はてなキーワード: たらい回しとは
昨今の健康な男子なら、一度や二度すけべえなサイト見て、やたら重かったり、たらい回しにされた経験があると思うんだけどさあ
そりゃあ私も今じゃあ「広告収入で稼ごうとしてんだろうなー仕方ないね」くらいにしか思わないわけよ。
でもさ最近、ネットでは有名な某人の作ったエロサイトを見たのね。
これもやたら重いの。広告ベタベタ。しかも明らかに自動投稿な。オマエ絶対その動画見てねえだろってヤツ。
別にそれが悪いとは言わないよ。自動投稿、楽だもんな。広告踏ませてアフィリエイトおいしいですだもんな。楽して金もらえるなら私だって欲しいよ。
でもさ、見る側としては重いし広告だらけでスゴイ不便なサイトなわけ。
もちろん、それは作ってる側も分かってて、わざと重くしてるんだよ!ホントはもっと軽くも出来るんだよ!でもお金儲けのために(ryてことで、やってるわけでしょ?
だからひどいサイトなのは仕方ないと思うよ。そこは分かってる。ホントにひどいなーと思ったけど。
だけどさ、ひどいサイト作って「わたしがつくりました!」ってアピるのって、どういう神経してんのかな。どんだけ必死なんだよ。って思ったんだよね。しかも、別に酷評もされてないのな。ってことは、同業者は知ってて放置してるってことでしょ?(作者はネットでは有名人だからね) これってさ、放置してる同業者も、こういうプログラマ・エンジニアを放置してたらどうなるのかって考えないのかなーって思うわけ。こんなの「こんな人でも、こんなエロクソサイト作って広告収入を得ています!」って宣伝してんのと一緒じゃん。それ見たとき「あー。こいつら快適なサービス・システムを提供するとかより、自分とか同業者の金儲けの方が大事なのかな。職業倫理とかどうでもいいのかな」って思ったの。
だったら自分で軽いサイトでも作ってオナってろよって話なんだろうけどさ、
自分の子供に「ほーら。これがパパの作ったお金の成る木だよー」とでも説明すんのかなーとかは置いておくにしても、
クソサイト量産して自分は儲けて、後は焼け野原になっても知らね。ってスゴイなー焼畑だなー飛び火しないかなーって思ったの。それだけ。
今ネット界隈でにわかに話題になってる公務員の残業多すぎワロタwwwっていう報道
残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員なぜそんなことが許されるのか
http://www.j-cast.com/2012/09/21147316.html
案の定、2ちゃんねるでは盛り上がり、まとめブログもしっかり紹介
【貴族】残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51906836.html
そもそも、公務員の給与が民間に比べて高いというイメージがある。
現場にいると、そんな気はしないけれど、そもそも日本の労働環境が悪化し賃金が伸びない状況下では給与が相対的に上がっている。
加えて、現在のデフレ経済下では、実質的に給与が値上がりしているともいえるし、私が住む街も基本的に仕事がなく、銀行員、教師、そして公務員という職業が一種の特権階級のように思われているのも事実である。
あと、公務員というと何か暇そうだというイメージがある。具体的には以下の様な感じだろうか。
ゆめみがちサロン : とある公務員の1日のタイムスケジュールが怠惰すぎる
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51410325.html
当然、冗談半分だと思うが、民間に比べて役所は暇そうだというのは市民から言われる。
それでは、実態はどうかというと、公務員の取り巻く環境というものは
1 公務員数の削減
2 高齢化の進展
今まで二人でやってきた仕事を、一人で受け持つことになり当然作業量が多くなる。
生産性を高めようとしても、市民サービスの向上を叫ばれているので、ベルトコンベアーのように効率化できない。
特に顕著なのが、生活保護を担当しているケースワーカーである。
基準では80世帯が相当だと言われているが、実際は100世帯を超える。
不正受給問題なので、チェックを強化しようにもキャパを超えているし、自立に向けたきめ細かい行政サービスも不可能である。
不正受給問題も、自立支援の強化もケースワーカーの数を増やせばいいのだが、現在の日本においては逆に公務員の職員数を減らすことが行われている。
財政再建の名の下に職員数の新規採用の抑制などを行い、一人当たりの負担はより増えていく。
加えて、高齢化の進展によって高齢者の窓口対応業務が年々増えている印象がある。
若い人は日中忙しいので実感はないかもしれないが、日中の市役所のフロアは、まるで病品のように高齢者、年配の方が大半である。
かつては地域のコミュニティがあり、そこに高齢者が集まっていたが、現在ではそのようなコミュニティが失われ、お世話をする民生委員も少なくなったせいか
役所に入り浸る高齢者が増えてきている。用事はないけど、話をきいてもらいたい、といった件数が増えている。
日中にやるべき事務処理があるが、窓口対応、電話対応に忙殺され、結果的に営業が終わる5時以降にしか事務仕事ができないということになる。
市民サービスであるので、きめ細かくやらなくてはいけない。しかし、その線引が難しい。
現在、役所ではワンストップサービスを進めているが、そもそも行政の仕事は多岐にわたり非常に困難である。ゆえにいろんな部署、関係各課と連携しているわけだが
市民からしたら、いろんな部署をたらい回しにされているという印象を抱く。
また団塊の世代の増加によって、一言モノ申す的な件も増えてきた。
今まで以上に慎重な対応を求められ、対応するごとに顛末書、報告書を書くので事務処理の増加になる。
ある職員が言った言葉が忘れない
「福祉から移動になったけど、個々の業務でも結局。高齢者対応がメイン。だから、もはや高齢者福祉と行政サービスはイコールだ」
現在、国家公務員の人件費削減が進められつつあるが、地方公務員の給与削減も時間の問題である。
今後、民間と同じく賃下げが行われるは確実で、今回のニュースをきっかけに公務員の残業代見直しの機運が高まる可能性がある。
現在の市議会なども定数削減が行われ、かつてのように何もしないのでは市民から厳しい叱責があるそうで、議会への個人質問に力を入れている。
