はてなキーワード: クラスメイトとは
中学時代のクラスメイトが貸したラノベでオタクになって9年目の夏のこと。
人生で目標も意識も理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥な時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。
彼女は某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒の社会人1年生だった。
僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。
当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。
「今までお疲れさま」
「今電話してもいい? もう寝る?」
僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分の電話番号を送信した。
数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。
そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。
「私、増田くんとなら付き合えると思う」
驚いた。本当に驚いた。
それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。
更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。
そんな相手と上手くいくとは思えなかった。
そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。
「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」
そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。
そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。
障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。
それでも彼女は、こう言ってくれた。
「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ
一緒に何でも試してみようよ」
中学時代のクラスメイトが貸したラノベでオタクになって9年目の夏のこと。
人生で目標も意識も理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥な時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。
彼女は某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒の社会人1年生だった。
僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。
当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。
「今までお疲れさま」
「今電話してもいい? もう寝る?」
僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分の電話番号を送信した。
数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。
そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。
「私、増田くんとなら付き合えると思う」
驚いた。本当に驚いた。
それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。
更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。
そんな相手と上手くいくとは思えなかった。
そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。
「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」
そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。
そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。
障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。
それでも彼女は、こう言ってくれた。
「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ
一緒に何でも試してみようよ」
