入されることで少子化対策とまでは行かずとも、その前準備くらいにはなりうるのではないか。
これが実現することで結婚を決める人はいても、夫婦別姓になることで結婚を辞める人は、少なくとも自分の周りにはほぼいないように思う。
おじさんおばさん世代はやいのやいのと日々議論を交わしているが、これが実現すれば、微々たるものだとしても結婚する若者はきっと増やせるし、やらなければこれ以上増えることはないと感じている。
おじさんおばさん達の考えるデメリットと、結婚する若者が増えることのどちらが取るべきかを判断できるほど、自分はまだこの問題を正確に捉えられていないが、みなさんが反対するのなら結婚はしないし子どもも産まないので、将来みんなで共倒れしましょうね、という心境だ。
Xでなんで夫婦別姓反対するのかよく分からない、という投稿がバズってた。
自分は断固反対という程の立場でもないが、思う所は色々あるのでちょっと並べてみようと思う。感情的になるほどの思い入れがあるわけではないので、そういう意味では読みやすくしたつもりである。
実際困った立場の人が居るのも事実で、こういう所が解消されて何らかの形に落ち着いてくれればと思う。
選択的だからいいだろ!という声が多い。が、これについては全く信じられない。
例えば、結婚にするにあたって夫と妻どちらを取るかは自由なはずである。が、事実上殆どの家庭は夫の姓を名乗る選択をしている。年の差婚は両者合意で結婚したはずなのにロリコンだ何だと叩かれている。夫を立てる妻、みたいな家庭観も叩かれている。
個々の話に色々な意見は有ると思うが、この世の中には選択的にもかかわらず何故か許容されない選択がある。
断言するが、選択的夫婦別姓のある世界において、夫婦別姓を選択しなかった夫妻が「家父長制」だの「無理やり苗字を変えさせられた」と叩かれる場面がある。別姓を選択するべきだという主張が圧力となるのは避けられない。逆に、なるべく同姓を選ぶべきだという主張も圧として残り続ける可能性がある。
それでもなお価値は有るんだ、それは乗り越えるべきものなんだと言うならそれも一つの意見だが、「選択的なんだから別にいいだろ」という主張を行う者に関しては不信感が大きい。
個人名の約1/2を占める部分に関わり家庭観を変えうる法律は、結婚しない人にも、同姓を選ぶ人にも多大に影響を与える。
それがある未来で選択する重みや、夫婦同姓を願うの立場の人がいることを視野に入れてほしいと願う。
苗字が違うくらいで俺たちの絆は変わらないんだというのは殊勝な心掛けである。
しかし、それに不安を感じる人に対して投げかけられる言葉はいただけない。
実際、「同姓家庭における苗字に相当するものの消失」は、家庭単位で思考する機会を消失させるだろう。
海外では云々と言っても、海外には海外の文化や歴史があった上に成り立っているものである。複合姓、創姓と様々なものを紆余曲折して今に落ち着いていたり、日本以上に改姓が困難な中で不満を抱えつつ妥協していたり、いろいろな事情があるはずである。輸入したいならそれを補うものの考え方も含めてするべきで、いきなり「海外ではこうなのだ」と制度だけを叩きつけても軋轢を生むばかりである。
この話題で何かと言われがちな子供の苗字問題、世帯を呼称する名称は、選択的夫婦別姓がどういう形になろうと一方に決めなければならないことだから埒外として今回は置いておくことにする。初期に見られた「夫婦で立場の偏りをつけたくないから」みたいな動機は淘汰されたと信じている。
その上で、夫婦別姓を行いたい理由は「個人で名乗る名前を変えたくない」「手続きが煩雑」あたりだろう。
「名乗る名前を変えたくない」についてはこれまで通称使用という対応が取られてきた。
経団連なんかはこの状況を良く思っておらず、選択的夫婦別姓を提言するが、自分は通称で問題が発生する状況の方が問題なのではないかと思う。
「キャリアが分断する」、「通称名とパスポートと名前がずれる事務的ミス」そんな例が挙げられるが、そういった事務的手続きの問題のために法律側を操作する疑念がある。
夫婦別姓にしたらしたで「家庭の中に別姓の人が少数いることによって生じる事務的なミス」「別姓の親が迎えに来た子供の扱いに伴う(ry」「別姓結婚状態と未婚の同棲状態の区別がつかないことによって(ry」等別姓世界でも問題は起こるだろう。
「手続きが煩雑」に関しては結婚に伴って籍の移動はどのみち発生するし、場合によっては住所変更等様々な手続きが苗字とは関係なく発生する。
懸念を感じる人は、別姓を法律として取り込む方が問題が起こると考えている人が多いように思う。
同姓におけるトラブルもマイナンバー制度なりORCIDなり社員番号なり、システム面での対応を頑張るだけで解消するところは多いのではないか。法制するにしても、別姓などと大掛かりにせずそれにおいて足りない箇所を補う程度のものでよいのではないか。
そもそも結婚における改姓と言う「瞬間」の煩雑さがあるならば、別姓という「状態」に伴う煩雑さもあるはずである。推進を考えるならこの辺りの議論は為されるべきである。
経団連をはじめ、選択的夫婦別姓推進のいくらかは「通称使用廃止」を願った上での主張である。
つまり、選択的夫婦別姓がある世界においては、(無論一定のフォローはあるだろうが)「苗字を変えて通称する」という選択は難しくなるだろうと考えられる。
とはいえ旧姓を使っていた人が「夫の姓を名乗ります」と言うことは難しいだろう。
このあたりの世代ギャップをどうフォローしていくかも視野に入れるべきと思う。
しかし、「流石に『選択的だから大丈夫』とは思えないし推進派はもっと言葉を尽くすべきだ」「そこまで大掛かりなことをするにはデメリットの方が大きいのではないか」「別姓と言う大目標のために困っている人の時間を浪費するべきでは無い」あたりの思いが強い。
俺は生来汗っかきで、常に脇の下が湿ってると言って過言じゃない。
この湿りをデメリットではなくメリットに思いたい。そうした着想から生まれたのが、脇の下をきのこの菌床にするということだった。
最初は半信半疑、上手くいくかどうか不安だったのだが、ある日起きると違和感が。
そこで脇の下を確かめてみると…生えていた。
ぶなしめじひとつのような小ぶりなきのこがちょこんと生えていたのだ。
それからはトントン拍子に栽培は進み、今では毎日安定した量が収穫できるまでになってきた。
なので最近は朝食のお味噌汁に入れたり、毎日のお弁当に用いたりとでとにかく重宝している。
そんな折、同僚の女性が「増田さんのお弁当って、いつも手作りなんですか?」と聞いてきた。
俺は驚きながらも「え、ええ、そうですね」と答えると「じゃあそのきのこの天ぷらも?」と続けて聞いてくるわけだ。
そうですよと頷くと「すごく美味しそう!あの、ちょっともらっても良いですか?」と彼女が言うので少しあげると「…美味しい!」というので嬉しいやら恥ずかしいやら、なんとも複雑な心境だった。
このきのこって、どこで買ってるんですか?と言うのでとりあえず近場のスーパーの名前をあげると「そこなら…あまり遠くないので、今度帰りにでも一緒に行きませんか?」なんて誘われてしまった。