(しかし、その質問が増えれば増えるほど、答弁に答える執行部である職員の負担は増える。)
ただ、今後自称(改革派)の議員などは、公務員の身分保障について厳しく追求してくるだろう。
そのモデルケースが大阪の橋下市長であり、彼は公務員を叩けば人気につながる、労組を叩けばもっと人気につながるということを体現した。
今後、公務員の給与引き下げの突破口として、残業代抑制へとつながり、住居手当、通勤手当、といった各手当もやり玉に上がっていくだろう
しかし、だからこそ政治が機能してデフレ経済の克服するための政策を実行し、民間活力を伸ばす環境づくりをしていくべきである。
バブル期などは、公務員になることが馬鹿だと思われていた時代でもある。公務員は確かに下がらないが、同じ上がらない。
したがって、建設的な議論としてはそもそも低すぎる賃金を上げてもらうことではあるが、その主役である労組がもはやボロボロなのでそんな力もない。
応援していた某民主党も結局、自民党に対抗できる存在でなく、自民党から出馬したかったけどコネがなかった保守派議員が主流になってしまった。
結局、一番声上げなくてはいけない若者が忙しくなり、政治や行政に対して発言できなくなり、
代わりにお金と時間を持て余した高齢者が行政に殺到している現状がある。
高齢者ほど不安になり、救いをもとめて今日は福祉、明日は税金、明後日は。。。というように役所をさまよう。
そこに市民団体やら議員が加わって、本当に困っている人、本当に行政の支援を求めている人が見えにくくなる。
職員の声は大きくなり、文章のフォントも大きくなり、高齢者が忘れて、あとで水かけ論にならないように詳細に顛末書、記録を取るようになるでしょうし、実際やってます。
こうして若者はより政治や行政から遠ざかり、一方で公務員試験の勉強に励むのだろうと思う、この国の未来を絶望せざるを得ない
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
ブログを始めました
今ネット界隈でにわかに話題になってる公務員の残業多すぎワロタwwwっていう報道
残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員なぜそんなことが許されるのか
http://www.j-cast.com/2012/09/21147316.html
案の定、2ちゃんねるでは盛り上がり、まとめブログもしっかり紹介
【貴族】残業年1873時間で783万円、年収1574万 さいたま市職員
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51906836.html
そもそも、公務員の給与が民間に比べて高いというイメージがある。
現場にいると、そんな気はしないけれど、そもそも日本の労働環境が悪化し賃金が伸びない状況下では給与が相対的に上がっている。
加えて、現在のデフレ経済下では、実質的に給与が値上がりしているともいえるし、私が住む街も基本的に仕事がなく、銀行員、教師、そして公務員という職業が一種の特権階級のように思われているのも事実である。
あと、公務員というと何か暇そうだというイメージがある。具体的には以下の様な感じだろうか。
ゆめみがちサロン : とある公務員の1日のタイムスケジュールが怠惰すぎる
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51410325.html
当然、冗談半分だと思うが、民間に比べて役所は暇そうだというのは市民から言われる。
それでは、実態はどうかというと、公務員の取り巻く環境というものは
1 公務員数の削減
2 高齢化の進展
今まで二人でやってきた仕事を、一人で受け持つことになり当然作業量が多くなる。
生産性を高めようとしても、市民サービスの向上を叫ばれているので、ベルトコンベアーのように効率化できない。
特に顕著なのが、生活保護を担当しているケースワーカーである。
基準では80世帯が相当だと言われているが、実際は100世帯を超える。
不正受給問題なので、チェックを強化しようにもキャパを超えているし、自立に向けたきめ細かい行政サービスも不可能である。
不正受給問題も、自立支援の強化もケースワーカーの数を増やせばいいのだが、現在の日本においては逆に公務員の職員数を減らすことが行われている。
財政再建の名の下に職員数の新規採用の抑制などを行い、一人当たりの負担はより増えていく。
加えて、高齢化の進展によって高齢者の窓口対応業務が年々増えている印象がある。
若い人は日中忙しいので実感はないかもしれないが、日中の市役所のフロアは、まるで病品のように高齢者、年配の方が大半である。
かつては地域のコミュニティがあり、そこに高齢者が集まっていたが、現在ではそのようなコミュニティが失われ、お世話をする民生委員も少なくなったせいか
役所に入り浸る高齢者が増えてきている。用事はないけど、話をきいてもらいたい、といった件数が増えている。
日中にやるべき事務処理があるが、窓口対応、電話対応に忙殺され、結果的に営業が終わる5時以降にしか事務仕事ができないということになる。
市民サービスであるので、きめ細かくやらなくてはいけない。しかし、その線引が難しい。
現在、役所ではワンストップサービスを進めているが、そもそも行政の仕事は多岐にわたり非常に困難である。ゆえにいろんな部署、関係各課と連携しているわけだが
市民からしたら、いろんな部署をたらい回しにされているという印象を抱く。
また団塊の世代の増加によって、一言モノ申す的な件も増えてきた。
今まで以上に慎重な対応を求められ、対応するごとに顛末書、報告書を書くので事務処理の増加になる。
ある職員が言った言葉が忘れない
「福祉から移動になったけど、個々の業務でも結局。高齢者対応がメイン。だから、もはや高齢者福祉と行政サービスはイコールだ」
現在、国家公務員の人件費削減が進められつつあるが、地方公務員の給与削減も時間の問題である。
今後、民間と同じく賃下げが行われるは確実で、今回のニュースをきっかけに公務員の残業代見直しの機運が高まる可能性がある。
現在の市議会なども定数削減が行われ、かつてのように何もしないのでは市民から厳しい叱責があるそうで、議会への個人質問に力を入れている。
(しかし、その質問が増えれば増えるほど、答弁に答える執行部である職員の負担は増える。)