それからすぐに彼女の家が僕の職場に近いことが判明し、彼女の家に引っ越しての同棲が始まった。
一緒に暮らすにつれ様々なことがわかった。
・彼女がヘビースモーカーなこと(つられて僕もタバコをはじめた)
・お互いに性欲が薄く、SEXをしなくても充分満たされること(彼女がキスが好きなため流れでヤることは多かったけどそれでもこれまでに比べたら少なかった)
・彼女にとってのオタク趣味はあくまで趣味の一つで、本当はもっと多趣味なこと。
・彼女は決して、顔で僕を選んだわけじゃなかったこと。
当時の僕は周りからの評価に対して承認欲求だけが異様に強く、強気な発言や嘘をついて炎上したことも多々あった(承認欲求に関してはここに書いてる時点でまだ収まってないんだろうけど当時よりは落ち着いたってことで許して欲しい)
自然と、彼女だけには嘘をつきたくないって思うようになっていた。
自分で作り上げていた「嘘の壁」の中に誰かをこんなにも強く想える自分がいたことにびっくりした。
そこから2年間、僕は彼女の好きになれる自分になろうとして努力した。
努力を重ねた結果、体調とメンタルを壊し、当時の職場を退職した。
そこからすれ違い(一番の理由は「なんでそんなになるまで相談しなかったの」)を起こし、破局した。
知り合ってから約3年、付き合ってから2年半が過ぎ、結婚も視野に入れていた矢先のことだった。
実家に帰って、わずかに貯めていた金を使って地元の温泉宿で1週間ほど色々考えた。
後悔とか開放感とか恨みとか悲しみとか色々な感情が頭と心を巡って、一生分泣いたんじゃないかってくらい泣き通した。
一通りの気持ちの整理がつき、最後に濾過されずに残った感情を確認するとそれは「感謝」の気持ちだった。
そのことに関して、今でも感謝している。
今からやり直すということは不可能だし、彼女には俺じゃない別の誰かと幸せになってもらいたい。
今の僕は君に比べるとあんまり頭も良くなくて家事もそこそこ苦手だけど君と同じくらい可愛くて優しくて音楽と映画が好きな子と付き合ってます。
彼女にこのことを話した時に「今はもう感謝しかないんでしょ? じゃあその元カノさんはますくんの恩人なんだね」って言われてあらためて君の存在の大きさに気づきました。
多分君に出会ってなかったらこの子を好きになることもなかった。
俺は君のおかげで幸せだし、君もどうか幸せになってください。というか今は結婚してるんだし幸せか。
恵美が幸せなら、僕も嬉しいです。
君を幸せに出来なかった分まで、今の彼女のことを大切にしたいと思います。
君は僕の元彼女で、それ以上に僕の恩人で。
だから、僕は君のことを一生忘れないと思う。
彼女の影響で好きになったバンドのライブを見て、音楽に関わる仕事に就きたいと思ってダメ元で応募したイベント会社のライブスタッフ求人に受かってたから備忘録も兼ねて書き綴ってみた。
長文乱文で読みづらかったら申し訳ないです。
俺は高校二年生。
人見知りでコミュニケーションが苦手なんだけど、それでも一応人と話せる。特に、自分と同じかそれ以下のコミュ障となら、生き生きと話せる自信がある。
今年の5月くらいから知り合いになった二人がいるんだけど、二人ともコミュ障。俺はクラスで孤立したくなかったから、愛想よく近づいて二週間くらいで仲良くなった。
二人とも性質の違うコミュ障で、一人は会話のキャッチボールが出来ないタイプ、もう一人は喋り方がうざくて、えぐい返ししか出来ないタイプ。最初はまあ何とかなるだろうな、とか楽観視してたんだけど、4ヶ月経ってこれはもう無理かなと思い始めた。
この二人、単一でならまだ会話出来るんだけど、二人一緒になると相乗効果でカオスになる。
何か話題を膨らませようとしても、一方が別の話題をぶっこんできたり、ネガティブな発言で空気を悪くする。もう、一つの話題で3分持たないレベル。しかも、その二人はそこまで仲がいい訳でもないから、俺が間に入らないといけない。二人の対応を一手に引き受けて、なおかつ会話を続けなきゃいけない。正直、面倒くさい。
クラスの他の奴等も、二人の事を避けてるせいで、必然的に俺の所に来る。近付いてくんなオーラだしても来る。そして自分の話を勝手にし始める。俺の意見なんか多分あまり気にしていない。俺を承認欲求を満たすための道具に使っているとしか思えない。まあ、俺も孤立しないために付き合ってる訳だから、お互いウィンウィンなんだけど、なんかなあ。もうちょっと何とかならないかなと思う。
会話って、お互いに楽しく、時々ボケたり突っ込んだりしながらするモノだと思っていたのに、今はそういう感じじゃない。必死に話題を振り絞って、出来るだけ広げようと頭を使って、終わる事には精神的にクタクタになってる。
だから、一年生の頃のクラスメイトと廊下で話したりすると、会話がちゃんとできてめっちゃ楽しい。これ。これが会話だよ、とか心で叫んでる。
なぜ二人とも自分の異常さに気付いていないのか。それとも、気付いた上でこれが自分の個性だとか思って開き直っているのか。
どちらにせよ、会話出来ないのは駄目だと思う。人として。こいつ等がそのまま成長して、社会でやっていけるのかと思うと少し不安になる。二人みたいなのとしか一緒に居られない自分にも不安になる。