ただ、今後自称(改革派)の議員などは、公務員の身分保障について厳しく追求してくるだろう。
そのモデルケースが大阪の橋下市長であり、彼は公務員を叩けば人気につながる、労組を叩けばもっと人気につながるということを体現した。
今後、公務員の給与引き下げの突破口として、残業代抑制へとつながり、住居手当、通勤手当、といった各手当もやり玉に上がっていくだろう
しかし、だからこそ政治が機能してデフレ経済の克服するための政策を実行し、民間活力を伸ばす環境づくりをしていくべきである。
バブル期などは、公務員になることが馬鹿だと思われていた時代でもある。公務員は確かに下がらないが、同じ上がらない。
したがって、建設的な議論としてはそもそも低すぎる賃金を上げてもらうことではあるが、その主役である労組がもはやボロボロなのでそんな力もない。
応援していた某民主党も結局、自民党に対抗できる存在でなく、自民党から出馬したかったけどコネがなかった保守派議員が主流になってしまった。
結局、一番声上げなくてはいけない若者が忙しくなり、政治や行政に対して発言できなくなり、
代わりにお金と時間を持て余した高齢者が行政に殺到している現状がある。
高齢者ほど不安になり、救いをもとめて今日は福祉、明日は税金、明後日は。。。というように役所をさまよう。
そこに市民団体やら議員が加わって、本当に困っている人、本当に行政の支援を求めている人が見えにくくなる。
職員の声は大きくなり、文章のフォントも大きくなり、高齢者が忘れて、あとで水かけ論にならないように詳細に顛末書、記録を取るようになるでしょうし、実際やってます。
こうして若者はより政治や行政から遠ざかり、一方で公務員試験の勉強に励むのだろうと思う、この国の未来を絶望せざるを得ない
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税制改革&社会保障制度の見直しが議論に上がっている今だから、大野更紗氏の「困ってるひと」に寄せて、再び想うことを書いておきたい。
大野更紗氏が語る現状のセーフティネットについて、社会保障の手続きの難解さを「モンスター」と呼んでいる。何故か?…それは
「何がどうなっているかわからない」からなんです。制度の構造や仕組みが理解できれば「モンスターだ」なんて誰も思わない。「何がどうなっているのか」が、まったくわからない
から。
「日本のセーフティーネットはスカスカ」―『困ってるひと』著者・大野更紗氏が語る社会保障の“現実” (1/4)(BLOGOS編集部) - BLOGOS(ブロゴス)
改めて拝読して、ため息以外に何も出てこなかった。自分たちのいる荒野があまりに広大かつ迷路のようだからだ。
引用が長くなるが、
ところが、この制度を利用するためだけでも、毎年更新が必要です。その度に大量の書類をそろえなければならない。…
自分の体が動かない状態、役所まで出向けない状態で、延々とお役所の窓口ジプシーみたいなことをしなければならない。この制度をひとつ利用するだけでも、「困ってるひと」には大変なことです。そのほかにもさまざまな制度がありますが、一つひとつ自分が何を使える可能性があるのかを調べるだけでも、書類の山と格闘しなければならない。
:
自分がそういう状況に陥って、「ここまで大変な状況なのに、どうしてこれまで誰も何も言わなかったのだろう」と非常に不思議に思いました。そこで、よくよく考えてみると、「ここまで大変」だからこそ、実際に当事者になってしまうと「生きているだけで精一杯」で、物事を整理するとか、発信するとか、助けを求めるといったことができなくなってしまうんです。それが日本の社会制度の現状がモンスターたる由縁かなと思います。
まったくその通り。ここで、
比較的動ける難病患者・ネットに明るく情報収集し易い・家族の支援が得られる・主治医も難病支援の制度に詳しい
VS.
病状が重篤・独居・ネットにも明るくなく頼れる友人もいない・主治医すらその手のことまで知らない
この2種類の患者に、かなりの格差が生まれることを知る人は少ないのではないだろうか? お若くて頭の回転の早い大野更紗さんですら、書類の山、制度の複雑さにお手上げ状態だったのだ。
病状が重く、鬱状態にも陥り易い、難病患者にお手軽な方法は「無い」。手帳というのもないので、いわゆる「障害者」支援への手の届きやすさとは大違いなのだ。
お役所も制度を使う人がいなければ、運用する前例がつくれないため、経験やノウハウが蓄積されないですよね。使う側も電話をかけて「前例がないので」と一旦断られてしまうと、それであきらめてしまう。
なぜ「あきらめる」のか? 気力が続かないからなのだ。もう窓口で相談するだけで体力気力を消耗疲弊し、担当者が否定的な言葉を発しただけで、その次の方法を考える気力など残らないのだ。
難病患者の人たちというのは、わたしを見ていただければわかるとおり、見た目でその辛さや、障害の度合いを判断することはむずかしいですよね。こうした「見えにくい障害」は、現行制度の中では、判定の過程で障害を軽く見積もられがちなんです。そういうシステムになっている。3つの分類にきちんと収まらないために、いわゆる「制度の谷間」といわれる部分に落ちてしまうのです。
これこそが問題なんだと思われる。
最新の推計で
数値で見ると、約10倍の違いだが、個別に見ると実は、亡くなっている方も半端ではないのを考慮にいれていない。
難病患者のほとんどは、見た目は健常者と全く区別がつかない。手も足もあるし、普通に歩ける人もいるし、リウマチ患者の方と似ていると言えば分かりやすいかもしれない。気をつけて見ると、指の関節が変形していたり、というのと同じレベルだ。
ちなみに自分は7年前に全身性強皮症と診断されたが、見た目は元気、上から下まで気をつけて見てもどこも健常者と変わらない。手指を触わると、え?と驚かれるぐらい硬い。寒冷刺激でレイノー(指先などに血液が行かなくて真っ白や紫色になること)が出ても大概手袋をしているので分からない。マスクをしていても、最近インフルエンザが流行っているのでまったく周囲と違和感がない。
そういう自分も大野更紗さんと同様、診断ジプシー約半年。たらい回しの末、とある大学病院の膠原病内科で「たとえ、精密検査で確定診断できても、今の医学ではどうすることもできない」と確定診断すら断られた。
夫とともに絶望しせめて静養のためにと引越しまでしたあと、ネットで研究班の存在に辿り着き、窓口のドクターにメールで相談できた。そこから一気に、確定診断、治療方法を決めるための検査入院。ステロイド剤投与量が決まって、するすると症状が回復した。今は一定量のステロイドと血管拡張剤が、自分の身体を見かけ健常者にしてくれている。
そうじゃない同病者もかなり多く、自分は半年と言えども、確定診断が早かったお陰で内臓病変までの進行を免れた口なのだ。指に潰瘍もないし、模範的患者とも言える。もちろん、薬の副作用や、細々した不具合は置いておくとしてだ。
なんだかんだと言って自分には何も変える力はないけれど、忘れたくないのは、自分が「困ってるひと」になって初めてイロイロな気づきがあったこと。感謝とまでは言わないが、これは大切な財産かもしれないと思っている。
経済成長で全体のパイの大きさを何とかして大きくしようと努力する人たちがいて、かつわたしたち側というか、制度や社会保障とか「困ってるひと」の問題について考える側は緻密なパズルを組み合わせていく
大野更紗さんがそうおっしゃっていたとおり、パイを大きくすることも勿論必要かもしれないが、パイの切り分け方をもっと真剣に考えて欲しい、切り分けたパイの運び方も考えて欲しい、切にそう思う。そのために自分にできることは何なのか?今の迷いはそれだ。
現状、現場では
それを切り分ける側も、もらう側も、明快に解るような指針なるものが必要なんだと思う。
大野更紗さんがおっしゃるセーフティネットが「スカスカ」の意味を実感できている人がどれだけいるだろう? セーフティネットの隙間からこぼれ落ちている人が一体どれだけいるのか自分には把握できない。同じ難病患者でも、症状が軽ければ気付かずに過ごしてしまうところだろう。
しかし、居るのだ。実際に「困り果てている」にも関わらず、命に関わるかもしれないにも関わらず、見捨てられている人達が。福祉を受ける側にも「格差」があり、症状が重篤なほど本人は何もできず、何かをする術も知らず、それでも生きているしかない。そんな人達をすくい上げることが、今後私たちにできるのだろうか?
この数値は行政が把握して受給票を発行している人数 (横道だが、たまたまご近所で同じ病気の方が2人いて、確定診断されたときにはすでに「間質性肺炎」という重篤な内臓病変が進行しており、立て続けに亡くなったばかりだ) であり、実際の人数は不明だ。
「健康で文化的」とまでは言わない。憲法に謳われている「最低限度の生活を営む権利」が侵されたとき、「命」の不公平さを感ぜずにはいられない。
風邪で寝込んでいる間に夏目友人帳を見た。見始めたら止まらなくなってしまった。これは面白かったと言っていいのだろう。
ところで、どうしても気になる点が一つ。
夏目の周りの人たち、同級生や藤原夫妻など、彼らの気の長すぎるほどの優しさに対する違和感はどう対処すればいいの?
夏目友人帳は、自分一人だけに妖怪が見えるということが原因で長い間他人とうまくやってくことができなかった主人公の夏目タカシが、
藤原夫妻という養父母やよき友人たちのもとで、周囲に自分を受け入れてもらう、その難しさや怖さを徐々に克服していくことに焦点を当てた成長物語としての側面を持っている。
もちろん魅力はそれだけではないのだろうけど、
彼の成長、あるいは彼がなかなか成長をしないことに対するじれったさが、
見るものを惹きつけ、続きを見たくなる一つのドライビングフォースとなっていることは間違いない。
ところが、こういう見方をした時にどうしても気になる点がある。
物語中での彼の成長を描くために、過去との対比がよく用いられる。
過去で描かれる夏目は、妖怪のせいで周囲の人から奇妙な行動を目撃されたり、虚言癖があると指差され、距離を置かれる。
さらに、両親がいないために、親戚をたらい回しにされ、自分の居場所を持つことができない非常に孤独な少年として描かれる。
一方で、現在の彼は、藤原夫妻という「優しい」夫妻に引き取られ、高校でも「優しい」同級生に恵まれ、
多少奇妙な言動を見られたり、変なことを言っても、幸いなことに距離を置かれることはない。
むしろ、北本や西川、笹田といったクラスメートは、初期お世辞にも愛想が良いとはいえない夏目に対してすら好意を持ち、
おれは作品の欠点を意地悪くつつくような血気盛んなタイプではないし、
多少気になることがあっても見えないふりをして楽しめる方だと思う。
少なくとも物語のスタート地点での夏目個人は、過去の夏目と同一だろう。
それが周囲の人たちに恵まれて、徐々に心を開いていく。周囲の人達に支えられながら、夏目が成長しているのである。
ところが、過去に出てくる人たちも、必ずしも意地の悪い人というわけではない。
引き取ってくれる親戚も、一部を除けば夏目のことを悪く思っているわけではないし、
同級生も少なくとも転入してすぐには親しくしてくれようとする、とこれは夏目自身が回想している。
これを拒んでしまう夏目自身、そして言動、虚言癖によって徐々に溝ができてしまうというのである。
すると、過去と現在との違いは果たして何なのだろう、ということになる。
物語初期には、他人の好意を条件反射的に拒んでしまう夏目はいまだ健在で、おかしな言動だってある。
確かにこれは徐々に改善されていくのではあるが、その素地は彼自身にあるのではなく、
それまでただひたすら優しく彼の未熟さを受け入れてかまってくれる友人たちにあるのだ。
現在の彼らが夏目に対してひたすら優しい笑顔を向けていられるのだろうか。
あるいはもっと単純に言ってしまえば、アニメ1クールを通してひたすらやさしい友人たちに対する違和感、これが気になって仕方がなかった。
物語としてテーマを浮かび上がらせるためには、単純化というやり方は効果のある手法だと思う。というか物語ってそういうものだ。
ところが、この単純化された物語に対して現実感、あるいは説得力を持たせるためには、
その特殊な設定が許される理由付けが無くてはならない。
もちろん、説得、というのは相手がいるものであって、どれだけしっかりとした理由付けが必要となるかは受け手によるだろう。
理由がなくても流せる人もいるだろうし、逆にもっと極端に目に付く人もいるし、また受け手の体調なんかにも左右されるだろうから、
別に絶対的にうまいやり方はないし、そもそも現状がうまくないと言えるわけではもない。
ただ自分にとってはどうしても気になって仕方がなかったということだけ。
おれの疑問としては、みんなこの「夏目の周囲の人の極端なやさしさ」をどう消化しているのだろう?