いきなり彼女を作るのはハードルが高い→まずは女友達だ→その前に男友達だ→友達ってどうやって作るの?
小学校の頃はまだ、友人と呼べる程度に親しいクラスメイトの家に遊びに行ったり、または家に来たりがあったと思う。
中学、高校あたりからはもう友人と一緒に遊びに行ったという記憶がない。
そんな状態で大学生になれば当然、誰かと飲みにいったことも遊んだことも、そもそも他人の携帯番号やメールアドレスを教えて貰ったことも教えたこともない。
社会人になっても変わらず、私用のスマホが迷惑電話と宅配業者以外で鳴ったことは一度もない。
つまりはもう20年以上も友人がいなかったわけだが、一体友達ってどうやって作ればいいんだ。
別に彼女とか関係なく、ただ本音で言い合えるような友人が欲しい。
よく趣味を介してとかオフ会でとか言うが、相手はただの知りあいや知人としか思わないかも知れない。
一体どうしたら友達になれるんだ。
増田がDQNネームについて語っているのを見てどうしても増田に書いておきたい衝動に駆られたから書く
これから子供の親になる増田が子供の名前を付ける時の参考にでもなれば幸いに思う
まず肝心の俺のDQNネームの詳細についてだが、俺の名前は謂わば「女みたいな名前」のDQNネームだ
そこでここでは仮に俺の名前を「カミーユ(かみーゆ)」としておきたい
俺が最初に自分の名前について違和感を感じたのは幼稚園の時だった
当時同じ幼稚園に女の子でカミーユという名前の子が複数在籍してて、子供心に「カミーユって名前の男の子はいないのに、女の子は沢山いるんだなぁ」と思っていた
親の都合で転校した先の学校で自己紹介をしたのだが、複数のクラスメイトが示した最初の反応が、「女みたいな名前だな!」だった
この時に初めて自分の名前に羞恥心と嫌悪感を抱いたし、自分の名前が他の人からみたら変な名前なんだということを自覚したと思う
それからというもの自分の名前にずっとコンプレックスがあり、更に周りの反応もそうしたコンプレックスを助長した
「女みたいな名前だよね」というありきたりの反応もそうだったが、初見の教師が必ずと言っていいほど全員「なんだ男か。カミーユだから女かと思った」という反応を示すことも辛かった
女子から「カミーユちゃん」と呼ばれてからかわれたり、髪をヘアピンで弄られたりしたことも辛い記憶として残っている
中学に上がってもそうした周りの反応は依然としてあり、更に今までなかった年齢相応の問題も勃発した
「二次成長」だ
身長が伸び、身体はゴツゴツと骨張り筋肉質になり、喉仏は出て声も低くなった
これが問題になった
俺の見た目と名前のミスマッチ加減は当然周囲からネタとして消費された
中学2年の時だった
それから俺がどうしたかというと、自分に対する周囲の扱いに抵抗するのではなく、自分自身を変革しようと試みた
それは言ってみれば、自分の名前と外見の差異を減らそうという試みだった
当時の俺は、自分の名前は女々しいのに外見が雄々しいことが嘲笑の対象になっているのだから、外見を出来るだけ中性に寄せればいいんだと、そう思い込んでいた
兎に角名前と外見の解離がコンプレックスだったから、変えようのない名前は諦めて、せめて変えられる外見だけでもなんとかしようと考えたのだ
まず最初に口元の青髭から足の脛毛からワキ毛まで全身の体毛を剃った
母親の剃刀を無断で拝借して風呂場でこっそり剃ったのだが、何せ初めて剃刀を使ったので上手く剃れず全身傷だらけになったのを覚えている
次に髪を伸ばした
俺は前髪の毛先が眉毛より上にあり襟足が殆どない短髪だったのだが、前髪が目にかかり襟足が糞ガキ認定を受ける程度の長さまで伸ばした
もう全員敵くらいの認識だった
そして極めつけにAmazonでプエラリアという女性ホルモンの様な作用をするサプリを購入して服用した
本当は女性ホルモンを個人輸入したかったのだが、何せ当時は中学生で自由に使える銀行口座がなかったので仕方なくプエラリアに甘んじた
一日6錠くらい寝る前に飲んで数ヵ月も経つと肌がスベスベになり、髪もサラサラになって胸も膨らみ如実に効果が出た
周囲は俺の突然の変化に対して意外にも冷静だった
何というか、「触れない方がいい奴」みたいな扱いだった
中学生活の後半はこんな感じだったので殆ど同級生とも会話せず、卒業アルバムの寄せ書きは5人くらいしか書いてくれなかった……
もう既に「小ぶりなおっぱい」と言って差し支えないレベルに胸が膨らんでいたので、周囲から弄られることもあったが、生まれつきこうなんだ、と言って誤魔化した
そしてこの頃になると俺は船で隠れて女装をするようになった
「大尉に罰ゲームでやらされた笑」と無理な言い訳を作ってそうした写メを仲の良い友人にLINEで送ったりもした
性自認は男だし女が好きなのだが、男から可愛いと言われたいという欲求が日増しに膨らんでいった
そして高3の時、キリマンジャロ攻略で侵攻していた基地のトイレで大尉のチンコを舐める妄想をしながらオナニーをした