ということである。気にならないのか、どうなのか。
最後にこれはかなり個人的な背景が影響することかもしれないが、おれにとってつい次を見てしまう動機となったのはむしろ、
「いつになったら周りの人がイラッとした表情をみせるだろうか」
というジリジリとした緊張感があったような気がする。
自分にとって夏目のいる全く悪意のない環境というのはとても不自然で、
誰かが舌打ちをすることで現実感が生まれるはず、
もっといえば現実感をつかむために誰かが夏目に対して(これはつまり感情移入している自分に対して)舌打ちをしているのを待ってる、
どこまでいけば舌打ちされるのだろうかというジリジリとした緊張感こそが、次を見てしまう原動力となった。
1クールみてからは、この物語には悪意はないのだということを了解したために、そういう緊張感はなくなったのだが。
どうなんですかね。
不信任案が否決される。
自民党的なモノを否定して政権についた身にとっては、自殺行為であるという事に、気がつかなかったようである。
政権や議席は維持できたが、民意はいっそう離れたわけで、首相の首を挿げ替えたとしても、たらい回しでしかない。政権担当能力が無いという事については、なんら変わっていないわけで、次の首相が誰になったとしても、国民の支持は集まらない。衆議院の3分の2が使えなくなった以上、参議院の過半数を取る為に公明党との連立・連携が必要となる。次の民主党代表は、公明党に指名権があるという状態になったわけである。
野党の出した不信任案に乗じるのは党人としていかがなものかという理屈を通した為に、野党、それも、Casting voteを握っているだけの弱小勢力に党代表の指名権を握られるというのは、本末転倒である。この点においては、自民党よりも愚かだと断言できる。
支持無き政権がどうせ不人気ならばと、消費税の引き上げをやらかすようである。社会主義政権特有の所得の再分配政策であり、富の生産が無ければ分配すべき富自体がなくなっていくという現実を食い止めるどころか、加速させるだけとなるであろう。
この内閣不信任案によって、菅内閣だけでなく、民主党自身がlame duckである事が、明白となったわけである。
残り任期をlame duckとして過ごすというのは、日本の政治がその期間、麻痺したままとなるという事である。
国民の支持を失った政党が任期一杯まで居座るという現象を防ぐ為に、国会議員に対するリコール制度が必用であるという認識が広がった事が、民主党が政権についた事によって生じた、唯一の良い事である。
自民党的なモノを否定して政権についた身にとっては、自殺行為であるという事に、気がつかなかったようである。
政権や議席は維持できたが、民意はいっそう離れたわけで、首相の首を挿げ替えたとしても、たらい回しでしかない。政権担当能力が無いという事については、なんら変わっていないわけで、次の首相が誰になったとしても、国民の支持は集まらない。衆議院の3分の2が使えなくなった以上、参議院の過半数を取る為に公明党との連立・連携が必要となる。次の民主党代表は、公明党に指名権があるという状態になったわけである。
野党の出した不信任案に乗じるのは党人としていかがなものかという理屈を通した為に、野党、それも、Casting voteを握っているだけの弱小勢力に党代表の指名権を握られるというのは、本末転倒である。この点においては、自民党よりも愚かだと断言できる。
支持無き政権がどうせ不人気ならばと、消費税の引き上げをやらかすようである。社会主義政権特有の所得の再分配政策であり、富の生産が無ければ分配すべき富自体がなくなっていくという現実を食い止めるどころか、加速させるだけとなるであろう。
この内閣不信任案によって、菅内閣だけでなく、民主党自身がlame duckである事が、明白となったわけである。
残り任期をlame duckとして過ごすというのは、日本の政治がその期間、麻痺したままとなるという事である。
国民の支持を失った政党が任期一杯まで居座るという現象を防ぐ為に、国会議員に対するリコール制度が必用であるという認識が広がった事が、民主党が政権についた事によって生じた、唯一の良い事である。
お役所に嘆願書だしたり異議申立ての電話したりしてもたらい回しされるばかりで一向に相手にされないというのはよくある話。たらい回しにされたあげく前向きに善処しますというのがオチ。俺はこの前向きに善処しますという言葉が大嫌い。役人はいちいち固い言葉でのらりくらりとはぐらかす。あいつらに打ち勝つにはどうしたらいいのか?答えは簡単。しつこく行けばいいのだ。言っておくが無茶な要求がこれで通るとは思うな。無理なものは無理。だけど可能性があるものに可能性を開くことはできる。役所はしつこく何度も通ってくる人を嫌う。彼らは忙しいというのもあるし、テンプレ的な回答がだんだん通用しなくなってくるからだ。役人は毎日似たような相手を相手してるから、こう言ってくる奴にはこう言うというふうにテンプレを持っている。別に明文化されてるわけじゃないがそういうテンプレを持ってることは1つの件で役所に通い詰めたことのある奴なら分かるだろ。そのテンプレを崩すことが大事。何度も無駄に通うわけじゃないんだ。相手の弱点を見極める。テンプレには必ず穴がある。そこを突く。何度も通っているうちにこちら側にもテンプレができてくるのだ。役人がこう言い逃れした時にはこう言って追及するというふうに。とにかくしつこく通うことが一番大事。師匠に弟子入りするのに門前払いくらっても何度も何度も通ってるうちに師匠も根負けして門に入れてやるという話があるがそれと全く同じことが起きる。役人も繰り返し通ってくる奴にはめっぽう弱い。そこを突け。必ず活路は開けると信じよ!!
過去の定石だと、予算案と国債に関する法案を通す事を条件に解散総選挙、支出に関する法案は再開後の国会で審議というのが、落し所である。もっと早い時期であれば、そして、民主党が公約を実現していれば、内閣退陣を条件にし、政権はたらい回しという55年体制に持ち込めたのだが、タイミング的にも、支持率的にも、もはや選択肢にはなりえない。
4月の統一地方選の投票日に衆議院を重ね、バランスを取ろうとする大衆の心理を利用して、地方議会の議席か衆議院の議席のどちらかを取るという考え方で延命を図るというプランしか残されていない。
子飼いの地方議員が生き残れば、衆議院を落選していても地盤は維持できるし、衆議院の議席が維持できれば、地方議員の面倒は見れる。持ちつ持たれつで地盤を維持していくというのは、自民党的なやり方である。
もっとも、民主党の中央議員は、地方議員の面倒を見ていないようである。親小沢だと、その辺の指示を出してくれる人をつけてもらえるようであるが、その意見を受け入れて、地元の面倒見をやっているのは、いないようである。親小沢であると、党中央に目をつけられるし、地盤の手入れには金がかかる。次の選挙で勝てればよいが、今の党中央では、負けた後でも、その地盤の候補でいられるかどうかの保証がないとなれば、地盤に金を注ぎ込んで手入れをするのはやめて、金を貯めておく方が良いとなる。地盤に金を注ぎ込んで手入れをしていると、選挙を望んでいると解釈されて、政権が長続きしない事を望む反動勢力であると認定されかねない。小沢氏からつけられた秘書は返上しましたと、党中央に答えた方が、覚えが良くなるというのもある。
選挙は別々にした方が、裏工作が効く。衆議院選挙の間は、議員の事務所は選挙違反の内偵が付きまとうが、地方議会の議員の事務所はノーマークになる。反対に、地方議会の選挙期間中は、衆議院議員の事務所はノーマークになる。票の買収工作をやる裏選対はノーマークな方でやるというのが、選挙の常識である。この常識に添うならば、統一地方選と衆議院のダブル選挙はありえないとなる。地方議員を切り捨てるようなことをしていながらも、その選挙を利用して、有権者のバランス感覚だけにすがりつかなければならないほど、今の民主党には道が残っていない。
凡人は、凡人としての生き方を貫くべきであり、非凡でなければ勤まらない地位や職には、まかり間違ってもつくべきではないのだが、その程度の事すらも理解できないほど、日本人の質が劣化している。無能な政治家が生き恥を晒している様を見て、他山の石とするようになれば良いのだが、さて、その生き恥を晒している本人が、恥と思っていないというのが、実は、一番の問題なのかもしれない。
それぞれ「これはもっと早い・遅い時期じゃないの?」という指摘はあると思うけど、今回は個人的な主観で振り分けた。はてブや SNS で見かけるあの人や、身近なあの人がどの辺りに属するだろうと考えながら読むと面白いかも。
2011年時点の今書くとこんな感じだけど、それぞれの時期にどのインターネット上のサービスを使っているかというのは着目点ではないと思う。昔は SNS も RSS も、さらに検索なんて無かった時代でも、それが別のものに置き換わるだけで「知識を蓄え段々と発信者になっていく」という流れは大筋でずっと変わっていないのではないかと。逆に言えば、それぞれのフェーズに適したサービスがうまくこのインターネットの流れに溶け込めているんじゃないかと。
インターネットに初めて触れる。
過半数の過半数は25%+1票であり、マスコミの行うサンプル調査から全体を類推する手法では統計誤差が5%ぐらいあることから、30%を割ったら多数決で確実に負けるという事になる。そこで、30%を危険水域と呼んでいる。
法的には、支持率が何パーセントであろうとも、国会を解散する義務は無い。支持率が統計誤差の5%を差し引いたら0%やマイナスになるという状態であっても、任期一杯まで、国内法では政権を続けられる。しかし、地方政府と違って、中央政府の重大な仕事の一つに外交があり、外交相手の立場に立ってみれば、明らかに多数派になりえない勢力と話し合いをしても、時間の無駄であるし、どんな取り決めをしても、次の政権によってひっくり返されるとなれば、交渉自体を先送りにし、儀礼的な接触以外は避けるという事になる。
外交を、儀礼的な挨拶を交わすことだけだと勘違いしている万年野党にとっては、思い込みどおりの環境になるが、国際政治という観点からは鎖国状態となり、国益の損失は計り知れないとなる。外交の相手国が民主主義国家で、その政権の支持率が過半数の過半数を割っていても、馬鹿正直に交渉を行うのであろうか。そこまで考えれば、取るべき行動は自ずとわかる筈なのだが、わからないというのは、国政を担う資格が無いという事である。
サヨク上がりや弁護士風情が幅を効かすような政党には、国際政治の視点なんぞ、最初から無いのであろうが、それに気がつかないようでは、田舎代議士と同じレベルという事になる。
施政方針演説に先駆けて外交方針演説を行ったようであるが、国民の支持を得ていない政権が何を言っても、本気には取られないという現実を、弁えていないのであろう。衆議院選挙で政権を取った鳩山氏は外交で大失敗をしでかし、個人的な能力を問題視されて外交空転を起こしたが、政権のたらい回しによって立った新内閣は、参議院選挙で信任を得られず、国民の支持という、民主主義においては法の規定よりも重要な後ろ盾を得られなくて、外交空転を起こしているのである。
マスコミが行っている支持率は、マスコミの読者や視聴者という、マスコミの報道内容に満足している人が投票を行うし、自民党政権には使い道を全部開示しろと迫っていたのに、自分達が政権を取ったとたんに使い道は非公開としている官房機密費をマスコミにばらまいているので、どうしても、甘くなる。その点で、統計誤差を考慮しなくて良い実数開示型の、かなり現実に近い数値が出るインターネット上の世論調査では、年末の時点で6.3%だったのが、1月末の段階では、3%前後になると見られているのであった。