戦争のストレスで頭がおかしかったのも多少は関係しているとは思うが、正直もうこの頃は大尉のチンコを舐めたいという謎の欲求が凄くて船で大尉を見る度にチンコ舐めたいとか思ってた
他にもトーレスやヘンケンさんに日常的にボディータッチする癖がついたりもした
女性ホルモンをとると血栓が出来やすいとも聞くけど、もっと女らしくなりたくて摂取してる
きっと俺は頭がおかしいんだと思う
けど俺がこうなったのも元を辿れば俺の名前が「女みたいな名前」だったからなんだとも思う
俺が「ジャミトフ」とか「シロッコ」みたいな男らしい名前だったら今ごろこんな状態にはなってなかったと思うんだ
ここまで勢いで書いてしまってだいぶ乱文になってると思うけど、とにかく俺がここで伝えたかったのは、「DQNネームでここまで人生狂う人もいるんだよ」ってこと
ただそれだけ
もう20年近く前のことだけど、高校の頃、クラスメイトの水泳部女子が、プールの授業のときに部活で使っている競泳水着を着てきたことがあった。
今はどうなのかわからないけど、当時の競泳水着って薄かったので、乳首が結構目立った。で、男子は大体見てみぬふりをしていたんだけど、俺はバカだったし、その子のことがちょっと好きだったこともあって、かなり見た。見まくった。
当然向こうにもバレてて、ちょいちょい目があったりもしたんだけど、嫌がるわけでもないっつーか、むしろ普通に見せてくれたというか。授業のあとにも何もいわれなかったし、嫌われたりとか、女子のあいだで噂を流されたりとか、そういうのもなかった。
……ってなことを書くと、フラグが立ってたのかとかなんとかもしかしたら思うかもしれないけど、別にそれから卒業まで何があったわけでもなく。
っていうか、その子の彼氏は同じクラスにいた軽音楽部のちょっと不良っぽい男だというのは有名な話だったりなんかして。
なんだったんだろうなあ、と夏になるとしばしば思い出してしまうのである。
なお、高校時代の夏の一番エロい思い出は、部活が休みの日の放課後に部室に行ったら、友達と友達の彼女(Gカップ)がふたりきりでいて、俺が入って行ったら何事もなかったかのように振る舞っていたけど彼女の衣服がめっちゃ乱れていたこと。どう見ても事後です、本当にありがとうございました。
増田がDQNネームについて語っているのを見てどうしても増田に書いておきたい衝動に駆られたから書く
これから子供の親になる増田が子供の名前を付ける時の参考にでもなれば幸いに思う
まず肝心の俺のDQNネームの詳細についてだが、俺の名前は謂わば「女の子みたいな名前」のDQNネームだ
そこでここでは仮に俺の名前を「薫(かおる)」としておきたい
俺が最初に自分の名前について違和感を感じたのは幼稚園の時だった
当時同じ幼稚園に女の子で薫という名前の子が複数在籍してて、子供心に「薫って名前の男の子はいないのに、女の子は沢山いるんだなぁ」と思っていた
親の都合で転校した先の学校で自己紹介をしたのだが、複数のクラスメイトが示した最初の反応が、「女みたいな名前!」だった
この時に初めて自分の名前に羞恥心と嫌悪感を抱いたし、自分の名前が他の人からみたら変な名前なんだということを自覚したと思う
それからというもの自分の名前にずっとコンプレックスがあり、更に周りの反応もそうしたコンプレックスを助長した
「女の子みたいな名前だよね」というありきたりの反応もそうだったが、初見の教師が必ずと言っていいほど全員「なんだ男か。薫だから女かと思った」という反応を示すことも辛かった
女子から「薫ちゃん」と呼ばれてからかわれたり、髪をヘアピンで弄られたりしたことも辛い記憶として残っている
中学に上がってもそうした周りの反応は依然としてあり、更に今までなかった年齢相応の問題も勃発した
「二次成長」だ
身長が伸び、身体はゴツゴツと骨張り筋肉質になり、喉仏は出て声も低くなった
これが問題になった
俺の見た目と名前のミスマッチ加減は当然周囲からネタとして消費された
中学2年の時だった
それから俺がどうしたかというと、自分に対する周囲の扱いに抵抗するのではなく、自分自身を変革しようと試みた
それは言ってみれば、自分の名前と外見の差異を減らそうという試みだった
当時の俺は、自分の名前は女々しいのに外見が雄々しいことが嘲笑の対象になっているのだから、外見を出来るだけ中性に寄せればいいんだと、そう思い込んでいた
兎に角名前と外見の解離がコンプレックスだったから、変えようのない名前は諦めて、せめて変えられる外見だけでもなんとかしようと考えたのだ
まず最初に口元の青髭から足の脛毛からワキ毛まで全身の体毛を剃った
母親の剃刀を無断で拝借して風呂場でこっそり剃ったのだが、何せ初めて剃刀を使ったので上手く剃れず全身傷だらけになったのを覚えている
次に髪を伸ばした
俺は前髪の毛先が眉毛より上にあり襟足が殆どない短髪だったのだが、前髪が目にかかり襟足が糞ガキ認定を受ける程度の長さまで伸ばした
もう全員敵くらいの認識だった
そして極めつけにAmazonでプエラリアという女性ホルモンの様な作用をするサプリを購入して服用した
本当は女性ホルモンを個人輸入したかったのだが、何せ当時は中学生で自由に使える銀行口座がなかったので仕方なくプエラリアに甘んじた