外交という中央政府の仕事を遂行できなくなっている政権を強制的に辞めさせる事が出来ないというのは、現行憲法の欠陥の一つと言える。
自分の息子との話を書かせてくれ。
昨日で丁度20歳になったんだ。
実の息子ではない。
俺が22歳の時息子は8歳だった。
内容を細かく書くと特定される事なので伏せるが、事故で亡くなった親友夫婦の子どもだ。
親戚をたらい回しにされ、虐待をされていて見るに堪えず養子縁組をした。
ゲイの俺が将来を楽しめるわけないと思い、小銭でも稼いで生活すればいいやと就職もする気はなかった。
この子に出会いこの子を育てると誓った日から全てを変えた。
水商売もやめ、普通の会社に就職し、大好きだった発展場通いもやめた。
息子とは本当に色々あった。
息子のお蔭で俺はこの年まで生きてこれた。
昨日初めて父さん今までありがとう、これからもよろしくね。なんて言われて不覚にも泣いた。
ああ、本当に最高の息子だよ。
これからもよろしくな、ユウタ。
いいえ、言った通りの意味。
コントロールできないのは判りきっているんだけど、ゼロ・リスクを要求している訳じゃなくて、実用性の範囲内でも住民を《できうるかぎり》安心させることは可能なんだから。
そうじゃなくてこの一件にわざわざ言及しているのは、施設となによりも行政が《できうるかぎり》の努力をしているようにはとても見えないからで。
業を煮やした母親が群れなして突き上げ倒すまで真相究明と再発対策についてろくに情報は寄越さないわ、ミーティングには好き勝手の欠席するわ、窓口のお役所はホイホイたらい回しにするわ、事件から一ヶ月経って被害者が退院したあとで何やら一枚マニュアルをファックスしてきたって何ですか、それ。
ついでに言うと、この事件ってろくに報道されなかったんですよね。お得意の人道的配慮のおかげで。だもんで続報も出ない、対応をいい加減にしても社会問題化しないってご都合のよろしい話ですよね。
お前ら、施設作るから損しようが不安に駆られようが文句言えばサベツ、不祥事起きたらまあ、頭だけ下げといてやンよ、一応。
むしろはてサの人々がこの件でわめき倒しててもいい話だと。
ああ、その母親たちの何とかって言うのはその後、わずか一年でお約束の全てのことへのバリアフリーみたいな方向に転換して、革新系が一生懸命バックアップしてるけど、結局改善要求による成果ってのはどうなってるのか、ちょっと調べた限りじゃ見付からないくらいで
埼◯県立某定時制の◯年が煩い?
(´・ω・`)知らんがな
教師が悪いんだろ?
◯年が担任の先生の言う事聞かない?
(´・ω・`)知らんがな
今迄全生徒と向き合わんかったつけや無いか
友達に嫌われた死にたい?
(´・ω・`)知らんがな
自分で本人に「お前のせいだ」と言えや
「リスカした話し聞いて」
(´・ω・`)知らんがな
其れより夜中にくだらん事で電話するな
「◯◯ちゃんが虐めの的になるから、退学しないで」
(´・ω・`)知らんがな
進級時「先生はもう、他の学年の担任をするから、卒業迄次の担任を支えて学年をまとめてくれ」
(´・ω・`)知らんがな
私は生徒ですがな
「ここ、生徒と18歳未満専用なんですよ」
(´・ω・`)知らんがな
全部実話
(´・ω・`)知らんがな
ネグレクト、という横文字が端的に理由を表している。
育児放棄では、鍵っ子も含まれそうだ。虐待にしては、殴ったりはしていない。
異質であり、異様な犯罪であるなら、「虐待の末の子殺し」として、面白可笑しくワイドショーで取り上げれば良い。
でも、あまりにも生々しい。
誰にでも起こりうる、隣人もそんなことをしかねないと、皆が心の底で思っている。
だからこそ『ネグレクト』といういかにもな横文字で、なんとなく煙に巻かれつつ遠目に眺める。
全てが覆い隠されて、つながりが希薄で、みなが善人であるという建前で動く「日本の社会」だから。
起こりかねないけど、珍しい出来事、そんな意味がネグレクトという横文字に込められている。
珍しくなく、知っていたから。
子供を育てたいがどうして良いか判らない、そんな母親を支える人たちが居た。近所のおばちゃんとか。
父親が酷い男で、逃げるように別れてホステスとして子供を育てる、そんな女性がたくさんいた。お互いに支え合った。
家に金を入れずに飲むだけ飲んで、殴る暴れるなんて親父もさほど珍しくなかった。
町が変われば、一からやり直せる。町に溶け込めば支援が得られる。
駄目なヤツは昔から駄目だ。
それでも、珍しくなく良くあることなら、地域に相談する土壌があった。
若くして孕ませて、相手の親父に殴られてずっとソリが合わなければ、離婚したときには実家に呼び戻されていた。
親が居なくても、親戚一同に子供がたらい回しにされて冷遇されるなんてのが無くはない話だった。
子供は、その家系の先端にいるものだから、一族で面倒を見るのが(面倒であっても)当たり前だったからだ。
そういった、伝統も因習も悪習として切り捨てられた。
プライバシーの名の下に、他人の事情に首を突っ込まなくなった。
婚前交渉も、孕ませてからの結婚も、親が殴らなくなった。
お互いの生活に過度に干渉することで成り立っていた町社会のシステムのママ、本音の部分が建前で切り捨てられていった。
ニュースになり話題になるのは、起こりかねないと皆が思うからだ。
異質なニュースなら忘れれば良い。
異常者は避けがたい不運のようなモノだ。
子供の冥福を祈り、親の名前をシリアルキラーカードに加えれば良いだけだ。
しかし、そうはならない。
誰にでも起こりうる。
今、貴方の隣に住んでいる夫婦ですら起こりうる。
居酒屋に子供を連れてきている夫婦は、離婚したら親に頼れるのか?
カレシを変える感覚で、旦那と別れて良いのか?
そうさせない、ムラシャカイの圧力が無くなった状況で、なんら支援も指示もない。
そうなったときに、適切な回答が誰にもない。
同じ状況になった母親は、また同じ事をする。
彼女が特殊なわけじゃない。
彼女が異常なわけじゃない。
彼女が不運なわけじゃない。
自分にも起こるかも知れない。
誰も回答を知らない。
そんな不安には、まともに向き合えない。
まず俺と君の貨幣に対する認識が違うことを説明しよう。貨幣は富(財)そのものではない。貨幣はものの価値を伝えるメディアでしかない。例えば俺が日当一万で働いたとする。そうして俺は一万を手に入れるが、それは俺の周りの人々に対して俺は一万円分の働きをしたということを伝えてくれる。俺はこの一万円で例えば時計を買ったとしよう。それは、俺がした一万円分の働きを一万円分の価値があると宣伝されている時計と交換するだけ。そのために使うのが貨幣。俺の仕事の価値と俺が欲しい時計の価値を知らせてくれて、それを交換するのに使える便利なメディアだ。だから貨幣は一枚1円もしないような印刷物でも電子マネーでも成り立つのだ。
そして、俺の言う普遍的な富とは人を豊かにするもの全てを指す。限定的な富と言ったのは、例えばあるバスの椅子の数。どうやっても増えないから、乗客みんなでたらい回しにするしかない。
ちなみに俺、
> 財が有限であれば、どれだけ多くの財が市場に流通しようと、究極はその限られた財をたらいまわしにして経済を維持する外ない。
と君が書いたところを
> 貨幣が有限であれば、どれだけ多くの財が市場に流通しようと、究極はその限られた貨幣をたらいまわしにして経済を維持するほかない。
と読み替えたよ。だってそう読み替えないと、
> 貨幣によって取引される財が有限かどうかとゼロサムゲームと関係があるか
という命題がおかしくなる。君は富の創出の余地があるのかないのかはゼロサムゲームとは関係ないと言っている。『財が有限であれば』という言葉は、『富の創出の余地がなければ』と置き換えることができると思うのだけれど、そうするともう前提自体が変だよね?
ttp://www.chunichi.co.jp/article/column/yuhodo/CK2010033002000208.html
沖縄の新聞、沖縄タイムスの社説は怒っていた。普天間移設を県内たらい回しするような
政府案に対し「八百長のような展開だ」。県外国外を約束していたのだからだまし討ちに
遭ったも同然。
普天間返還は米兵による少女暴行事件の翌年、一九九六年に日米首脳会談で決まった。
クリントン大統領が促した。「言いたいことはもうないのか」。橋本首相「普天間返還を
求める声が強い」
以来じつに十四年。沖縄のベテラン記者はうめくように言っていた。「普天間は動かない
んじゃないか」。だまされ続けてきた島民の、まただまされるんじゃないかの不信。八百長は
だめだぞ。
ttp://kozawa.jugem.cc/?eid=354#comments
日本のユーザ (に限らず日本人全般) の多くは、完成品のクオリティは異常なまでに求めるのに、事前のテストリリースには一切見向きしない、テストしても「使えねぇ」とブログ等で吐き捨てて終わる、という悲しい現実があります。
「上流にフィードバックしないなら、文句言うな」と思います。製品の評判は落とすし、製品のクオリティ向上には貢献しないし、百害あって一理なしです。皆がスーパーハッカーではないのでパッチ書けとは言いませんが、上流にフィードバックして、パッチが出たらテストに付き合うくらいはしてほしいものです。FOSSとはそういうものです。
FOSSのみならず、日本の社会がそういうのもだと感じています。
Firefox然り、Fedora 9の日本語クリーンインストールで日本語環境がインストールされないこと然り、三菱東京UFJのシステム統合然り、官僚システム然り…
文句は言っても、リスクを甘受しようという姿勢がなさすぎます。5月の三菱東京UFJのシステム統合なんて、概ね問題なくできているのに、一コンビニで使えなかった程度で新聞のトップ記事です。よそのコンビニ、よその金融機関に移動すれば済むことなのに…。99%のあとの小数の桁を増やすために莫大な資金を投入するくらいなら、99%のクオリティで預金に還元してくれる方がずっとうれしい。
私はこの状況を「国民総無責任社会」と呼んでいます。この国は、責任のたらい回しで成り立っていると言っても、言いすぎではないのではないでしょうか。
16歳・・・収穫前 (収穫前にツバを付けるのは青田買い)
18歳・・・朝取り野菜 (形が悪くても非常に美味しい)
20歳・・・市場出荷 (選果選別され、格付けされ、選ばれたものが出荷していく)
24歳・・・朝競り (需要と供給により正確な価格が決められる)
26歳・・・卸業者倉庫 (たらい回しにされ、様々な人の手に)
28歳・・・スーパーデビュー (最後の砦、新鮮だと思われてる最後のチャンス)
30歳・・・売れ残りカット再デビュー野菜 (手を加えないと価値を認められない)
32歳・・・さらに売れ残り加工惣菜 (原型を留めてない、他と寄り集まってようやく価値が認められる)
34歳・・・半額シール添付 (価値がギリギリまで落ちるのを待ってた人のみ手に取る)
35歳・・・腐る (腐る)