一日6錠くらい寝る前に飲んで数ヵ月も経つと肌がスベスベになり、髪もサラサラになって胸も膨らみ如実に効果が出た
周囲は俺の突然の変化に対して意外にも冷静だった
何というか、「触れない方がいい奴」みたいな扱いだった
中学生活の後半はこんな感じだったので殆ど同級生とも会話せず、卒業アルバムの寄せ書きは5人くらいしか書いてくれなかった……
もう既に「小ぶりなおっぱい」と言って差し支えないレベルに胸が膨らんでいたので、周囲から弄られることもあったが、生まれつきこうなんだ、と言って誤魔化した
そしてこの頃になると俺は家で親に隠れて女装をするようになった
「兄貴に罰ゲームでやらされた笑」と無理な言い訳を作ってそうした写メを仲の良い友人にLINEで送ったりもした
性自認は男だし女が好きなのだが、男から可愛いと言われたいという欲求が日増しに膨らんでいった
そして高3の時、受験対策で通っていた塾の入っていたビルのトイレで男のチンコを舐める妄想をしながらオナニーをした
受験ストレスで頭がおかしかったのも多少は関係しているとは思うが、正直もうこの頃は男のチンコを舐めたいという謎の欲求が凄くて学校で男友達を見る度にチンコ舐めたいとか思ってた
女性ホルモンをとると血栓が出来やすいとも聞くけど、もっと女らしくなりたくて摂取してる
きっと俺は頭がおかしいんだと思う
けど俺がこうなったのも元を辿れば俺の名前が「女みたいな名前」だったからなんだとも思う
俺が「大介」とか「剛」みたいな男らしい名前だったら今ごろこんな状態にはなってなかったと思うんだ
ここまで勢いで書いてしまってだいぶ乱文になってると思うけど、とにかく俺がここで伝えたかったのは、「DQNネームでここまで人生狂う人もいるんだよ」ってこと
ただそれだけ
あるひクラスメイトのベリーショートの女子高生がきれいだと思って追いかけると不意打ちで写真を撮られる
それからはそれまでの付き合いを捨ててカメラ娘にのめりこんでいく
萌えアニメとか萌え4コマみたいな、ただのエンタメなかよしさんを百合(キリッ)と思ってた自分にとっては難しすぎた
上記女二人がただいちゃこらするだけじゃなくて男もかなりがっつりからんだ三角関係の中で描かれる、百合の中でも許容する人とそうでない人がいるタイプの話だった
1回なんとなーく読んだだけだといまいち話とキャラの心情がつかめなかった
うーん1,2巻まで出てた当時は面白いと思えタンだけど完結してまとめて読むとちょっとしんどかったな・・・
あとカメラ(写真)題材ってのとかなりひねくれたテーマをあつかってることから、ひぐちアサのヤサシイワタシ思い出した
あれもわかりづらかったけどあっちのほうがまだ面白さは感じたかなあ
もう一人ではどうしようもない吐き出させて下さい。
変わりたくて、努力してきたけど変われなかった。もう俺はだめかもしれない。
勉強に対するモチベーションも、周りの自分よりも優秀なクラスメイトに付いていく努力も
2年も続かなかった。
長くなるし特定されたくないから詳細は省くけど、高校も中退している。
今の大学は、2か月の引き籠り生活の後、クズな自分を変えようと
自己啓発本を読み漁り、ネットの大海をさまよい、猛勉強の末何とか合格した大学だった。
合格を報告した際の、母の「自分に似なくて良かった(母は自分が大卒じゃない事を気にしていた)、自慢の息子だ」と
涙ぐみながらの言葉が忘れられない。
一流大学の学歴を得て、俺は変われたという自信と社会への繋がりを取り戻せるはずだった。
青春を捧げて合格した俺と違って、周りは部活の片手間や俺の半分の努力で合格してしまうような
優秀な奴ら、俺とはポテンシャルが違った。すぐに落ちこぼれた。
3年生になっても弾性係数の関係式も答えられず教授にやる気がないのなら大学を辞めて働いた方がいいとまで言われた
友達もできない。人と仲良くなりたいのに自分から壁を作ってしまう
人に嫌われるのが怖い。人にどう思われているか気になってしかたない。
大学で頑張る理由が見つからなくなった。俺は環境を変えても、この先ずっと独りなんだと思うと
目が覚めると夕方で、自己嫌悪と失意の中で自分をなじって朝まで眠れない日が続いた。
結局、高校の頃から何一つ変わってなんかなくて俺はクズのままだった。
留年すると奨学金も授業料免除もなくなる。女手一つで俺を育ててくれている母にただただ申し訳ない。
俺が死ぬと母を死ぬほど悲しませてしまうだろうし、それは20年間ダメ息子を育ててたくれた報いとしてはあんまりだと思ったから死にたくはない。
父と兄にどんどん似てきている気がする。
2人とも人付き合いが得意なタイプじゃなくて、孤独で陰鬱とした性格だった。
これから俺は母にこの件について話して、母を悲しませて、そして許して貰えるだろう。
後1年、頑張って卒業しなさいと言ってくれるだろう
人生の夏休みって言われる大学でもこれで、耳タコで聞いてきた厳しい社会人として生きていく自信がない。
とんだ甘えた野郎だと自分でも分かる。嫌いな人間のトップ2は高校時代の俺と、そして今の俺だ。
もう早く楽になれたらと思ってしまう、もう大学は辞めるしかないのだろうか?
こんな愚痴、2chでは死ねって言われるだろうし、知恵袋では罵倒されて終わりだろうと思い
理系や、同じような性格とか経験をした人生の先輩が多そうなはてなでなら色んなアドバイスや、叱って貰えるのではと期待してダラダラと駄文を書いてしまいました。
最初はとんでもない長文になってしまったので、読んで貰えなそうだと思ってかなり省きました。
(追記)
トラバに返信しようかなと思ったら、想像の10倍近いコメントがあってたまげました。
トラバもコメントも全部読みました。こんなうじうじした増田に優しいお言葉を沢山、ありがとうございます。厳しい意見もお叱りもご尤もだなと思えるものばかりですし、
URLや大学の相談に乗ってくれるサービスの紹介もありがとうございます。勇気を出して行ってみようかな。
自分と同じような経験をした方の話も、留年を乗り越えた先輩の経験談も励みになります。
休学して学費を貯めてから復学するという選択肢は思いつきませんでした。(休学中は学費掛からないんですね)
こんな精神状態になる事は、1年生の頃から何回もあって、その度になんとか乗り越えてきたんですけど、
今回は、もう立ち直れないんじゃないかってくらい落ち込んでしまって、ヤケクソになって書きました。
まだ何も解決していませんが、昨日よりは随分マシな気分です。
ときどきだけど、何かを書きたくなる。
でもそういう時に限ってなにを書きたいのか見つからない。
でも、いじめられてた人のエントリがあったので、私もいじめに関することを書きたいと思う。
私は中学時代、「いい子」だった。だから、先生たちから色々な頼まれごとをした。その中に、不登校の子を電話で励ます、というものがあった。
どうもその子は学校でいじめられていて、それで不登校になってしまったらしい。
私はクラスメイトたちのことには興味がなかったので、いじめの内容も全然わからない。少なくとも私は参加してない。しかし、その子のことも全くと言っていいほど知らない。
けれども、先生に言われた通りにその子を電話で励ました。どんなことを言ったのかは覚えていない。
ただ、覚えているのはその年のお正月、その子から年賀状が届いたことだ。そんなものが届くとは思っていなかったからびっくりして、それだけは覚えてる。
そして、その年賀状に返信しなかったことも。
もう名前も覚えていないその子が今どうしているのかは全く知らない。そもそも登校できるようになったかどうかも覚えていない。
だけど、今思えば残酷なことをした、と思う。
先生に言われただけなんていう理由で、人に手を差し伸べるなんていう責任のあることをホイホイするんじゃなかった。
本当に、それだけは後悔している。
思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。
すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。
毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。
いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。
バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。
机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。
遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。
お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。
その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。
みんなが口を揃えて言うには。私はどうしようもないブスで、そのうえ吐き気がするほど汚くて、誰も友達になりたいと思えない、世界一気持ち悪い女ということだった。
きっかけはよく思い出せない。
昔から身体が小さくて、いまで言ういじられキャラみたいな感じだったのが、ゆっくりといじめに変化していった感じだった。
それまでは、体が小さいくせに運動が得意で、女子より男子と遊ぶことが多かった。
だから、男女とか言われることも多かった。
もしかして、それも一因かもしれない。
いじめられて一番辛かったのは、休み時間に誰も遊んでくれなくなること。
集団で遊ぶことが好きだったから、ドッチボールに入れてもらえなくなって本当に辛かった。
三十代の人は、記憶があると思う。
Jリーグが始まってから、休み時間はサッカーをする人が増えた。
いつもそれを指を加えて見ていたけれど、兄弟の友達に誘われて、地域のサッカーチームに参加することになった。
でも先輩にあたる前述の友達や、コーチ達の前ではいじめられることがなく、普通にサッカーができた。
心にはモヤモヤするものがあったけど、一緒に遊べるうれしさがそれを上回っていた。
でも、あんまり上手くなかった。走るのは得意でもボールコントロールが下手だった。
まともに出たことはないけど、一回だけ偶然にシュートを決めたことがあった。
あれは本当に気持ちよかった。
そうやって、子供なりにストレスをコントロールしていたけど、気持ちは徐々に苦しくなっていった。
この時期、うちの親は転校を考えていたようだ。
ちょうど子供の自殺が、全国的に騒がれはじめた頃合いでもあった。
まかり間違っても我が子に死なれたくない。学校に行きたくないと言い出したら、しばらく休ませるか隣の学区に転校させよう。
そう考えて、情報を集めているところだったらしい。
そんな一番辛い時。
あの時のことは、生涯忘れることはないと思う。
参加していたサッカーチームが、とあるイベントに参加することになった。
首都圏にあるサッカーチームが集まって試合をするというイベントで、なんとそこに人気のJリーガーが来るということだった。
事前にカズが来ないと知らされたけど、超有名な選手が10人くらい来ると聞いたので、テンションは下がらなかった。
移動中に諸注意が伝達されて、真っ先にサインをねだることは禁止された。
ブーブー言いながら、なんやかんやとイベントの試合をこなして、ようやく選手とふれあえる時間がきた。
コーチ達に、さあ行っておいでと言われた時には、すでにすごい人だかりができていた。
憧れの選手達がいるのに、とてもではないけど全員と話ができそうにない。
どうしようか……と立ち竦んでいた時、緑のユニフォームが目に入った。
衝動的に人だかりに入っていって、夢中になってユニフォームを目指した。
きっと握手は難しい。
でもせめて、あのユニフォームにさわってみたいと思ったんだ。
他のチームの子をかきわけて、やっとのことでそのユニフォームを握った。
その時、頭に大きな手がやってきて、グイと顔を上げさせられた。
「あ、やっぱり女の子か」
目指していた選手は、私の顔を見てそう言った。
首都圏のチームには、ちらほらと女の子が混じっていたけど、まだまだ数が少なかった。
最初、ショートカットにして日焼けで真っ黒になっていたのに、よくわかったなと驚いた。
次に、ものすごく緊張した。
あっちに行けと言われたらどうしよう。
そんな風に考えて、一瞬で泣きそうになった。
さわろうと思わなければよかった。
イベントに来なければよかった。
急に怖くなって、逃げようとした。
でも頭はガッチリつかまれてるし、前後左右は人だらけで移動なんかできそうになかった。
緊張で固まっていると、その選手は私を見て笑ってくれた。
逆光だったから、笑った時に見えた真っ白な歯が、なにより印象に残っている。
「がんばってね」
その選手は、ひとこと励まして頭をなでてくれた。
たったそれだけだったけど、私の狭い世界を壊すにはそれだけで十分だった。
嫌がられなかった。
臭いと言われなかった。
気持ち悪いと避けられることもなかったし、それどころか笑ってくれた。
周りがみんな敵という状態だったから、好意的に受け入れてもらうという体験が新鮮で、心の底からうれしかった。
しかもその相手は、あの読売ヴェルディの超有名な選手だったのだ。
もちろん良い意味でだ。
あの笑顔と励ましは、ちゃんとそれを教えてくれた。
もちろん辛い時もあったけど、根っこの部分が補強されたから挫けることはなかった。
どんなに汚いと言われても「でもあの選手は、そんな風に思っていない」と思えた。
クラスメイトの言う「みんな」が、本当の意味での「みんな」じゃない。
私はバイキンなんかじゃない。普通の子供なんだ。そう考えられるようになった。
学校ではいじめられるけど、放課後になれば遊んでくれる友達ができたんだ。
しかも、何人も。
その人達は口を揃えて「学校では○○さんが怖いから一緒に遊べない」「クラスでは△△君が見てるから、話ができない」と言った。
他の人達は、その怖い二人の顔色をうかがっていただけだったらしい。
学校では相変わらずだったけど、放課後になれば楽しい日々がやってきた。
その二人は遠い団地に住んでいて、放課後に私が住んでいる団地に来ることはなかったから、存分に遊ぶことができた。
想像はあたっていて、小学校を卒業して中学校に入ったら、徐々にいじめは止んでいった。
しばらくはいじめを続行しようとする人もいたけど、中学を卒業するまでに気がつけば全部終わっていた。
高校に入って、家の近くのコンビニでバイトを始めると、あの時のクラスメイトがお客としてやってくることがあった。
みんな店員が私だと知ると、一瞬気まずそうな顔をする。
そうしたら、みんな照れくさそうに話に応じてくれた。
買い物が終わって出ていく時に、「あの時はごめんな」と謝る人もいたし、それには触れずに「バイトがんばってね」と言う人もいた。
どういう理屈かしらないけど、あの狭くて小さな世界は人を狂わせる。
私は、あの選手に会えたことで外に出ることができた。
本当に幸運なことだったと思う。
なにしろ日本代表として活躍して、それこそ日本中にサポーターがいた選手に、ほんの数秒のこととはいえサポーターになってもらえたんだ。
そんな経験はめったにないことだと思う。
あれから色々なことがあったけど、胸にはいつも「がんばってね」という言葉があった。
いま、人並みの幸せというものを噛み締めながら、あの人に会えてよかった、自殺なんかしなくてよかったと思っている。
昨日の夜、旦那と子供が遊んでいるのを見ていて、ふとお礼がしたいなと思った。
私の人生を救ってくれたあの選手に、ありがとうを伝えたいと思いついた。
いまさら気恥ずかしくて、とてもメールなんか送れないけど。ここに書くことで、いつか偶然にでも目に入ってくれればうれしい。
何万人もの子供に応援されてきたあなたは、私を覚えていないと思いますが、私はあの日のことを絶対に忘れません。
あれから、やっぱりサッカーは上達しなかったけど、いまも家族でJリーグを応援しています。
旦那と出会い、影響されてとあるチームのサポーターとなり、時々スタジアムに足を運んでいます。
あんなにヴェルディっ子だった私が「緑は大っ嫌い♪」と歌う日が来るとは思いもしなかったのですが、いまもサッカーは大好きです。
あの時は、本当にありがとうございました。
あなたは、きっとこれからもサッカー人生を歩んで行かれることでしょう。
そんなあなたを、遠い場所からではありますが、これからもずっと応援し続けていきたいと思っています。
あの時、いじめられっ子の小学生だった、あなたのサポーターより。
一生やるつもりはない。
私は普段アニメでもドラマでも映画でも一人で(部屋で)見てキャーキャー言うタイプ。
だから応援上映のシステム自体はというかその発想はおかしくないし普通だと思う。
とにかく嫌なのは、応援上映での発声がパターン化したり大喜利化したりすること。
私は、その作品を私なりに見て私なりにキャーキャーしたいのであって、他人のキャーを押し付けられたくないのだ。
学校の先生の、私にとってクソ面白くない話にクラスメイトがお愛想で笑っているのを聞いてもさらに興ざめするだけ。
とは言え、今までの普通の上映でもプッと吹き出す程度のことはあっただろうし、それが心からのプッなら別にいい。
最悪なのが、ここでこういうコールを入れて笑いを取ってやろうみたいな面白くない人である。
私は実際見てないから詳しく知らないけど、そういう仕切りたがる人みたいなのツイッターで話題になったよね。
いや、お前のステージを見に来てるわけじゃねーよ。と。
それこそ、オタクのコール問題がどうこうなってるらしいが、結局、何をしに来たの?っていう話だと思う。
私の中では、やっぱり映画は黙って見たい。
実際、いつもポップコーン買って食べながら見てるけど、あれだけ「見る」ことだけ、ただインプットするだけに集中できる時間はないと思う。
私が映画自体そんなにホイホイ見られる環境にないからかもしれないけど、ただ「見る」だけ、その時間にお金払ってるんだから、その映画だけを見たい。
結局、別に、応援上映自体はどうぞご勝手に、なんだけど、応援上映こそが真で愛で正義で普通に見るのは人生損してる!みたいなのが嫌。
「ちはやふる」を読んだときに脇役の同じ部活の子だったかクラスの子だったかがかなり簡略な絵柄で描写されていて、「主人公たちにとっては、あるいはこの世界にとっては、こいつはその程度の存在なのか」と大変冷え冷えとした気持ちになったことがある。いままた別の有名な少女漫画を読んだらクラスメイトが同様に描写されていて、同様の気持ちを体験した。
少年漫画や青年漫画ではあまり意識したことはないのだけど、少女漫画では中心のキャラとその他の描写の密度の差異が大きくなる傾向があるのだろうか。それとも少年漫画などでも同程度のことが行われているけど、僕が少女漫画的省略の文法に不慣れなためにより大きな差異を見出してしまっているのだろうか。
解読してみた。
のどちらかを入学時点で選択する仕組みで、目先の興味に引っ張られて入学後すぐに世界史を受講できる1を選んでしまった。
クラスの中には理系コースを選んだ人もいるから分母はクラス全員よりは小さいけれど、それにしても文系コースを選んだクラスメイトの中で1コースを選んだ人間がたったの2人しかいないのは、1コースが少数派であることの証である。
この周囲の傾向を見る限り、他の高校でも文系志望者の大部分は、日本史ではなく世界史でB科目を選ぶのが主流だと考えられる。
そうだとすれば、世界史でB科目を選ばなかった自分はおそらく大学に行っても世界史では周囲についていけないに違いない。
あってますか?